ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
模索の日々を通じて
振り返って想うこと
<児童の声>
校長 仁原正幹
この冬の天気の変動には随分と悩まされました。オホーツク地域としては未曾有のことですが、一月最終週になっても積雪が殆どない状況だったので、敷地内の神社山でのスキー学習を断念して、街のロックバレースキー場に五日間子ども達を通わせることにしたのです。
このスキー学習については、昭和六十年から自衛隊遠軽駐屯地のスキー指導員の皆さんに大変お世話になってきています。今年で三十六回を数える家庭学校の伝統行事となっていますが、当校の誇る神社山スキー場で滑ることができないのは、今回が初めてのことでした。
街のロックバレースキー場には人工降雪機もあり、例年よりは規模を縮小していたようですが、子ども達は本格的なゲレンデで伸び伸びと滑ることができ、皆それぞれに大いに楽しんだようです。
ところが、四日目から状況が一変しました。午後から猛烈に雪が降り出し、五日目の最終日の朝には管内全域に大雪警報が発令され、交通網がマヒ状態になってしまい、スキーどころではなくなったのです。急遽スキー学習の中止を決め、自衛隊の皆さんにはお昼目がけて来校していただきました。新装成った給食棟で、スキー学習最終日定番の豚汁を子ども達と一緒に味わっていただき、その後スキー学習の修了証を一人一人に手渡していただきました。自衛隊の皆さんには毎年格別なご理解とご支援をいただいており、感謝の気持ちでいっぱいです。
二日間で一メートルを超える降雪があり、屋根からの大量落雪も加わって、職員も子ども達も除雪と排雪に大(おお)童(わらわ)でした。二月五日は校祖・留岡幸助先生の祥月命日ということで、平和山参拝登山とその後のスキー滑降競技という大事な行事が組まれていましたが、あまりにも雪が深くて山頂の記念碑まで辿り着けそうにありません。滑降コースの整備も困難を極め、苦肉の策で地元の造林会社さんの大型ブルドーザーの力をお借りして、林道の大規模な除雪をしました。参拝登山とスキー滑降競技については、一週間延期して、十二日に実施したのでした。
一方で雪不足のために開催が危ぶまれていた雪像コンクールの方は、あっという間に十分過ぎるほどの雪が確保でき、校長としてはひとまず安堵しました。何しろ二メートル立方の雪の塊を、今年は児童数が多くて三十個作らなくてはならないのに、それまでさっぱり雪がなくて、各寮ともに弱り切っていたのですから。
ところがです。この冬の天気の変動にはまたまた悩まされることになったのです。二月中旬になって、雪像作りが佳境に入ったところで、今度は急に暖気に襲われました。完成間近の雪像が溶け出して形が崩れてしまい、子ども達はコンクール直前の修復作業に、これまた大変苦労しました。
また、冬の北海道の一大イベントで、全国からもたくさんのスキーヤーが集まる「湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会」には、これまで三年連続して全校で出場してきましたが、今冬前半の雪不足で長距離のコースが整備できないということで、主催者側が一月末の時点で中止を決めてしまいました。この大会に向けて日夜練習に励んできた子ども達が残念な思いをしていたので、練習の成果を発揮してもらうために、職員が工夫を凝らしてイベントを企画してくれました。地元の有志の皆さんの整備による「太陽の丘えんがる公園」のコースをお借りして、家庭学校独自のクロスカントリースキー大会を開催したのです。
雪不足で悩まされ、大雪で悩まされ、暖冬で悩まされ、そして二月末には寒波の襲来と、今年は本当に天気の変動に翻弄される厳しい冬となりましたが、そんな中でも子ども達は皆それぞれに寒さに負けず元気に活動しています。
雪の少ない太平洋側地域出身の子ども達はスケートには慣れていますが、スキーとは無縁な生活をしてきています。その彼らが家庭学校で初めてスキーを履き、ゲレンデスキーにもクロスカントリースキーにも果敢に挑戦して、今では一(いつ)端(ぱし)のスキーヤーに仕上がっています。
寒い中、そして暗い中、ヘッドランプの灯りを頼りに辛抱強く雪を削り、自ら描いたイメージ通りの雪像を完成させて、大きく自信をつけた子どももいます。特に帯広児童相談所から入所した子ども達の中には、雪像コンクールで上位三賞を独占する活躍を見せた三人もいます。 能く働き、能く食べ、能く眠り、そして能く考える「四能主義」の生活を実践しながら、子ども達は心身ともに逞しく成長し、家庭学校での冬の楽しい思い出を作ることができたように思います。
そして今年の冬の異例な展開にはもう一つオマケが付きました。新型コロナウィルスの感染騒動です。留岡幸助の創設した「家庭であり学校である」北海道家庭学校は、世間とは隔絶した理想郷です。子ども達全員が敷地内に住んでおり、最も感染リスクが少なく安全な場所なのですが、施設内分校である望の岡分校までもが国や道の方針を受けて、一般の学校横並びで休校を余儀なくされています。 望の岡分校主催の卒業証書授与式も今年は原籍校の先生方や保護者の皆さんの出席を求めないで、大幅に縮小した形で行われるようです。卒業証書授与式は子ども達が大きく成長した姿を見ていただいて、共に涙し、喜び合う大事なイベントです。昨年の式の中で子ども達全員が声高らかに熱唱した『大切なもの』の、あの感動的な歌声が、今年は聴くことができないとすれば、残念でなりません。
掬泉寮寮長 藤原浩
掬泉寮 寮長 藤原 浩
平成二十八年三月二十七日から掬泉寮担当になり、この三月で四年が経つところです。これまでに合計二十八人の児童と生活してきて、楽しいことも辛いこともあり、実に充実した四年間でした。
現在、掬泉寮には十名の児童が在籍しています。そのうちの七名は入所から一年未満、昨年の三月以降に入所した子どもです。また、入所児童のうち三名は小学生であり、基本的な生活習慣が身についていない部分も多々あり、日常的な生活支援の重要性と幼児期における家庭環境の大切さを痛感している所です。それに加えて、ちょうど一年前の三月二日に長女が生まれ、それに第一次反抗期に突入し始めている長男の赤ちゃん返りも相まって、寮運営と子育ての両立がいかに大変であるかを実感し本当に目まぐるしく一日が終わる日々を過ごしています。
これまでは、寮の児童数は六~七人の時が多く、割と少人数で、それぞれの児童に可能な限り時間が取れていた手厚い支援をしてきましたが、人数が増えて、いかに質を落とさずに子どもを支援するのかを毎日苦悩しながら生活しています。また、現在寮に在籍している児童にはほぼ全員発達障害などの診断がついており、十名中八名が服薬しています。そのなかでも、薬を飲んでいてもなかなか安定せず、身の回りから対人関係まで様々な面において支援が必要な子もいます。かつての寮長方は自らの三、四人の子どもを育てながら、十二~十三人もの生徒を指導していたことを思うと、尊敬するあまりに、自分の力の足りなさを痛感します。
しかし、大変というだけでは問題の解決にはなりません。前職の上司に言われた言葉があります。「小さい悩みは愚痴を生み、大きい悩みは知恵を生む」。なんと言っても、家庭には帰れず、行き場を失った子どもたちには生活の場、勉強の場が必要です。問題行動云々の前に、入所してくる子どもに安心・安全な生活環境を提供することが大前提、我々の最大の役目です。また、発達障害や虐待、愛着障害など様々な要因で、これまでに人と上手く関係が作れず、中には人に対して強い不信感を持っている子どももいます。指導する前に、適切な人間関係を構築することを、言葉だけではなく、行動で示していくことが非常に大事です。極々当たり前のことではありますが、生徒数が増えている今、目の前にある子どもの問題行動に目を眩ませ、平常心と冷静さを失いそうなことが増えてきていると、この文章を書いている今気づきます。
子どもの問題は一概にまとめることができないのと同様に、支援・指導も一律ではありません。当然ながら、成長や改善の度合いも人によって変わります。仮に、家庭学校に在籍している間はさほど変化がなくとも、ここでの生活はいずれその子の成長過程の中にプラスの働きになると信じています。
退所した児童からの嬉しい知らせがあると、ここでの生活がその子の人生の糧の一部になっていること、寮での生活が良い経験になったことが伝わってきます。今後もこの信条を持ち続け、子どもが家庭学校に、掬泉寮に来て良かったと思えるように、これからも模索しながら共に生活していきます。
教諭 高山 修一
この冬は暖冬・小雪という声もありましたが、何だかんだと大雪の日もあり後半は例年通りの冬景色になりました。オホーツクの海は流氷に敷き詰められています。まだまだこれから幾つか寒い朝を迎えねばなりませんが、季節はまた新しい春を迎えようとしています。
望の岡分校に勤務して二年目を終ろうとする今、改めて感じるのが、ここでの一年間がこれまで勤務してきたどの学校よりも短く、早く過ぎていくということです。一年間という時間は何処にいても変わるはずのないものなのですが、そういう印象があり実感があります。家庭学校や分校の行事、作業班学習、日々の授業や子どもたちとの関わり、そのどれもが一日一日の中で濃く充実しているからなのだろうと私なりに理解しています。もちろん、その濃く充実した日々は、私にとって成功の連続やうれしい事の積み重ねということではなく、それはまさに発見の連続であり、失敗の積み重ねでもあります。その合間にちょっとだけの「上手くいった事」や「手応え」を挟みながら。
「子どもたちの成長」。すぐには現れないし、なかなか目には見えないものです。この学校で過ごす子どもたちには一層それを感じさせられます。その子どもたちは、出会ったばかりの頃は挨拶も上手くできないことが多い。集中力が持続できなかったり、興味や関心のない事には大人以上に保守的だったり、何より「劣等感」という鎧でガチガチに身を固めた子どもたち。だけど本当は人懐っこくて、知的好奇心を秘め、評価を求める子どもたち。人一倍「褒めてほしい」、「認めてほしい」子どもたちです。
例えば学習面で。本校の中学校の国語、数学、英語の授業では、子どもたちが自分のわかるところからの学習を振り返り、復習できる指導を心がけています。わかる喜びやわかるようになるまでの「とりくみ」への評価等を通して、子どもたちは自信を身に着けていきます。作業班学習でのとりくみもまた同じです。四月に運べなかった丸太を、一学期の終わる七月頃には持てるようになっている。そういった体力面や技術面での成長も子どもたちが自信をつける大事なきっかけとなっています。子どもたちの様子を見ていると、よいきっかけのもとで自信をつけることが、次のステップ(チャレンジ)につながっていることが多く、個の成長の連鎖が小集団への成長へとつながっていきます。
「がんばったね!」、「すごいなー」、「そんなこと出来るんだ」、「力付いてきたね!」「ありがとう」。子どもたちとの何気ない会話の中で出てくる言葉ですが、その言葉の力を感じています。難しい言葉ではなく、簡潔で素直な言葉が、何よりの「評価」=「栄養」として子どもたちの心を育てているんだなと実感しています。
楽山寮 S・石上館 H
「高校生活に向けて頑張ったこと」
楽山寮 中三 S
僕は、昨年の中学三年生になったときから受験生になりました。受験生になって大変になったことがあります。
一つ目は、勉強です。三年生の勉強は難しくなっていて、受験に向けての一、二年生のときの復習もやらなければなりませんでした。でも、高校には行きたいと思っていたので、どちらの勉強も大変だけれど頑張りました。
二つ目は、高校に行きたいけれど、どの高校に行きたいか決めることです。どこでもいいから高校に行きたいでは入学してから続かないと思いました。なので、親や先生方に相談しながら自分の中で考えをまとめていき決めることができました。
そこから時間が経つのが早く感じるようになりました。気づいたら私立高校の受験日がすぐそこまできていました。なので、許可外泊をして、受験をしにいくことになりました。一人でJRに乗って地元に帰るということを聞かされて、僕はすごく心配になりました。でも、帰らないことには入学試験を受けることができないので、心配だけれどJRに一人で乗って帰りました。でも、乗ってから時間が経つのが早く、乗り換えもできて、無事に地元に帰ることができました。約八時間もの長旅でした。受験がある前日に下見に行きました。しっかりと受験会場の場所や自分の座る席、トイレの場所を確認してきました。そして、受験当日、少し早く学校に着きました。開門するまで十五分程ありました。このときは、長く感じました。でも、始まってからは一教科一教科終わるのが早く感じました。面接も終わるのが早くて、きちんとできていたか心配でした。受験が終わってから一週間後に結果がでました。僕は合格していました。すごく嬉しかったです。でも、合格したのは私立の方で、本当に行きたいのは公立の方です。なので、まだ終わったわけではないので、公立の方も合格できるように勉強を頑張ります。
私立の方は合格できたので、もし公立の方が落ちてしまっても、高校には行けるようになりました。
家庭学校を卒業して、高校に入学してから頑張りたいことが二つあります。
一つは、高校の勉強は、難しくなると思うので、ついていけるように、家庭学習は一時間半以上はやることです。
二つ目は、高校に毎日休まず通い続けることです。
この二つのことをできるように、自分自身も成長しながら高校生活を頑張りたいと思っています。
「スキー学習の感想」
石上館 中二 H
ぼくは、自衛隊の方々にスキーのすべるコツや、基本といった事を、一から教えてもらいました。そのおかげで、ぼくはスキーがもっとうまくすべれるようになったと思います。
第一に、お忙しい中ぼく達にスキーを教えていただけた事を感謝しています。この事を忘れず、ぼくはこの先、何かが人よりすぐれていても、えらそうにしたりせず逆に、人に教えられるようにしたいです。本当に貴重な体験はできました。 次に、スキーの滑降では、平和山山頂までスキーぐつで登るのは、少し苦でしたが、その後のリハーサルで、下に降りる時は、ものすごく気持ちよかったです。その前、平和山に登っている途中で、人がおくれたりしている所もありました。おくれて山頂まで登って来た人もいれば、何度もおくれそうになったけれど、あきらめずに最後まで登っている人もいました。
次の日の本番では、ぼくは残念ながら、滑降途中でころんでしまい、タイムロスをしてしまいました。それも実力の内と思い、次の何かにいかせたらいいなと思います。
この大会を通して、ぼくは最後まであきらめないという気持ちと、苦があれば、楽しい事もあるという事を実感しました。この気持ちを忘れず、つらい事や、あきらめそうになった時には、このことを思い出し、何事も最後までやりとげたいです。
最後に、スキーの大回転の大会です。ぼくは、コースの整備中、はやく滑ってみたいという一心でした。練習の時には、コースをイメージして滑ってみたりしました。そして本番の一回目は、とてもよい滑りが出来たと思います。二回目は、曲がる途中に、バランスをくずしてしまい、一回転してしまったけれど、ゴールまで滑ることができました。一回目のタイムのおかげで、なんと一位をとることが出来ました。
スキーで大事なこともいっぱい学びました。一つ目は、自信過剰にならないことです。自信を持ちすぎると、油断が生まれ、事故につながるからです。
二つ目は、周りもしっかりと見る事です。周りを見ていないと、人とぶつかってしまったり、物にもぶつかるという恐れがあるからです。
スキーは、大変危険です。だからこそ、いろんな事を学び、自分でも安全な行動が出来るようになるのだと思います。これからも、安全を第一に考え、ケガのないように、スポーツ、作業、行事に取り組んでいきたいです。