ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
二年目の寮運営を終えて
次郎くん、卒業おめでとう!
家庭学校での3年間
退職にあたって
離任にあたって
分校勤務を振り返って
望の岡分校での四年間
〈児童の声〉
校長 清澤満
三月に入って最高気温が十度を上回る日が続き、雪解けが一気に進みました。望の岡分校の卒業証書授与式が挙行された二十一日は終日好天で、澄み切った青空と家庭学校の大自然を包みこむ春の陽気が、卒業を迎えた子どもたちの門出を祝福してくれました。
今年度の卒業生は、小学生四名と中学生七名でした。晴れの日の主役である卒業生の緊張が高まるのは、卒業証書授与の場面です。名前を呼ばれてステージに向かい、前籍校の校長先生から卒業証書が手渡され、再び自分の席に戻るまでの間、会場の視線は卒業生に注がれます。そうした緊張の中、十一人は、歩き方も姿勢も礼の仕方も美しく、とても立派でした。在校生も約一時間の卒業式に集中を途切れさせることなく卒業生を見送りました。素晴らしい卒業式でした。これも分校の先生たちの丁寧なご指導の賜と感謝の気持ちでいっぱいです。
式が終わり、卒業生のうち中学三年生の六名がこの日家庭学校を退所しました。分校と家庭学校の先生たちへの挨拶回りでは号泣する子が何人もいました。辛いときも苦しいときも、どんなときでも先生たちが傍にいてくれた、そんな想いが大粒の涙となって一気に溢れだしたのでしょう。
一方で、引き続き本校で生活する子どもたちは、中学三年生の存在の大きさをそれぞれに感じたようです。ある寮では、退所生にお世話係をしてもらってお兄ちゃんのように慕っていた小学生が、別れ際に顔をくしゃくしゃにして目を腫らすほど泣きじゃくりました。淋しさを堪えていた中学二年生は、先輩が去った現実に触れ、「思い返せば先輩によく助けられ頼っていた。」とその日の日記に記しました。またある寮では、頼りにしていた先輩二人が抜けるとこれから先どうなるのだろうと口にしていた寮生が、退所生を前に「(自分が)寮を引っ張っていきます。」と宣言しました。残る者には当然不安があることでしょう。しかし同時に、責任を自覚することで成長に繋がる先輩たちの旅立ちでもあるのです。
月日が経つのは本当に早いものです。私が自然溢れるこの「森の学校」に住み始めてから、三月で丸五年になります。この辺で私も一区切り付けようと考えました。一つは、校長在任中に二つになった寮を三寮に復活させることができたこと。もう一つは、緒に就いたばかりですが、子どもの権利を護る取り組みの一つとして、家庭学校の生活日課とルールに関して子どもたちから直接意見を聞く仕組みをスタートさせられたこと。何れも職員集団の理解と協力がなければできなかったことだと思います。
家庭学校の職員として五年間、多くの皆様に支えられ今日を迎えました。本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。
春です。新しいことへの期待に胸が膨らむ季節です。退所生もここに残る子どもたちも、それぞれの場所で明るく、そして逞しく成長していくことを札幌の地からいつも願っています。
主幹(石上館寮長) 西村 健太郎
今年の四月で寮運営は三年目を迎えようとしています。昨年度末の三月には十名の児童と共に生活するという経験ができました。そして、今年度は児童計六名からとなり、今年三月現在は九名の在籍として寮内の様相も目まぐるしく変わっております。
二年目ということもあり、児童と共に過ごす時間が格段に増えたことには多少慣れましたが、副寮長の稲田指導員が本館職員として異動しまして、新しくその任に藤田支援員が就くかたちで寮運営がスタートされました。二年目につきましても、ご存じのとおり夫婦小舎制とは異なる体制でありますことから、支援として児童における身の回りのお世話をするということでは、行き届かない面がなかろうか意識がそこに向きがちな毎日であり、しかしながら一年目とは違って時の流れが早く、あっという間に過ぎ去った一年間でもありました。
振り返りますと、昨年十月に当校は二寮編成から三寮編成になるにあたり、この石上館からも三寮目の新寮開設に際して、二名の児童を選出して送り出したことが思い出されます。皆が楽しみにしている研修旅行に行く数日前に当該二名の転寮候補児童にその旨を打診すると、ここで八か月暮らした小学児童は転寮するにあたり気になることはないかと訊ねたら、事務室に毎月預けているコロコロコミックの付録はどうするのか。転寮してもペーパークラフトなどの工作はできるのか。寮ハウスの落花生栽培は誰が引き継ぐのなど、気がかりであることを話して同意してくれました。もう一名は六か月暮らした中学児童であり、進学するにあたり志望校を絞っている最中の受験生でありました。いずれも同意してくれましたが、転寮となってからも二名の動きは日常的に半分見えてしまう環境にありますことから、今ここに居る児童以上に目に付き気になってしまっていたことが思い出されます。
また、年度途中における児童の退所も秋にありましたが、その児童は表現手段に問題を抱えており、里親宅への復帰及び小規模校への復学でありました。本児の苦手とする思い当たる何通りかのパターンを想像させては、その時はどう対処すべきかなどのやりとりを退所直前に繰り返し交わし、結局のところ私自身の不安を限られた時間の中で何とか取り除こうと、更なる変化が必要という押し付けをしてしまったことになったわけですが、私の悪い癖であると再認識することで、アドバイス程度に留めておくべきであったと反省しております。本児の近況を聞く限り今のところ安定しているということを知り、少し安心することもつかの間、気がつけば冬が過ぎて雪解け間近の現在、三月末の別れの時期に差し掛かります。高校に進学して寄宿舎生活を送る児童。自立援助ホームに措置変更され、日中アルバイトをして定時制高校に進む児童が退所する予定であります。昨年もそううでしたが、意外とサバサバとして別れに対して慣れているのは今回も私よりも年端も行かない児童のほうであると想像します。
現在における寮の構成は半数以上が小学生三年から六年生までの五名が在籍している状況であり、寮内の作業では低年齢化に見合った取り組み可能の内容のものを考えなければなりません。監護面においては今まで通用していた指示が通らないことや、今までのように一度や二度の言い聞かせも通用しないことなどがあります。なぜ?どうして?何のために?からゆっくり近距離で目を見て説明しなければ伝わりません。わかりやすい部分として、声のトーンを上げなければ通らないということもあり、根気強さと赦せる気持ちを兼ね備えなければ到底まとめることができないということを実感してしまいます。そして、何をしていてもやれているという気持ちは味わえなく半信半疑。気づけば気持ちは内にばかり向いて行き、全体を見通すことが必要であるとわかりながらも外に目を向けることを忘れがちになります。前に戻って考え直しながら何とか手探り状態で進めておりますが、声かけの際の私の口調や切り出し方等々、今後において注意を払うことばかりです。児童個々の生活レベルにはもちろん差があること。日々寝食を共にすれば大小諸々の問題が生じてくるのは当然のことと捉え、また、児童個々の肯定感や共感を引き上げるために必要となるのは、まずは基礎体力の増進であるという考えは崩さず、そのことを踏まえた体調管理・把握をはじめ、三年目となる次年度においても引き続き重点事項として進めて行きたいと思います。
掬泉寮寮長 藤原浩
令和五年三月二十一日に、北海道家庭学校の卒業式がありました。寮担当になって七回目の卒業式で、これまでに十六名の卒業生を送り出しました。(注:ここでの卒業生は、小・中学校卒業同時に退所する児童を意味します)。その中で印象深い次郎くんのことを書きたいと思います。
次郎くんが家庭学校に来たのは、中学二年の夏休み終了後すぐでした。挨拶がしっかりでき、非常に素直だなぁという第一印象でした。また、声変わりがまだ済んでおらず、小柄なために幼く感じ、入所照会にあった、「突然暴れる」ようにはとても思えませんでした。また、暴れた後に記憶がなくなるようにも見えませんでした。この暴れる後に記憶がなくなるのは「解離」といい、幼少期にひどい虐待を受けていた背景が原因と言われ、児童相談所より引き継いでいました。このような話は以前小説や映画、そして大学の心理学の教科書で読んだことがありますが、まさかと思いながら次郎くんのことを寮に迎えました。
入所した次郎くんのその後の生活は、非常に従順で、こちらの指示に対して全て「はい」と引き受け、まるで「イエスマン」のような子だと、最初の印象のままでした。しかし、丁度一ヶ月が経った頃に、職員二人かかりで抑えるほどの大暴れをしました。きっかけは他児と些細なやり取りで、衝突でもトラブルというほどではありませんでしたが、なぜそこまで暴れたのかは、落ち着いた後の本人も含め、誰も分かりませんでした。冷静さを取り戻した本人はいつものように周りと関わろうとしていましたが、異様な目線と空気を感じていました。暴れた時の記憶がないということは、周りの児童は誰も理解してくれず、ほとんどの寮生は、次郎くんが都合のいい嘘をついていると思っていました。しかし、子どもの包容力は大人を勝り、時間が経てば集団が次郎くんのことを受け入れていました。それなのに、別のことで次郎くんがまた不調になり、その繰り返しが続いていました。しかし、不調になって暴れ、解離することを繰り返すうちに、周囲の児童が次郎くんのことを疎遠していました。人の目を過剰なぐらい気にする次郎くんは当然それに気づいて、「自分が嫌われている」との理由でさらに不調の頻度が高くなり、まさに悪循環でした。その時の記録で、平均三週間~一ヶ月に一度の頻度で暴れていました。他の寮生が困りに困っていましたが、一番困っていたのが、やはり次郎くん本人でした。暴れたくて暴れたわけではない、なぜ暴れたのか分からない、どうしたら良いか分からない、その思考が迷走していました。幾度も次郎くんの不調を見て、普段とは完全に別人のように感じました。それは、通常の暴力行為に対する指導が通用しないことが分かりました。
また、当時の寮生に、影響力が強いBくんがいました。次郎くんは日常的にBくんの顔色を窺い、「Bくんに嫌われるとみんなに嫌われる」と、何度も泣きながら訴えていました。その時期は、次郎くんにとって人生最大の辛さになっていたと思います。そう思いたいです。あまりにも辛く、次郎くんはしてはならないことを試みました。偶然にも私がそれを気づき、なんとか大きい事故を防ぐことができました。その後児相と調整し、さらに保護者の協力得て特別に一週間の外泊をさせ、何とか気を休めることを願っていました。その間に寮の環境整備を行い、一週間後に無事に次郎くんの帰校を迎えることができました。寮の児童メンバーの入れ替わりで少しずつ本人にとって安心して生活できる環境になったタイミングで、すぐに富田先生の方針でトラウマの治療をはじめました。TF-CBT(トラウマフォーカスと認知行動療法)という、幼少期に受けていた逆境体験を回想する治療法です。そのために、保護者に毎週来校していただきました。
富田先生の説明では、相当過酷な治療だという説明を受けていましたが、治療が始まり、やはり順調にいくわけではありませんでした。治療の途中に不調になって中断になったり、治療が始まる前から不調になって、そもそも治療ができない日もありました。大して役には立たないかもしれませんが、不調の時にすぐに寮に連れて帰れるとの気持ちで、治療開始の数回目から、私も同席をさせてもらいました。
治療してから不調の頻度がさほど減っていたわけではありませんでしたが、普段の生活態度に少しずつ変化が見られました。中学三年生になった次郎くんは、思い通りにならないとイライラして悪態をつく、不平不満を口にするなど、以前は見られなかった言動が現れていました。もしかすると、それまでに良い自分を見せようと、我慢をしていた感情を出すようになっていたのではないかと思いました。また、それまでに、次郎くんの課題は何なのか、何を指導すれば良いのかはわかりませんでしたが、指導のチャンスだと私が思えるようになりました。当然、厳しいことを言うと不調になることもありましたが、気が付くと、不調になっても、なぜ泣いたのか、不調の時はどうしていたのかを、冷静になった後に明確に説明できるようになりました。しかし、以前のような大暴れがなくとも、不調の頻度はさほど減りませんでした。このような中、いよいよ治療の山場を迎えました。研修旅行の後に、幼少期に受けていた虐待の事実を保護者から告げられ、証拠の録音を聞かされました。診察室で次郎くんが必死に冷静を保とうとしていました。しかし、その事実の衝撃さは次郎くんの極限を超え、混乱、迷い、疑い…きっと複雑な感情となって録音を聞いた後に診療所のトイレで大泣きをしていました。てんやわんやの状況でしたが、私と寮に帰った後に気持ちを切り替えて集団に合流し、苦しい顔一つ周りに見せませんでした。そこで、次郎くんが強くなったと感じました。
そんなこんなで、世の中の中学三年生と同じように、受験と進路の選択の時期になりました。家に帰るとまた暴れて、家族関係が悪くなるのではないかとの不安は次郎くんも保護者も同じでした。それなら別の施設に行って、完全に暴れなくなったら家に帰ると次郎くんが考えて、近辺の児童養護施設を見学しました。しかし、見学の後に、やはり家に帰りたい、家族と一緒に暮らしたいとの思いが強く、卒業後に家に帰ることを決めました。そして、冬休みに初めて全期間の帰省で、約二年ぶりに自宅に帰って、家族と一緒にお正月を過ごしました。その間は一度も不調になることがなく、穏やかに過ごしていたことが、次郎くんにとっても家族にとっても大きな自信になっていたでしょう。さらに、志望する公立高校も見事に合格し、三賞(学業賞、作業賞、努力賞)を総取りして、円満に卒業することができました。
家庭学校での一年七ヶ月の生活は、次郎くんにとってはどんなものだったのでしょうか。楽しいこと、辛いこと、理不尽なこと…それは全て次郎くんの経験となり、今後生きていく糧になると思います。努力した結果、次郎くんは大きく成長しました。卒業は終わりではなく、新たな開始だと思います。ここで身についた経験を、今後に生かしてほしいと思います。
次郎くん、卒業おめでとう!
(この原稿は本人及び保護者の許可を得て掲載したものです。)
望の岡分校教頭 吉村憲彦
この度、3年間お世話になった望の岡分校を去ることになりました。開校から7年間お世話になっており、教頭として3年、家庭学校には通算で10年間お世話になりました。
3年前、家庭学校に貢献したいという思いで赴任しました。貢献できたかどうかは自分自身で判断することはできませんが、この3年間、家庭学校職員、分校職員の皆さんに支えられ、教頭職を全うすることができました。本当にありがとうございました。子どもたちが、ここで成長するのと同じぐらい、私自身も大きく成長させてもらいました。子どもたちは、授業で学んだことや作業班学習で学んだこと、普段の生活から学んだことを生かして、これからの生活を営んでいきます。私も、ここで学んだことを生かしてこれからの教職人生を充実させ、未来の子どもたちに還元していきたいと思っています。
この3年間でたくさんの思い出を作ることができましたが、一番の思い出は、修学旅行に行けたことです。以前勤務していた時には、小学校の教員だったため修学旅行に参加することができませんでした。しかし、今回は教頭として3回も修学旅行に参加させていただきました。食事では、食べ残しのないように考えて配膳したり、入浴時にはしっかり体を洗ってから入浴することや脱衣所を来た時以上にきれいに掃除したり、寝る前には一日の反省をしていたり、普段の子どもたちの生活の様子が見られる場面がたくさんあり、寮長先生の躾が行き届いていることが十分感じられました。清澤校長先生より「子どもたちをしっかり監護していただき、ありがとうございました。」と言われたことがうれしかったです。
在任中は、清澤校長先生をはじめ、家庭学校の職員の皆様に公私にわたり格別のご指導ご鞭撻を賜りましたことを心から厚くお礼申し上げます。
新任地におきましてもここで学んだことを生かし頑張ってまいりますので一層のご指導を賜りますようお願いいたします。
最後になりましたが皆様のご健康とご多幸をお祈りし、お礼とお別れのご挨拶とさせていただきます。3年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
教諭 冨山光太郎
「たくさんのヤドリギがあるなぁ。」
『ひとむれ』の着任のご挨拶の冒頭にこう書かせていただきました。この春も3年前と変わらず体育館裏の山にはたくさんのヤドリギが茂っています。また、この実を求めてレンジャクたちも変わらず舞っています。彼らもそろそろ北へと旅立っていくことでしょう。
この3月をもって30年間勤めてきた中学校教諭を辞めることにしました。私の教員としてのスタートは当時生田原町で現在遠軽町立の安国中学校。そして終わりも遠軽町の望の岡分校で結ぶことができました。これも何かの縁だと感じています。
大学4年生の9月、すでに決まっていた就職先に勤めるか大学院に進んで研究者となるかを悩んでいる時、教員採用試験の合格を知らされこの道に進みました。学校の先生には絶対なりたくないと思っていたのにです。私は小中学校で学校の先生にあまり良い思い出はありません。私にとって苦痛を与える存在でした。先生として勤めるにあたり、自分がされて苦痛だったことは絶対に子どもたちにはしたくないという思いでここまで勤めてきましたが、果たしてできたのだろうか。振り返ると胸が締め付けられることもあります。
望の岡分校で学ぶ児童生徒の皆さんも、ここに来る以前は少なからず学校で嫌な思いをしてきたのではないでしょうか。各寮で生活し分校に通う皆さんと3年間を過ごし、豊かな未来をつかむために何かを変えようと日々努力をしている姿を見て、自分も変わらなければならないと早期退職を決心し現在に至っています。
3年間、北海道家庭学校内で仕事をさせていただいたことは私にとってかけがえのないものとなりました。私は以前より地元の滝上町でネイチャーガイドとしての活動をしていますが、4月からは今まで以上にこの活動を進めていきたいと思っています。そして家庭学校の森で子どもたちやここで働く皆さんと美しい自然をつなぐ架け橋のようなことができたらと夢に描いています。
児童生徒の皆さん、寮長先生をはじめ施設職員の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。これからもこの美しい森に迎え入れてください。ありがとうございました。
教諭 浅井純也
赴任当初は、広大な敷地と山の中に建つ昔ながらの校舎に驚きました。自立支援施設と公教育が共に協力しながら、子どもたちに多くの体験をさせ学習する北海道家庭学校で4年間貴重な体験をさせて頂きました。
生活面・人との関り・物事に対する取り組み・考え方など学校生活や社会生活で必要なことを妥協せず教育する家庭学校の姿に感銘を受けました。行事や作業も盛りだくさんで、日常的に多くの大人(施設・分校合わせて子どもの約二倍)が関わっていることが家庭学校で過ごす子どもたちにとって安心できる場であったと思います。学校で勤務していると、毎日子どもたちと顔を合わせるので、心や身体の成長が見えにくいものです。しかし、北海道家庭学校では、早いスピードで変化していく子どもたちの姿を見ることができました。苦手なものが食べられるようになり、規則正しく3食美味しものをお腹いっぱい食べ、作業や運動で身体を動かし、良く寝るなど基本的生活習慣の徹底が見事で、たくましい身体つきになっていきます。眠たそうに登校してくる子どもは皆無です。
規則正しく日課をこなす毎日は、心の安定に大きく影響していると思いました。部活動がないこと、携帯電話に支配されないこと、ゲーム漬けの毎日でないことは非常に大きく、目の前のことに集中できている気がします。今年は中学校3年生の担任として子どもたちと関わってきましたが、高校入試の面接練習、卒業式に向けての挨拶文作成を通して、一人一人が自身の成長を実感し、自信に繋がっていることも確認できました。小中校は、地域の実態に合わせ、そして進学や部活動など様々な役割があっていいと思います。北海道家庭学校も少数の受け入れではありますが、重要な役割を果たしていることに間違いありません。今後も多くの方々に支えられ、北海道家庭学校が益々発展されることを願い、離任のご挨拶とさせて頂きます。4年間大変お世話になりました。
教諭 丸山 大地
とうとう、分校を去る日がやってきました。できることなら、もう少しだけ家庭学校の子どもたちの行く末をそばで見守っていたい思いです。そう思う反面、異動は学校教員の宿命であり、多様な学校を経験する中で、教師としての力量を高めていきたいという思いもあります。今回離任を目の前にして、「ひとむれ」原稿の執筆依頼をいただきましたので、四年間に渡る分校勤務の中で感じたこと、考えたことを振り返ってみます。
家庭学校の学びは、作業班学習に代表されるように生活の中に溶け込んでいて、自らの身体を動かし「ホンモノ」を経験する中で学びを深めていく、そんな感覚がありました。自分自身、チェンソーや刈払機の取扱方法を習得したことを振り返ると、教本で読んだ知識だけでは不十分で、やはり身体を実際に動かして覚える必要がありました。
自分は社会科教員として、いかにして「歴史や地理、公民のことがらを子どもたちに理解してもらい、考えを深めてもらう(実感を持ち理解してもらう)」にはどうしたらよいか、ということを考えながら授業を行ってきました。分校勤務の中で、「できるだけ、ことがらを子どもたちに追体験してもらうようなやり方」で授業を行ったときに、テストやその後の子どもたちの様子から「あ、ここの単元はよく身についているな」と感じることが多かったです。
すべてのことがらをこのやり方で行うことは、なかなか難しいところもありますが、「身近なこととしてとらえる」ことが「学びの近道なのかな」と考えるようになりました。また、「一見難しそうに見えるけど、本質はどういうことなのか?」と考えて授業をつくることの大切さを家庭学校の子どもたちから教えてもらいました。
家庭学校の子どもたちは、残酷なまでにわれわれ大人の本質を見抜いてきます。われわれ教員は、いつも全力でこたえなければならない、そんなことを考えながら四年間働いてきたつもりです。
教諭 佐藤優成
望の岡分校に赴任して四年が経ちました。最初、この学校にはどのような生徒がいるのだろう。私は生徒のために指導や助言がしっかり出来るのだろうか。等々様々な期待や不安を持ち、望の岡分校にやってきました。
生徒たちは、一言でいうと何に対しても一生懸命でした。一生懸命だからこそ「出来ない自分がもどかしい」「結果が出なくて落ち込む」のだと感じました。そんな生徒たちの心の葛藤を私が読み切れず、初めて担任を持った時は些細なことで生徒たちとぶつかってしまいました。生徒たちはその場では調子を崩し何も手がつかない状態になることはありましたが、翌日(もっと早い時もある)には気持ちを切り替えて、また自分の出来ることを頑張ろうとしていました。切り替えの早さも生徒たちの良いところの一つだと私は感じます。
作業班学習に関してです。私は、蔬菜班、校内管理班、酪農班、園芸班に所属させて頂きました。温床を造ったり、牛に餌を与えたり、仮植をしたり・・・。色々なことを経験させて頂きました。作業班学習でも、初めてで分からない私に対し、家庭学校の職員の方や、入所期間が長く、やることが分かっている生徒は、優しく教えて下さりました。そして、元々室内での活動が好きだった私自身も「ああ、外で作業するのってこんなにも心地の良いことなんだ」と感じることが出来ました。ありがとうございました。
最後に生徒指導に関してです。初めて担任を持ち、クラスが落ち着かない時がありました。私の指導の仕方では上手く生徒に伝わらないことも多々ありました。そんな時、家庭学校の職員の方や先輩の先生方も生徒たちの指導に協力して下さりました。また、私の話も共感的に聞いて下さり、とても救われたことを覚えています。たくさんの人に助けられ、人としても成長出来た四年間でした。本当にありがとうございました。生徒や先生方に教わったことを忘れずに、これからも精進していきたい思います。
児童各自
今まで生活して得た事とこれから頑張りたい事
僕が家庭学校に来て1年11ヶ月生活して、来る前よりも良くなった事はけっこうあります。早寝早起きや3食しっかり食べる事は寮でちゃんと管理されていたので出来るようになりました。また、体力作りでもしっかり作業をしていたら、少しずつ体力がつきました。これまで学校に行けていなかったけれども、ここで行き始めて頑張って勉強をしていたら元々高校へ行けないと思っていましたが受験が出来るくらいまでは勉強できるようになりました。楽しかった事もありました。色々な行事で楽しんで、うるさくしすぎて先生に怒られた時もありました。まだ受験の合格発表は来ていないのですが合格して高校へ行った時は今までの経験を活かしていきたいです。卒業した後も早寝早起きなどの生活リズムをしっかり意識して生活したいです。意識していないと早起きができなくなってしまうので気をつけます。高校へ行って楽しみな事は食品製造の学習です。食品製造に興味があってどのように勉強するのかが楽しみです。他にも楽しみな事は部活動です。僕はカメラで写真をとることが好きなので写真部へ入りたいと思っています。寮へ入る予定ではありますが入ったら同じ寮に入っている人たちとちゃんと話が出来るかが心配です。周りは知らない人ばかりになるけど、頑張っていきたいと思います。後、残り一週間の中学校生活、気を抜かずに楽しく過ごしたいと思います。
中卒生にむけて
ぼくは一年間勉強やしょうらいについていろいろと学びたいため一年間中卒生として残ります。まだぐたいてきにはきまっていませんが、しょうらい食品かんけいにつきたいと思っていますのでそれに役だてることをしたいです。高校はまだきめていないので西村先生と話してきめたいと思っています。中卒生のじかくをもち、うかれずにじかくをもち生活したいと思います。
ぼくが家庭学校に来て自分が成長したと思う事。体力がおおはばに増えた事です。家庭学校に来た時は体力がぜんぜんなくすぐにつかれてしまい重い物をもつとすぐきんにくつうになり重い物はもちたくないと思っていましたが、今は体力もふえ力もついてすぐにつかれなくなりました。また重い物をもってもすぐにはきんにくつうにはならなくなりました。すごくうれしいです。
朝、早くおきれるようになった事です。来た時はぜんぜんすぐおきれなくて、くせんしましたが今は一番早くおきてけんおんにいけているのでよかったです。とちゅうからですが成長した事についてかきました。これでおわります。
1年7ヶ月の生活をふり返って
僕は約1年7ヶ月の家庭学校の生活の中で思い出や印象に残ったこと、学んだこと、そしてこれからの新しい生活をどう過ごしていきたいかを発表したいと思います。では、約1年7ヶ月をふり返っていきたいと思います。
家庭学校に入所した時、自分は寮の人達としっかり生活できるのかなと思っていました。そんな時に寮長先生・寮母先生や職員の先生方はとてもやさしくいろいろなことを教えてくれて、やさしく包みこんでくれているような感じでした。その後には行事などもたくさんありました。1年目はマラソン大会が印象に残っています。来たばかりの時は体力がなく、マラソンの途中でリタイアしてしまいました。とてもくやしかったです。1年目は人間関係にも苦労しました。自分の課題もあり、あまりまわりになじめず、仲良くなってもすぐに関係を壊してしまっていました。その時は自分でもどうにもできなくてつらかったです。2年目になると自分の課題も徐々に改善され、年季も長くなりました。そうすると寮での影響力がついてきたり、ひとむれ理事に推せんされたりしました。なので、よりまわりに自分をどうみせるかを考えて生活しなければならないと思いました。具体的には、人への言葉遣いや思いやりの心、自主性のある生活を心がけて生活しました。2年目はレクリエーションや園遊会、研修旅行やすもう大会など数多くの行事が思い出に残りました。
レクリエーションでは、自分達でスポーツをする楽しさもありますが自分は違う寮の人とチームを組んでも、負けていても、とても明るいふんいきでいられることが楽しかったです。園遊会では各寮や先生方が家庭学校の食材でお店を出したり、たのしいゲームを出したりしてとてもにぎわったことが印象に残っています。掬泉寮はスズカステラビートシロップかけや山ぶどうジュース、梅ジュースを出しました。ビートシロップは畑に植えたビートを収獲し、洗って、こまかく切って、煮つめてつくりました。とても大変でしたがみんながおいしいと言って食べてくれた時がうれしかったです。研修旅行は釧路方面に行きました。いつもあまり家庭学校から出ることがないので遠出がとても楽しかったです。仲間や先生とバスでおしゃべりしたり、いろいろな所を見学したり、ホテルやネイパルに宿泊したり、お買い物をしたりしてとっても楽しかったです。すもう大会ではみんなですもうをとり合いました。僕はこのすもう大会で、これまで生きてきた15年間、出したこともないほどの全力を出しました。自分の最後のとりくみで力が互角の人と当たり、長期戦になりました。決着がつかなくて、何度かとりなおしになるほどでした。端へ行ったり、行かせたり。そしてずっとねばりましたが最終的には自分が負けてしまいました。とてもくやしくて泣いてしまいました。でもとても楽しかったです。そのような行事も終わり、中学3年生はすっかり受験モードになりました。自分も勉強しなければと思ってやってみても、長く続かずにいました。そして冬帰省で実家に帰って、父と勉強をやった時、「わかる!」の感覚をつかみました。そこからは先生に教えてもらいながら勉強を続けました。
そしてまずは私立高校の受験をして、合格をもらいました。その時はとても安心しました。第一志望の公立高校も合格であってほしいです。
この1年7ヶ月で大きく成長したこと、学んだことを書きたいと思います。まず1つ目は気持ちのコントロールです。今まではストレスをためこんでしまい気持ちのコントロールができなくなっていましたが、今では広い心をもち、ストレスをうけなくしたり、ストレスがあっても人に相談したり、自分の趣味などをしてストレスを減らしていっています。
2つ目は集団行動です。この課題は家庭学校で生活し始めて浮かび上がってきたものです。入所した頃はあまり自分の意見を出さずに周りになんでも併せたり、流されたりしていました。そうすると周りから、自分の意見を持っていない人だと思われ、しだいに何も聞かれなくなったりしました。なので僕は周りに合わせることも大切ですが、自分の意見を持つことが大切だと思っています。以上2つが大きく成長したこと、学んだことです。
これからの生活は家庭学校で学んだこと、思ったこと、感じたことなどをいかして、充実したおだやかな生活にしたいです。
これからの生活が喜びであふれる、良い生活になりますように。
家庭学校に来て私は。
私は、三月下旬に家庭学校を卒業し、新たな生活をスタートしようとしている人間です。家庭学校に入所して約一年二ヶ月、ここでたくさんの事を学び、成長してきました。もちろん失敗する事だってたくさんありました。そんな一年二ヶ月をこの上に「家庭学校に来て私は」という言葉を使ってまとめてみました。
家庭学校に来て私は、生活のリズムが良くなりました。私は、朝が苦手で学校にもあんまり行けず、私の大きな課題でもありました。ですが家庭学校に来て規則正しい生活・日課を通して生活リズムが良くなっていきました。最初は、つらくて体がついていかなかったですが、だんだん慣れてきて私の生活は改善されていきました。これは、これからの私の人生にとても影響する事なので治す事ができ、とても良かったと思います。まだ、完璧ではないのでこれからも継続していこうと思います。
家庭学校に来て私は、物事の考え方、価値観が変わった。私は、物事を損得で考えてしまう悪いクセがあります。この悪いクセは、時には人を不快な気持ちにさせてしまう事もあります。さきほども書きましたが、この考え方から変わる事ができました。そのキッカケは、集団行動の中での思いやり、配慮が身についたからだと思います。次に行く高校も寮で集団行動なので、思いやりの気持ち、配慮を忘れずに生活しようと思います。
家庭学校に来て私は、良い仲間、良い人たちに会えた。私は中学校の時、あまり学校に行けてなかったので、友達は少なかったです。そんな中、ここに来て、同じ境遇の仲間や、一人一人良い個性をもっている仲間、面白くて優しくてカッコイイ先生方に出会う事ができました。この一年二ヶ月、私は人生を変えましたが、皆がいたからこその今の人生だと思います。支えてくれた方々、本当に感謝しています。
家庭学校に来て私は、自信がついた。ここに来る前や来た当初は自信がなかったのか、聞かれた事に対して、「普通です。」「まあまあです。」などといった回答が多かったです。こんな回答になってしまったのは、自信が無いのが一番ですが、慣れない生活での不安だったり、その場その場で簡単に終わらせたい気持ちがあったからだと思います。今では、前より自信がつき、不安なども無くなり、聞かれた事に対して自信をもって話す場面が多くなりました。ここを出て、高校に行ってもここでついた自信をもって生活していきたいと思います。
家庭学校に来て私は、良かった。
9ヵ月で学んだことと失敗したこと
僕の過ごした9ヵ月は、山と谷の割合で例えると、「1対9」だと思います。なぜそのようになったのかを説明したいと思います。僕がここに来たのは、15歳の誕生日の日でした。ここから「谷」への道が始まる。2日目ではいきなり腹痛で作業をわざと休み、1ヵ月もしないうちに、みんなから少しずつ信頼を失っていた僕。夏残留帰省で少し良くなったと思いきや9月に起きたあの事件により、寮長先生や寮母先生から大きく信頼を失っていた。その時点から「もう自分には信頼もクソもない。」と今日にいたるまでずっと思っている。そんな中、僕に転機が訪れた。それは、残飯当番をやったことで、この時には、9ヵ月目を迎えていた頃だった。この時には、「今まで我慢した甲いがあったなー。」と思った。この他にも、谷のような出来事は、数え切れないほどたくさんある。この9ヵ月を過ごしてきて、ほぼ全部が「苦」っていっていいほど、キツかった,苦しかった、そんな9ヵ月だったが学べる事もあった。それは「周りとの協調性」についてです。周りと一緒に行動、言動することや、相手や身の回りの事を考え、その場に合った発言をするなど、前の学校より、学べた事は絶対多い気がします。
前の学校でした失敗と同じ(似た)失敗や、前の学校でしなかった失敗もして、ここでは、多くの失敗をした、たまに成功したときもあったが、それは、ほんのわずかでした。この多くの失敗は、特に防げる失敗がほぼ全部だと僕は思います。そこで、ここを卒業してからの、頑張る事を3つあげます。1つ目は、失敗した要因の1つであった「嘘をつく」ことをなくすことです。少しでも「嘘をつく」ことをなくせれば、失敗もなくせると思います。2つ目は、仮に失敗しても、二度と同じ失敗はしないことです。同じ失敗をしてしまったら、それがくり返され、負のループになるからです。3つ目は、1つ目と2つ目の事を守りながら、「信用・信頼」される人になることです。ここでのたくさんの人からの、「信頼・信用」のなさは、今までここにきた生徒の中でダントツだと思います。ここでの悔しさをバネにして、高専に行ったら、必ず「信頼・信用」されるひとになりたいです。この3つの事を高専でもがんばっていきたいですし、社会に出てもこのことはがんばっていきたいと思います。
最後に、僕の過ごしたこの9か月間は失敗から学べる事がとても多かった気がします。だからこそ、学んだ事を無駄にせずに、成功を勝ち取れる人になっていきたいです。お世話になった人たち、みんな「ありがとう」。
家庭学校での1年間
ぼくは約1年間家庭学校で生活しました。行事は、校長杯、潮干狩り、花見の会、春季マラソン大会、運動会、相撲大会、釣り遠足、済美館の環境整備、慰霊祭、園遊会、木彫展、スキー大会などさまざまな行事をたいけんしました。どの行事も楽しかったです。
そしてつらかったのは作業班です。草むしりやかしょく、みそ作りなどすごい大変でした。自分は来た時より力や体力がつきました。それは、つらい作業をやったからです。なつはあつくてやる気がなくなります。
そして家庭学校はごはんがとてもおいしいです。それにきそく正しい生活ができるようになりました。
家庭学校での生活
僕は、四月末に家庭学校にきました。家庭学校にきてどういう風に思ったのか、なにを学んだか、これからどういう風になりたいかを書きます。
一つ目に、家庭学校にきて、一日や一カ月があっというまにすぎていくなぁと思ったことです。普通に生活して、明日からまた学校かぁと思っても、気づけばもう金曜日の時もたくさんありました。
二つ目に、何を学んだかです。僕は、家庭学校で、色々なことを学びました。学んだことで一番心に残っていることは、すぐに、あきらめないこと、今の周りの空気をどういう風にすごせばいいかです。マラソン大会や提出物などは、今までは、やらないや、やってもおわらないなどと思ってすぐに、なげだしていたけど、家庭学校にきてちょっとでもいいからやろうと思うことができたことです。今の周りの空気をどういう風にすごせばいいかは、もともと、空気を読むことが苦手でした。でも、寮で生活していたら、もちろんトラブルがおきるので、そういう時、僕はなにをすればいいか、この人にはどうせっしたらいいかなどを、学べました。
最後に、どういう風になりたいかです。僕の夢は、調理師になることです。あとすこしで高校の合格発表もあるので、すこしきんちょうしているのですが、これからは、だれにでもやさしくせっすることができる人になりたいです。
家庭学校での生活を振り返って
僕は、生活の振り返りと今後のことについて書きます。
家庭学校での生活では、風呂焚きやマキ割など普通ではやらないような事などをたくさんやったり、学校を休まずに行ったりするなどいままでできていなかったことができるようになりました。ですが、逆に大きな問題行動などがあり自分の課題や改善しなければならない事も多くあります。なので家庭学校を卒業し高校での生活や職場でも自分の課題を忘れずに生活します。
家庭学校を退所し自立援助ホームに入ったら家庭学校での生活とかなり違いがあり周囲に助けてくれる先生はいるのですが基本は自分で決めて誰かに言われるのではなく自分から行動しなければならなくなります。自分は定時制の高校に行き午前中は仕事をします。なのでわからない事や心配な事などがあれば隠すことなく周囲の人にホームの先生方に相談し同じような間違いをすることがないようにしていこうと思っています。そして3年間高校に通い続け卒業できるようにがんばろうと思います。