ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
分校での学習の楽しさ
酪農担当職員となって
〈児童の声〉
校長 仁原正幹
家庭学校の豊かな森で子ども達と暮らすようになってから丸四年が経過しました。「ひとむれ」の巻頭言も第八九九号から担当しており、四年の間に月刊号と特集号合わせて五十一本の拙文を書かせていただいています。
札幌からの単身赴任生活ということで、二六〇キロ離れた我が家との往復や講演依頼の対応などにマイカーのハイブリッド車を駆使して四年間で八万キロ、地球二周分を走行したことになります。
そこで、四周年記念などという大仰なものでもないのですが、今号は少し趣を変えて、私自身の個人的な話も織り交ぜながら書かせていただくことにします。
妙なタイトルの「アイデンティティー」とは英語の"identity"をそのままカタカナにしたものです。三月十一日の校長講話の中で、この「アイデンティティー」というキーワードを示しながら子ども達に語りかけました。参考までにその一端を記させていただきます。
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今年度最後の校長講話のお話をします。今ここに居る生徒の中には、卒業式や修了式が終わったら退所していく人が結構いて、その人達には餞(はなむけ)の言葉として贈りたいと思います。もちろん残る人もたくさんいるので、生徒みんなの心に長く残ってほしいと思うことを、今日は話してみたいと思います。私のこれまでの人生の中で、悩み苦しみながら考え続けてきたことでもあります。少し難しいかもしれませんが、聞いてください。
今日の話は「アイデンティティー」という言葉がキーワードになります。この言葉、あまり聞いたことないでしょ。今は日本語にもなっていて、辞書の広辞苑にも載っているのですが、元々は英語で、英語のスペルは[identity]と書きます。
アメリカの精神分析家のエリク・エリクソンという先生が、今から七十年くらい前に提唱した言葉で、その後急激に広がり、心理学や精神分析の世界では一時大流行しました。私は今から四十年以上前の大学生の頃に心理学を少し勉強したのですが、この言葉を「アイデンティティーの危機」という言い方でよく使っていました。私自身がその頃「アイデンティティーの危機」を感じていたので、毎日意識して、それこそ呪文のように唱えていた言葉です。広辞苑に何と書いてあるか読んでみるので、聞いてください。
①「人格における存在証明または同一性。ある人が一個の人格として時間的・空間的に一貫して存在している認識をもち、それが他者や共同体からも認められていること。自己同一性」
②「ある人や組織がもっている、他者から区別される独自の性質や特徴。『企業のアイデンティティーを明確にする』」
でも、聞いてもよくわからないでしょ。読めば読むほどわかりにくくなるような説明だよね。端的に言えば、もう少し簡単に言えば、自分は何者であるか、私がほかならぬこの私であるその核心は何か、という自己定義のことです。これでも難しいかな。
みんなはこのアイデンティティーの問題で悩んだり迷ったりしたことないかな。僕は誰なんだ、何者なんだ、どこから来たんだ、何になろうとしてるんだ…という具合に。えっ、そんなことわからないの、自分は自分でしょ…って、みんなは思うかもしれない。多くの人は青年期になって、高校を卒業するくらいの年齢になって思うこと、悩むことなので、まだみんなは「アイデンティティーの危機」には直面していないかもしれません。
でも、どうだろう。よくよく考えてみると、自分って一体何者っ…て、思わないかな。例えば自分のルーツが完全にわかる人って、まずいないと思います。自分の先祖を考えたときに、お父さんお母さん、お祖父さんお祖母さんくらいまではわかるかもしれないけれど、そのもっと前になると、殆どの人はわからないと思う。先祖を遡っていくと、江戸時代や平安時代などキリがないからね…。
それから、どうだろうか。自分って、勉強嫌いな人間だよな、勉強できないよなって思っていたけど、家庭学校に来て望の岡分校の授業を受けて、勉強好きになった人いるよね。勉強に自信がついた人いると思う。そしたら、自分の定義が変わるよね。
俺は悪いヤツだって思ってた人いないかな。学校さぼったり、お店の物盗んだり、壁や物を壊したり、人に意地悪したり、嘘をついて騙したり、そういうことしてきた人、いると思う。それで周りからも、不真面目な生徒だ、悪いヤツだ、嘘つきだ、意地悪だ、とんでもないヤツだなんてよく言われてきたので、自分でも俺は悪い人間だ、ダメなヤツだと思っていた人いると思う。
でも、どうかな。家庭学校で一年、二年生活する中で、自分を変えようと努力してきて、さっき言ったような欠点、悪い癖を直すようにした。その結果、先生からも、周りの生徒からも、親からも、みんなから認められるようになって、好かれるようになって、真面目な生徒だ、良い人だ、楽しい人だ、頼りになる人だと言われるようになって、あれっ、俺ってダメなヤツじゃなかったんだと思うようになった人、きっと多いと思います。
自分のことをよーく見つめると、いろいろと深いものがあるんだね。どうやら簡単にわかるもの、決めつけられるものではないようです。これから君達が大人の年齢に近づいていって、高校に行って、社会に出て、あれっ、自分って一体何者なんだろう、何に向いてるんだろう、どんなふうに生きていけばいいんだろうと、思うことや迷うことがきっとあると思います。例えば、自分がどんな仕事に向いているのか、就職するとき迷うと思います。もう将来の夢や目標を持って、どんな仕事をするか決めている人もいるかもしれないけれど、殆どの人はまだ決まってないと思う。自分がどんなことに向いているか、どんなことに価値を見出せるか、どんなことをすると長続きするか、楽しく充実して過ごせるか、社会や人のために役に立てるか、まだまだ自分のことがわからないと思います。
だから、早計に判断したり、早合点してはいけないんだね。投げやりになって、どうせ俺はダメなんだなどと決めつけないでほしいし、いつも自分自身を見つめて、自分が自分らしく生きていくためにはどうしたらいいかを考え続けてほしいと思います。それが「アイデンティティー」を考えるということです。
将来「アイデンティティーの危機」に陥ったとき、悩んだときには、それって、人が成長していくためにとっても大事なことなので、あっ、俺にも「アイデンティティーの危機」が来たと思って、真剣に自分の人生を考える切っ掛けにしてほしいと思います。
自慢じゃないけど私などは、思春期の頃から、青年期から、大人になって社会に出て仕事をするようになってからも、何度も何度も「アイデンティティーの危機」に陥っています。あー、俺ってこんなことをするために生まれてきたんだろうか、今の仕事でいいんだろうか、今やっていることにどれだけの意味があるんだろう、もっと自分に合う仕事があるんじゃないだろうか…なんて、何度も何度も悩んできた人生です。ちょっと恥ずかしいんだけどね…。
でも、今は、君達と一緒に家庭学校で頑張っている生活に、人生の意義を感じています。自分のアイデンティティーを感じています。
人生、生きてる限り悩みは尽きません。真面目に真剣に考えれば考えるほど、人間は悩み苦しみ、そして成長していくものです。禮拝堂の『難有』、覚えているよね。平坦な道を苦労せずに楽に歩く、そんな簡単な人生などありません。困難に遭って、悩んで苦しんで、それを乗り越えて成長していくのが人生だからね。
社会に出て、万一悪い誘いを受けたとき(残念ながら世の中には悪い人、情けない人、心の弱い人もいるものです)、そんなときには「アイデンティティー」を思い出してください。自分はそんな人間じゃない、自分の人生は自分で考えて決める、世の中を明るくする、周りの人の心を温かくする、みんなを幸せにする、そのために自分の人生があるんだと、信念を持って自分の道を進んでください。
それと、最後にもう一つだけお話しします。今日、三月十一日は、今から七年前に東日本大震災があった日です。東北地方で大きな地震と津波があって、たくさんの人が、誰も予想もしていなかったのに、あっという間に命を落としました。その中には子どもや若い人もたくさんいました。人生は長いんだと思っていても、別に人は年齢順に死んでいくわけではありません。ある日突然、人生最後の日がやってくるかもしれません。だから、自分らしい人生を全うするために、いつも自分が納得のいく生活をしてください。後悔しないように、一日一日を大事にして、真剣に精一杯生きてください。
世の中には絶対とか必ずということはないんだけど、例外があります。生命(いのち)。人は必ず死にます。人生には限りがあります。寂しいようだけれど、限りがあるから人生は美しいんだよ。大事なんだよ。
今日は陽射しも強くなって、だいぶ春の兆しが見えてきました。巣立っていく人も、残ってもう一頑張りする人も、生徒も先生も、みんなそれぞれに頑張っていきましょう。今日のお話を終わります。
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さて、「アイデンティティー」の問題は人類普遍のテーマ(特に青年期の)なので、文学作品でもよく取り上げられています。三田誠広の『僕って何』などはタイトルもずばりそのものです。そのほかにもJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』などという作品がアイデンティティーの危機と青年期モラトリアムの問題をモチーフにして書かれています。どれも古くてすみません。何しろ私の青春時代の愛読書なので…。
思い起こせば私はこれまでの人生の中で幾度もこのアイデンティティーの危機に直面してきました。アイデンティティーの問題は、とりわけ青年期に顕在化すると言われていますが、私の場合は、思春期に始まり、青年期、壮年期、そして白頭の今日に至るまで、人生の節目節目でこのアイデンティティーの問題に苦悩し続けてきたように思います。
家庭学校に来るまでの私は、三十四年ほど北海道庁に勤務していました。道庁の行政マンの場合、通常二~三年ごとに異動があり、時には全く違う分野に配置転換されることがあります。私の場合はそれが特に極端で、最初こそ児童相談所で児童のケースワークなどに従事していたのですが、その後を順に辿っていくと、本庁で社会福祉法人・公益法人の認可・指導、福祉行政全般の企画調整、災害救助、道民生活白書・道民生活指標の作成等に関わり、上川支庁で生活文化・スポーツ・消費者問題・危険動物などを担当、本庁で消費者協会・生活協同組合の指導・監督、成人病対策、がん検診センター建設、道の長期総合計画の策定、社会福祉協議会・民生委員・共同募金会等の指導・監督、後志支庁で社会福祉法人・施設の指導・監督・整備、介護保険事業者の認可・指導、各種福祉団体の指導・監督、道議会事務局で各種委員会担当、本庁に戻って高齢者保健福祉対策など、それこそ何の脈絡もなく転々と異動しました。将にローリングストーン状態で「転石苔を生ぜず」を地でいったというのが実感です。
どの部署の業務にも精一杯取り組んできたつもりで、それなりの充実感、達成感、仕事の喜びを味わうこともできましたが、何か今ひとつ腑に落ちない…、自分らしくない…、本当に自分がやりたいことはこれなんだろうか…という疑問や違和感が、いつも心のどこかに引っかかっていたような気がしています。
そんな私のアイデンティティーも、お陰様でこの十三年ほどは安寧の日々が続き、気持ちよく違和感なく仕事に邁進することができています。道庁在職時代の晩年は二十年ぶりに児童福祉の現場に戻ることができ、旭川肢体不自由児総合療育センター、岩見沢児童相談所、向陽学院、中央児童相談所で九年間、子ども達と直(じか)に接し、子どもとその家族が幸せになっていく様子を間近に見ることができ、こんなにやりがいのある仕事はないと思っていました。その延長線上に今の家庭学校があります。きっと私の性に合っているのでしょう。道職員のスタートが岩見沢児童相談所の五年間でした。その後本庁や支庁の行政マンの仕事が続き、随分と遠回りはしましたが、十三年前に自分のアイデンティティーを確信できる児童福祉の仕事に再会し、それを続けてこられた幸せを感じています。
長々と個人的なことを書いてしまいましたが、私のようにアイデンティティー過敏症でないまでも、誰にでも多かれ少なかれこのアイデンティティーの問題は生じるものと思います。子ども達も親達も家庭学校の職員も分校の先生方も、アイデンティティーの危機に直面し、苦悩することが必ずあると思います。
特に児童福祉施設で過ごす子ども達の場合は、自分はどこから来たのだろう、自分はいったい何者なんだろう、自分はここに居ていいのだろうか、自分が存在する意味は何だろう等々の疑問が次々と心の中に沸き上がってきているのではないでしょうか。
人間はアイデンティティーの危機に直面し、それを乗り越えながら成長していくものだと思います。家庭学校の禮拝堂の正面に掲げられた『難有』の額は、もしかしたらこのことにも通じているのかなと、私は最近考えています。家庭学校はアイデンティティーの危機に直面した子ども達が、それを乗り越えながら成長していく場所あり、モラトリアム(猶予)の期間でもあるのではないでしょうか。
子ども達一人ひとりの個性とアイデンティティーを尊重し、健やかな成長と自己実現のために皆で力を合わせて子ども達を支えていきたいと念願しています。
家にも学校にも地域にも前の施設にも居場所がなかった子ども達に、「あなたはここに居ていいんだよ、大切な存在なんだよ、だから自分を大事にしてね、高校を途中で辞めないでね、きっとあなたに相応(ふさわ)しい仕事が見つかるよ、…」と繰り返し繰り返し語りかけながら。
望の岡分校教諭 吉田康祐
敷地内を真っ白に埋め尽くし、腰の高さまで積もっていた雪もとけ始め、春の陽気が感じられるようになってきました。分校に赴任して一年になることを五感で感じられるのもこの学校ならではのことなのだと思います。
赴任当初は小学生が二人。昨年度までは一学級三十人を超える教室で過ごすのが当たり前だったので、戸惑う場面も多々ありました。また、通常の学校では体験することのない作業班学習や学校行事などもあり、未知の部分が多く大変刺激を感じたのを思い出します。
授業では主に理科、体育、外国語を担当しました。この一年間、「学校は楽しい。」「勉強は面白い。」ということを少しでも感じてもらうことを目標としてきました。
理科では自然観察の学習があります。ここの敷地内はすでに自然に満ちあふれていて、学んだ知識がすぐに活用されることもたくさんあります。例えば「花の観察」。めしべとおしべや花粉の様子など、至る所にたくさん色んな種類の花があります。子ども達も張り切って、「あの花の中を見てみたい!」「この花の花粉はどんな形なのかな?」と、興味津々に活動することができました。他には、「流水による土地の変化の様子」。実際に作業班学習で山道の様子を見て、「雨のあとはこんなに削れるんだ!」、「ここにこんなに土が積もってる!」など、実際の土地の様子を見て学習を深めることもできました。この学校でしか味わえない瞬間がいくつもあり、私自身も楽しく授業ができました。
体育では、二人しかいないのでできることが限られています。また、個性の強い二人なので言い争うこともたびたびありました。得意な競技もそれぞれ違うため、内容によってはどちらかが激しくやる気を失うこともしばしばです。こちらもなるべくやる気が出るような授業の工夫をするように心がけましたが、そうはうまくいきません。ゆっくり二人の成長を見守るしかないという気持ちで体育の授業に臨んできました。少しずつですが、何度も衝突を繰り返すことにより、どちらかが我慢をする姿勢や、ルールを守らなければ楽しくはならないということに気がつく場面も見られるようになり、うれしさを感じることもありました。
外国語の学習にはかなり抵抗のあった二人でした。「英語なんてわからない。」といった態度で反応もいまいちでした。ゲームやコミュニケーション活動を積極的に取り入れ、周りの先生方にも参加してもらうことで、少しずつ「外国語は楽しい!」と思えるようになってきたように感じます。アルファベットや英単語を覚えはじめると、自分から「英語のカルタがしたい!」、「カードゲームはやらないの?」と話すようにもなりました。
一月からは六年生も入所し、三人での活動が多くなりました。この学校で初めての担任も持たせていただき、新しい気持ちで活動をしました。
二人とは全く違った個性を持っており、何事にも張り切って取り組む姿勢が見られました。英語の歌を歌う時には、六年生が元気よく歌うことによって、二人がそれに感化され、いつも以上に大きな声で歌うこともありました。逆に体育ではとにかく賑やかに活動しようとする六年生に苛立っていることもありました。三人になったことで楽しさも難しさも増したことにより、成長のきっかけが増えたと思います。
人数が少ないので、できることに限界もありますが、この学校では通常の小学校にはないことがたくさんあります。中学生との関わり、作業班活動などを通して自然や動植物とのふれあい、寮生活を通しての規則正しい生活、レクや行事。ここでしかできない経験や学びが満ちあふれています。自然や季節を五感で味わうことのできるこの学校ならではの特色をできるだけ生かしながら、今後も学習の楽しさを子ども達に伝えられるよう努力したいと思います。
児童生活指導員 白野明咲
昨年九月から酪農担当職員として働いています。私は、ここ数年本州で働いていましたが、昨年の春、友人と二人で京都の舞鶴から実家のある北海道の恵庭まで自転車旅行をしました。その時に旅行を終えたら働こうと決めていました。働く上での希望が四つありました。北海道で働くこと、正社員になること、住み込みで働くこと、子どもとかかわることの四つでした。ですから、今家庭学校で働けることは、自分にとって全ての希望が叶ったことになります。
私の所属する酪農班には家庭学校の酪農を二十年間支えてきた蒦本先生ご夫妻がいます。牛舎には四十頭程の牛が飼育されています。私の今の仕事は、朝晩の搾乳、放牧地への牛の出し入れ、牛舎の清掃等です。しかし、私は酪農の仕事は全くの初心者であるために、お二人には迷惑をかけっぱなしの状態です。自転車旅行をするくらいなので、体力には自信があると思っていましたが、なかなか大変な仕事だと、今になって痛感しています。
毎日糞まみれです。牛舎の清掃時糞を舎内から排出するバーンクリーナーという機械がありますが、冬季には凍ってし
まう日があります。ツルハシを使い、凍結箇所を復旧させるのですが、私は作業に夢中になると口を開けてしまう癖があり、その癖があだになることもしばしばあります。また、搾乳で機械を取り付けるとき、足を上げる癖のある牛がおり、一度蹴られてしまい、今でもその牛になれることができません。少しずつでも牛の癖を掴みたいです。
蒦本賢治先生は、やさしく穏やかな笑顔で向き合ってくれます。蒦本広美先生は、嘘のない真摯な態度で向き合ってくれます。それは私に対しても、牛に対しても、何に対しても変わりません。そんな両先生と一緒に働けることを有り難く思います。家庭学校に就職する前、広美先生から「あなたとならきっと上手くやっていけそう」と声を掛けていただきました。その言葉に応えられるように精進したいです。毎日、毎日が勉強です。
S・K
家庭学校での生活
掬泉寮 中三 S
私は、平成二十八年の四月に家庭学校に入所しました。最初来た時は、まわりに知らない人ばっかりで、緊張と不安しかありませんでした。私は、人との関わりやコミュニケーションをとることが苦手なので、はっきり言ってまわりがすごく怖かったです。その中でも、寮の先輩方が声をかけてくれて緊張が少しほぐれました。少しずつ寮の生活にも慣れて、本館での生活にも慣れました。
特に自分は、作業が印象に残っています。家庭学校での作業は、大変な作業もあれば、楽しくてまたやりたいと思う作業もあります。自分は、とりあえず弱音ははかず、自分のまかされた作業をやれば、自分の力になると信じてがんばってきました。そして、今までがんばって作業をしてきたら、体力も力も上がりました。このおかげで自分は、何にでもあきらめず、弱音をはかずにがんばることで、自分の力が身に付くという自信がつきました。
また、自分は、ひとむれ会の理事長、副理事長、書記をつとめることができました。ここに来るまでの自分では、絶対にありえないことでした。自分が人前で発表するのは、自分でも信じられませんでしたが、先生方からたくさんのアドバイスをもらい、それを自信につなげることができました。その結果、ひとむれ役員以外にも運動会のリーダーをつとめさせてもらったり、行事でのあいさつをするのも慣れてきました。これが、自分が家庭学校に来て成長したことです。
自分は、家庭学校で生活したうえで、学んだ事があります。それは、感謝の気持ちです。家庭学校に来る前までは、自分一人で出来るからいいやなど、感謝することが少なかったです。しかし、作業や寮生活、本館での生活をすることで、一人では絶対に乗りこえられなかったと思います。仲間や先生のサポートがあったからこそ、充実した楽しい生活をおくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、これから高校という新たなステージに行きます。大変なことも、つらいこともあると思います。その時は、ここでの生活を思いだして、前向きに生活します。短い間でしたが、約二年間ありがとうございました。
家庭学校で学んだこと
掬泉寮 中三 K
私はこれまで起こしてきた問題を直すために北海道家庭学校に入所してきました。その生活の中で変わったと思うことを、前の生活とくらべて、いくつか話します。
まず、大きく成長したことは、イライラのしずめ方です。前まではイライラしたら、物や人にあたってきたけど、家庭学校で生活していると、そういう場面になったときに、相手はその程度の人間なんだと思うと、イライラはしてもそれが表に出なくなり、落ち着いて生活することができました。
次に、落ち着いて生活しているためか、友達がふえた気がします。私は前まで相手が嫌がることをしてきて、その結果、相手からは無視されるようになりました。ですが、今では相手の気持ちを考えて生活していくと、まわりから声をかけられるようになり、生活して毎日が楽しくなりました。
次に、これは私が気づいたことで、最近まわりに困ってる人がいればなにかしてあげたり、たすけてあげたりすることができるようになり、前まで自分のことで精一杯だったけど、今では自分+まわりを気にできるようになりました。
次に、私が成長したと思う3つのことを話します。1つ目は、毎日除草や除雪などをしていて忍耐力がついたと思います。そのおかげで、たいていの時間なら、集中することができて、それは作業をするときや勉強をするときに使えて、自分がつみあげてきたものは、一生のものになるので、これからはそのことを大切にしていきたいです。
2つ目は、マラソン大会のことです。私は、マラソンは特にできるわけではないけれど、走ることは自分への挑戦だから、それをのりこえることができるということは、自分の力が一つアップすることだと思いました。私は、マラソン大会で一ランクアップしたと思います。
3つ目は、作業班学習です。私は前まで作業は、これはきらいこれは好きと決めていて、きらいな作業はあまり進まずにいたのですが、今では、どの作業班にいても、どの作業でも、リズムよく作業できていると思います。
最後に、これからのことについて話します。私はこれから社会という生活の場に出ます。その中でもルールがあり、ルールを守らないと罰せられることもあります。でも自分は、そのことをよくわかっているので、大丈夫だと思います。
次に、高校に3年間行くため勉強をがんばって、生活していきたいです。そのためには、しっかり授業に参加して、職業の勉強ももちろん実習でしっかり見て覚えたいです。
そして最後に、もう二度と、警察や児童相談所のお世話にならないように、生活をしっかりして、お母さんや妹とケンカにならないようにして、これから自分の道を歩んでいきたいです。