ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
オホーツク発酵食品フェスタ2020に参加して
遠軽町立遠軽中学校望の岡分校に赴任して
校長 清澤満
本館の職員玄関を入ると左正面に大きな壁画が飾られています。縦六尺、横十八尺(畳大のベニヤ板を六枚並べた大きさ)もあるので迫力満点です。タイトルは付いていませんが、その右横に小さく、『左の大壁画は、昭和三十八年十二月から翌年三月にかけ、本校に在籍していた生徒の一人一人が例外なく参加し、村井武雄先生の指導により描き完成されたものです。四五〇町歩の広大な土地を背景に日常生活の一つ一つが描き出されています』と説明があります。この当時は常に定員八十五名の生徒が入所していたので、完成までの四か月間の入退所を考えるとそれを超える数の生徒達がこの絵の制作に関わったことでしょう。
絵画指導をしてくださった村井武雄先生は、第四代校長の留岡清男先生が北海道大学の教授であった時に、同大の助教授をされていた村井満(ま)寿(す)先生のご主人で、音楽や演劇等の芸術に造詣が深く、語学にも堪能な才能溢れる方でした。博物館で流れる労働賛歌も村井先生が一晩で創り上げた曲のようです。一方、声楽家でもある村井満寿先生も、家庭学校の生徒達に音楽指導で来られた時、歌を好む生徒達の姿を見て、礼拝堂にピアノを寄贈してくださいました。清男先生は、子ども達には楽しみや喜びを感じる文化的な生活をさせたいと常々考えていたので、その熱意がお二人を引き寄せたようです。当時のやり取りなどが、清男先生の「教育農場五十年」に書かれています。
さて、いつも目にしている壁画ですが、改めてじっくり眺めてみると、行事や作業、生活の様子が細かな所まで描き込まれていて、当時の様子が実によく伝わってきます。本館前にはハーモニカバンドか鼓笛隊なのでしょう。その練習風景が描かれています。本館の奥には果樹園が見え、神社山や麓山の木々には沢山の巣箱が掛けられているなど今は無い風景が見られます。牛以外に鶏や豚のほか、農耕や運搬のために馬も飼われています。今は一人の牛乳缶運びをリヤカーを使って二人掛かりで運んでいる様子が描かれています。生徒の人数が多く、牛乳缶も大きかったのです。博物館の向かい側には清男先生の雅号から名付けた清渓寮が見られます。この壁画には二百人ほどの人物が描かれていますが、村井先生は、生徒一人ひとりが自分の顔や姿を描き入れることによって、みんなで完成させた作品にしたいとの考えでしたので、生徒達は、思い思いに作業や生活など様々な場面に自分を描いたようです。なかでも、作業の様子は細やかに描かれており、観る者に活き活きとして伝わってきます。
この年の「ひとむれ収穫感謝特集第二五一号」には、十一の作業部からの報告が記録されています。山林部(一班・二班)、土木部、果樹部、園芸部、清掃部、蔬菜部、軍手部、精米部、木工部、輸送部、そして酪農部です。巣箱の架設は野鳥愛護活動として山林部一班が担当し、山林部二班は味噌造り(醸造部)も担当していたようです。壁画のグラウンドにあるバックネットは全校挙げての作業でこの年に完成しています。養豚のほか養鶏も暫くは酪農部が担当したようです。
大壁画の風景から五十七年を経た現在は、山林、園芸、蔬菜、校内管理、酪農の五班となっています。家庭学校の歴史は作業の歴史そのものでもあり、何より作業活動を大切にしてきました。子ども達は作業を通じて達成感を得、自尊感情を高め、他者と協力することの大切さを学んでいきます。今の子ども達が作業に汗する姿をこの絵の中に映し出しながら私達はこれを守り伝えていかなければならないとの想いを一層強くするのです。
主幹(酪農担当) 蒦本賢治
十一月二十五日から二十七日までの三日間、北見市内で「オホーツク発酵食品フェスタ2020」が開催されました。このフェスタは、公益財団法人オホーツク財団が一般社団法人おこっペ町観光協会の協力のもと主催されたもので、初年度である今年は、乳発酵食品にスポットを当て、北見市内のホテルでの講演会と北見駅前の商業施設であるパラボの地下一階にある催事場において販売会が催されました。出品数は参加した九社全体で百余点となり、家庭学校からは発酵バターと三種類のチーズを出品し、販売しました。私は、最終日の二十七日に自ら店頭に立ち販売促進をさせていただきました。また、講演会にも出席し、講師である、チーズプロフェッショナルの資格を持ちチーズサロンを主宰されている石川尚美氏とフレンチレストランのオーナーシェフである黒滝祐輔氏の軽快なトークショーも拝聴させていただきましたので、この紙面をもって報告させていただきたいと思います。
販売会には、当施設の北海道家庭学校バター・チーズ工房からの他、オホーツクファーム喜多牧場(紋別市)、冨田ファーム(興部町)、チーズ工房アドナイ(興部町)、月のチーズ(滝上町)、ブルーグラスファーム(雄武町)、パインランドデーリイ(興部町)、ノースプレインファーム(興部町)、ひがしもこと乳酪館(大空町)が出品されていました。私が会場に到着した際には、既にいくつかの商品が売り切れており、家庭学校からの出品も二十点程が残っているのみで、コロナ禍といえどもオホーツク産チーズの人気のあることが伺えました。その残りの商品も講演会を終え、私が催事場に戻った際には全て完売しておりました。当工房の製品を店頭販売するのは今回が初めてのことであり、どうなることかと案じておりましたが、ほっと胸を撫で下ろしました。ご購入いただいた皆様には感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。
講演会は「オホーツクのチーズを美味しく食べる」と題して、講師のお二人が参加した九社のチーズの紹介やその上手な食べ方、調理方法等を中心にトークを繰り広げ、後半は参加各社の商品一品ずつを持ち寄った試食会が開催されました。当工房からはウォッシュタイプのチーズである「トメオカ」を講師のお二人と会場の皆様にご賞味いただき、好評をいただきました。講演会の様子はユーチューブでライブ放送され、その後も閲覧できるようになっています。是非、「オホーツク発酵食品フェスタ2020」で検索してみてください。
販売会と講演会、試食会を通して、同業者、お客様等とも交流する機会を得ることができました。講師のお二人とも直接お話しでき、「トメオカ」について、このような本格的なチーズが家庭学校から登場するとは思ってもいなかったと驚きのお声をいただきました。他にも、チーズを販売する業者様からも、同様のお声掛けをいただき、大変励みになりました。
「トメオカ」は本場フランスのチーズをモチーフにしており、近年はスーパーなどでもよく見かける「カマンベール」とよく似た大きさ、形で、表面はカマンベールが白カビを生やして真っ白なのに対し、こちらは塩水で洗いながら熟成させた表皮に覆われています。表皮は熟成具合によって濃さに差はありますが、橙色を帯びています。カットすると中は表面に近い部分は常温でも溶けるくらい柔らかく、中心の方はややぼそっとした食感の白い芯があります。表皮には今回の講演会で「上級者向け」と評されるような、独特の匂いがあります。芯はフレッシュチーズのような味わいがあります。熟成が進むほど芯が小さくなっていき匂いも強くなっていきます。自分で言うのもおこがましいですが、製造には手間がかかり難度も高く、チーズプロフェッショナルが驚くのもあながち大袈裟なことではないと思っています。製造者としては、まだ出来栄えに納得できていない部分もあるのですが、今回このような評価をいただき大変嬉しく感じております。校祖の名を冠した商品として相応しくあるよう、改良を重ね大事に育てていきたいと思っています。
最後に宣伝となってしまいますが、家庭学校のバター・チーズの入手方法についてお知らせします。現在は主にインターネットを通じての販売を行なっています。家庭学校のウェブサイトから入ることができます。直接お越しいただいても購入できますが、私が不在の場合、商品をお出しできないこともございますので、サイトで予約いただくか、電話等で事前に連絡いただければ用意しておくことができます。また、遠軽町へのご寄附をした場合のふるさと納税の返礼品として、お選びすることができるようになることが決定していますので、そちらをご利用されるとお得にお届けできるかと存じます。今後とも北海道家庭学校バター・チーズ工房をよろしくお願いいたします。
事務職員 古間木雄一郎
「遠軽町立遠軽中学校望の岡分校での勤務を命じます」。直前に勤務していた学校の校長室で異動の内示を受けた時、正直僕は「?」となった。「望の岡分校」。耳にしたことは確かにあったが、まさか自分がそこで勤務することになろうとは正直思いもしていなかったし、「望の岡分校」について何の知識も持ち合わせていなかったからだ。「わかりました。よろしくお願いします」的な返答をし、校長室をあとにした。その後僕は知り合いの教職員に「望の岡分校」について色々と聞いてまわった。「あー。あそこね。確か給食が希望制でちょっと高いはずだよ」「児童生徒は男子しかいなくて、ちょっとやんちゃな子が多いらしいよ」「午後からは授業じゃなくて結構ハードな肉体労働があるらしいよ」「校舎は古くて寒そうだったよ」「生徒の転出入が頻繁で事務職員はその辺が大変かもよ」。唯一前向きに受け取れた回答は「普通にやっていれば事務職員に残業はないと思うよ」。何ということだろう。枚挙にいとまがないほどほぼネガティブなコメントしか出てこなく、僕はそれ以上の情報を集めることをやめた。変な先入観を持ったまま「望の岡分校」の門を叩くことになりそうだったからだ。しかし、正直この時は明るく前向きな気持ちにはなれなかった。
迎えた令和二年四月一日。事務職員になって二十八年目、六校目の勤務校となっても、初出勤の日はやはり緊張する。これまで仕入れてしまった数々のネガティブな情報が緊張に輪をかけた。これから始まる「望の岡分校」での事務職員生活。大丈夫か?
自家用車で「北海道家庭学校」の敷地に入り、「望の岡分校」が設置されている「本館」を目指す。敷地が広い。どんどん山奥に入っていく。背の高い樹木が生い茂っている。まだ校舎が見えない。マジか。ついに砂利道まで出てきた。砂利道を通って通勤するのは初めての経験だ。いろんな不安がますます頭を駆け巡る中、「本館」に突き当たった。駐車場所がわからずしばし停車していると、ちょうど車を降り立った一人の女性職員が優しく笑顔で対応してくれた。ちょっと嬉しく、緊張していた僕の心を和ませてくれたことをはっきりと覚えている。さてさて、そんなこんなで校舎に辿り着き、校舎を見て、校舎に足を踏み入れての第一感想。うん。古い。廊下もギシギシいうし、僕が通っていた小学校よりも確実に古い。そして四月だったから当然寒かった。教務室に入り自分の席に着き、教務室を見渡した時、職員の多さに気が付いた。家庭学校の職員と同じ教務室。所属の異なる二つの学校の職員との共生空間。これも初めての経験だ。必要性と協調性と秘匿性を高度に理解し合う関係性が必要なのであろうと感じた。緊張の中で挨拶を済ませ、デスクまわりを整理整頓し、一から職員の顔と名前を一致させる作業から僕の「望の岡分校」での勤務が始まった。
さてさて、そんなこんなで始まった僕の「望の岡分校」生活であったが、それからここまで八か月。様々なことを経験させていただく中で、赴任当初に抱いていたネガティブな情報が実はどうだったかと言えば・・・。そして僕自身もどう考えるようになったか・・・。
まず「校舎」。確かに古くて寒い。それは事実だ。最初は「うわー」と思った。しかし、慣れてくると何とも味があるではないか。玄関には「本館」という手作りの木製看板。黄緑色の鮮やかな木製の窓枠。全国的に見ても数少ない歴史を感じさせる素敵な校舎だ。今はむしろ好きだ。ただ、砂利道だけはどうにかならないものだろうか・・・。
「給食」。確かに周辺の公立学校の給食費と比較すれば安くはない。しかし!栄養バランスを考え、お腹いっぱい食べられて手作りでしかもおいしい!そして行事の時には子どもたちが楽しめるような工夫も随所にされている。他に類を見ない愛情たっぷりの「給食」。今では大好きだ。(※最近はコロナの関係であまり食べられてなく残念)
「子どもたち」。男子しかいない理由はここに勤務して理解した。寮生活を営んでいる以上当然のことだろう。それから確かにやんちゃな一面を持った子どももいるだろう。しかし、日常生活でほぼ接点のない事務職員の僕に対しても元気に挨拶出来るし、教務室の入退室時の礼儀作法もちゃんと出来ている。基本的に授業もちゃんと頑張って受けているようだし、学校行事の時には本当に良い顔をして取り組んでいる。二つの学校のたくさんの先生たちの熱意や努力もあって、みんな頑張って生活している。世間一般のイメージとは絶対に違う、純粋な子どもたちに間違いなく成長している。
「午後からの肉体労働」。れっきとした「作業班学習」という学校日課に含まれた学習であった。仕入れていた情報を鵜呑みにしなくて良かった。子どもたちと家庭学校職員、望の岡分校職員が三位一体となって「流汗悟道」の精神でともに頑張っている。樹木を切り出し、広大な敷地を適正に管理し、自らが食する野菜を育て、牛を飼い、花を植える。いずれの作業も社会に出てからも生涯役に立つ知識と技術だ。懸命に作業に勤しむ子どもたちの姿は本当に素晴らしいと思う。
そしてここに来て初めてその具体を知ったのだが、「小舎夫婦制」という制度を今も堅持し、子どもたちと家庭生活を共にし、子どもたちに惜しみない愛情を注ぎ続ける家庭学校の職員の皆さんには、尊敬の念すら抱くようになっている。
こうしてみると、僕は随分と「~らしいよ」という、あやふやな情報を持って「望の岡分校」に赴任したんだなと思う。この学校の実態や日常は、もっともっと外部に正しく伝えていくことが必要で、それは我々学校職員の役割なのではないかと考えるようになった。
最後になるが、前述の通り、子どもたちとの接点が少ない事務職員の僕ではあるが、最近はどうにか子どもたちと接点を持てないものかと考えるようになっている。そんな時ふと思い付いたのだが、僕の趣味は野球と釣りだ。そういえばこの学校にはクラブ活動で野球があったなあ・・・。釣り遠足っていう行事もあったなあ・・・。こんなことを考えながら最近では「望の岡分校」での勤務を真剣に楽しんでいる。