ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
小舎夫婦制を守りたい
寮長の一日
失敗を恐れずに!
〈児童の声〉
校長 清澤満
遠軽の冬のスポーツはスキーです。北海道といっても皆がスキーを得意としている訳ではなく、スケートが盛んな地域からの子どもはスキーは全く初めてということも珍しくありません。神社山という自前のスキー場を持つ本校としては、そうした子ども達にもスキーの面白さを味わって欲しいと願い、毎年スキー学習を集中的に行っています。今年もまた一月二十五日から二十九日までの五日間、自衛隊遠軽駐屯地の皆様に子ども達のスキー指導をお願いしました。指導の成果は如実に現れ、初心者でも数日間の練習でファミリーコースくらいは滑ることができるまでに上達します。
道東から入所した初心者のM君は、自衛隊の方や分校の先生からほぼマンツーマンでの教えを受け、プルークボーゲンでゆっくりと滑れるようになりました。でもまだスピードのコントロールは難しく、ボーゲンのまま勢いが出過ぎて転倒してしまうこともあります。町内のロックバレースキー場に出掛けた時はリフトで頂上まで行き、滑走途中で降りて来られなくなるというチョットしたハプニングがありましたが、いろんなコースで滑ることができ良い経験になったと思います。同じく道東から入所のS君は、去年は一度も乗ろうとしなかったリフトに初挑戦して自信がついたのか、引率の先生達が疲れ果てる程、広いゲレンデを何度も滑り降りました。苦手で嫌いだったスキーも今は満更でもなさそうです。
一所懸命練習したスキーの成果を試すため、一月二十九日の神社山での大回転を皮切りに、二月には平和山からの滑降競技と神社山での回転競技を行いました。最初の頃はカニ登りも思うに任せない子がいた中、回転など技術系の種目でどの子も見事な滑りを見せてくれたことに正直驚きました。途中で転倒した子も旗門不通過で失格とならないようにと登り直してコースに戻り、頑張ってゴールを目指す粘りを見せてくれました。
滑降は幸助先生の祥月命日である二月五日に行いました。平和山にある記念碑の前で子ども達と職員で参拝した後、頂上から登山口のあるグラウンドまでのコースを一気に滑り降りました。滑走後は寮母たちが準備したココアなどの温かい飲み物で身体を温めながらお互いに健闘を讃え合う姿が見られました。
二月十二日には恒例の雪像展を開催しました。コンパネを使って雪を積み上げ、一辺が二メートルのキューブを作り、それを削って作品を仕上げていきます。削っていくうちに最初に予定していた雪像と違うものになってしまうこともあるようです。作品審査の日には自分が制作した雪像の前に立ち、見学に来た職員や分校の先生に苦労した点などを説明します。最優秀作品賞を受賞したY君の作品は、イルカが海面を跳びはねる様子を雪像にしたものでした。私が寮を訪ねた時には、イルカ二頭のうち一頭の形が崩れていました。理由を尋ねると「イルカにまたがったら折れてしまった」とのこと。それでも残った一頭は活き活きとして今にも次のジャンプをしそうな見事な出来映えでした。そう言えば木彫展でもイルカを題材にしていたY君。今年はイルカで統一したとのことでした。個人的にはR君の作った目玉おやじがお風呂に入っている作品が私の好みでしたが、残念ながら特別賞止まりでした。他にもミニオンやホイールの形状まで精巧に表現したタイヤなど秀作揃いの雪像展でした。
数年前から子ども達も参加させていただいている湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会が、昨年は雪不足で、そして今年は新型コロナウイルス感染症の影響で二年連続の中止となりました。そんな中、遠軽太陽の丘のクロスカントリーコースで家庭学校の子ども達だけの大会を開くことができました。太陽の丘クロスカントリースキークラブの馬場先生を初めとする関係者の皆様の全面的なご協力により実現したものです。馬場先生は子ども達全員のスキーにワックスを塗るため家庭学校に何度も足を運ばれ、また、子ども達の練習にも欠かさず参加してくださり基本的な滑走技術を徹底して教えてくださいました。
二月二十三日の大会は、初級・中級・上級の三部門に分けて実施しました。上級クラスは起伏の大きな一周一五〇〇mのコースを三周します。この冬の練習で腕を上げ、体力に自身のある四人が上級クラスにチャレンジしました。優勝したN君は前評判どおりの力を発揮し、二位のT君もN君に迫る好タイムでした。このクラスで最下位だったK君も周回遅れにはなりましたが、最後まで諦めずにゴールしました。他のクラスも誰一人として脱落することなく全員完走を果たしたのは本当に立派でした。ゴール近くにいた私は、倒れ込むようにゴールする子ども達の息遣いに、一切手抜きの無い一所懸命さを感じました。
大会後、馬場先生は上級クラス最下位のK君を褒めました。K君は今年練習を始めた時から「自分は上級に出ます」と先生に宣言していたようで、その約束をしっかり果たしたこと、そして苦しくても離されても最後まで走りきった本人のひたむきさに強く感心されたようです。
ある日、本館から給食棟に向かって歩いていると、そのK君が私の横に並んで言いました。「校長先生、僕、絶対高校を卒業します」と。一年遅れて高校に合格した彼はそう私に宣言したのです。今の君ならきっとその約束を守って三年間通い続けてくれることでしょう。
この冬を大いに満喫して、逞しくなった子ども達の顔が一際輝いて見えます。
事務局長 安江陽一郎
家庭学校を支援くださる本州の方からの書簡に、「梅の便り、桜の便り」という言葉が見受けられるようになりました。家庭学校にも、日の長さ高さに春の訪れを感じます。
私は、家庭学校へ勤務して一年目を終えようとしています。これまでを振り返って、寮長と寮母の職務としての難しさ、大変さを実感しています。
調べますと、制度的には、平成九年の児童福祉法の改正により「教護院」が「児童自立支援」に改称されるとともに、対象となる子どもが拡大され、家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する子どもが新たに加わりました。また、平成十六年の改正によりアフターケアの義務化や自立支援計画策定の義務化が図られました。このニ度の大きな制度改正は、施設機能の強化が図られたことによって、対象となる子どもや保護者には大きな前進となりました。
一方、虐待を受けた経験や発達障害等を有する子どもの割合が増加傾向を示し、寮長と寮母の職務は、アフターケアに対する情報の蓄積や自立支援計画策定等の事務の煩雑さに加えて、虐待を受けた経験や発達障害等を有する子どもに関する知識と対応力が一層求められるようになりました。
社会環境が大きく変化する中にあって、寮舎の経営形態において多数を占めていた伝統的な小舎夫婦制が減少し、交代制へ移行する施設が増えています。
一つの寮に夫婦職員が住み込み、子ども達は、職員夫婦と共に一つ屋根の下で生活をする小舎夫婦制。子ども達は、寮母と朝晩語らいながら炊事をしたり、寮長と畑や除雪等の作業(朝作業・夕作業)を共にすることで、自分達が責任を果たすことの大切さや役割を与えられることの喜びを学びます。まさに昼夜を問わず子ども達に心を配る職員夫婦の姿そのものが、大きく子ども達を変えていきます。子どもへの支援を一貫性をもって継続的に指導する体制の中であってこそ、子ども達の生活に安定感を与え精神面の発達・成長を促します。
家庭学校は、小舎夫婦制を基に、百年余にわたり運営してきました。私達は、施設に求められる役割を十分果たすためにも、小舎夫婦制の有用性は明かなだけに可能な限り「小舎夫婦制を守りたい」と思います。
家庭学校の運営(経営)は、児童福祉法に基づく措置費によって賄われています。しかし、措置費は、入所児童数の増減に影響される不安定な財政基盤で、人の手当もままなりません。寮長・寮母に対する直設的な財政的対応だけでなく、環境整備などを含めた間接的な処遇改善策もないものか思案しています。
掬泉寮寮長 藤原浩
家庭学校寮長の仕事。私の、ある冬の一日を時系列で紹介します。
某月某日
五時三〇分 要服薬の子ども達への薬の準備。前日の記録を見直して、朝作業の振り分けを考える。
六時一五分 子ども達を起床させる。子ども達は準備出来次第一人ひとり事務室に来て挨拶し、私はその際に服薬の子どもに薬を飲ませる。
六時三〇分 朝作業。風呂掃除、洗濯物、牛乳缶取り、除雪等々生活に必要なことを子ども達と手分けして行う。
七時 朝作業終了後、全員で寮母が用意した朝食の配膳。着座し、いただきます。まだ眠気が残っているのか、子ども達はほとんど会話がなく、静かな朝食。
七時三〇分 ごちそうさまをし、食器洗い、食卓を拭き、食堂の掃除、炊事場の掃除、残飯捨て・・・食後の片づけは子ども達と一緒に行う。その後、歯磨き、洗面、登校準備。
八時 子ども達とともに掬泉寮から本館に歩いて向かう。体育館にてラジオ体操をし、朝礼で清澤校長先生の話を聞く。
八時二五分 子ども達はそれぞれの教室に行き、朝読書から始まる午前の本館学習。
私は、教務室にて分校教員、施設職員の合同打ち合わせ。その後、児童相談所に電話し、気になる子どもの様子を伝えたり、進路の調整をする。その後、日誌の提出などの事務仕事。一通り終えると、分校教員との情報交換タイム。「○○君は、最近授業で頑張ってます」。「●●君は、数学のテストでいい点数を取ってます」。「最近は、釣りに行ってますか」。「何かいいことありますか」・・・子ども達や仕事の話ばかりでなく、趣味や冗談話で盛り上がる時も多い。チェーンソーの調子が悪くなっていたので、修理に業者に持っていく。その後、種屋さんによって、春先に植える花の種を物色。帰りに公用車に給油。
その間、子ども達は望の岡分校の教室で、分校教員の対応で勉強をしている。
一一時四五分 本館に上がり、郵便物を確認する。児童相談所から電話があったとのメモ書きがあったため、折り返し電話をする。
一二時一五分 美術室の掃除。下校。給食棟へ移動。道中で子ども達が教室での出来事を話してくれる。
一二時二五分頃 給食棟にて三寮(石上館、掬泉寮、楽山寮)の子ども達、施設職員と分校教員が昼食。
一二時五五分頃 帰寮。子ども達はテレビを見たり、漫画を読んだりして、それぞれの余暇時間を過ごす。この時間は、私にとっても貴重な昼寝タイムとなる。
一三時三〇分 作業着に着替えて、子ども達とともに寮を出発し、本館に向かう。本館前で挨拶し、それぞれの班に分かれて作業班学習が始まる。冬場でまだ園芸作業が始まっていないため、山林班に合流して山作業をする。施設職員と分校教員が倒した木を、子ども達は枝打ち、玉切りをした丸太を土場まで運び出す。施設職員、分校教員と子ども達は一丸となって伐採する。しかし、木を倒すのがやはり難しい。思うように倒れてくれず、隣の木にかかったりもする。結局、この日も三本しか倒せなかった。でも、怪我をせず、協力して作業ができたことを子ども達に伝えることが大事と・・・。
一五時四〇分 子ども達と給食棟前に集合し、挨拶して作業班学習を終了する。三寮、それぞれの寮に戻る。
一六時三〇分 一休憩の後に夕作業。風呂焚き、寮内清掃、除雪・・・除雪はまだまだ終わらない。冬は長いな。雪かきをしながら子ども達の動きを確認する。集中して頑張っているR君、ちまちま雪を削っているO君、道具を持ってぼーっとしているK君。一番の年長者はもう少し周りの手本になってほしいな。
一八時 夕作業終了。夕食。この日は大里先生がうちのちびっ子達の遊び相手になってくれたので、寮母の夕食の準備が順調。いただきますの挨拶をして、会話を交わしながら楽しい夕食。「先生、地球から火星までは何キロですか」。「俺はスキーが下手です」。「そう言ってほんとうは上手って言われたいでしょう」。食後、また手分けして片づけ、服薬、日記(日記を配るのはうちの四才の長男の仕事)、それぞれ学習に入り、順番で入浴する。気になる子どもを呼んで話をする。「今日はあまり表情が良くないね」。「分校の先生から×××と聞いたよ」。「最近は挨拶をしっかりしてるね」・・・。
一九時 放送での打ち合わせ。本日の報告、明日の予定、その他の連絡・・・。何十年も続いてきた家庭学校伝統のようなもの。
二〇時 ほとんどの子ども達が自習を終え、余暇時間となる。漫画を読む子、音楽を聴く子、テレビを観る子・・・。多少騒がしくなり、「他人の迷惑にならないように配慮してね」と声かけが必要。しかし、一緒にテレビを見ている私が声を上げて大笑いする時もある。ごめんね。
二一時 夜の集まり。聖書を輪読し、一日を振り返り、明日の予定を伝達する。今日は特になし。平和な一日に感謝。その後、それぞれが就寝準備をし、居室で漫画を読んで気持ちを落ち着かせる。
二一時三〇分 「寝るぞ」と声をかけ、服薬させ、消灯する。一人ひとりにお休みの挨拶をする。その後、事務室で、夢に入る子ども達を見守りながら、記録を整理し、ひとむれの原稿を書く。時々見回りをして、ベッドから落ちていないかを確認する。
〇〇時〇〇分 寝床に着く。
子ども達は入れ替わるが、このような平凡な日々が続いていく。
望の岡分校分校長 竹内克憲
新型コロナ感染症が流行して一年が経とうとしています。昨年の今頃は、何もわからない中、卒業式をどうやって実施するか等、色々と対応を迫られることが多々ありました。しかしながら、感染症対策をしながら一年が経過し経験することで「どうしたらできるのか」を考え、少しずつ対応も変化しています。これからも予防対策をしっかりと行っていきたいと考えています。
さて、冬休み明け三学期の始業式の際にも話をしましたが、十二月のクリスマス晩餐会での楽山寮の聖劇「タラントンのたとえ」大変すばらしく興味深い劇でした。
その劇の最後に、こんなこと・・・タレント 誰にでも才能はある、一つ二つたくさんあるものもいる。見つけられないものもいる。
色々な経験をすることで、才能を見つけられることもあるのでは・・・
その内容について、少し調べてみて思うことがありました。
五タラントン、二タラントン、一タラントンとご主人から預けられた人がいて、一タラントンを預けた人は土に埋めてお金を増やすことが出来なかった。このご主人は、預けたお金で色々と活用して、もうけてもらいたかったという思いがあった。なので、増やせなかった者を叱った。ということではなく、一タラントンしか預けてもらえなかった。自分自身の現実を受け止め、たとえ失敗して一タラントンを失ってもいいから、挑戦してほしいという気持ちだったのではないかと思いました。
人生において、失敗することは、たくさんあります。生徒の皆さんが生きていく社会は、山もあり、そして嵐もあるでしょう。順調にいくことはまれです。やったことが無駄と思うことや、八方ふさがりで絶望的になることも多いでしょう。しかし、失敗や無駄と思える回り道にこそ豊かな実りを産むための宝が眠っていることが多いのです。これから皆さんは、夢を実現するための新たな扉を開こうとしています。そこは茨の道でしょう。失敗を恐れず、困難に対してもあきらめない生き方ができるはずです。人生を積極的、肯定的に生きてください。あせらず、おごらず、少しずつ歩んでいくことを期待してます。
掬泉寮 中卒 K・石上館 中一 S
総合優勝した今の気持ち
一月二十九日と二月五日、二月十日に家庭学校のスキー大会がありました。僕の結果は、大回転一位、回転一位、滑降三位と好成績を残すことができました。 それで、僕は昨年の大会にもでていたのですが、昨年は全ての競技でふざけてすべり、全然やる気を見せないすべりをしていました。それを良く考えてみれば、ちゃんとやっている人にたいして失礼だったり、この大会のために準備してくれている人にたいしてもすごく失礼で、ふかいな思いをさせていたのだと思います。
その反省点を今年に生かして頑張れたから良い記録をだすことができました。これには、色々な先生方にたくさんの言葉や指導を受けて、それをききいれたこともこの結果にかかわっていると思います。
なので、今回の記録は、自分だけでとったものではなく、たくさんの人にささえられてとれたものなので、すごくうれしく思います。これからも、たくさんの人と関わると思いますが、しっかりと人との関わり方をしていけるようにしたいです。
初めての雪像作り
僕は、初めて雪像を作りました。僕の作った雪像の作品は、ランチアストラトスのタイヤとホイールです。
なぜこの作品にしたのかというと、僕は、旧車が好きで、なんか車関係の作品を作りたいなと思ったからです。車関係といっても雪像作りが初めての僕にとって、どれも難度の高いものばかりでした。その中でも、大きくて作りやすいと思ったのがタイヤとホイールでした。だからといって簡単ではありません。丸くしないといけません。最初は自分のかんかくで丸くしようとしました。しかし,四角くなってしまいました。そこで、はてなぼうをひもにかけてコンパスみたいにし、中心を決めて線を引き、その線にそって周りを掘ります。そしたら丸くなりました。
その次に、中のホイールを掘ります。その時にスポークの間を掘る時にくずれてこないように注意して掘りました。次に、タイヤのみぞを掘りました。そして無事満足のできる作品ができました。くふうしたところは、掘る所によって掘る深さを変え、より立体的に再現しました。難しかったところは、丸くする所と、スポークの間を掘るところです。
次に、雪像展の反省です。当日たくさんのお客さんが来てくれました。お客さんの質問に対して、自分なりにわかりやすく説明できてよかったと思いました。
雪像展は、とても面白かったです。