ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校の記録システム
よろしくお願いいたします
ご挨拶
初めまして。よろしくお願いします。
春の訪れ
〈児童の声〉
校長 清澤満
先日、遠軽駅前に建設されている芸術文化交流プラザ(愛称「メトロプラザ」)を見せていただきました。地元遠軽高校の吹奏楽をはじめ芸術文化活動に力を注いでいる遠軽町待望のホールがほぼ完成し、八月のオープンを待つばかりになっていました。メインホールとなる大ホールの腰壁には家庭学校で育った展示林の材がふんだんに使われていました。東京オリンピックをはじめ本校の展示林が様々なところで活用されており大変嬉しく思います。この日、メトロプラザでは展示林を使用して製作された椅子の贈呈式が行われ、家庭学校にも遠軽町建設業協会様からスリムアームチェア一脚を寄贈していただきました。株式会社北海道ポットラック様から頂いたアームチェア(同じく展示林材を用いた日本オリンピックミュージアムモデルのチェア)と共に二脚並べて本校の玄関ホールに展示しています。いずれも東京で工房を開かれている家具職人松岡茂樹氏(四十二歳の若さでその卓越した技能が認められ、厚生労働大臣から「現代の名工」として表彰された方です。)の作品であり、その確かな技術で削り出された無数の曲線から生まれる滑らかな曲面が手作り家具の美しさを際立たせています。ご来校の折には包み込まれるような座り心地を是非味わっていただきたいと思います。
さて、穏やかな天候が続き桜前線がいつもの年より早く北上しています。家庭学校の桜も所々で花開いてきました。そんな中、非常に残念に思う事故等の報道が続いています。いじめを苦に命を絶った旭川の中学生。事実関係が明らかにされるにつれ、学校や教育委員会の当事者責任を放棄したような対応振りに驚くとともに、なんとも表現のしようがない虚しさのようなものを感じます。知床では強風・波浪注意報が出ている中、観光船の無謀とも言える出航判断で尊い命が奪われました。その運航会社は、海上と陸上を繋ぐ通信設備の管理が杜撰であるなど、命を預かる仕事をする資格があるとは到底思えません。こうしたことがこれまであまり表沙汰にならないまま世界遺産観光に関わり続けていられたことに行政機関も含めて関係する人たちの対応に疑問を感じてしまいます。少なくとも責任ある立場の人たちの真っ当な判断があれば、これら二つの事件・事故で命を落とすことはなかったと思います。
そして、ロシアがウクライナに侵攻して二か月が過ぎました。主戦場のウクライナでは、ロシアによる病院や学校などを標的とした砲撃が行われ、これまで普通に生活していた人たちの命がいとも簡単に奪われているという悪夢のような現実に心が締め付けられます。どんな事情があろうとも武力によってねじ伏せるように自国の主張を認めさせようとする行為は許されるものではありません。これまで何度も繰り返されてきた戦争という悲劇をもたらす愚行を私達人間は止められないのでしょうか。まずは一日も早く銃を下ろして、対話による解決を目指して欲しいと強く願っています。
この侵攻を機に、不安を煽る言葉を並べて改憲議論を推し進めようとする動きがあります。戦争の放棄を謳った憲法第九条の改正を意識したものだと思います。様々な考え方が存在するでしょう。しかし、攻撃であれ反撃であれ、一度(ひとたび)武力を行使すれば激しい命の奪い合いが起きることは想像に難くありません。いまこそ戦争放棄を誓った九条の存在を改めて世界に知らしめ、国際社会において武力を用いた不毛な争いが生じないよう平和主義に基づく日本の外交姿勢を示して欲しいと私は思います。
私達はどんなことがあっても暴力は許されないと子ども達に言い聞かせています。体育館には平和について考えるオブジェを飾りました。次の校長講話では平和と命について子ども達に話そうと思います。現場の責任者として自戒しつつ。
掬泉寮寮長 藤原浩
私が家庭学校に来た八年前、本館職員として寮長先生方が輪休(休み)の時に寮対応に入っていた頃の記録作成について振り返りたいと思います。当時の寮日誌はすべてワープロファイルで作られ、印刷して決裁に回したものを寮担当がファイルに綴じることになっていたため、日誌を目にする時には時差が生じていました。情報共有という点において、印刷後の紙資料が情報共有のベースになっており、世の中の福祉施設から見ると非常に遅れていました。また、輪休で寮対応の時には、その直前に寮の状況及び子どもの様子を口頭で引継ぎを受けていましたが、口頭での説明だけではその前後の関連した情報がなく、ピンとこないことが多々ありました。輪休対応時に記す寮日誌をできるだけ詳細に記録し、できるだけ子どもの情報を他の職員に伝えようと心がけていました。しかし、決裁にあげる日誌が数日を渡って読めるようになることが非常に不便でした。また、分校にはとにかく口頭での情報しかなく、日誌や記録を読んでもらうことはほとんどなかったと思います。
そこで、なるべく早いタイミングで、なお手軽に児童の記録を読めるよう方法を考えていました。最初に思いついたのが共有ネットワーク内でのファイルの共有でした。しかし、家庭学校のインターネット事情で、共有になっているネットワークは本館の中のみで、実際記録を書く作業は敷地内に点在する各寮舎で行っています。また、共有ファイルは同時に一人しか編集できないとの不便性があるため、どこにいても記録・閲覧できるようにしたいと考えました。
学生の時にプログラミングを独学し、アルバイトでホームページなどを作る経験があったため、汎用のサーバー上に寮日誌の記録システムを試作しました。中身が非常に単純なものではありますが、ユーザー名とパスワードを付与された人がインターネットに接続できる環境、できる場所であればどこでも見ることができるようにしました。また、文字情報しかないため、多少インターネットのスピードが遅い場所でも閲覧可能です。さらに、蒦本先生がトップページを開くと最新の日誌が表示されるように改良してくださいました。実際に試運用し始めたのが平成二十七年の九月で、その後、周囲のリクエストで予定掲示板や児童の診療予定、心理面接、分校とのファイル共有スペースなどの補完機能を追加しました。さらに、作業班の予定を分校と共有できるように、蒦本先生が作業班予定のページも作ってくださいました。記録や情報の共有は以前より便利になり、多くの先生方がスマホで操作し、時間を置かずに情報を確認できているようです。
試運用のつもりで作成したものがかれこれ七年ほど使ってきました。児童の情報を載せているため慎重に扱わなければなりません。定期的に古い記録を削除するなどを行っていますが、自作のものでセキュリティは非常に脆弱なもので、使用するのにあたって不安であり、かといってこれ以上のものを構築するのに技術的に困難があると感じていました。
昨年、留岡地区(家庭学校敷地)に光回線が導入されるとの朗報が入り、これを機に記録のシステムをリニューアルする進言を校長先生にしてみました。理事会による協議で可決をいただいて、今は業者(株式会社 会計情報システム)さんと打ち合わせをして案を煉っている最中です。新しいシステムには寮日誌や予定表、職員の動向も無論、日々記録した児童の様子は経過記録という表示でアウトプットもできるように依頼しています。これまでは、毎日記録した寮日誌を週毎に子ども別にコピー、「経過記録」という様式に張り付けるという、非常に手間暇がかかる作業がこれから楽になればいいなと思います。
余談になりますが、かつて在職していた捧一先生がファイルメーカーを使って児童台帳のデータベースを作っていました。今でも様式をそのまま使用していますが、マシンのOS及びファイルメーカーのバージョンが古くなり、パソコンの容量の上限にも達しているため、最近数年分の児童データが全く保存ざれず、常に上書きの状態になっています。非常にもったいないため、新しいシステムに児童台帳(閲覧制限あり)も加え、古いデータもインポートできるようにしてもらいたいと思います。
このように、先輩職員の思いを引き継ぎ、新しい職員に伝承できるように、使いやすいシステムができることで、より一層、児童への支援につなげられるように考え、できるだけ早く運用できるようにしていきたいと思います。
児童生活支援員 藤田郁実
令和四年四月から児童生活支援員として勤務させていただいております。早速ではありますが、私の経歴についてお話させていただきます。私は平成十一年に余市町で生まれ、余市町立沢町小学校、余市町立西中学校ではサッカーに明け暮れる毎日でした。高校は小樽桜陽高等学校に進みましたが、規模の大きさに圧倒されてしまい、クラブ活動など思うような高校生活を過ごせなかったのが残念です。
当時、幼稚園教諭を志していたので、高校卒業後は名寄市立大学社会保育学科に進学しました。大学での講義を受ける中で、児童福祉、発達障害に興味を持つようになり、大学三年次の実習で大沼学園に行ったことが児童自立支援施設との出会いでした。子どもたちの礼儀正しさに驚かされ、人懐っこさに元気をもらえたことを今でも覚えています。私は大沼学園での実習中に児童自立支援施設で働きたい、夫婦制の寮運営をしたいと思うようになったのですが、「ここにくる子たちは良くないことをしてしまったかもしれないけれど、この子たちだけのせいなのかな?」と考えさせられたこと、夫婦制の寮を運営されている寮長先生の「より家庭的な環境で子どもたちに家庭の温かさを感じてほしい」「子どもたちに父親の役割を伝えたい」という想いへの憧れ、子どもに「寮母先生のこと好き?」と聞いた時に今まで見たことのないくらい素敵な笑顔で「大好き」と言っていたことがきっかけになりました。
その後、幼稚園実習、保育所実習を終えても児童自立支援施設で働きたい気持ちが揺らぐことはありませんでしたが、幼稚園教諭を志していた私は幼児と関わる仕事をしたい気持ちもあり、進路について考えていると、先輩や先生から「児童自立支援施設に興味があるなら家庭学校での実習もお願いしてみるといいよ」と言われ、話を聞いてみると何だか楽しそうだと思い、大学三年次の二月に初めて家庭学校で実習させていただきました。冬の寒さが厳しい大自然の中で作業をすることは大変ではありましたが、牛舎まで牛乳を取りに行ったり、薪割をしたりと新鮮なことばかりで毎日充実感がありましたし、何より子どもたちとの生活が楽しかったです。事前に聞いてはいましたが、寮や給食棟で職員の方が食事を作ってくれていること、その食事の美味しさ、寮長先生と子どもたちが外で作業をして、お腹を空かせて寮に戻ると、寮母先生が食事を作って待ってくれていて、子どもたちが「ただいま」と言うと「おかえり」と言ってくれることに家庭的な温かさを感じました。
そんな家庭学校の魅力に取りつかれた私は、大学四年次の五月、七月、八月の実習、二月~三月の研修を経て、現在、西村寮長のご指導の下、恐れ多くも石上館の寮付きとして寮運営に携わらせていただいております。作業や子どもたちへの対応など右も左も分からず、もがく毎日ですが諸先輩方から多くのことを学び、少しずつ成長していきたいと考えております。何年後、何十年後になるかは分かりませんが家庭学校で夫婦制の寮運営をすることが今の目標です。目標に向かってがむしゃらに頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
望の岡分校分校長 佐藤文昭
縁あって望の岡分校長としてお世話になります。先日、仁原理事長が東小学校を訪ねてくださり、この「ひとむれ」のことを教えていただくとともに、北海道家庭学校の様々なエピソードについて話してくださいました。お話を伺ううち望の岡分校には多くの方がかかわるとともに、以前分校に勤めていた方がしばらくして教頭・校長として再び戻ってこられる例も非常に多いことを知りました。遠軽町での暮らしや仕事自体が初めての私ですが、早く遠軽の空気や水に慣れ、北海道家庭学校のあゆみを学び、この風土が生み出す教育力を感じることで、少しでも子供たちの自立や成長のため力になれるようにと、決意を新たにしているところです。
四月から早速何度か家庭学校に足を運ばせていただきました。着任式では私も着任挨拶の機会をいただきました。その後の始業式では清澤校長先生のお話をしっかりと聞いている子供たちの様子が印象的でした。誕生会は、分校職員を含め家庭学校内の様々な場所で業務に当たっている方々が一堂に会し、子供たちとともに楽しい時間を過ごすというもの。皆さんにとっては当たり前なのかもしれませんが、初めて参加する私にとっては、驚きであるとともに、とても素敵な行事だと感じました。子供たちの誕生日メッセージやお礼のやり取りも、素朴で温かくほのぼのとするものでした。大きなハンバーガーが二つも出ましたが、多くの子はペロッと平らげていました。さすがです。クイズなどの計画も担当の生徒たちで考えたのでしょうか。いろいろ知りたいことが膨らみました。本当は食べながらお話をしたり、お聞きしたりしたかったのですが、新型コロナウイルス感染防止のため黙食させていただきました。それでも、子供たちと職員が一緒になって同じ時を過ごし語り合う、本来の姿は伝わってきたように感じています。また、誕生会の場に同席することで「能く働き 能く食べ 能く眠り 能く考える」という人間の原点部分を育む教育活動の一端を見せていただけたと感じました。
これから度々家庭学校に伺い、行事等に参加することと思いますが、学習活動の様子や作業班活動など、普段の活動についても拝見させていただければ幸いです。遠軽東小学校の学校経営要項には各年度の学校経営計画が記載されていますが、学校経営の基本方針には長らく「すべての教育活動は、子どものために」という文言が掲げられています。これは家庭学校内に望の岡分校を開設する際に、分校ならではの教育課程を編成する際の合言葉であったとの記述がありました(『「家庭」であり「学校」であること ―北海道家庭学校の暮らしと教育:北海道家庭学校 編 生活書院』)。東小学校の中にも、当時の思いが言葉として受け継がれていたのだと、気づくことができました。
今後も、北海道家庭学校・望の岡分校が一つになり、引き続き子供たちの成長を支える活動が推進できるよう、微力ではありますが力を注いで参りたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
望の岡分校分校長 竹次康人
この度の異動で美幌町立美幌中学校から遠軽中学校に赴任してまいりました。十八年前、教諭として遠軽中学校に勤務していた時期があり、向陽寮の寮長さんのお嬢さんを担任していたことから、家庭訪問で寮長さん宅に一度お邪魔したことがありました。しかしそこから先へは入ったことがなかったので、四月一日の着任では何より敷地の広大さに驚きました。正門から本館までの距離が長いことにも驚きましたが、その広大な敷地のあちらにこちらに様々な建物があり、この岡全体が家庭学校であることを理解することに何日かの時間を要するほどでした。
四月六日には家庭学校・望の岡分校の着任式・始業式があり、児童・生徒の皆さんや職員の皆さんと初めて対面することができました。始業式の中では児童・生徒一人ひとりが寮での生活について、本館での生活について、それぞれが担う作業についての目標を発表してくれました。その様子から、これまでの生活や経験で大切だと感じていることをよく踏まえた発表だということがすぐに伝わってくる内容でした。私はまだこちらでの学習の様子、活動の様子、生活の様子を何もわかっていないので、早く、そしてたくさんのことを知りたいという気持ちでおります。
その助けになったのは本館の廊下です。家庭学校での活動の様子がよくわかる写真などがたくさん取り入れられた掲示があり、私を案内してくれた吉村教頭先生が、いろいろと説明してくれました。花見の会のこと、研修旅行のこと、運動会のこと、平和山の登山のこと、誕生会のこと、マラソン大会のこと、スキー授業のこと、そして毎日の作業のことなどについてです。この先行われるこれらの皆さんとの学習や行事などを、とても楽しみにしております。
早速ですが、四月十三日には誕生会に参加することができました。四月生まれの児童・生徒だけでなく職員一人ひとりにも、児童・生徒の皆さんからお祝いの言葉が告げられました。実は私も四月生まれであり、着任したばかりで皆さんとは幾らも共に過ごせていないのに、温かい心配りをしていただき、祝福していただいたわけです。五十五歳の誕生日は、そんなことでたいへん嬉しいものとなりました。また一緒にいただいたご馳走は、前任の校長先生から話では聞いておりましたが、食べきれないほどの量があり、またたいへんおいしいものでした。
このひと月の間にも望の岡分校に足を運ぶたび、様々なことに込められている意味を感じたり考えたりします。家庭学校の校章について、寮や施設・岡につけられている名前について、廊下に飾られている絵について、児童・生徒の一日の過ごし方について・・・。何より、岡の上に凛とたたずむ礼拝堂の容姿を前にすると、背筋が伸びる思いです。望の岡分校の教育に携われることを誇りに思うのと同時に、これからよろしくお願いいたします。
教頭 吉村憲彦
戦争や新型コロナウイルスなど先行きが不透明な世の中ですが、望の岡分校にはいつもと変わらない春が来ました。家庭学校の敷地内の桜が見事に咲き誇っています。太陽の光をいっぱい浴びた家庭学校の桜は、気持ちを明るくしてくれます。早く戦争が終わり、平和な世の中になることを祈っています。
さて、令和四年度の望の岡分校の教育活動がスタートし、一ヶ月が過ぎました。
昨年度に引き続き、家庭学校には、毎朝の検温や手洗いうがいの徹底、マスクの着用などご協力いただいております。分校でも、職員のマスクの着用、授業形態の工夫、教室の消毒、換気などの感染症対策を続けています。
今年度、分校では次の通り令和四年度の重点目標を掲げています。
重点目標 [未来に生きるため~心のつながりを大切にする児童生徒の育成~]
重点目標の達成に向け、二つの基本方針を設定しました。
アメリカの心理学者によると生存欲求が満たされることで関係欲求が生まれ、成長欲求につながるとされています。家庭学校に来る子どもたちの中には、自分の家庭であっても安心安全に暮らすことのできない子どももいます。また、安心安全に暮らしていたとしても、人とのかかわりがうまくできず適切な人間関係を築けない子どももいます。そのような中で毎日生活していると、成長欲求つまり学びたいという欲求が生まれにくくなることがあります。
家庭学校にいる限り、子どもたちは安心安全に暮らすことができます。次に大切なのは、適切な人間関係の構築です。子どもたちが自分自身の成長を実感するために良好な人間関係を築くことが重要であると考えています。
分校では心のつながりを大切にする児童生徒の育成のため、今年度以下の二
点をポイントに教育活動を展開します。
基本方針1 [達成感や充実感を積み重ねる教育の推進]
分校の子どもたちは、これまでの義務教育の枠組みからはみ出さざるを得なかった子どもたちです。勉強が大嫌いになり、大人を信用しないのが当たり前の状態でやってきます。心のつながりのない子どもたちに普通に授業をしても、通用しないのが当たり前です。そこで、そんな子どもたちと心のつながりを持つために、子どもたちの達成感や充実感を積み重ねる教育を推進します。
子どもたちの中には、不登校気味になり、本来であれば適切に積み重ねられている学習内容を全く理解していない子どももいます。また、発達障害があることに気づかず、通常授業のやり方に無理に合わせてきたために学習内容を理解できずに成長した子どももいます。そんな子どもたちに達成感を味わわせるために、児童生徒一人ひとりの個別の指導計画を整備し、その子どもに合った学習内容を少しずつ進めていくスモールステップで学習を進めていきます。さらに、子どもたちが頑張ったときに教師が「褒める」「認める」ことで子どもたちに心の
つながりを感じさせます。
基本方針2 [自己肯定感を磨き、自他を尊重する教育の推進]
分校に転入してくる子どもたちは、自分自身を否定しがちです。これまで、褒められることや認められることより、怒られることや否定されることの方が多かったのですから仕方ありません。そんな子どもたちが自分を認め、友だちを認めるというのは、とても難しいことです。
そこで分校では、子どもたちにできることを増やし、褒められる場面を多く作り出すことで、自己肯定感を高める教育を推進します。
その中で、子どもたちのことを一番に考え、大切にする我々大人の気持ちが伝われば、子どもたちも大人を信頼し、心のつながりが強くなり、さらに自己肯定感が高まると考えます。自己肯定感が高まるということは、自分の成長や良さに気づくことにつながります。他者を認められるようになるのはその後です。自分のことで精一杯で心の余裕がないと、周囲のことを考えることはできません。自己肯定感が高まり、自分の心に余裕ができた時、周りの人を気遣うことができるようになります。そのために、授業を通して子どもたちの自己肯定感を磨きたいと考えています。
家庭学校での生活が安定した子は、地元の学校に戻ったり、高校に進学したり、就職したりと、みんなそれぞれの未来を拓くために巣立っていきます。その時に向け重点として掲げた目標や方針に子どもたちが少しでも近づき、自分の未来を切り拓いていく子どもたちの姿を願い、今年度も教職員一丸となって教育活動を推進していきます。遠軽町教育委員会、家庭学校、その他関係機関の皆様におかれましては、これからも様々な面でお世話になります。今後ともご指導、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
石上館 中二 K・石上館 中三 S
「これからの自分」
僕は、家庭学校に来て約二年が経ち、この期間の中でできるようになったこと、変わったこと、それをどう継続していくのか、またこれから改善していくことを話します。
できるようになったことは、作業で疲れづらくなり効率よく進めることができるようになりました。これは日々の作業の中で体力がつき、体力がついたという自信から、作業をどのようにしたら、効率よくできるかを考えられる力が身に付いたからだと思います。
次に、変わったことは、対人関係が良くなりました。これは、人との関わり合い一つ一つを失敗する度にどうしたら関係が良くなるかを考えて実行した結果、少しずつ良くなってきました。もし、退所することになっても、ならなくてもここで身に付けたことはすごく大切なことばかりです。身に付けたことはこれから、できなくならないようにしていくことが基本だと思っています。その基本を忘れないように心がけていきたいです。
最後にこれから、改善したいことは、やるべきことは最低限しておくことです。怠け心が出てしまうと、その最低限すらもできなくなってしまいます。その心に打ち勝つ力を身に付けていきたいです。身に付けたことは継続を心がけ、改善していきたいところは意識して、より良い生活をこれからも目指していきたいです。
※ 編集より
K君は、三月末に退所しました。新しい環境にも慣れて頑張っているようです。
「ひとむれ会の副理事長になって」
一学期になりひとむれの選挙で副理事長になり、これから自分がしていく事や直していきたい事を三つ書きました。
一つ目は挨拶です。一学期の最初という事でこの目標になりました。どの目標でも同じなんですが自分がちゃんとやらなければ、皆がついてきてくれないと思います。挨拶について戻りますが挨拶をする時に口調や声の大きさなどでその人の一日の印象が決まるので挨拶は大事だと思います。
二つ目は言葉づかいです。僕は生活している時に先生に敬語を使わない事が多いので直していきたいです。
三つ目は大声を出しすぎない、ふざけている時は引き際を誤らない。大声を出したりふざけすぎると怒られる可能性があるので気を付けたいです。大声を出しすぎないと書きましたがかけ声などの時は、しっかり大きな声を出したいと思います。
僕は副理事長になりすごく緊張しています。できるだけ早めに慣れてこれからゆだんしないように頑張ります。そして出来ている事は続けるように、出来ていなかったりこれからの自分がしていかなければいけない事は頑張って出来るようにします。
一学期は副理事長で頑張っていきます。