ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校での食事と生活
与えられた新たな道
小学生社会科見学の引率をして
人生で一番長かった三カ月半
北海道家庭学校の研修を終えて
校長 仁原正幹
月に一度、日曜礼拝の中で実施してきた「朗読会」を平日午後の時間帯に移したことから、その代わりに月に一度の日曜礼拝の折に「校長講話」を行うことにしました。普段子ども達には、毎朝の朝礼の中で短く語りかけていますし、各種行事や始業式・終業式など、ことある毎に話をしていますが、一つのテーマを掘り下げて、少しまとまった形で話をしてみたいと思ったこともあります。
ただ、そうはいっても、なかなか集中力が持続しない子ども達です。話の内容が複雑だったり、抽象的だったりして、ちょっとでも難しいと感じると、途端に興味を失います。何とか皆の注目を集め、一つでも心に残るものにしたいとの思いから、まずは第一回目として、家庭学校内の風景や建物などを撮影した写真をスライドで見せながら、名称や言葉に込められた意味などを語って聞かせることにしました。その一端をご紹介します。
タイトルは『北海道家庭学校に伝わる尊い教え』としました。クイズ形式も取り入れたので、小学生を中心によく手が挙がりました。いつも目にしている本館前庭の「校祖留岡幸助の胸像」や掬泉寮前の「生命(いのち)の泉」の写真を見せると、皆すぐに反応がありました。
次に、自分たちが生活している三つの一般寮の写真を見せたところ、当然ながらすぐにわかりましたが、名前の由来について尋ねると、首を傾げるばかりだったので、私なりの解釈を説明しました。
まずは、「掬泉寮」です。「掬」という字は教科書に出てこないので、子ども達にとっては馴染みのない漢字です。校祖留岡幸助が「生命の泉」を発見し、その泉の水を飲み水やお風呂の水、畑の水などに活用できたお陰で家庭学校の生活が成り立ち、開拓が進んだということで、大変大事な泉であることを話しました。「掬泉」とは「泉の水を掬う」という意味で、「生命の泉」を見つけた喜びと感謝の気持ちを表すために「生命の泉」のすぐ前に建つ寮の名称を「掬泉寮」としたのではないかと説明しました。
二つ目の「石上館」については、ゲストハウスの「樹下庵」とセットで考えて、禅語の「樹下石上(じゆかせきじよう)」という言葉からとって命名したのではないかということを話しました。「樹下石上」とは出家行脚(しゆつけあんぎや)する者の境地のたとえで、仏道を修行する者が宿とする道端の樹の下や石の上を表し、樹の下であろうが、石の上であろうが、今居るところ、即ちどこに居てもそこが座禅道場なのだということを意味しており、生徒諸君にとっては今居る家庭学校が修行の場なんだよということを、幸助先生は伝えたかったのではないかと、これも私なりの解釈を伝えました。
三つ目「楽山寮」の名前の由来については、論語の「知者楽水(ちしやらくすい)・仁者楽山(じんしやらくさん)」という句を紹介しました。前段の「知者楽水」とは、知恵のある賢い人は、水が流れるように才知を働かせ、滞ることがないから、水を好んで楽しむものであるということを意味し、後段の「仁者楽山」とは、人徳の備わった人は、欲に動かされず、心が穏やかでゆったりとしているので、自ずから安定したどっしりとした山を愛するものであるということを意味している。「楽山寮」の人に心穏やかでゆったりとして、安定した生活をしてほしいという願いを込めて、幸助先生が命名したのではないか…という解釈を披露しました。
次に、礼拝堂の正面に掲げられている「難有」の額について触れました。スクリーンにも「難有」の写真を映し出しましたが、子ども達はその上を見上げればそこに本物の「難有」の額があります。横書きで右から左に「難有」と書かれており、右から読むと「なんあり」、左から読むと「ありがたし」となります。校祖留岡幸助が好んだ言葉だそうで、私なりの解釈としては、「人は困難なことにぶつかってそれを乗り越える度に成長していくものだ。だから、困難なことにぶつかることは大変なことだろうが、実は有り難いことなのだ。皆も家庭学校に来るまでにはいろいろと困難なことにぶつかって、辛いことや苦しいことがあったと思う。でも、それは逆に成長のチャンスなので、有り難いことだと思って、家庭学校でそれを乗り越えていこう!」と語りかけました。
他にもいろいろ話しましたが、もう一つだけご紹介します。最初に写真を見せた「校祖留岡幸助の胸像」についてです。台座には「一路到白頭」と刻まれています。若き日の留岡幸助が単身渡米して学んだニューヨーク州のエルマイラ感化監獄の典獄ブロックウェイが座右の銘としていた「This one thing I do.」を翻訳した言葉です。「一つの道(仕事)を、一心不乱に頑張って努力を続けてきたら、大きな成果が得られた。素晴らしい仕事が成し遂げられた。ふと気がついたら、自分の頭が真っ白になっていた。白髪のおじいさんになっていた。大きな成果が得られるまでには、それぐらい長い時間と努力が必要だ。逆に一つの目標に向かって長い間努力を続けたら、白髪になる頃にはきっと素晴らしい成果が得られる。」そういうことを幸助先生は伝えたかったのではないか…と、私なりの解釈を話し、「君達の場合はこれから先七十年も八十年もの長い人生があります。大きな未来があります。これからの人生、時々「一路到白頭」を思い出して、努力を続けてほしい。家庭学校を退所した後も一つの目標に向かって努力を続ければ、白髪になる頃にはきっと素晴らしい成果が得られます。」と締め括りました。
楽山寮・寮母 千葉 珠季
寮での食事は、寮母が調理し、寮長が生徒と一緒に食べるという、一般の家庭でみられる食卓の姿があります。こういった当たり前と思われる日々の営みが、家庭学校に入所してくる子ども達にとって必要な経験であり、大切にすべきであることを日々感じています。
生徒は毎日勉強や作業で忙しく過ごしています。そんな彼らの姿を日々近くで見ているからこそ、食事の時間を楽しい時間として過ごして欲しいと願います。作り手として、より美味しく、できるだけ出来たての温かい状態で料理を提供できるよう心がけています。
家庭学校は豊かな自然に囲まれており、春は職員と子ども達で広大な敷地内の山へ行き、たくさんの山菜を収穫してきます。特に採れたての山菜の天ぷらは大人気です。夏は畑でたくさんの野菜を作っており、毎日のように様々な種類の野菜が収穫され、採れたてのトマトやきゅうりを丸かじりしたり、大量のトマトでトマトジュースを作ったりと、新鮮な野菜を味わうことができます。中には山菜や野菜が苦手な子もいますので、様々な調理法で野菜を提供できないかと先輩職員の方に教えていただいたり、調べたりして、バリエーションを増やしていけるよう心がけています。山菜や野菜など、初めのころ苦手だと言っていた子も、自分たちの手で育てた野菜、自分たちが採ってきた山菜となるといつのまにか嬉しそうに食べています。「ここで食べるようになって好きになりました」と言う子もいます。このように感じるのは、ただ単に味のことではなくて、自分たちで一から野菜を育て、収穫し、それを炊事場で調理する人がいて、その過程を共有したみんなで食卓を囲んで食べるからこそ知るものだと感じています。「いただきます」、「ごちそうさま」のあいさつや、作ってくれた人に対する感謝の気持ち、譲り合う思いやりの気持ち、食事を通して学ぶことはたくさんあることを、改めて私も家庭学校での生活の中で学びました。
毎日当番制で牛舎に絞りたての牛乳をとりに行き、一度沸かして冷やした新鮮な牛乳をここでは毎日飲んでいます。毎月一回は手作りパンの日があり、菓子パンや総菜パン、肉まんやピザなどを一日がかりで生地から手作りします。冬はみんなで温かい鍋を囲み、談笑しながら食べる風景はとても微笑ましいものです。
まともな食事が用意されずにインスタント食品やお菓子でお腹を満たしていたり、家族団欒での食事を経験したことがない子どもも少なくありません。家庭学校での日々の暮らしを通して、本来の家庭の在り方が子どもたちの未来に繋がっていくことを願っています。
向陽寮・寮長 清水真人
「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(聖書)
世の中は不思議な事が多いものです。その一つ一つは偶然のようですが、クリスチャンである私は、全ては神様が用意して下さったもののように感じます。この家庭学校に来たことも神様の計らいと思っています。
「不思議①」私は三十一年前、隣町佐呂間に来ました。遠軽にキリスト教に基づき、大自然に囲まれた、明治からの歴史を持つ家庭学校は気になる存在でした。礼拝堂の写真を見るたびに、いずれは何かの形で係わりたいと言う漠然とした思いを持ち始めました。何故そのような思いが強くなったのか分かりません。
「不思議②」佐呂間には、私が通う小さなログハウスのキリスト教会があります。その教会に、熱田理事が日曜日ごと夕礼拝に出席され、熱田理事の話を聞くうちに、私の中に家庭学校の存在が、更に大きくなってきました。熱田理事が佐呂間教会に来られた事も偶然でしょうか。
「不思議③」昨年五十五歳になり、定年後の事を考える時期を迎えました。出来れば家庭学校の一員になって、少しでも神様のお役に立てればという思いが強くなり始め、家庭学校に伺ったり、熱田理事に相談したりしていたところ、思いがけず働くことは可能とのお返事をいただきました。私は、今が神様が導いてくださった時と信じ、早期退職しここにお世話になることにしました。これも偶然とは思えません。
気付いていないだけで、様々な不思議があって、今に至っていると思います。その一つ一つが、神様の計らいと強く思うのです。
「あなたの業(わざ)を主にゆだねれば計らうことは固くたつ」(聖書)
歴史ある家庭学校の一員になり、身の引き締まる思いを感じています。何の知識もなく未熟な私を、快く受け入れて下さった家庭学校の皆さんに感謝します。迷惑ばかり掛けていますが、皆さんに助けられ、支えられて何とか二か月が経過しました。
全て神様にゆだね、与えられた道として、一生懸命頑張ります。どうぞよろしくお願いします。
望の岡分校養護教諭 山田希志子
七月八日、楽しみにしていた社会科見学の日は真っ青な空が広がるよい天気。小学生三名、教員三名を送迎してくれるのは二十四人乗りのバス!広々とした快適なバスの旅になりました。
朝読書の時、「今回は行く直前にもめたりしないで、仲良く行けそうだね!」と笑顔で話をしました。(以前遠足で子ども同士のいざこざがあり、出発が三十分遅れたのでした・・)楽山寮母珠季先生が三人のお弁当や飲み物、おやつを届けてくださり、ワクワク感100%になりました。
さあ、出発だ!と外で待っていると何だか不穏な空気・・。外に二人しか出てきません。ユウキさんが今日の持ち物(しおりに書いてある)を忘れ、それを素直に認められず、寮長先生とお話しているとのこと。一緒に行けるか心配したのですが、何とか五分遅れで全員出発することができました。
最初の見学場所は『木楽館』。沢山の種類の木材があり、加工した作品の販売もしています。家庭学校で切った木を加工したものもあるそうです。ここでは木のペン置き作り体験。みんな集中して真剣に取り組んでいました。
次は丸瀬布にある『昆虫生態館』。みんなカブトムシなどの昆虫が大好きなので、とても楽しみにしていた場所です。「カブトムシとのふれあい体験」はその日やっていなかったのですが、子どもたちの残念そうな顔を見て、係の方が三人に一匹ずつ持たせてくれ、大喜び!色々な種類のカブトムシやクワガタを見ることができ大満足のようでした。
お昼は近くの『いこいの森』へ。おいしいお弁当を食べ、ゴーカートに乗り、大きな滑り台を何度も滑りとても楽しそうな様子でした。(ゴーカートではトモヤさん初めての運転でコースの歩道に乗り上げてしまいましたが同乗者の廣川先生共々無事でした)
最後の見学場所は『郷土館』。遠軽開拓のお話を聞き、昔使っていた道具を見学しました。昔、東京の大学の方たちが家庭学校の平和山で天体観測した手作り望遠鏡も展示されていました。
見学が終わり、郷土館横の遊具で少し遊びました。家庭学校には小学校にあるような遊具がないのでとても楽しそう。いつもより仲良く見えます。普段は中学生以上のお兄さんたちと生活しているので、ついていけなくて大変なこともあると思いますが(お兄さんたちも小学生の相手大変でしょうが・・)こうやって小学生だけで見学旅行などに行くことも大切なことだと思いました。
遠軽町にある施設を見学し、いろいろ見て、学んで、充実した一日になりました。お世話になった皆様、ありがとうございました。
望の岡分校 教諭 小椋 直樹
(中一学級通信『あんだんて』より)
今日で一学期が終了ですが、皆さんにとってこの約三カ月半はどういうものでしたか?
先生にとっては・・・。正直に話します。地獄のような毎日でした。特に始まってから運動会の練習が始まる頃までは、毎日毎日、「今日はどんな問題が起きるんだろう。今日一日、無事に過ごす事ができるんだろうか?」そんな気持ちで朝を迎えていました。実際、先生方は毎日帰る前にその日一日の出来事を報告しあうのですが、その大半の時間は一年生教室で起きたことについての話でした。先生自身、よ~くダウンせずに身体が持ったな~と感心しています。きっと精神的に壊れてしまうだろう。本気でそう思っていました。
でも不思議なことに、皆さんのことを「嫌な子」とか思ったことは一度もありませんでした。これも正直な気持ちです。皆さんが・・・ってもっと正直に話すわ。その色々の問題の99%はリュウヒのことでした。一年生教室の成長物語は、ほぼリュウヒの成長物語でもあるのです。最初から最後まで予定の授業に取り組めるなんて、多分リュウヒ本人も五月のGWの頃には考えられないことだったでしょう。多分雪が残っていたんじゃないかと覚えているけど、リュウヒと二人で他の先生方に怒られるかもしれないからと、こっそり教室を抜け出して、暴れまわりたい気持ちを押さえるためにグランド上の林道を歩いていた頃は「こんなことがいつまで続くんだろう。いつになったらリュウヒはまともに授業を受けられるようになるんだろう。」そんなふうにマイナス思考だったせいもあって、ほんのちょっとの物音にもビクついて「熊?」なんて二人で身体を固くしてました。それが今となっては遠い昔のことのように懐かしい感じになってます。
残り1%のコタロウの話ですが、コタロウもちょっとずつ成長しています。コウタロウの一番の成長は苦手だとか嫌だとか言いながら、運動系の行事にも進んで参加出来ていることが凄いと思います。イヤイヤやっているようには見えなくなりました。本人の言葉の中にもそのことを意識して、積極的に取り組もうとしているのが分かります。
でも二人ともまだまだ直さなければならない部分がたくさんあります。
リュウヒには当たり前の事ができていないことがたくさんです。例えば気を許したり興奮するとすぐに誰かれ構わず「オマエ!」とか言っちゃう。本や物を投げたり粗末に扱う。授業中の集中力ももう少し。すぐにムリとか言わずに、まず頑張ってみて欲しい!!!
コタロウももう少し体力をつけて、作業とか出来ることをもっともっと増やしていこう。それはきっと将来のコタロウを助けてくれることになるでしょう。
二人とも夏休みには無駄に風邪をひいたりしないよう健康に気をつけて、勉強遅れたなって思う人はその分少しでも前に進めるように自分で頑張ってみよう!では二学期まで~!
福島学園副主任 西村壮一
(さる七月七日・八日の二日間、東北・北海道の児童自立支援施設で働く職員の方に家庭学校に集まって頂き、研修会を開催しました。参加された方から感想をお寄せ頂きましたので、ご紹介します。)
○感想
PMより北海道家庭学校での研修。到着後すぐに山林、園芸、校内管理、蔬菜の4班に分かれ作業を行う。作業班は児童の希望は聞くが、生活状況や能力によって決めていくとのこと。また半年に1度見直しを行いそこで変更もあるが、ほとんどの児童は秋にある作業の発表会があるため変更は希望しないとのこと。
当職は校内管理の班に入り、冬の雪で壊れた屋根を修理するための屋根を支える柱の修正を行う。3名の児童で行ったが、どの児童もめりはりがあり、職員に指示を受けると私語などもなく黙々と行い休憩中は和気藹々と楽しく談笑している。その中の1名はまだ入所して1ヶ月も経っていない児童だと聞いて、めりはりのある作業ぶりに非常に驚いた。その他の児童も自分の力以上の力を出そうと懸命に取り組み結果を出している姿には関心させられるものがあった。その後、干し草の梱包の手伝いを行う。作業後の夕食に皆で飲んだ採れ立ての牛乳は生涯忘れることはないと言えるほど旨かった。
帰寮後、次は寮の作業となる。寮の作業は掃除、周辺の環境整備、薪割り、風呂の準備、食事の準備と様々にあるが児童たちは、それぞれの仕事の指示が無くとも、職員がついていなくとも黙々と行っている。薪割りと風呂の準備を児童とともに行い、その際に「なぜ嫌にならず作業をすることができるの」という質問をしてみたところ、「薪を割らなければ風呂に入れない。仕事をしなければ食事もできない」との答え。至極当然だが核心な一言。それぞれ、生活=生きるための活動ということが浸透しており、役割をそれぞれが責任感、義務感が醸成されていた。懇親会でも職員の方に「児童も職員もどうしたら家庭学校のように主体的に作業を行えるようになるのか」という質問をしたところ、「うちは働かなきゃ死んじゃうからね」と苦笑いしていた。一方で「家庭学校にはそれぞれの作業に特化した一流の人材を1人は配置しているつもりでいる。一流の言うことは説得力がある。一流の姿は格好いい。一流の仕事を子供は見て学び、憧れ、姿勢を模倣していく。これが感化するということなんだと思っている」という話しがありなるほどと納得させられた。また遠軽という町は昔から家庭学校とともにという意識が地域の人々にはあるようで、困ったら町の人がなんでも協力してくれるため外部との交流も盛んに行われ、町ぐるみで児童を育てているようなところがある印象であった。
「大地が子どもを癒やす」という言葉が研修中、頭から離れなかった。また「流汗悟道」「有難」という先人方の思いや児童自立支援専門員という仕事を肌で感じ、再考することができる研修となった。先人から脈々と受け継がれたてきた思いや悠久の時を感じながら児童支援に今後も励んでいきたい。
○意見
作業も色々な班を経験したいと思いました。また懇親会があったため夜の子どもの様子を見れなかったことは残念でした。結果、家庭学校さんを体験するには1泊2日では足りないと思いました。(それでも詰め込んでいただき、先生方の歓迎の気持ちに感謝です)