ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
お世話になりました
四年間ありがとうございました
〈児童の声〉
〈理事長時々通信〉③
校長 清澤満
三月二〇日、望の岡分校の卒業証書授与式が行われました。今年は小学校と中学校からそれぞれ四名の生徒が卒業証書を手にしました。施設長になって初めて迎える卒業式でしたので、全道各地から駆けつけてくださった前籍校の校長先生から卒業証書を受けとる子ども達の姿を見つめながら、校長先生や担任の先生が「卒業生を無事送り出す」という時の感覚に私も初めて包まれました。
中学卒業の四名は家庭学校も退所となり、四月からは家庭や措置変更先の施設から高校に通います。これまで一生懸命努力して手に入れた高校進学なのだから、辛いことがあっても簡単に諦めることなく、三年間頑張って通い続けてほしいと心から願っています。
卒業に当たって、望の岡分校の教職員と家庭学校の職員一人ひとりから卒業生に宛てたメッセージを、分校の先生達が毎年手作りの冊子に纏めてくれています。私は次のメッセージを贈りました。
皆さん、卒業おめでとうございます。
皆さんが家庭学校に初めて来た日、正門から本館までの遠い道のりの先に、一体何があるのだろうと不安な気持ちでいっぱいだったことでしょう。ここでの生活は初めてのことの連続で、失敗もたくさん経験してきたと思います。
皆さんは、頑張ってそれを乗り越え、家庭学校の大自然の中、今日までいろんなことを学んできたはずです。
そんな皆さんの卒業に当たり、私は次の言葉を伝えたいと思います。
「子曰わく、『過ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)う。』」
これは、孔子とその弟子達のやり取りを書き起こした『論語』にある言葉で、
「先生が言われた。『過ちをしても改めない。これを本当の過ちという。』」という意味です。
過ちや失敗は誰にでもあることです。失敗しない完ぺきな人間なんて世の中にはいません。失敗しても、それを改めようとしないことが問題なのだと孔子は述べています。
失敗したことを振り返ってみて、同じことを繰り返さないように自分の行動や考え方を変える努力をすることで、過ちや失敗は少なくなっていくと思います。
これからの人生で失敗してつまずいたら、この言葉を思い出してください。君たちの未来に願いを込めて贈ります。
孔子のこの言葉については、日曜礼拝の講話で子ども達に何度か話してきました。まだ成長過程にある子どもであり、事実の受け止めが上手くできない子も多いので、まずは自分のしたことが失敗だった、過ちだったと気付くことができるかどうかというところから始まります。そして、自分のとった行動を振り返り、どうすれば良かったのかを考え、行動や考え方を修正していきます。子ども達には、様々な場面でアドバイスが受けられる家庭学校にいる間にそうしたことを習慣づけてほしいとの想いがあって話題にしてきました。退所したら自分で考えて行動しなければならないことが増えてきます。そんな時、自らを戒める言葉として覚えておいてほしいと願い、文字にして卒業生に贈ることにしたのです。
加えて、家庭学校に入所してくる子どもの多くは、独特なコミュニケーションの取り方や拘りの強さがあって周りから誤解を受けやすかったり、集中が続かず待つことが苦手で注意を受けることが多くなりがちな子たちです。私達はそうした特性を理解した上、作業などを通じて達成感が得られるように手助けしたり、社会性や協調性等が育つよう留意しながら日頃の支援に当たっています。退所を迎えた子ども達には、これまで培ってきた振り返りと修正力に期待する一方、退所後においても、生きづらさを感じている彼らを理解して関わってくれる地域社会があることを切に願っています。
卒業生に加え、二四日の修了式後にも六名の退所があり、いよいよ淋しくなりました。その前日の寮日誌には、退所児童の一人であるA君がここで生活してきた自分を振り返って、次のようなことを日記に書いたと記されていました。
~入所理由は「人の体にふれてしまう」ことで、「人前でできないこと何がおもろいねん」とこれまでの自分を振り返り、そして最後に、「人前でできないことは100%やりません」と力強く決意。
性的問題行動や暴言・暴力行為があって入所したA君は、入所後も他児に対して性的逸脱行為が数回あり、また、医師との面談では過去の事実から逃れようとする様子を何度も見せていました。そんなA君が最後の最後に自分に言い聞かせるように書いた日記。家庭学校に来た意味を改めて自らに問い質すかのように、もう二度と同じ過ちは犯さないという決意の基に退所していったのでしょう。最近のA君は行動の修正ができるようになり問題行動も減っていたので、私はA君のこの決意を信じてみようと思います。
家庭学校を去って行くのは子どもだけではありません。寮担当職員など年度末の退職者が数名おり、寮を一つ休寮することになりました。私は各寮を回って転寮のことや新しい仲間の受入れについて子ども達に伝えました。急な話であり、戸惑うのは当たり前です。涙を見せる子、視線を下に向けたまま固まる子等を前に、残った仲間で力を合わせて生活していこうと励ますしかありません。
雪解けが一気に進みました。巣立っていった子ども達、そして残って頑張る子ども達にも、ひとしく春がやって来ます。
楽山寮 寮母 千葉珠季
私は二十三歳の時に家庭学校へ来ました。本館職員として約二年、楽山寮の担当として六年が経ち、現在三十一歳を迎えました。子どもの頃に思っていた三十一歳の大人像とはかけ離れ、未熟で無力で大人とは何なのだろうと思います。そんなまだまだ未熟者ではありますが、児童福祉に向き合い過ごした日々を通して、私なりに学んだことや思うことなど、僭越ながらこの文章に書き綴らせていただきます。
私は、保育士として保育園で働きたいという思いから保育科の短大を卒業しましたが、在学中の実習で小舎制の児童養護施設に出会い、そこからいっきに引き込まれました。元々施設には興味がありましたが、こんな自分が簡単に踏み込める世界ではないと恐れ多く思い、現実的に考えていませんでした。しかし、やはり自分の興味はここなのだと再認識できたのはこの時だったと思います。そのまま児童養護施設で経験を積ませていただき、その後現在の北海道家庭学校で働かせていただきました。短大を卒業してからずっと児童福祉の仕事を続けてきてよかったと心から思います。
児童福祉のイメージとして「虐待」「暴力」「人間不信」そんなものを思い描いていた私は肩の力がガチガチで必死になっていたものの、「子ども達になめられてはいけない」「子ども達に自分の言うことを聞かせなければいけない」「子ども達に指導できるだけの立派な人間にならなければいけない」など、そんなくだらない考えを正しさだと思い、子ども達と関わっていたように思います。子ども達への「尊敬」の心が私には足りなかったのだと思います。そんな私を子ども達は全てお見通しで、自分ができないことを無理してやってもその強がりは伝わるし、逆に、言葉にしなくても、うまく出来なくても本当の思いは伝わり、子ども達はそれを受け止めてくれていると感じました。無理して自分をつくらなくてもいいんだよ、身の丈にあったことを頑張ってやればそれでいいんだよと子ども達が教えてくれたように思います。ここに来るまで色々な苦労や辛い思いをしてきた子ども達だからこそ、より人の想いや痛みに敏感で、思いやりや優しさをちゃんと持っているのだと感じました。そして、大人はそれを見つけて、汲み取って、こんなに素晴らしいものをあなたは持っているんだと子どもに教えてあげなければならないと思いました。今年度は特に、寮運営において、寮長の支えと子ども達の力もあり、とても穏やかな一年を過ごさせていただきました。日々色々なことはありましたが、子ども達の顔をみてホッとさせてもらったり、みんなで笑い合う時間に心が温かくなったり、注意をしても、それですぐに関係が切れないだろうという安心感がありました。きっと私はいつのまにか信頼感を抱かせてもらっていたのだと思います。
自然あふれる家庭学校の環境の中で、基本的な生活習慣の定着、礼儀・挨拶、対人関係の構築において大切なこと等、退所後を見据え必要なことを子ども達に伝えられたらと思い働いてきました。その中で、自分が育ってきた過程や、家族が自分のためにしてくれていたことなどを振り返り考えさせられることが多く、たくさんの大切なことに改めて気付かされました。子ども達の育て直しのお手伝いをさせていただきながら、私自身が育てていただきました。家庭学校の日々や子ども達の姿からはいつも人間の基本を教えられたように思います。家庭学校で過ごす日々の中で、自分にとって大切にしたいことや、許したくないこと、譲れない思いなどに気付けたような気がします。それを自分の中の「正しさ」として持ち続け、発信できる力と強さを身に付けたいと思いました。子ども達が頑張って生きる姿から、私も「生きる」ということについて深く考えさせられ、教えられ、大人達だけの世界では絶対に気付けなかったであろう自分に出会わせてくれた子ども達に感謝しています。
最後になりますが、私はここでたくさんの経験をさせていただきました。まず、家庭学校では中心の一つともいえる食事。自分は人に料理を作ることが好きなのだと気付かされましたし、毎日の寮の食事を子ども達が美味しいと言って食べてくれることがとても嬉しかったです。家庭学校の料理は手をかけて作るメニューが多く、それは昔からずっと引き継がれているものだと思います。時代は変わっていきますが、意味があるから引き継がれていることがたくさんあるのだと調理をしていて感じました。これからも子ども達に寄り添った食事の姿があればいいなと願っています。次に、趣味である音楽を通して子ども達と関わり合いを持てたことです。運動会のダンス指導や中卒クラスの音楽担当、寮活動でバンドを組み行事で披露しました。自分の好きなことを子ども達に伝える楽しさや嬉しさを経験させていただきました。そして、この仕事を通して様々な出会いができたことです。先にご退職された先生方も含め、お世話になった家庭学校・分校の先生方、子どもの支援に関わる関係機関の方々、実習や研修等で楽山寮へ訪れて下さった方々等、たくさんの出会いがあり、その中でゆっくりとお話させていただくこともあり、福祉に向き合う様々な姿勢や考え方、生き方に触れ、私自身とても勉強させていただきました。初心に戻って考えさせられたり、感化されることがあり、尊敬の想いや感動がたくさんありました。このご縁に深く感謝しています。
この文章を書いている今、これまで内からばかり見ていたものを少し外から眺められているような気がしています。そこで感じたことはこれまで出会い、支えて下さった方々への感謝の想いです。本当にありがとうございました。私はこれまでの経験を活かし、さらに幅を広げるために、少し学びの時間をつくることにしました。自分の信念を強く持ち、またいつか福祉の世界に貢献できたらと思います。
お世話になりました。
養護教諭 戸松\恵子
退職までの二年間と、再任用の二年間合計四年間、望の岡分校でお世話になりました。
様々な背景を背負った子どもたちとの出会い・ふれあい・・・。私は四十二年間も(!)養護教諭として勤務させてもらいましたが、やっぱり最後の四年間は一番思い出深い日々になりました。
週に三日の作業班学習は、最初のうちは「おっかなびっくり」でしたが、だんだん慣れてくるうちに、子どもたちと一緒に汗を流して作業を行うことが快感(?)になり、私自身の体も大変丈夫になった気がします。(実際、上腕には筋肉がついて固くなりました)
さらに作業をすることによって、心の中のモヤモヤ(ストレス)も発散されていったように感じます。家庭学校の寮長・寮母先生・本館職員の先生たちの愛情深いかかわりや、望の岡分校の先生方のきめ細かい授業によって、子どもたちは入所した時と比べて、卒業を迎えるときには、まるで別人のように見違えるほど成長します。ある生徒は、長い間不登校で自宅でゲームばかりしていた生活から一変。最初は寮から歩いて登校してきただけで、「ゼーゼー、ハーハー」と苦しそうだった子が、体を動かしていくうちにどんどん動きが早くなり、力もつき、勉強の遅れも取り戻して、すっかり自信をつけ、堂々とカッコよくなって卒業していった姿を見るにつけ、この家庭学校という児童自立支援施設・望の岡分校の果たす役割はものすごいものだな・・・と、実感します。
もちろん子どもたちもすべてが順調に成長するわけではなく、紆余曲折や、壁にあたったりと、先生たちも一筋縄ではいかないご苦労があることも目のあたりで見てきました。
退職を迎えて今思っていること。それは子どもたちは「大人の言葉」で変化するのではなく、まわりの大人のやっていること、行動を見て成長しているのではないか・・・と強く感じています。ペスタロッチの「生活が陶冶する」(生活そのものが人間を発達させるという意味)まさしくそのものです。私たち大人一人一人の行動や、発する言葉、他の先生方とのやりとりなど・・・実によく子どもたちは観察しています。
特にここに来るまでに残念ながらまわりの大人たちにいっぱい裏切られて、心を傷つけられているであろう子どもたちは、「簡単に大人を信じるもんか」「大人なんて嫌いだ」というオーラを出している子も中にはいます。そういう子どもたちの前では、私たち大人の発する言葉・行動・顔色・雰囲気が全部試されている気がします。
分校の子どもたちはみんな一人一人けなげにがんばっている子どもたちばかりですので、私ができることは「認めること」「ほめること」なるべく笑顔で接すること「あなたの存在はそのままですばらしいよ」と、言葉で言わなくても、まなざしや雰囲気で接していくことだと思っていました。
一人一人が大切な存在・・・これはどの大人・子ども・人間にもあてはまることです。残念ながら今はコロナ禍のもと大人の世界でもイライラしたり、ぎくしゃくしたり、ストレスがたまることも多いのですが、望の岡分校の子どもたちの前では「この大人は信用できる・信頼できる」と思われるような人間になることが、なにより毎日の生活で求められていたような気がします。(そうはいっても完璧な大人なんていないんですけどね)欠点も含めてお互いに認め合えていける関係・・・このことが大事なことです。
四年間は楽しくてアッという間に過ぎ去ってしまったように思います。たくさんの先生方に本当にお世話になりました。ありがとうございました。
石上館 小六 S
ぼくは、中学校に入学したらがんばりたいことと改善していきたい所があります。
がんばりたいことの一つ目は、石上館でみんなの手本になる生活をすることです。どうしてこのことをがんばろうと思ったかは、今までいっしょに生活をしてきたせんぱい方が退所してしまい、今度はぼくの番であると感じたからです。せんぱい方がいた頃は、ぼくなりに生活を何とか真似をしようと日々心がけていました。これからもし、新入生が石上館に入ってくることになった時には、ぼくがそうしてきたように、真似をしてもらえるような生活を送っていきたいです。
二つ目は、作業中に気持ちが途切れないようにすることです。どうしてこのことを改善しようと思ったかは、まだ不完全であるからです。けれど、三学期は意識して取り組もうとしましたが、よけいな事を考えて集中力が続かないことが少しありました。どうしたら集中力が増すようになるかは、自分なりに考えてみたのですが、一つひとつの作業について色々な楽しみを少しでも見つけ、やりがいのある作業にしていけたらよいのではないかと思います。それも考えて、新学期に向けがんばりたいです。
次に、これから直していきたい所です。一つ目は、作業が雑になってしまうことです。今のところ先生方から注意を受けることは、以前と比べてみれば減ってはいますが、時々注意されることがあります。その注意を受けてしまう時は、油断している時や急いでいたり、焦っていたりしている時です。どのようにしたら、一つひとつていねいにおこなえるかは、気持ちに余裕を持って取り組みたいと思います。このことに限らず何事もていねいにやろうという気持ちを忘れずに進学してもがんばりたいです。
二つ目は、要らない余計な発言をしてしまうことです。これは、最近になって減ってきているのですが、何故変な発言をしてしまったんだろうと後悔してしまう時があるので、早いうちに直しておきたいです。どうして今のうちに直しておきたいかは、進学したら周りのレベルが上がると思うので、仲間にたいしてまちがった発言をくり返してしまうと、大きなもめごとに発展してしまうかもしれないので、意識して直す必要があると思っています。
最後に、小学校で学んだことや、失敗してしまったこと、成功したことを十分に活かして、これから待っている中学校生活を送りたいです。
理事長 仁原正幹
コロナ禍の慌ただしい中でしたが、理事長としての初年度が無事終了しました。望の岡分校の卒業証書授与式に参列させていただき、子ども達が皆それぞれに逞しく成長していることを実感し、大変嬉しく、有り難く思いました。北海道家庭学校を支えてくださっている全ての皆様に心より感謝申し上げます。
札幌市児童相談所との折衝・協議の状況について、その後の経過をご報告します。本誌二月号の「理事長時々通信②」の続きということになります。
暮れの十八日に札幌市児童相談所で懇談させていただいた一カ月後の一月十八日付けで、私の方から札幌市児童相談所長宛に文書をお送りしました。二項目の回答・要請概要を抜粋して転載します。
(1)「当校との連絡調整窓口を管理職に一本化すること」について
児童相談所と児童福祉施設が互いに組織として機関決定した内容を連絡調整する際には責任ある立場の管理職が組織を代表してその任に当たるべきという当校の考え方をご理解いただき、令和二年度からは貴所の相談判定一課長が窓口となって当校の自立支援部長との間で連絡調整が行われるようになり、円滑な業務推進に向けての改善が図られていると考えます。当校の要請の趣旨をご理解いただき、安堵しております。
ただし、貴所の場合は取扱件数も多く、対応窓口を責任ある立場の管理職に一本化するという意味では、ケース内容を十分掌握した担当課長がその任に当たることが最も相(ふ)応(さわ)しいことであり、相談判定一課長ばかりでなく、相談判定二課長も対応窓口を担当される方がより一層円滑な業務推進が可能となると考えますので、その点については再度ご検討ください。
(2)「一時保護における個室対応の抜本的な見直し」について
貴所が個室対応と称して児童の行動の自由を制限して長時間に渡って拘禁している実態は、児童の人権問題にも 深く関わることであり、当校としてばかりでなく広く一般的見地からも看過できません。貴所においては長年にわたる慣習として続けられてきたために 問題意識が薄らいでいるように見受けられますが、本件については児童虐待から児童を護る立場の児童相談所自らが児童虐待を行っている重大な懸念があります。改善に向けて長時間の検討を要する理由も余地もなく、児童相談所長が強い意思と覚悟を持って所内に自浄作用を働かせれば十分に解決可能なことと考えます。速やかに抜本的な見直しを行い、一刻も早く解消されるよう、強く要請します。 (以上、令和 三年一月十八日付け社会福祉法人北海道家庭学校理事長名文書から転載)
その後、三月三日に、再度札幌市児童相談所を訪問し、山本健晴所長と山田剛地域連携課長のお二方と二度目の懇談の機会を持ちました。札幌市児相内部で一時保護所の個室問題の改善検討を行っているとの説明を受けました。私からは、「拘禁部屋の解消」に加えて透明性の確保が肝要であり、施設入所時に提供される児童記録票の写し等で一時保護中の状況が確認できるようにする必要がある旨伝え、改めて文書での回答を求めました。
その後、三月十六日付けで札幌市児童相談所から文書回答をいただきました。回答文書の概要を抜粋して転載します。
1 連絡調整窓口を管理職に一本化すること
対象児童を所管する課長職(相談判定一課長または相談判定二課長)が連絡調整を行うように対応いたします
2 一時保護における個室対応の抜本的な見直し
一時保護所が開放施設として子どもが安心して快適に生活し、権利擁護が確保されるよう、その重要性の認識と権利侵害の禁止について、職員に改めて周知徹底するとともに、入所した際には、一時保護所内での集 団生活におけるルール説明や一時保護 に至る振り返りなどを丁寧に行った後、速やかに集団生活に合流することを徹底しております。
現在、内部検討会において、一時保護所内での指導経 過記録の作成や改善検討すべき点の洗い出し、子どもが意見を適切に表明できる仕組みについて議論を進めており、七月ころまでにまとめたいと考えております。
また、できるだけ早期に自己点検、さらには、第三者評価など、外部の視点を導入して透明性が確保されるよう検討してまいります。 (以上、令和三年三月十六日付け札幌市児童相談所担当局長(札幌市児童相談所長事務取扱)名文書から一部抜粋して転載)
以上が今日までの経過と現況です。札幌市児童相談所からの回答文書の中で、「拘禁部屋の解消」について明確に表明されていない点は誠に残念ですが、児相内部で改善検討が進められていることは窺えましたので、少し安堵しています。
札幌市児童相談所以外には、このような「拘禁部屋」は存在しません。一刻も早い解消が必要です。加えて、一時保護所の指導経過記録などにより、第三者が児童相談所の中で起きていることが確認できるようにすることも必要です。札幌市児童相談所が期限として定めた七月に向けて、私としても引き続き折衝・協議を続けていきたいと考えています。
各児童福祉施設の皆様にもこの問題を注視していただき、時折入所児童から聴取していただければと思っています。児童福祉の本旨に立ち返り、関係機関等の連携協力の基に「子どもの人権」がしっかりと護られることを念願しています。