ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
合気道クラブを通して
楽山寮の寮母デビューして
家庭学校の子どもたちを見て感じたこと
〈児童の声〉
校長 清澤満
新年おめでとうございます。
旧年中は皆様からたくさんのご支援を賜り心からお礼申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
望の岡分校の二学期終業式を一二月二三日に終え、本校の冬季一時帰省が二八日から始まりました。大雪の影響で移動日初日のJRの一部が運休となったことから急遽高速バスの利用に変更しなければならないといったアクシデントがありましたが、ほぼ予定どおりに帰省先へ児童を送り出し、残留児童の支援もスタートさせることができました。残留寮で過ごす子どもたちには年末年始を少しでも楽しんでもらえるようにとスノーモビルの乗車体験やかまくら作り、ワカサギ釣りなど、退屈することがないようたくさんのイベントを企画しました。
JR運休の原因となった二二日から二三日にかけての大雪で礼拝堂も晩餐会会場である給食棟も除雪作業に追われる中、二五日、家庭学校のクリスマスの日を迎えました。午前中の礼拝では、在籍する二十名の子どもたちとともに家庭学校の一年を振り返りながら、応援してくださっている皆様に感謝の気持ちを捧げました。以下、礼拝でのお話です。
今年も残すところあと一週間となりました。生徒の皆さんは一年を振り返ってどんな事を思い浮かべるでしょうか。私は今年二月二四日に始まったロシアによるウクライナへの武力攻撃があまりにも惨たらしい出来事として記憶に刻み込まれました。この戦いでは多くの兵士や一般市民が命を落としています。そして今もなお、ロシアはウクライナ国民の生活と命を脅かす攻撃を続けています。特に電気や暖房などエネルギー施設への攻撃が繰り返し行われており、ウクライナの人たちが寒くて長い冬を越せるのか本当に心配です。一日も早く戦いを止め、対話による解決が図られるよう日本をはじめ世界の国々はロシア、ウクライナの双方に強く働きかけるべきだと私は思います。皆さんにはこれまでも折に触れて話してきましたが、戦争がもたらす不幸についてよく考えて欲しいと思い、最初にこのお話をしました。
皆さんは自分を変えようと勉強や作業など日々の生活を懸命に過ごしていますが、今日は行事を中心にここでの一年の様子を振り返ってみようと思います。
家庭学校の一年はスキー学習から始まります。神社山という自前のスキー場があるので、町から頂いたロープリフトを全校作業で設置し、大回転、回転などの大会を行いました。二月には平和山登山に合わせて滑降競技も行いました。一週間連続で集中的に行うスキー学習なので初心者の人も驚くほど上達しました。雪像づくりやクロスカントリースキーといったあまり経験することのない珍しい行事やスポーツも体験しましたね。
五月の校長杯ではソフトボールやミニバレー、フットサルなどで汗を流しました。運動の後の豚汁やジンギスカンの美味しさは格別でした。
六月の運動会はコロナが少し落ち着いていたので、ご家族やたくさんのお客様をお迎えして行うことができました。開会式の整然とした入場行進に始まり、全ての競技を終え清々しい表情が見られた閉会式まで、随所に練習の成果が表れていて、ここ数年では一、二を争う大変立派な運動会だったと思います。
七月には留辺蘂の無加川で釣り遠足をしました。釣りは初めてという人が何人もいて、釣れた時の皆さんの嬉しそうな笑顔がとても印象的でした。
九月の末には弟子屈、厚岸、阿寒方面に研修旅行に出掛けました。阿寒湖アイヌコタンでは古式舞踊を観覧したり、木彫を体験しアイヌ文化に触れることができました。少ないお小遣いで何を買おうかと迷っている姿を何度も見掛けましたが、思い出に残るお土産を手にできたでしょうか。旅行の途中でクマを目撃したり、大きなシカにも遭遇し驚きました。七月には家庭学校でも柏葉寮近くの道に子熊が出没したり、平和山登山道などでクマの足跡が何度も発見されるなど野生の生き物が人里近くまで迫ってきていることを実感した年でもありました。
十月の園遊会はコロナ感染者に増加の兆しがみえてきた時期だったので、毎年出店していただいている方々やお客様をお招きすることはできませんでした。それでも、各寮自慢のメニューのほか、本館の先生や分校の先生たちのお店を回って美味しいものをお腹いっぱい頂き、楽しい思い出になったと思います。
そして今日は、家庭学校が大切にしているクリスマスの日です。毎年、午前中の礼拝と夜の晩餐会でクリスマスをお祝いします。この時季に合わせてケーキや果物、チョコレートや飲み物などたくさんのプレゼントやお祝いが届けられています。本当に有難いことです。
家庭学校を応援してくださる方々はたくさんおられ、全ての方をご紹介することはできませんが、いつもお世話になっている月曜会の皆様は今年も散髪奉仕を続けてくださいました。合気道の松田先生、吉野先生にも大変お世話になりました。九月には、バリトン歌手の豊島雄一さんが礼拝堂でコンサートを開いてくださったり、遠軽ロータリークラブのご招待で花火大会も観覧することができました。今年はコロナで実現しませんでしたが自衛隊遠軽駐屯地の皆様には長い間スキー指導を続けていただいており、年明けのスキー学習ではまたお世話になる予定です。そして、六百名を超える方々に家庭学校の後援会に加入していただいています。
クリスマスの今日、家庭学校とここで頑張っている皆さんのことを応援してくださる多くの皆様に対して、改めて感謝の気持ちを捧げたいと思います。
この日クリスマス礼拝を終えた望の岡の礼拝堂は来春まで一休みし、雪解けを待つことになります。
午後六時。晩餐会に向けて何日も前から各寮で仕込んできたアイスキャンドルが楽山寮前から給食棟まで並び、子どもたちと職員を出迎えてくれました。コロナ禍のため今回もお客様をお呼びすることはできませんでしたが、子どもたちと職員、分校小・中学校の校長先生や教頭先生をはじめ分校の先生も数名お越しくださり総勢五八名の賑やかな晩餐会となりました。
テーブルにはローストチキンやケーキのほか、帆立グラタンやポテトスープ、かぼちゃパイやヨーグルト等々家庭学校の牛乳や野菜をふんだんに使ったメニューが並び、いつものことながら子どもたちは大満足の様子です。この日のために練習を重ねてきた各寮の演し物は掬泉寮が聖劇、楽山寮がハンドベル、石上館が歌とダンスをそれぞれ披露してくれました。初めて晩餐会に出席された分校の校長先生もいたく感心されるほどどれも素晴らしい出来映えで大きな拍手が沸き上がりました。二〇二二年の最後を飾る晩餐会のひとときを今年も子どもたちと一緒に過ごすことができました。
晩餐会が終わって一息ついた午後八時過ぎ、サンタクロースに扮した私は、子どもたちへのプレゼントを担ぎ三つの寮を回りました。
「メリークリスマス!」と大声で現れた私を見て殆どバレバレの演出でしたが、玄関ホールに飛び出してきた子どもたちはサンタにお願いしたプレゼントを手にして大喜びです。クリスマスの日を溢れる笑顔で締め括ってくれました。
ロシアの侵攻で始まった戦いに終わりが見えません。そんな中、政府は日本周辺の安全保障環境が急激に厳しさを増しているとして防衛力の大幅な増強策を決定しました。国民の声を聞くことなく、また十分な説明もないまま、平和主義に基づく外交政策よりも防衛力の増強を優先させ、拙速に決定したようにみえます。反撃能力を含む防衛力の増強が相手に抑止力を働かせるだろうといった為政者の目論見よりも、他国との緊張関係が一段と高まることにより私たち国民が危険に晒されることにならないか、その舵取りに強い不安を感じます。
せめて、二〇二三年四月に発足する「こども家庭庁」が国民のために真に働く行政機関として、子どもや若い人たちの声にしっかり耳を傾け、子育て世代に寄り添った実効性ある施策を展開することで、安心で住みよい日本の社会が創られていくことを切に願うしかありません。
自立支援部長 楠哲雄
土曜日の午前中にクラブ活動の時間があります。合気道クラブはその中の一つとして活動しています。吉野先生が平成六年に家庭学校に合気道部を創部したのが始まりです。今は松田先生も加わり二人から稽古をつけてもらっています。私は七年前にクラブ活動の時間に子ども達と一緒に稽古させて頂きましたが、翌年には寮担当を離れてしまった為クラブ活動に参加する時間が取れず合気道から足が遠のいてしまいました。その後時間が出来ても一度疎遠になってしまったことから再び足が向きませんでしたが、四年前に子ども達が招待された交流会で演武を見せて貰ったのを機会に相手と一体になり技を完成させている合気道に魅せられて再びクラブ活動の時間に稽古するようになりました。本格的に始めたいと思うようになると週に一回の稽古だけでは足らずに吉野先生にお願いしてクラブ活動を終えた後に稽古をつけて頂いたり、白滝の道場に参加させてもらったりしました。その後はコロナウイルスの影響で一時稽古を中断した時期もありましたが、現在は稽古を積み重ねていくことができています。子ども達と合気道の技をかけ合う時にある程度技を理解していないと何の練習をしているのかわからなくなってしまうため、始めた頃は子ども達の足を引っ張ってしまう時もありましたが、現在はある程度技量を上げることができたため、子ども達が技を理解するのに少しだけお役に立てるようにはなったかなと思います。
合気道をしていると「合気道をすると強くなるの」と良く聞かれます。柔道や剣道などの強さを試す試合のある武道と比較しての質問だと思います。合気道の修練を通して自分自身の心や身体を強くするという考えはありますが、合気道は人との強さを競うのではなく相手と調和することを大切にしています。合気道の稽古ではお互いに技をかけ合い相手と一緒になって技を完成させますが相手の事をあまり考えずに力で強引に技を掛けてくる子ども、相手に合わせる気持ちが優先してしまいこちらが技をかける前に自分のタイミングで勝手に受け身を取ってしまう子どもがいます。合気道は相手と気を合わせますが、相手に無理して合わせる必要もなく、また、相手に無理して合わせてもらう必要もなく、理にかなった動きで相手と気を合わせて技を完成させます。強引に技を掛けることがないよう、また無理して技に掛からないよう技の原理原則を頭で理解し、自分と相手との違いや身体の使い方など習熟度や技量を理解して技を完成させます。これは稽古以外でも人と関わる時に相手を理解して自分らしく相手と関わることができるようにするのと同じと思います。そのため合気道の稽古は日常生活のコミュニケーションの向上に一役買っているように感じます。子ども達が合気道を通して人との関わり方が少しでも良くなれるよう今後も一緒に稽古に励みたいと思います。
楽山寮寮母 平野みほろ
私達は十月から楽山寮を開寮しました。私が入職したのは一年半前です。その前までは看護師として働いていたので、寮母という仕事は初めてです。入職してから寮母という仕事を知っていくうちにより興味が持てました。そして、期待と不安も入り混じった状態で十月から寮母になりました。始まってすぐは他寮から転寮してきた子ども達四人と私達夫婦二人の計六人で生活がスタートしました。初めの頃はみんなよそよそしい感じはありましたが良い雰囲気で過ごしていました。そんな日々はあっという間で、今日まででもう開寮してから三ヶ月近く経ちました。そんな中で寮母になってからさまざまなことに気づきました。今までは病気の人の痛みや苦痛に寄り添い元気付けたりすることが主だったのですが、寮母として生活していると子ども達からたくさんの良いエネルギーをもらっていることに気づきました。看護師のときは人の生死を間近で見届けていることが多く、精神的に疲弊してしまう場面が多かったと思いました。しかし、家庭学校に入所している子ども達は中学生が多いということもあり、とてもエネルギッシュです。少し疲れたなと思うときでも大きな声で「せんせー!」と呼ばれると大きな声で「はい!なーにー!」と答えたくなってしまいます。そんな子ども達は本当に元気の塊です。そんな彼らに癒されているとも感じます。そして最近嬉しい出来事と悲しい出来事がありました。
まずは嬉しい出来事です。家庭学校の寮母は平日は朝夕食、休日は三食食事を手作りします。献立をもとに毎日人数分作っています。今までは一人暮らしをしていたこともあり人に手料理を食べてもらうことが少なかったので、食べてくれる相手がたくさんいることに嬉しさと緊張感があります。メニューの中には手の込んだものも多く料理が苦手な私には苦戦することがあります。しかし、一生懸命できる限りの力で料理を作っています。その提供したものを、喜んで食べてくれる姿を見るととても嬉しくなります。また、子ども達の毎日書く日記の中に「今日のとんかつはおいしかった。」「ラーメンがおいしかった。」等と書いてくれることもあります。そのような感想もまた美味しいご飯を作ってあげたいと思う活力に繋がります。これからもたくさん美味しいご飯を食べてもらうために腕を磨いていきたいと思います。
次に少し悲しい出来事です。ある日、寮長が一人の生徒と話し合いをしていることもあり、その二人を除く四人で夕食を食べているときでした。話の流れからある男の子が真面目な顔で「俺らは捨てられたんだよ。行き場がないからここに来たんだよ」と発言しました。それにつられて他の子ども達もそうかもしれないと同調しはじめて、不穏な雰囲気になってしまいました。いつもは明るく振舞っているその子達の言動にショックを受けました。親に虐待された経験があることは知っていたが、そのように受けとめていることに衝撃を受けました。しかし、皆考え方はそれぞれですが、この小・中学生の多感な時期に様々なことを感じ考えているのだなと思いました。家庭学校に入所する子は皆違った環境で育っていますが、どのような子にも全面的に受け入れるような気持ちで接し子ども達が心許せる存在になりたいと思いました。
まだまだ、たくさんの出来事があるのですが今回はこの二つにしておこうともいます。十月から寮を始めたばかりで、まだ三ヶ月しか経っていませんが、これからも子ども達が心から安心して過ごすことができる環境を提供していきたいです。そのためにも、できる限り子ども達に寄り添い、しっかりと個々を見つめながら成長を見守る母親のような存在になれるようにしていきたいです。
望の岡分校教諭 佐藤優成
望の岡分校に赴任させて頂いてから、もう少しで四年が経とうとしています。この四年間、子どもたちの教育に携わらせて頂き、感じた事や学んだ事を書いていきたいと思います。
まず、家庭学校の子どもたちは頑張り屋さんだと感じました。出来ない自分が嫌、出来ない自分を見せるぐらいなら最初からやらない方がましだと思い、中々取り組めないこともありました。しかし、頑張りを認め寄り添いながら一つ一つ一緒に学ぶことで、子どもたちにとってはハードルの高いことでも頑張ってついてきてくれたと思います。私自身、赴任したての頃は自分の視点でばかり物事を捉えていて、~しなければならない、~して当然と考えることが多かったですが、人には色々な考えがあって指導すると同時にその人個人の思いも大切にしなければならないということを子どもたちから教わりました。
作業班学習についてです。今まで色々な班に所属させて頂きました。月、火、木曜日の午後に行います。子どもたちの作業班学習に取り組む姿勢に驚かされました。どんなに暑い日でも、草刈りや草集め、温床造り、雑木処理等様々な作業を集中して行っていました。また、経験の豊富な子どもが経験の浅い子どもに対して、優しい口調で作業のやり方を教えている場面も見られました。炎天下の中、文句を言わず指示に従って動ける子どもがたくさんいるでしょうか?私はいないと思います。寮長寮母先生を始めたくさんの先生方が厳しく、そして時には優しく指導されている賜物だと感じました。また、寮での集団生活を通し、自分の思い通りにはいかないこともあるということを子どもたちがしっかりと学んでいるんだなと感じました。大変感動しました。
次に学級での子どもたちの様子についてです。私は今二年生を担当させて頂いています。言われたことをしっかりと守り、出来なかったことを正直に言える子どもたちです。また、とても優しい子どもたちなので、私自身、色々な場面で助けられています。今後も、人の失敗を許すことが出来る子どもに育っていけるよう、指導及び見守りをしっかりと行っていきますので、よろしくお願い致します。
最後に、家庭環境の大切さについて再認識することが出来たので、書かせて頂きます。両親がそろっていることは当たり前の事ではありません。児童票を見ると、辛い生い立ちをしている子どもがたくさんいます。家庭の中でしっかりと愛情が注がれてこなかった、ネグレクトを受けていた、等々。子どもたちの生い立ちを見る度に、自分が子どもたちの全てを理解して一人一人の子どもにあった声かけや指導を出来ているかは不安になります。ですが、少しでも子どもたちが「自分はやればできる」、「ここに来て良かった」と自己肯定感を上げられるよう自分なりに手助けしていきたいと思います。小舎夫婦制というシステムの中で子どもたちがもう一度家族の温かさを感じ、身体的にも精神的にも大きく成長できるよう自分の出来る所で支援していきたいと思います。
石上館 卒一 R・ 掬泉寮 卒一 S・楽山寮 中一 M
音楽発表会を振り返って
12月21日に音楽発表会がありました。僕は、中卒生として参会してバンドをやりました。小さな恋のうたという曲を演奏しました。僕は、ドラムを担当していました。ドラムは前にも担当したことがあったので、慣れてはいました。ですが、曲のテンポが速くて難行していました。なので曲を何回も聞き、何回も叩いて練習してできるようになりました。これでいけると思っていたのですが、ギターと合わせてみるとテンポが遅くなり叩きにくくなりました。でも叩き方などを変えて合わせていくうちに合うようになりました。ドラムは一定のリズムを保ちながら周囲の音に合わせて叩かなければならのいので、ギターの音や歌に合わせながら叩くのが一番大変でした。当日は、最後の発表でした。自分的にはあまり満足できるような仕上がりではなかったので心配でしたが演奏を始めると先生方などが手拍子や拍手などをしてくれてとてもうれしかったし達成感もありました。演奏中に、マイクの音がぜんぜん聞こえず合っているかわからなくなることがありましたが成功したのでよかったです。
木彫展を振り返って
木彫展の準備が始まったのは、コロナウイルスによる療養が終わった日でした。まず最初に、下絵を描きました。もととなる花の絵と草の絵をアレンジし、葉の枚数を増やしたり、花と葉の位置を考えました。そして、カーボン紙で木に写し、ほり始めました。
ほる作業は、なかなか時間がかかりました。最初に花と葉をほってしまい、途中から外をほりました。外をほるのは、花と葉の部分をきずつけないように細心の注意をはらいながらほりこみました。この外をほる作業に一番時間がかかりました。その後、外の部分を平刀できれいにしたり、中の花と葉の部分をほりこんできれいにしたり、段差の部分を平刀やきり出し刀できれいにして、ほる作業は終わりました。この時点で木彫展の二日前でした。そして、やすりとニスをぬりました。
やすりがけでは、60番から始めました。ここで平刀ではとりきれなかった細かな段差や、木のざらざら感をけしました。その後、60番ではまだざらざらしているので、100番、130番、150番、180番、210番と上げていき、400番までやすりをかけました。ここまでかけると肌触りがとてもよくなります。その後、ニスをうすくうすくぬりました。ですが、少し厚い部分ができてしまいました。そして、光を反射しすぎてしまい、さらに少しざらついてしまいました。悩んだ結果、400番のやすりをもう一度かけることにしました。少し厚くなったとはいえ、全体的にうすくぬっていたので、少しこすると簡単にうすくなりました。そして、やすりの具合をうまく調整し、反射は少しのこしたまま肌触りのよい、滑らかな状態になりました。これで完成です。完成したと思った時には、前日の夜でした。こうして、私の木彫は完成しました。失敗やうまくいかないことも多かったですが、一旦おちついた後、自分で考えたり、先生に聞いたりして、ぶじに仕上げることができました。
木彫展では、最優秀作品賞をもらいました。この賞を取ることができたのは、アドバイスをくれた先生方のおかげでもあり、自分自身の短い人生の中で経験してきたためでもあります。今回の木彫展で新たな経験をつめたと思います。この経験を生かし、普段の生活でも、失敗を経験に変えていきたいと思います。
晩さん会の感想
晩さん会ではたくさんのメニューがでました。聞いたら、ローストビーフ以外全部手作りだということでおどろきました。晩さん会のごはんはとてもおいしかったです。
晩さん会はと中でお楽しみ会があり、そこでは、各寮が色々な出しものをしました。僕の寮では、ハンドベルをやりました。ハンドベルは、晩さん会の約二週間前から練習を重ねました。二つの曲をえんそうしました。一つ目は「ジングルベル」。もう一つは、「ホワイトクリスマス」という曲です。
まず、「ジングルベル」は、ゆっくりえんそうしました。ハンドベルは、ゆっくりえんそうする事で、音がひびき、とてもここちよいからです。えんそうするときは、音と音の間のはくも意識しながらえんそうしました。
二つ目の「ホワイトクリスマス」は、長く、テンポが複雑で、とてもむずかしい曲です。この曲は練習中、音を打つタイミングが分からないところが出てきて、音楽の先生を呼んで、音を打つタイミングを、教えてもらいました。僕は、連続で音を打つ事が多い音をやりました。音を連続で等間かくで打つのはとてもむずかしかったです。
晩さん会はとても楽しくごはんもおいしくて、とても楽しかったです。出しものは、他の寮もとてもいいもので、他の寮を練習をがんばったんだな、と思いました。とても楽しかったです。