ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
一学期の校内管理班
昨年度末一人だった子ども。今は三人
中学三年生の自画像
校長 仁原正幹
変革の四点目としては、「反省日課」を「特別日課」に変えたことがあります。呼称変更に併せて内容や実施方法も見直しました。
前年度までの『朗読会』作文の中に「○○をして反省(日課)になってしまいました」というフレーズがよく登場していたので、「反省日課」という言葉をご存じの方もおられると思います。○○の部分には、無断外出や暴力行為などの問題行動が入ります。例えば無断外出をした場合、担当寮長から最長七日間の「反省日課」が課されます。この間は個室で独り静かに過ごし、反省文を書いたりしながら自らを深く省みることになります。他の子ども達との交流は禁じられ、分校の授業にも出してもらえず、楽しい行事やレクレーションからも外され、孤独な辛い時間が続きます。担当寮長と二人きりで話をしたり、作業をするなど、濃密な個別指導が展開されます。
子ども達の中では、この「反省日課」を自分が犯した過ちに対するペナルティーととらえる傾向が強く、また、自分に向き合う辛く苦しい時間なので、「反省日課」は最も嫌われています。指導を深める絶好のチャンスとなるわけですが、する方にもされる方にも相当の負担となる割には、なかなか実効が上がらないケースもありました。
そこで今年度からは、ペナルティーとして「反省」を押しつけるのではなく、担当寮長を初めとする関係職員から「特別(に)」濃密で丁寧な指導・支援が行われる日課という意味で「特別日課」と呼称を変えることにしました。
また、懲戒権の濫用とならないよう、必ず会議にかけて家庭学校として機関決定することとし、日課を開始するときと終了するときには、対象児童を校長室に呼んで、自立支援部長、担当寮長等の参加の下に話し合いを持ち、校長から申し渡しをすることにしました。
さらには、学習権の保障という教育的な観点から、分校の授業は極力休ませないことにしました。家出から戻った子どもに対して、反省を促すために学校を休ませる親はいないはずです。もちろん学校日課の中でも、休み時間や放課後などは他の子どもとの交流は制限されます。
巻頭言の末尾で恐縮ですが、六月末の大平まゆみさんのヴァイオリン演奏会のことに若干触れさせていただきます。「人生をかけて家庭学校に来ました」と子ども達に語りかけながらの演奏には圧倒されました。礼拝堂で子ども達と並んでチゴイネルワイゼンを拝聴したとき、感動で胸が熱くなり、私が今ここに居る理由が、何故かわかったような気がしました。
児童生活指導員 竹中大幸
今年度から校内管理班の主担当として一学期が始まりました。
今学期に行った作業の中では味噌造りがありました。以前も何回か手伝いとして作業に参加したことはありましたが、主担当となり行うことはたいへん緊張したことを覚えています。約500キログラム分の味噌造りなので発注する材料も多く、麹菌を取り扱うので温度管理、雑菌などに気を付けていかなければ全てがダメになってしまう可能性があったからです。幸い、前担当者の千葉先生をはじめとする職員の方々、子ども達の協力によりひととおりの行程を無事終えることが出来ました。丸二日と睡眠不足ではありましたが疲労とともに安心できました。秋頃になると天地返しをする予定なので楽しみです。
寮の浴室補修というのもやりました。大部分は終えましたが、今学期内の完成には至りませんでした。壁面をモルタルで塗り固めていく作業は思った以上に苦戦を強いられました。ほとんどが垂直面であり初めてやる職員、子どもがいる中で塗り固めという工程をやりとげました。グラインダーという機械を使用することもありましたが、怪我もなく無事に終えたことは、子ども達が注意を守って作業ができた何よりの証だと思っています。
校内の環境整備では道路脇の側溝などに溜まった砂利や枯葉、枝などを取り除くことをやりました。敷地内は樹木が茂っており、強い風が吹けば倒木が出たり、葉が舞い散ったりしますし、大雨が降れば土砂が流れ出すこともしばしばありますのできりがありません。いずれはそのようなことが起こっても時間をかけずに作業できるように環境を整えていきたいと考えています。
校内を見渡すと行事を行ったり生活を送る中でいろいろと気になるところがあります。校内の見た目はもちろんのこと、寮の内装、備品などに関わることもたくさんあります。ある程度の計画性を持って進めていかなければなりませんが、見当もつきません。一つのことに長い時間をかければよいというわけではなく、限られた時間を効率よく使ってやらなければなりません。現に年度当初の年間スケジュールからは遅れて進行しており、これからは下準備を含めより練った実施計画が必要だと感じています。
我々大人でも難しい、大変だと思う作業を子ども達とともにこなしていくのは家庭学校ならではのことだと改めて思います。職員がきちんと説明して指導していかなければならないのですが、手探り状態の私には彼らにしっかり伝えることが出来ていないように思います。そんな中で子ども達が着実に成長し、行動で示してくれていることに感謝しています。
百年という歴史の中で先人達が築いてきたものを活かした方が良いのか、現代のこれからに合わせて新しく作り上げていく方が良いのか試行錯誤の毎日を送っていますが、それを辛いと思ってはいません。むしろ楽しんでいきたいものです。基本になるものがあるにせよ、分校教員、家庭学校職員、子ども達とともに一から作り上げていくことは達成感があり、嬉しく思います。
私が家庭学校に勤めるまでに経験してきたことがこの校内管理班で活かすことができるのもたいへん喜ばしいことです。経験してきたことには様々なものがありますが、大きく分けると農作業と土木作業があります。これから始まる夏帰省を終えると、土木作業として牛舎牧草置き場の土間を増設する予定です。結構大がかりな工事となり、費用もかかると思っています。コンクリート二次製品(原材料がコンクリートで造られた状態で商品になっているもの)の製作に携わっていましたが、どのくらいの量の生コンクリートが必要か、鉄筋の長さ、本数がいくら必要かなど計算していかなければなりません。今までそのような計算をしてこなかった私ですが、調べたりしながら夏休み明けに作業を進められるように準備をしています。
一学期の作業班学習を通じて思ったことは、校内管理班として選ばれた子ども達が一人も欠けずにやりとおせて良かったということです。前年度なら調子が悪く特別指導日課で別行動だったり、途中で作業班を変えられたりする子どもがいました。人数は少ないものの核となる子を中心にまとまって頑張ってくれました。
作業班としての成績を査定するにあたり作業賞というものがあります。校内管理に関わる教職員全員一致でその核となる子どもを推薦し、学期末の成績査定会議で授賞が決定しました。作業班に関して確かに彼は何事にも積極的に取り組み、周囲を気遣いながら頑張っていました。それだけでも素晴らしかったのですが、彼から発せられた「校内管理班の作業が好きだ」という言葉は、ともに汗を流して作業をしている私にとってこれからもパワーの源になることでしょう。
中二担任 小椋直樹
昨年度末十二月にやっとやってきた一年生と、まるで蜜月のような数カ月を過ごして、今は二年生は三人になりました。三人ともタイプは違いますが、それぞれに手がかかって、それぞれに可愛い子どもたちです。AS君はこちらが怒ると「本気にしないで下さい。」と言ってグニャグニャ絡んできます。他の先生にはそんな姿は見せないようです。どうもなめられているようです。本気で叱るとシブシブ「分かりました。」と言って言うことを聞きます。最初からそうしてくれるとどれだけ楽か分かりません。TA君はいつも逆のことを言ったりやったりしてこちらを試します。一緒に・・と言って誘っておきながら誘いに乗ると「なんで来るんですか。」と拒む態度をとります。「じゃ行かない。」と言うと「もういいです。」とぐれます。素直に喜べばいいだけなのに。本当に面倒くさくて可愛いです。TU君は話が通じません。「先生、ここが痛いです。」「なんともなってないけど気になるんだね。」「気になってません。」「そう、養護の先生に診てもらおうか。」「こんなんで行ったら怒られます。」「怒られはしないと思うけど、じゃあ勉強頑張れるんだね。」「はい。」・・「先生、痛いです。」ニッコニコの笑顔で五分おきにこんな会話が続きます。
仲の良かった一人目のAS君と二人目のTA君の間にトラブルが発生しました。ボールが当たったので謝った、謝らない、謝り方が云々。から始まって、最近のあいつの授業の受け方がなってないとか俺の勝手だろといったやり取りにならないやり取り。TA君が不調になって保健室で私と話をした時、AS君は心配して保健室の周りをぐるぐるしながらちょっとだけ開いたドアの隙間から「TA頑張れ!」と、まるで私の理不尽な取り調べに屈するな、とでも言いたげな励ましの言葉をかけていました。TA君はTA君で、何故AS君に授業の受け方で文句を言ったのかというと、「お前、ノート取らないで喋ってるけど大丈夫か?」というところから発していたのです。喧嘩したあと、仲直りするまで二人とも不機嫌でした。本当は早く仲直りしたかったようでした。
先日、札響の大平さんのコンサートが礼拝堂でありました。仁原校長先生はコンサートが成功するように心配されて私から事前に子どもたちへ指導してくれと依頼されましたが、ここで暮らす子どもたちはみんな心がきれいだから何も言わなくても大丈夫ですとお返事しました。実際に子どもたちは大平さんの素晴らしい演奏を肌で感じ、理屈抜きで美しい音色と大平さんの心意気を感じ取って、そのまなざしは本当にきらきらしていました。私の音楽の授業と比べること自体失礼と思いながら、自分の授業もこんなふうに受けてくれたらなぁ、と変な嫉妬を感じました。美しいものを美しいと素直に思う子どたちです。
中三担任 大野忠宏
私が担当している美術の授業では、中学三年生は木版画に取り組んでいます。テーマは「自画像」です。思春期の子どもたちにとって、自分と向き合い、自分自身を作品に表すことは照れ臭く難しいものです。しかし、子どもたちは、「自画像」というテーマを自分なりに解釈し、試行錯誤しながら制作しています。
『24karatsと骨と自分』という作品をつくったAさんはエグザイルが大好きです。画面の中には、自分の好きな24karats(エグザイルから派生したグループのようです)のマークとともに骨を背負って楽しげな表情の自分自身が描かれています。「骨を背負って楽しげ?」と疑問に思うかもしれませんが、研修旅行で行った足寄動物化石博物館で骨に触れた時の写真をモチーフにしています。単色木版画の白・黒の世界にマッチし、とても楽しげな表情が24karatsのマークとともに浮かびあがっています。完成した作品は、生き生きと美術に取り組むAさんそのものです。
「版画は嫌い」と言って作品づくりに取り組もうとしないBさんは、なかなか作業が進みません。美術は嫌いではないので、もしかしたら悩み事でもあるのでしょうか。「人間関係?それとも運動会?」私が彼の発言から推測し、いろいろと思いを巡らせていると、会話を聞いていたAさんが「どうした?やろうぜ」とBさんに声をかけました。すると、Bさんは「おう」とはにかみながら小さな声で答え、作品をつくり始めました。出来上がった作品名は『はしる自分』、その背景にはAさんと同じ24karatsのマークが彫られていました。AさんとBさんは出会ってもうすぐ一年になります。時にはケンカをすることもありますが、互いを認め、少しずつ学び合えるようになってきたようです。子どもたちどうしの声かけの大切さを実感することができた場面でした。
全ての子どもたちの様子を伝えることはできませんので、自画像のタイトルのみ紹介させていただきます。『受験に追われる自分』『ポケモンと一緒』『消す自分』『車』『僕の机』…どの作品にもそれぞれの子どもたちの心のありようが表現されています。
子どもたちの作品を見ると、自分が中学生だった頃を思い出します。今の子どもたちと同じように、その時の流行や文化、仲間や家族などに敏感に反応し、多感な時代を過ごしていたと懐かしくなります。ピカソのことばに『もしも、真実が一つなら、誰が同じテーマで百の絵を描こうか』というものがあります。家庭学校で学ぶ子どもたちも、自分自身と向き合いながら多くの経験を積み、今まで知ることのなかった新たな自分をたくさん発見していってほしいと思います。そして、身につけた力で、自分の人生も創り上げていってほしいと願っています。