ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
卒業・経験
家庭学校へようこそ
校長 加藤正男
校内のあちらこちらにそびえ立つ「ドイツトーヒ」の木は大正8年に、幸助先生が石上館の周りに植樹をしようとのことで、前田則三先生が中心となって生徒たちと職員で千本近く植えられたものです。前田先生はその後作業療法の先駆者として東京の松沢病院で活躍されました。医師・看護長とともに患者さんと作業し、歌声を響かせていました。8年前に台風により倒れた木を丹野林業さんが製材して家庭学校に持ってきてくれました。美しい模様と触ると心地よい肌の感じでした。平和山登山道の入り口手前の雪の上にはエゾリスがかじった「マツボックリ」が残されています。
3月1日は、遠軽高校定時制の卒業式がありました。当学校の生徒が二名卒業式に参加していました。二人は少し前に自立のため遠軽町で一人生活をしています。アルバイトをしながらの卒業です。卒業作文では「これから社会人として生きていくのかなと思うと正直不安だし、こんなぼくが社会人としてやっていけるのかとつくづく思います。」 18日には、遠軽中学校望の岡分校・東小学校望の岡分校の卒業証書授与式が家庭学校で行われました。小学生2名中学生が8名です。それぞれの地元の校長先生や教頭先生がこられ、卒業式証書の授与式が行われました。三学期にこちらに来たばかりの生徒も2名います。ここにいる期間が長い生徒は4年4カ月です。成長しました。ここでの生活体験が身体にしみこんでいます。寮長・寮母さんの暖かい見守りと学習・作業・寮生活とさまざまな行事です。野菜つくり(ハウスのビニールの掃除から、土作り、野菜・メロン・スイカ等の手入れ、収穫)寮母さんとの食事作りの手伝い・片づけ・掃除洗濯・牛乳運び・除草・花作り・毎日の日記を書き、屋根に登っての雪下ろし・道の確保のため除雪作業・薪割り・風呂焚き、カラマツ・桜の植栽・山林作業・味噌づくり・さまざまな体験が心と体の成長を促すのです。 家庭学校に来訪するお客さんを伴って寮の部屋に入るとT君が大きな声で「ぼく頭がよくなりました」と期末テストの点数を見せてくれました。40点や36点、そして国語は60点でした。一年前はどうだったのと聞くと「ほとんど何も書けなかった」とつぶやいていました。まだまだ人とはぶつかって、すぐにケンカになってしまうのですが、入校してきたころのぶつかりに比べると著しい成長です。 四月からは、ここを出て高校に行きますが、自立への道を勝ち取って行くためには、まだまだ心配です。送る寮長・寮母さんも気がかりではありますが、関わりをもちながら、支援していくしかありません。
3月5日は、幸助先生月命日の平和山登山です、朝6時に本館前に集合して出発です。温度がマイナス20度近く下がりました。はじめは歩きやすい林道なのですが、途中から細い道へ曲がっていくと雪道が深く簡単には歩けません。先頭の捧寮長先生は腰のあたりまでくる雪の中、長ぐつで道を作っていきます。入校したばかりの小学6年生Y君は、100メートルも行かないところで、横を向いて「もう登れない」とつぶやきます。工藤先生が声をかけます。Y君は「しょうがないな」と言いながら、先頭のグループからかなり離れてしまいましたが、登り切りました。慰霊碑の前で賛美歌集と聖書を開きますが、手先が痛くて口も大きく開けられないのです。声もかじかんでしまいます。礼拝を終わると生徒たちは素早く降りて行ったのですが、私は、休み休み40分かかって山を降りました。毎年、入校したばかりの生徒がこの登山についていけなくてそのまま降りてしまう生徒がいます。私は、雪の上に座りながら昇ってくるオレンジ色の太陽眺めていました。雪の下には、小さなカラマツの木の芽が赤く膨らんでいるのがのぞきます。ツツピー、ツツピーとシジュウカラの声も元気に山に響き渡っています
留岡幸助先生は自分の考え方の変遷を四つの段階に分けて語っています。第一は、幼いころに天文学を学び、日本ほど良い国はないと思っていたのに、地球すら宇宙の中では粟粒にすぎないことを知ったこと。第二はキリスト教によって封建的身分秩序の弊から解放されたこと。第三は、監獄で学んだこと。そして第四は、二宮尊徳の思想に出あったこと。(岩波新書 高瀬善夫著 一路白頭ニ至ル ページ153)
幸助先生は、1900年から14年間にわたり、内務省地方局の嘱託として活動しました。特に日露戦争後は、日本社会が危機的な状況になっていました。地域を調査し、地域振興を呼びかける運動です。全国の講演活動で様々な地域を回るなかで、二宮尊徳の実践と報徳社の活動に注目しています。独立自営の民を育てること。慈善事業を活発にすること。経済と道徳の調和を図る尊徳思想を後世に伝えたいとの思いで、「二宮尊徳とその風化」「二宮翁と諸家」「農業と二宮翁」等の本を書きました。北海道家庭学校の道路に大きな柱を立てましたが、尊徳の「東西南北四本の柱 青天井をわが家として」の裏側には「勤倹治産」「情愛及衆」の字も刻みました。
「二宮翁と諸家」留岡幸助編の中で「尊徳先生は、社会に平和を欠き、親愛を失うは、人類の全てが私欲によって起こることを知れるがゆえに、機にふれ、折にふれて、その私欲を心裡より一掃することを繰り返して教えたり。人道は私欲を制するをもって道とす。人道は勤むるを以て尊とし、自然にまかすを尊ばず、それ人道の勤むべきは、己に克つの教えなり」
ペスタロッチやルソーと同列に尊徳先生の思想と実践を紹介しています。
尊徳先生が日頃水浴をしていたとのことも幸助日記に書かれています。東京の家庭学校の日課には、5時起床(冬は5時半)、その後浴室にいって水浴を行っていました。もちろん幸助先生率先して行っていました。当時の生徒であった藤原義江氏(藤原歌劇団を創設した)は幸助先生生誕百年記念集のなかで、こう語っています。
「水浴は最初いやで、いつもどうしたらごまかすことができるか考えていたが、徐々に慣れ、一番先に浴室にいった日のことです。そこに留岡先生がおられたのです。今でも思い出すのがその時の真裸の幸助先生です。先生は、非常に血色の良い方だったものですから、その皮膚の色が忘れられないのです」
3月に、退所する生徒15名です。受験した12名は合格しました。1名が不合格となりましたが、これからの二次募集等により進学を果たして退所となります。
中学二生のA君やB君は地元の中学校に中3から復学です。中卒生のC君は、高校に合格し保護者の元から高校生活を送ります。養護施設に措置を変更して旅たつ生徒もいます。
寮長寮母のもとでの集団生活。貴重な体験です。17歳で入校してきた生徒は一年と短い期間でした。復学する生徒、地元の高校に合格して保護者の元に戻る生徒、期間は一人ずつ異なりますが、今回3月に退所する生徒の平均の在校期間は2年ぐらいです。遠軽高校定時制4年生に通学していた生徒は、無事卒業を迎えましたが、期間はそれぞれ四年超える期間です。二人とも遠軽町のアパートで自立を図っていきます。一人での生活・自立を図っていくことのむずかしさを考えると、継続的な家庭学校のサポートが必要なのです。
高校生寮として活用している向陽寮は平成13年建築の建物で新しいです。掬泉寮は平成23年12月から柏葉寮の生徒たちが引っ越して生活しています。明るく居室空間も広く、まきで焚く風呂は同じですが、個室のお風呂が二個あり、生活環境は著しい改善が図れました。他の寮との格差が大きくなりました。生徒たちのためにも、平成24年度には、昭和38年建設の楽山寮の全面改築を目指し、二年後にはもう一つの寮を改築されることをめざしていきたいのです。
家庭学校は現在4か寮の寮が活動しております。寮一つ一つが家庭学校です。寮長寮母の個性を大切に運営されています。そして生徒にとっても寮長寮母が親代わりの頼る人であり、居場所であり、ここから退所してもいつでも帰れるふるさとなのです。しかしながら、夫婦制を維持している施設は、現在厳しい状況になっており、交替制も併存していかざるを得ない状況になっています。寮が家庭であり、学校であるという伝統を受けついていきたいのです。3月11・12日に本州の最南端からご夫婦が家庭学校の生活に加わるため寮に泊って行かれました。夫婦で子どもたちの生活をなり立たせていきたいとの強い決意をお持ちでした。
私は、3年前、小田島校長から校長職を引き継いで3年間、皆様に支えられ、ご支援ご指導のお陰さまにより勤務することができました。この度、3月31日をもって退職となりました。後任は副校長である熱田洋子氏が引き継ぎます。3年間、森の家庭学校の生活は貴重な体験です。一人ひとりの生徒たちの成長の姿が目に浮かびます。失敗をくりかえす生徒もいますが、ここの生活体験が必ず生きてくる時があるのです。気づく体験を呼び起こす生活がここにはあります。寮長・寮母先生の24時間のかかわり、フリーの先生や分校の先生の熱心な指導と工夫により、生徒たちが生き生きと活動し、笑顔があふれます。3年前からは分校という生徒たちにとっては今まで以上に手厚い義務教育課程が受けられるようになりました。生徒たちの成長のバランスはとても悪いのです。机に静かに座って人の話を聞くと言う体験の少ない生徒にとって、ここでしっかり人の話を聞けるようになっていった自分に気づいた時、大きな自信につながっていきます。
子どもたちの成長にとって欠かせない生活体験、生活経験を積み重ねることによって、自らの存在価値を高めていき、人に支えられ、人を支えていく働きのできる人に成長していくこととなります。目標となる大人たちとの出会いは、社会的養護の必要な生徒たちにとって貴重な経験です。
幸助先生の残された実践と言葉は継承されています。 「教育上一番大事なのは家庭であり、監獄にいた受刑者との個別の面接の中で、多くの人が小さい時から犯罪を続けており、犯罪者を出さないために、周りの教育環境に手を差し伸べなければならない」
「自然が人間を感化し、家庭の空気の陶冶が人を育てる」
「子どもは見習うものである。いわば教育は見習いである」
「子どもを型に入れるな、型に合わないからと言って子供を壊してしまうことも世間にはありがちである」
「難有ることが有難し」
「よく働き よく食べ よく眠る」「家の中の主人は妻なり」
記録・経験が学問なり」
「明日の仕事は前夜にそのなかばをせよ」「談話は晴れやかにやれ」「一日の苦労は一日にして足れり」「自奮・自発が大事。独立独歩の自ら運命を開拓すべし」
経験・手帳は学問なり」
「愛国は形にあらず精神なり」
「愛国とは己に打ち勝つことより起こるなり」「小さいことに忠勤なれ」
3月29日NHK教育TVで家庭学校の生活が放映されました。「北の大地が育む少年たち~北海道家庭学校の一年~厳しくも豊かな北の大地で日々成長する子どもたち。それを見守る寮長・寮母の一年を追うものでした。ディレクターの方は、月に二、三日、こちらに来られ、生活をとり続けてくれましました。「成長していく姿がわかる、こんなにも成長していくのはなぜか、生き生きした顔を映像にできないのが残念です」と語ってくれました。
家庭学校は、北海道の遠軽という地を選び、このきびしくも広く大きな環境を開拓して、生徒とともに職員が働き、率先垂範・流汗悟道の精神そのものです。それを続けていった先輩先生方の苦闘の歴史です。留岡幸助先生の精神と実践が、教護院・児童自立支援施設の聖地と呼ばれる所以です。その聖地に勤務できたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
蒦本 賢治
北海道家庭学校の公式ウェブサイトがインターネット上に公開されて、一年以上が過ぎています。 現在のサイトが準備される前にも当施設のホームページは存在しましたが、内容更新が滞っていたのとサーバー契約の更改手続きの遅れでアクセスできない状態になったことが重なり、そのまま、公開されずにいました。その後は加藤前校長が個人で開設しているホームページが家庭学校のサイトとして認識されるような状態が続いていました。しかし一部の職員の間で、ホームページを作り直してより多くの方々に家庭学校の正確な情報を知ってもらう必要がある、ということになり試行錯誤しながら、職員会議を経て新しいサイトを公開することとなりました。
以前のホームページが開設された時点と新しいサイトを立ち上げようとした当時では社会の中でインターネットの占める位置が全く違っていました。より多くの人が、より多くの時間をネットの中で過ごしていたのです。そして、ネットもそれにあわせて進化していました。家庭学校の事を調べたければ、無料で使えて、誰にでも中身の更新ができるインターネット百科事典「ウィキペディア」のページを開けば出てきます。施設見学で来訪された方が「ブログ」でその感想を述べています。 「ツイッター」や「フェイスブック」も登場しました。このように、時代背景が変わっていましたから、私たちはサイトを再立ち上げするにあたり、在り方や内容、方法などもそれにあわせ、全く新しい形でスタートする必要がありました。
「ホームページ」という名称は、日本でインターネットが爆発的に普及した際に流行しましたが、技術用語としてはその使われ方に若干の誤用があり、利用されることが少なくなっています。古臭い感じもありましたので私たちの立ち上げる新しいサイトは「ウェブサイト」と呼ぶことにしました。また、サイトの在処を示す「URL」は、新たに「kateigakko.org」のドメイン名を取得し、覚えやすく、家庭学校の公式であることを明示できるようにしました。ウェブサイトには多くの人が訪れます。そういう意味では校門、本館に次ぐ家庭学校の第三の玄関と言えるのではないでしょうか。従って、新しいソフトウェアを使い見栄えのするような外観となるよう努力しました。内容は、「ウィキペディア」のような施設の客観的な説明にとどまらず、私たちから皆さんへ伝えたい思いなども多く加えることにしました。さらに、「職員日記」や機関誌「ひとむれ」からの文章の掲載など、定期的に更新できる内容も併せ、読み応えのある物にしました。サイトのタイトルは解放処遇施設であることを暗示するように「家庭学校へようこそ」としました。校章は家庭学校の理念をうまく表しているので、これをコンピュータグラフィックで描き直し、ほとんどのページから見られるようにしました。対象とする閲覧者を以前より拡大解釈しなければならず、内容もそれに合わせるべきだという事になりました。
立ち上げから一年を過ぎた現状ですが、まずまず、といったところではないでしょうか。昨年4月には、立ち上げに尽力した主たる担当者の一人が退職し、更新頻度は大幅に減少してしまいました。それでも、月に幾度かの更新は必ず行い、開設後も、不具合等があれば、手の加えられるところは加えるなど、全く更新されず放置されていると見られるような状態にはなっていません。しかし、改めてよく見直してみると、未だ不具合や内容の過不足、デザイン的な不備がある事に気づきました。開設されていないページがある事も気にかかっています。日記に記されてしかるべきものが書かれていない事もあります。より多くの職員が関わって更新頻度をあげる工夫はできないかと考えています。
新しいサイトを立ち上げる際は技術に詳しいという事で私が協力することになりました。デザインはサイト作成用ソフトウェアに組み込まれたひな形から、それらしいものを選択しました。シンプルで落ち着いた感じにする事が念頭にあったと思います。少し地味で堅苦しい感じのデザインになってしまいました。私は、これまでにデザインについて勉強した事も研究した事もありませんでしたが、ディーター・ラムスという著名な工業デザイナーの「良いデザイン十か条」なるものがある事を知りました。
・良いデザインは革新的である。
・良いデザインは製品を便利にする。
・良いデザインは美しい。
・良いデザインは製品を分かりやすくする。
・良いデザインは慎み深い。
・良いデザインは正直だ。
・良いデザインは恒久的だ。
・良いデザインは首尾一貫している。
・良いデザインは環境に配慮する。
・良いデザインは可能な限りデザインをしない。
(翻訳はWikipediaからの転載)
というものです。すべてを適えるのは本職のデザイナーでも難しい仕事でしょうから、私はこれを意識しながらこの中の一つ、二つでもできればと思いながら、サイト作成の参考にしています。
考えてみると、これまでの家庭学校ウェブサイトのデザインコンセプトは無意識のうちに「伝統」に縛られていたのではないかと感じます。児童を対象とした施設であるにもかかわらず、子どもっぽさが感じられません。少し大人びた感じになってしまいました。写真や、日記で補われているところもありますが、全体的なデザインとしてもう少し、楽しい雰囲気のあるデザインにならないかと考えています。 色使いや書体の選び方に関しても、同様の事が言えます。 現在の家庭学校の色々な活動を象徴する、例えば背景に家庭学校の自然や作業の対象である木や土をイメージする色を使ったり、遊び心のあるフォントでテキストを書いたりするのもいいのではないでしょうか。 プライバシーの関係で子どもたちの笑顔写真が使えないのは残念です。
インターネットの世界は日進月歩です。新しい表現や技術が現れては消えてゆきます。ですから、家庭学校のサイトも完成したと思っても、いつの間にか古臭くなってしまいます。家庭学校のサイトは職員による手作りなので、最新技術を追う事はできません。派手な演出も必要は無いと思っています。それでも、この家庭学校の新しい玄関は古くなった表現方法をいつまでもそのままにしたりしていないか、外出前に鏡の前で身だしなみを確かめるように常に気にしていたいものです。大切なのは、見やすく、嘘偽りが無く、必要な事がきちんと書かれている事ですが、これからも新しい技術を使って、様々な表現に挑戦してみようかと思っています。