ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
故人を偲ぶ
思うこと
望の岡分校に赴任して
〈児童の声〉楽しかった相撲大会
校長 軽部晴文
児童相談所が施設に措置する際、措置期間中の目標が短期の目標と中・長期の目標として示されることになっています。私たちにはその目標を支援の指針として、生徒との生活をスタートさせることになります。
入所三ヶ月を経過した時、その間の生活状況を「児童自立支援計画票」に記載して児童相談所に提出します。同じ事を五月と十一月に全ての生徒の生活状況の報告を行うことになります。
児童相談所への報告の元となる生活状況の評価を、私達は年に三度、学期の終わりに行ないます。成績査定会議と称し、全ての生徒の成績評価を行ないます。
会議では、一日の生活を寮生活・学習・作業の三つの分野に分け、各担当者が生徒一人一人の評価を成績票にまとめたものが提出され、それを元に成績査定会議の場で職員の合議で策定されます。
寮生活の評価は、「基本的生活習慣」「責任感」「情緒の安定」など十三項目にわたり五段階で評価されます。
学習の評価は、併設されている遠軽町立望の岡分校から学習状況についての情報提供をもらい、それに寮での自習状況を加味したものを家庭学校としての学習面の評価となります。
作業の評価は、週に三日行っている作業班学習中の様子を「作業指示への理解度」や、「他者との協力」など五項目にわたり評価されます。
七月末、本年度第一学期の成績査定会議を開催して、第一学期間の生徒の生活状況について協議を行いました。
私が寮担当として少年達に関わっていた頃のことですが、家庭学校で暮らすことになった生徒について、折角地元を離れ自分を見つめ直す機会が与えられたのだから、ここで焦らず、じっくり、ゆっくり成長出来ればいいじゃないかと思っており、実際生徒にもその様に声掛けを行なっていました、しかし実際には生活にかまけて、そのじっくりゆっくりとした成長を見落とす事が多かったと今になって思い、当時の生徒には申し訳なかったと思うばかりです。その為生徒の生活評価も、成長部分より成長しきれない部分に、改善されない部分にどうしても目が行ってしまっていた様に思います「入校当時に比べると良くなったが、まだまだ不十分である」などの評価が多かった様に覚えています。入校当時に比べて良くなった部分を認めていながら、評価としては「まだまだ」と好評価に繋げていなかったように覚えています。
入校当時の姿を基準とすると現在の生活状況には成長を感じていながらも、どうしても欲が出てしまうのです「ここまで出来るようになったのだから、もっと出来るだろう」となり、もっと出来ると思う期待が高じて、今の状況を高評価とすることに気が進まなかったと言うのが正直な気持ちだったのです。じっくりと成長していいと生徒に伝えながらも、実際はそのじっくりとした成長を評価してあげられなかった、その程度の評価しか出来なかったのです。
家庭学校で暮らす生徒の生活を丸ごと評価したい。ゆっくりと成長している姿をしっかりと評価したい、今はその事を肝に銘じたいと思っています。
家ではテレビゲームに夢中になり、家事の手伝いなどした事のない生徒が、今では額に汗して畑の雑草抜きに取り組んでいます、家庭学校での生活をしっかりと受け入れている生徒の姿を何とか評価してやりたいと思います、それはもう立派な成長として評価したいと思うのです。
家庭での養育環境や学習への躓きが原因で、どうしても自信を持てない生徒がいます、この学期間でエンジン付き草刈機の操作を覚える事ができた事で自信に繋がっています。毎朝牛舎まで牛乳缶を取りに行く往復の時間が同じペースで出来ることになった生徒もいます。そういう一人一人の日常生活を成長として評価してあげたいと思います。
一方で生活に迷いを感じている生徒もいます、自身が迷っている事を感じられないでいる生徒もいます。迷いがどこから生じているのか、なぜ感じ取ることが出来ないでいるのか。寮担当者は何度も生徒との話し合いの時間を設けます、自身の課題を指摘され、正面から向き合うことを求められます、その事を受け入れた事も成長です。
生徒の成績を評価することは、私たち自身の日頃の関わりを振り返ることに繋がると思うのです。この度の会議に提出された資料には、「表情が豊かになった」「気持ちを落ち着かせる対処法を考えるようになった」「不器用ながら努力する姿は他児も評価」「どうしたらもっと良くできるか考えながら作業している」そういったコメントが見受けられた事を嬉しく思いました。私たちはその様な小さな変化を見逃したくないと思います。生徒自身の努力を見逃さない、成長しようとする姿を支える私たち自身の姿勢が問われるのだと思います。
生徒の成績を評価することは、私たち自身の評価でもあると思うのです。点数だけでは表せない生徒達の成長を見落としてはならない、丁寧に見守る目を持ち続ける。私たちの仕事の一端として、心しなければならない事と思っています。
掬泉寮寮母 藤原美香
毎年八月一日は家庭学校では、亡くなった理事の方々、先輩職員、生徒を偲ぶ慰霊祭が執り行われます。私は入職してから今まで、慰霊祭の祭壇に置く物故者名簿の名前を書かせていただいております。毎年、前年の慰霊祭後に亡くなられた方の名前を書きますが、今年はとても気持ちが重く、筆が思うように動きませんでした。なぜなら、私たちの寮生であった子が今年亡くなってしまったからでした。
保護者の方からその連絡をもらった時はどこか真実味がなく、何を言われているのか分からずにいました。しかし、何度か連絡をいただき、亡くなったことが事実であることを受け入れずにはいられませんでした。北海道はとても広く、すぐに駆け付けられる距離ではありませんが、すぐにでも近くに行ってご家族の側にいてあげたい、という気持ちがありました。なぜなら、行事がある度にご家族で家庭学校に足を運び、本人の成長を喜んだり、退所した後も本児の頑張りを報告してくれたり、高校入学の際には、わざわざ遠回りをして私たちに進学に伴う引っ越しで顔を見せに来てくれていました。また、お母様とは私が話しをすることが多く、お父様とは寮長が話しをすることが多いなど、その子の成長や特性のことについて話をしたり、本人の成長に必要な課題について共通認識を持っているという意識がありました。
特に、高校進学に伴う引っ越しで寮に顔を出してくれた時には、外の畑を懐かしそうに回ったり、私が夕食作りをする中、食堂のソファーに座って話しをしたりと、まるで寮生だった時のような時間を過ごして帰っていったのが印象に残っており、それが彼と過ごした最後の瞬間でもありました。いつかは自分たちが受け持っていた子の訃報を聞くことがあると覚悟はしていたものの、こんなにも早く、まだ年若き少年が亡くなってしまうという知らせは突然過ぎて受け入れがたいものでした。
葬儀には間に合いませんでしたが、後日ご家族のご厚意に甘えて私たちの休みの日に合わせてご自宅まで弔問させていただきました。遺影の彼は寮にいた時そのままの少し照れたような顔でそこにいました。言葉が出ず、寮長も私も沈黙の時間でしたがご家族の温かさに触れ、彼の最近の様子や寮での姿をたくさんお話させてもらい、時に大人四人が泣き、笑い、彼を偲んだ時間でした。ご自宅を後にする直前、彼の居室を見せてくれ、またそこに私が彼の苗字を書き、寮長が彫り方を教えて作った表札が飾られていました。両親が自宅につけたい、と言っても彼が「大事なものだから」と引っ越し先の部屋に持って行って飾っており、今回持ち帰って居室に飾ることにしたという話しを聞き、また涙があふれてしまいました。
はたして彼は自分の人生を振り返った時にどんな気持ちでいるのだろうか、と考えることがあります。家庭学校に来て、学校行事に参加できるようになったこと、畑づくりや体を動かすことが苦ではなく、むしろ楽しみながら生活していたこと、自由さがないなかで不満が沢山あったこと、様々な思いがあったであろう家庭学校での生活が、少しでも彼の人生に彩りを与えてくれていたのであれば嬉しいな、と思いつつ物故者名簿に名を入れされていただきました。思いが溢れてしまい、雑念だらけの字になっていまいましたが気持ちがこれまでになく入っています。
家庭学校では一つとして同じ時間はありません。行事一つをとっても、そこで過ごす生徒、職員、教員は必ず変わっています。その時、その時の時間を大切にしながら生活をしていくことを日々の忙しさを理由にせずに過ごしていけるように心がけたいと思います。また、留岡幸助校祖を筆頭に諸先輩方の働きがあり、今私たちが家庭学校で過ごせていること、様々な境遇を抱えた生徒、家族と私たちを巡り合わせてくれていることなど様々な思いを胸に八月一日の慰霊祭の日を迎えようと思います。
給食棟職員 中津川静香
今年の四月から職員となりました。よろしくお願い致します。家庭学校職員の一員となって早くも4ヶ月が過ぎようとしています。最初に給食棟に勤める事になったのは、令和四年の四月でした。最初はパート調理員としてこちらに採用していただき、正直慣れるまでに苦労した事を思い出します。私は料理自体は嫌いではないのですが、大ざっぱな性格からレシピ通りに調理することなどほとんどなく、我流でやってきました。恥ずかしながら年齢の割に料理に関して基礎知識や経験が乏しく、自分に勤まるのかとても不安でした。それでも毎日一緒に働く方々に支えられ、少しずつ理解し調理場の雰囲気に慣れてこられたと思います。 昨年の秋から給食棟の事務関係などを担当することになり、それまでは見えなかった栄養士の仕事や学校や寮でのイベントなどを通し、子ども達と食との密接な関係を、前よりも少し感じる事ができるようになった気がします。
私は児童と直接関わることはほとんどありません。以前は調理や厨房の役割を全うすることに精一杯でしたが、今は厨房から食事をする表情を見たり、配給物を手渡しするときに少しだけ会話を交わす事で、前よりも子ども達を身近に感じる事が出来るようになりました。
子ども達がテーブルに着き、目の前に用意された食事を目にしてどのような気持ちで箸をとるのか、ワクワクするのか、あまり気が進まないか、気が進まなくても口に運んでから軽い気持ちになるか・・・。自分達で世話をし、育てて収穫した野菜がどう変身して更に盛られるのか、それを目にて味わったときどんな感想を抱くのか・・・などなど、発注書や貼出し献立を作成しながら想像して考えるようになりました。
当たり前ですが食事はとても大事です。どんなに気持ちが沈んでも、イライラしていても、美味しい物はやはり美味しい、体はもちろん心にも栄養があると私は思っています。
この自然豊かな家庭学校で、出会った児童達の未来に微力ながら少しでも役に立てるよう努めていきたいと思います。
教諭 幸松寛
本年度より望の岡分校でお世話になっております。生まれ育ちが佐呂間町ということもあり、家庭学校のことは子供の頃から「なんとなく」程度に知っていました。それから様々なご縁がありました。社会人になりたての頃、一般企業に勤めていた時期があるのですが、外回りの営業マンとして家庭学校の先生方のお宅に通わせていただいたことがありました。また、結婚した妻のご両親が家庭学校のお仕事に携われておりました。その後、教職についてからしばらくして、家庭学校に公教育が導入されることを知り、どんな教育課程で、どんな教育を進めていくのだろうと関心を持ちました。学校訪問をさせていただき教育活動の一端を見学させていただいたこともありました。 自身の教員生活のなかでは様々なことがありましたが、五十歳に近づいた頃から「家庭学校」「望の岡分校」で行われている教育活動はどうなんだろうか?自分のイメージしているものとは違うのだろうか?自分の力は通用するのだろうか?子どもたちにとって価値ある教員たり得るのだろうか?という気持ちが強くなっていくのを感じておりました。そして、実際に試してみたい、挑戦してみたいという思いがくすぶっていました。前任校を転出する際、次の学校についてどこか希望があるか問われましたので、可能であれば望の岡分校でお世話になりたい旨を伝えました。その希望が叶い、お仕事をさせていただいているのでした。
今年でどうやら五十七歳になるらしいです。もう自分の歳について、実感はなくなってしまいました。いつまで経っても新人と中堅の間くらいの感覚でお仕事をしております。ちゃんとした大人にはなれそうにもありません。ですが、教職生活の終わりが近づいている今、分校教員として家庭学校の教育に携われていることは本当に幸せなことだと思っています。
様々な事情があって、家庭学校で生活しているお子さん方。部外者である私にはその大変さや辛さなどは、しょせん想像しかできません。だからこそ、様々な家庭環境や養育歴は心に留めつつも、目の前のお子さんを可能な限りありのままに見取り、そのやる気をちょっとだけ後押ししてあげられるような授業を心掛けています。家庭学校では様々な教育活動が展開されておりますので、私は「まずは授業から」の気持ちでお子さんたちと向き合いたいなと思っております。ありがたいことに、みなさん最初はあまり気乗りしていないようでも、すぐに前向きに取り組んでくれます。みなさん「よりよいかたち」「よりよい姿」を求めてくれているんだなというのを強く感じますし、その欲求は今までの学校の児童・生徒さんよりも強いように感じています。それぞれに悩みはあれど、「今よりもよい自分」を望んでくれているんだろうな…といつも感心し、刺激をもらっております。
「まずは授業から」と考えてはいますものの、作業班学習や多様な行事などで、どのようなスタンス、方向性で取り組んでいくべきかについてはまだまだ手探りであります。お子さん方の成長に貢献できるかかわり方を、早く見つけていきたいなと思っております。
私自身、悩むことや行き詰ることもあるでしょうが、頑張っているお子さん方や家庭学校ならびに望の岡分校の諸先生方に追いつけるよう精一杯取り組んでいきたいと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。
掬泉寮 中二S
六月二十八日に相撲大会を行いました。土俵などがしっかり整備されており、かなり本格的に相撲ができました。体育館での相撲の練習では、先生に動画を見せてもらい、相撲での基本の事、危なくて注意しなければならない事、強い技などを教えてもらってから、押し、寄り、投げを練習していきました。本番では、重量級の部、軽量級の部、小学生の部の三つの部に分けて試合を行い、最後には寮対抗の相撲で、各寮の大将、副将、三将同士が戦いました。重量級では五十三㎏以上、軽量級は五十三㎏未満で、僕は軽量級の部で試合を行いました。土俵に上がる時は塩を土俵に投げてから試合を始めました。最初はものすごく緊張して、土俵に上がるともっと緊張しました。一回目戦った時は、ものすごく緊張しながらも勝つ事ができました。そして、二回目も三回目も勝つ事ができて、どんどん慣れていって、そのうち緊張しなくなっていきました。けっきょく、六回戦して全部勝つ事が出来ました。重心を低くして相手を押しまくったら、全部勝つ事ができて、一位になって金メダルをもらう事ができました。ものすごくうれしかったです。
寮対抗の相撲では、僕は掬泉寮で、楽山寮との対戦では、副将として対戦しました。結果は負けてしまいました。
石上館との対戦では、大将として対戦しました。相手の大将は、重量級で一位になっている人なので、対戦する時ものすごく緊張しましたが、なんとか勝つ事が出来ました。がんばって押しまくりました。総合優勝は楽山寮でした。結果的には、負けてしまいましたが、強い人に勝つ事が出来たり、軽量級の部で一位になれたりなど、個人的には良い成績を残す事ができたので、よかったし、とても楽しくできて、よい経験になりました。
この相撲大会で経験した、強い人にでもあきらめずにがんばって挑んでみる事は、ふだんなかなかする事がないので、経験できてよかったです。