ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
一群に加えられて
ごあいさつ
ごあいさつ
校長 熱田洋子
私は、この度、北海道家庭学校に、クリスチャンという縁で遣わされてきました。ベテラン職員が辞めていくという動きの中で運営に携わるに当たって、この学校の歴史をふり返り現状を直視して考えると、私は、創設者留岡幸助先生の始められた原点に立ち返ってみることを大事にし、生徒の成長や自立に役立つのかどうかをよりどころにしていきたいといます。
二年後には、この遠軽に当校が開設されて百周年を迎えます。今もなお生徒たちの将来や自立への道は厳しく、様々な社会的支援が、ますます求められていることを痛感せざるをえません。過去から未来への節目という好機に立たされて、創設者以来の、生徒一人一人を愛し、家庭学校という名に理想を込めて日々、生徒たちの心身を健やかに成長させ社会に生きる力を養う働きを続け、どの時代も生徒の将来の生活を展望し地域との繋がりを大切に考えて取り組んできた精神を引き継いで、これからも生徒が社会に自立して生きることができるよう生徒の将来に向けて、さらに、少し先までも視野に入れた支援を考える機会にしたいと願っています。
「ひとむれ」を綴りながら、本当に、一群に私も含められていることを実感しています。
「主はわが牧者、われ羊なり」
この言葉を留岡幸助先生が使っておられたことを知り、聖書の中でも有名な「主はわが牧者」で始まるみ言葉に、私も励まされ元気を与えられますのでこの言葉に因んで一群会、一群、ひとむれ、と名付けられていることを新たな思いで受けとめています。
谷 昌恒先生も、「ひとむれ」の『はしがき』で、心傷ついた一群の小羊たち。私たちは私たちを含めて、迷える小羊の群と思っている、と書いておられま
す。
一月最後の日曜日礼拝で、この言葉を生徒たちとともに学ぶことができました。羊は、とても臆病で、いざとなったらてこでも動かないし、視野が狭く、すぐにあらぬ方向に走り出してしまうことなど、羊の行動と私たち人間の行動とは多くの点で類似しているといわれます。
私たちの牧者である主イエス・キリストは、ご自身のいのちを捨てられたという信じられないような代価をもって、迷える羊である私たちをご自分のものとしてくださり、私たちがどんなになっても決して見捨てることなく最後まで忍耐強く見守っていてくださることを覚えることができました。
このように神の臨在のもとで私たちの群が守られ、生徒が成長していく様子を、スキー学習を通して知ることができたのはとても貴重な経験となりました。私の家庭学校での生活は今年の一月早々、真っ白な雪と凛とした寒さの中で始まり、週には三学期がスタートし、生徒たちはスキー学習の毎日を過ごすようになりました。私はといえば、ゲレンデスキーは四十年ぶり、スキーを借りてみたものの、靴の重さに慣れず今シーズンはあきらめて見学していたのですが、生徒たちが上達していくのは見ているだけでもうれしいものでした。
スキー学習は、敷地内の神社山をスキー場にして、遠軽自衛隊ボランティアの方々の指導のもとで生徒たちはクラスに分けられ上達するように、基本的なことから上級の技術へと進められ最終的にはジュニアやシニアの級別検定を受け合格を目指します。学校の職員や分校の先生方もこのときは助手をつとめたり、生徒と一緒に指導を受けることもあります。スキーをしない地域から来た生徒や始めるまで尻込みしていた生徒も基本からの指導に素直に従っていくうちにリフトに乗って上から滑り降りてくるようになり、最終日に町のスキー場へ出かけ検定を受け、全員合格することが出来ました。検定に合格して、生徒たちは自信をつけ、とても良い
顔で滑り降りてきます。その後は、敷地内で滑降、回転、大回転の競技会が開かれ、力をつけた生徒たちは、思いきって記録に挑戦する生徒もいたり、また、途中で転倒してもあきらめずに起き上がってコースに戻り、一人一人がやり遂げたという顔でゴールインしてきます。
シーズンの最後は、寮対抗リレーが行われ、今度は、仲間と力を合わせ、他の寮に勝てる作戦をたて、選手は精一杯スキーを走らせ、苦しい山を登り、思いっきり体重を前にかけて一気にゴールに飛び込んできます。応援する生徒も熱く燃えるときでした。職員と分校の先生の精鋭チームも善戦しましたが、生徒たちの若い力にはかないません。締めくくりは、いつも寮母さんたち心づくしの温かい飲み物のご馳走が出され、ひとしきり家庭的な団らんを楽しむときとなります。
生徒たちは、自分たちの力で神社山のスキー場づくりから始め、スキー学習初日は、指導員の話を緊張ぎみに真剣に聞き、期間中、勝手な行動をする者はいません。短い活動ではありますが、目標を定め、それに向かって努力し達成できることを、また一つ、生徒たちは経験していくのでしょう。それが自信やスキー検定合格という誇りとなり合わせて、日を追って指導員の方々と親しくなり、信頼できる大人がまた増えたことにもなったと思います。
平成二四年度が始まっています。生徒数は、二五名で一昨年と同数で、近年では最も少ない人数です。児童相談所からは入所照会が次々と寄せられており、四月に採用した新寮長・寮母の寮が開かれると、徐々に新しい生徒を受け入れられるようになります。当校が児童自立支援施設としての社会的使命を果たすためには寮舎をフルに活用して寮を開きここでの生活体験が必要な生徒を受け入れることであり、当校は、小舎夫婦制を根幹として始めた伝統がありますので、寮長・寮母の職員を二~三組採用したいと手を尽くして募集しているところで、今年度の重点的な取組の一つにしています。
以下、今年度の事業計画に載せた重点事項をお示しします。
二、分校との連携について
小学生一名、中学生十四名で新学期が始まっています。中学課程で数学の習熟度別学級が編成されていることや、総合学習に家庭学校の理念を生かした内容に編成されていることなど、分校と当校が一体となって生徒の成長を支援すること
ができるようになっています。これには、分校の先生たちのご協力はもとより、本校の遠軽中学校長と遠軽東小学校長、遠軽町の教育委員会の大きなご支援によるものであることに心から感謝しております。
三、中卒生への支援について
中卒生は現在は二名ですが、高校受験を希望する生徒や就職を目指す生徒がいますので、必要な学習や基礎学力の向上などのための中卒生学級を設置し、学習指導を行う専任の職員を配置するとともに当校職員も学習や作業の指導に携わり、社会的な自立を支援していきます。
四、個別の対応について
軽度の発達障がいのある生徒や性的な問題をかかえた生徒が増えてきていることに伴い、一人一人の行動や障がい特性に応じた個別指導をきめ細かく行うことや、児童相談所、専門医、臨床心理士との連携を密にして安心・安定した寮生活を送れ
よう支援していきます。
五、施設整備について
生徒の快適な生活環境を確保するため、寮舎の改築工事を計画的に進めていきます。昨年度の掬泉寮に続き、今年度は楽山寮の国庫補助事業の活用について協議しているところです。
六、生産活動の円滑な推進
約四百町歩の山林は計画的に伐採、造林等を森林組合と協議しながら行っていきます。蔬菜は教育農場として自給率を高める野菜作りを進め豊かな食生活に供します。園芸は要所を飾る花壇作りを続けます。酪農は専門家の指導をいただき効率的で安定した経営を目指します。
また、四月から、児童福祉の専門家で福祉職員養成校の教員、元大沼学院長の家村昭矩氏に非常勤ですが参与として当校の運営に携わってもらうことにしました。
今年度も、地域の方や、各分野の専門家の方々、先輩の先生方、たくさんの皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。
中村 正美
三月三十一日の午後、山口から家庭学校の地に着きました。
出発時、カーナビに目的地を設定すると、距離二七〇〇キロ、所要時間三〇時間、やはり遠いと実感しました。距離と時間は、住み慣れた環境などが全て一転する事を意味し、改めて覚悟を確認するものでした。教職現場で三〇年間勤務させてもらう中で、途中、県の児童自立支援施設に長期研修のような形で勤務させてもらったことが、今回家庭学校に勤務させてもらうきっかけになりました。
山口県は、小舎夫婦制であり、教職員が寮長・寮母として従事する全国でも例がないスタイルを維持してきましたが、施設への異動を希望する職員の確保が困難化している事を要因のひとつとして、移行期間を経て、施設から教員が撤退という形になり、二十二年度末で夫婦制は終了、二十三年度から交替制に代わりました。
私は再度中学校現場に戻りましたが、「浦島太郎」状態とでているような錯覚に戸惑いを感じました。また以前まで、学校現場で生活する問題多き生徒を見て、形だけの連絡先が決定すれば一安心し、その後についてあまり深く考えていなかった、その子の将来像に、生きていく力が不足なために、きちんとした自立もできず、悪癖を繰り返す生活が待っていることは分かっており、それに対する無力さも感じていました。子どもの荒れている姿は結果であり、本来の姿ではない。この子らの背負っている重荷を取り除くことは無理としても、今この時期に、将来の自分自身のために最低限、みにつけなければならないことはたくさんあると、施設の中で子どもが成長していく姿を見てきて、特に考え思うようになりました。
学校現場では、踏み込めない限界がたくさんあり、生徒の生活を根本から立て直すことは難しいと考える教師が多いのが現実だと思います。私もその一人です。
毎年、教職に就きたいと、大学を卒業するものはたくさんいます。しかし、疑似親子になる夫婦はあまりいないだろうと考えると早く決心が着きました。ただ、五〇過ぎての人生の組替えに、家内はどう思うのかと考えていました。しかし、すんなりと同意してくれて、迷いらしきものが消えました。
立命館大学の野田教授には、以前から自分の思いは伝えており、いろんな面で支えになってもらいました。その流れから、すぐに家庭学校に連絡を取ってもらい、見学の方向に話が進みましたが、学校では三年生を担当していたために、高校入試と卒業式を一つの区切りとして、卒業式後、その足で見学に来させてもらいました。
遠軽駅下車の第一声は、やはり「寒い」でした。家庭学校では、加藤校長先生、熱田副校長先生からいろいろなお話を伺い、うれしい想いと感謝でいっぱいでした。夜は掬泉寮にて、楠先生ご夫妻から貴重な体験談も聴かせてもらうことができました。
しかし、一番ホッとさせてくれたのが、子どもたちの屈託の無い笑い声と笑顔で、何か肩の力が抜けたことを思い出します。
施設、分校の先生方には多忙の中、親切な声をかけてもらいうれしく思っています。早く足手まといにならないようにと思っています。
自然の厳しさの中で、子どもたちなりに歯を喰いしばり、のびようとする姿に頭が下がる想いです。次に雪が積もる時期には、子どもも自分もどのくらい成長しているか楽しみです。
人事発表の二日前に素地表を提出し、県教委、在籍学校に多大なご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫び申し上げます。
また、三〇年の永きに渡り、教職の場を与えてもらったことに、この「ひとむれ」をお借りして深く感謝します。
中村 清子
山口県の児童自立支援施設に主人と行こうと決めたのは、四年前のことです。それまでは、子どもと接する仕事の経験はなく、主人が時折話す中学生の問題ある生活を聞く程度でした。主人の決心に、大丈夫だろうか、やれるだろうかと、迷いと不安が交差するまま、施設に飛び込んで行きました。
そのときの自分を振り返れば、引き続き措置されている児童が前寮長寮母を慕い、なかなか心を開いてくれず、お試し的な言動で挑発してくる子に手を拒いたたことです。日々、その子とのやりとりの中で、この子の指導は無理だ、明日は辞めようと何度も思いました。
女子児童は、寮母を負かそうとする態度が明らかに分かる素行でした。主人と自分の前では態度が違う。私自身が乗り越えなければと思い、今まで以上に根気強く、噛み砕いて理解できるように話していきました。
なぜ、ここで生活しているのか。
なぜ、今の言葉の内容がいけないのか。
なぜ、勉強するのか。
なぜ、作業するのか。
今からどうしなければいけないのか。
事細かに話し続けるうちに、児童が私に接する態度が変わってくるのが分かりました。向き合って話し続ける大切さを、私は改めて学習した思いでした。子の女子児童との出会いがなかったら、今の自分たち夫婦はなかったのかもしれません。
山口県の施設も、二十二年度末で夫婦制から交替制に移行して、主人は中学校現場へ戻りました。私も何かしら子どもと接する仕事と思い、小学校の生活支援員として、昨年一年間を過ごしてきました。
そんな中で、お互いが児童の話はするものの、顔も知らない児童の話は途中で終わるようになり、もう一度施設に戻って働きたいと思うこともありました。
この歳で、何がどれだけできるのか分からない。でも、何かしたい。そんな強い思いを、主人はどれだけ理解していたか分かりません。そんな時主人が、北海道にある家庭学校に見学に行けるようになったと言い、また施設で働けるかもしれないということと、主人が教職を辞めるということの複雑な思いでした。しかし、迷いはなく、三月半ばに見学をさせてもらいました。
加藤校長先生と熱田副校長先生との話の中で、この家庭学校で働かせてもらう方向で話が進みました。施設で生活を踏み出すことを許されたのだと思いました。山口に戻り、いろんな整理を済ませて、3月末に下関を後にしました。
自家用車で犬とともに陸送で走る中、自分たちが試される第一歩がこれだろうなと思いました。三月二十九日の午後に出発して、三十一日の午後に到着できました。永井理事長と二井先生までもが待っていてくださいました。
四月一日は日曜日で礼拝でした。雪で囲まれた教会でなく、分校での礼拝です。熱田校長先生の物静かな語りに、児童も安らぐ雰囲気で聴いているのが強く印象に残りました。今、寮運営の勉強のため、寮回りをさせてもらっています。寮母は食べ盛りの児童に食事を作ります。料理が苦手だなどと言っている分けには行きません。大人数の食事の用意と同時に朝夕の作業をしている児童への声かけと、手際のよさに驚きました。
四月五日は留岡幸助先生の月命日で、平和山登山に参加させてもらいました。足もとの踏み固められた雪を見ながら、寮運営もこの登山のように先輩方の残してくれた、踏み固められた足跡の上を、重ね歩いていけばよいのかと、何か楽になったような気持ちになりました。
そうした一方で、先輩方の足跡を重ねていけるのだろうか、そして家庭学校の伝統を引き継いでいけるのだろうかと、何か重責に似たものが込み上げてきました。
しかし、山の上から眺める光景は素晴らしいものでした。