ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
家庭学校の食事について
〈児童の声〉
校長 清澤満
雪には慣れているはずの北海道ですが、今年二月の大雪や暴風雪では大きな混乱が生じました。五日から六日にかけて札幌を襲った記録的な大雪は、札幌発着のJRやバスなどの公共交通機関を完全に麻痺させ、通常運転再開まで一週間ほどの期間を要しました。また、二十日から二十一日にかけての強風を伴う雪はほぼ全道に広がり、各地で交通障害が発生し、進路調整等で出身地に向かう子どもの移動にも影響を受けました。その後の暖気では屋根からの落雪事故等も相次ぎました。近年の豪雨等にみられるように「記録的」と称される天候が毎年のように発生していますので、来年以降の冬の北海道の天候が気懸かりです。
そんな中でも、家庭学校の子ども達は例年と変わりなく、二月を元気に乗り切りました。四日には平和山記念碑参拝登山に続いて、山頂からグラウンドまでのの滑降競技を行い、タイムを競いました。九日には神社山で回転競技を行い、一月二十一日の大回転競技と合わせてアルペン三種目を無事終えました。
今年もクロスカントリースキーに挑戦しました。五日には遠軽太陽の丘クロスカントリースキークラブ代表の馬場隆雄さんからのお誘いで講習会に参加し、子ども達は元日本代表の宗片博文さんにクロカンの基礎を教えていただくという貴重な体験ができました。それぞれ「最優秀〇〇賞」と書かれた修了証書を渡され、とても満足した様子でした。その後も数日間、馬場さんをはじめ天羽さん、薄井さんなどクラブの方々に技術指導していただき、二十七日の太陽の丘えんがる公園での大会では、皆練習の成果を発揮して良い滑りを見せてくれました。
スキーの練習や大会の合間を縫っての雪像づくりにも一生懸命励み、充実の二月を過ごしました。
さて、児童虐待防止法等に親権者による体罰の禁止が明文化され施行されてからもうすぐ二年が経過します。その際、虐待をしつけと称して正当化する口実に利用されているとの指摘があった「懲戒権」が、依然として民法の規定に残されている問題について、本誌(第九八〇号)で取り上げました。
その「懲戒権に関する規定の見直し」が、二月一日、法制審議会の民法(親子法制)部会において、「民法(親子法制)等の改正に関する要綱案」(以下、「要綱案」という。)として取りまとめられました。要綱案は、懲戒権を規定した条文を削除するとともに、親権者が子の監護及び教育をするに当たって、子の人格を尊重する義務と体罰の禁止を盛り込んだ画期的なものでした。
子どもや家庭への支援に関わる私達として、見直しのポイントやその意義等について確認しておきたいと思います。
まず、現行民法には関係条文が次のとおり規定されています。
(監護及び教育の権利義務)
第八百二十条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
(居所の指定)
第八百二十一条 (省略)
(懲戒)
第八百二十二条 親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
現行民法に対し、今回示された「懲戒権に関する規定の見直し」に係る要綱案は次のとおりです。
一 民法第八百二十二条を削除し、同法第八百二十一条を同法第八百二十二条とする。
二 民法第八百二十一条に次のような規律を設けるものとする。
親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育をするに当たっては、子の人格を尊重するとともに、子の年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ、体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。
具体的には、民法第八百二十条は現行のままとし、条文見出しが「懲戒」の第八百二十二条を削除して、条文見出しが「居所の指定」の第八百二十一条を第八百二十二条にした上で、要綱案の二にある規律を新たに第八百二十一条として規定するというものです。
民法(親子法制)部会が令和三年二月に取りまとめた中間試案では、第八百二十二条を削除する案のほか、懲戒の文言を「指示及び指導」という表現にする案も提案されていましたが、要綱案の補足説明を見ると、そうした表現に改めたとしても今度は「指示及び指導」という言葉が体罰や虐待を正当化するための口実として利用されるおそれが払拭できないとして、懲戒の表現の見直しについては採用されず、懲戒権の規定そのものを削除することとされました。
この懲戒権規定の削除によって一部に依然としてある正当なしつけもできなくなるのではとの誤解や懸念に関しては、『社会通念に照らして許容されると考えられる正当なしつけは民法第八百二十条に基づく監護教育権の行使として行い得る』との考え方が改めて示されました。
今回さらに踏み込んで示された要綱案の二の「子の人格を尊重する義務並びに子の年齢及び発達の程度に配慮する義務」に係る補足説明には、『児童虐待の要因として、親が自らの価値観を不当に押し付けることや、子の年齢や発達の程度に見合わない過剰な要求をすることなどが指摘されていることを踏まえ、親子関係において、独立した人格としての子の位置付けを明確にし、子の特性に応じた監護及び教育の実現を図る観点から、親権者の監護教育権の行使における行為規範として、子の人格を尊重する義務並びに子の年齢及び発達の程度に配慮する義務を規律することとした』とされています。文章にすると堅苦しく感じますが、児童福祉や母子保健等の関係者が、子どものしつけについて保護者にアドバイスする際の内容そのものであり、これが親権者の義務として民法に規定されることは「子どもの権利擁護」の観点からも大きな成果であると感じます。
また、「体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動の禁止」については、既に児童虐待防止法や児童福祉法の関係条文に体罰の禁止が規定されており、補足説明によると『現行法上も親権の行使として許容されていないものと考えられる子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動について、これを明示的に禁止する規律を確認的に設ける』こととし、『体罰の位置付けを明らかにする趣旨で、子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動の一類型として、体罰を例示的に規定することとした』とされています。これも肉体的な苦痛だけではなく精神的な苦痛を与える行為についても禁止することを具体的に明示した点において、中間試案よりさらに踏み込んだ案として示されました。
現行の民法が、第八百二十条に規定する親権者の監護教育権の行使において必要な範囲内で懲戒できるとした、親権者の「権利」を補強するような組立であったことに対して、今回示された要綱案は、監護教育権の行使において親権者の「義務」と「禁止事項」を明示したという点で大きく異なっています。今回の見直しが、児童虐待の問題を的確に捉えた上で、子どもの権利擁護にも踏み込んだものであることを児童福祉の関係者として高く評価したいと思います。
一方、ここで考えなければならないのは、子育てに奮闘する家庭への支援です。要綱案に「子の心身の健全な発達」という文言が盛り込まれたとおり、子ども達の健やかな成長は私達の共通の願いです。しかし、核家族化の進展により家族の形が変化し祖父母等からの育児の応援が得られづらくなったり、都市化により近隣との関わりが希薄となって育児の孤立化といった問題も生じています。
体罰は許されません。しかし、こうした育児に対する不安や負担感、孤独感等からイライラが募って体罰などを引き起こしてしまうこともあるのです。許されない体罰から子育て中の家庭を救うのは母子保健や児童福祉関係者をはじめ、社会全体の大切な役割です。
家庭学校に来る子ども達の家庭も様々な困難を抱てきたものと思います。民法の改正を急いで欲しいと願う一方、子育て家庭に必要な支援が届いているのか、十分な検証が求められているのです。
栄養士 菅原希望
日々の食事はもちろん、食材、食品、マナー等、「食」は、生きていく上で欠かせないものだと私は思っています。家庭学校では、その「食」をとても大切にしています。
家庭学校の食事で使用する食材は、家庭学校で作っている、採れているものが多いです。給食棟では、野菜は蔬菜班と各寮、味噌は校内管理班、牛乳は酪農部のものを主に使用しているので、それぞれの班や各寮の当番や作業で生徒が「食」に関わっています。日々の食事の中で、自分が関わった野菜や食品が使われていると、喜びを感じると思います。また、周りから「おいしい」と言ってもらえると、さらに嬉しさや達成感を得ることが出来ると思います。そういう気持ちを大切にしてほしいと思いますし、そこから少しでも食に興味を持ってほしいなと思っています。
今は、毎日毎食作ってくれる人がいて、決められた食事を食べています。でも、社会に出て自分で生活していかなくてはいけません。そんな時に、自分で食材を判別し、自立した食生活を営めるようになってほしいと思っています。
また、家庭学校で作っている食材の生産者・製造者が先生や生徒であるように、市場に出回っている食材や食品も、必ず生産者や製造者がいます。作っている場所が違っても、作っているものに対する気持ちは同じではないでしょうか。家庭学校で過ごしている子ども達は、大変さや嬉しさを知っていると思います。知っているからこそ、感謝の気持ちを忘れずに持っていて欲しいと思います。
「孤食」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。「弧食」とは、孤独を感じるような、ひとりでの寂しい食事のことです。今、この「弧食」が与える影響は、栄養の偏りや、コミュニケーションの不足から、社会性や協調性のない人間になってしまう恐れがあります。家庭学校に来ている生徒の中にも、そういった食事の環境だった子はいると思います。食事は、ただ単にごはんを食べ体に栄養を取り込むことだけではなく、みんなと食を通じてコミュニケーションを取る事が出来て、団らんの場であり社会性を育てる事が出来る大切な時間だと思っています。そんな食事の時間を、これからも大切にしてほしいと思います。
私が働いていて感じた事は、「家庭学校の子はよく食べる」ということです。食べ盛りの年令ではありますが、初めの頃は少し驚いたのを覚えています。家庭学校では、留岡幸助先生が説いた「能く働き、能く食べ、能く眠る」という三能主義があり、生活の基盤になっています。本当にこの言葉通りだと思っています。
子どもたちが下膳の時に「美味しかったです」と言ってくれるのを見て、「これからもそう言ってもらえるよう頑張ろう」と思えますし、「食」を通して子どもたちとつながれることをとてもうれしく思います。
私は子供たちと直接関わることは少ないですが、これからも日々の食事を通して子どもたちの経験が一つでも増えてくれたらと思いますし、今後の生活に少しでも役に立てるように努力していきたいです。
K・R・Y
「スキー大会を終えて」
今回のスキー大会の大回転、回転、滑降についてお話をしたいと思います。
大回転と回転は、ポールを潜りながら降りてくるので違いはポールの幅の間隔ぐらいでした。しかし、実際に滑ると間隔が違うだけで全然スピードが異なり、こんなに差があると知り、驚きました。記録は二回とれるので、一回目は落ち着いて安全に滑り、二回目は果敢に攻めました。大回転、回転どちらも二回目に転んでしまい、すごく悔しかったですが、一回目の記録がとれたので良かったと思います。そして昨年の自分と比べると、昨年は大会のコースも滑ることができないほど上手ではありませんでした。しかし、今年になり気持ちの変化が大きく、頑張ろうという気持ちで臨むことができるようになり、そのため昨年とは比べものにならないくらいに上達することができました。
次に滑降についてです。滑降では、平和山という山の山頂から、下までの戻ってくるタイムを競う競技でした。リハーサルが一回あり、その次の日に本番がありました。山頂まではスキーぐつで上がり、汗だくになりながら必死に上りました。その後に板をはいて順番に滑りました。リハーサルの時は全体で3位でした。本番では皆の滑りに負け7位になってしまいましたが、自分の全力を出し切れたので良かったです。
最後に、今回教えてくれた先生方に感謝して、どこかで生かしていきたいです。
「雪像コンクール」
今回の雪像で僕は、羆(ヒグマ)を作りました。最初は、虎年ということもあったので虎を作っていましたが、作るうちに先生から熊にも見えると言われて、自分でもそう思い熊にしました。
熊を作るうえで、一番てこずったのが、毛並みです。よりリアル感を出すためにも、そこだけはと思い先生からアイデアを頂きながら作っていきました。特に気に入っている部分は口元です。上手く歯を表現したり、鼻のとがり具合や、口の開き具合など、より細かく見ていき作っていきました。去年のミニオンに比べると、リアル感は増して、丸みを出す所も大幅にうまくなっていると思います。今までの経験や、周りの人たちのを見ていると、そこから得たヒントで作り上げた作品なので、周りの人にも感謝しています。
雪像は、人の性格や、気持ちの状態で形が変わるような気がします。気持ちは安定していた僕ですが、性格上せっかちな部分もあるので、雑にならないか不安でした。でもそれを分かっている為、しっかりと作り上げることができました。もちろん賞をねらいにいって作ったので賞をとれるといいなぁと思いました。雪像でもらったちょっとした知恵なんかも生かしていきたいと思います。
「クロカンについて」
ぼくは、ここにきて、クロカンを2回しました。そして、最初は、あまりすべれませんでした。そして、練習をつみかさねているうちに、とてもうまくなっていきました。
そして、去年は、順位にはいることができなかったけど、今年は、Aクラスで、1位をとることができました。去年よりも、もっとうまくなれたので、とてもうれしいです。そして、最初は、あきらめていましたが、いざ本番になったときは、とても、差をひらいて、ゴールしました。そして、ぼくは、こんなに差がひらいていたのかと思いました。そして、タイムも、以外といいタイムをだせたので、とてもうれしいです。
そして、来年は、もっとうまくなって、また、Aクラスで1位をとりたいです。そして、湧別の大会でも、1回は、やってみたいです。どんなかんじなのかを、じっかんしたいし、どんなにくるしくて、どれくらいすべるのかなと思っているので、来年に湧別の大会があったらいいなあと思いました。