ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
クリスマス晩餐会を終えて
残留寮の1日
残留行事で楽しかった事
来て早々手術があって
校長 仁原正幹
近年ではオホーツク地方の冬の風物詩となってしまった感がありますが、今シーズンもまた猛烈な「冬の嵐」に見舞われました。空路はすっかり閉ざされ、道路も鉄路も寸断され、暴風雪は旅行客の足を奪ったばかりでなく、この地域に住む人々の暮らしにも重大な影響を与えました。管内の全ての小・中・高校が二日から三日の間、臨時休校になったようです。
子ども達全員が敷地内に居住していて通学の心配のない望の岡分校といえども例外ではありません。何しろ教員の先生方が家庭学校まで辿り着けないのですから同じことです。遠軽町の市街地から五キロほど離れた里山の森の中に位置する北海道家庭学校は、今年もまた丸二日間陸の孤島状態に陥ってしまいました。街に住む一部の職員も通勤して来られず、来客は誰一人ありません。新聞も郵便も宅配便も一切届きません。
そんな中で総延長が二・六キロほどある敷地内の生活道路を開けるために、本館職員はホイールローダーやブルドーザーなどの重機を駆使して除雪作業に明け暮れました。寮長と子ども達もスコップやスノーダンプなどを手にしての人海戦術で寮や本館、給食棟、住宅等の周りの除雪に精を出しました。終日寮日課となったので寮母はいつもの朝食・夕食に加えて昼食も調理しました。氷雪に覆われ外界と遮断された丸二日間でしたが、再生の森・北海道家庭学校の住人達は大人も子どもも皆で協力し合って暖かく濃密な時間を過ごしました。
今年の場合、冬の嵐の到来が一月十八日からのスキー学習週間を直撃したので被害は甚大でした。当初の計画では自衛隊遠軽駐屯地の七名のスキー指導員さんに五日間連続してご指導いただくはずでした。初日こそマイナス二十度の晴天下での幕開けとなりましたが、その晩から天気は大荒れとなり、二日目と三日目は中止のやむなきに至りました。猛吹雪のために時々ホワイトアウト状態となって周りがよく見えないのだから仕方ありません。四日目には雪も小降りとなって自衛隊の皆さんにも来ていただきましたが、大量に降り積もった雪を踏み固めるゲレンデ整備から始まり、雪の中に埋まってしまった簡易リフトを掘り起こす作業にも時間を費やしました。北海道家庭学校が誇る専用ゲレンデ・神社山スキー場ですが、今シーズンばかりは思いも寄らぬ苦戦を強いられました。
最終日の五日目は会場を街のロックバレースキー場に移してのスキー講習の総まとめ。久々の好天に恵まれて子ども達は皆満足した日焼け顔で帰ってきました。途中二日間の中断があって心配したものの、子ども達は怪我もなく皆それぞれに上達して自信をつけたと聞いて、校長としても大変嬉しく思い安堵したところです。初めてスキーを履いた生徒も何人かいたのですが、子ども達の順応性や潜在能力を改めて感じさせられました。自衛隊の皆さんにはつくづく感謝です。
さて、タイトルにもう一つ「北の里山」と付けたのには訳があります。実は北海道家庭学校の広大で豊かなな森が北海道から「北の里山」としての指定を受け、新年の一月五日付けで登録されたのです。登録名称は『森の学校』、登録番号は七十六番ということになりました。
この「北の里山」という用語が北海道庁の森林行政部門により創案された名称なので、一般的にはちょっとわかりにくいかもしれません。そこで、道庁のホームページ(HP)から関連する記事の一部を抜粋して引用する形でご紹介したいと思います。
「北の里山」づくり (北海道のHPから転載)
北海道では、「北海道森林づくり基本計画」において、道民が森林とふれあい親しむ場を創出するため、身近にあって地域に密着した里山林等の整備・保全を進めることとしており、「北海道らしい里山林」を「北の里山」として登録する制度を創設しています。
○ 北海道では、次の事項を満たす森林を 「北の里山」と位置づけています。
◉ 市街地からアクセスがしやすい
◉ 現在、地域住民による森林づくり活動 が行われている、あるいは、将来、見 込まれる森林
○ この「北の里山」では、植樹や枝打ち などの森林づくり活動に取り組めるほか、 散策や環境学習などのフィールドとして も利用が可能となっています。
○ 森林とふれあうイベントなどを検討さ れている方は「北の里山」登録地をフィ ールドとして活用してはいかがでしょう。
この「北の里山」への指定・登録については、遠軽町役場や地域の森林ボランティアの方などのご助言やご協力をいただいて実現したものです。北海道家庭学校の総面積四百三十ヘクタールの中で、今回指定を受けた山林面積は三百六十六ヘクタールにも及ぶ広大なものです。山林内には林道も張り巡らされており、日頃から山林班の子ども達と施設職員と分校教員による作業班学習の活動を中心に手入れされてきています。
市街地から近く、アクセスも良好な北海道家庭学校の深く豊かな森をもっともっと多くの方に楽しんでいただきたい、気軽に触れていただきたい、身近な学びの場にしていただきたいと、私たちは念願しています。そして地元のボランティア団体などとの協働による地域に根ざした息の長い里山づくりを目指していきたいと考えています。
再生の森・北海道家庭学校の里山に、皆さん、是非遊びにいらしてください。
楽山寮寮母 千葉珠季
今年も家庭学校ではクリスマス晩餐会が盛大に行われ、多くのお客様に足を運んでいただきました。毎年行われるプログラムの一番注目を集めているのが、「各寮からの出し物」だと思います。昨年の四月から寮担当となり、今年は見る側ではなく発表する立場になりました。楽山寮はハンドベル演奏の担当でした。
今回、一番生徒達に感じて欲しかったことは、みんなで一つのことに取り組み、完成させることの楽しさです。練習を重ねるごとに曲が完成していく音楽の楽しさや、完成していくことで練習(過程)も楽しくなってくることを感じられたらと思いました。そんな期待を膨らませ、私自身も楽しみにしていた初回の練習、生徒達は前向きな表情をしてハンドベルを手にしていたので、スムーズに練習が進むだろうと安易に考えていましたが、練習が始まると、「自分は前にやったことがある」ととても乗り気だった生徒は、楽譜を目で追うことが出来ずに「分からない」とふてくされてしまったり、ハンドベルの楽しさのあまり、その後もテンションの高まりを切り替えられずに他児とのトラブルに発展してしまったり、失敗するたびに落ち込んで拒否的な反応をする生徒など、予想外の生徒達の様子に少し戸惑いました。
私が小学生の頃に通っていたピアノ教室の発表会では、教室の生徒達全員で先生が指導のもとミュージックベルの演奏をしていました。今回ハンドベル演奏を行うということが分かってまず頭に浮かんだのはその時の情景でした。今回の発表にあたり、ピアノの先生が進めていた練習の様子を思い出しながら、どこまでこちらで準備して、どの程度の演奏が出来るのかなどを考え準備をしたつもりでした。楽譜が読めなくても色分けをして担当の箇所を分かりやすく提示しているので大丈夫だろう、音符からリズムが読みとれなくても聞き馴染みのある曲であるから大丈夫だろうという考えは私の勝手な想像に過ぎず、生徒達に何かを伝えることのむずかしさや、ここで生活している生徒達の特性のようなものを改めて感じ、私自身の学びにもなりました。
音符に色をつけても、音の読み方を書いても分からない生徒は、頭の中で曲を追いながら楽譜と照らし合わせるという作業ができないということが分かったので、一小節の中のカウントと音のタイミングを合わせてみるように「1・2・3・4」と全体で声に出して練習すると、自分の音のタイミングを合わせることができるようになりました。また、楽譜を見ながらタイミングをうまく合わせることができる生徒も数人いたので、その生徒達に数の多い音を担当してもらうことにし、曲を完成させることができました。練習の進み具合等をみて当初考えていた曲を変更することもありました。
迎えた本番は、緊張しながらもとても良い演奏が出来ました。それぞれが自分の分かりやすいやり方を練習中に見つけ、考えながら取り組む様子が見られました。最後まで一人も欠けることなく真剣に取り組めたこと、何より本番の演奏を楽しみながら取り組めたことが一番嬉しく感じたことです。
演奏を終え、皆さまからの温かい拍手に生徒達はほっとした表情をみせていました。
石上館寮長 水原学
十二月も終わりの年末から年始にかけての2週間程の期間で子供達にとっては待ちに待った一時帰省が行われます。自宅に帰ることのできる子供にとっては親とのかけがえのない時間となりますが、全ての子供が帰ることが出来るわけではありません。家庭の事情がある場合やまだ家庭学校に来て間もない場合は一時帰省をせずに家庭学校に残り、この時期を寮舎で過ごすことになります。これを冬の残留寮といいます。
周りが楽しく過ごす中で残された子供達がただこの期間を過ごすだけではさすがに子供達も気持ちが落ち込んでしまいます。そこで残留担当の先生方は家庭学校に相応しくそして楽しめる行事を限られた予算の中で頭をひねりながら計画を立てていきます。今年は例年に比べ年の後半から入所した生徒も多くいたため、冬の残留寮で残る生徒はかなり多く、2寮を開いて対応することとなりました。私は前半の1寮を受け持つことになり普段とは違う寮の生徒たちとどんな生活になるか思いをめぐらせていました。
今回の残留寮の行事は楠先生が中心となって考えてくださったものがほとんどで、大人の私も予定を見た時はわくわくしたものです。そのスケジュールは生徒の移動日以外の正味12日間の中では全てなにがしかの行事が入る魅力的なものであり、私自身前半しか体験できないのは残念だと思ってしまうような内容でした。せっかく子供達と残るのであるから大人である我々も一緒になって楽しめたならという気持ちの中で私の冬の残留寮がスタートしました。
ここからは具体的な行事(といっても私が担当できた前半部分だけですが…)の一日をご紹介します。初日の一時帰省の子供達の移動日が終わった翌日から行事は始まっていきますが、まずはじめは酪農担当の蒦本夫妻の協力のもとでバター、アイス作り、乳搾りというまさに家庭学校らしい行事からのスタートとなりました。普段は酪農班にならなければ作ることのできないバター作り(修学旅行ではお金を払って体験学習をする)を行ない、作ったバターでお昼にパンを食べるという贅沢を味わいました。バター作りは機械を使って搾りたての牛乳を目の前で生クリームと脱脂乳に分け、生クリームをペットボトルに入れて振るところから始まりました。黙々とペットボトルを振り続ける子、なかなか固まらず心配になって周りの子のやり方を確認する子、固まり始めたら周りに見せるのに夢中になっていつの間にか最後まで振ることになった子と、生徒それぞれの反応は違えども楽しめていました。その後は固形化した脂肪分から水分をさらに絞り塩を加えることで完成させました。思い思いの塩加減で作ったバターで食べたパンは格別で、食卓に笑顔がこぼれました。
午後からのアイス作りも同様で牛乳と砂糖を氷で冷やしながら撹拌するシンプルなものですが、なかなか固まらず苦戦する班や、早々に仕上げ片付けて談笑する班など楽しみ方はそれぞれ分かれていました。
夕方には作業班でも普段することのできない乳搾りをさせてもらっています。寒い中で行ったため牛の肌の方がより温かく感じ、生き物に触れている実感や、力強さ、視覚だけでなく、嗅覚、触覚を使って楽しむことが出来ました。子供達の反応も様々でおっかなびっくり触って遠慮がちにしぼる子、遠慮なくガシガシしぼって全くでない子等何とか渡されたコップに一杯を自分で搾り、寒い中で飲んだ牛乳は味わい深いものでした。その後はホルスタインとジャージーの飲み比べや、個々の牛の性格等時間の許す限り様々な質問を生徒達がし蒦本夫妻が答えるという貴重な時間を頂きました。
一日を通しての子ども達の反応もよく、明日からの行事も楽しめたらと前向きに捉える子が思ったより多くびっくりしたことを覚えています。残された子は一時帰省で帰ることが出来た子を羨んで日課に乗れなくなる子が出ることも多々ありますが、一緒に楽しむ姿をみるとやる甲斐があるなと勇気づけられる気持ちでいっぱいになります。この後も温泉、餅つき、カーリング、映画鑑賞、スキー等前半だけでも盛りだくさんの内容の中で気持ちよく楽しめる環境を作れたと思っています。
楽山寮生 コタロウ
僕は、此処にいる期間が短かったので、残留生として、此処に残りました。残留中は、毎日のように、楽しい行事が沢山ありました。
僕が一番楽しかった行事は三つあります。一つはワカサギ釣りです。みんなと一緒に網走湖に行って、釣りをしました。氷には綺麗な円い穴が空いていて、その穴に釣り竿を入れて、ワカサギを釣りました。みんなが沢山ワカサギを釣っている時、ワカサギとは違ってとても強い引きを感じました。その三十分程前の事、一般のお客さんが後ろの方でニジマスを釣っている人がいたので、まさかと思って竿を上げると、カレイが釣れました。髙橋先生に聞いてみると、ニジマスより珍しいと言っていたので、ちよっと嬉しかったです。最終的には、ワカサギ十五匹、カレイ一匹が釣れました。その日の夕食に、みんなで釣ったワカサギは、天ぷらにして食べました。とても美味しかったです。また、機会があれば行きたいです。
二つ目は校庭でスノーモービルに乗った事です。グラウンドを三周回った後、家庭学校の中をスノーモービルで走り回りました。冷たい風が身体に猛スピードで当たって、とても爽快で気持ち良かったです。また、スノーモービルに乗り終わった後、みんなで宝探しをしました。グラウンドの至る所に封筒が設置してあって、封筒の中に数字が書かれてあれば当たりで、番号に応じた景品が獲得することができます。また、スカと書かれてあればもう一度封筒を取りに行く、といった遊びをしました。その景品とはカップラーメンだったのですが、僕はタマゴのアレルギーを持っていて、宝探しに参加することは出来ませんでした。みんなはとても楽しそうにしていたので、僕も参加したかったです。
三つ目は、カラオケです。僕はカラオケが趣味だったので、カラオケに行く前から、気分が高まっていました。カラオケに着くと、一番に歌いました。その後にも、みんなより沢山歌を歌いました。とても楽しかったです。
他にも沢山楽しい行事がありました。残留中の楽しかった事は、一生の思い出です。
楽山寮生 タイキ
自分は授業を受けている時にぼやけていたのでメガネのせいだと思っていました。そして2ヶ月が経ち病院へ行き受診してしばらくすると視力検査をしました。そしたら左目は大体見えるのに対し右目は全然見えていませんでした。
それで色々検査をしてみると網膜剥離といわれ、それも最近になってはがれたものでは無いと聞かされ、今すぐにでも手術した方が良いと言われましたが、自分が行った病院では手術が出来ないと言われて札幌の病院に入院する事になって、クリスマスの朝6時に楽山寮から札幌まで行く事になり、引率の先生と千葉先生夫妻には朝早く起きてもらったのが申し訳なく思っており、ご飯も朝早くから作ってもらったので、感謝しております。
少し不安はあるものの無事に手術が終わって退院する事を祈ってました。そして長旅の末入院する事になる病院に着いて、まずは視力検査を色々して手術のやり方を聞き、次に採血をして終わると麻酔科に行き、手術は全身麻酔をして90分で終わると言われて入院することになる病棟に向かいました。
そして数日後に千葉先生夫妻が来てくれて初スタバをおごってもらったのは嬉しかった病院の思い出の一つでもあります。
そしていよいよ手術の日になり手術は初めてで期待と不安もありながら手術室に行って体に色んな機器を付けられてマスクを口に乗せられ吸ってくださいと言われ吸うと急に眠くなって起きると運ばれているのは分かるけど今どこに居るかは分かりませんでした。
麻酔が切れて痛みが来て目とのどが痛くなって心配して来てくれた先生には色々言ってしまって痛くてもありがとうぐらいは言いたかったとあの時を思うと後悔しています。
手術を終え、2週間が経ちいろんな先生方が来てくれたのは嬉しかったです。
退院して久しぶりに楽山寮に着くといつもの騒がしい空気が戻って来ました。
退院したばっかでまだ出来ないことがありますが作業を頑張って迷惑をかけないように頑張って行きたいと思います。