ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
子どもたちと共に「ダンス」から学ぶ
がんぼうホームより
〈児童の声〉
〈理事長時々通信〉⑥
校長 清澤満
札幌市の木「ライラック」が花開く五月下旬から六月上旬頃にかけて、急に気温が下がり寒くなることを北海道では「リラ冷え」と呼んでいます。(「ライラック」はフランス語で「リラ」)
このリラ冷えの時季に、目まぐるしく変化する不安定な天候が重なって、今年の運動会は果たしてどうなるのかとギリギリまで気を揉みましたが、前日の雨はどうにか収まり、予定どおりグラウンドで実施することができました。コロナ禍ではありましたが、今年は、保護者・ご家族の皆様、ご来賓や児童相談所、前籍校の先生方などたくさんのお客様にお越しいただきました。総勢十三名の子ども達は会場からの応援に応えて、練習を上回る素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。皆様には拍手による応援など感染防止対策にもご協力いただき、ありがとうございました。
運動会が終わって一安心したのか、堪えていた疲れがドッと出た子もいましたが、数日間で元通りに。子ども達の回復力にはいつも驚かされます。
さて、六月の校長講話は、北海道家庭学校の精神的支柱である『暗渠精神』について日曜礼拝の後、お話ししました。
* * *
皆さんの左側の壁には第四代校長を務めた留岡清男先生の写真が掛けられています。第二次世界大戦による混乱の中、山も畑も荒れ放題となり大変な状況にあった北海道家庭学校(当時社名淵分校)の復興に力を尽くされたのが清男先生でした。先生は、戦後の困難から立ち上がるために「教育は胃袋から」という考えを示されました。お腹が空いていては作業も勉強も捗りません。子ども達を教育していくためには、まず胃袋を満たすことから始める必要があると考えられたのです。そこで、復興に充てる予算も十分にない中、子ども達のために栄養価の高い牛乳や卵、野菜などをたくさん生産できるように必要な設備を整えていきました。また、家庭学校の土地は粘土分がたくさん含まれていて水はけが悪かったので、校内にある畑や牧草地に当時の先生と生徒達が一緒になって「暗渠」を埋め込みました。
皆さんは「暗渠」とは何のことか分かりますか。校内管理班や酪農班を経験した人は聞いたことがあるかもしれません。「暗渠」とは土管などを使って地中に埋められた水路のことです。「暗渠」により畑に溜まった水は土管を通り排水されるので、水はけがよく作物が育ちやすい土地になっていきます。「暗渠」のお陰で校内の畑ではたくさんの野菜が穫れて花壇には綺麗な花が咲き、牧草もたくさん収穫できるようになったのです。
清男先生が書かれた「教育農場五十年」という本の中にこの「暗渠」を例に出して家庭学校の精神的支柱を示した『暗渠精神』という文章があります。精神的支柱とは、心の拠り所とか心の支えになるものといった意味です。今日はその本を持ってきましたので関係するところを抜き出して読んでみます。家庭学校で働き始めて間もないある青年と清男先生との遣り取りの中で書かれています。
暗渠精神
─ 君は、一面にひろがってみえる畑の底に、土管が四方八方に埋められている、ということを知っていますか。暗渠は、地の底にかくれて埋められています。表面から、眼でみることはできません。しかし、地の底にかくれている暗渠があるために、地上に播かれた種子が、腐ることなく、芽を吹き出し、花を咲かせ、実をみのらせることができるのです。人の眼には、新芽の青さが見えます。花の美しさが見えます。豊かな実りが見えます。しかし、そういったものは、みんな、地の底に埋もれている暗渠のお陰だということを、見抜く人は極めて稀であります。私たちは、新芽も、花も、実も、惜しみなく人さまに差上げたらいいと思います。所詮、私たちは、静かに、黙々として、地の底にかくれて、新芽を吹き出させ、花を咲かせ、実をみのらせることができさえすればよろしいのであって、それが暗渠というものの効用であり、誇りだと思うのであります。私達は、いつも、暗渠であることの誇りをもちたいものだと思うのであります。眼に見える派手な現象に、眼をくらまされることなく、いつも、新芽と、花と、実とを、人さまにくれて惜しまないところの、かくれた誇りをもつことを、喜び合いたいと思うのであります。
私たちは、日々、暗渠となって、耐え忍ぶと同時に、黙々として人さまに仕え、花も実も、そっくりそのまま人さまに与えて喜ぶことができるような、そういった人間になりたいと思うのであります。そのことが、とりもなおさず、家庭学校の精神的支柱である、と思うからであります。─
これは、清男先生から家庭学校で働く者に向けられた言葉です。要約すると、「自分達は暗渠のように裏方として黙々と、人に仕える存在でありたい。そのことに誇りを持ち、喜びを感じられるような人間でありたい。」となるでしょう。
皆さんが将来、社会の中で生きていく時に、何に心の拠り所を求め、誇りを感じるでしょうか。表舞台に立つことだけが素晴らしいということは決してありません。「暗渠」のような裏方の存在がなければ表舞台に立つ人の存在もないと思います。どんな仕事に就いたとしても、どんな立場にあろうとも、その仕事に誇りを持って、社会の一員として一生懸命に取り組むことが大切なのです。そのことを忘れないでほしいと思います。
* * *
現代社会においては、自分は裏方に徹すると割り切った生き方をするのは難しいのかもしれません。いつか自分も表舞台に立って輝いてみたいと思うのが人の常で、そうした意気込みも必要です。ここで確かに言えることは、いつか表舞台に立つ時が来たとしても、自分一人の力でそうなれたと勘違いしないことです。驕(おご)りがあってはならないのです。人としていつも誠実で、謙虚であれ。『暗渠精神』はそうも教えているように思います。
児童自立支援専門員 平野伸吾
六月の中旬、北海道家庭学校では令和四年度の大運動会が実施されました。今回の運動会で私は運営の統括、並びにダンス指導という二つの大役を任せていただきました。運動会の統括では、分校運動会担当の冨山先生、永田先生を中心に施設・分校職員の方々のご協力を頂きながら計画の実施、調整を行いました。一方、運動会の競技種目にて、ダンスを披露するため、子どもたちに振り付けを教える担当にもなりました。今回のひとむれではこのダンス指導において私が実感した子どもたちへの指導・支援の可能性について記していきたいと思います。
私はこの運動会練習期間前、「ダンス指導をする」ということに対して、不安とプレッシャーを感じていました。ダンスは「よっちゃれ」というよさこいソーランの踊りの一つで、数年前から家庭学校の運動会に取り入れています。昨年もダンス担当としてよっちゃれを習得しておりましたが、主に指導してくださったのは分校の先生で、私は指導補助として動いていました。しかし昨年度まで指導してくださった分校の先生の異動に伴い、私が主で教える立場となりました。正直、私は心の中で「ダンスを踊ることはできても、上手く踊ることはできない」「踊ることはできても、教えることはまた違う」「上手に教えることができるのか」という不安を感じていました。くわえて初回の練習前には子どもたちから「ダンスは嫌い」「苦手」「やりたくない」といったネガティブな発言も多く、教えることは簡単ではないと想像をしていました。
それでも子どもたちにとって分かりやすく、楽しい練習をしていくために試行錯誤をしてみることにしました。例えば「飛行機」「歌舞伎」「綱引き」など、踊りの動き一つひとつに名称をつけ身体の動きをイメージしやすいように工夫をしたり「はしごを叩くように」「身体で時計の針で三時を作るように」とちょっと面白く思えてかつイメージしやすいような動作説明をすることを心がけました。
すると練習は思いのほか、子どもたちも素直に振り付けをこなし、かなり良いスピードで覚えていく姿がありました。楽しそうに練習に取り組む子どももおり、疲れや理解できないストレスから投げ出したり、ネガティブな発言をする子も極端に少なかったのです。教え方の工夫が子どもの理解に繋がっていたと自画自賛したいところではありますが、私は分校の先生方をはじめとして周りにいる大人が子どもたちの横について、振り付けを一緒に踊り続けてくださったことが、子どもたちにとてつもなく良い影響を与えていたのではないかと感じています。周りの先生は子どもたちと共に最初から最後まで、楽しそうに声をかけながら、踊り続けてくださいました。中には全力で踊り続ける先生もおり、その姿に子どもたちも徐々に感化されていく姿も前で見ながら感じました。一部の先生からは「平野先生は前で子どもたち全体を引っ張ってください。細かいところは僕らがサポートします」とおっしゃってくださいました。周りの先生方が良い雰囲気を作ってくださったことで、私も安心して子どもたちを引っ張っていくことができ、子どもたちも真面目に取り組む姿勢が続きました。
結果として最後まで脱落する子はおらず、運動会でも練習以上の踊りを披露してくれました。一時の不調もなく、全員が最後まで、全ての練習をこなすことができました。踊りができないと不安になっていた子も、いつも天邪鬼な態度を取る子も個別に振り付けを教えてほしいとくる時もありました。内心は苦手なんだろうなぁと感じながらも、上手くなりたい、良い姿を見せたいという子どもたちの思いに、ダンスを通じた成長をみることができました。
ダンスという形で私はまた新しい指導の幅を学んだような気がしました。雰囲気作りや教え方の工夫、周りにいる先生方との連携など、文章にすれば当たり前のようなことではありますが、それを改めて学ぶことができました。途中途中で他の先生方からもアドバイスを頂き、足りない部分や見落としていた部分も教えていただきました。子ども、大人、全体で一つのものを作り上げていくことでまた新しい学びと経験をさせていただきました。誠に感謝申し上げます。
がんぼうホーム長 清水真人
家庭学校の森では春ゼミが元気に鳴き始め、「いよいよ夏に向かい始めたなあ」と季節の移ろいを感じておりますが、巷では新型コロナ感染の収束が見通せず、東欧では、愚かな戦争が起こされ、平和な世界の実現がいつ来るのかと、何とも言えない閉塞感を感じる日々が続いています。
さて、2022年度が始まり2ヶ月となりました。がんぼうホームから報告いたします。2021年度は前年度に引き続き常勤職員3名非常勤職員2名の体制で運営しました。入居者は年度当初4名でした。年度中に入居1名、退居3名あり年度末での入居者は2名となりました(定員6名)。退居者については、家庭の支援を受けながらの自立を目指す者が1名、グループホームに移り福祉就労サービスを受け自立を目指す者が2名でした。入居者の年間平均は4名となっております。
入居者に対しては、就労支援として就職探し及び就業が継続できるよう支援を行いました。修学ついては、遠軽高校定時制休学者1名は復学しましたが、残念ながら自主退学となりました。通信制高校に通学した者は無事に1学年を終え2学年に進級しました。就労は主にハローワークを通じて情報を得、就労先は設備工事関連企業、大型スーパー、飲食店、コンビニエンスストア、観光協会となっております。就労に協力いただいている町内の企業の皆様には大変感謝をしております。
入居者への対応は生活状況の変化に留意しながら職員の面談を中心に行っていますが、措置児童相談所、樹下庵診療所、家庭学校心理士と連携を取りながら対応しました。
ここで昨年度有った喜ばしい出来事を報告します。多くの入居者は、安定した就労により自立に向けて資金を貯めると言う目標を持ち入居して来ます。しかしながら、なかなか社会人としての意識や行動が身につかず、短期間で仕事を辞めてしまう利用者が大半です。社会経験もなく、義務教育終了直後で入居する子どもたちに、貯金のために働こうということ自体に無理があるような気もします。入居する前の施設見学の際に面談をしますが、「どんな仕事がしたい?」と聞くと「働いた事が無いから、答えられない」と返答が来ます。当たり前だと思います。今までの入居者で目標を達成した者は数人です。
そんな中、昨年度入居したS君、貯金を貯めて、出身地に帰り自立する目標を持ち入居して来ましたが、多分にもれず、初めに働いた加工場は1日目の1時間で早退し、そのまま退職。次に勤めた飲食店も5日働いて退職。「続けられない、自信がない」と泣きながら家に帰りたいと訴えます。その都度、話を聞きながら、自分で決めた目標を思い出して、次に向けて切り替えようと諭し続けるしか方法はありません。暫くすると、気持ちも切り替わり「今度はやれそうだ、頑張る」と職を探し働き始めます。しかし、突然の頭痛で欠勤や早退がぽつぽつと出始め20日間働き退職となりました。職場で世話役を買っていただいた社員の方がおられ、本人は「大変世話になったので、辞めることは辛い、辞めたくない」と言っていました。働きながら、自分の特性、人間関係、社会の厳しさ、頼れる大人の存在を学び始めた感じが受け取れました。また、児童相談所や樹下庵診療所の受診により、励ましやアドバイスを頂き、何とかホームでの生活を続けることが出来たと思います。
周りの人達の応援を受け、再チャレンジ。今度は少し根性が座ったようです。きつい坂道の上に在る観光施設に自転車で通勤し始めました。ここでも、働いていた人たちに温かく対応して頂きました。特に現場責任者の方に大変お世話になり、仕事の事をはじめ家族の事や、引きずっている過去の出来事まで親身に相談に乗って頂き、浮き沈みがありましたが、何とか期間終了まで勤め上げることが出来ました。貯蓄も目標額に達し児童相談所の協力を経て出身地での就職も決まり、皆笑顔で退居を見送ることが出来ました。
幾多の挫折を経験し、その都度温かい周囲のサポートを受け、やり直そうと頑張ることにより成長していく姿を見られることは、何ものにも代えがたい喜びであります。
自立援助ホームは、なんらかの理由で家庭や施設にいられなくなり、「働かざるを得なくなった」若者たちが入居し、生活をする場所です。生き生きと生活できる場、安心して生活できる場を提供し、大人との信頼関係を通して社会で生き抜く力を身に着け、若者たちが経済的にも精神的にも自立できるように援助する事を目的としていますが、なかなか思うようには参りません。S君の頑張りと皆様の支援により、ホームの目的が少しでも達成できましたと言う報告でした。
石上館 中三S・掬泉寮 中二D・掬泉寮 中三M
「運動会をけいけんして」
ぼくは、家庭学校にきてひさしぶりに運動会をしました。まえの学校では、たいくさいだったのでひさしぶりの運動会にすこしたのしみにしてました。やく3年ぶりの運動会は、たのしかったです。まず運動会の1こ目のしゅもくは、ときょうそうでした。ときょうそうでは1位をとれてよかったです。2つ目はあしなみそろえてです。あしなみそろえては、ムカデきょうそうのよこバージョンです。さいしょの方はなかなかうまくできなかったけどみんなさいごのほうになるといきもあってきて上手になりました。そのおかげで白ぐみにかてました。3つ目は玉入れです。玉入れはさいしょの方はみんなバラバラになげてたけどさいごの方はみんなできょうりょくしてほんばんがうまくいきました。4つ目はさぎょうはたのしいです。さぎょうはたのしいは今回山林はんにあたりました。山林はんでは木をきりました。そのあとえんげいでした。えんげいがじかんかかりました。5つ目は、いっちきょうりょくです。いっちきょうりょくはりょうたいこうでした。今回は、きくせんりょうにまけましたが、たのしかったです。6つ目はおやつのじかんだよです。おやつのじかんだよでは1位をとれました。おやつのじかんだよですごいはしったのでとてもつかれました。7つ目はよちゃれです。運動会れんしゅうで毎回あったよっちゃれはたいへんでした。よっちゃれでは自分がこえをかけてスタートしておわりました。8つ目は、こうはくリレーです。こうはくリレーは1しゅうはしってつかれました。けっかは、あかぐみがかちました。それで運動会がおわりました。さいしゅうけっかは、あかぐみがかちました。
「ベストをつくした運動会」
僕は、運動会でベストをつくしました。足が少々痛かったけれども、後悔はしておりません。その理由は四つあります。
一つ目は、徒競走です。運動会の第一種目であり腕の見せどころです。僕は、そこで一位を取れたからです。歓喜しました。今まで徒競走で一位を取ったことなどなかったからです。
二つ目は、全種目で勝ち星をあげたことです。まず初めに紹介した徒競走、次に作業は楽しい、おやつの時間だよなど全てで勝ちました。今まで続けてきた練習の成果を発揮しその努力がむくわれました。とても大変な練習をのりこえつかんだ勝利に大変喜びました。
三つ目は、よっちゃれについてです。全く知らない状態から始めたよっちゃれでしたが、しだいに覚えていき、きれいさを求め追求し、完成させました。多くの人の前でしたが一番よくできたと思います。
四つ目は、団体競技で全勝したことです。団体競技と個人競技とでは、むずかしさが天と地ほどに差があります。個人は、一人ですが、団体は、数人で行うので心を一つにしないと勝てません。ですのでとてもむずかしいです。しかし今回は団体競技の紅白リレーと足並みそろえては僕の入っている紅組が勝ちました。一致協力も、僕の入っている掬泉寮が勝ちました。とてもむずかしいので勝ててよかったです。
今年は紅組百三十六点、白組百十点で勝ちましたが来年も同じように勝てるとはかぎりません。もし来年もここにいたら勝てるようがんばろうと思います。
「すもう大会を終えて」
7月1日の今日、すもう大会がありました。今回のすもう大会で印象に残った試合とその時に思ったこと、感じたこと学んだことなどを書きます。
まず最初の印象に残った試合はY君との試合です。この試合では自分が常におされていましたが、ずっとたえて、ねばっていました。結果は負けでしたが楽しかったです。
次の印象に残った試合はR君との試合です。この試合では相手がとても上手な人ですぐに負けてしまいましたがこんな上手になりたいなと思わせてくれた試合でした。
次の印象に残った試合は先ほどとはちがうR君との試合です。この試合は力は同じ程度でしたが最後の力をふりしぼって、おし出しで自分が勝ちました。初めて勝ったのでとてもうれしかったです。
一番印象に残った試合はS君との試合です。この試合では相手の力と自分の力はほぼ同じではなく完ぺきに同じだったのだと思います。なぜなら1回目には決ちゃくがつかず2回目にもちこしになりました。ですが2回目もなかなか決ちゃくがつかず、さらに3回目になり再再試合となりました。2分間という制限をつけての3試合目では残り30秒まで戦い続けましたが自分が負けてしまいました。負けた時はくやしくて泣いてしまいました。これまでの人生ではテニスの大会や順位がつく学校のテストなどをやってきましたがそのようなことに負けた時の何十倍も何百倍もくやしかったです。人生で最も本気でやったことだと思っています。
最後に今日のすもう大会で学んだこと、身につけたことは精神力です。負けてもくじけず、いやなことがあってもいじけず、長い試合で体力がなくなってもあきらめない強い心を学びました。
理事長 仁原正幹
北海道家庭学校は社会福祉法人ですから、前年度を総括しての「事業報告」と「決算報告」を、五月の理事会と六月の定時評議員会に上程し、承認いただくことが必須の要件となっています。今年も大勢の役員と評議員の皆様に全道各地からご足労いただき、熱心にご審議いただきました。盛り沢山の審議内容の中からいくつかピックアップして、家庭学校の今の様子をお伝えしたいと思います。
まず、昨年度は年間を通して非常に少ない入所児童数で推移しました。小舎夫婦制の寮を担う夫婦職員が一組退職して二寮しか稼働できなかったことが主な要因です。理事会の中でもこのことを心配されての質疑がありました。清澤校長からは、児相からの入所紹介を特段断っているわけではなく、実は近年全道的に児童自立支援施設の入所児童数が減少傾向にあり、道立の大沼学園も向陽学院も同様な状況にあることが説明されました。
全道九箇所の児童相談所が、増え続ける児童虐待通告への対応に追われている状況は伝わってきています。児童自立支援施設を対象とするケースは特に困難事例が多く、社会調査や行動観察、心理判定等のために、さらには、本人の自己決定を促すための動機付けや、保護者の同意を得るために、多大な時間と労力を要するので、そこまで手が回らないのではないかと、危惧する声も上がりました。
理事長の私からは、二寮しか間口のない家庭学校の現状が現時点で全道に迷惑をかけているわけではないにせよ、伝統の小舎夫婦制を担う寮職員をなるべく早期に養成して、入所ニーズが増加に転じた際には即対応できる体制の整備に努めたいとの決意を述べさせていただき、法人としての意思統一を図りました。
次に、「事故報告」の中で、自殺未遂の案件があって、掬泉寮・藤原寮長の慎重な対応により既(すんで)の所で防止できことが報告されました。このケースについては、入所前から樹下庵診療所に父子で外来通院していた経緯もあり、保護者が富田医師はじめ家庭学校全体に厚い信頼を寄せてくれていることから、現在も入所措置が継続されているとのことでした。
トラウマ治療の過程で不調・不安定を繰り返し、入所中に希死念慮が再燃する恐れもある難しいケースですが、望の岡分校とも情報共有しながら一丸となって対処しているとの説明もあり、私としても心強く感じ、誇らしく思いました。
一昨年厚生労働省が公表した国立の児童自立支援施設内で起きた痛ましい自死事件と酷似した案件でもあり、不安は拭えません。開放処遇で不寝番などいない小舎夫婦制の児童自立支援施設では対応に苦慮するケースですが、家庭学校としては引き続き細心の注意を払いながら慎重に対処していくことを確認しました。
以上、先般の理事会と評議員会で話題になった事柄の一部をご紹介しました。このように少ない入所児童数ではありますが、入所児童の大半が発達障害や愛着障害を有しているので、寄り添い励ましながら注意深く見守ることが肝要です。そうした役割を主体となって担うのは、寮担当職員です。疑似家庭のような小舎夫婦制の寮の中で、特定の大人(寮長・寮母)との間で愛着関係が修復・形成され、濃(こま)やかに育ち直りを支えられることが、心身の成長に大変重要だからです。 子ども達は毎日の日記や度々の作文で内省を深め、周囲の人との適切な距離感や人間関係を考えるようになります。「朗読会」での作文発表、「作業班学習発表会」での研究発表等の機会を重ねる毎に「よく考える」態度が身につき、次第に自信を持つようになり、はっきりと言葉を発することができるようになります。
将来子ども達が社会の一員として自立した生活を送るためには「人の気持ちがわかるようになること」と「自分を表現できること」が大事な要件です。家庭学校と望の岡分校の、常時大人に護られた濃密な小集団の中で一定の成長は果たせても、巣立ちの日が来て家庭学校の門を一歩踏み出せば、世間の厳しい現実が待っています。自分の頭で考える習慣が身についていないと、苦難を乗り越えられず、元の木阿弥になる恐れもあるのです。
心的外傷体験(トラウマ)や逆境的小児期体験から人との関わり方を知らなかったり自他の気持ちが分からない状態の子どもに対して、「人の気持ちがわかること」を求めるのは、ハードルが高過ぎて難しいことだという一部研究者の意見もあるようですが、私はそれには与しません。そのために一年半も二年もの長い間、親許から引き離し、世間から遠ざけ、濃密に関わるのが児童自立支援施設なのであり、我々は子どもの心に向き合う専門家として、気迫を持ってハードルの高い仕事に立ち向かうべきだと考えます。
私が事ある毎に読み返す「座右銘」を記します。河合隼雄先生の謙虚で気迫のこもった『人間理解』という文章です。
真に理解するということは、こちらの命をかけて向き合わぬとできない。自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのは甘すぎる。
だから、「人間理解」などということは、できるだけしないようにしよう、という結論を出す人も居られるだろう。それも結構だが、私はせっかく生まれてきたのだから、死ぬまでには、時々「命がけ」のことをやってみないと面白くないのでは、と思っている。
人間の心がいかにわからないかを骨身にしみてわかっている者が「心の専門家」であると私は思っている。素人は「わかった」と単純に思い込みすぎる。というより、「わかった」気になることによって、心という怪物と対峙するのを避けるのだ。(『こころの処方箋』ほかから引用)