ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
今までを振り返って
或る日の礼拝から
〈児童の声〉
校長 清澤満
今日、七月二一日は釣り遠足の日。子ども達は借り上げたバスに乗ってたった今出発しました。例年遠軽町内を流れる湧別川で行ってきましたが、今年は稲田支援員の発案で北見市留(る)辺(べ)蘂(しべ)まで出向いて無(む)加(か)川(がわ)での釣りを楽しむことにしました。ニジマスやアメマス、イワナなどが釣れるようです。大物が釣れて現地が盛り上がっていることを楽しみに、私は少し遅れて留辺蘂に向かいます。
北海道は今年も暑い日が続き、昨日までの五日間連続で最高気温が三五度以上となる猛暑日を観測したようです。今日も日差しの強さが少し心配です。
家庭学校には一年を通じてたくさんの行事や催し物があります。今日の釣り遠足の他にも潮干狩りや相撲大会、園遊会や木彫展、雪像展等々家庭学校ならではの特色ある行事を子ども達は幾つも体験します。毎月の平和山登山や子ども達が企画する誕生会、緊張の面持ちで発表する朗読会や日曜毎の礼拝もあります。
こうした行事などに加えて、朝夕の寮作業や週三日間学校日課の中で行う作業班学習などで額に汗することを通じて自分を変え、成長していくための経験値を少しずつ高めていくのです。
勉強についても同様です。子ども達の多くは勉強嫌いになっていたり、中には長期間にわたって不登校状態だった子どももいます。望の岡分校では、そうした子ども達個々の状況や発達特性に応じたきめ細やかな教育活動により学習意欲を引き出してくれますので、毎月の朗読会では「勉強が好きになった」、「授業が楽しくなってきた」と発表する子どもが徐々に増えていきます。
七月月初、望の岡分校の参観日がありました。私はこれまで授業の様子を廊下の窓越しに見ることはありましたが、教室に入ってゆっくりと参観したことが殆どありませんでした。そんなこともあって今回の参観日では小学五年生から中卒生クラスまでの、数えてみると十六の授業を見させていただきました。
参観して感じたのは、子ども達が皆興味津々として楽しそうであり、授業を受けているというより参加しているという印象が強かったことです。ユニークな話術で子どもを引き付ける先生、興味を引く教材で子どもの心を一瞬にして掴んでしまう先生、考える時間をタイミング良く与える先生、そしてとにかく褒め上手な先生達。それ故一層子ども達は自分の変化や成長を実感できるのでしょう。
私自身も思わず聴き入ってしまった授業がありました。その一つ、国語で取り上げられていた石垣りんの詩。子ども達は、広島に原爆が落とされたという事実をこの詩からどのように受け止めたでしょうか。あの日の広島の朝に身を置いて、そのことを考えてみることができたでしょうか。ずしりと重いものを感じました。
少子高齢社会を考える授業。国が出生率の低下を我が国の問題として認識することとなった「一.五七ショック」という言葉をご存知でしょうか。平成元年の合計特殊出生率が、丙(ひのえ)午(うま)という特別な要因があって過去最低だった昭和四十一年の合計特殊出生率一.五八を下回り、一.五七になったという衝撃を指して使われた言葉です。当時私は少子化対策を担当する部署にいて「子どもを産み育てやすい環境づくり」をキーワードとした様々な啓発事業を行っていましたが、平成を迎えて間もない頃のこの衝撃に対して社会全体の意識はまだまだ低いものでした。少子化が高齢化と共に日本の人口問題の定番として教科書に取り入れられ、今、子ども達がこの問題と真剣に向き合っている姿をみると、義務教育の段階から関心を持ってもらうことの大切さを強く感じました。
子ども達はこのように日々の学習で知恵を得、豊かな感性が育まれていくのでしょう。
私は朗読会で発表してくれた子ども達に対する講評の最後を「応援しています。発表ありがとう」と終わります。児童自立支援施設には、様々な理由により生活指導等を要する子ども達が入所してきます。そうした子どもが三か月の新入生期間を終えて発表する朗読会ですので、これまでの自分を振り返って、これからの目標や将来の夢を語る子どもに、「頑張ると決めた君を応援してるよ」という気持ちを伝えたいからです。
今年になってフレッシュなメンバーが家庭学校の応援団に加わってくれました。まだ数か月しか経っていませんが皆職場の雰囲気に溶け込んで意欲的に動いてくれています。新しい職員には本校の歴史と伝統を理解し大切にして欲しいと願うと同時に、そのことに囚われ過ぎずに工夫を凝らした方法で子どもの育ちを「応援」して欲しいと願っています。
さて、無加川の釣り場に到着すると、あまり芳しくないのか、子ども達の反応は今一つです。それでも昼食の豚汁で空腹が満たされた午後の部では少し挽回し、釣果はまずまずだったようです。
今年は子ども達に初めて釣り講習を行いました。その成果もあってか、大きなニジマスを釣り上げ喜ぶ子どもがいました。小さな事かもしれませんが、釣りの楽しさを感じてもらおうと実施した釣り講習も職員の工夫の一つでした。
(七月二一日)
「応援」と言えば、東京五輪。新型コロナの影響で無観客を基本とした大会になったので、私達はテレビの前での応援となりましたが、選手には持てる力を存分に発揮して欲しいと願っています。
開催直前になっても様々な問題を抱えていた今回の東京五輪でしたが、家庭学校にとって大変嬉しい出来事がありました。
それは、二三日に国立競技場で行われた開会式でのことです。アトラクションで登場した五輪マークの木製オブジェは、実は本校にある展示林で育った木を使用した物だったのです。テレビの放映では、一九六四年の東京五輪の際に各国選手団が持ち寄った種から育てた木が使われていると説明されましたが、何処で育った木なのかについては触れられませんでした。しかしその後、新聞などの報道各社が、北海道家庭学校の展示林で育った木が巨大な木製オブジェの材料として使われたと報じましたので、ご存知の方もおられるかと思います。
前回東京五輪ゆかりの木がなぜ家庭学校で育てられることになったのか、また、五〇年以上も前に植樹された木が五輪ゆかりの木であるとなぜ分かったのか。それは、昭和四三年六月一日発行のひとむれ第三〇五号にそのことが記録されていたことが決め手でした。
当時の家庭学校には既に比較栽培などを目的とした展示林があり、校内の博物館には林木の見本が標本されているなど、北海道庁から造林への関心の高さが評価されたこと、そして、昭和四三年五月一日に家庭学校の職員が北海道林業試験場に赴き、東京オリンピックの際に各国が持ち寄った種子から育った樹種十種類を受け取ってそれを展示林に移植したことが記されていたのです。
因みに、各国が持ち寄った種子は当時全国の林業試験場などに配付されましたが、オリンピックにゆかりがあると確認できる樹木は本校展示林と代々木公園の樹木見本園などごく僅かのようです。
こうして、五〇年以上もの間、家庭学校の子ども達と職員の手で枝打ちや下草刈りをしながらオリンピックゆかりの展示林として大切に育てられてきたのです。本校で育った木がこの度の東京2020五輪の大舞台で前回大会からのレガシーとして活用されたことを大変嬉しく、また光栄に思います。
展示林についてはこれまでも日本オリンピックミュージアムの建築資材の一部として使用されたり、そのミュージアムのウエルカムボードに飾る五輪オブジェ(展示林木使用)の製作イベントに本校の子ども達も参加させていただいたりしました。こうした取組は遠軽町主宰の「1964東京オリンピック遠軽町展示林活用検討会議」の立ち上げが契機となって進められてきたものであり、遠軽町をはじめ関係の皆様のご支援、ご協力に心から感謝申し上げます。
北海道家庭学校は、多くの皆様からの「応援」に支えられています。
(七月三一日)
この喜びを展示林づくりに尽力された故加藤正志先生に捧げます。
(八月一日、墓参にて)
児童生活指導員 小長谷健太郎
初めに採用して頂いた事、こうして皆様と一緒に働けるようになった事感謝しております。六月一日から酪農志願で入職し勤務しています。まだ一ヵ月半しか経っていませんが既に幾つか感心を受け家庭学校に来られて良かったと思っております。
入職前に面接で行き来している時から子ども達が大きな声でしっかり目を見て「こんにちは」と挨拶してくれました。しっかりしてるなと驚きました。子ども達も立派ですがそこには先生方の指導成果があるのだと思い、よく躾けられていると感動しました。
今も会ったら大きな声で挨拶を交わしとても気持ちが良いです。
入職して間もなく運動会の準備、総練習があり参加させてもらいました。これも素晴らしい経験でありまして本番まで思いふけることがありました。僕が子供の時の運動会を思い重ねていました。あの時の先生方も流れを打ち合わせては生徒に気を使って準備してくれてたんだなって教えられた気持ちになりました。当日には保護者の方も見に来てくれてました。その中で涙を流して見てるお母さんも居ました。子ども達の一生懸命に僕も目頭が熱くなりました。自分の親もどんな気持ちで見ていたのか本当に考えさせられるものです。
他にも色々な行事に参加して思いましたが自分の小さかった頃の時と重ね合わせたりすることが多く親の有難みもグッと湧き出てくるような経験をさせてもらってます。面倒見てくれた周囲の大人がたくさん居たんだなって感謝の気持ちになりました。来てまだ少ししか経っていないのに逆に教わっているようで心が洗われている気がしてなりません。
ここに入職する前からずっと思っていたのですが自分のためでなく世のため人のために働く人って偉いなと思っています。
家庭学校の先生方はずっと若いうちから覚悟を決めて働いている熱い志の人だと思っています。そんな皆様を尊敬しています。一緒に働ける事が出来て嬉しく思っています。まだまだ駆け出しの僕は除き皆様は子ども達の未来が掛かった重役の立場の人達だと思います。全国・世界からその指導に期待の目を向けられている事と思います。僕もこの世から期待されるように先生方を見習って日々精進していきます。子ども達のために僕も皆様と同じく、向かっていく気持ちは一緒だと思っています。
僕はここに来る前に弁当屋を営んでいました。お店は身内に任せてありますが同時に協力雇用主でもあります。現在も僕が中心になって活動しています。これは旭川保護観察所から少年院や刑務所から出所してきた人の雇用を依頼されるというものです。
凶悪犯罪者が大半ですが拒まず受け入れ更生の手助けをして自立してもらえるよう活動しています。しかしながら、すべてが上手く行く訳でもなく難しいです。一度自立していった人が再犯して逮捕されてしまいました。しかし見捨てる事はせず面会に行き弁護士と打合せをし情状証人の話をし前向きに進めていってます。再犯をさせてしまったのは自分の無力さだと感じ絶望感に苛まされてましたが、この一ヵ月半で子ども達や先生方との関わりで元気をもらい暗い気持ちが吹っ飛んだ様です。
また、牛の出産にも立ち会えて命の温かさを身にしみて感じる経験もできてだいぶ癒やされました。蒦本ご夫妻には毎日の御指導ありがとうございます。職務に酔い痴れず常に自己満足でやっていないかよく考えて気をつけて行動していきます。皆様もお身体だけは大事にしていつも元気でいて下さい。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
児童生活支援員 清水律子
投打の活躍と共に、その人柄も注目される野球の大谷翔平選手は、グランドのゴミを拾うことでも有名です。6月27日の礼拝では、ゴミを拾う事を例に「小さな事に忠実であること」と、それを支える考え方「せめて」について、話をさせて頂きました。
◇ ◇ ◇
もし、目の前にゴミが落ちていたら、あなたはどうしますか?
拾いますか? それとも、通り過ぎますか?
ゴミを拾わない人には、それぞれ事情があって、一概に「悪い!」と責めるわけにはいきません。例えば「どうしても手を汚すわけにはいかない状況だ」とか、「今は時間がないので、後でやる」とか・・・。
ただ、拾わない人にありがちなのが、「どうせ何々だから」という考え方です。「1つ2つ拾ってもどうせ、変わらない」とか「どうせ、また誰か捨てる」とか・・・。あきらめというか、投げやりというか、私たちが囚われがちな考え方でしょう。
「どうせ」の反対は、「せめて」です。「せめて1つだけでもゴミを拾おう」「せめて私だけでも、拾おう!」 それは、ほんの小さな行動ですが、確実にゴミ1個分、その場がきれいになるのです。「せめて私くらいは」、「せめて1つだけでも」・・・と、ささやかでも良い行動を選んでいきたいと思います。
今日の聖書の言葉です。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。(ルカによる福音書16:10)
「忠実である」とは、「手を抜かない」とか、「一生懸命やる・最後までやり抜く」などと同じ意味です。聖書には、この「小さい事」とか「小さき者(人)」とか、よく出てきます。小さいことに価値を置いている、小さいことが大事なのです。
皆さんの家庭学校での生活は、楽しいことばかりではないでしょう。我慢しなければならない事もたくさんあるでしょう。「家庭学校へは来たくて来たんじゃない」なんて言葉もよく聞きます。まぁ、皆さんそうでしょう。来たくて来るのは、職員だけです。ただ、来たかった人も、そうじゃなかった人もみんな、神さまが招いて下さって、いま、共に暮らしているのです。
そして、せっかく来たんだから、せっかく招かれたのですから、この家庭学校の生活を通して成長して行きたいと願っています。皆さんだけでなく、私たち大人だって、成長出来ると信じています。
小さな事でも、良い方を選び取り、そのことに忠実であること。「せめて私だけでも〇〇しよう・・・」という考え方が、その助けになれば・・・と願っています。
◇ ◇ ◇
礼拝の最後に、「過ぎた1週間のお守りを感謝します。新しい1週間を歩む力を与えて下さい。家庭学校の生活を通して、私たちを成長させて下さい。良い行いをする力を与えて下さい。協力し合い、共に生きる喜びを教えて下さい。」と、祈りました。
そして数日後、近所のスーパーの駐車場で、私の足元に小さなゴミが・・・。その時、礼拝堂で、私の拙い話を顔を上げ、姿勢を正して聴いてくれた子ども達の姿が思い出され、私はゴミを拾いました。普段なら、絶対しないのに・・・。子ども達のおかげで、還暦目前の私は小さなゴミ1ヶ分成長出来たように感じました。やはり、祈りは聞かれるのでした。
石上館 中一 S
これから、相撲大会で改めて考えさせられた事、思った事について、話をして行きたいと思います。
まず最初に改めて考えさせられた事は、力加減です。僕が、家庭学校に入所してすぐの頃は、サッカーのプレーがあらかったり、あまり、力加減を知りませんでした。ですが、時間が経つにつれて、少しずつ考えられるようになりました。たとえば、僕より学年の下の子に本気で勝負をしたら相手の子は、どうなってしまうだろうと、考えられるようになったので相撲大会でも力加減を意識して試合に取り組めました。これからは、どんなスポーツも、力加減を意識して取り組みたいです。
次に、相撲大会で思った事は、昨年に比べて、けがが、多かったんですが楽しかった事です。昨年の相撲大会は、無傷で全試合に勝ちました。勝てた事はうれしかったです。でも、他のみんなは、傷を負いながらやっていました。僕だけ無傷で少し自分の中では、楽しくない気持ちがありました。しかし今年は、けがをしたんですが、心のどこかで、良かったような、悪かったような気持ちが少しありました。僕は、あまり相撲は、好きな方ではないんですが、今でもけがをしてでも、試合をして良かったなと思っています。
最後に、相撲大会で学んだ事をこれからの生活に活かしていきたいです。