ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校に帰ってきました(二)
新型コロナウイルス感染症対策について
<児童の声>
- ・水分をよくとる
- ・良い塩(ミネラルが多い天日海塩がおすすめ)をとる
- ・よくかみ、唾液をたくさん出す
- ・食べ過ぎない
- ・地産地消で旬のものをとり、精製食品、加工食品をとらない
- ・食物繊維をとる
- ・発酵食品をとる
- ・体温を高める(適度の運動を含む)
- ・口呼吸をしない
- ・よく睡眠をとる
- ・ストレスをためない、よく笑う
- ・日光にあたる
- ・土(微生物)にふれる
- ・禁煙する
- ・除菌滅菌し過ぎない
校長 清澤満
大雪山系旭岳の今年の初冠雪は九月二十六日で、昨年より五日遅かったようです。十月上旬、旭川紋別自動車道を遠軽に向かって走っていると両脇を囲む山々の遙か向こうに雪化粧した旭岳が見えました。黄葉が進み、緑との組み合わせの変化を楽しむ季節に見る真っ白な旭岳は、まるで別世界に在るように映ります。その絵画のような景色と別れて自動車道を降り、遠軽町瀬戸瀬からの道道を暫く進むと家庭学校に到着です。
正門を潜るとホッとします。何事もなく無事着いたことが一つ。もう一つは、子ども達のことや職員体制、経営のことなどで悶々とする私の考えを伝え、意見を聞くことができる職員達がここにいるからです。すぐには解決できなくても相談することで気付かされることがたくさんあり、私の思考は広がります。
子どもへの支援を巡っては、職員間で捉え方が相違していたり、個々の判断で行われている部分もあり、そうしたことが原因で無用の軋轢が生じることがあるようです。ルールを決めていても年数が経てば人が入れ替わり、当然と思っていることも周りには伝わっていないことがあります。校長に就任した時、職員相互の協調により施設としての総合力を高めたいということを職員に伝えました。協調とは、考え方などの異なる者同士が互いに譲り合って調和していこうとすることです。何事も考え方が全く同じということはありません。しかし、意見の一致はみなくても、子どもの福祉の向上という共通の目標に向かって互いに譲り合ったり助け合ったりすることはできます。そのためにはまず職員一人ひとりが自分の意見を述べやすい環境が必要です。幹部職員はその認識をしっかり持って良好な職場環境づくりに努めなければなりません。同僚や先輩後輩の関係も職場の仲間として相手を尊重することから始まると私は考えています。そういう気持ちが風通しの良い職場を作っていきます。
毎週定例の職員会議は情報共有と各案件の検討・合意の場です。私はまず、各寮でバラツキがあると感じていた三賞(作業賞・学業賞・努力賞)の基準について職員会議で話題にし、職員から率直な意見を出してもらいました。皆が賞の重みを大切に受け止めていることがよく分かりました。特に「努力賞」は最高の賞との位置付けであり、「作業賞」や「学業賞」を取らずして与えられる賞ではないとの考えは皆同じでした。もう一伸びを期待しての温情評価は皆(職員も子ども達も)が納得できるものでなければならないと極めて限定的に考えていることも分かりました。賞が取れた理由、取れなかった理由をしっかり説明し、本人の頑張る気持ちを引き出す対応が大切と再確認し、選考基準も明確になりました。
子ども達の生活上の約束事なども考え方に相違がみられます。マニュアルに頼ってばかりでも困るのですが、ルールを承知した上で初めて職員個々の裁量が活きると考えています。CDは何枚までOKか、雑誌はどうか。寮単位の外出行事はどこまで認めるか等々細かなことですが、子ども達との約束事には統一した考え方で対応しなければなりません。早速、自立支援部長と各寮長が集まって意見交換し、ルールの見直しを含めて検討に着手しました。新入生期間中の対応や特別日課などについても改めて皆の考え方を声にして確認してみる必要があります。
節度をもって意見を述べ、相手の考えに耳を傾けることで、意思の疎通は深まると経験から実感しています。子ども達が苦労するコミュニケーションですが、私達にも尚一層の努力が求められます。
医療参事 富田 拓
私の家庭学校での寮運営の基本は、周囲の先生方がやっていることの模倣でした。例えばルール違反した子に対する罰は基本「作業をさせないこと」でした。果たしてうまくいくものだろうかと半信半疑でしたが、作業を極めて価値の高いものとする家庭学校の中では、新米寮長が見様見真似でやる、作業を「させない」ことが見事に罰として働きました。ルール違反した生徒はまもなく「作業をやらせてください」と申し出てきて、しばらくの間は猛然と働いてくれたのです。作業を何より貴いものとする、家庭学校の見事な文化があったからこそでした。
その一方、自分なりのやり方でやってみても、周りの寮長からたしなめられるようなことはなく、「面白いことやってるね」といった目で見守ってくれました。一つ一つの家の決まりごとが違うように、大きな問題がなければ寮ごとにやり方が違うのは当たり前、という雰囲気がありましたし、それぞれの寮長ごとに自分のやり方に自信があり、余裕もあったのでしょう。
しかし、生徒たちの見る目には厳しいものもありました。発達障害を持つ子に対する対応など、「ほかの寮長先生だったら、あいつのこと許しませんよ」と抗議してくる子もいました。ただ、「うちはこれで行く」とつっぱね続けていると、二か月ほどで寮のリーダー格の子が「あいつはこのやり方じゃないとダメなんだってわかりました」と言ってくれました。そうなると、抗議の声は自然に収まっていきました。ブーイングがあっても、二か月揺らがなければ、生徒にもわかってもらえる、と確信が持てる経験でした。ただし、その後もずっと順風満帆ではなかったのは当然で、生徒全体とうまくいかず、自室から寮の廊下に出るのがつらい、と感じられた時期もありました。また、どうしても相性が悪い子はいました。幸い、その子自身が頑張ってくれたおかげで、一群会の理事長も務め、比較的短期間で無事退所に至りましたが、退所前の寮での送別会で、「君とはどうしても相性は良くなかったけれども」と寮長にあるまじき挨拶をしたほどでした。もちろん、それ以前からお互いにわかっていて、その子も苦笑していましたが。驚いたのは、その子が退所した後、他の寮長先生から、短い期間でその子が大きく成長して退所していったからでしょう。「先生とあの子とは本当に相性が良かったんだねえ」と言われたことでした。周りからはどうしてもわかってもらえないこともある、それはおそらく仕方のないことなんだ、と悟りました。
また、生活ぶりを間近に見ながら調節して使う際の精神科の薬の効果の大きさを認識したのも寮長をやったからこそ、という面があったと思います。
ただ、私が妻と共に家庭学校で寮を担当したのは三年に過ぎません。寮をもって三年目に、武蔵野学院から「新たに個別処遇寮を作るから、そこの寮長をやってほしい」との声がかかったのでした。この頃は、自分も寮がちゃんとやっていける、と思ってしまう時期で、本当に面白く、当初は誘いをはっきり断っていました。しかし、勧誘を繰り返し受けるうちに、「個別処遇寮というのも面白いかもしれない」と思ってしまいました。しかし、せめてもう少し長く寮長をやっておくべきだった、と今にして思います。
武蔵野に戻って、観察寮の一部門としての個別処遇寮を担当しましたが、私にはまったくうまく運営できませんでした。家庭学校での寮運営はそれなりにできていたつもりでしたし、周囲の職員や児童相談所などからも一定の評価は受けていたと思います。しかし、武蔵野学院の個別処遇寮は全くうまくいきませんでした。生徒の特性が家庭学校と武蔵野学院で大きく違っていたとは思えません。私の力量不足は当然ですが、やはり構造的にも誤りがあったと考えています。当時の武蔵野学院の個別処遇寮の構想は、他の生徒から全く切り離した形で職員だけが生徒を処遇する、というものでした。ほかの生徒や社会との接点はほぼありませんでした。例えば何らかの形で他の生徒と接する機会を持たせる、あるいは仕事や学校など社会に出る機会を持たせるよう、構造を変えるべきだったと思います。ほぼ唯一、意味のある支援ができたと思えるケースは、個別処遇寮から養護学校(当時)に通わせた例でした。やはり人は人の間でしか育たない、子どもは子ども集団の力無しでは育たない、と思います。この経験から、当時頻発していた少年の重大事件への対応で話題になった少年院が、年少少年を他の少年から引き離す形で、男女の職員が疑似家族的な形を作りマンツーマン的に処遇する、という構想はうまくいかないだろう、と考えていました。また、時折持ち上がる、発達障害を持つ子だけを集めた寮を作る、という構想にも一貫して反対しました。様々な個性を持つ子が小集団を作り、その中で一人一人の課題が違うことを子ども同士が認めあいながら、何とか折り合って生活していく中でこそ、成長があるのだと信じています。もちろん、集団の中に発達障害を持つ子がいれば、その子自身も、周囲の子も、やはり何かと苦労はします。しかし、大人はしばしば子どもたちの許容力を小さく見積もりすぎます。先述したとおり、当初はブーイングがあったとしても、大人側が揺らがなければ子どもたちは差異を認め、一人一人の課題が異なることを認めてくれます。集団だからみんな同じ行動をしなければならない、と子どもが主張し続けるわけではありません。現在のように、発達障害を抱えた子が多数を占める中では、その中で扱いが難しい子を選り分けたとしても、結局さらに細分化することになると思います。それは、子どもに繰り返し見捨てられ感を与えることになりかねません。また、「うまくいかない奴は排除していいんだ」という誤った学習をさせることはなんとしても避けたいと思います。排除は、必ず次の排除を生みます。また学習の場である学校のように能力差がはっきりとした影響を与える場では難しくても、生活の場では違います。生活のほうがより多様な面を持つだけに、様々な形でその子を生かす方策が取りやすいと思います。「子ども集団が耐えられないから」という言い方は、実はしばしば職員が耐えられなくなった時に使われます。もちろん、児童自立支援施設の職員も普通の人間ですから、当然限界はあります。職員自身が声を上げることは簡単ではないので、周囲の人間がそれを察することが必要です。しかしそれを、子ども集団のせいにすることは避けたい。そう思います。(次回へ続く)
望の岡分校養護教諭 戸松 恵子
家庭学校の子ども達はたぶん、北海道のどこの子ども達よりも健康的な生活をしているのではないかと、私は思っています。
早寝・早起きの規則正しい生活、大地の中で汗を流しての毎日の作業、栄養バランスのとれた手作りのおいしい食事、さらに一番の決定打はインターネットやスマホなどのゲーム漬けになっていない生活です。
しかし、そんな子ども達の生活の中にも、現在世界中で大流行している「新型コロナウイルス」の影響はひたひたと忍び寄っているのを感じます。人が動けば感染症は広がります。目に見えないウイルスが、飛沫・接触感染でアッという間に大流行しています。ワクチンや治療薬はいずれ開発されるだろう、とは思いますが、今私たちが学校でできることは一般的な感染症対策しかありません。
手洗いの徹底、不特定多数の人が触るドアノブ、手すり、スイッチなどの消毒・マスクの着用・三密を避けるなどです。特にこれからは寒くなる時期ですが、教室内の換気は気を付けていかなければならないと思います。(一時間の授業ごとに数分間くらい。二方向の窓を同時に開けると良い。)
また、室内の乾燥が強くなってくると新型コロナウイルスの動きが活発になるそうなので、冬の教室内では換気とともに適度な湿度を保つことも、心がけていきたいと考えています。
今回のコロナ騒動で「禍転じて福と為す」となった事もあります。各教室に網戸、扇風機や冷風機、加湿空気清浄機、自動消毒器や非接触型の体温計の設置などです。これらの物は子ども達の教育活動や健康的な生活を送るうえでより役立つもので、ありがたいことです。
新型コロナウイルスがどんどん感染して広がっていくことは怖いことですが、ウイルスそのものについては、だんだん分かってきています。最近「なるほど・・・」と、感心した記事についてお知らせします。
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「感染を恐れない暮らし方」 本間真二郎著より
新型コロナウイルスに感染しても八割の人は軽症か無症状です。軽症で治る人と重症化する人の違いは、免疫反応の違いです。免疫系には二種類あり、自然免疫系と獲得免疫系があります。最初にもともと人間の体に備わっている自然免疫系が働き、それで治ってしまえば、次に控えている獲得免疫系の出番は必要なく、新型コロナで無症状の人の一部はこのパターンです。
獲得免疫系は自然免疫系にくらべて強力に発動するのですが、それが強すぎることによって重症化するのではないかと、考えられています。強く働く理由は二つあり高齢者や基礎疾患のある人です。
高齢者や基礎疾患のある人は自然免疫系の働きが弱く、獲得免疫系が働くまでにウイルスや感染した細胞が全身にたくさん増え、それをいっせいに攻撃するときに多くの細胞が大きな障害を受けてしまいます。ではその免疫力を高めるためにはどうしたらいいかということですが、その一つの方法として腸内細菌を整える、ということがあります。
◎腸内細菌を整え免疫力アップするための生活
感染症は今後も変異したり新しいウイルスがやってくる可能性は大いにありますが、それを恐れるのではなく、なにが来ても大丈夫な体づくりを心がけていくことが大事です。今回の新型コロナウイルス感染症は、病気や健康だけでなく、社会のあらゆる面を見直すことになるといわれています。本来人間が持っている自然の力を取り戻す方向に、人々がより意識をむけていくチャンスととらえるのがよいかもしれません。
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人類の歴史は感染症との闘い、さらには偏見や差別との闘いでもあったと思います。現代の科学技術は日々進歩していますが、それでも人間の命は未知のウイルスの前ではアッという間に奪われてしまう可能性があるのです。
今起こっていることに冷静に対処して、正しい情報を見極め子ども達の幸せのために、微力ながら努力していきたいと思います。
掬泉寮小六Y・掬泉寮中卒K
園遊会
掬泉寮 小六 Y
今日はえんゆう会当日です。石上館、掬泉寮、楽山寮と各それぞれいろいろなものがありました。
さいしょにフランクフルトをたべました。あつあつでとてもおいしかったです。楽山はコロッケとやきとりで、コロッケはあげたてでほくほくしてておいしかったです。やきとりも毎年やっている千葉先生自慢のやきとりがとてもおいしかったです。らくのうのチーズとソフトクリームはとてもおいしかったです。チーズは味がこくておいしかったです。店番もいいけいけんになったと思います。ワンタンメンもとてもおいしかったです。がんばってじゅんびしたがいがありました。石上のクレープとおはぎはデザートとして最後にたべました。クレープはあまくてとてもおいしかったです。
今日一日いい日になりました。
職場実習
掬泉寮 中卒 K
僕は、十月十一日火曜日から二十二日木曜日まで、勝元さんという人がやっている農家で、職場実習を行いました。何をやっている農家かというと、主にカボチャを作っている農家で、畑の面積を聞いてみると、二十ヘクタールもあるらしいです。最初聞いた時は、少しビックリしました。
僕がやった仕事は、収穫をやりました。やってみると以外に楽しく集中してとりくむことができたし、指示をしっかり聞くこともできたし、アドバイスも沢山ありました。
そして一番印象に残っていることは、必死で働いている人がすごくカッコよくみえました。僕もそんな人になれるようになりたいです。今回のけいけんを今後の人生に、生かしていけるように頑張ります。