校長から

2016年4月8日
卒業生への校長メッセージ

                        校長 仁原 正幹

 毎月の『ひとむれ』誌の「巻頭言」の中で、北海道家庭学校の現状や校長としての考えなどを随時お伝えしてきており、それをこのウェブサイトの「ひとむれ」のページにも登載してきています。そうしたこともあって、この「校長から」のページの追加・更新の必要性が感じられず、またしても延び延びになってしまいました。1年振りの更新です。

 今回も多くの卒業生、退所児童を送り出すことになり、彼等に向けた校長メッセージをつくりましたので、この機会に「校長から」の中でもご紹介させていただこうと思います。

【卒業生への校長メッセージ】

暗渠の精神

                       北海道家庭学校 校長 仁原 正幹

 皆さんは「暗渠」という言葉を知っていますか。灌漑・排水などのために地下に設けた溝のことをいいます。「暗渠」は人目につくことなく、湿地の地下にあって、水を抜き、作物の成長を助ける働きをします。
 家庭学校一帯の土地は多量の粘土を含む、非常に粘性の強い重粘土質という土壌です。水はけが悪く、作物の生育には適さない土地でした。そこで、私たちの先輩の先生方と生徒達が力を合わせて、広い敷地内に無数の暗渠を作りました。重機もない時代だったので、来る日も来る日も先生と生徒で固い地盤をスコップやツルハシで掘り起こしたそうで、1日に数メートル進むのにも苦労したことがあったそうです。こうした苦労のお陰で、現在、家庭学校の広い敷地内には野菜や花や牧草が豊かに育ち、実るようになっています。
 家庭学校第4代校長の留岡清男先生の『教育農場五十年』という本の中に「暗渠の精神」という、北海道家庭学校の精神的支柱について書かれている文章があるので、卒業の記念に贈ります。家庭学校を巣立ってからも、時々この文章を読み返してください。世のため人のために役立つ働きを地道に続けながら、誇りを持って清々しい人生を歩んでください。

「暗渠の精神」
  一面にひろがってみえる畑の底に、土管が四方八方に埋められている。( 中略 )
暗渠は、地の底にかくれて埋められています。表面から、眼でみることはできませ
ん。しかし、地の底にかくれている暗渠があるために、地上に播かれた種子が、腐る ことなく、芽を吹き出し、花を咲かせ、実をみのらせることができるのです。人の眼 には、新芽の青さが見えます。花の美しさが見えます。豊かな実りが見えます。しか し、そういったものは、みんな、地の底に埋もれている暗渠のお陰だということを、 見抜く人は極めて稀であります。
 私たちは、新芽も、花も、実も、惜しみなく人さまに差上げたらいいと思います。
所詮私たちは、静かに、黙々として、地の底にかくれて、新芽を吹き出させ、花を咲 かせ、実をみのらせることができさえすればよろしいのであって、それが暗渠というものの効用であり、誇りだと思うのであります。

(留岡清男『教育農場五十年』より)

2015年4月15日

「人の気持ちがわかる人になろう」

北海道家庭学校 校長 仁原 正幹

 皆さんは家庭学校で学ぶこと、身につけることの中で、何が一番大事なことだと思いますか。

 望の岡分校の授業に真剣に臨んで勉強の遅れを取り戻す。その結果、学業成績が伸びて、希望する高校に進学する。これ大事なことですね。それから、寮生活で生活のリズムが身について、早寝早起きができるようになる。掃除や洗濯、片付けものなどを独りできちんとできるようになる。これも大事なことです。さらには、作業班学習や朝作業・夕作業に真面目に取り組んで草刈りや畑おこしや除雪などの根気の要る力仕事も最後までやり通せるようになる。これまた大事なことです。

 どれもこれもみんな大事なことですが、それらをぜーんぶ合わせたくらいに大事なことが、もう一つあると、私は思っています。何だかわかりますか。それは「人の気持ちがわかる人になる」ということです。相手の身になって考えてみる、相手の気持ちを推し量ってみる、そういうことができるようになるということです。

 心ない一言で相手がどんなに傷つくだろう、自分に対してどんな感情を抱くだろうということが想像できれば、うかつなことは言えないはずです。ついつい、カーッとなって、むしゃくしゃして、あるいはからかってやろうと思って、相手に酷いことを言う。そういう行為は、人としてとても恥ずかしいことだと思います。早くそういう未熟な段階を卒業してほしいと思い、私は何度も何度も皆さんに語りかけてきました。

 人の気持ちがわからなくては、社会で自立して生きていけません。自分の人生とはいっても、人生は自分一人で完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係のもとに成り立っているからです。

 なお、人を傷つけるようなことを言わないことはもちろん大事だし、常に気をつけていなければならない当たり前のことですが、実は人間関係の問題はそれだけでは解決しません。自分がいくら気をつけていても、残念ながら世の中には未熟な人もいます。傷つくようなこと、バカにするようなこと、人格を否定するようなことを言う人もいるものです。そのときに一々腹を立てて反応してしまい、言い返したり、口喧嘩をしていたら、どうなるでしょうか。人間関係がギクシャクして、壊れてしまいます。いくら勉強をきちんとしていても、一人前に仕事ができても、人間関係がうまくできなければ、学校も仕事も続けられなくなってしまいます。

 では、どうするか。秘訣を教えます。傷つくようなこと、バカにするようなこと、人格を否定するようなことを言われたときには、そこで一呼吸置いて、あー、この人はまだまだ未熟だから、こんなバカなことを言ってるんだ、かわいそうな人だなあ…と思ってください。そして、相手にしないこと、聞き流すこと、無視することです。これができれば立派なものです。

 でも、皆さんは今まで散々苦労してわかっていると思いますが、これってなかなか難しいことですよね。そのための練習の場、修行の場が、家庭学校だったはずです。家庭学校にいる間は、腹が立ったり、イライラしたり、キレそうになったときに、家庭学校の先生、望の岡分校の先生が話を聞いてくれ、注意をしてくれました。皆さんは家庭学校で修練を積んで、我慢強くなり、一歩も二歩も三歩も賢くなったはずです。もう免許皆伝のはずです。

 自信を持って、新しい道に歩を進めてください。ただし、人間は忘れやすいものです。ついつい慢心してしまうものです。時々「人の気持ちがわかる人になろう」という言葉を思い出して、自分を律してください。そうして、みんなから愛され、慕われる人になって、明るく楽しく充実した人生を歩んでください。


2014年8月15日
北海道家庭学校百年目の現況

   校長 仁原 正幹



 創立百周年の大きな節目の年に、新たに北海道家庭学校の校長の責を負う者として、年度当初の4月1日に着任しました。これまで道の児童相談所長として社会的養護が必要な多くの児童を全道の児童養護施設や里親、そして児童自立支援施設、情緒障害児短期治療施設などに措置してきました。中でもとりわけ対応の難しい男子児童をお願いする最後の切り札的存在が北海道家庭学校でありました。今度は道内の9つの児童相談所から、保護者や市町村、学校、警察、家庭裁判所などの熱い期待のもとに多くの子ども達をお預かりする立場となり、身の引き締まる思いでおります。

 生後間もない乳飲み子同然の駆け出し校長が満百歳の大長老となった北海道家庭学校について語るべき何ものもないことは言うまでもありません。本校の歴史や偉功などについては、数多おられる先達、支援者、関係者等の方々が既にたくさんお書きになっておられ、また、『創立100周年記念誌』にも多くの皆さんに寄稿していただいています。原稿に目を通させていただきながら、我が国の感化院、教護院等のフロントランナーとして110余年の輝かしい歴史と伝統を持つ「家庭学校」には、各人が各様の熱い思いを抱いておられるということを今さらながら深く感じ入っているところです。

 新米校長の私としては、永年にわたり北海道家庭学校を温かく見守り続けていただいている多くの皆さんに本校の現況を改めてご紹介しながら、これらの状況を踏まえてのこれからの百年に向けた取り組みなどについて、大仰にいえば家庭学校が家庭学校として輝き続けるためにはどうあるべきかについて考える際の縁(よすが)となればとの思いで、この文章を書き進めさせていただくことにしました。

 北海道家庭学校には、8月1日現在夫婦小舎制の4つの寮に総勢25名の児童が暮らしています。その内の1つの寮は高校生専用の寮で、定時制高校と高等養護学校に通う児童が5名在籍しています。他の3つの寮には、中学卒業生6名、中学生13名、小学生1名が在籍しています。近年は総じて年長児童が多いというのが本校の特徴であり、義務教育終了後の児童数が4割を超える北海道家庭学校の状況は、全国58の児童自立支援施設の中でも異彩を放っています。

 児童自立支援施設の子どもが高校に進学する際には、退所して親元に帰るか児童養護施設に措置換えとなるかが一般的なのですが、どちらの場合もなかなか長続きせず、残念ながらほとんどのケースが高校中退を余儀なくされています。北海道家庭学校では全国でも珍しい高校生専用の独立した寮を有しており、職員は毎日の実習先や高校への送迎なども含め、それぞれの児童の特性に応じたきめ細かな個別的対応に努めています。遠軽高校、紋別高等養護学校、そして実習先の事業主の皆さんの格別のご理解とご協力の元に、ほとんどの児童が3〜4年の課程を無事修了し、卒業・就職自立に至っています。

 年間を通して多くの児童が不定期に入退所していますので、児童数は常に流動的で、年度の後半に向かって少しずつ増えていく傾向にあるのですが、それにしても25名という入所児童数は非常に少ないという印象を持たれることと思います。85の児童定数が常に満床だった昭和の時代などを想うと隔世の感があります。ただし、この現象は本校だけに限られたことではなく、道内の他の児童自立支援施設の入所児童数も同様に減少してきており、道立向陽学院、道立大沼学園ともに現時点では25名前後の入所状況となっています。年度の後半の入所児童数がピークに達した時点でも各施設30名前後、3施設全体で100名程度といったところが近年の入所状況であり、この傾向が今後もしばらくは続くのではないかと予想しています。

 少子化が進み児童数総体が縮小していることも要因として当然考えられますが、それと同時にいわゆる「非行少年」の減少も顕著なものとなっており、近接領域である少年司法の分野では少年院や少年鑑別所の入所者数はもっと少ない状況となっており、現員数が定員数の1割にも満たないところもあるようです。

 「児童自立支援施設」という呼称は、児童福祉法の改正により平成10年度から使われるようになりましたが、それに併せて「教護院」時代には「不良行為をなし、又はなすおそれのある児童」のみが対象だったものが、「家庭環境その他環境上の理由により生活指導等を要する児童」という項目が加わり、対象児童の範囲が広がっています。

 この法改正の影響もあって、入所児童の中には被虐待経験や発達障害による問題点を有する児童が大変多く含まれるようになってきており、ともに全体の7割以上を占めているというのが北海道家庭学校の現状です。そのため従来からの集団的な指導に加えて、各児童ごとの詳細な指導指針や自立支援計画に基づく個別の対応が必須となっています。現在は半数以上の児童が遠軽町内や遠く旭川の精神科や心療内科を定期的に受診し、安定剤などを処方されています。

 10年前の90周年の時と大きく変わったことといえば、公教育の導入があります。北海道家庭学校でも長らく「学校教育に準ずる教育」として施設職員による「学習指導」が行われてきましたが、5年前から正規の学校教育が導入されており、遠軽中学校と遠軽東小学校の「望が岡分校」が本館内に開設され、今春6年目を迎えたところです。

 この公教育導入についても、平成10年の児童福祉法改正に端を発するものであり、「教護院」から「児童自立支援施設」への呼称変更に併せて、施設長に対して入所児童の就学義務が課せられたことが契機となっています。しかしながら、「教護院」には「子どもの指導の3本柱」としての「生活指導」、「学習指導」、「作業指導」の3つが有機的、一体的に行われなければならないという「生活と教育の一体化(生教一致)」の大原則があったので、「学習指導」だけを切り離して他機関に委ねることへの懸念や対応策の難しさなどから、全国的にも調整や準備に多くの時間を要してきた経過があります。他県の児童自立支援施設の中には未だに検討中のところもあり、また、導入はされたものの、教育と福祉の文化の違いなどから、なかなか共同歩調がとれずに苦悩しているところもあると聞いています。

 ところが、着任してから4カ月余り、家庭学校と望が岡分校の連携の緊密さには目を見張るものがあり、私としては安堵するとともに大変ありがたく思っているところです。毎朝の施設職員・分校教員全員での入念な打合せに始まり、日中も不断に情報交換が行われています。毎日の昼食会はもとより毎月の誕生会の夕食会にまで教員の皆さんが参加され、給食棟で子ども達に「Withの精神」で寄り添っていただいています。各種行事の共催はもちろんですが、週3回の作業班学習においても教員の皆さんと施設職員とが力を合わせて児童の指導に当たっており、将に「流汗悟道」の精神を体現した「生教一致」の取り組みが、ここ『森の学校』で展開されています。

 北海道家庭学校は、民間の施設ということもあって、地元遠軽町の皆さんを初め多くの方々から物心両面にわたっての大きなご支援をいただいています。校祖留岡幸助の時代から100年続いた地域との厚い連携・交流が実を結んでいるものと、本当にありがたく思っています。

 児童自立支援施設は、家庭にも学校にも地域にも居場所のない子ども達にとっての最後の拠り所です。北海道家庭学校には100年間に全道各地から2,500人もの要保護児童が入所してきています。子ども達は本校での安定した生活の中で大きく成長し、変貌していきます。

 自然豊で人情味あふれる遠軽の地で、多くの子ども達がしばしの間疲れた羽を休め、力を蓄え、自己を変革し、そして全道各地に元気に巣立っていっています。