ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
家庭学校の生活で学ぶ事
今年の中卒クラス
自然をどこまで楽しむか
社会生活に向けて
校長 軽部晴文
北海道家庭学校の創立を祝う記念日を来賓の方々と共にお祝いできる事を感謝いたします。
四月の礼拝で私は「家庭学校がここで暮らす皆さんにとって、いい所だと言える場所になってほしい」そのような話をしました。家庭学校を作った留岡幸助先生が「世の中に不要な人間は一人もいない」そのような思いを持っておられた事を知っていたからです。
「不要な人間は一人もいない」という事は、私たち一人ひとりに何かしらの役割が与えられていて、その役割は、世の中にとっては欠く事の出来ない役割として与えられているからです。
九月初めの朗読会で、私はラグビーの話をしました。ラグビーはコンタクトスポーツと言って、プレーの中で選手同士が体と体を接触させる、ぶつかり合うスポーツです。体と体をぶつけ合うのですから当然体格の大きい選手の方が有利となります。しかし、ラグビーにはいくつかポジションがあり、ポジションによっては大柄な選手よりむしろ小柄な選手の方が有利になります、それは、スクラムを組んでボールを奪い合うフォワードというポジションは大柄な選手が有利ですが、そのスクラムから出されたボールを処理するスクラムハーフというポジションは小柄な人の方が有利なのです。ですからポジションに合わせた様々なタイプの選手を集めてチームが作られます。大柄な選手、小柄な選手、とても足の速い選手と様々なタイプの人が集まった競技、それがラクビーの面白さです。
ラグビーの話を続けますが、例え小柄な選手であっても、相手チームの選手が自分に向かって突っ込んで来た時、逃げるわけにはいきません、たとえ食い止めることができなくても、体を張るのです。この仕事は自分の役割ではないなどの言い訳は言えません。自分が逃げればチームの勝敗に影響を与えてしまうからです。例え自分の役割ではなくても、それを誰かがやらなくてはチームがピンチになる、そんな時は自分がやる、そういった気持ちは大事だと思いませんか。
家庭学校の生活では、自分たちで出来ることは、出来るだけ自分たちでやるようにしています。皆さんも寮の中で役割がありますね。朗読会でレンさんが言っていましたが、残飯捨ても、牛乳缶取りも大事な役割です。午後には作業班活動にも参加して、野菜作りや花壇の手入れ、牛の世話や山林の手入れ、環境整備に汗を流してくれています。どの作業も家庭学校で暮らす私たちに欠かせない事ばかりです。
作業には好きな作業があれば、苦手で、あまり積極的になれない作業もあるでしょう。みんなの大好きな薪割りのような力を使う作業もあれば、畑や花壇の雑草取りのように、根気が必要となる作業もあります。草刈機のように自分一人でも取り組める作業もあれば、何人かで協力し合わなければならない作業もあります。
家庭学校の作業を通して学んでほしいことは、自分に与えられた役割を果たそうとする姿勢です。役割を果たすことで達成感を感じ取ることが出来ます、達成感は自信に繋がります。一方で、自分に与えられた役割を果たすことは仲間からの信頼を得ることに繋がります。自分は一人でないことを実感することが出来るようになるのです。
家庭学校で学んで欲しいもう一つ大事なことは、自分一人で物事を解決することが無理だと感じた時、周りの誰かに協力を求めることが出来るようになれる事です。協力を求めることは恥ずかしい事でも、カッコ悪い事でもない、むしろ自分を守るための大事な事だと知って欲しいのです。例えば、背の低い人が、手の届かない所にある物を背の高い人にとって欲しいと言って助けてもらって構わないという事です。
大事なことは、たとえあなたが困っていても、その事を黙っていると、周りの人にはあなたの困っている事が伝わらない事です。黙っていても誰かが気付いてくれるとは限りませんから、自分から困っている事を伝える事がとても大事なのです。
留岡幸助先生は、まだ日本では人権についての意識が根付いていない百年以上も前に「世の中に不要な人間は一人もいない」という思いから家庭学校を作りました。今、私たちは制度上では守られる存在となりました。その中でもあなたたちに関することで言えば「子どもの権利条約」というのがあります。その条約では「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」この四つが柱とされています。生きることは権利です。守られることも権利です。あなたたちが生きて行くために周りの人に協力して欲しいと思った時は、あなた自身の権利として声をあげてください、その事を覚えていて下さい。
家庭学校の様な施設を児童自立支援施設と言います。ここは、あなたたちが自立する事を学ぶ施設という事です、自立とは誰の力も借りずに生活して行く事では決してありません、その状況は孤立と言います。自立する力を学ぶとは、自分自身を守る為、必要な時に周囲の誰かに「助けてほしい」と自分から伝える事を学ぶ事です。助けが欲しい事を自分から伝えるのは、なかなか難しいことですから家庭学校の生活を通して身につけて下さい。
中卒担当 木元勤
今年は、卒業生がよく顔を見せてくれた年でした。我々にとって、何よりも嬉しいことです。中卒クラスで一緒にやっていた卒業生が二人。望の岡分校を卒業した少年が四人だったと記憶しています。中卒生は、私が直接担当して、基本1年の付き合いです。分校の児童・生徒、寮生で、長くとも寮長先生との付き合いが2年ぐらいでしょうか。そんな短い付き合いの中で、思い出して遠軽の地まで何時間も車を走らせて(大抵高級車です)来てくれるのです。会って、話しをして、こちらの方が明日へのエネルギーをいっぱいもらいます。その中でも、中卒クラスを5年以上も前に卒業し、進学していった、とても心配していた少年が、ゴールデンウィークにひょっこりと現れたことを今でも鮮明に覚えています。その日は、「校長杯」の日で、ソフトボールの寮対抗戦の試合中でした。私は、アンパイアをしていたのですが、他の先生にすぐに代わってもらい彼のもとへ走りました。数年前の姿のままでニコニコしながら迎えてくれました。沢山の聞きたいことがありましたが、現在の仕事のことや仕事場の仲間のこと、現在の住まいのことは聞くことができました。でも、私の心の底のモヤモヤは訊ねることができませんでした。でも、また会ってくれることは約束してくれたので、それ以上は聞きませんでした。
令和5年4月から中卒クラスは、新たな学期がスタートしました。2名でのスタートです。個性豊かな二人です。体調面で心配がありましたが、特にここまでは変調をきたすことなく過ごしています。
例年、1学期最初の授業で、北海道家庭学校での「中卒クラス」の置かれた位置を説明します。家庭学校本館で全生徒が授業を受けています。分校の児童・生徒は、義務教育課程を全うするための授業を、小学生・中学生ともに、分校の先生方の熱心な指導のもと頑張っています。一方、中卒クラスは、義務教育課程は終え、中学校は卒業しています。分校の児童・生徒と中卒生の立場は、違うと説明します。分校の先生方は、温かく中卒生に声をかけてくれます。気にかけてくれます。分校の保健の先生は、中卒生がけがをしたり、熱が出たり、具合が悪くなったりしたとき、親身に面倒を見てくれます。分校の生徒と分け隔てなく接してくれます。それに応えるためにはどうしたらいいかを考えて行動するのが中卒生であると話します。一言で言うと、「暗渠の精神」「縁の下の力持ち」が中卒クラスであると偉そうに語ります。だからといって、中卒生だから、最年長だから寮のなかでも、しっかりやらなければならないとは口にはしません。(そうあればいいなあと思いますが。)
今年度の目標を考えるにあたり、二人の進路を訊きました。当然、まだ定まってはいません。私なりに、二人の特長を考えてみました。一人は、座学は苦手です。もう一人は、好きな教科はとことん追求したいと思っています。ところが、座学が苦手な生徒は、ひょっとすると公立高校を受験する可能性があります。公立高校受験に向けてのカリキュラムが必要です。でも、前述の通り、中卒しかできない環境整備等にも力を注ぎたい。色々と思い悩み時間割を決めました。
昨年、職員住宅の住人である先生から、使用しているゴミステーションが手狭で困っているとの話しを何かの折に聞いていました。幸いなことに、今年の生徒の一人が、多分得意な分野でありそうだと確信し、設計図を描いてくれないかと頼みました。こちらの思惑通り、快く引き受けてくれました。5月から製作を開始し、6月の運動会に供用開始の予定でしたが、ひと月遅れの7月に無事完成。引き渡すことができました。ほとんどの材料は、先輩の諸先生方が、長年大事に取りおいてくれたものでした。ペンキも、廃業した業者さんが寄贈してくれたものです。(置き場所の関係で、中卒教室で保管していたものです。)「もったいない」「いつか使う時があるかも」と、とっておいてくれた先人に感謝です。
後日談です。9月12日昼過ぎ、遠軽を突風が襲いました。ゴミステーションは、風に煽られて側溝に転落し、破損してしまいました。修理を終え、現在は現状復帰しています。もちろん、補強し、土のうで固定しました。想定していたにも拘らず対策を取らなかったことに反省です。
石上館副寮長 稲田 翔平
私は自然の中で過ごす事を幼い頃から好んでおり、よく父親に連れられて山や川に行き山菜取りや魚釣りをしていました。ある程度大きくなってからは一人で山や川に出かけたり、気の合う友達と自然の中へ遊びに行ったりもして、人よりも自然の事は理解しているつもりでした。家庭学校の敷地内にもとても豊かな自然が広がっていて、山や小川、そこで生息している様々な生き物や植物。素晴らしい場所だなと思いながら私はそれら自然の細かいところまで知っているつもりになっていました。
ある時子ども達を連れて山へ散策に出かけ、これは〇〇、あれは〇〇、と得意げになって教え、子ども達からの質問にも、これは〇〇の仲間かなーなんて適当に答えていると、これは何ですか?とある子どもが何処からか持ってきた真っ赤なトウモロコシの様な立派な実。その時、一体これは何なのだと衝撃を受けた事を覚えています。上の説明だけでピンとくる方もいらっしゃると思いますが、それは「マムシグサ」と呼ばれる猛毒を含んだ野草でした。似た植物すら見た事無く、これ程目立つ植物でありますがよく目を凝らして見てみると、それは群生しており、それだと気づけば普通に見つけられるほど生えていて、どうして今まで気づくことが出来なかったのか不思議に思う程でした。それからというもの、そこらに生えている雑草やキノコでも、全く見た事の無いものが目に入るようになり、これはなんだと図鑑やスマートフォンを使って子ども達と調べて歩き、どれだけ自分が無知であったか思い知らされる日々を送っています。今になって考えてみると、私が知識として身に付けていたものは山菜やキノコについては食べられるものに限られており、生き物についてはよく見る定番の物、あとは大雑把な種類だけでした。怖いもので、自分が知っていると思えば思う程理解から遠ざかり、頑なに知らないという事から遠ざかろうとしてしまう。いわば「頑固親父」のようなものになりかけている事に気付かされました。大人になって見慣れて気付く事も出来なくなってしまったそれらは、子ども達を通してまた私に子どもの頃の新鮮な感情を取り戻させてくれているようでした。好奇心旺盛な子ども達は、私がどれだけ目を凝らそうとも見つけることが出来なかったもの達を次から次へと見つけてきて、私にそれらを持ってきては目を輝かせて「先生なにこれ!」と報告に来る。今までの私であれば「多分〇〇かなー」と適当に答えていましたが、今は「なんだそりゃ」と一緒になって調べては「不味いけど食べられるらしい」「これにはこんな猛毒がはいっている」といいながら細かい所まで調べつくそうと山を楽しんでいます。最近の私の流行はキノコで、暇があれば子ども達とキノコ図鑑を片手に山歩きをしています。正直、キノコだとか山菜だとか、魚だとか動物だとか、それらを知って自立支援に何の関係があるのかと思う時がありますが、楽しいからまあいいか。と適当に自問自答しています。
教諭 茂木大地
令和五年度の人事異動にて、七年ぶりに望の岡分校に戻ってきました。
四月の赴任日に家庭学校の正門をくぐり、本館に続く坂道を進むと、当時の様々な思い出が蘇り、言葉には言い表せない不思議な感覚に襲われたことを覚えています。
私にとって望の岡分校は、教員生活の始まりであり、初めての担任、初めての卒業生を送り出すなど多くの夢を叶えてくれた学び舎になります。
また、数多くの尊敬できる先輩教員と出会えたこと、子どもたちの育て直しに従事する家庭学校職員とともに働けたこと、どれも忘れることのできない思い出として私の中に残り続けています。
そんな、私にとっても学び舎であるこの地に、再び赴任できたことに感謝しています。
この七年間、私は高等支援学校で勤務しました。
特別な支援や配慮を必要とする生徒が数多く在籍する、望の岡分校で五年間勤務していた私は、特別支援学校で勤務することに特段の不安や心配もなく赴任したことを覚えています。
しかし、実際に勤務してみると、生徒の指導や支援方法、多くの福祉制度など様々な知識やスキルを要することに気付き勉強の日々でした。
当時、望の岡分校に在籍する生徒のほとんどが「THE非行少年」であり、入れ墨を入れたり、根性焼をしたりと分かりやすく環境が要因である少年たちが多かったと思います。
高等支援で担当した生徒たちは、教室に籠城する子、水道を破壊し教室を浸水させる子、家庭内に居場所がなくなる子、継続的な医療支援を必要とする子など挙げればキリがありませんが、障害を起因として不適切な表出につながる生徒の集まりでした。
障がいに対する考え、環境、背景、取り巻くものを包括的に捉えながら、丁寧にアセスメントを行い、課題解決に向けてアプローチを行うことの大切さなど、考えを改めなくてはいけないことが多くありました。
多くのことを生徒達から学ぶ中で、私が一番大切にしていたことは中長期的な視点です。
高等支援学校は教育機関の終わりであり、社会生活への始まりでもあります。ほぼ全ての生徒が卒業後に就労し、自立した生活を目指します。
そのため、目標と達成までの期間を細かく設定し、時には修正しながら、五年後、十年後の姿を想定して必要な力の獲得や、既習事項をより確固たるものにしていかなければなりません。
個々に実態差はあるため一概には言えませんが、中学段階までに課題をクリアしていればというケースも多く見られるのが実際のところと感じています。
家庭学校に入所する生徒の在籍期間を考えると、直接的に生徒と関わる時間は短期的かもしれません。
ただの指導者としてではなく、一人の支援者としてできることは何かを考え、退所後、そしてその先の未来も見据えながら、実年齢と個々の実態に応じた指導支援に努めたいと思います。