ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校での味噌造り
よろしくお願いいたします
望の岡分校に赴任して
仕事の価値観への気づき
北海道家庭学校で研修を受けて
研修旅行の思い出
校長 仁原正幹
家庭学校の森はしばらくの間黄葉の映える秋景色でしたが、強風に木々の葉が舞い散り、今はすっかり晩秋の趣に変わっています。数少ない紅葉の中で際立っているのは幸助先生胸像の脇にある楓で、葉の色が春先からずーっと濃い海老茶色なのですが、十月末のほんの数日間だけ目が覚めるような深紅に輝き、それがあっという間に散ってしまいます。私は去年くらいからそのことに気付き、この短い芳醇の秋(とき)を逃さないようにと、シャッターチャンスを狙っています。
秋の家庭学校は大忙しで、秋季マラソン大会、創立記念式、園遊会等の大きな行事が相次ぎ、十月に入って二日からは全校で二泊三日の研修旅行に出掛けました。今年は釧路・阿寒・北見を中心に道東方面を周りました。子どもたちはこうした多くの行事を体験することにより、各人がそれぞれに成長していきます。
「児童自立支援施設」という呼称は児童福祉法の改正により平成十年度から使われています。「自立支援」という言葉は便利な言葉で、児童でなくとも障害者でも高齢者でも使用可能です。「自立を支える」のですから言い得て妙な感じもしますが、何やら持って回った言い方のようにも思えます。長くて舌をかみそうな呼称で、私には今一しっくりきません。
「児童自立支援施設」以前の呼称は「教護院」、「少年教護院」、そして「感化院」というふうに遡ります。この中で多分私などの世代には、戦後の児童福祉法施行から五十年間使われた「教護院」という呼称に最も馴染みがあるはずです。ただ、私個人的には「感化院」という呼称が一番相(ふ)応(さわ)しいように思います。「感化」とは「人に影響を与えて心を変えさせること」を言います。児童自立支援施設の日常は将にこの「感化」の連続なのです。
児童自立支援施設では「矯正教育」は行わず、「環境療法」の手法で子ども達を指導・支援しています。家庭学校の子どもたちを見ていると、子どもたちはそれぞれの集団のグループダイナミックスによって大きく変化し、成長していくことがよくわかります。新入生は家庭学校の豊かな環境に少し長く暮らしている先輩の所作・物言いを真似ながら、知らぬ間に成長していくのです。もちろん指導者たる大人が子どもを指導・支援する力は大きいのですが、子どもが子どもに感化する力はそれに匹敵するほど大きく、非常に効果があると感じています。
子どもの成長のバロメーターは、その表情・所作にあります。最近可愛くなってきたなと大人が感じるようになった子どもは、巣立ちの日が近づいています。
主幹 竹中大幸
私が味噌造りに携わったのは家庭学校に勤務して三年目の平成二七年の校内管理班で主担当になった年からになります。前年度主担当の千葉先生から引き継いでの作業となりました。家庭学校では味噌を造っているのかと驚いたと同時に、すごく緊張して取り組んでいたような気がします。かといって、今の作業が緊張していないということではありません。そんな味噌造りについて紹介します。
携わりはじめた平成二七年までは五百㎏相当の味噌を仕込んでいました。しかし味噌の消費量が減ってきており、味噌を保存する小屋が手狭になる状況だったため平成二八年からは半分の二百五十㎏相当の味噌を仕込み続けています。
味噌造りに使う材料ですが大豆、米、食塩、種麹、乳酸カルシウムといったものを使用します。今まで購入することでしか見たことのない私は「これで味噌ができるものなのか」と不思議に思ったものでした。量の規模的には少なくなったのかもしれませんが、子どもと大人が一緒になり、昔からこのようにして造られてきたことに感慨深いものがあります。
それではここで味噌造りの手順です。下準備として麹部屋の掃除と、造るのに欠かせない道具類の洗い、消毒をしていきます。消毒は米麹を造るのに必要な盛り板や米を蒸すのに使う蒸し器など熱湯を使っての煮沸消毒をしていきます。味噌を造っている小屋には五右衛門風呂で使うような大きな鉄釜があり、この釜でお湯を沸かし、米を蒸し、大豆を煮るといったことをするので大活躍してくれます。この鉄釜は昔実際に入浴するのに使っていたそうです。
下準備が整ったところで次は材料に手をつけていきます。まず米を洗う「洗米」という作業をしていきます。これは給食棟にある機械を使って洗ってもらっています。それを翌日の工程の「米蒸し」まで水に浸しておきます。
次に「米蒸し」です。「米蒸し」をしている間に、蒸した米を包んでおくのにキャンバスを掃除しておきます。キャンバスとは平織りで織られた厚手の布のことを言い、綿や麻、亜麻で作られているもので帆布とも言います。キャンバスに包まれた米は次の工程の「床もみ」まで保温しておきます。「床もみ」とは種麹と乳酸カルシウムを混ぜたものをまんべんなく米に付着させて混ぜることですが、米の温度が高すぎると麹菌が死滅してしまうので、三〇~四〇度くらいまで温度を下げます。麹部屋でこの「床もみ」をするのですが、十人前後で蒸した米をまんべんなく混ぜるのでみんな汗だくになりながらの作業となります。まんべんなく付着すると再びキャンバス、毛布にくるみ保温しておきます。ここでも温度が上がりすぎないように三〇~四〇度の間を保つことが大事になっていきます。時期にもよりますが、温度を保つのに麹部屋を暖かくしなければいけないためストーブを使うことがあります。今回は十月の作業で朝晩冷え込むため使用しました。温度を一晩管理するので、数時間おきに様子を見に来なければなりません。次の工程のこの米麹を盛り板に分けてからも温度を三〇~四〇度の間で管理しなければならないので、寝不足が続きます。
しかし麹部屋での二日間の工程は大変重要になってくるので毎回緊張します。
盛り板に米麹を分けたあとは、翌日に大豆を煮るための準備として、大豆を洗い、十二時間程度水に浸しておきます。水に浸しておくと水分を吸った元の大豆が1.5倍くらいに膨らみます。その大豆を大きな鉄釜で煮ることになるのですが、煮上がった大豆はとても美味くなるので、ここだけの話ですがついつまみ食いをしてしまいます。
次にこの煮上がった大豆はタライに分けておき、チョッパーという機械でミンチ状にしてから食塩と米麹を加えてよく混ぜ込みます。この作業も大変で、よく混ぜ込まないといけないので腕が疲れてしまいます。混ぜ込んだあと味噌樽に仕込むときはなるべく空気が入らないようにボール状にして投げ入れます。子どもはコントロールが悪く、飛び散らかしてしまいますが楽しそうにやってくれます。
全部を投げ入れて木の蓋に重石を載せれば仕込み完成です。今回仕込んだ味噌はだいたい二年間おいたら美味しく食べられるようになります。だから二年後が本当の意味での完成となるので待ち遠しい気持ちとともに楽しみにし、連続での作業で疲れた体をゆっくり休めようと思います。
児童生活指導員 西村健太郎
四十代半ばに差し掛かり、私は職業人として折り返し地点を迎え、前職であります自治体職員を辞しまして、このたび十月一日付けで北海道家庭学校に採用していただきました。
はじめに、私が当校の職員になりたかったという動機としましては、専門性の高い職種への憧れは勿論、児童生徒が抱える危機状態を自然が織りなす時には過酷ともいえる環境下において寄り添い、また、規則正しい生活習慣を礎に、児童生徒の自立支援に奮闘しながら運営をされていると知って以来十年の思いを果たすべく当校の業務に携わりたいと「一念発起」という気持ちで志望いたしました。
そこに至る経緯としましては、前職場において転職を切りだすタイミングに悩み、やっとの思いで今年七月下旬に退職願を提出した際、前職場の上層部(町長、副町長、教育長)をはじめ多数の幹部職員・同僚から、何故に二十年間以上にわたる行政マンとしてのキャリアをあっさりと捨てることができるのだろうかと理解が得られず、それ相当の慰留はされたものの、幾度となく上層部との面談を繰り返し自らの意志を語り、最終的には快く次なる道へ背中を押していただき当校に送り出してくださいました。
現在は環境も一変し、自分の知らない知識・新しいものの見方を得ることが出来るというのはとても新鮮で楽しいことでもあります。とは言え、今後の業務における理解力や年齢からくる肉体的な衰えなど不安を払拭できない部分もあり、実際に作業に携わるとなるとやはり慣れないこと、わからないことだらけで極度の焦りと動揺ばかりが生まれてしまうのが現実であります。
また、当校の業務と比較することは難しいのですが、二十年以上の前職での奉職期間で得た業務を生かし、次へのステップに繋げるという安易な考えは一瞬で消し去られ、私の職歴経験は頭の中だけで考えての政策的な企画・立案、町民の御用聞きに徹することが主であり、機械的な事務作業の繰り返しばかりであったということで、内容云々あくまでも机上の空論にしか過ぎなかったのではなかったかと、正直疑問を感じてしまっているのが現状です。
さらには追い打ちをかけるように、そういった生活の長年にわたるツケが祟り、研修期間二週間目に数年ぶりのギックリ腰を発症するなど、情けなさと恥ずかしさを痛感しているところです。
全てがゼロからのスタートであると気付かされたこの研修期間中のこの三週間であり、逆にまたその方が心機一転という意味では私にとって良い転職であったと前向きに捉え、プラス面として業務に専念できればと考えております。
しかし、何事も繰り返しての実体験が全て、そんな時でも現在しっかりとフォローして下さる先輩となる諸先生方には尊敬と感謝の念に堪えません。今は諸先輩方の姿を目標として、「見る・聞く・考える」を念頭に置き、業務にも自らに対しても責任を持ち、私もゆくゆくは児童生徒に「してみてやってみせて」を実践できる、当校にとって必要とされる存在になれるように精一杯努力して参りたいと思います。
私のこれまでの生き方において強く感じていることは、勝手なお話になりますが、偶然か必然か幼少期から青年期までの人格形成に多大な影響をもたらした「硬式野球」との出会いがありました。
時には野球に救われ、最後は怪我などにより野球に敗れ、夢を失い一種の諦め「喪失感」を幾度となく味わい、決して順風満帆な野球人生とは言えないものでありました。
しかしながら振り返ってみますと意に反し、大きな挫折を味わうことで、人との関わり合い方や忍耐力を多少なりとも養えたと自覚しております。
この経験だけは、当校で日課に沿って生活をしている児童と共に汗を流すという部分では良い意味で何らかのお役に立てるのではないかと考えております。
最後に、経験の無さゆえに各種業務におきまして、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
教諭 丸山大地
自分がここ望の岡分校に赴任してから、半年が経ちました。教員採用試験に合格し、赴任先の通知を受けたのが三月二十六日でした。それまでは、当時臨時教員として勤務していた、函館市近辺の学校に決まると考えていたので、遠軽町への赴任は想定外でした。さらに言えば、「北海道家庭学校」と「留岡幸助先生」という名前は、高校生の頃に日本史の授業で聞いて知っていましたが、まさかその地に足を踏み入れることになるとは考えもしませんでした。
渡島(函館市)からオホーツク(遠軽町)へと、直線距離でいえば三百四十キロメートルの移動から始まった分校での教員生活ですが、日々子どもたちと接する中で自分が考えたことや感じたことを二点書きたいと思います。
一つ目は、「子どもたちの素朴さ」です。授業で質問をすると、彼らは感じたことを素直に発言してくれます。その四分の一くらいは、「きみは今、先生の話をしっかり聞いていたかい?」と返してしまいたくなるものですが、時折物事の本質を捉えた鋭い意見や質問が出てきて、「まさにその通り!」とこちらが感心させられることがあります。子どもたちの反応には、教師に向けた「授業はおもしろくなければ意味がない。」というメッセージが込められている気がして、常に最大限の力で授業をつくらねば、と身が引き締まる思いです。
また、作業班学習では現在山林班に所属していますが、その時に次のようなことがありました。ある日、神社山の桜の下草刈りが終わり、皆で寮に向かって歩きながら話していると、Aくんから「今日は疲れる作業だったけれど、時間が経つのがあっという間でした。」という感想が出てきました。これは、一つの物事にひたすら取り組むことができる、素朴さを持つからこその言葉なのだと思い、「なるほどな。」と感じました。一学期の酪農班、そして二学期の山林班と、自分自身も「二時間近くある作業班学習は大変だけれども、あっという間に感じたのなら、それは自分が成長した証拠になるはず。」と考えながら、子どもたちと充実した時間を過ごしています。
よく、「子どもは教師を映す鏡」といわれますが、教員生活を始めて三年半がたった今、この言葉の意味がぼんやりと見えてきた気がします。
二つ目は、「子どもたちの活躍する場面がたくさんある。」ということです。ここでは、毎月のレクなど沢山の行事があって、「子どもたちの活躍する姿」をみる機会が多いと感じます。
例えば、「Bくんは、授業中にマイナス発言が多いけれども、耕運機を上手く扱える。」とか、「Cくんは、いつもぶっきらぼうな言動だが、丸太運びでは力持ちな所を見せていた。」という事実は、恐らく彼らが他の学校にいたなら、中々見えてこないことだと思います。
ここにいる子どもたちは、ともすれば短所の目立つことが多いかもしれません。しかし、日々を過ごしていると、子どもたちの良い面に気がつくことが多いように感じられます。彼らの側からみても、活躍できる場が多くあることは、自己肯定感の高まりにつながるのではないでしょうか。自分は教員として、少しでも子どもたちの成長につながる指導ができるように、日々の生活において子どもたちの長所に注目したいと思います。
臨時教員の頃、何度も「教師たるものプロであれ。」と先輩から叩き込まれました。しかし、自分は経験が浅く、家庭学校の先生方・分校の先輩教員のような優れた指導には程遠い状況です。ですが、子どもたちにとって何が必要か常に考え、日々の教育活動に全力を尽くして取り組みますので、これからもよろしくお願いいたします。
事務職員 坂口友介
今年の春、大学を卒業し、分校の事務職員として働き始めました。元々、小さいころから学校の先生が憧れで、私もなりたいと学校の先生を志していました。しかし、学生時代の私は、子どもたちの前で勉強を教えている自分の姿を想像することができず、不安で自信を持つことができませんでした。そのため、先生になることを断念しました。何の仕事をしようかとても悩みましたが、子どもと関わることができる学校現場で働きたいという気持ちから学校事務職員を選択しました。
学生時代、周りの大人や先輩から「学校現場はブラックだよ。」と言われていました。働き始めの頃は、自分がこれから働く現場はどうなんだろうと緊張していました。しかし、この現場は、懇切丁寧な人や優しい人が多く、人として凄いなと思う人も多いです。何より、子どもに対して真剣に向き合うことができるとても良い環境だと思います。
私はこの学校に来て、良かったと思えるところがいくつかあります。例えば、事務職員ながらも、子どもや先生の授業の様子を見に行かせて頂けることです。結局、先生という仕事に興味を持っている私にとって授業を見に行かせて頂けることはとても有難いです。子どもたちと関われたり、先生方それぞれの授業のスタイル、指導技術を見れたりすることが出来、とても楽しく学ばせて頂いてます。本当にありがとうございます。また、この背景には管理職や事務職の上司等の支えがあることも心から感謝しています。他にも、施設の方々から家庭学校の行事等やクラブ活動に誘って頂くことで子どもたちと関わる機会を頂けていることもとても感謝しています。
私はこの学校に来て、子どもや職員の方々に言われて嬉しい言葉があります。それは、「先生」と呼ばれることです。厳密には先生ではない私ですが、元々先生を目指していた私にとって何か心地が良く感じ、嬉しくなります。
私はこの家庭学校及び分校の学校現場に来れたことで自分の人生、自分のやりたいことを決心することが出来ました。先生になりたいです。この学校現場での生活で自分自身の根底にあるものは、子どもたちと関わり続けること、一緒に成長し続けることなんだなと気づくことが出来ました。子どものために働くのは事務職も先生も変わりません。しかし、事務職は仕事上子どもと関われない場面が出来るのは仕方がありませんし、その覚悟です。その中で、管理職や上司の計らいで子どもと関われる機会には積極的にかつ真剣に取り組ませて頂きます。この現場にいる間、沢山のわがままを言ってしまい、迷惑かけています。しかし、今の学校事務職員という立場、環境があるからこそ、自分自身の根底に気づくことが出来ました。新卒で取り敢えず先生やろうという選択をしなくて良かったと思っています。この現場での生活を大切に、現状学べることは全て学ぶ姿勢で、今の業務により一層励みたいと思います。
第72期司法修習生 金川文恵
1 はじめに
先日、司法修習の一環として、北海道家庭学校で8泊9日の研修を受けてきました。私は来年1月から弁護士として仕事をする予定ですが、今後、少年事件も扱うこともあるため、この機会に非行を行う少年たちの更生・自立支援がどのように行われているかを知りたいと思い、同校で研修をさせてもらうことにしました。
以下、私が研修で行い、感じたことを報告したいと思います。
2 北海道家庭学校について
北海道家庭学校は、全国では珍しい私立の児童自立支援施設であり、犯罪などの不良行為をした、または、するおそれのある児童や、家庭環境等から生活指導を要する児童に対し、必要な自立支援をする施設です。
同校の特色は、何といっても、「小舎夫婦制(寮長・寮母が夫婦であること)「開放処遇(塀・柵・鉄格子や監視カメラがない施設)」「三能主義(能く働き、能く食べ、能く眠る)+能く考える」です。
9日間の研修で、これらの特色が毎日の生活の中で実践されていると実感することができました。
3 作業
ある一日のスケジュール
6:15 起床
6:30 朝作業(朝食準備、洗濯物、寮内掃除、牛乳缶取り、野菜の収穫等)
7:00 朝食
8:15 ラジオ体操、朝礼
8:45~12:00 授業
12:15 昼食
13:40~15:45 作業班学習(園芸班、蔬菜班、山林班、酪農班、校内管理班)
16:30 夕作業(夕食準備、風呂焚き、寮周りの環境整備、薪割り、畑作業等)
18:00 夕食、入浴、自習、自由時間
21:30 就寝
10月中旬の大阪は汗ばむ陽気で半そでで過ごす日もあるなか、北海道は大阪より10℃も低い気温で、家庭学校に着いた翌日は霜が降りて一面白くなっており、さっそく北海道の自然の厳しさを体感しました。
研修生ということで作業が免除されるということはなく(多少の手加減はしてくださったとは思います。)、子どもたちと共に同じ時間、同じ作業に入りました。
研修中に行った作業は、落ち葉集め、搾りたての牛乳を離れた牛舎までもらいに行く、薪割り、子ども達が育てた野菜や果物の収穫、畑の天地返し・開墾、冬に備えてのハウス解体、グラウンド整備、雑草抜き等々で、私には初めての体験もたくさんさせてもらいました。
どの作業も、子どもたちは黙々と一生懸命、集中して取り組んでいました。最初は先生に分からないことを聞いた り、友達と話しながらということもありましたが、だんだん集中していく様子が見られました。
畑の土からミミズが出てきても、泥だらけになっても平然と作業を進め、山に入れば山ブドウやこくわ(キウイフルーツに似た実)を探すために躊躇なくあっという間に森の中に入っていく姿を見ると、逞しさ・頼もしさを感じ、それと同時に、そんな男の子たちを「カッコいい!」とも思いました。
また、道具をしまう場所や作業の工程が分からなくてもたついている時にさりげなく教えてくれたり、私や年少の子の重い道具を持って気遣ってくれたり、施設の中のことを教えてくれたりする優しさを見て、「じーん」としたこともありました。
4 食事
家庭学校では、朝食・夕食は、寮で寮母さんと準備をして寮長・寮母さんと取り、昼食は給食棟で全校生徒・全職員が揃って取ります。
研修中に驚いたことの一つが、子どもたちが食事を残さず毎食完食することでした。
自分たちで育て収穫し、その日のうちに食卓に上がるからということもあり、食べ残しが全くなく、それどころ か、おかわりをする子どもも多かったです。
実際、同校で作られた野菜はとても味が濃くておいしく、少なからず好き嫌いのある私でも、すべての食事を残すことなく頂くことができたので、食育の大切さを肌で感じました。
5 朗読会・礼拝・校長講話・誕生会
家庭学校では、時間割が細かく決められていますが、言われたことをやるだけでなく、子ども自身が自分の問題点を考えて、その課題に取り組み自分で評価するということが行われます。毎月の朗読会では、何人かの児童が、その課題と成果を発表します。きちんと自分が直すべき課題を直視して、それに対する評価をしているところを聞き、自分で考えることの大切さと、そのことが自立の出発点になると感じました。
礼拝・校長講話は、家庭学校内の礼拝堂で行われました。礼拝堂の神聖な雰囲気の中でのお話は、気持ちが引き締まるものでした。校長講話・礼拝でのお話は、約1時間はありましたが、みな静かに落ち着いて聞いていたのが印象的でした。
また、礼拝では讃美歌、誕生会では ハッピーバースデーや季節の歌を全員で歌いました。中学生となると恥ずかしがったりして歌わない・歌うふりを する子が多いように思います。しかし、同校ではみんながきちんと声を出して歌っていることに驚きました。全員が歌うという雰囲気があってのこともありますが、家庭学校の子どもたちの素直さを垣間見たように思います。
6 レクリエーション・クラブ活動
これまで、作業など学校の課程に注目して書いてきましたが、時間割にはレクリエーションやクラブ活動・余暇の時間も組んであり、オンとオフがき ちんとありました。
児童同士ではしゃいだり声を掛け合ったりしているところから子どもらしさを見ることができました。
先生方も、注意すべき時には厳しく叱り、褒めるべき時にはきちんと褒めておられ、緩急をしっかりされていました。
7 おわりに
家庭学校に在校する児童・生徒は、何らかの問題を抱えている子どもたちなので、研修中にもいろいろなことが起きました。しかし、先生方や、寮長・寮母さんたち全員で毎朝情報共有して見守る体制ができており、子どもにとって素晴らしい環境が整っていると感じました。
同校の創立から105年という伝統の上に成り立つ、自然に囲まれた場所であるという物的な側面と、しっかりした先生方がいらっしゃるという人的な側面という両輪が、うまくバランスがとれている中で児童の自立支援がなされていました。
家庭学校のスケジュールは、児童にとって、あるときはには厳しいときもあると思います。原則、団体行動なので、自分一人で行動できないことも多く、生活時間やスケジュールが朝から夜まできっちり決まっており、やりたくないからといって怠けることは許されません。
しかし、そのような環境の中で十代の時期に何かに一生懸命打ち込むことができた体験というのは貴重なもの で、この先大人になった時、いやでもやらないといけないこと、一生懸命取り組まないと目標を達成できないことができたとき、家庭学校での体験はそれらを乗り越える糧になると思いました。
北海道家庭学校は児童の自立を指導する施設ではありますが、その自立支援の内容は、大人に対する人間教育としても十分通用するもので、人間としてあるべき姿を考えさせられました。同校での9日間での研修は貴重な経験であり、非常に有意義な研修となりました。
[編集部註]
金川文恵さんは、上甲晃さんの「青年塾」塾生というご縁もあって、司法修習期間中に当校で研修されました。
掬泉寮 中三 Y
十月二日から十月四日の三日間、研修旅行がありました。
まず、一日目の最初に屈斜路湖の砂湯というところに行きました。そこで水きりや穴を掘って温かい砂湯を体感しました。そして、屈斜路湖の売店でイクラアイマスクを六百六十円で買いました。バスの中などで着用してみるととても気持ちよく眠れました。その次に浜中町の「MO-TTOかぜて」という施設でアイスクリーム作りとおぼろ昆布づくりを体験しました。どちらもおいしく作れたので良かったです。その後、バスで移動して一日目の宿泊施設のネイパル厚岸というところに泊まり夕食を済ませ就寝となりました。その時もイクラアイマスクで寝たのでぐっすり寝れました。
次に、二日目になりました。朝食を済ませてネイパル厚岸を出発し、遊学館やマリントポスというところに行き色々な体験や見学をしました。遊学館では科学的なものを色々と体験し知らないものを知ることができ良かったです。マリンポトスでは、魚の水揚げの様子を見学したり展示品も見学しました。珍しいものがありすごく驚かされました。その後バスで移動し昼食を済ませてから釧路市動物園に行きました。色々な動物たちがいてその中でも一番好きだったのがモルモットでした。そこでは直接手で触れるコーナーがありとてもカワイくてずっとそこに居たくて離れたくなかったです。とくに、気温が低かったのか分からないけどモルモットたちが震えて皆でくっついているところがたまらなかったです。今度もし行く機会があればまた行きたいです。その後、バスでまた移動しニュー阿寒ホテルに着きました。ここのホテルでは、バイキングがあったり、大浴場があったり、絶景が見られるところもあったりと高級感満載でした。二日目は盛り沢山のイベントや高級感溢れるホテルに泊まることができて良かったです。
そして、就寝となりあっという間に三日目に突入するところです。
最後に、三日目になりました。いつも通り朝食を済ませ移動の準備をし、あいにくの雨の中バスで阿寒湖遊覧船に向かいました。遊覧船では雨だったのできれいな景色は見られなかったけど、貴重な体験ができたので良かったです。その後、昼食を済ませまたバスで移動し、北網圏北見文化センターと北見ハッカ記念館でハッカのハンドクリーム作り体験をしました。プラネタリウムでは、きれいな星座や様々な星を見ることができました。眠たくなったけどなんとか耐え抜きました。一方ハンドクリーム作りではよい香りの品が完成しました.簡単だったので良かったです。これで三日間全てのイベントが終わりました。人生で全く体験できないものや珍しいもの、ためになるもの、楽しい出来事が沢山あったし、今までの中でトップクラスに入るくらいの思い出が出来て良かったと思います。三年生は旅行的行事が中学校生活最後なので、この思い出を一生忘れないようにしたいです。