ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
寮母の一日
「普通のカタチ」を探して
〈理事長時々通信〉⑩
校長 軽部晴文
家庭学校第四代校長留岡清男先生は私が職員に採用される二年前の一九七七年に亡くなりました。ですから先生の事を直接は存じ上げませんが、先輩職員から清男先生に関する話を聞く機会は多くありました。先生は仕事に対しとても厳しい方であった事は皆さんが共通して口にされる事でした。普段札幌で仕事をされることの多い先生が遠軽に戻られると連絡があると、校内の空気がぴーんと張り詰めたという逸話も聞きました。一方で職員への気配りもとても出来た方だった、そのようにも伺いました。そして戦争の影響で疲弊した家庭学校が復興できたのは、清男先生でなかったら成し得なかった。というのが先輩職員の一致した感想です。厳しく現実を見つめる所から計画的に物事を進める清男先生だからこそ成し得たことだったと思います。
留岡清男先生の著書「教育農場五十年」には、太平洋戦争で疲弊した家庭学校が復興とどのように向き合ったかが書き記されています。今回数年ぶりに読み直してみました。
戦前に三十六頭飼育していた乳牛は、戦時中の作付け転換によって牧草地を失い、たった一頭しか残らなかった事。蔬菜畑も堆肥を入れることが叶わなかったため荒れ果て、蔬菜の自給は制限せざるを得なかった事。食べ物だけではなく、建物も寝具に至るまで損耗した事。建物や寝具は戦後五年を経て応急処置の目処は立ったが、食料の充足は依然切実な問題として残り、対策として生産設備を整備した恒久的な措置を必要とした事などが書かれています。清男先生はそのような状況下に家庭学校の職員に書簡を送ります。
「遠軽の先生、私たちの学校は貧乏です。ずいぶん無駄な苦労と不自由とを我慢してきました。貧乏は一切の禍根です。貧困を断じて克服しようではありませんか。だが、貧乏は生やさしいことでは克服できません。貧乏は、人さまのお情けにすがったり、人さまの力におんぶしたりしては、克服できるものではありません。自力です。自立です。自力によって、自から立ちあがる外に、途は絶対にありません。而も、盲滅法に力んでみたり、徒に痩せ我慢をしてみても、所詮それは駄目です。まず、お互いの生産意欲を燃え上がらせることです。そして、生産意欲を責任意欲でしっかりと締めくくることです。而も、手近なところから手をつけて、手をつけた以上は、どんなことがあっても、初期の成果をかちとることです。言葉をかえていえば、生産責任制と責任分担制とを、日常生活の中に確立することです。」
貧乏な状況から脱却するには、自分たち自身の力で克服する気構えを「生産責任制と責任分担制」という表現を使って厳しく職員に求めました。更に別の書簡では。
「互の心の中に、生産意欲と責任意欲とは、根を張っているでしょうか。そして、日常生活の中に、生産責任制と責任分担制とは、確立しているでしょうか。」と再度、職員に問いかけを行いました。 清男先生は畳み掛けるように職員の心に問いかけました。「けれども、本当をいえば、私たちの学校の貧乏は、そういった物質的な貧乏にあるのではありません。物質的な貧乏は、いくらでも克服することができます。若し心の底に、生産意欲と責任意欲とが旺盛であり、日常生活の中に、確実迅速な行動と、創意工夫をめぐらす性能とがありさえするならば。私が案じるのは、そういった意味の精神的な貧乏です。心構えの貧困です。」と、繰り返し職員の心構えを問いました。 家庭学校には依然として多くの困難や障害が立ち塞がっていましたが、清男先生は「教育は胃袋から」のスローガンを掲げました。先ず「生徒のお腹を満たしたい」そのように先生は考えたのです。 厳しい経済状況下にあっても、大きな目標を掲げる。そしてその目標の実現の為には、最小必要量の経済的投資をする必要がある事。然し、経済的な投資を行なってもその効果が現れるまでには一定の歳月が経過することを覚悟しなければならない事。覚悟とは効果が現れるまでの間、現状と同じ不自由さや不完全なことに耐える事であると述べています。
家庭学校を立ち直らせるという大きなテーマに立ち向かうには、先ず堅牢な土台を時間と労力を掛けても築く。これはまさに、私たちの仕事そのものだと感じました。何か物事を成す為には、基礎が必要であると同時に、時間を掛けることも必要なのだと思います。結果を早急に求めてはならないのです。むしろ自然に結果が現れるのを待たなければならないのです。
生徒が家庭学校に来るまで、私たちの想像を超えた壮絶な人生を歩んで来ます。生徒が立ち直るには時間が必要です、その時間は保証されなければなりません。
清男先生は、私たちの教育は生活力を涵養すること、生活力の涵養の基礎は生活秩序の訓練。と述べています。涵養とは、自然に水が染み込むように徐々に養い育てること(広辞苑)とあります。家庭学校の広いフィールドいっぱいを使って、これから先の人生を生きて行く力の土台を作って欲しいと念じます。
楽山寮寮母 平野みほろ
寮母になってから十ヶ月が経とうとしています。長かったようで短かった気がします。寮母になってからまだ日は浅いですが一日の流れについて、話そうと思います。
まず、朝は平日は七時、休日は八時に朝食なのでそれまでに作り終え、みんなが起きてから作業が終わるのを待ちます。全員が揃ったらいただきますをし、ご飯を食べ始めます。ご飯を食べている時は他愛もない話をしたり、ご飯の感想を言ってくれたりします。ご飯が食べ終わったら、ごちそうさまをして片付けです。片付けは当番を決めて、食器を洗う係、食器をすすぐ係、食器を拭き片付ける係等、みんな役割があり、まっとうします。当番が終わった人から学校に行く準備や朝の薬を飲んだりします。それらが終わったら束の間の余暇時間を過ごし、通学に行くところを玄関で見送ります。見送った後は急いで寮のゴミ出しをし、私も学校に登校します。
登校後は子ども達と一緒にボール遊びをしたりします。その後はラジオ体操と朝礼があり参加します。 子ども達が授業に入ると、束の間の休息です。その日の夕飯の仕込みやお昼に給食を作るお手伝いがある時があるので、その時はやります。
お昼ご飯を一緒に食べた後は、一度みんなで寮に戻り午後の授業や作業をする準備をします。そして、また頑張ってねと言い送り出します。学校や作業から帰寮したら、少しの余暇時間です。そこで、自分の畑で採れた野菜の調理をしたい子達は私と一緒に料理をしたりします。出来上がったものを食べるときはとても満足そうな子を見ることが多いです。
夕方になると子ども達は作業へ、私は夕飯作りを始めます。一時間ほどで作業も終わり私も料理を作り終えます。そして、いただきますをしてまた出来立ての夕食をみんなで食べます。その際に美味しい、味が濃い等色々意見をもらいます。次に生かせるのでありがたいです。食べ終わったあとは片付けをし、自習です。普段は四十五分、テスト一週間前は六十分の自習をします。内容は各々自分で決めたものをやります。終わったらおやつタイムです。一日ひとつおやつを渡して食べます。おやつもその子によって食べ方が異なり、何個か貯めてから食べる子、貰ったらすぐに食べる子さまざまです。そのあと余暇時間を過ごし、二十一時三十分には就寝です。
このような感じで一日は終わります。毎日同じ日課ですが、子ども達と過ごす日は同じ日はなく充実しています。けんかをする日もあれば、仲良く人生ゲームをする日もあります。十人十色の性格。みんな個性を生かしてこれからも生活をしていけるように支援していきたいです。
がんぼうホーム職員 飯塚真紀
今年度四月から採用になり、がんぼうホームに勤務しています。前職は、遠軽町教育委員会で社会教育に携わっていました。児童福祉については初めてのことばかりです。児童福祉の知識がない上に、新人といえどもフレッシュというには程遠く、今から経験を積んでの人材育成の面でもあてはまるとは思えません。そのような部分から考えると、自分がどのような存在として求められているのか、自覚を持って過ごしていかなければならないと思っています。また、今回この職をいただいたことについて、いろいろな巡り合わせが重なり、奇跡に近いものを感じています。さらに、私の『三人目のおじいちゃん』のような清里町在住の川口正夫さんと、四月から着任された軽部校長が古くからの知り合いだったことなどもあり、人の繋がりも強く感じています。歴史ある北海道家庭学校の職員になれたことに感謝申し上げます。
あっという間に五か月が過ぎました。この「ひとむれ」をご覧になっている皆様はご存じかと思いますが、がんぼうホームには中学卒業の年齢以上の男子が住んでいます。今までの職場に家庭学校に関わってきた方もおり、「様々な経験をしてきた子は相手の気持ちに敏感」ということを何度も耳にしていました。さらに、大人ぶりながら甘えるようなところも見せる、とても多感なお年頃。どう接するのが正解なのかはわかりません。個人の特徴や情報は知っておいても先入観を持たない、威圧的にならない、配慮はしても遠慮はしない を心がけて過ごすようにしていますが、自分の対応がこれで良かったのかと振り返ることが何度もありました。
その中で気付いたのが、「彼らの心の振れ幅は大きく、しかも動きやすい。ちょっとしたことで簡単に良くない部分のスイッチが入る」こと。そのような時に強く表れる彼らの独特な考え方に触れ、頻繁に「普通って何?」と考えさせられるようになりました。私たちは、正しいかどうかは別として、今までの経験で得たものから判断して、自分や他人に対して理想とする言動などを思い描きます。それが個々が持つ『普通』といわれる感覚で、年齢や体験などによりもちろん個人差があるものですが、互いの思い描く『普通』が重なり合わずとも近づけようとすることで、円滑な社会生活が送れるものと考えます。しかし面倒なことに、個人が持つ『普通のカタチ』はそれぞれ異なるため、周囲の人々と関わる中で、相手のカタチを探る必要があります。がんぼうホームで過ごす彼らは、「自分を律する」とか「他人の気持ちを察して対応する」「現在の行動が今後どのように影響するかを考える」などは、どちらかといえば上手ではないように思えます。 また、彼らの持つ『普通のカタチ』は、現時点では若干独特なため、想定外の言動をすることがあります。理解されていない環境では相手に違和感を与え、小さな失敗に繋がることも少なくないようです。最初は、私も自分の持つカタチに基づき、彼らの言動を勝手に想像したりしていましたが、そううまくはいきませんでした。
個性を大切にする教育が進められる中で、いつの頃からか『みんな違って みんないい』という言葉を頻繁に耳にするようになりました。しかし、社会に踏み出そうとする一歩手間の彼らに、「その言葉が正しい」と私は自信を持って言ってあげられません。彼らには、それぞれ素敵な長所があります。良い部分をさらに磨き、それが受け入れられる環境を見つけられるのが理想ですが、自立にはそれ以外の苦手な部分に目を向けることも大切だと思うのです。自分が持つ普通のカタチは簡単には変えられませんが、関わる相手のカタチを探し当てる力は、小さな失敗が許される今のうちに磨いてほしいなと思っています。そして、このような施設から去っていく理由は様々ですが、ひとりでも多くの子が目標を達成して巣立っていってくれるよう、また新たな場所でつまずいた時にはそれを経験ととらえ、今後はどうしたら良いか考え・行動できるような人になってくれるよう願っています。
がんぼうホームに関わる方や地域の皆様には、未熟な自分と向き合い、背伸びをしながら頑張っている少年たちを温かく見守り、ご教示いただけると幸いです。彼らが成長していくには、皆様のお力添えなしでは考えられません。ご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、フレッシュではない新人職員と共に何卒よろしくお願いいたします。
理事長 仁原正幹
「炎暑の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。」というのが、校長時代に認(したた)めたお礼状の八月定番の時候挨拶でした。北国・オホーツクからの便りにしては些かオーバーかなという心持ちもしたものですが、近年の夏の暑さは、炎暑、酷暑、猛暑等の表現がさほど大袈裟でもないような気がしています。
そうした炎暑の中、八月三日から十六日の間、家庭学校では今年も夏季一時帰省を実施しました。子ども達が故郷(ふるさと)の空気を吸ってリフレッシュして、皆元気に戻ったと聞き、安堵しています。不安定になって帰校が一日遅れた児童が一名いたそうですが、その子も含め皆それぞれに成長してくれたことと想っています。
北海道家庭学校には、昭和の時代から続く、夏・冬の一時帰省の独特の方法があります。入所児童を児童相談所毎に編制して、職員がそれぞれ分担して各児童相談所まで送迎するというもので、これは他の施設には見られない、家庭学校独自の一時帰省のスタイルだと想います。
各児童相談所において家庭学校職員が児相職員と面談した後、迎えに来られた保護者に子どもをお引き渡しするものであり、また、一時帰省終了時にも職員が各児相まで迎えに行くというものです。児童相談所にとっても、担当の児童福祉司や心理判定員をはじめ、所長や課長、一時保護所の指導員など多くの職員が子どもの表情や所作、親子間の様子などに
に触れることができます。「あー、こんなに変わったんだ……」と、半年毎に子どもの成長振りを実感するとともに、激励の言葉かけなどもでき、非常にメリットの多いシステムであることを、児相に居た頃の私は強く感じていました。
現在も望の岡分校の夏休み期間と冬休み期間の中で、それぞれ二週間程度の一時帰省を実施しており、送迎は昔からの手法で行っています。異なる点と言えば、嘗ては国鉄列車などの公共交通機関が主たる移動手段でしたが、近年はJRの路線廃止や特急列車の減便などで不便になったこと、一方で高速道路網が拡充され、遠軽=札幌間なども全線開通して便利になっていることから、夏季一時帰省については、職員が公用車かレンタカーを運転して送迎しています。ただし、冬季一時帰省については、北国特有の悪天候や凍結路面による貰い事故の心配もあるので、近接する北見児相を除き、多少不便で時間もかかりますが、安全面を最優先に、原則公共交通機関を活用しています。
一時帰省の対象となるのは、入所当初の過剰適応の時期を過ぎて本来の姿が確認できるようになった入所後三カ月以上を経過した児童で、帰省前の三カ月間に無断外出や暴力事件等の問題を起こさなかった児童としています。入所からの日数が三カ月に満たないために冬季一時帰省の対象から漏れた児童については、短期間にはなりますが、別途春季一時帰省について配慮することもしています。
一時帰省については、送迎の手間や、子どもが地元で事件・事故に巻き込まれるリスク、さらには、不安定になって家庭学校に戻るのを渋ったりする懸念もあるのですが、家庭学校としては従来から積極的に実施することにしています。子どもの成長振りを保護者や児童相談所、原籍校など地元の人達に実感してもらう目的もありますし、子どもが家庭学校の敷地内での護られ過ぎている環境から離れてどの程度自分を律して行動できるかを自他共に見定めるためもあります。一時帰省期間を独りで有意義に過ごせた自信が、本人の一層の成長に繋がるのです。
また一方で、家庭の環境にどのような変化があるか、虐待傾向が改善したか、退所後の自分の居場所があるか、家から高校に安定して通学できそうか等の見極めを、子ども自身にさせるためにも、一時帰省は大変貴重な機会であり、重要な意味を持つものであるからなのです。
中には保護者の都合など諸事情が絡んで家まで帰れないケースもありますが、そうした場合は児童相談所の一時保護所を活用する形で短期間であっても地元に戻し、久々に親子を対面させたり、原籍校の先生との面談の機会を設けたりするよう、近年は家庭学校から強く要請して、児相の理解・協力を得ながら、時には多少時期をずらしてでも実施しています。
家庭学校には「作業賞」、「学業賞」、「努力賞」の三賞の表彰という伝統があり、嘗ては夏・冬の休みを挟んで次の学期の始業式のタイミングで三賞選考・表彰という流れになっていましたが、私の校長時代からは、各学期の終業式に合わせて選考・表彰をすることにしており、今では子ども達が三賞の賞状と自らが丹精した野菜・果物などを手土産代わりにして、元気に里帰りするようになっています。
中には寮母先生におねだりして、今風の「二分でご飯」のパック(フードバンクから提供を受けて各寮で予備の食材として保管)を帰省の荷物に何個も詰め込んでいく中学生もいました。実母の生活リズムが不安定で、ご飯を作ってもらえない心配もあって、同時期に児童養護施設から帰省する弟妹のためにも自分で食材を確保しようと考えたのだと想います。私はそのエピソードを寮長・寮母から聞いて、彼の成長を感じたものです。
子どもは可塑性が高く、家庭学校と望の岡分校での日々の暮らしの中で(生活指導・学習指導・作業指導の連続です)着実に力を付け、子ども達同士でも互いに感化し合って、自己を変革し、大きく成長していきます。一方で大人はなかなか変わりません。子どもが成長して保護者の生活をカバーできるぐらいになることが、親子再統合、もしくは将来大人になってからでも親子が仲良く付き合えるための大事な要件かなと、考えています。