ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
研修旅行担当、施設での旅行を終えて
中卒クラスのこと
〈児童の声〉
校長 清澤満
緑の山々が黄色や赤茶に染まる頃から森の学校にはたくさんの落ち葉が舞い、礼拝堂に続く路や、本館や寮舎に伸びる生活道路を覆い尽くします。子ども達と職員は黙々とそれを掃き集めますが、何日もしないうちに又落ち葉が道路を埋めてしまいます。積もった落ち葉を再びみんなで掃いて集めます。この時季よく見られる作業の風景で、まるで我慢比べのように根気強く何度も何度も繰り返されます。集めた落ち葉は堆肥にして土にかえします。作業に無駄はありません。
それにしても本校の子ども達は実によく働きます。一つには、全ての作業に意味があることを教えられ、やってみることでその真実を知るからです。子ども達は毎日の朝作業に夕作業、週三日の作業班学習と忙しい毎日です。時々文句が口を衝いて出ても頑張って取り組んだ結果、今まで味わったことのない達成感を覚えたり、自分の成長や変化を実感できることがもう一つの大きな理由です。
「よく働くこと」。校祖の留岡幸助先生は、「能(よ)く働き、能(よ)く食べ、能(よ)く眠る」ことが少年達の教育に欠かせないと説かれ、これを感化教育の『三能主義』と称されました。
大正四年七月発行の機関誌「人道第一二三号」に校祖が書かれた『三能主義』という文章が社論として掲載されています。その文末には、「北見国上湧別サナプチ恵の谷に於て六月十日夜脱稿」と付記されていますので、大正三年に社名淵の原野に鍬を入れたおよそ一年後のこの地に於いて書き上げられた文章のようです。少し長くなりますが、校祖がどのような考えから『三能主義』を唱えられたのかを知る上で必要と思われる所を抜粋してご紹介します。
吾人が多年実験し来りたる感化教育は、少年をして能く働かしむると共に、能く食はせ、而して亦能く眠らしむるにありき。この三要件は啻(ただ)に少年を教育するに於て必要なるのみならず、凡(すべ)ての人類を教育するに於ても亦誠に必要欠く可からざるものなり。吾人はこの三事を称して基礎的教育と云はんとす。家屋を建築するには先づ礎(いしずえ)を据へざる可らず。其如く人の子を教育するに於ても、又礎なかるべからず。抑(そもそ)も礎とは吾人の既に述べたる勤労、飲食、睡眠の三事なりき。吾人は之を称して感化教育の三能主義となす。(中略)
第一 勤労 何故に彼等少年をして勤労せしむるかと云ふに、彼等は概して怠惰放逸に日を送り時を移(ついや)すを以て其常となす。(中略)然らば即ち彼等は絶対に仕事を忌避せるものなりやと云うに然らず。之を教え、之を導くものあらば彼等と雖(いえど)も喜んで勤労するに至るや必せり。凡(およ)そ人をして有用の器たらしむるは人の為、世の為になる仕事を教ふるにあり。有益なる仕事なくんば、有益なる人たる能(あた)はず。(中略)人は勤労によりて満足を感ずるものにて、勤労は取りも直さず幸恵なり。然れば少年を有益なる勤労に結び付くるは、感化教育の要義にして、少年にかゝる状態を継続せしむるに於ては、感化は則ち其内にありと云うべし。(中略)感化事業の泰(たい)斗(と)ズイ、アール、ブロックウエーの主管したる『エルマイラ』感化監獄を称して『忙蜂』Busy Bee と称したるも畢(ひっ)竟(きょう)之が為ならん。
第二 飲食 人生の悲惨一にして足らずと雖も、生命ありて、食するものなき程悲惨なるはなく、食あるも胃(い)嚢(のう)を充たすに足らざる程悲惨なるはなし。是を以て聖人の教を立つるや、食を以て生存の根底となす。(中略)飲食充実するも勤労しめずして其の美味を感ぜしむる能はず。畢竟するに食物そのものゝ美味不美味は勤労によりて左右し得らるゝものなるを信ず。能く勤労かしめて後食せしむること感化教育の妙諦と謂ふべし。(中略)食に満足せしむるは心に満足を與ふるの一歩にして、満足したる心理に徳義の種子を下ろさば、軈(やが)ては発芽生長して以て実を結ぶに至るべし。能く働かせて能く食はしむるは之あるが為なり。
第三 睡眠 睡眠の活動に欠く可からざるは之を天然の状態に考察するも明かならん。(中略)四季を区別すれば自然は春夏秋に勤労きし、冬季に於て眠れるなり。その眠るや、やがて来ん春に於ける活動の下準備にして、この眠りなければ春の活動は望む可からざるなり。人も又天地と同じく活動を望まば豊かに眠らざるべからず。(中略)勤労て食ひ、食ひて勤労かば、其結果や眠らざるべからず。勤労に伴うの眠(ねむり)は、恰(あたか)も水の卑(ひく)きに就くが如きものにて、眠らざらんと欲するも得可らざる也。吾人はこの意味に於ても亦少年に勤労を勧むるものなり。(中略)
吾人は従来人生の三福を唱道し来りたるものなるが、その三福とは勤労、飲食、睡眠を適度にすることなり。能く働き、能く食らい、能く眠らするは感化教育の真諦にして、この三者を習ひ性とならしむるに於て少年は感化せらるべく、性情は矯正せらるゝなり。吾人之を称して感化事業の三能主義と云ふ。(以下略)
文意を正しく読み取れていない部分があるかもしれませんが、校祖は、この文章の冒頭で「勤労・飲食・睡眠」という三要件は少年の教育にだけ必要ということではなく、全ての人の教育において必要なことなのだと述べています。「能く働き、能く食べ、能く眠る」ことは人としての基本であり、何事においてもまずその基本が確かでなけれなばならないというのです。
そこで、「勤労」に関して感化教育の対象となる少年をみると、一般的に怠惰な日々を送っている者が多いけれども、決して働くことを避けている訳ではなく、仕事を与え教える者がいれば、進んで働くようになると述べています。また、人というものは働くことで満足を得られるものなので、働けるということは有難いことであり、だから、少年を良い仕事に導くことは感化教育に不可欠だとしています。
「飲食」については、生きていても食べる物が無かったり、充分食べられないことほど悲しく惨めなことはなく、人は食べなければ生きられないとした上、たとえ食べる物がたくさんあってもその美味しさは働いた後のほうが強く感じるもので、感化教育においては一生懸命働いた後に食事をするのが美味しく食べる秘訣と言えるとしています。そして、満足な食事は心を満たす第一歩であり、やがては果たすべき義務や義理を守る人間に成長していくものだと述べています。
「睡眠」については自然を観察していても明らかなように、春夏秋は活動し、冬は次にくる春の活動に備えて眠っている季節であり、人も同様、活力を得ようとするならば十分な睡眠を取ることが必要だとしています。働いて食べる、食べて働くことを繰り返せば眠くなるもの。よく働いた後は深い眠りが得られるもので、そういう意味でも少年には働くことを勧めるのだと述べています。
こうしてみると、校祖は「勤労・飲食・睡眠」という三要件をそれぞれ独立したものとして捉えているのではなく、相互に関連付けた上で『三能主義』としていることが分かります。三要件が揃うことで必要が満たされ、どれ一つ欠けても少年達の生活としては不十分なのです。
校祖は特に「勤労」を重視されています。私達人間にある「食欲」、「睡眠欲」といった生理的な欲求を、「能く働く」ことによって良質な「飲食」や「睡眠」として得る。一生懸命働いた後の食事は美味しく、また、深い眠りが得られます。良質な睡眠が得られた翌日の目覚めは良く、気力や活力が高まることは私達もしばしば経験することです。それが又「能く働き」、そして「能く食べ、能く眠る」ことに繋がっていくのです。
百年以上前に少年の生活の基本として提唱された『三能主義』は現代においても全く色褪せることはありません。それは、北米、欧米への二度に亘る遊学と東京巣鴨の家庭学校での実践経験に裏打ちされたこの教えが明解で且つ少年達の本質を的確に捉えており、関係する人達に広く受け入れられたからでしょう。
そして私はこの「三つの能く」を子どもに求めればそれでよしとは考えていません。大人(職員)も一緒になってこれを行って初めてこの理念が意味を持つと思うのです。家族舎、小舎夫婦制という形態に代表されるように、生活を共にするということは、一緒に能く働き、能く食べ、一つ屋根の下で一緒に能く眠るということです。この文章自体にそうした事への明確な言及はありませんが、「家庭学校」と名付けた幸助先生は、きっとそのように考えておられたに違いないと想像します。私達は共に実践することによって、いつも頑張っている子ども達の身近な理解者でありたいと思います。
もうすぐ今年度の「作業班学習発表会」があります。十五人の子ども達が職員と分校の先生達と共に汗して「能く働き」、その結果得られた成果を今年はどんな形で発表してくれるのか。楽しみにして待とうと思います。
主幹 竹中大幸
9月29日から10月1日までの二泊三日で予定どおり家庭学校・望の岡分校の研修旅行が行われました。今年も昨年と同じコロナ禍の中での旅行となり、いろいろな制限がありました。長く研修旅行の担当をしており毎年苦労していますが、今年は特に大変でした。
道内の主要都市では新型コロナウイルス感染者が多く、当初から旅行先は富良野・旭川方面を予定していたので、ウイルス感染者が日増しに多くなってきている現状に不安を感じていました。
家庭学校の研修旅行は二泊のうち一泊は北海道の公共施設を利用するのが定番になっています。そこで道立青少年体験活動支援施設、通称「ネイパル」を宿泊先として選んでいましたが直前になって、道内に9月いっぱいまで緊急事態宣言が発令されてしまいました。例年でさえ、児童の入所や退所で児童数がなかなか確定されなかったり、研修旅行の内容や宿泊先や見学、体験先との調整、食事面でのアレルギー対応など、旅行会社の方には多大な苦労をかけているのに、ここにきてそんな…という思いでした。
分校との共催で研修旅行を行っているのもありますが、家庭学校は年間の行事がたくさんあるので、日程をずらして行うということは難しいということでした。担当者としては、子どもが一番楽しみにしている行事と言っても過言ではない研修旅行を中止という選択はぜったいにしたくないという思いでもあったので協議した結果、予定どおりに行うと決めました。
そこで問題になったのが、公共施設の閉館や休業でした。9月いっぱいということは、29日と30日は選択肢が限られてしまうからです。
そんな中でも美術館ではアートに触れる機会があり、体験としては陶芸やガラス細工をして自ら物を作り、赤平市にある植松電機では社長さんの講演、ロケット作成など興味深いものばかりだったと思います。子どもにとってもよい経験になったと思います。
よい経験といえば、二日目に予定していた北海道グリーンランドでのアトラクション体験でしょう。昼食にバイキングを挟んで午前午後に大雨の中、合羽を着て遊びまわるという体験はなかなかできません、いや普通は遊ばないでしょう。そんな状況でも楽しんでくれるのが家庭学校の子どもです。雨に濡れながら談笑したり、笑い声が遠くからでも聞こえてきました。なぜ分かるのか、それは私たちしか園内にはいなかったからです。大雨ですから。
旅行中には様々な場面で公共でのマナーなど気になる点は多々ありましたが、ケガなく無事に戻ってこられたことは幸いでした。旅行担当者としてはほっとしたところでもあります。
兎にも角にも一番の旅行の目的は子どもが楽しめることだと思っています。ですからこれからも、もし研修旅行に携わるのであればそのことを一番に考えていきたいと思います。
最後に旅行会社の担当の方、施設・分校教職員のみなさん、大変お疲れさまでした。と同時にありがとうございました。
児童自立支援専門員 木元勤
2011年4月から中卒クラスを担当し11年目になりました。33名の中卒生と、現在も使われている教室で同じ時を過ごしたことを思うと感慨深いものがあります。最大で9名(2011年)、ここ4年間は1名で推移しています。
偶然にも、昨年度から望の岡分校へ教頭先生として赴任してきた吉村先生とはとても懐かしい思いで再会しました。割とヤンチャな子どもたちを相手に悪戦苦闘していたときに、悩みを聞いてくれたり、励ましてくれたり、音楽発表会の時には、ギターの指導を手伝ってくれたりしました。昨年の音楽発表会では、聞いたこともなかった「あいみょん」の楽曲をやりたいと楽器の経験もないWKが言い出し、必死に練習を重ねていた時も、キーボードを2台にし、置き方のアドバイスもくれ、本番当日感動の演奏ができました。今年のMTとは何をやろうか悩んでいますが、決まったらまた助けてくれることと思います。よろしくお願いします。
中卒クラスのカリキュラムは、一言で表すと「自由」。人は、それぞれが個性を持っています。一人ひとりが違います。ここ4年は、前述の通り1名のクラス。それぞれが、それぞれの個性と目標を持ち、進路も違えば家庭環境も違い、育てられ方も違います。その中で折り合いをつけ、子どもにマッチした授業カリキュラムを考え運営していくことが中卒担当の面白さだと思ってきました。家庭学校の真骨頂がここにあると思います。押し付けられることはないが、何がこの子に合った授業になるかを考えなければいけない。「自由」にできるということは、「考え」を持ちながら進めなければならないことだと思います。
今年の中卒の授業の一週間を紹介します。
(10/18(月)~22(金))
22
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21
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20
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19
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18
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書道
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理科
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総合
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ワープロ
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理科
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1
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体育
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数学
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数学
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2
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国語
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英語
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漢検
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環境整備
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英語
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3
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社会
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総合
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体育
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4
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総合
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作業班
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環境整備
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作業班
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作業班
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5
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今年の中卒生は、勉強好き(?)な全日制高校への進学を希望する生徒なので、公立高校入試受験を前提に主要五科目を多くしています。特長的なのは、金曜日の「書道」「国語」「社会」です。通常は「書道」は2時間です。栄和子先生が担当してくれています。書に造詣が深く、生徒の未知な才能を導き出してくれる先生です。褒めることが実に巧みで、実は、自分も参考にさせて頂いています。毎年、条幅で「この子がこんな作品を!」「こんなダイナミックな字を!」と驚くばかりです。教室の前の廊下に張り出しています。学校を訪れるお客様にも見ていただき、感動のお言葉をいただいています。
もう一つの特長は、「総合」の時間。苦肉の時間割ですが、時に草刈り、時に音楽練習、時に学力テスト(漢検・ワープロ検定)の対策等々に使います。10/20・21は、両日雨が降り続き、屋外での作業は無理だと判断し、礼拝堂の車止めのペンキ塗りとスノーポールの準備をしました。雨の中、外にあるこれらを中卒教室に運び込みました。MTは文句も言わず、雨中の作業を、こちらの指示に「ハイ!」と動いてくれます。春、入校当初、山林班の間伐材(トドマツ)を有効利用しようと、皮をはぎ、ガスバーナーで焼き入れをし、二人で作り上げたものでした。数か月が経ち、風雨にさらされて色もあせてきたため、ペンキ塗装しようと考えていたものです。入校したての春先、その作業時、職員の大里先生がさりげなく「作業、楽しい?大変?」と訊いてくれました。彼の答えは「どちらでもない。」でした。こちらは、多分作業はそれほど好きではないだろうと判断しました。でも、2学期に入ってから、同じ質問をすると「今、ここでしか経験できないような作業をしたいです。作業をしましょう。」と殊勝なことを言ってきます。その日の天候を見て「雨が降りそうなので1・2校時と入れ替えて作業を早めにしましょう。」とも言ってくるときもあります。
最後に「体育」です。一昨年の子は、体を動かすことにあまり興味がなく、苦手だったため「体育」は入れませんでした。昨年は、勉強よりも体を動かす方が得意の子だったので、週2回は入れていました。ただ、ほとんど二人きりで卓球をしたり、フットサルのボールを蹴ったり、グランドでキャッチボールをしたりしていました。一度、清澤校長先生が、体育館に来てくれて一緒に卓球をしたこともありました。とても上手で、いつもは私相手になめてかかっていたWKもタジタジでした。栄先生も何回か付き合ってくれました。今年は、分校の体育担当の浅井先生が、声をかけてくださり、分校全体の授業に参加させてもらっています。今はバレーボールを基本からみっちり練習しています。バレーボールの現役選手でもある吉田先生の指導を受けているMTは実に楽しそうです。有難いことです。感謝です。このことは、ことあるごとに伝えているつもりですが、彼の心の中に沁みこんでくれていればいいなと思っています。
今回は、中卒教室の紹介を兼ねて、長々と取り留めのないことを書きました。話にお付き合いいただきありがとうございました。また、機会がありましたら、卒業した子どもたちの思い出や現況を報告したいと思います。
石上館 中二 K・石上館 中二 S
「園遊会を終えて」
僕は今回の園遊会で感じたこと、学んだことがあります。最初は準備が大変なこと、そして大切さです。準備は、僕も手伝いましたがやっていて感じたのが大変の一言です。今回石上館では焼き鳥とスイートパンプキンを提供しましたが難しかったのが焼き鳥を串に刺すのとスイートパンプキンにカボチャの種をのせることです。串に刺すのは、鶏肉が崩れてしまったり、向きが逆になったりしてしまい、何回も刺し直したりしました。カボチャの種は見た目を特に重視して取り組みました。全ての見た目が一緒よりもそれぞれ違った形でやってみても見た目がさらに良くなると思い、いろいろ工夫しました。このことを通して、当日を楽しく、おいしく食べてもらうためには、前からの準備が欠かせないこと、そしてみんなでの協力性と協調性が大切だと学びました。
次に当日での事について話します。今回の園遊会は、外部からのお客さんがいませんでしたがその中での実施となりました。しかし、できることに感謝したいです。さらに、屋台もたくさんあり、毎年の物や今年初めての物などいろいろといただきました。メインからデザートまであり、おなかがいっぱいになるまで食べ、幸せな時間でした。
今年は珍しい屋台もあり、くじ引きがありました。1等からはずれまであり当たれば景品が実際にもらえるという物でした。僕は、1等は当てれませんでしたが楽しかったです。
最後に今回はとてもおいしいそれぞれの自信作が出ていました。また楽しかったので、来年もいたら、またやりたいです。そしてみんなとの協力すること、楽しむことを学んだ時間でした。
「気球に乗れる体験が出来て」
10月10日(日)の朝、家庭学校のみんなと公園に行き、見るのは初めてではありませんが、生まれて初めて気球に乗ることが出来ました。
石上館の数名と先生と一緒に気球の近くに行き、乗り込む前は本当にこれが空に上がるのか不安な気持ちになりましたが、いざゴンドラに乗って少しずつ上がっていくとき本当に空に向かっていると実感できました。
どんどん上がって行くときにものすごいガスの音がしてから熱い空気が先生の頭の近くで吹き出し、先生はビックリしていました。すぐに先生がしゃがんでしまったので、景色がよく見えるようになったのですが意外に高く上がっていたので少し怖くなって、ゴンドラの横についている手すりをつかんでしまいました。足もガクガクしている時に景色がよく見えるからと先生が僕の腰をゴンドラのはじにいくよう押してくれました。でも体は動けなくなっていたので変な声を出してしまいみんなに笑われてしまいました。多分それが一番高く上がった時でした。そこからはだんだん下に降りてきたんですが、少し冷静になれて景色がわかるようになりました。球場で野球をしている人が小さく見えたり、山のほうを見たら何かわからない建物が見えたり、川が見えたりしました。気が付いたら下で待っている次に乗る石上館のみんなの姿が見えました。みんな手を振っていたので僕も手を振り返しました。一緒に乗っていたみんなはなんだーもう終わりかと言ってましたが、そうじゃなく僕はけっこう長い時間に感じがして、そうじゃないかと考えていました。
着地してから思ったことは少し怖いけど絶対にもう1回乗りたいなあと思いました。多分、この先なかなか乗れることはないけれど別なところでやっていれば、一人でもよいから気球に乗ってみたいです。