ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
コロナ禍の冬季一時帰省②
基幹的職員として
皆さん、よろしくお願いします
望の岡分校に赴任して
〈児童の声〉
〈理事長時々通信〉②
校長 清澤満
冬の一時帰省が終わり、子ども達はいつもの生活に戻りました。
今冬の一時帰省については、新型コロナウイルス感染症が再び拡大傾向を示す中、実施の可否や方法について非常に難しい判断が求められました。
北海道は十一月七日から集中的な感染防止対策を講じ、道民に対し「飲食の場面における感染リスクを回避する行動の更なる徹底」などを呼びかけました。また、札幌市内を重点に要請されていた感染リスクが回避できない場合の不要不急の外出自粛や市外との往来自粛のほか、GoToトラベルによる人の移動と新規感染者の増加との因果関係を懸念する声なども一時帰省の実施を検討する際に考慮する必要があると考えました。
こうしたことを踏まえて、保護者に感染リスク低減のために必要な対策の徹底をお願いした上、予定どおり一時帰省を実施することとしました。
コロナ禍という状況にあっても実施を決断したのは、児童自立支援施設の場合、一時帰省は次のステップに向けて大変重要な意味を持っているからです。帰省先で子どもと家族団欒の時間を過ごしてもらうのは勿論のこと、施設での生活指導等による子どもの変化や成長を保護者に直接肌で感じていただくという大きな目的があります。子どもにとっても施設で身に付けたことが家庭で実践できるかどうかを試す訓練の場でもあるのです。保護者の叱咤激励は、子どもの施設生活に対する意欲の維持・向上に大きな力となります。帰省を通じて得られるこうした保護者の評価や感想、施設に対する要望、意見などは大変貴重です。
家庭学校の場合、児童相談所を経由して帰省する方法を取っているので、保護者と児童相談所職員、施設職員が顔を合わせ、子どもの成長を確認し合う貴重な時間も得られるのです。
児童自立支援施設には、「不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童」が入所してきます。子ども達は、これまでの自分を変えて成長できるようにと敷地内という限られた場所で、規則を守りながら日課に沿って生活・学習・作業などの支援を受けます。空間的にも時間的にも構造化された「枠のある生活環境」の下で過ごすのです。この「枠組み」は、子どもが抱えている課題を改善し生活の立て直しを図るためのものですが、こうした環境下での生活を徒(いたずら)に長引かせるのは賢明ではありません。自立支援目標達成の目途はそれを意識したものとなります。実際に子ども達の在籍期間は平均で概ね一年半程です。その間に夏冬の一時帰省は二~三回しかなく、一度とはいえその機会を逃すのは、子どもと保護者、児童相談所や施設にとって大きな損失となるのです。
こうした判断の下に一時帰省の実施を決定した二日後、北海道保健福祉部子ども未来推進局から「児童入所施設等に入所している児童の冬期一時帰省の取扱いについて」と題した通知が発出されました。通知は、社会福祉施設等における集団感染事例が多数発生しているので、やむを得ない場合を除き一時帰省の実施については「中止を含めて十分に検討のこと」というものでした。
既に、今回の一時帰省については、考え得る感染防止策を十分講じた上で実施することを決定していたのですが、通知を受けて改めて実施の考え方や対応策を精査してみました。
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・一時帰省自体は「不要不急」か~必要 性は高く、急いでする必要があるか無 いかではなく、保護者が纏まった休み を取りやすい時季に行うのが適時であ り適切である。
・「感染リスクの回避」はどうか~日頃 から行っている子ども達への注意喚起 を帰省前に詳細に確認することとして いる。保護者にお願いする感染予防対 策は「不要不急の外出自粛」や「飲食 等利用施設での感染リスク低減」に関 する事項等考えられる対策を網羅して いる。
・「人の移動」に関してはどうか~子ど もの送迎はリスク低減のため公共交通 機関を利用しない送迎(小型バス借り 上げと法人車による送迎)としている。
・「帰省期間」はどうか~保護者不在に よるリスクを考慮し、当初設定の期間 を短縮して実施することに変更した。
・「帰寮時対応」~帰寮後二週間の常時 マスク着用に加え、児童・職員全員の 抗原検査の実施を新たに加えた。
―・―
本校は、通知を受け更に対策を強化し実施することを選択しましたが、今回実施を見送った施設も子ども達のことを想えば苦渋の決断だったことと思います。
一時帰省を終え帰寮した子ども達の抗原検査は樹下庵診療所の富田先生に対応してもらいました。その結果、陽性を示した子どもは一人もいませんでした。感染の可能性がある期間の幅を考慮し、間隔を開けて二回目の検査を実施しましたが結果は同様で、職員も全員陰性を示しました。
十分検討した上で実施した一時帰省でしたが、正直不安もありました。年が明けて無事に戻ってきた子ども達の姿を目にしてまずは一安心し、抗原検査の結果に胸をなで下ろしました。
帰省に当たり、ご協力いただいた保護者の皆様をはじめ児童相談所の皆様に心から感謝申し上げます。そして、急な帰省期間の変更による大幅な勤務の組み替えに対応してくれた職員にも感謝です。
事務局長 安江陽一郎
当初は、二週間の予定であった今回の冬季一時帰省。保護者の多くは、先ずは家族でクリスマス、次は年末年始を・・・と楽しみにしていたようです。しかし、またもコロナ、コロナ・・・。
今回のコロナ禍の冬季一時帰省の日記を読んで、日記の一部をご紹介します。
今回はもしかすると一時帰省は中止かと思っており・・・・・。期間を短縮しての実施でも、楽しい一時を過ごすことができた。クリスマスとお正月が結果的に一緒となってしまったが、久しぶりに子どもの元気な姿を見ることができて良かった。冬季一時帰省期間中、不要不急の外出は極力控えたが、家の中で何ら事なく過ごせた。子どもは、コロナ禍の冬季一時帰省であることを良く理解し、何気なく洗濯物や炊事の手伝いする姿に成長を感じた。ゲームをして遊ぶ時間も自ら守った。
保護者の多くは、コロナ禍で制約のあった冬季一時帰省ではありましたが、児童と生活をともにしながら成長を実感できたようです。
今回の冬季一時帰省終了後、家庭学校では、昨年の夏季一時帰省終了後に続いて、寮内において二週間のマスク着用を実施しました。また今回は、寮ごとに自主的な抗原検査を実施しました。
ところで、「抗原検査」といっても聞き慣れない言葉です。何のこと、と思う方が多いと思います。最近よく耳にするPCR検査と、聞き慣れない抗原検査について簡単に説明します。
PCR検査とは、検査したい新型コロナウイルスの専用の薬液を用いて増幅させ検出する検査方法です。感染してから、発症する数日前から検出可能とされています。
・目的=現在感染しているのか
・検体=鼻腔咽頭拭い液、鼻腔拭い液、唾液
・調べるもの=新型コロナウイルスの遺伝子
・精度=抗原検査より少ない新型コロナウイルス量で検出可能
・所要時間=おおよそ一日程度
・検査価格=一万五千円~二万円程度
抗原検査とは、検査したい新型コロナウイルスの抗体を用いてウイルスが持つ特有のタンパク質(抗原)を検出する検査方法です。PCR検査に比べ検出率は劣りますが、特別な検査機器を必要としないことから速やかに判断が必要な場合などに用いられることが多いです。
・目的=現在感染しているのか
・検体=鼻腔咽頭拭い液
・調べるもの=新型コロナウイルスのタンパク質
・精度=一定以上の新型コロナウイルス量が必要
・所要時間=およそ十五分
・検査価格=二千円~五千円程度
(最近は、様々な医薬品メーカーがPCR検査・抗原検査を開発しています。)
抗原検査は、PCR検査より精度が劣るものの、より安く、早く、簡単に検査できるものです。
家庭学校では、冬季一時帰省終了後、児童には二度の抗原検査、職員には一度の抗原検査を行い、新型コロナウィルス感染拡大防止に努めました。
主幹 竹中大幸
昨年の十一月十二日と十二月十五日の二日間、児童養護施設等基幹的職員研を受けさせていただきました。基幹的職員とは、対象施設において次の二つの業務を行う職員のことを言います。
①入所児童の支援計画の進捗状況の把握、見直しなどケースマネジメントとその進行管理を行うこと。
②地域の社会資源等について理解し、関係機関との連携において中心的な役割を担うことです。
今の私の立場上、必要である研修の機会を与えてくださったことはありがたいことです。
今年は新型コロナウィルスの関係でZoomを使ってのオンラインで開催することになったので、家庭学校での研修受講となりました。初めてのZoomは扱い方に戸惑いながらも無事に受講することができましたが、途中で通信状況が度々悪くなったことがあったのは、樹木で覆われている家庭学校ならではの環境であるから仕方のないことだと思うことにしました。
講義は、次のとおりありました。
1.家族支援やソーシャルワークについて
2.就労支援について
3.ケースカンファレンス、チームアプローチについて
4.関係機関との連携について
5.子どもの発達と発達上の問題について
6.施設における日常的なケアについて
7.施設における専門的なケアについて8.社会的養護における援助技術と基幹的職員に必要なことについて
9.職員への指導(スーパーバイズ)やメンタルヘルスについて
10.施設の管理・運営(マネージメント)について
これらの講義の中で、特に学んだ点や気付いた点を挙げてみたいと思います。
講義1の中で、インテークについての準備段階で時期や曜日が大切なこと。天気、温度、湿度が人によってどのような心理的要因を与えるかを考えるということや、ゴミやカーテン、椅子が汚れていないかチェックするなど物理的なものが与える心理的要因を考えて丁寧な準備が必要であることを知りました。「共感する他者」という言葉はその人の背景に共感するということで、感情に巻き込まれることではないということ。寄り添うとは別な意味であることを学びました。本来の「共感」という意味をそのままとらえるのではなく、インテークの場合では対象者の今まで生きてきた境遇、背景に対して「共感」するということを意識していかなければならないと気付きました。
講義3の中で、あらためて情報を共有することの難しさを知りました。良いカンファレンスをはばむものとして、若い職員が情報収集のやり方がわからないということでおきる「情報不足」。職員間や機関間で情報が共有されていない、根拠があっての見立てなのか、推測なのかわからないことから生まれる「共有不足」。背景情報や過去の体験の聞き取り不足による「調査不足」。特にこれら三点の「はばむもの」として挙げられたものは、業務上も感じているので気を付けていかなければと考えています。
講義6の中で、社会的養護の基本理念として、「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」の二つが挙げられており、「子どもの健全な心身の発達、愛着関係・基本的信頼関係の形成といった発達の保障と自立支援」、「虐待や分離体験などの悪影響の癒やしや回復のためのケアといった回復を目指した支援」、「親と共に、親を支え、親にかわって発達や養育を保証するといった家族との連携・協働」、「アフターケアまでの継続支援、社会的養護の連携といった継続的支援と連携アプローチ」などの社会的養護の原理は重要視されているということでした。
心理学者の河合隼雄が言っていた「子どもの宇宙」という言葉が気になりました。「この宇宙の中に子どもたちがいることは誰もが知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか」といった内容でした。つまり、大人の世界でもそうであるが、ひとりひとりの子どもにもちがう世界があるということ。ついつい生活状況や背景などの個別性を忘れてしまうことがあるので、今の生活に着目しながら十分考えていかなければならないということを気付きました。
入所中の支援(インケア)の中で、導入期(入所から一か月)の説明の緊張状態から次第に緊張が解けてきた頃に入所前と同様の行動をとるということは、一つの安心感を得られているということ。関わる大人に対して様々な試し行動をとるということは、自分が拒否されないかどうか確認しているということを知りました。
虐待相談の内容別割合では、心理的虐待が非常に大きく占めており、多くは在宅指導になっているということでした。
先行する出来事に影響する事柄の中で、ある場所、特定の人物や状況、社会的な合図(批判、声の調子)、模倣(適切な行動、不適切な行動も真似る)、過去の出来事(入浴時の虐待、音、記憶)、セルフトーク(自己否定的な考え、失敗の不安)などが行動に影響を与える要因としてあげられていました。他の要因として健康不良、投薬、栄養不良、睡眠不足、将来への不安、家族関係、友人関係などあげられていた中で、健康不良が重要なポイントだと学びました。
最善の利益をはかるということは、まずは子どもがどんな心理状況なのか、相手の立場になって考えることや、日々の連絡調整などの意思疎通、アセスメントが重要となることを学びました。また、子どもの良さ、日々の努力に目を注いでいくことは私たちにとって最も重要であると思いました。
全体をとおして私自身が取り組めることは、共感するということに、自身の感情に流されることなく冷静に判断しなければならないので、児童票を熟読することが必要と思いました。それによって、疑問や不明瞭なところが出てくるときは児童相談所または別の施設より措置変更されている場合は問い合わせて確認をしていき、より詳しい情報収集に努めていきたいと思います。そしてそのことを自身のところでとどめておかず、職員間の情報共有に役立てていきたいと思います。今までも気を付けてはいたことですが、ひとりひとりの子どもの生活状況や背景がちがうなどの個別性を忘れがちになので、あらためて十分考えていかなければならないと感じました。子どもたちが安心して遊んだり、学んだり、家族や友だちと過ごす機会をつくっていくなど、今まで身につけたことを続けられるような環境づくりのほか、子どもの良さや日々の努力に目を注ぎ取り組んでいきたいと思います。
最後に、職場で基幹的職員の役割を果たす上で重要だと思ったことは、入所児童を担当している寮担当職員の話をよく聞き、自身の情報収集ともすり合わせて支援計画の進捗状況の把握や見直しなどを行うとともに、支援方法の提案をしていくことです。
コロナ禍という現状ではありますが、子ども達の支援にしっかり取り組んでいきたいと思います。
児童生活指導員 稲田翔平
令和三年一月から、児童生活指導員として家庭学校に採用されました稲田翔平と申します。転職という形で働かせていただくことになりましたが、前職は北見市留辺蘂町の山奥、石北峠の麓にある野村興産(株)イトムカ鉱業所という産業廃棄物や水銀の処理を行う、福祉とは無縁の会社に勤めていました。ではなぜ家庭学校に転職しようと思ったのか経緯を説明する前に、私の経歴を紹介させていただきます。
私は平成四年に北見市留辺蘂町に生まれ、小・中学校ともに留辺蘂、その後北見工業高校に進学しました。それから野村興産(株)に就職しました。とはならず、当時の私は工業高校の三年間で何を学んだのか、「札幌こども専門学校」という保育士・幼稚園教諭の資格取得ができる専門学校へ進学しました。高校生当時、アルバイトでスーパーのレジ打ちを三年間勤めていましたが、時折来る乳幼児を連れた親子を見て「子どもは可愛いし、遊んでいて楽しそうだから保育士になろうかな」という非常に単純な考えで札幌へ進学してしまいました。そして、現実を見せ付けられたのは専門学校二年生の夏の教育実習でした。子ども達による脇腹への突進攻撃や顔面くしゃみ攻撃、保護者からの鋭い視線、園の先生方による説明できないような私たち実習生への様々な圧力。私は折れてしまいました。その後も、いくつかの園や養護学校等の教育実習を涙しながら必死に頑張っていたことを覚えています。専門学校卒業後、無事に保育士や幼稚園教諭等の資格を取ることができたのですが、保育の道に進むことはなく、札幌でフリーターを続け途方に暮れていました。一年と半年程が経った頃、母親から「帰っておいで」と連絡があり、現状を続けているよりはマシになるかもしれないと地元である留辺蘂に帰ってきました。そうして、就職活動を行い野村興産(株)イトムカ鉱業所で働かせていただくことになりました。
それからどのように家庭学校との縁があったのかというと、現在家庭学校・望の岡分校で教鞭を執っておられる浅井純也先生と出会ったことがきっかけでした。私の趣味は魚釣りで、主にルアーフィッシングを川・海・湖で魚種や季節を問わず様々な魚を狙った釣りをしているのですが、そんな中、友人の紹介で同じ魚釣りが趣味である浅井先生と出会いました。出会った当初から気さくに話しかけてくれ、とても優しく接してくれたことを覚えています。そうして去年、令和二年十月頃に浅井先生と釣りに興じながら話の流れで、家庭学校についてや一緒に働かないかという旨のお話を聞きました。当時、前職の職場では後輩もでき中堅として先輩方からも頼られ始め、漸く軌道に乗った所であった為、それらを全て手放す「転職」に関しては全く考えられませんでした。
しかし、十一月に家庭学校の見学を行い、その考えが大きく変わりました。北海道の大自然に囲まれた中で子ども達と生活・学習していく教育理念と寮の家庭的な雰囲気。専門学校での教育実習で感じたイメージとは全く違い、職員の方や分校の先生方、子ども達の全体の雰囲気がとても柔らかく、心落ち着くように感じました。また、私の趣味である魚釣りも近くに流れる湧別川で行うことができることや、家庭学校はオホーツク海にもとても近いということで、私の私生活の充実という面でもとても好条件でした。十二月、いよいよ転職する方向で動き出し、今年一月一日に北海道家庭学校に採用していただきました。
着任してからまだ一か月しか経っておらず、右も左も分からない新人ではありますが、職員の方や分校の先生方から子ども達への指導方法や作業活動。またそれだけではなく、子ども達と共に大自然の中での遊びなどを通して、色々な事を吸収して成長していきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
教諭 谷裕子
私が「北海道家庭学校」の存在を知ったのは、今から二十年ほど前のこと・・・。その当時、私の勤務していた学校に家庭環境があまり良くない児童がいて「あの子、遠軽の家庭学校はどうだろう?」という話が耳に入ったことでした。
その時は少し家庭環境も改善され、その子は以前通り家庭で過ごすことになりました。それからは、「北海道家庭学校」の名を聞くことなく過ごしていました。
再び私が「北海道家庭学校」の名を聞いたのは、約一年前・・・。「今度の異動・・・遠軽の望の岡分校は、どうだろう?家庭学校内にあるんだけど・・・僕も望の岡のことは全く・・・分からないんだけど・・・。できれば、すぐに返事、欲しいんだけど・・・。」との前任校の校長の一言でした。望の岡分校のことは、職員録で目にはしてもどのような学校なのかを聞いたこともなかったので不安ではありましたが、話が来たのも何かご縁があったのではないかと思い、「行きます。」と返事をしました。
「行きます。」と返事をしたものの「家庭学校」のことや望の岡分校について何も知らないことで不安や心配が押し寄せました。
前任校の校長から「異動の話、この前話した通りに進んでいるから。」との言葉もあり、家庭学校や望の岡分校の情報を少しでも得ようと家庭学校のホームページを見たりしました。幸い、前任校に望の岡分校が開設された当初に勤務していた先生がいらしたので、色々と話を聞くことができ、不安や心配が少し薄れていきました。しかし、不安や心配が無くなったわけではありませんでした。
赴任してから暫くの間は、コロナウイルス感染症感染拡大のための一斉休校となり、子ども達と過ごす時間が短くなってしまいました。その後、落ち着いてから子ども達と過ごす時間が長くなると、子ども達それぞれが色々と大変なことを抱えていますが、それまで分からなかった事が理解できた時、できなかった事ができるようになった時・・・。そのような時に見せる子ども達の笑顔は、今まで私が関わってきた子ども達と同じ・・・。そのことで、それまでの不安は解消されました。
微力ではありますが、家庭学校の先生方や分校の先生方と協力して、子ども達のより良い成長の手助けができるように頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。
石上館 中二 R・楽山寮 小六 S
冬帰省を行なって
僕は、家庭学校に入所して一年が経ったころに、短い一週間の日程で家へ戻りました。冬帰省をして、成長したことをいくつか書きたいと思います。
一つ目は、早起きです。入所前も、夏帰省の時も、少し起きるのがおそく、冬帰省では六時には起きれたので、今後も起きれるようにしたいです。しかし、早く起きたのはいいが、二度寝をしては意味がないので、二度寝をしないように心がけていきたいです。二つ目は、兄弟ゲンカです。入所前では毎日のようにケンカをして落ちついている日が少なく、冬帰省ではあまりケンカをすることがなく落ちついて生活ができたので、退所してもケンカしないようにしたいです。三つ目は、自習です。冬帰省では、ゲームする時間が長くたくさんゲームをしてしまいそうでしたが、しっかりと自習ができ、英語などの苦手な教科を進んで自習がきたので、寮でも英語を勉強していきたいです。四つ目は、親の手伝いです。除雪や食器洗いなどの家事の手伝いをして親の手伝いをしました。
他にも、良い点がありますが、逆に悪かった点もあります。一つ目は、ゲームのやりすぎです。入所前は、あまりにもひどく、冬帰省では、前よりはけっこうやる時間が減りましたが、それでも少し長いことです。
今ふり返ると、悪い点が少なく、自分でも成長した自覚があり、本館生活や寮生活も悪い点を少なくできるように努力し、成長した自覚があるようにしたいです。
印象に残っている残留行事
ぼくは、十二月二十七日から一月四日までの残留で行った行事の中で、印象に残っている行事をこれから紹介します。
まず始めに、神社山、ロックバレースキー場での事です。ぼくは、一番最初に神社山ですべりました。もちろん、スキーは一度もやったことがないので、直滑降ですべりました。そしたら、恐怖心がすごくて思わず転びたいと思ったこともありました。ロックバレースキー場に行って、指導員の人にスキーの基本を教えてもらい、うまくすべることができました。今では、前と比べものにならないくらい上達しました。
次に、焼肉での事です。残留では、みんなで外に行って焼肉をしました。焼肉では、一日前に準備していたスウェーデントーチに火をつけて、その上でお湯をわかしてコーヒーなどを飲んだりしました。自分でも火をつけてみました。最初の方は、なかなか火がつかずに、ついては消えての繰り返しでした。ですが最後の方に火がついて、とてもうれしかったです。お肉もおいしかったです。
次に、初もうででの事です。一月一日に、みんなで丸瀬布神社に行ってお参りをしました。お参りをした後におみくじをひきました。ぼくは、大吉でした。今年は良い年になりそうなので、このことをはげみに生活もががんばっていきたいです。
最後に、この残留では、良かった所と悪かった所があります。良かった所は、ふだんの生活を心がけて生活できたことで、逆に悪かった所は、人のことを気にしすぎていたので、これからの生活の中で改善していきたいです。
理事長 仁原正幹
昨年四月発行の『ひとむれ』第九七七号に「児童福祉の誇りと覚悟」というタイトルで巻頭言を書いたのが、私の校長としての最後の仕事でした。児童福祉の仕事の役割や目的が「児童の権利擁護」であり、児童虐待から子どもの生命と安全を護り、心身ともに健やかに成長できるように支援しながら「子どもの人権を護ること」が児童福祉に携わる者の使命であるという私の思いを記述しました。そしてその役割の中核を担うのは児童相談所と児童福祉施設であり、両者がクルマの両輪となって、緊密な連携の下に互いに協力し合いながら、子どもとその家族の幸せのために業務に邁進することが肝要である旨書かせていただきました。
北海道家庭学校が道内の九つの児童相談所と互いに連携協力しながら仕事を進める中で、私の方からも各児童相談所に対していろいろとお願いや要請をさせていただきました。その中で、校長在任中に解決できなかった課題が一つ残ってしまいました。それは札幌市児童相談所の一時保護所における不適切な対応のことで、問題行動が懸念される子どもが他児童から離れた場所にある個室に行動の自由を制限されながら長期にわたって拘禁されているという実態です。
その件に関しては、平成元年の七月に文書で改善要請して以来、文書や面談により協議を重ねてきており、昨春私が校長を退任して理事長になってからも継続しています。令和二年度になって札幌市児童相談所の所長も交代されましたが、十一月下旬になって、その新所長さんが私との面談のために遠軽の北海道家庭学校を訪問したいとの打診をいただいたとのことだったので、普段札幌で暮らしている私の方から札幌市児童相談所に出向くことにし、暮れの十二月十八日の午後、札幌市児童相談所を訪ね、山本健晴所長と山田剛地域連携課長のお二人と一時間余り懇談させていただきました。お二方とも私の指摘に対してほぼ異論はなく、一時保護所の不適切な個室対応が以前から慣習として行われてきたことの問題性については十分認識されており、子どもの人権問題にも関わることなので、改善に向けて検討したいとのお話が聞け、私としては少し安堵しました。ただ、端緒から一年半が経過した今もなお、札幌市児童相談所からは拘禁部屋を解消したという明確な改善報告が得られておらず、この間も『ひとむれ』読者やメディアの報道に触れた児童福祉関係者、有識者の皆様から時折心配の声や経過の問い合わせなどがあることから、今号で経過報告をさせていただくことにしました。
この間昨年四月には、新聞やテレビの取材に応じる形で本件について問題提起し、道内に報道されたことから、一般の道民の皆さんにもだいぶ情報が伝わったようです。十月二十四日には「北海道子どもの虐待防止協会」という団体が児童相談所の一時保護所をテーマにした集会を開催した際にシンポジストとして呼ばれ、児童相談所の一時保護所の本来の役割や重要性などについて、元児童相談所長兼元児童自立支援施設長として説明させていただきました。その際に札幌市児童相談所の一時保護所の問題点についても触れたことから、それらのことが新聞等でも大きく取り上げられました。このような経過により、「子どもの人権を護ること」の大切さや児童相談所の一時保護所の役割・重要性についても、少しずつではありますが広く世の中に浸透してきたように思っています。
児童相談所の一時保護所は、児童相談所が本来の機能を発揮するためになくてはならない大変重要な場所です。複雑で劣悪な家庭環境の中で長年悩み苦しみ、その結果精神的な問題を抱えて疲弊してしまった被虐待児、非行児、発達障害児の場合は(これらの児童がそれぞれ別個に存在しているわけではなく、多くの場合重なっています)、児童相談所に一時保護されることによってやっとそこで一息つけます。それまで散々辛い目に遭って、大人への不信感に凝り固まった子どもの心を解きほぐすには、長期にわたる一時保護と、その中での児相職員の丁寧な働きかけ、心の交流が必要となります。子どもは一時保護所の安定した生活の中で安心感を得て、大人に対する信頼感を取り戻し、その結果自分自身としっかり向き合えるようになっていきます。
寂しい個室に拘禁され、孤独を強いられた子どもが児相職員などの大人に対して簡単に心を開くでしょうか。子どもの精神安定を図るためにも、その子どもの行動観察をするためにも、他の児童との交流が必要であることは言うまでもありません。発達障害や被虐待の影響でコミュニケーションの面で課題を抱えていて、そのことが問題行動につながっている場合も多く、そうした子どもを閉じ込めておとなしくさせたとしても、それは外に出たいがための「ふり」であり、閉じ込めた相手に心を開くはずがありません。長期間個室で孤立化させていれば、表面的にはトラブルは起きませんが、その子どもの本当の姿を見ることができず、真の意味での対応策も検討できません。深く自分を見つめ直すチャンスを逸して、大人を騙せば逃(のが)れられるという悪い学習を積む結果となり、マイナス面だけが残るので、拘禁の手法は百害あって一利なしと言わざるを得ません。
強制的な手段は児童福祉、感化教育の手法とは真逆のやり方であり、児童福祉法の根本理念である「児童の権利に関する条約」の精神にも反するものです。家庭や学校や地域で負った心の傷を、児童相談所の一時保護所でさらに深めることになってしまい、児童相談所自らが児童虐待をする結果になりかねないと、私は危惧しています。
個室に拘禁するという管理面で楽な手法はある意味麻薬と似たところがあり、一旦手を染めるともうその手法(拘禁部屋)なしには仕事が回らなくなり、ますますその部屋に頼らざるを得なくなってしまうのではないでしょうか。児童相談所の一時保護所はよそからは全く見えません。通常児童虐待通告を受け、虐待かどうかの判断をするのは児童相談所なので、これまで誰にも知られずに、どこからも咎められずに長期間続けてこられたのではないかと、私は想像しています。
昨年九月三十日付けの北海道新聞に「児童虐待…届かぬSOS」という記事が掲載され、私はそれを見て暗澹たる気持ちになりました。そして、ああそうだったのか……と思い至りました。札幌市内で一昨年六月に池田詩(こと)梨(り)ちゃん(当時2歳)が衰弱死した事件で、一審で保護責任者遺棄致死罪の有罪判決を受けた実母(被告・22歳)のことが書かれた記事でした。一部を抜粋して転載します。
「池田被告の生育歴はトラウマの連続だった。(略)精神状態が極限に達した15歳のころ、手に負えなくなった母親が警察に通報し、児相の一時保護施設に入った。(略)狭い個室で2週間過ごし『読書も許されない』と不満を募らせていたという。退所する際、職員から『非行に走ればまた保護する』と言われ、『大人は頼れない。自由がほしい』と反発した。肉親を含む大人を信用しにくく、交際相手からも裏切られた被告は、自らを追い込むようにSOSを隠し続けた。(略)」
児童相談所の一時保護所は、問題を抱え、悩み苦しんでいる子どもにとっての、心身両面でのオアシスであるべきだと思います。子ども時代にも親になってからも、困ったら助けてもらえる最後の拠り所として児童相談所が存在しなければなりません。児童相談所や児童福祉施設が子どもの人権を軽視し、結果的に児童虐待につながるようなことは、断じてあってはならないことだと、私は思います。
札幌市児童相談所が個室での拘禁という悪習を改めることは、新所長をはじめ所員の皆さんが自浄作用を働かせれば今日からでも可能なことだと思います。現時点で第二児相新設の構想なども含めて外部委員会等でも種々検討されていると伺いましたが、子どもの人権に関わるこの問題については今直ぐに解決しなければいけないことだと思います。一刻も早い解決を、私は鶴首して待っています。
閑話休題です。私がこれまで児童福祉の仕事をしてきた中で、感慨深い体験をすることが多々ありました。実際に子どもの表情や言葉に接して感じたことも多いのですが、書物や講演や手紙やメール、あるいは懇談などの機会を通じて貴重な教訓に接し、心の眼を見開かされたことが幾度となくあります。
前号でご紹介した愛知学院大学教授の服部朗先生のお手紙に書かれていたこともその一つです。「児童自立支援施設を訪ねる度に、草とりをしている少年の後ろ姿をみると、あの少年は自分ではないかという気持ちをもちます。子どもは本来逞しさをもっていますが、人生はあやういものでもあり、もしも二、三回人生を送ることがあったなら、そのうち一回くらいは立場が逆転していることがあるのではないかと思います。」という、大変謙虚な姿勢、高邁な精神には心打たれるものがあり、共感するとともに深い感動を覚えました。
もう一例ご紹介しましょう。藤女子大学教授の小山和利先生の言葉です。小山さんは長らく北海道の児童相談所に勤務され、児童福祉司や判定援助係長、指導援助課長などの経歴を有するスペシャリストで、北海道内の児童福祉のキーパーソンとして活躍された方です。北海道帯広児童相談所長や児童自立支援施設の道立向陽学院長などを経て、大学の研究者の道に進まれ、現在は豊富な実践と卓抜な知見を基に、次代を担う若い方々に児童福祉を教えておられます。
その小山さんの講演の中で、私が折に触れ何度も何度も思い出す一コマがあります。小山さんがパワーポイントで作成した「船のたとえ」というエピソードです。スライドの画面で紹介された絵には豪華客船のような巨大な船と難民が乗るような今にも沈みそうな小舟が描かれています。そして大きな船の上から遙か下を見下ろしている人がメガホンを片手に「頑張れ!これ位の波に負けるな。努力すれば何とかなる。私たちが付いているぞ」と大声で叫んでいるのです。それに対して、ただでさえ危うい航海をしているところに近寄ってきた大船の波まで受けて今にも転覆しそうになった小舟の乗員は「うるさい!お前に何がわかる!」と呟き、波しぶきをかぶりながら転覆しないように必死にオールにしがみついている姿が描かれているのです。この絵を紹介しながら小山さんはこう話されました。「同じ波でも社会的な弱者の体感する波は恐怖となる。小舟はいつも緊急場面であり、絶望感に陥りやすい。大船からの励ましの傲慢さは見抜かれる。安泰の場所からの声は、響かないどころか時に威圧ともなり時に蔑みとなる」と。これは将に小山さんの長年の実践と児童福祉にかける熱い思いの中から生まれた教訓だと私は思っています。象牙の塔の研究室の中からは生まれ出ない発想であり理念だと思います。
福祉を生(なり)業(わい)とする人間は、相手のためと考え、ともすれば上から目線で強く指導したくなることがあるように思います。子育てが十分にできない親に対して、非行が治まらない子どもに対して、何度言ったらわかるんだ、何回同じ失敗を繰り返すんだ、もっとしっかりしろ、甘えるな、不幸に負けるな……と内心で思いながら。でも、こちらが良かれと思って押しつけても相手は傷つくだけのこともあります。粘り強く繰り返し同じ失敗に付き合いながら心を通わせることこそが「児童福祉の真諦(しんたい)」だと、私は思います。