ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
本校職員となりました
〈児童の声〉
校長 清澤滿
最近、子どもの権利について改めて考える機会が続きました。一つは「親権者等による体罰禁止の明確化」を盛り込んだ児童福祉法等の一部を改正する法律が四月に施行されたこと、二つ目に、新任施設長研修のテーマが「施設における子どもの権利擁護」だったこと、そして、望の岡分校の研修会で社会的養護についてお話しすることがあったからです。
親権者等による体罰禁止に関する法改正では、現行の児童福祉法第四十七条第三項の「児童福祉施設の長(中略)は、(中略)監護、教育及び懲戒に関し、その児童等の福祉のため必要な措置をとることができる」旨の規定に、「ただし、体罰を加えることはできない。」との文言が加えられました。
なぜ体罰禁止を児童福祉法や児童虐待防止法で明確にしなければならなかったのでしょうか。それは、「懲戒」という用語が条文に用いられているからだと思います。「懲戒」という言葉は、児童の福祉のために必要な監護等の措置をとる際に体罰が許容されるとの印象を与えかねません。
そもそも親権を行う者の権利義務は、民法第八百二十条に規定されており、同法第八百二十二条でその権利義務を行う際に必要な範囲での「懲戒」を認めているのです。民法の規定に倣う形で親権代行の定めがある児童相談所長や児童福祉施設の長等の監護等の措置についても、前述のとおり「懲戒」という用語を含んだまま児童福祉法に規定されているので、体罰禁止を明確にするために書き込んだのだと思います。
「懲戒」とは、「①こらしいましめること。こらしめ。②不正又は不当な行為に対し、制裁を加えること。」と辞書にあります。
我が国では、児童の権利に関する条約が一九九四年(平成六年)に批准され、「子どもの権利擁護」について、国民に対し意識の醸成を図ってきたにも拘わらず、こうした意味を持った言葉が未だに関係法律で使用されていることに強い違和感を覚えます。また、これまで何度も指摘されているように「懲戒権」の存在が、虐待をしつけと称して正当化する口実に利用される要因となっているのです。
遡ると、平成二十三年の「民法等の一部を改正する法律」により民法の懲戒に関する規定の見直しが行われたことに合わせて、児童福祉法も児童相談所長の親権代行や施設長等の監護等の措置などについて関係条文の新設や改正が行われ、現在の形になりました。この時、民法の懲戒規定については、子を「懲戒場に入れることができる」といった実態のない「懲戒場」に関する部分は削除されたものの、懲戒規定そのものは残されたままでした。そのことに、全国の児童相談所長や児童福祉の関係者は大きな懸念を抱いていたのです。
あれから九年が経った今般の改正においても「懲戒権」について法的な整理がなされないまま児童福祉法等の改正が先行し、民法上の懲戒権の在り方については、施行後二年を目途に検討を加え必要な措置を講ずるとされており、本家本元が後手に回っている感は否めません。
現在、その検討条項を受けて、懲戒権に関する規定の見直しが法制審議会民法(親子法制)部会において行われています。部会資料を読むと、少なくとも「懲戒」に代わる用語(「訓育」「教導」などが候補に挙がっている)が用いられるか、懲戒権の規定(民法第八百二十二条)自体が削除されるのではないかと思われます。そうなると「懲戒」の言葉が残っている児童福祉法等の関係条文が再び改正されることになるでしょう。
私は「懲戒」と聞くと「懲戒処分」という言葉を思い浮かべます。公務員であれば非違行為があった時に制裁を受けます。民間企業であれば、職場の秩序違反行為に対し制裁されます。社会や職場のルールを弁えた分別ある大人が懲戒処分の対象です。翻って子どもは差別や虐待から守られながら、社会のルールを身に付け、社会に主体的に参加する力を備えた大人へと成長していく過程にいるのです。その子達の利益のために行う親権や、児童の福祉のために行う監護等の措置に必要なのは、懲らし戒めることではなく、教え導くことであるはずです。
「懲戒権」については民法部会の審議を見守るしかありませんが、今回、厚生労働省に置かれた「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会」のとりまとめにおいて、体罰の範囲や禁止に関する考え方が具体的に示されたことは、大変意義深いと感じています。
先般、これを題材として被措置児童等虐待の防止について職員研修を行いました。私達の児童自立支援施設は、施設の性格や役割から、子ども達の生活に決まり事や行動上の制限が多く、また、個別的支援においても一定の制限を設けながら課題の解決を図ることがあります。子ども達には決まり事を丁寧に説明するとともに、生活や行動上の制限は本人の課題解決に必要なこと(プラスに働くもの)であることを分かり易く説明し、合意を得た上、支援していく必要があります。そこには、子どもを権利の主体として捉える意識が欠かせません。それが希薄で十分な説明がなされないままルールを守らせようとすると、ともすれば必要以上に強い指導になったり、不適切な方法で指導してしまう恐れがあるのです。
今回示された「子どもに何らかの苦痛や不快感を与える行為は、どんなに軽いものであっても体罰に該当する」との考え方は、私たちの日頃の指導支援の在り方に照らしながら理解することができたと思います。
併せて、虐待者には虐待の自覚がないことが多く、また、行為がエスカレートしていくという虐待の特徴を踏まえ、虐待とまでは言えなくても「心配な対応」や「不適切な対応」のレベルから注意する必要があるとの認識を共有するとともに、「子どもの権利擁護」の徹底など、虐待の芽を摘むための取組について皆で確認しました。
偶然にも職員研修当日の北海道新聞(五月二〇日朝刊、水曜討論)に、当法人特別顧問の家村昭矩先生(前理事長)が体罰禁止の明確化に関してインタビューを受けた記事が大きく掲載されました。背景も含めて分かり易くコメントされています。児童相談所の在り方にも言及されていますので、見落とされた方は是非お読みください。
児童自立支援専門員 佐藤高志
今年四月から児童自立支援専門員とし採用になった佐藤と申します。家庭学校では、自立支援部で、輪休寮の対応や作業班(蔬菜班)を担当することになりました。よろしくお願いします。
始めに、私の職歴を紹介します。
昭和五十六年四月に北海道職員として採用され、平成二十九年三月に定年退職するまで、殆どの期間を児童福祉行政に関わってまいりました。その間、北海道立向陽学院(女子教護院)の寮担当として二年間、網走支庁遠軽社会福祉事務所に生活保護ケースワーカーとして五年間勤務しましたが、それ以外の期間は道内の児童相談所四か所(北見児相に三回、帯広児相に二回、室蘭、函館)を転勤して回りました。北見児童相談所で定年を迎え、その後も再任用職員として三年間児童相談業務や生活保護業務に携わっていました。
家庭学校にお世話になる経緯は、定年後も児童福祉の仕事に携わりたいと考えていたこと、清澤校長(当時は副校長)からのお誘いがあったこと、遠軽に住居を定めたことなどからです。
家庭学校のことを知ったのは小学生のころで、クリスチャン家庭で生まれ育ったこともあり「遠軽には、家庭学校というキリスト教関連の非行をした子どもを預かる施設がある・・」と両親等から聞かされていました。
その後、大学に進学し社会福祉概論や社会事業史の講義の中で、「留岡幸助。東京から遠軽に入植し家庭学校を開設。夫婦小舎制。感化院(教護院)・・」と家庭学校に関する事柄を学びました。また、家庭学校に関連した書籍を読む機会があり、「流汗悟道。一路到白頭」などの言葉を知りました。まだ、知識としての段階にありましたが、施設の見学等には至りませんでした。
昭和五十六年に道職員として就職し、初任地は函館児童相談所一時保護課でした。当時の上司は北海道立大沼学園(男子教護院)の勤務経験のある人で、大沼学園の話を聞く機会も多くありました。当時は校内暴力が隆盛を極め、一時保護する児童も非行に関連した児童が多かった記憶があります。その児童たちも大沼学園に入所させることが多く、移送や施設訪問をする機会も多くありました。家庭学校には、地理的なこともあり訪ねる機会はありませんでした。
私が始めて家庭学校を訪れたのは、北見児童相談所に転勤した昭和六十一年になってからです。六月の運動会時には、石上館、掬泉寮、楽山寮の三寮に加え、桂林寮、平和寮、柏葉寮、洗心寮にも生徒がおり、参加人数も多く競技等は盛大に行われ、特に組体操は壮観だったと記憶しています。
その後の児童相談所の勤務では、児童福祉司として家庭学校に入所させ指導をお願いする立場での関わりができ、入所時の送迎、施設との連絡協議会、各種行事、卒業式等で訪問する機会や退所後の予後などの関わりが増え、家庭学校も身近なものとなりました。
ここで、この三か月を振り返りたいと思います。
私の立場も、児童の受け入れ指導や支援をしていく立場へと百八十度変わり、新たに発見したり、経験したりすることが多い三か月でした。新たな生活や業務に慣れることことに精一杯ですが、作業班学習や朝夕作業を通して流汗悟道を実感する機会だったとも思います。また、日曜礼拝、食事毎の感謝の祈り、夜の聖書輪読を通して、先人たちが築いたキリスト教の精神を受け継いでいることを実感しています。
また、輪休体制は、寮長寮母やその家族にとってリフレッシュに最適な制度であり、児童たちの行動の違いを知る機会としてもよいことと感じています。なぜなら、児童たちが日常の寮生活から離れて輪休寮で生活することで、児童たちそれぞれ異なった様子を見ることができ、今後の自立への指導や支援に役立つものと思うからです。ただ、輪休終了後の指導で寮長寮母に苦労を掛けるかもしれないのですが、今後も続けてほしい体制と考えています。
再度、今後もよろしくお願いします。
中三 H・卒一 K
「中学三年になって〜今後の目標・抱負」
石上館 中三 H
ぼくの、中学三年生での目標と抱負と今後について。
まず最初に、三年生での目標です。いろいろありますが、特に目立つ目標は、相手への気づかいです。なぜかというと、ぼくはスポーツをやる時など、特に勝ちにこだわってしまいます。そこで、自分のチームの人が失敗やミスなどをしてしまった時に、最初はそんなに強く言ったりはしませんが、その積みかさねで、少しのミスでも強く言ってしまうことがあり、レクリエーションの時や、体育の時間のバレーの時にも、同じことをしてしまい、場の雰囲気をものすごく悪くしてしまったり、イライラした気持ちでスポーツをやると、ボールをわたしたりする時に、相手のことを考えずに強くなげたりしてしまいます。このことをどうしたらなおせるのか考えました。それは、もし自分のチームの人が、失敗しても、すぐ強く言うのではなく、お手本や、どうして失敗したのかを、分かりやすくおしえてあげたり、したりして、そのことを忘れてしまうということを、考えました。このことを、かくだけではなく、有言実行できるようにしたいです。
次に、抱負についてです。ぼくの抱負は、まず、素直に、先生方の注意などを聞くことです。二つ目は、りんきゅう中でも、本館生活でも注意してくれる人がいなくても、周りの人がまちがっていることをやっていたら、いっしょになって、ちょうしに乗ったりせず、きちんと、注意や、その場に応じて、たいおうをしたいです。三つ目は、物のつかい方です。なぜかというと、本館でも、石上館でも、どこの場所でも、物を乱暴にあつかったりしてしまうと、すぐこわれてしまったりしてしまいます。あと、物をこわしすぎると、次の人のめいわくやルールが増えたりしてしまうし、機械などを、こわしてしまうと、直ればいいけど、その直すことに、たくさんの、お金をつぎたすことになるから、物を使う時は、大切に使いたいです。
最後に、今後についてです。ぼくがこの家庭学校に来て、一年がたちました。あっというまでした。この一年で、身につけたことがいっぱいあります。逆に、もっともっと知ることもあります。まず、身につけたことの、一つ目は、畑作業です。畑作業といっても、主に、畑を耕して、草を抜いたりして、その次は、うね作りや、種まき、この作業の一つ一つを、キレイに、やるということを、ここに来てから、一番に、身につけたことだと思います。ほかには、まきわりです。見てたら、簡単そうに見えますが、いざやってみると、最初の方では、まさかりを十回ぐらい上げ下げしているだけで、つかれていました。ですが、やっていくたびに、おもしろくなってきて、自由時間にでも、練習としてわっていました。ぼくはこの二つのことを、今後の進路や、進級先の場所でも、活かしていき、なるべく、めいわくをかけないように生活をできるように、今後の、生活でも日々どりょくしていきたいです。
「一時保護に行って考えたこと」
掬泉寮 卒一 K
ぼくは、六月四日から六月十五日まで一時保護にいきました。そこで考えたことが二つあります。
一つ目は、将来のことについてです。ぼくは、高校に行くか仕事につくか迷っていました。それについて、児相のたんとうの中澤先生は、「なぜ高校に行くか仕事につくか迷っているの」と聞いてきました。ぼくは、「勉強がキライなのになぜ高校に行くのかわからない」と答えました。そしたら中澤先生は、「高校は勉強だけじゃなく人との関わりとか仕事とは何かを学ぶ場所でもある」と教えてもらい、考えた結果雨竜高等養護学校に進学することにしました。
次に、二つ目に考えたことは、家庭学校での生活でどうしたらモチベーションがあがるかについてです。僕は、日ごろただただ時間がすぎるのをまっているだけの生活しかしていませんでした。それで、色々注意されて、さらにやる気を失う一方で、自信はあまりありませんでした。このことを色々な先生や児相の方にもどうすればモチベーションがあがるかをきいたら、一番多かった答えは、一日の目標をきめて生活をするとモチベーションがあがるという答えが多かったです。なのでそうしてみようと思いました。