ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
卒業の季節
家庭学校で子どもと関わり感じたこと
〈児童の声〉
校長 清澤満
二月二十六日に四年振りに開催された湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会に参加してきました。子どもたちがエントリーした男子5㎞コースには九十四名の選手が出場しましたが、その内、十位以内に三名(六位、八位、十位)が食い込むなど、二十一名の子どもたちはそれぞれ持てる力を十二分に発揮した見事な滑りを披露してくれました。スタート直前から降り始めた雪を真(まと)面(も)に受ける悪コンディションの中、本当によく頑張ったと思います。レース後は走りきった達成感に浸りながら、主催者側が準備してくださった温かい飲み物のほか、パンやおにぎりをほおばり、これまた大満足の子どもたちでした。
殆どの子が初めての挑戦だったクロスカントリースキーですが、技術指導を通じてこのスポーツの楽しさを教えてくださった日本冬季マスターズスポーツ協会の宗片理事をはじめ、遠軽太陽の丘クロスカントリースキークラブの皆様には講習会の開催やワックスがけなどで大変お世話になりました。
また、これに先立ち行った一月三十日からのスキー学習では、今年もまた陸上自衛隊遠軽駐屯地の皆様に指導していただきました。全くの初心者だった子どもも町内のロックバレースキー場でリフトに乗って広いゲレンデを滑り降りることができるまでに上達し、満足そうな面持ちでした。
苦手なことや初めてのことも、こうして多くの皆様に支えられて学んだり、経験したりできる家庭学校の子どもたちは幸せです。頑張って上達した時の喜びや有難みを感じることで感謝の気持ちが少しずつですが着実に育ってきていることでしょう。これも、校祖留岡幸助先生が諭した「難有」の教えに繋がることです。
校長室の窓からは今日もいつもの風景が見えています。午前授業を終えた子どもたちは寮毎にまとまって、本館から給食棟に向かう路を寮長を囲むようにして下りていきます。寮長の側にいるのは新入生でしょう。お世話係の先輩寮生と並んで寮長の側を離れません。その反対側には話し好きな寮生が陣取って寮長の顔をのぞき込むようにして何やら話し掛けています。いつも美味しく頂いている給食棟の昼食のことでしょうか。午後からの作業班学習の話題かもしれません。
自己変革に挑む子どもたちを導く教え。それは、生活の基本である「三能主義」、「流汗悟道」の精神、「難有」の教え・・・。校祖が説き続けてきたこれらの理念・教訓は現在の児童自立支援事業においても普遍的であり、これからも大切に引き継いでいかなければなりません。
主幹 蒦本広美
今年も卒業式の時期が近づいてきました。今年卒業する家庭学校の生徒達もそれぞれの進路に向けて準備している最中です。
以前の中学三年生は家庭学校を卒業したら就職という流れが多かったようですが、最近は高校を受験して、進学に合わせて家庭復帰や別の施設への措置変更というのがほとんどのようです。世間的にも高校進学が普通になっている今、家庭学校の生徒も進学によって将来の選択肢を増やすためにも可能であれば進学して欲しいし、進学できたなら卒業まで頑張ってもらいたい。そう思いながら毎年卒業生を見送っています。
私事になりますが、私の末の双子の子ども達がこの春に小学校を卒業します。望の岡分校の本校である東小学校に、長男の入学から数えて十七年間お世話になりました。親として学校と関わるようになり思ったのは、東小学校は子どもと先生、親と先生の距離が近いということでした。他の学校のことはわからないのですが、私が子どもの頃は子どもはともかく、親が学校の先生と話すのは家庭訪問か面談くらいだったと思います。私の世代は子どもが多く、クラス数も一クラスの人数も多い時代だったからかもしれません。
長男が入学して半年くらいの頃の話です。廊下で会った当時の校長先生に話しかけられました。子どもの学校での様子を教えてくれたのですが、校長先生って全校生徒の顔と名前を覚えているの? それはまあ、もしかしたらできるのかもしれないけれど、でも、三〇〇人以上いるのに? そして個人的に話したこともない親の顔がどうしてわかるの? と少ししかいない家庭学校の生徒の顔と名前すらなかなか覚えられない私はすごくびっくりした記憶があります。
ほかにも、過去に担任だった先生や保健の先生、上の子の担任の先生など、その時の担任の先生以外のたくさんの先生にも気にかけていただいて学校生活を送っていたことを、この十七年の間に何度も見ることができ、関わっていただいた先生方に感謝しています。
家庭学校に分校が導入されて早いもので十年以上が経ちました。初めは公教育と家庭学校の方針が協働できるのか、学校の先生とうまくやっていけるのかと色々不安でしたが、今ではなくてはならない存在になっています。大人の数が一気に倍になって、違う立場から色々な角度で生徒を見る目が増えて、きっと生徒の良いところも直さなければならないところもたくさん見つけてもらえるようになったと思います。そして私たち家庭学校の職員もたくさんの評価や助言をしていただいています。また分校の先生や本校の校長先生が家庭学校の行事や作業班活動に参加してくださることで、この広い敷地内で自己完結し、閉鎖的になりがちな傾向が少しは開かれるのではないかと思います。
学校内の大人が互いに支えあい、助け合うことは、部分的にとはいえ生徒に社会を見せることになります。いつでもお手本になるよう過ごすのは大変だけれど、私も負けずに成長していこうと子ども達の卒業式準備の話を聞きながら思うこの頃です。
望の岡分校教諭 増田 英雄
この学校に勤めて、もう少しで四年が経ちます。この学校にいて、子どもとの関わり感じたことや、子どもの様子などを書いていきたいと思います。
現在私は、中学1年生の担任をしています。年度スタート時0名だった学級が、2学期に1名来て、一人で勉強する期間が数か月、2学期の終わりにもう一人来て、2名の学級になりました。お互い全く性格の違う二人でしたが、化学反応とは言い過ぎかもしれませんが、お互いの良いところを吸収しながら、成長していくのが目に見えて感じることができました。3学期の初めの学活で、クラスの係を決めました。2名のクラスなので、『学習係』と『環境係』の2つを設定し、各1名で割り当てるように話をしました。すると、生徒の一人が「もっと、仕事がしたいです。」と言うのです。その子の普段の行動は、楽をするために頭を使うタイプなので、びっくりです。「じゃあ、学級委員長を加えます。」と伝えると、もう一人の生徒が、「僕やります。」と言うのです。どちらかというと、周りの状況を見て、合わせるタイプだったので、これまたびっくりです。そして、委員長として「楽しいクラスにしたい!」と抱負を語ってくれたのも、とても嬉しかったです。「楽しいクラス」は、私が学級づくりで1番大切にしていたもので、普段から伝え実践していたものだったからです。二人の成長を感じた瞬間でした。
1年生の学級では、朝の会で「朝の3択クイズ」というものを実践しています。先生と生徒が輪番で出題します。出題の内容はプライベートなものでも、勉強になるものでも、何でもありです。クイズの終わりは、笑顔と拍手で溢れています。また、1年生の数学の授業の中で、わからない問題があったときには、一人が教えると、「わかったぞ、そうやって考えるんだ。」と素直に言えるそんな些細なやり取りが毎回あります。日々の授業を通して、良好な人間関係を積み上げているのを感じます。残念なことにこの作文を書いている現在は一人の学級になっていますが、早く元の形に戻り、互いに切磋琢磨してくれることを願っています。
今年度、私は図書担当として、図書の貸し出し業務をしました。2時間目終わりの休み時間に毎回5、6人の生徒が狭い図書館に溢れます。会話を楽しむ人、本を探す人、本の貸し出しを手伝う人、本の貸し出しを上から目線で評価する人など様々です。先生方も積極的に関わっていただき、子どもたちは楽しい時間を過ごして帰ります。図書館が子どもたちの大切な居場所の一つになっていてそこに自分が関われているのも嬉しいです。
家庭学校の生徒は、人懐っこい子が多いです。人との関わりを強く求めています。人見知りの私も、子どもたちがたくさん話しかけてくれるのでとても嬉しいし、楽しいです。私は分校の教員として、日々の学習を通して子どもたちが自分の課題に取り組めるよう、子どもたちに寄り添い、支援をしていきたいと思います。
石上館 中三 S・掬泉寮 中二 N・楽山寮 中三 S
雪像作りを終えて
僕が家庭学校に来て2回目の雪像作りをやりました。昨年戦艦金剛を作りましたが、納得のいく物を作れなかったのでもう一回やりたいと思い戦艦長門を作りました。作り始めると思ったよりも雪をけずれていないことがあり、大変でした。手はとどくけれどもノコギリを引く力がでにくかったりしました。今回は前回の雪像よりもシンプルですが戦艦を作るのに大切な砲塔や船体に特に力を入れて作りました。砲塔を作るのに苦労した所は全体の形はもちろん、砲身の形を整える所がむずかしかったです。砲身を浮かす所がむずかしく昨年は落としてしまい水でくっつける事になってしまったので今年はすごく慎重に作りました。砲身の形をなめらかにする時もていねいに、慎重に作りました。その結果良い砲身が出来ました。船体を作る時に力を入れた所は船体の左右のバランスを整える事です。船体の中心から右に傾いていないか、左に傾いていないか時々確認しながら調整をしてスリムな形にしあげました。他に船体が少しとがっている形にするために船体の下側をななめ内側にけずりました。雪像を作るためのブロックが2m×2mなので砲塔や船体に力を入れて作りましたが昨年よりも出来は良かったので嬉しくなりました。作り終えて時間があったので巡洋艦も作っていてきれいに作れたと思いましたが雪像コンクールが始まる前に雪がふってうまってしまって悲しかったです。雪をほろい雪像コンクールが始まり先生達が来たり自分達が他の寮の作品を見たりしていました。ブタさんや太鼓、ヘッドホンなど、すごい作品からおもしろい作品まで色々ありました。作るのは時間がかかるけど作り終わった時にはやりきったという気持ちもあるし、上手に出来て嬉しいという気持ちもあって楽しく雪像作り、コンクールを終われたと思いました。いつか、このような行事がある時にこの経験を活かしていきたいと思います。
クロスカントリースキー
人生初めて、クロスカントリースキーをしました。初めてでとても転びました。何回も転びました。ですが、三十分もたたないうちに、なんとなくすべれました。作業班学習が終わったあとや、夕作業、日曜日にあったクロスカントリースキー講習会で、たくさん練習をしました。初日の講習会で、班で分ける時A班に行って、おどろきました。
2回目の講習会でA班の練習は、とてもきつかったです。まず、上のコースの登りでとても体力がいっきにうばわれながら二、三周しました。下にくだっていって、集まったら、最後に、上のコースと下のコースを合わせて三周で、とても疲れました。そして足のすねがいたかったです。最後の講習会の練習では、2回目の講習会よりも登りやすべりのスピードが速く感じて、初めての時とは、だいぶ成長したと思います。
最後の講習会の一週間後にクロスカントリースキー大会があります。のこり一週間なので夕作業などで、たくさん練習をしました。
大会当日、朝とても晴れていたのが、午後になると、雪がふりだし、風もふいてきました。大会が始まるまでのこり五分。少し雪や風がやんできましたがとてもさむかったです。
大会が始まりました。百三十七人がいっきにスタートしました。最初は、ゆっくりと自分のペースで人につられないようにと思いながらすべりました。だいたい十三位でした。そこから、転ぶ人もいたり、ぬかしたりで前にどんどんかけあがり、六位までのぼりつめました。中ばんは、登りがありましたが、講習会で教えてもらったことをおもいだしながらいっきに登り、にがてだったところをすぐに登れました。しゅうばんは、あと一キロメートルのところで、うしろから、ぬかされ、六位から、八位におちてしまいましたがあきらめずに追いかけようとするも、差がひらいてしまいました。そしてゴールしてけっかは八位というけっかになり、最後、二人にぬかれるのがくやしかったですが、楽しかったです。
初めてやった時とくらべて、とても成長したと思います。講習会の先生などで分かりやすく教えてもらったり、とても感しゃしています。今年の冬は、TOP5にはいれるようなぐらいまでの体力などを身につけるようにがんばりたいです。
スキーの事
ぼくは、ここに来て6年ぶりのスキーをやりました。ぼくは小学生のころスキーがまったくできませんでした。さいしょの方はスキーで山ものぼれずすべったらいたがとれたりころぶことばっかりでスキーはきらいでしょうじきにいうとやりたくなかったです。でもここのスキーがくしゅうをやって少しスキーができるようになりました。山のぼりもできるようになりました。スキーではシュテムターンやパラレルターンをストックがなくてもできるようになりました。スキーでたいせつなじゅうしんいどうができるようになりスキーがうまくなりました。さいごはスキーじょうでスキーをしました。少しだけしかすべれてないけどすごくスキーがたのしかったです。らいねんもスキーをすることがあったら、ならったじゅうしんいどうなどをいしきしてきれいにシュテムターンやパラレルターンができるようになりたいです。