ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
平和山登山
家庭学校職員の声
ニューフェイス登場
新年度を迎え
望の岡分校ニューフェイス
校長 仁原正幹
北海道家庭学校の平成二十九年度は、入所児童数十五名という少ない人数からのスタートとなりました。例年三月は、中学卒業、高校進学、学年進級などの節目の時期なので、それに合わせて退所ラッシュとなります。今年も十一名もの児童が一気に退所し、それぞれ家庭や児童養護施設、自立援助ホームなどに向けて巣立って行きました。そのことが児童数減少の一つの要因です。
加えて、寮体制の縮小も影響しています。近年は、石上館、掬泉寮、楽山寮、向陽寮の四寮体制が定着していましたが、今年度当初は二寮になってしまいました。まず、高校生専用寮として二十年近く稼動してきた向陽寮ですが、今年一月に遠軽高校のそばにオープンした自立援助ホーム「がんぼうホーム」に役割を引き継ぎ、寮担当者も寮生もまとめて移って行ったので、現在空き家状態です。
さらにもう一寮、一般寮として稼動してきた石上館ですが、前年度の半ばに寮担当夫婦から年度いっぱいでの退職意向が示されたことから、爾後石上館への新入生入寮を控えてきました。年度末に寮生がゼロとなり、四月は休寮としました。
そのようなことから、新年度のスタートは残る掬泉寮と楽山寮の二寮に児童が十五人という寂しい状況で、北海道家庭学校の百年余りの歴史の中で児童数が最も少ない状況に陥ってしまいました。
家庭学校の伝統である「小舎夫婦制」の寮を担う夫婦職員、そして本館業務を担う単身職員については、日頃から人材発掘と獲得に努めているのですが、適任者が見つからず苦労しています。時には志願者も現れるのですが、他の公立施設に比べて就労条件が厳しいように感じられるのか、はたまた北の辺境の立地条件や寒冷な自然環境などの印象からなのか、なかなか採用に至りません。また、無理して採用しても、力不足や適性の問題などから長続しない場合も多く、勢い業務を縮小せざるを得ません。
そうは言っても、いつまでも二寮で凌いでいくわけにもいきません。このままでは道内九カ所の児童相談所からの要請に十分に応えられないからです。それで、四月いっぱい休んでいた石上館を五月から復活させて、一般寮を三寮体制に戻すことにしました。
「小舎夫婦制」の伝統を重んじてきた家庭学校ではありますが、ない袖は振れません。幸いなことに現在の石上館は、一昨年の全面改築の際に児童の居住スペースを挟むように両側に寮長家族の住居と単身者用の住居を造作していたので、この二つの住居部分に二人の男性職員に住み込んでもらうことにしました。加えて朝晩の寮調理を担う通いのパート調理員も確保しました。寮長には、経験豊富な鬼頭主幹に無理を言って一肌脱いでもらうことにしました。その補佐役の副寮長には、ニューフェイスの前谷児童生活指導員に早速寮担当としての実践経験を積んでもらうことにしました。
あくまでも次の寮担当夫婦が見つかるまでの経過措置です。「夫婦制」を一時的に中断することになりましたが、なんとか「小舎制」の寮を再開できたので、校長としては安堵しています。石上館は五月一日に新入生を迎え、転寮生一名と合わせて二名からスタートしています。
このような家庭学校の現況ですが、私としては決して諦めてもいませんし、焦っているわけでもありません。古くは感化教育、今は児童自立支援と称する我々の仕事は、苦労が多いことも確かですが、大変素晴らしい仕事です。問題を抱えた子ども達が日に日に笑顔と元気を取り戻し、自己を変革しながら逞しく成長していく姿を間近に見られる充実した楽しい仕事だと思っています。こんなにやりがいのある仕事はないと、楽山寮と掬泉寮の若いカップルも、新しい石上館スタッフも、そして多くの本館職員も皆思っているはずです。全国にはこの崇高な仕事を流汗悟道の精神の基に北海道家庭学校の豊かな「再生の森」で私達と共に汗してくれる人材(夫婦、単身者を問わず)が必ずいるはずで、いつか志のある人に来ていただけると思っています。
家庭学校職員の採用基準は、資格や経歴よりも、私はむしろ人物本意と考えています。人柄や意気込みこそが大事です。志のある方、適任の方がおられましたら、自薦他薦は問いません。ご一報願います。
これからもこの機関誌『ひとむれ』や公式ウェブサイト『家庭学校へようこそ』などを通じて全国に向けて情報を発信しながら、引き続き粘り強く人材発掘と獲得に努めていくつもりです。
現在、百年史編集委員会(二井仁美委員長)のご協力をいただきながら、『家庭学校へようこそ〈北海道家庭学校公式ガイドブック〉』(仮称)の出版に向けて準備を進めています。その本の表紙や口絵を飾る当校の広大な敷地の鳥瞰図(実写版)を撮影するために、このほど最新鋭のドローンを購入し、飛行実験しているところです。五月の校長杯を皮切りに動画や静止画を空撮し、今後ウェブサイトなどでもご覧いただくつもりです。
さて、家村昭矩新理事長の動静についても若干ご紹介します。現在、遠く道南の大沼湖畔にお住まいですが、就任当初から精力的に家庭学校を訪れ、職員の士気を鼓舞するとともに、子ども達を激励していただいています。四月五日の校祖の月命日には、雪の残る平和山の記念碑参拝登山にも同行され、二十三日の日曜礼拝の折には「理事長講話」として子ども達に熱く語りかけていただきました。(講話の概要は次頁に掲載しています。)
理事長 家村昭矩
新学期が始まって二週間が過ぎました。新年度に、気分を新たにしているのではないでしょうか。新しい学年、新しいスタートは慣れましたか?順調ですか?目標は定まりましたか?
私は、この四月から家庭学校の理事長になりました。思いもよらぬ大役です。心を新たにして役目を果たしたいと思っています。
初心忘るべからず、という言葉があります。何かしようと決心した時の、素直な、純真な気持ちを忘れないということです。皆さんもそれぞれの目標をしっかりと持ち、その時の気持ちを忘れないで努力をしてほしいと思います。
今日は、先日の平和山登山の感想をお話ししたいと思います。私は、何度も家庭学校に来る機会がありましたが、留岡幸助先生の月命日に皆さんと一緒に平和山登山をすることは、今回が初めての経験でした。
春山は、山の雪量が沈み、日中の温かさに表面の雪が溶け、夜は凍ります。ですから早朝の登山はその堅雪を踏みしめていく、快適な山登りになるはずです。ずっと以前ですが、私が大沼学園で生徒諸君と寮舎で暮らしていた時、この時期になると決まって山歩きを楽しんだ思い出があります。
でも、今回は少し違いましたね。朝七時半なのに日差しもよく、気温も高く、進むにつれ足元がぬかり、歩くのにかなり難儀しましたね。そんな事をあまり感じない元気な人もいたようです。
私もはじめのうちは、まだ芽吹かない木立の風景を眺めながら、気持ちの良いスタートを切りました。ところが、日ごろまったく体を動かしていないわけですから、すぐに疲れが出てきました。そして、雪穴に足元をとられないように先に行く人の足跡を見定め、一歩一歩進み、遅れてはならないという思いに景色を眺める余裕はなくなりました。登り切った時は、本当にほっとしました。
歩き始めたとき、側にいた校長先生が「先頭を軽部先生が歩いています」と話されました。それはなぜか。皆さんが登る道に何か不具合がないか、支障がないか、倒れかかった樹木はないか、もしかしたら冬眠から覚めた春クマに遭遇するかもしれない。つい先日、本州で春山登山訓練をしていた高校生と先生が雪崩に巻き込まれて何人も死亡する痛ましい事故がありましたね。そんな危険を避けるために、軽部先生は先頭を行っているんですね。家庭学校の登山は、生徒の皆さんを先導する先生がいてくださるのです。
軽部先生は、家庭学校で暮らしてもう三十年を超えます。ですから生徒の皆さんと一緒に上る平和山登山も三百回以上登られている大ベテランです。その先生でも、あの日の雪山は難儀だったんですね。山頂に着いたとき、足がけいれんして雪の中に倒れこんでおられたのを皆さんは見ていましたね。
その軽部先生の姿を見たとき、私は、今から百三年前の五月に、家庭学校を開設するため東京からやって来た北海道家庭学校の最初の先生、鈴木良吉先生と一緒に来た三人の生徒のことを思いました。
当時は東京から遠軽まで来るには何日もかかりました。東京を汽車でたち、本州の最北の青森駅で降り連絡船に乗って北海道にわたり、函館から列車を何度も乗り継いできたのです。その頃は、まだ遠軽には鉄道が引かれていませんでした。山の向こうの最寄りの駅で降りて、重い荷物を背負い、峠を越え山道を何時間もかけてこの地にたどり着いたそうです。到着して、住む小屋の周りの笹を払い、水飲み場を整備し、道を整え、薪を採り、次に到着する人たちのための準備をしたそうです。
平和山山頂で軽部先生の倒れこんでいた姿を見て、最初の道を拓く人の難儀さ、大変さを想像したのです。
その後の百年の間、家庭学校は、たくさんの先生方、そのご家族、そしてここで暮らしたたくさんの皆さんの先輩である生徒諸君たちが木を伐り、山を開き、畑を作り、道路を整備し、建物を造り、水道を引きました。三度の食事の煮炊きと冬の暖房の為には、今のように気密性の高い住宅ではなく、隙間風の入る建物だったでしょうから、今の何倍もの薪を作っていたことでしょう。そして、長い年月をかけ、みんなで暮らす寮舎周りを整えてきました。
今は、当然のように水が飲みたくなったら水道の蛇口をひねり、水を飲み、寒くなれば灯油ストーブのボタンを押し、暖を採る。そんな毎日に慣れてしまっている私たちには、想像もつかない話です。そのような積み重ねがあって今の暮らし、生活、家庭学校があるんですね。
平和山の山頂で、留岡幸助先生、留岡清男先生の石碑に向かい、私は理事長になったご挨拶をしました。そして、皆さんと校歌を歌いながらそんな感慨に浸っていましたが、そんな余裕もない人がいましたね。
まだ学校に来て九日目、函館から来た二人の新入生がいました。まだ慣れていないのによく頑張って登りましたね。タイガ君が疲れ果てて山頂に辿り着いた姿も私にはしっかりと記憶に残っています。そばに竹中先生がずっとついてきてくれましたね。
新入生当時は、みんな緊張と不安な気持ちでいたことでしょう。皆さんも覚えのあることです。平和山登山、それも「朝から登山、そんなのきいてないよ!」という気持ちになるの、わかりますね。中には、ここで暮らし始めるとき、頑張る気持ちがわいてこなかった人もいたかもしれない。でも、寮長先生や寮母先生、そして家庭学校の先生、分校の先生たちは、皆さんに早くここでの暮らしに馴染んでほしい、目標をもって暮らしてほしい、それを応援する、といってくれていますね。
ここでのわずか数年の暮らしは、今の皆さんには「長すぎる」、と感じるかもしれません。しかし、皆さんのこれからの人生からみれば、そんなに長い時間ではありません。家庭学校で暮らした時間は短いですが、それは皆さんの人生にかけがえのないものになるでしょう。そして、「そうしたい」と先生方は思っています。
一人一人の目標の到達は、登山に例えるなら、今は何合目でしょうか?目標の半分の五合目でしょうか?六合目かな?あるいは七合目かな。
六十年ほど前、留岡清男校長先生は、家庭学校の暮らしが大変だったとき、先生方に「家庭学校は、山登りに例えるなら、今は目標の六合目くらいだ。早く七合目に辿り着こう」と呼びかけられました。そのあと、一人の寮母先生が「校長先生は数年前の記念式の時のご挨拶でも同じことをおっしゃっていました。それから私たちは少しも進んでいないのですか」と尋ねられたそうです。清男先生は、「自然の山の形は変わらない。しかし、山頂に近づけば険しいところもある。そして人は登ろうと努力しないと前には進まない。」と応え、辿りつく努力を怠らないことを説かれたそうです。
家庭学校の先生方、家庭学校は今、何合目に辿り着いていますか?
頂上には、自分の足で歩かなければ着きません。黙っていても、地団駄踏んでいても、前には進みません。目標に近づくには、少し脇道に入った時があっても、少し休んでも、時には手を引いてもらったり後押してもらっても、自分で一歩一歩踏み出すことがなければ頂上に近づくことはできません。
それには、少しの努力が必要です。それは、やろうとする決意、少々の難儀さに我慢する忍耐、そして「さぁやるぞ」と決心するときのほんの少しの勇気が必要だと思います。皆さんも、それぞれに目標があるはずです。今は新年度、年度の初めです。新しい気持ちで、今の自分は目標の何合目にいるのか、問いかけてみてください。
あの日の平和山の山頂で、校長先生は「家庭学校の三能主義、能く働き、能く食べ、能く眠る」に加えて「能く考える」ことを諸君に話されました。とても大事なことだと思いました。毎月の平和山登山はそんな機会になると思います。しかし、みんなと競い合って、一心不乱に登る途中ではとてもそんな余裕はないでしょう。でも、校歌を歌い終わった後の清々しいひと時は、そのことを考えることができる時間になると思います。
家庭学校に来た当時、先生方に励まされながら「頑張るぞ」と思った気持ち、「初心忘るべからず」という言葉を思いだしてください。
私は遠くに住んでいるので、あまり頻繁に家庭学校に来ることができませんが、家庭学校で暮らしている皆さんを心から応援しています。
(四月二十三日の日曜礼拝の中で行われ た『理事長講話』を掲載しました。)
家庭学校職員
「願い」
楽山寮・寮母 千葉 珠季
家庭学校での生活は子ども達にとっても決して楽な日々ではないと思います。そんな日々を送る中で、出来るだけたくさんの喜びや楽しみを知り、見つけだして生活してほしいと思います。日常生活に溢れる当たり前のようなことをたくさん経験し、当たり前の大切さを感じてほしいです。これから先も様々な壁を乗り越えていかなければならない子どもたちに、人と関わることの喜びや嬉しさを感じてほしいです。人に素直に甘えたり、相談したり、頼ることが出来る人になってほしいです。これから先の人との出会いを大切にできる人になってほしいです。そして、人から愛される人になってほしいです。
言葉でいうほど簡単なことではありませんが、そんな私の願いに近づく一歩として、子どもたちの中に楽山寮での日々があってほしいと願っています。
「寮母の夢」
掬泉寮・寮母 藤原 美香
今回「『ひとむれ』で夢を語って欲しい」との依頼があり、限られた字数の中で私なりの夢を語らせていただきたいと思います。
一番の夢は、ここに来た子ども達が安心して生活できると感じてくれる場所になってくれること。様々な課題を抱えているからこそ、その課題に真正面から向き合えるよう、しっかりとした土台に、私たちがなっていけたらと思っています。寮母としては、何があっても子どもを受け止められる愛情を持つことや広い心を持つこと、そして時には厳しい意見も言えるように一人ひとりと向き合えるようになりたいと思っています。
そして、寮全体が明るく前向きになれるように、寮内が清潔感あふれる空間となり、それを寮生も一緒になって保っていけること。また、季節の花を飾ったり、行事ごとの飾り付けから家庭的な雰囲気を感じられる。そこに、楽しそうな子どもたちの笑顔と声があふれる寮であったらいいな、といつも思っています。
「園芸班の作業」
園芸班長 藤原 浩
この四月から、また園芸班の担当として作業をさせていただきます。昨年度の三学期は山林班で山林作業をさせていただき、三ヶ月振りの園芸作業はなんだか新鮮な気分になりました。
四月十一日から、生徒三名、分校教員三名と家庭学校職員三名(うち一名は五月から合流する予定)のメンバーで新学期の園芸作業が始まりました。新年度は二ヶ寮でスタートという寮体制なので、変則的ですが生徒全員が私が担当する寮の子どもになってしまいます。幸い素直な子ばかりで、どの子も一所懸命作業に取り組む姿勢を見せてくれて、一緒に作業するととても楽しく思います。
敷地の広い家庭学校には数々の花壇がありますが、花壇や校内環境を維持するために多くの人手が必要となります。しかし、生徒が年々減ってきています。また、近年の生徒を見ると、不登校や引きこもり等非活動的な傾向が見られます。このような中、作業規模を縮小せざるを得ない状況になるかもしれませんが、今年もなんとか生徒と一緒に汗を流し、校内に美しい花を咲かせていきたいです。
「酪農班のこれから」
酪農班長 蒦本 賢治
平成十年から、夫婦で酪農部門を担当させて頂いております。それ以前の十数年間は担当職員の入れ替わりも多く、その間、地に足のつかない営農を繰り返していたのではと想像しています。二十年近くに渡り夫婦二人で関わることで、家庭学校の酪農経営に一貫したものを築くことができたのではないかと自負しています。
引き継いだ当時から現在まで大きく方向転換せず、少頭数で夏期間は昼夜放牧を維持しています。昨年は放牧地を神社山まで拡張しました。
少頭数放牧型が家庭学校酪農の最大の特徴となっています。放牧酪農は消費者の酪農イメージと合致しているという評価が一般にあります。乳製品を加工、販売すれば、これは一つの付加価値となるのではないでしょうか。新しい職員を迎え、人手も増えました。これまでも非売品のバターを生産していますが、ここを伸ばしていくのが今後の家庭学校酪農の一つの道と考えます。
「校内管理班」
校内管理班長 竹中 大幸
新年度が始まり、作業班編成も新しくなりました。家庭学校職員では木元先生、分校職員からは新しく入られた槙先生と土井先生が加わることになりました。児童は掬泉寮の子一人ですが、昨年度から引き続いての児童です。物を作るのが好きな子ですが、単純作業でもどれだけ集中力を切らさずに取り組めるかが課題となります。しばらくは彼一人での作業班学習となるので少し淋しい気がしますが、彼の違った能力を引き出せるように進めていきたいと思います。
今年度の取り組みとして、各児童に個人で管理する物を持たせて、物を大事にしてもらうようにしたいと思います。あと、安全第一に作業を行うための道具として、ヘルメットと安全靴を購入しました。昨年度は幸い校内管理班で作業中にケガをした人はいませんでしたが、これからの作業で誰一人としてケガをしないように、危険なことに注意しながら作業班学習に取り組んでいきたいと思います。
「山林班」
山林班長 千葉 正義
今年度も引き続き山林班を担当させていただくことになりました。昨年の『ひとむれ収穫感謝号』でも述べましたが、広大な自然の中で汗を流すということ、いわゆる山作業は子どもたちの成長にとって大きな意味があるように思えてなりません。このような機会を与えていただいたことへの感謝を忘れず、今年度も私自身子ども達とともに成長したいと思っています。
今年度は校内の環境整備や薪の供給等必要な部分を丁寧にやるのはもちろんですが、せっかくの家庭学校の山を活かせる活動がしたいと思っています。例えば、校内管理班が補修する校内の木造建造物の補修用の材を提供するなど、他の班と連携した活動が出来ればと思っております。
※ 五つの作業班のうち、四つの班の班 長のコメントをご紹介しました。残る 蔬菜班の班長の文章は次号に掲載する 予定です。
家庭学校新規採用者
「新規採用にあたって」
児童生活支援員 藤久 静恵
このたびの採用で、家庭学校にお世話になるのは、三回目となりました。一度目は十年前に書道の時間講師として一年半、二度目は望の岡分校の支援員として昨年度まで四年間勤務しました。今回は「通いの本館職員」としての採用です。
家庭学校の職員は学校の敷地内に住み、児童生徒と寝食を共にして生活しています。私は遠軽町に住居があり、家族と住む自宅より通勤しています。採用が決まった際、これから子ども達と接し、見守っていけることを嬉しく思うと同時に、このような働き方で自分に何ができるのか、年齢的にもお役に立てるのかととても不安でした。
しかし、「通い」であることはマイナス面ばかりでは無いと考えます。家庭学校は遠軽町の様々な方々に支えられてきました。この関係を大切にすることが、周囲の理解や子どもの支援につながっていくことを望みます。
現在私は、給食棟の業務を引き継いでいますが、まずは必要とされる場で精一杯務めさせていただこうと思います。よろしくお願い致します。
児童生活指導員 前谷 典弘
三月九日に専門学校を卒業し、三月十四日に家庭学校に着任しました。
昨年十月、専門学校の施設実習として家庭学校で生活しました。子どもたちが自分自身と向き合い、また時にはぶつかり、時には楽しく人間関係を取り結びながら生活している姿を見て、彼らを支える仕事に就きたいと強く思うようになりました。実習が終わり大急ぎで校長先生宛に履歴書を送り、採用が決定した次第です。
自ら家庭学校を選んだとはいえ、私自身が何かできる訳ではありません。本館業務に加え、子どもたちの生活を支えるためには私自身の努力もさることながら、分校職員、家庭学校職員の皆様からのご支援、ご指導が必要だと感じております。これからの長い家庭学校での業務を支えていただきますようお願いいたします。
蛇足ですが学生時代に千葉県勝浦でライフセービング活動経験があり、現在はオフロードバイクに乗るのが趣味です。チェーンソーのようなバイクの音が聞こえたら私だと思ってください。
職業指導員 中井 健司
高校生の時以来の原稿用紙を前に緊張しており、何を書けば良いのか思案しています。サラリーマンから第一次産業の世界に飛び込んで仕事をしてまいりましたが、このたび家庭学校に勤めさせて頂くことになりました。
一時期、養護学校を卒業した知的障害のある子達と働いたことがあり、その時も彼らの咄嗟に出るパワーを目の当たりにしたこともあり、ここでも生徒とふれあいながら彼らは何を見て、彼らに何を伝えられるのだろうかと思います。
好きなスポーツならいくらでも熱く伝えることはできるのですが。
これは自分が相手へ贈る言葉の定番なのですが紹介させて頂きます。
「たとえ明日、世界が終わろうとも、僕はリンゴの木を植える。」
よろしくお願いします。
※ 五月一日に着任したばかりの新しい 栄養士の文章は、次号以降に掲載する 予定です。
望の岡分校教頭 神谷博之
新たな五名の職員を迎え、平成二十九年度の分校の教育活動をスタートしました。
四月に実施された家庭学校の朗読会で、私は子どもたちに向けて次のような事を話しました。「家庭学校の作業班学習と分校の教科の学習は車の両輪のようなものです。片方の車輪だけ一生懸命回しても、その場でくるくる回るだけで前に進むことができません。両方の車輪をバランスよく回してこそ、しっかりと前に進むことができます。」
子どもたちには、施設が永い歴史の中で大切にしてきた作業学習も、分校の教科の学習も、どちらもしっかり頑張ってほしいと願っています。両方がしっかり噛み合ってこそ、確かな成長に繋がります。
今年度も分校は施設と共に子どもたちの成長を支える教育活動を進めます。どうぞよろしくお願いいたします。
望の岡分校新規赴任教諭
小学校教諭 高松 開
この度、遠軽丸瀬布小学校から異動になりました、高松開です。生まれも育ちも遠軽町で、小さい頃、家庭学校の礼拝堂に音楽を聴きに来たことが懐かしく思います。
今は毎日、子ども達と「あーだ、こーだ」と楽しくお話しながら、勉強を進めています。休み時間はサッカーをしたり、コマを回したりして遊んでいます。コマは子ども達に教えてもらいながら、こないだやっと回せるようになりました。子ども達はコマを回しながら、宙に浮かせたり、手の上で回したりと、たくさんのことにチャレンジしていて、見ていて感心ばかりさせられます。自分も子ども達のように、ここで新しいことにどんどんチャレンジしていこうと思います。
また、普段経験することがあまりない、作業班学習。今は酪農班で活動していますが、ここでも子ども達の違う顔が見られて、とても楽しく活動しています。これからも、子ども達の支えになれるよう励んでいきます。よろしくお願いします。
小学校教諭 吉田 康祐
初めまして、四月から遠軽南小学校より赴任いたしました吉田康祐です。作業班学習や少人数での指導など、これまで経験をしたことがないことばかりで戸惑っていますが、早く慣れることができるように頑張っています。
運動や楽しいことが大好きです。ちなみに身長は190㎝です。よく、「どうすれば背が高くなるの?」と聞かれますが、よくわかりません…。きっとたくさん寝て、たくさん食べたからかなと思います。でもやっぱり遺伝もあるのでしょうか、いとこの平均身長は180㎝を越えています(笑)。
また、今でもチームに所属してバレーボールをしています。高校の外部コーチもしています。休み時間や体育の授業、レクなどで一緒に汗を流せたら嬉しいです。バレーがしたくなったら、ぜひ声をかけてください。もちろんバレー以外も大歓迎です!わからないことばかりですが、どうぞよろしくお願いします。
中学校教諭 槇 正美
私は、紋別中学校で教員生活をスタートし、北見中央小学校、網走第三中学校、温根湯中学校、湖陵中学校(湧別町芭露)、知床ウトロ学校を経て、この度、四月から本校にお世話になることとなりました。退職まで残り四年ですが、なんとかこの学校で教職をしっかり全うしたいと思っております。
趣味は、音楽を含めた芸術に関することから、スポーツ、娯楽まで幅広く行っております。特に釣りが好きで、船釣りをしにウトロまで毎年三~四回は行きます。(遠軽から車で片道三時間弱。魚は、ホッケ、ソイ、鱈、鮭、イカなど。)
出身は、遠軽町生田原安国で、小学校のバス停裏に今も実家があります。これから、この家庭学校での人との出会いを大切にして、今までの経験を最大限に生かすことができればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
中学校教諭 土井 淳禎
今年度、北見市立光西中学校から異動してきました土井淳禎と申します。
出身は群馬県です。私の地元も山が多く、分校周辺と似たような風景が見られました。そんなこともあり、初めて来た学校ではありますが何となく親近感を覚えています。
担当教科は国語です。自分の中学生時代を振り返ってみると、四月に新しい教科書をもらった際には「どんな物語が入っているのかな」とわくわくしていたことを覚えています。「国語が一番好き」という人は、もしかしたら多くないのかもしれませんが、「普段自分ではなかなか手に取らない作品にも出会えるオトクな教科だ」というように前向きに捉えてくれると嬉しいです。
ここでは教科の学習だけでなく、作業班学習やレク・行事なども盛りだくさんだということで、とても楽しみにしています。不慣れな面もあるかと思いますが、様々な活動がより充実したものになるよう精一杯努力したいと考えています。よろしくお願いします。
養護教諭 戸松 恵子
網走第五中学校から赴任しました養護教諭の戸松恵子です。
私は新卒の頃から家庭学校について、本や講演、映画等々で学んでいました。退職近い年齢になりましたが、家庭学校に併設する望の岡分校で働くことができ、深い感謝の気持ちでいっぱいです。
家庭学校のまわりの美しい大自然、鳥たちの美しい鳴き声…朝出勤してくると、まずそれらのものに心が癒されます。また、大変歴史のある貴重な建物の数々の中で仕事ができることにも感動をおぼえます。
傷ついた子どもたちに温かく寄り添い、愛情深く見守り、ともに汗を流してがんばっていらっしゃる家庭学校・望の岡分校の先生方の中に、私も早くなじみ、子どもたちの笑顔・幸せのために、微力ながらがんばっていきたいと思います。
家庭学校の先生方、ビシバシ声をかけてください。どうぞよろしくお願いいたします。