ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
寮運営をするにあたって
北海道に飛び込んでみて
運動会を終えて
<児童の声>
校長 清澤満
詩を一篇ご紹介します。
―・―
子ども
批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる
友情を知る子どもは
親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じとることをおぼえる
―・―
この詩は一九九七年発刊の「あなた自身の社会~スウェーデンの中学教科書」(川上邦夫訳、新評論)に掲載されているものです。教育や福祉関係の皆様にはご存じの方が多いと思います。仁原理事長が校長をされていた時に書かれた本誌第九〇九号の巻頭言でも我が意を得たりと紹介されていました。詩歌の嗜みがない私にも対句のようにリズム良く、心に響くフレーズが次々と伝わってきます。
作者のドロシー・ロー・ノルト(1924~2005)はアメリカの作家で家族カウンセラーをしていた方です。いつ頃書かれたものなのかを調べてみると、原作は一九五四年、南カリフォルニアの地方紙の週刊コラムに「Children Learn What They Live」というタイトルで書かれていました。作者はこの詩を家族学級の中で親御さんの質問に答える形で書き、原形はこれより長いものでした。その後、本人によって手が加えられたり、多くの国で抜粋や脚色がされて、子育ての手引き書として読まれてきたようです。このスウェーデンの教科書に載っていた詩もその一つのようで、一九七二年に著作権で保護された完全版やショートバージョンとは少し異なっています。
前置きが長くなりましたが、この詩には、子どもは大人の関わり方から自分の生き方を学ぶということが書かれています。詩が書かれた背景や時代を考えると、当時は子育て中の親やこれから親になる人たちへの言葉として理解されることが多かったと思います。
では、現代社会においてはどうでしょうか。子育てには、家庭での養育のほか、市町村が行う保育や公的責任で行う社会的養護などがあり、更には、家庭で暮らす子どもも含めた社会的養育ビジョンという新しい考え方に立てば、この詩にある言葉は家庭だけではなく、むしろ社会全体に対して示された子育ての指南書として受け止めることができます。
かつて児童相談所に勤務していた頃、子育てに躓き、ようやく児童相談所まで辿り着いた家族が、この先どうすれば良いのかと途方に暮れた様子を見せていました。子育ては大変なことの連続で、上手くいかない子育てにすっかり疲れ果てていたのです。そんな親御さん達に代わって子どもの育ちを支える私達は、この詩が持つ意味を噛みしめながら初心に立ち返って子ども達と向き合わなければならないと思うのです。
さて、詩の「子ども」の部分を「人」と置き換えて読んでみるとどうでしょう。職場の人間関係、友人や夫婦など様々な関係においても同様だと思います。激励や賞賛を忘れていないか・・・、批判や皮肉の結果を想像できるか・・・と自分の心に問い掛けています。
主幹(石上館寮長) 西村 健太郎
令和3年3月25日から、石上館の寮舎運営に従事させていただいております。しかしながら、寮長、副寮長(男性2名)体制で臨んでおりますことから、当校の特色ともいえる夫婦小舎制での運営ではございません。私は当校に来て1年と半年間、寮を担当していない本館職員という立場で児童監護に携わらせていただきました。そこで職員として何ができるかを考えた時、後にも先にも児童の様子を知るという事でした。例えば、普通寮の留守を預かる時、それは今もそうですが、寮の雰囲気やそこで生活している児童の詳細情報をリアルタイムで頭に入れておく、そして、本館などでは児童と積極的に関わることにより熟視すること。児童の特徴を知らずして何ができようかという気持ちでおりました。そうすることにより普段と同じような、児童には極力負担がかからない日課を送らせることを最優先に考え、私の思いや考えは色濃く出さずに出来る限り寮長と同じ指導をすることを心がける。そればかりを考えながら児童との関わりを続けて来ましたが、実際は上手くはいかないものでして、普通寮では安定しているペースメーカー的存在の児童であっても、寮長と同じようなことを伝えているはずなのに、どことなくいつもと違い動きは不自然で、それが他の児童にまで拡がってしまいます。相手は大人ではなく子どもなのです。子ども目線で嚙砕いた言葉を用いて表現しなければ、指示することが理解してもらえないことも多くありました。そこは私の説得力の無さであり、そしてやはり寮長とは児童の中で特別な存在なのだということを気付かされます。単純に正誤の理屈だけではない、信頼関係の大切さが掌握の鍵であると肌で感じる結果でありました。
日々このようなことがあり、その最中、石上館寮長のお話をいただき、休寮となる楽山寮から児童の転寮というかたちで引き継ぐことになった時は、私のもとで安心して暮らせるのだろうか、長年の経験を持つ前寮長の積み重ねを無駄にしてしまわぬか等々、色々なことが脳裏を過ぎり、二つ返事で引き受けさせていただきますとは言えませんでした。しかし、引き受けた以上は、私と一緒に寮舎に入ってくれる稲田副寮長と持てる力を合わせ、また、本館職員をはじめとする先輩職員の皆さまのご指導をもと、日々精進して行く所存であります。寮を担当するということは、今までとは状況や場面も変わり、児童と共に過ごす時間が格段に増えます。また、夫婦小舎制とは異なる体制ですので、支援として児童における身の回りのお世話をするということでは、いささか頼りない面があろうかと思います。デメリットとして捉えられますその点につきましては、私の中の重点事項として極力時間を割き、児童の体力増進を踏まえた体調管理・把握をはじめ、会話・雑談、訴えを聞く・訊くことを実践して行ければと考えております。
私にとっては、今年3月までの本館勤務、月に3度程度あった代替寮長勤務だけでは経験しきれない児童との関わり合いなど、諸々の問題が生じて時には苦悩することも想像できます。しかし、新たな日常が始まっているという楽しみがあります。そのような生活を通して、何よりも児童が安心して暮らせる雰囲気のある温もりのある場所として提供して行ければと考えております。
児童生活指導員 野沢 杏
4月から北海道家庭学校に児童生活指導員として勤務しております、野沢杏(のざわあんず)と申します。福島県の須賀川市(ウルトラマンやゴジラが代表作の円谷英二監督の出身地で、M78星雲と姉妹都市を組んでいることで有名)というところの出身です。その須賀川市にある児童自立支援施設、福島県福島学園で昨年度末まで約二年間臨時職員として働いておりました。まずは家庭学校に来ることになった経緯をお話させていただきます。私は現在24歳で、元々高卒で働いていたのですが、22歳の時に少年非行に興味を持っていた私を見て両親が福島学園を進めてくれたのが児童自立支援の世界に足を踏み入れることになったきっかけです。女子寮に入り、プロの先輩方の背中を見て勉強しながら入所児童と接しておりました。入職した当初は児童に対し、いわゆる喫煙・飲酒・深夜徘徊等のザ・非行少年をイメージしていました。しかし実際は発達障害を抱えた児童の入所が大半で、ゲーム依存・引きこもり等で入所している子もいることに、ギャップを感じ驚いた記憶があります。上手く行かないこともありましたが、日々子ども達と接していく内に児童自立支援の仕事に魅力を感じ、専門員を目指したいと思うようになりました。しかし私は高卒で、実務経験年数を積むか資格を取らなければ専門員の受験資格がそもそも得られず、それに加え募集が無いとなると今後数年間は厳しい状況でした。20代後半に向かい、どのような道を歩んでいくべきか迷い先生方に相談したところ、歴史のある家庭学校が良いのではというアドバイスを頂き、「そうか、県外に視野を広げる選択肢もあるのか」と考え、児童自立支援の歴史と基礎を学びに行こうと思い切って決断しました。
家庭学校に来て感じたのは、東京ドーム93個分という広い敷地の中で子ども達が伸び伸びと過ごしているということです。毎日の牛乳缶取りと薪での風呂焚き・山菜を探してどんどん山に入っていく姿・野菜や花の様々な知識を話してくれる姿・寮母先生の手料理を毎日モリモリ食べる姿等々…勿論全員がとはいきませんが、目を輝かせながらそれぞれのやりがいを見付けていく子ども達を見て、ここは生きる力を得られる場所なのだなと感じました。負けていられないなと、私の方が子ども達にパワーを貰っています。そして、作業班の種別の多さにも驚きました。校内管理・蔬菜・山林・園芸・酪農と5つの班がある中で、私は蔬菜班に所属しているのですが、毎回勉強になることばかりでとても楽しいです。自分の畑も頂き、実際に育てながら野菜の知識をつけているところです。また、各班の先生方の知識の豊富さに、感銘を受けました。作業道具の使い方から重機の運転まで、様々な分野の専門的知識を持つ先生方が揃っており、なんて贅沢な環境だろうと思っております。
最後になりますが、タイトルにも書きました通り勢いで北海道に飛び込んできた部分もあり、正直不安だらけです。しかし周りのサポートに支えられ何とか過ごすことが出来ています。どんな状況の時もフォローしてくれる家族、こんな若手に対しても一職員として対等に扱ってくれ、福島を出る時に背中を押して下さった福島学園の先生方、一人で知らぬ土地に来て大変だからと、手を差し伸べ助けて下さる家庭学校の先生方、そして良い時も悪い時も学びをくれ成長させてくれる子ども達。様々な人達の支えがあってこそ毎日の仕事が出来ているのだと思います。まだまだ経験不足ではありますが、子ども達と共に失敗し、成長していこうという気持ちで日々精進します。そして休日は北海道の美味しい食べ物を沢山食べたいと思います。これからよろしくお願い致します。
教諭 丸山 大地
令和三年度の運動会は、新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言の発令を受けて、例年よりも時間を短縮し、午前中だけの開催となりました。
四月以降、道内における新型コロナウイルスの感染者が増加したことから、五月五日に「まん延防止措置」が適用され、その後五月一六日に「緊急事態宣言」が発令されるなど、状況が目まぐるしく変化しました。「今年の運動会は果たして無事に開催できるのだろうか。」と、不安に感じつつ打ち合わせに臨んだことを覚えています。
時間を短くして開催するに当たり、「限られた競技時間で、盛り上がる(見ごたえのある)運動会を実現するにはどうしたらよいか」ということが課題となりました。この課題を解決するために、施設・分校の担当者間で何度も打ち合わせを実施しました。施設側は佐藤(高)専門員・平野専門員・西村主幹、分校側は浅井教諭・丸山を中心として意見を交わし、原案を練り上げました。担当として打ち合わせに参加する中で、「より良い行事を作り上げるには、こんなにも緻密な計画が必要なのか」という認識に至りました。自分は、普段から「どんぶり勘定的」発想で行動するきらいがあり、「今の自分に足りないものは、この緻密さか!」と大いに反省させられました。
また、今年度は一週間ほど期間を設け、担当者に各種目の用具配置図を作成してもらいました。施設・分校の種目担当者が協力して、競技の準備に当たることで、運動会成功という目標に向けた、一種の連帯感が醸成されていった気がします。
ところで、今年の運動会に向けた特別日課は、施設職員・分校教員の多くが「運動会は無事に開催できるのだろうか?」と不安な思いを抱えつつ、始まったのではないでしょうか。運動会の開催を心配する大人たちをよそに、一五名の子どもたちは一生懸命練習に取り組んでくれました。
運動会特別日課の期間中は、四時間目から七時間目までが運動会の練習時間に充てられます。普通であれば、運動会が近づくにつれて段々と疲れが溜まり、練習の質が下がっていくはずです。しかし、タフさにあふれる子どもたちは、紅組はN・Rくん、白組はS・Rくんを中心として、疲れをものともせず練習に励み、最後の最後までチームワークと技術を高めていきました。特に、玉入れや足なみそろえての練習では、最初こそ紅組が圧倒的に有利な様子でしたが、白組が力を高め次第に力の差が縮まっていき、当日の勝敗が分からなくなる程だったと記憶しています。
また、今回自分が佐藤(高)専門員・槇教諭とともに担当した開閉会式の練習では、子どもたちは大人たちからの助言を素直に吸収してくれて、「練習すればするほど完成度が高まっていく」様な感覚がありました。他の練習でも、子どもたちは力いっぱい練習に励み続け、その姿から「自分たちの手で、より良い運動会を作るんだ!」という気概を感じることができました。
六月一三日(日)の当日も、子どもたちは練習してきた成果を存分に発揮し、運動会は成功裏に終わりました。
自分は今回の運動会の取り組みを通して、「子どもたちを導く立場である大人たち(施設職員・分校教員)が手を取り合い同じ方向を向くからこそ、子どもたちもその思いに応え、努力を重ね成長するのではないか。」と強く感じました。また、日々の教育活動に当たり、「『子どもたちの力を伸ばすために必要なこと(考え方)は何か』という視点を常に持ち続ける」ことの重要さを身に染みて理解することができました。
まだまだ教員としてのキャリアが浅い身ですが、今回の運動会の取り組みで得た経験を生かして、教育活動にまい進していきたいと思います。
掬泉寮 中二 R・石上館 中三 R
とても楽しかった運動会
家庭学校で運動会が六月十三日にありました。この運動会のために、二週間練習を積み重ねてきました。家庭学校の運動会では他の学校とは違い、全員が全種目に出場するので疲れてしまっている人もいましたが、あきらめず最後までやりぬくということができていたのですごいと思いました。
そして、僕は白組のリーダーになったので、みんなの意見をまとめたりして種目の作戦を立てたりしました。話を整理するのが難しかったですが他のみんなが僕をサポートしてくれてとてもやりやすかったです。その他にも選手宣誓や優勝旗を持って歩いたりしました。最初は、はずかしかったですがやっていくうちにどんどん慣れてきて、自信を持ってできるようになりました。
そして、プログラム二番の徒競走では、一人一人がゴールまであきらめず走りぬいてました。プラグラム三番の足なみそろえてでは、紅組と白組に分かれて二人三脚の人数が増えて走る感じの種目で、どっちの組も息を合わせて走れていました。プログラム四番の玉入れでも、紅組と白組に別れてそれぞれ工夫して玉を入れていました。これは三個差で白組が勝ちました。プログラム五番のおやつの時間だよーでは、〇×クイズがあり、正解するとそのままアクエリアスコーナーに行けて、不正解だと少し遠回りをしてアクエリアスコーナーに行ってペットボトルについているテープのところまでアクエリアスを飲んで次は、おかしをもらう先生の名前が書いてある紙を引いておかしをもらいに行って、もらったらぶらさげお菓子コーナーに行って、おかしを口でとってそのままゴールです。みんな楽しそうでした。プログラム六番の作業は楽しいでは、家庭学校ならではの種目で校内管理班、山林班、酪農班、蔬菜班、園芸班の五つの班の作業をします。校内管理班では冬に使うスノーポールにピンクのテープを巻きつけて、てっぴんの穴の中にさして山林班の所に行って軍手をつけてゴムボーイを持って木の名前と切る本数が書いてあるカードをめくって、その木を枝打ちして、終わったら「木が倒れるぞー」と大きな声で言って酪農班の所に行き牛乳缶を持ちますが、それぞれ重さが違うので重たいのと軽いのを持つ人がいます。そのまま持って蔬菜班の所に行き、水の入ったペットボトルとじょうろをコンテナの中に入れ、コンテナとホーを一輪車に積んで園芸班のちょっと前のコーンがある所まで行き、ペットボトルを持って園芸班の所に行き、紅組は赤い花を植え白組はピンクの花を植えて水やりをして先生からOKをもらったら、「作業は楽しいー」と行ってゴールしました。みんな毎日作業をしているのでとても速かったと思います。プログラム七番の一致協力では、寮対抗で一人一回一杯でお玉を使って一升瓶が満タンになるまで水を入れるリレー形式です。勝負をすると、掬泉寮が二回瓶を落としてしまって負けましたが、石上館とわずか一秒差もないぐらいだったのでいい勝負だったと思います。とても楽しかったです。プログラム八番のよっちゃれではいつも練習で声が小さかったので心配していましたが、本番では一人一人が自分の最大の声を出していたので声が大きくて良かったと思います。踊る面でもいつも練習した成果がでていて良かったと思います。プログラム九番の紅白リレーでは、バトンパスの練習をしていたので、どちらの組も落とすことなく最後まで走れていたので、すごいと思いました。
そして、団体種目で勝った組は喜び、負けた組は拍手をしていたので、良かったと思います。個人種目では、他の人に「ナイスラン」など声かけする場面があったことも良かったと思います。僕はこの運動会を通していろいろ学んだことがあったのでこれからの生活で活かしていこうと思います。
楽しかった山菜狩り
僕は、五月九日にタランボを採りに行きました。タランボは、山菜の王様とよばれていて僕は王様と言うくらいならたくさん採れないだろうと思い、山に入りました。ですが思っていた以上多く採れました。僕は、採っている時、こんなに採れるんだ!と思いました。約二十以上のタランボが採れました。
山菜は僕が知っている物で、フキ・タランボ・コクワ・ギョウジャニンニク・ワラビ・ゼンマイ・ウドの七種類あります。今回は、僕が知っている中で好きな山菜について書きます。一つは、コクワです。コクワは、長さ十~二十メートルの落葉性のツル性植物でツルは左巻きです。他の木に巻きつき太いものでは、十センチメートルにもなります。味は、キウイに似ているそうです。
二つ目は、ギョウジャニンニクです。ギョウジャニンニクは高さ四十~七十センチメートルの多年草です。強烈なニンニクの匂いがします。採る時には、スズランに似ているので気をつけて採りました。しょうゆにつけて食べるとおいしいです。ギョウジャニンニクはアイヌネギとも言われています。
三つ目は、ウドです。ウドは、高さ一~二メートルの大型の多年草です。独特な匂いと味がします。僕はあまりすきではありません。ウドには、たまにニセモノがあるので気を付けて採っています。
最後に、僕の好きな食べ方について書きます。それは天ぷらにして食べることです。理由は、味をそこなわず、サクサクした食感が好きだからです。塩をつけて食べるともっとおいしく食べることができます。まだ食べたことのないものがあるので全ての山菜を食べつくしたいです。キケンもあるけど山菜採りは、楽しいです。