ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
生き辛さを抱える子ども達と過ごしていく中で
中卒クラスのこれから
私と家庭学校
校長 仁原正幹
まず第一に、北海道家庭学校の子ども達はよく働きます。子ども達に寄り添い励ます大人達もよく働きます。七年五カ月前に望の岡分校が開設されてからも、週三回午後の学校日課の中で「作業班学習」が行われています。子ども達と家庭学校職員と望の岡分校教員が三位一体の形で、「蔬菜班」、「園芸班」、「山林班」、「酪農班」、「校内管理班」の五班に分かれて、真似事でないホンモノの作業が、各作業班毎に力強く展開されています。
働く時間は「作業班学習」のほかにもあります。各寮毎に寮周辺の草刈りや除雪、花畑や野菜畑やハウスの管理、さらには、薪割りや風呂焚き、寮舎内の清掃、炊事の手伝いなどを、それぞれ「朝作業」、「夕作業」として行っています。時には「全校作業」として、牧草の刈り取りや梱包の作業、広い敷地内全体の草刈り、禮拝堂や生活道路の清掃などの環境整備にも取り組んでいます。
子ども達はこうした忙しい作業日課に汗を流しながら、周囲の人のために役に立つ「よい働き」を体験して、充実感や達成感を味わい、自尊感情を高めています。学習指導を下支えする意味でも、作業指導が大きな成果を上げています。
毎日このように作業で忙しいために、家庭学校の子ども達には、スポーツに興じたり、寮内で戯れる時間はあまりありません。クラブ活動は夏場の土曜日の午前中のみの設定なので、常設の野球チームもなく、全国の児童自立支援施設が加盟する全日本少年野球連盟とは、長年の間会費納入のみのお付き合いでしたが、ついに昨年脱退させていただきました。作業指導に重きを置く北海道家庭学校としては、日々の暮らしの中で野球の練習をしている暇はなく、今後においても野球大会に参加することはまずないと判断したからです。
第二に、北海道家庭学校の子ども達はよく食べます。広い敷地内の作業や移動でよく身体を動かすので、お腹が空いてたくさん食べられるのだと思います。
量ばかりでなく、質的にもよく食べます。家庭学校では特に食事と食育に力を入れており、季節毎の野菜や山菜、牛乳やバターなど、家庭学校の敷地内で収穫される新鮮な食材をふんだんに使った料理を毎日提供しています。栄養士が主催し、寮母等が参加する月例の「給食運営会議」によって毎月の献立表が作成され、給食棟でも各寮でもそれに基づいて非常に手の込んだ調理が行われています。
まず、寮での食事ですが、平日と土曜日と祝日は朝晩の二食、日曜日は朝昼晩の三食が、それぞれの寮毎に準備され、各寮の食堂で食されます。寮母が調理し、炊事当番の児童がそれを手伝います。寮母は児童と一緒に手を動かしながら、また、対面式キッチンから食事風景を見守りながら、そして寮長は寮での全ての食事を児童とともにしながら、子ども達一人一人と心を通わせます。
次に、給食棟での食事です。月曜日から土曜日までの昼食会と、月に一度の誕生会(夕食または昼食)が、子ども達と家庭学校職員と望の岡分校教員が一堂に会して、和気藹々の中で楽しく行われています。大人も子どもも所謂「同じ釜の飯を喰う」わけです。時にはお客様や法人役員にも参加していただいています。
子ども達にとっては、作業班学習や朝作業・夕作業で自らが丹精して育てた野菜や果物です。滅多に残したり、捨てたりしません。新鮮な野菜・果物の美味しさに驚き、入所前の食わず嫌いも自然に直るようです。ワラビやギョウジャニンニクやヤマブドウなどの自然の恵みも、何しろ自分たちが家庭学校の森で採って来たものですから、皆喜んで食べます。牛乳は毎朝当番の生徒が牛舎に向かい、牛乳缶で寮まで運びます。どの生徒も新鮮で濃厚な味を堪能しているようです。
第三に、北海道家庭学校の子ども達はよく眠ります。早朝六時から日課が始まり、日中に作業や勉強、レクレーションなどで完全燃焼するので、毎晩泉の水を薪で沸かすお風呂に入ると、九時半には眠りに就きます。全員早寝早起きです。
校祖留岡幸助が唱えた「能く働き、能く食べ、能く眠る」という「三能主義」の精神が、創立以来百二年間、北海道家庭学校の確たる伝統としてしっかりと受け継がれてきています。
家庭学校にやって来る子ども達は、それまで往往にして昼夜逆転の生活をしてきています。ゲーム依存や偏食の酷い子どもも少なくありません。無気力、無関心、無感動、不活発な生活です。そのような不健康な生活が、不登校、引きこもり、深夜徘徊、金銭持ち出し、家庭内暴力等の問題行動に繋がり、中には虞犯行為、触法行為に発展した子どももいます。
家庭学校ではテレビゲームは一切できません。スマホやケータイも持てず、パソコンも勉強以外には使えません。毎月の小遣いは金銭出納帳で管理され、現金は持てません。塀も柵もない開放処遇といえども敷地の外に出ることは御法度です。電話、手紙などの通信相手も保護者など一部の人に限られます。単独行動はできず、年間行事予定表や日課表のとおりに常に集団で動くことになっており、プライバシーも制約されます。これらは所謂「児童自立支援施設の枠のある生活」ということで、「育ち直し」には適した環境ですが、反面自主性や自律心が育たず、長く居ると自立が遅れてしまいます。
北海道家庭学校は「能く働き、能く食べ、能く眠る」健康的な生活の場ですが、あくまでも短期集中的な「育ち直し」の場であるべきだと、私は考えています。
石上館・寮長 水原学
寮長として生徒に関わり始めてはや三年が経ちましたが、いまだ自身の未熟さをかみしめています。
寮長として生徒と関わっていく中で、生徒の生い立ちから来る愛着障害や、先天的に持っている発達障害が絡み合い、その子独自の生き辛さ、困り感となって生徒自身を苛んでいるのを肌で感じ、なんとか少しでも生きやすい方法を伝えてやれないかと考える毎日です。伝える方法も子ども達によって様々で、言葉で伝わる子、生活の中で褒められながら変わっていく子、周りとの関わりの中で間接的に変わっていく子等、十人十色であり、彼らにとってどの方法が受け入れやすいかを考えながら伝えていますが、自分の伝えたい事柄と、彼らが受け取っている事柄との間にはまだ大きな差がある事に悩んでいます。
ここの生活で学ぶことの多くは、退所してからの生活の下地になるものがほとんどですが、決してわかりやすいものばかりではありません。当初、私は、彼らがここでの生活の意味を見いだすためには、その時々の子ども達自身から出てくる「なぜ」に私がどれだけ答えられるかだと気負っていました。しかし、言葉で伝わらない子の多さに驚き、どうしたものかと悩んでしまいましたが、作業や生活をしていく中で「先生がこないだ言っていたことの意味がわかりました」と言い、子ども達が変わっていきました。言葉でないものの大切さを改めて感じたものです。
家庭学校という環境の中に答えはあふれており、それをどうやって見つけやすくしてあげられるかと、気持ちを切り替えたあたりから私の気持ちが楽になりました。全部を伝えられなくても、今までの生活に疑問を持てるような関わりをして、そこから子ども達がどんな答えを見つけるかを待てるようになれました。見つけるのが難しい子には声掛けをしながら引っ張ってあげた子もいましたが、最後には自分なりの答えを見つけてくれました。それは大人が望んだ答えではないけれど、自分で見つけた答えだからこそ、大事にしてくれるものと思います。
彼らはここから出たら答えが簡単に手に入る情報社会の中に身を投じていきます。誰が出したかもわからない答えを平然と使いながら生きていくことになります。小学生のようにまだ幼く、中学生のように多感なこの時期に、自分で感じ、自分で考え、自分なりの答えを出せる経験はとても貴重です。時には大人が噛み砕いて伝えてあげることも必要ですが、最後まで自分の問題に取り組めることの幸せをこれからもいい形で伝えてあげられたらと思っています。
また、自分だけのケアで完結せず、より多くの選択肢を持ったケアを心がけていきたいと思います。
常勤講師 木元勤
平成28年1月号の「ひとむれ」で、中卒クラスに携わった5年間の大まかな報告と愚痴と目標に触れました。今回は、自分にとって6年目の実際の授業の様子を通して学級運営の在り方を感じ取っていただければと思います。同時に将来に向けての方向性を探ってみたいと思います。
平成28年4月時点でのメンバーは、望の岡分校から持ち上がった2名と前年度から在籍していた2名の4名でスタートしました。2学期が始まった現在(8月)は、進路が決まり退所した者と、職場実習のため本館に来ない者(両名とも前年度からの在籍者)がいて、残り2名で始業式を迎えました。さらに原稿を書いている今、まさに新入生が加わり3名となりました。平成23年4月に9名で始まったときは、家庭学校職員のK先生が専従でついて下さり、2名体制でした。平成24年度以降は、職員が責任者として統括し、教室内では自分が見るという形になりました。
クラスのメンバーの変動はこの学校の宿命です。人が替われば授業の内容や進め方も変わります。人数の多寡ではなく、学力、意欲等の要素が絡んで授業が成立します。こちらの都合で言えば、手間のかかる子か、そうでない子かの違いです。メンバーに救われることもあれば、気持ちが揺らぐばかりのときもあります。それがこの仕事の面白さだと思って続けてきました。
先日、なにげない話をしていたときに出てきたのが、中卒クラスという名称についてでした。「何となく中途半端なイメージで…」と生徒。「それが現実だから…」と私。平成23年3月まで担当だったI寮長先生のときには、「中卒学級通信・くまげら」を発行、中卒生を「くまげら生」と呼んでいた時期もあったようです。自分としては、名称についてはあまり考えたことがなく意外です。機会を見て再度話します。
「流汗悟道」が北海道家庭学校の原点と思ってきました。中卒生には、このクラスは家庭学校のために働けるクラスだと伝えています。分校生は義務教育の授業があり、動けません。必要なときに動けるのは中卒生なのだから、頼りにされているのだからと話します。その仕事をきちんとやり遂げられない中卒生は、考えられないと話します。時間割表には作業のカリキュラムはありません。(昨年は農作業の時間が週2時間ありました。)でも、できるだけ体を動かし、工夫を身につけ、誰かの役に立っているという充実感、達成感を感じてもらう仕事をもっとさせたいと思っています。
児童自立支援専門員 池内 伸明
「五ヶ月が経って」…家庭学校の生徒だとすれば、このようなタイトルで文章を飾るところでしょうか。彼らからすれば、五ヶ月とは新入生期間が終わり、薪割りや草刈機を使用した作業など寮運営にとって大事な仕事を覚え、これから家庭学校での生活の本質を味わって行くところです。そうした時期に、私は契約期間を終えて家庭学校を去ることになります。
家庭学校とは、実を言えばここに来るまでにいくつかの縁がありました。一度目は、私が大学院を卒業する際に、師事していた教授から就職先として紹介していただいていたこと。二度目は、一昨年に現在寮長をされている藤原先生に誘っていただき、日曜礼拝に参加させていただいたこと。
そして三度目は、今年の三月に藤原先生ご夫妻の引っ越しのお手伝いをさせていただいたことでした。この時、私は諸般の事情から一、二ヶ月間ほどの短期間の仕事を探していました。三度の縁があったということもあり、家庭学校で何かお手伝い出来るような仕事がないか、藤原先生、校長先生に尋ねてみたところ、結果として藤原寮母先生の産休代理の職員としてもう少し長い間こちらで仕事をさせていただくことになったのでした。
職員として家庭学校に入ってからは、怒涛の日々が続きました。自分の生活が立ちいかない中で、まず寮周りが始まりました。早朝に始まり夕方まで毎日続く、体を動かす作業と学校の授業。子どもたちとの関わりよりも、こうした日課にまず自分が慣れていくことに精一杯という状態で、薪割り、風呂焚き、ビニールハウス作り作業など、これまで経験したことのない内容がさらに私の戸惑いに拍車をかけました。
しかし、それを助けてくれたのは子どもたちでした。最初は「先生なのにこんなことも出来ないのか」、そう言われることを予想していました。しかし、期待に反してそうしたことを言う子どもは一人もおらず、むしろ丁寧に一つ一つの作業手順を教えてくれたのでした。また、彼らが自分の得意な作業を集中して行う時、大人も顔負けな働きを見せてくれました。
もちろん、子どもたちの働きや生活態度は、家庭学校、望の岡分校の先生方の並々ならぬご苦労があっての結果であるということは言うまでもありません。家庭学校での生活を体験させていただいて、私も児童指導と自然の中での生活の困難さの一端を実感することが出来ました。
家庭学校での生活は、まさに生活自体によって自分が陶冶されている感覚でした。こうした経験を胸に、今後私がどこにいるか定かではありませんが、どこにいても家庭学校の生活を懐かしく思い出し、子どもたちの無事を祈っていると思います。