ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
クラブ、合気道の雑感
野球部を担当して
クラブ活動を担当して
よろしくお願いします
校長 仁原正幹
オホーツク地方の六月は、今年は雨模様の肌寒い天気が続きました。五月よりも寒いくらいでした。六月には遠軽町内の小中学校各校で毎週末運動会が開催されましたが、どこの学校も雨に降られ肌寒い中での運動会だったようです。
ところが、十八日の「家庭学校・望の岡分校大運動会」はピーカンの天気。オホーツクブルーの空と強い陽射しに恵まれた絶好の運動会日和となりました。望の岡分校の両校長先生からは、ご自身の本校の運動会より遙かに天気に恵まれたことから羨ましがられました。ウチの子ども達は、普段の行いが良いんですね…。
「大運動会」の呼称は八十五人の生徒がいた当時の名残で、今年の出場選手はたったの十五名、看板が大き過ぎる気もしました。ただ、ご家族の皆さん、ご来賓の皆さん、児童相談所や原籍校の先生方、そして地元遠軽町の皆さんなど、お客様は総勢七十六名にも達し、皆さんから熱い声援をいただきました。職員が朝五時前から給食棟で作った家庭学校名物のお弁当は、お客様、子ども達、教職員分合わせて百三十個ということで、来客数とお弁当の数では「大運動会」の名に恥じない盛大なものとなりました。
十五名の子ども達も多くの皆さんの声援に応え、素晴らしい演技や走りを見せてくれました。少人数ながらも皆懸命に自分の役割を果たし、協調連携して競技に取り組みました。溌剌とした姿、成長した姿を見せてくれました。クライマックスのダンスも、練習のときを遙かに超える立派な出来映えで、多くの観衆に感動を与えたと思います。「ウチの生徒は、やるときはちゃんとやるんですよ」と、校長として内心誇らしく思いました。
上空にはスズメバチの大群が飛来したかと思わせるようなブーンという音を立てながら、新規導入のドローンが縦横無尽に飛び回り、空撮していました。家庭学校ドローンのデビューとなりました。
このときの映像ではありませんが、公式ウェブサイト『家庭学校へようこそ』に、ドローンで撮った動画をアップしています。広い構内を飛び回り、全校作業の植林風景や禮拝堂を真上から見下ろす迫力のある映像などが入っていますので、今現在の家庭学校を、鳥の目になって、是非ご覧ください。
さて、六月四日の校長講話は「お金の話」ということで話しました。在校生、卒業生の中には、お金や物などに酷く執着したり、反対に地道に働いてお金を稼ごうとしないために自立が遅れたりということが多く見られるので、今回はお金をテーマに次のように語りかけました。以下、講話の概要です。
○
皆さんは、世の中で一番大切なものって、何だと思いますか。お金かな、名誉かな、時間かな、人の心かな、いろいろ考えられるよね。今日はみんなにお金についての話をしたいと思います。お金があれば幸せになれるかという話です。
ある本を読んでいたら、こういう場面が出てきました。ある学校の卒業式の話です。来賓として出席した地元の市長さんが生徒に向かってこういう祝辞を述べていました。
「皆さん、今から世の中に出ていったら、覚えておきなさい。お金では幸福は買えない。お金では尊敬は買えない。お金では名誉は買えない。しかし、お金は貯めなさい。」
皆さんはこの話を聞いてどう思いますか。なんだか、前の方と後の方がちょっと矛盾しているような気がしないでしょうか。前段は、「お金があるからといって必ず幸福になれるわけではない。尊敬されるとも限らない。名誉が得られるわけでもない。だからお金儲けにあくせくするんじゃないよ」という所謂(いわゆる)精神訓話だと思います。
「人間は中身だ、ボロは着てても心は錦だ」というわけです。「お金なんかに目もくれず、心を磨いていこう。世間の目なんか気にするな」と言っているのではないでしょうか。私もまったくそのとおりだと思います。
それでは、最後の「しかし、お金は貯めなさい」とは、どういうことを言ってるのでしょう。どうも俗物根性、事大主義の臭いがして、私はちょっと違和感を覚えました。世の中には「事大主義」というものがあるんですね。難しい言葉ですが、簡単に言うと「長いものには巻かれろ。強いものには従おう」という自主性を欠いた考え方のことです。「俗物根性」ともいうもので、名誉や利益に囚(とら)われてばかりいるつまらない人の考え方で、私などはこの考え方が大嫌いです。
でも、こういう事大主義のような考え方は根深い人間の本性であって、残念ながらいつの時代にも人間の弱い心の中にあるもののようです。良くない考え方です。強い人に阿(おもね)ってはいけないよね。みんなの中にも、力の強い人に気に入られようとして、無理をして阿っている人いないかな。そういうことはやめた方がいいね。そういう癖を直さないと、世の中に出たときに苦労します。
お金の話に話を戻すと、本来なら家庭学校の校長としては、若い君達への精神訓話として「お金なんかに目もくれずに心を磨いていこう。人間は中身さえ立派なら外見なんてどうでもいいんだよ。世間の目なんか気にするな」と、日曜講話でお話しするべきかもしれません。
本来人間は中身さえ立派なら外見などどうでもいいはずです。ところが、実際には世間はなかなかそうは見てくれません。良い服を着ている人を立派だと思い、大きな家に住んでいる人を偉いと思い、そうでない人を軽く見ることがありがちなのです。こういった考え方は、さっきも言ったように残念ながら根深い人間の本性のようで、いつの時代にも人間の弱い心の中にあるように思います。
だから、きっとこの市長さんは、「人がそういう見方をするものだと知っていれば、大人になってから役に立つから覚えておくといいよ」と、敢えて生徒たちに忠告してくれたのではないかと、私は思いました。
それからもう一つ、大金持ちになる必要はないのだけれど、普通の生活に必要なお金が足りないと、とんでもない苦労をします。自分のことを大切にできなくなります。自分らしく生きられなくなります。
みんなの中にも、家庭学校に来る前にお金のことで苦労した人はいると思います。最低限必要なお金がないと、悪いことに巻き込まれる恐れがあります。人の物を盗もうとしたり、騙(だま)してお金を取ろうとしたりと、残念ながら悪いことを考える人が世の中にはいるものです。「振り込め詐欺」とか「オレオレ詐欺」なんていう言葉、新聞やテレビのニュースで見たことや聞いたことあるでしょう。手っ取り早く、安直に、額に汗しないで、簡単にお金儲けができると誘われたら、断固としてキッパリと断ることです。
そういう一見うまい話には必ず裏があります。落とし穴があります。仮に一時的にお金を手にすることができたとしても、それは自分の心や身体をダメにしたことの代償です。自分を大切にしないことの代償です。
自分を大切にしないと、どうなるか。
自分を大切にしない人は、当然自分の生活が成り立たなくなっていきます。そして、他人も大切にできません。世の中も大切に思えなくなり、自分勝手な言動をします。そうすると誰からも相手にされなくなり、その結果、寂しい人生を送らなくてはならなくなります。
だから、社会で自立して生きていくために必要なお金を、毎日規則正しく働いて、勤勉に仕事をして、自分の力で稼がなければいけません。そして、稼いだお金を無駄に使ってしまわないで、ぜーんぶ使ってしまわないで、まさかの時のために、ある程度は貯めておく必要があるのです。
長くなったけれど、今日のお話は「世の中にはお金よりも大切なものがたくさんある。お金では幸福や名誉は買えない。だから、お金にとらわれてはいけない。でも、社会で自立して普通に暮らしていくためには、ある程度のお金、最低限の生活費が必要なので、お金は大事にしよう」というお話です。
お金についてはいろいろな考え方があると思います。また時期を見て、別な観点からお金のことをお話ししてみたいと思っています。皆さんも、時々考えてみてください。今日のお話を終わります。
掬泉寮寮長 藤原浩
遠軽は合気道ゆかりの地で、合気道開祖植芝盛平翁と校祖留岡幸助先生の交流があったという縁から、二十年前から「森の学校道場」として師範とお弟子さんで子ども達の指導をしていただいています。私は昨年から合気道部に入り、五月から十月の間、毎週土曜日の午前中のクラブ活動の時間に、生徒と一緒に習うことを楽しみにしています。
家庭学校に来る前は、柔道や剣道などの武道にはまったく無縁なもので、「合気道」という名前は聞いたことがあるぐらいで、まさか自分が道着を着て合気道の稽古をするとは思いもしませんでした。約半年の練習を経て、一教、四方投げ、入身投げ……、技の名前は次から次と出てきて、動きは簡単そうに見えますが、いざやってみると、どうするんだっけ?となってしまいます。また、どうしても力任せになりがちで、技が利かないことが多いです。
合気道は「精神的な境地が技に現れる」とされており、精神性が重視されます。合気道の理念としては、武力によって勝ち負けを争うことを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としています。難しい言葉の羅列になりますが、私は、相手のことを受け入れることと理解します。
これは、まさに自立支援施設の子どもに必要なものであろうと思います。どうして俺のことを分かってくれないのですか、なんであいつが○○、との言葉を耳にすることが多いです。当然のことですが、相手のことを受け入れようともしなければ、相手も自分のことを理解しようともしない。合気道の道場に置き換えれば、対立関係になってしまい、技が利かないことになってしまいます。
また、合気道は合理的な体の運用により体格体力によらず相手を制することが可能であるとしているのが特徴です。今年合気道の部員に、立ち方、歩き方がだらしなくて目立つ子がいます。ぜひ、この「合理的な体の運用」の習慣を身に付けてほしいと願っています。
その他に、礼儀、作法、呼吸法など、稽古のみならず、日常生活に活かせるものがたくさんあると思います。まだまだ理解が浅いですが、今後も生徒と一緒に習いながら考えていきたいと思います。
児童自立支援専門員 竹中大幸
今年度のクラブ活動が始まって一月半が経とうとしています。例年通りの合気道があって、屋内はバドミントン、屋外は野球をすることになり、野球部を担当することになりました。全体の児童数が少ないのですが、野球には半数以上の八名が参加してくれています。
私が家庭学校に勤務しはじめの頃も野球部を担当していました。当時はチームを作って試合にも出たのですが、勝つことが出来なかったのが残念でした。
私が小学生の頃に野球部に入っていたこともありましたが、友達と草野球をしてどのようにプレーするのか、つまりルールを分かってやっていました。今の子ども達は野球に興味がなかったり、友達と草野球をした経験がないようです。テレビでプロ野球を見たことがあっても、ルールをよく知らないからどのように動いたらいいか分からないということがあるようです。
もちろん中には北海道日本ハムファイターズのファンで野球が好きな子、上手な子もいます。それでも私が小さい頃に経験してきたことが、今の子どもにはそんな機会がなかった状況にあったのだなと感じています。
家庭学校という限られた場所でのクラブ活動ではありますが、子どもにはのびのびとやってもらいたいものです。以前、分校の高松教諭が飛び入りで参加してくれたことがあったときはみんなも喜び、経験者である教諭のプレーを見て子どもは感心していました。そんな楽しいひとときを与えてくれたことに感謝します。
野球を楽しむことはもちろんですが、その中でも基本的な挨拶や返事などの礼儀はしっかり身につけていくことが大事だと思っているので、これからも基本を大切にしていきたいと思います。
最近は天候が悪くグラウンドが使用出来ない状況が続き、寮毎のレクリエーションをすることも多くなってきています。
そうなると野球部に所属する子どもはみんながっかりしてしまいます。自由度の高いレクより、制限のある野球をそれだけ楽しみにしてくれるということを担当としては嬉しく思いますが、早く晴天の中での野球を楽しみたいものです。場所的にも屋内での活動は無理かと思いますが、担当として鬼頭主幹、千葉先生と共に野球に関わる運動を考えていかなければならないと思っています。
限られた回数しかありませんが、これからも子どもの成長と共に野球を楽しんでいきたいと思います。
児童生活指導員 前谷典弘
学生時代はライフセービング活動を行っていたせいか、球技はずいぶん苦手意識があります。そんな私ですが、クラブ活動で指導を担当できればと依頼され、大学授業でプレーしたバドミントンの担当をお引き受けしました。バドミントンは瞬発力や動体視力、それに展開を予想しながら行うスポーツです。スポーツ指導もさることながら、子どもの監護を行うことも同時に求められる立場になり、新米の生活指導員に何ができるか手探りで指導を始めました。
実際に指導を始めてみて、子どもたちの運動神経や身体の動きのキレを目の当たりにしました。中卒生のK君と中学三年生のS君の対戦では、スマッシュやフェイントを効果的に打ち込む、展開の速さ、返しにくい厳しいコースを打ち返すプレーに羨望のまなざしが集まっていました。指導者として、より技術力を高めるべく練習方法を工夫しなければならないと思っております。同時にバドミントン初心者の生徒にも楽しんでプレーができ技術が身についたと実感できるような配慮をしていこうとも考えています。
子どもの監護では、児童間の関係を考慮して行う大切さを痛感しております。クラブ活動初日には寮内指導中の子どもへの対応があり、指導中の子どもは職員としか関われないなど指導上のルールや決まり事を理解して運営していかなければなりません。また、トラブルや落ち着きがなくなることを防ぐため、児童の特性に配慮した組み合わせを考えて進めています。ある二人を近づけると化学反応のようにふざけあってしまうことがありました。別件でその二人に指導をしていたにもかかわらず、クラブ活動で私が配慮しなかったばっかりに悪ふざけに発展してしまい、それを鎮めるのに苦労しました。子どものおかれている立場や、これまでの児童間の関係性を把握しながら進めなければならないクラブ活動の難しさを感じています。
ライフセービングの言葉の中に「ライフセーバーはいないほうが良い」というのがあります。海を利用する者全員が安全に配慮することができれば見守る必要はなくなるというものです。クラブの指導員として同じようなことを願うことはできませんが、子どものできる部分では、この精神と同じように子どもたちが自主的な活動を通して成長できればと考えています。
よい選手がよい指導者になるとは限りません。しかし、経験の少ない者が指導を担うにはより一層の努力が必要であると感じております。今後も子どもたちが安全に力強くプレーができるよう私自身を律して頑張ってまいります。
栄養士 和田希望
五月一日から家庭学校の栄養士として勤務している和田希望です。私が働き始めてもう少しで二か月が経ち、まだまだ分からないこともたくさんありますが、できるようになったことも増え、少しずつですが仕事にも慣れてきたかな~と感じています。
私は四月まで、遠軽町ではないところで今とは違う仕事をしていました。ですが、やはり持っている資格を活かして働きたいと思い、地元である遠軽町に戻ってきて栄養士として働くことを決めました。資格を取得して学校を卒業してから二年が経っていて、ブランクがあるという事が自分の中で引っかかっていましたが、家庭学校に電話をかけた際に、「ブランクがあっても大丈夫」と言っていただき、履歴書を送ることを決めました。そうして働かせていただけるということが決まりました。
初めて出勤した時は不安でしたが、皆様本当に優しくて、楽しくお仕事をさせて頂いています。この二か月、私は発注の間違いだったり、食数のミスだったり、ひとりで出来ないことがあったりと、みなさんに迷惑をかけてばかりです。ですが、みなさんに助けていただいているおかげで、仕事が出来ているんだなあと日々感じています。これからもたくさん、みなさまに迷惑をかけてしまうと思いますが、頑張りますので、よろしくお願いします!
また、給食には家庭学校で採れた野菜を使うことも多く、その時採れた野菜を蔬菜班のみなさんが持ってきてくれます。採れたものをそのまま使うというのは、他の施設ではあまりないと思いますし、栄養士の仕事では滅多に経験できないことをさせていただいていると思っています。野菜のことや、調理方法など自分の知らないことも多く、とても勉強になりますし、その中で働いていることを嬉しく思います。
私は主に給食棟で仕事をしているので、生徒の皆さんと直接関わることはあまりありませんが、毎日の食事を通じて、食べることの大切さやマナーなど、少しでも何か学んでいただけたら嬉しいなと思っています。私自身、教えることは得意ではないのですが、出来ることを行ってまいります。
これからも、安心安全で、おいしい給食を提供できるよう努めてまいります。至らない点が多々あるかと思いますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。