ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校の山林について
お世話になりました
三度の旅立ちとなりました
五年間の分校生活
〈児童の声〉家庭学校での生活を振り返って
校長 清澤 満
望の岡分校の卒業証書授与式が春分の日である三月二十一日に行われました。三、二、一と並んだ数字がカウントダウンのようであり、次のステップに向かう卒業生に勢いを与えてくれる記念すべき日。そんなことを思いながら式に参列しました。
今年卒業の日を迎えたのは小学生一名、中学生三名でした。担任の先生の先導で入場した後、この日のために遠方から駆け付けてくださった前籍校の校長先生からそれぞれ卒業証書を手渡されました。入場から卒業証書を受け取るまでの時間は僅かですが、式の主役として一番緊張するその場面に堂々と臨み、皆に凜々しい姿を見せてくれました。親元を離れて家庭学校に来ることになった子ども達の気持ちに思いを巡らせながら、私は来賓として、旅立つ子ども達にエールを送りました。
家庭学校は「森の学校」と呼ばれています。四季折々に美しい姿を見せてくれる森の中に私達の学校はあります。
入所の日、子ども達は一様に家庭学校の広大さに驚きます。無理もありません。正門から本館まで約八〇〇メートルの距離があります。森の中を縫うようにして道が通っているので深い森に吸い込まれていくように感じるのかもしれません。児童相談所の先生に「山と森に囲まれたもの凄く広いところ」と聞いてきたはずの子ども達ですが、初めて通る道に「この道はどこまで続くんだろう。」と驚き、そして、「これからここでどんな生活が始まるんだろう。」と不安な気持ちが頭をもたげたことでしょう。
そんな子ども達も家庭学校の豊かな自然の恵みを感じながら、規則正しい毎日の生活にも徐々に慣れていき、三か月を過ぎる頃にはこれまでの自分との違いを感じ始めます。そして六か月もすると、自分自身が変わったと思うことや成長を感じたことについて、朗読会で堂々と発表するまでになります。こうした感覚が得られるのは家庭学校の生活に組み込まれた当番や作業、分校の日課で行う作業班学習の力によるところが大きいのだと思います。作業の手法や技術を習得するだけではなく、作業を通じて人との関わり方や協力することの大切さを学んだり、周りへの感謝の気持ちも育まれていきます。本人達にとって辛いこと、苦しいことがたくさんあったと思います。調子を崩して失敗することもありました。でも、そうした様々なことを乗り越えて、自分が変わったこと、成長したことを、卒業の日を迎え改めて実感したことと思います。
毎週日曜日に集まる礼拝堂の正面には『難有』と書かれた額が掛けられています。「有難い」を「難が有る」と書いた額です。校祖留岡幸助先生はこの『難有』について、「困難を努力で乗り越えることで人は成長し、そのことを有難いと思う感謝の気持ちが育つものだ。」と私達に教えてくれました。卒業する子ども達は、家庭学校の日々の生活や分校での毎日の学習を通じて『難有』の教えを実践し、たくさんの困難を努力で乗り越えてきたのです。
式に参列された保護者の皆様には、周りの大人や仲間の力を借りながらも、最後は自分自身の頑張りによって自分を変え、大きく成長したご子息をたくさん褒めてあげて欲しいとお願いしました。
卒業生には、散髪奉仕活動を続けてくださっている月曜会の皆様をはじめ、お世話になった方々への感謝の気持ちを忘れないでいて欲しいこと、そして、一生懸命頑張ってきた君たちの姿を忘れることなく、遠軽の地からいつも応援していることを伝え、お祝いの言葉としました。
この日、卒業と同時に退所した子どもが三名。その後も年度末までに家庭復帰や措置変更での退所が続きました。
私達が常々口にするのは、「分からないことや困ったことがあったら相談するんだよ。」というフレーズです。知ったかぶりや根拠のない自信は必要ありません。自分の弱さを見せる勇気も身に付いてきたはずです。
「ここに来て良かった。」と言葉を残して旅立つ君たちへ。「これからも、一人で悩まずに相談するんだよ。」
企画総務部長 平井敬二
家庭学校には、約四〇〇haの緑美しい山林がありますが、この山林も戦時中には良い木はみんな軍に拠出させられ、終戦後すっかり荒れ果てていたそうです。そんな荒れ山を昭和三十年を過ぎた頃、北見営林局の粟野武雄局長を山林顧問に迎え、地元遠軽の種苗業者であった佐々木産業の協力なども得て当時の山林部担当であった渡邊作次先生、加藤正志先生と山林部の生徒によって山林の再開発が行われたそうです。
私が家庭学校に着任した平成十五年の年の八月に校長室で小田島校長先生と一緒に加藤先生に当時の山林部活動についてお聴きした資料にこんなことが書かれています。加藤先生『家庭学校の山林を再建する上で、粟野山林顧問がアドバイスしてくれたんですけど、家庭学校の山を三つに分けて考えようと…。それはまず一つは風地保安林、子どもの教育をする場として豊かな環境の中で子どもを育てるんだという留岡幸助先生の言葉通り、三百間道路の入り口から礼拝堂、そして平和山の記念碑周辺を風地林とすると・・・。教育環境を整えるという意味でその木が危険だとか、必要ないとかいう場合を除いては切っちゃいかんとしたのです。そして二つは牧野林だとか、山口林だとか、星屋林だとか、鮫島林だとか、そういう有名人がここにかなり寄附をして下さった一部を清男先生は、植林したんですよ。それを記念林としたんですね。そして、家庭学校の決まりとして、この記念林に関しては手をつけるときには職員会議にかけることと、理事会にかけること、そこまで決まっていたんです。そして三つ目が経済林。経済林は、自然林と人工林に分けてあり、自然林がありのままの手入れをしながら、銘木や家具材用に、中には野球バット用やマッチ材になるものもあります。人工林は、建築材を始め炭坑の坑木や電柱、土木建設財や荷造り用材等になりました。当時はね、高く売れたんですよ。いい収入になったんですよ。ですから留岡先生も、家庭学校の教育とあわせてこの山を大事にしたんですね。』
家庭学校山林は、このような考えのもと加藤先生の時代から少しずつ山全体の緑化が進められ現在に至っています。
家庭学校の山林全体に占める天然林の比率は四二%で、残りの五八%(カラマツ三一.五%、トドマツ二二.五%、グイマツ一.三%、ミズナラ一%、トウヒ〇.七%等)は植林した人工林となっております。人工林はカラマツなどでは植林後最低五年間は、雑草に負けてしまわないように夏場に下草刈りを行い、秋には苗がネズミに食われないように野ねずみ駆除剤を散布します。木が育ってくると十五~二十年生ぐらいで除伐を行い混んだ木々を間引きます。それから三十年生ほどから五年以上をあけて二~三度、太陽の光が木々に届くように間伐を行います。カラマツの伐期は約四十五年生以上、トドマツで六十年生以上と言われていて、これ以上おいても成長はしますが、風雪で曲がってしまったり、害虫にやられて立ち枯れが目立ってくるため当校では、伐期が来た林班ごとに順に皆伐を行い、翌春に植林を行っております。山林の育成には、手間と労力と長い時間がかかりますが、加藤先生は言います。『山の自然の中での教育ということからすると、自然には偽りがないんです。人間は、嘘も言うしだましもしますが、木を植えて手入れをしてやれば、確実に大きくなります。山の木も同じように、植えておけば必ず自分の後輩が、あるいは子孫がその木を使ってくれるんですよ。そういう仕事に対する喜びが生まれるんですよ。』
令和四年度の山林事業は、カラマツの皆伐四.九六ha、カラマツ植林三.五ha、下草刈り一二.九六ha、カラマツ間伐一一.二八ha、野ねずみ駆除六六.五五haを予定しており、事業費の合計は五五三万円かかりますが山林事業補助金が国から四九一万円入るため、当校持ち出しは六二万円となり皆伐と間伐から得られる材代も六五〇万円ほど見込めますので、総収支は五八八万円の収益となる予定です。近年は、児童の入所が減り山林班作業も人数の関係から限られており、業者さんに作業していただくことがほとんどとなってしまいましたが、先輩方が手間を掛けて残してくださったこの山林財産をこれからも継承して後世に残していければと思っております。
望の岡分校(遠軽町立遠軽中学校) 校長 竹内克憲
三月末日をもちまして、長い教員生活を終えようとしています。在職三十六年間はあっという間に感じられますが、皆様にはこのうえなくお世話になりました。無事に働いてこれたのも皆様のご指導のおかげと深く感謝しております。
さて、分校の校長として四年間勤務しましたが、そのうちの約三年間は、新型コロナ感染症の対応に追われたような気がします。幸いにも生徒たちが無事に学校生活を送れたことは良かったと感じています。
四年前の「ひとむれ」の原稿で、次のようなことを書きました。『十四年ぶりに出身の遠軽町に戻ってきました。私が小学生のころは、家庭学校のシンボルである教会まで遠足で行ったこと(記念撮影したことも)や遠中教員のときにはパイプオルガンの演奏のあるクリスマス会にプレゼントを持って数回出席をしたことが思い出されます。
家庭学校在籍中は、学校生活も精神的にも安定している子どもたちが、退所して元の生活に戻ると不安定になることが大変多くなることを聞いていました。その時に、基本的生活習慣である日常の衣食住がしっかりと整っていることが、いかに大切か身に染みて感じていました。 子どもたち一人一人が家庭学校での「ちょっとしたことがうまくできるようになった」という小さな自信の積み重ねが一回りも二回りも成長させ、それが社会での自立の一歩に繋がり、精神的にも安定してくるのではないかと思っています。私も「流汗悟道」の教育理念のもと、分校の先生方と手と手を取り合いながら、生徒の心の中に響く教育活動の一助となれるよう努力したいと思っています。よろしくお願いします。』と。
家庭学校では、失敗が許される環境であると思います。色々なことに挑戦してみてほしいですし、これからの社会では、そんな力が必要となってきます。
そして、家庭学校の精神である「よく働き、よく食べ、よく眠る。」という、ごく当たり前の生活が根底にあれば、これからの社会でたくましく生きることができると信じています。
四年間色々とお世話になり、ありがとうございました。
望の岡分校(遠軽町立東小学校)校長 里見貴史
“君が発つ 海色列車が 着く日まで 荷を整え待つ 森の学舎(ホーム)”
そう詠み離れてから、四年が経ち、また縁あって、北海道家庭学校に三年間、今度は望の岡分校校長として関わらせていただきました。
“あなたふと 平和の山に わき出でて 人の命を すくふ真清水”
大月桂月氏が家庭学校で詠んだ百年前の短歌そのままに、今現在も澄んだ湧き水のような子ども達の姿から、私も今一度、心洗われ、整理し、この三月をもって、三度目の家庭学校からの旅立ちとなりました。大変お世話になりました。
教諭 吉田康祐
望の岡分校では、五年間お世話になりました。ここではこれまで経験したことのない体験ができ、自分の人生にとって、大きなプラスになりました。山林班での間伐作業、酪農班での牛舎作業、校内管理班での温床づくりなど、挙げればきりがありませんが、おそらくこれからの人生ではもう二度とすることのない仕事ばかりでした。
また、ここでの教育活動はいつも新鮮な気持ちを味わうことができました。家庭学校で生活をする子どもたちは一人ひとり自分自身の課題と向き合いながら活動をしています。気持ちも不安定になりやすい子が多く、常にアンテナを高くして子どもの様子を把握する必要があります。自分から「今日調子が悪いです。」といえる子は少ないので、教員が逐一子どもたちの言動や表情、行動の仕方から調子を判断しなくてはなりません。常に同じ調子で授業をできることは決して多くなく、センシティブな活動を送る毎日でした。
しかし、実は大小違えども、世界中のどの子もその子なりの課題や悩みを抱えています。そのことをこれからは意識して授業を行わなければならないと痛感しました。教員としての基礎的なことかもしれませんが、ここでの経験は、それらのことを再認識させてくれました。
家庭学校と分校の先生方がいつも子どもたちに、温かく辛抱強く対応している姿がとても印象的でした。私もそのようなゆとりのある支援を子どもたちにしていきたいと思います。五年間、大変お世話になりました。
掬泉寮中二 R
僕は二〇二〇年の十一月に来ました。今は二〇二二年の三月なので僕がここで過ごしたのは一年と四ヵ月ぐらいです。ここに来た当初のことと今を比べると成長したことがいっぱいあります。
例えば、字をていねいに書けるようになったり、あいさつをしっかりできるようになったり、部屋の整理整頓をできるようになったりまだ色々ありますが、ここに来てなかったらできていなかったこともあると思います。なので、やっぱりここに来てよかったと思います。
そして、僕以外の生徒と一緒に過ごしてきたことで分かったこともあります。
例えば、協力することや、思いやりを持つことなどが分かりました。僕がまだ身に付いていなかったことも身に付きました。
そして、家庭学校での思い出もいっぱいあります。
例えば、マラソン大会です。僕は自分で体力がそこまでないなぁと思っていましたが、春のマラソン大会と秋のマラソン大会で一位を取ることができたのでとてもうれしかったです。あと、夏残留の行事です。色々と平野先生が考えてくれていて、アスレチックで体を動かしたり、船釣りでよっちゃったり、バーベキューでマスカットをいっぱい食べたりして、とても楽しく過ごせました。あと家庭学校で結婚式があり、そのあとのひろうえんでの生徒代表スピーチでとてもきんちょうしたことです。目の前にはかっこいい人とかわいい人がいるし、みんな静かで僕の声しか聞こえない状況だったし、たぶんこの時が一番きんちょうしました。
そして、家庭学校の先生の中に僕がきらいだと思う先生は誰もいません。なぜなら、僕が何かやらかした時にはげましの言葉をくれたり、たまに西村先生やいなだ先生などが笑わせてくれたり、僕が藤原先生と言い合いしてもめた時にくすのき先生が話を聞いてくれたり、りんきゅうで竹中先生と大里先生がノックをしてくれたり、野沢先生が体育館でバドミントンをしてくれたり、藤田先生が将ぎをしてくれたり、平野先生とみほろ先生が缶けりをしてくれたり、かん先生が話を聞いてくれたり、そしてなにより、一年と四ヵ月間ずっと僕のめんどうをみてくれた藤原先生とみか先生などがいてこんなめぐまれている所はあんまりないと思います。
あと、ここのごはんはまじでめっちゃうまかったです。僕が一番うまいなぁと感じた料理は給食とうで出たからあげです。うますぎてしつこくちがう日にも「からあげくいてー」ってちがう料理が出てたのに言っちゃってまじもうしわけないなぁと思いました。これから気をつけようと思いました。
そして最後に、家庭学校にいたらすごく楽しかったし、色んなことが身に付いたので、じまんをいっぱいできるなぁと思いました。こんなにできることがふえたりしたのは、先生方のおかげなので本当にありがとうございました。僕は先生方みんなのことが大好きです。
一年と四ヵ月間本当にありがとうございました。