ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
コロナ禍の冬期一時帰省
元気ですか
がんぼうホームより
〈児童の声〉
〈理事長時々通信〉
校長 清澤満
新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は、北海道家庭学校の歴史と共に歩んできた酪農部の新たな試みが本格化した年でした。
本校創立の翌年(大正四年)にホルスタイン種二頭から始めた酪農は、現在、ホルスタイン種とジャージー種合わせて四〇頭程を飼養しています。これまで生乳の出荷のほか、バターを校内消費やお世話になっている皆様への贈答用として製造してきましたが、一昨年から準備を進めてきた乳酪製品の販売に漸く漕ぎ着けたのです。商品は、伝統の家庭学校発酵バターとチーズが三種類です。セミハードタイプを「サナプチ」、ウオッシュタイプを「トメオカ」、さけるタイプを「家庭学校の薪」と名付け、バターとチーズ三種のセット商品は「平和山セット」としました。製造担当者の蒦本(わくもと)(賢)先生や安江事務局長、平井企画総務部長たちがアイデアを出し合い、家庭学校の歴史や暮らしに因んだ良い名前を考えてくれました。最近じわじわと人気が出てきて、ネット販売では品切れと表示されることも多くなってきました。担当者が心を込めて一つひとつ丁寧な製造に努めていますので、手に入りづらい場合があることをご了承願います。
酪農部では更に、チーズの製造を始める際に大変お世話になった中標津町の三友様ご夫妻よりご寄贈いただいたヨーグルト製造機を工房に設置し、チーズに続きヨーグルトについても商品化に向けた試作を重ねています。丑年に肖(あやか)って弾みを付けたいものです。
こうした試みの一方で校長として本校の歴史について勉強する機会も多く、改めて伝統の大切さを実感した年でもありました。その一つである礼拝堂は計画していた修繕を昨年夏に終えました。屋根や外壁の塗装などを施した礼拝堂が、望の岡の雪景色の中にくっきりとその姿を浮かび上がらせています。十二月二十三日には子ども達と職員が礼拝堂にて年内最後の催しとなる「クリスマス礼拝」を行いました。がんぼうホームの清水ホーム長の司式で進められた礼拝に続いて、私からは礼拝のことやクリスマスついて子ども達に次のような話をしました。
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九月の創立記念式で皆さんにお話ししたとおり、校祖の留岡幸助先生はキリスト教徒であり、その精神を家庭学校の教育原理の一つに位置付けていたので、礼拝堂を建てるということはとても重要な意味を持つことでした。そして、三年の年月を経て完成した礼拝堂に集う生徒や職員、地域の人々に聖書を読み解きながら日曜礼拝などを続けてきたのです。一方校祖は、宗教は生徒達の精神教育の基本としているものであって、キリスト教を教えたり信者を増やしたりすることが目的ではないことも「人道」の中で述べています。私達は今、校祖の意志を受け継いで、食前の祈りを捧げ、各寮の夜の集まりでは聖書を輪読しています。日曜日には礼拝堂に集まって、心を落ち着かせ、自分自身を振り返る大切な時間を過ごしているのです。
皆さんは、クリスマスはそもそも何の日か知ってますか。先日の日曜礼拝で佐藤先生がお話ししてくださいました。クリスマスは、「キリストの誕生を祝う日」であって、キリストの誕生日そのものではありませんでしたね。日本では沢山の人たちがクリスマスを年末の大きなイベントとして楽しんでいます。そこで、私達の家庭学校にとってクリスマスはどういうものなのか、少し考えてみましょう。
家庭学校の博物館には、一九二一(大正十)年に行われたクリスマスのプログラムが展示されています。それを見ると、礼拝堂で厳粛な礼拝が行われた後、第二部として、合唱や劇、剣舞、ハーモニカ演奏など沢山の演し物が生徒や地域の人たちから次々と披露されるお楽しみ会のようなものが行われていたことが分かります。クリスマスは、多くの人たちに集まっていただき沢山の時間を割いて行う大切な催しだったのです。
初めて給食棟が建てられた一九七九(昭和五十四)年からは、それまで本館の講堂(現在の中二・中三教室)で行われていた「クリスマス晩餐会」が給食棟で開かれるようになったことが「ひとむれ第四五七号」に記されていました。昨年十二月に完成した新しい給食棟のこけら落としが晩餐会だったように、昭和五十四年十二月に完成した初代給食棟のこけら落としも晩餐会だったのです。
このように家庭学校はクリスマス礼拝と晩餐会を大切な催しとして、いつもお世話になっているお客様をお迎えしてきました。今年はコロナでお呼びできませんでしたが、家庭学校ではクリスマスに礼拝が行われ、夜には晩餐会が行われることを多くの方々に知っていただいている大切な行事だということを歴史を振り返りながらお話ししました。
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今年も手作りのアイスキャンドルが楽山寮前から晩餐会会場の給食棟まで並びました。夜六時、一群会役員の進行により晩餐会が始まりました。生徒代表による食前の祈りで会食がスタート。家庭学校の野菜や牛乳をふんだんに使ったメニューが所狭しとテーブルに並びます。パンには自家製のバターや梨ジャムが用意され美味しく頂きました。お楽しみ会では、聖劇を楽山寮が、ハンドベルは石上館が、掬泉寮はリコーダー演奏を披露してくれました。最後に讃美歌109番「きよしこの夜」を皆で斉唱し、伝統のクリスマス礼拝と晩餐会の一日を終えました。
事務局長 安江陽一郎
明けましておめでとうございます。
今や年末の恒例となっています今年の漢字。2020年の世相を一字で表す今年の漢字に「密」が決まりました。新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの人が「三密」を避けるように意識しなければならないほど、日常生活に大きな影響があったことが理由にあげられました。二位は「禍」で、コロナ禍や熊本の豪雨災害、東京オリンピックの延期というのが理由でした。三位は「病」で、疫病や病院関係者への感謝からというのが理由でした。応募総数は二十万八千二十五票で、上位の漢字はいずれも新型コロナウイルス関連であったと新聞報道されました。
十一月七日、北海道は、道内における新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い「警戒ステージ三」へ移行しました。また、集中対策期間も十二月十一日まで延長し、札幌市を対象に「警戒ステージ四相当の強い措置」を講じました。しかし道内は、依然として日によっては二百人を超える新規感染者数が確認され、その拡大状況についても、世代間や地域での感染の広がりが見られ、社会福祉施設等における集団感染事例(クラスター)も多数発生しました。
その後、さらに北海道は、道内における新型コロナウイルス感染の状況は、新規感染者数は減少傾向が見られるものの、なお多くの感染が続いていることから、十二月十一日(金)までとしていた集中対策期間を十二月二十五日(金)まで二週間延長しました。
家庭学校では、十二月二十四日(金)から一月六日(水)までの十四日間で予定していた本校児童の冬期一時帰省については、十二月二十八日(月)から一月四日(月)までの八日間とし、六日間短縮して実施することとなりました。
児童の多くは、在籍期間が一年半程度で退所を迎えます。そう言う意味において夏・冬の一時帰省は大変貴重な機会であり、家庭学校での生活指導等による児童の変化や成長を保護者に確認いただくと同時に、児童にとっても、家庭学校で身に付けたことが家庭において実践できるかどうかを試す訓練の場でもあります。年末年始の期間は、外出の機会が増え、大人数での会食や密集する場面が増えることなどにより感染リスクが高まる可能がありますので、感染予防対策を確実に履行してほしいものです。
広辞苑で調べますと、「密」は、人と人との心の繋がりを意味する漢字でもあるようです。感染リスクという不安を持ったままの日常生活が当分続くことでしょう。本校では、夏・冬の帰省後等、寮内においても二週間のマスク着用や自主的な抗原検査にも努めています。
望の岡分校分校長 里見貴史
元気にしていますか。君を最後に見かけたのは、十五年前のクリスマスの頃、ある街の大型店舗のフードコートでした。二十代半ばのはずなのに、君は相変わらずの色白童顔だったのですぐ分かりました。膝破れのデニムを履き、耳にはピアスをし、手一杯のおしゃれをしていたね。でも、骨格はガッチリだったので、何らかの仕事をしていることが伺えました。五~六名の同年代の友達と楽しそうにしていたので、その様子を遠巻きのまま見、声を掛けずに立ち去りました。
二十五年前、家庭学校に入所となった君。担任としての力不足の贖罪の思いもあり、行事応援や接見に度々家庭学校を訪れました。
寮が変わっての引っ越しの事。校内管理班で扱った用具や機械の事。新入生の親係としての苦労。寮理事としてのプレッシャー。談話室や礼拝堂への道のりで、いろいろな話しをしてくれた君。ここの施設や自然の中で素直に喜んだり、悩んだりしながらも正しく行動し、心身共に逞しく成っていった君。
しかし、中三のクリスマス。地元の高校受験の話しとなるはずだった接見が急きょ中止となり、併せて冬帰省も高校受験も中止となりとても心配しました。
三ケ月後、家庭学校の校長室で、君だけの卒業式を行ったね。校長室ではハキハキと決意を述べ、励まし合ったけど、式の後はお互い言葉なく、俯いたまま、走り流れる足元の雪解け水を追いながら寮へと帰り、そのまま別れたね。
その後、君は遠い街の職業訓練校に進み、お母さんとの年賀状のやり取りも三年ほどで途絶えてしまった。
縁あって、今、僕は家庭学校に係わっているよ。望の岡から、ふっと君のことを思い出したり考えたりして…そして、四十間近のオジサンとなったであろう君が幸せであることを願っているよ。偶然こっそりでいい、また君に会えたらいいな。
ホーム長 清水真人
あけましておめでとうございます。
昨年は、初めから新型コロナウィルスが発生し、日本のみならず世界中で、これまで経験したことのない流行となりました。がんぼうホームは、常に感染者が発生してしまうのではないかという恐れを抱きながら過ごしましたが、おかげさまで利用者、職員誰も感染せず新しい年を迎えることができました。しかしながら、いまだ感染拡大が治まらない中、不安や苦痛の中にある人々がいること、各方面で対策、対応に携わる人々のことを思いますと、一刻も早く終息することを願わずにはおられません。
さて、二〇二〇年度のがんぼうホームの状況ですが、ホームの立ち上げから関り、立ち上げ後はホーム長として献身的に働かれた熱田ホーム長が三月末で退職し、大きな柱を失いました。新体制は、ホーム長を清水とし、過去に家庭学校で勤務していた伊東職員、加茂職員二名を迎えて五名での運営となりました。
入居の状況は、三名のスタート、三月に一名入居、四月に一名退居、十二月に一名入居となり、年末はスタートと同じ三名の入居となりました。新型コロナウィルス感染拡大の影響か、例年ですと連休明けから入居照会が見られるのですが、昨年は全くありませんでした。秋に清水と伊東が、状況把握のため何か所かの児童相談所を訪問させていただきました。その功があったのか、徐々に入居照会が増えてきたようであります。
また、八月にはホーム開設以来初めて失踪者が出ました。「探さないでください」と書置きを残し、突如居なくなりました。警察に失踪届を出し、五日後に本州で無事保護されました。事件性もなく安堵したところであります。本児はホームに戻りやり直したいとの希望があり、現在は就労して頑張っているところであります。関係機関の方々には、当方の力不足により大変御迷惑をおかけしました。本当にお世話になりました。それ以外はそれほど大きな問題もなく、入居者はそれぞれのペースで、目標に向け過ごしております。
さて、新しい年は、どのような年となるのでしょうか。コロナ禍が治まり、災害の無い年となりますよう願うとともに、ホームにおいては、入居者の自立に向けて、スタッフ一人ひとりができることをコツコツと行い、神様が共にいて下さると信じて、今年も変わることのない歩みを進めたいと願います。皆さまの上に今年も神様の恵みと導きが豊かにあるようお祈りします。
掬泉寮 小六Y・石上館 中二R・楽山寮 中二S・掬泉寮 中二R
木彫展で優勝するまでにしたこと
掬泉寮 小六 Y
ぼくは木彫展で優勝しました。優勝した作品は「梟(ふくろう)」です。木彫展の説明会では高山先生が言っていた。ニスのぬり方やレリーフの作り方などのたくさんのポイントを教えてくれました。初めてだったのでどれくらい彫ったらいいのかわからなくて困っていた時に、周りの人が優しく教えてくれて助かりました。
工夫したところは、「梟」をより現実的に再現するため、切り出し刀でなでるように切って細かい羽毛を再現しました。他には、羽と腹の部分を分けるため段差をつけて立体的にしました。細かい所でもとことんこだわって丸みをつけたりニスを二度ぬりしたりとこだわり、自分の最善をつくしました。
ですが、展示日で皆の作品を見たとき、皆の作品のすごさに優勝できるか不安になりました。それでも、「努力の作品」はきたいに応えてくれました。最初、呼ばれたときは信じられなかったです。とてもうれしかったです。皆のアドバイスや先生たちの助言には本当に助けられました。
来年は、不安なんてうちけすぐらいとてもすごい作品を作って、皆を「えっ、すご」とおどろかしたいです。
音楽発表会を終えて
石上館 中二 R
僕たち中二は、今年大ヒットした「Prtender」(プレテンダー)という曲を演奏しました。この曲は有名で、聞いたこともあるから、すぐにでもうまくいくと思っていました。でも、いざとなって練習を始めると、思った以上にバラバラで、合わせることが難しいなぁと思いました。それでも皆は、週に一回程度しかない練習で文句を言わずに集中して取り組んでいました。何回かの練習後に合わせると、始めた時が嘘のように、綺麗に合わさっていてビックリしました。人という生き物は、努力に努力を積み重ねればどんなに難しいことでも乗り越えられるような気がしました。でも、練習した成果を本番で出し切れるか不安でした。
そして、本番当日になり演奏開始。終わってみると盛大な拍手が僕たちに向かっていました。それに気付いた時、僕だけじゃなくみんなも、やり遂げられて良かったと絶体に思っているはずです。この達成感こそが僕たちを進化させ続ける一つのバネなのではないかなぁと思いました。こうして音楽は、次の世代、また次の世代へと受け継がれると思いました。
クリスマス晩餐会の思い出
楽山寮 中二 S
僕は、家庭学校に来てクリスマス晩餐会を三回経験しました。クリスマス晩餐会は、沢山の美味しい食べ物があり、各寮毎の出し物などがあります。そして、僕は、出し物を全て経験しました。まず最初の年が「ハンドベル」演奏で、二年目が「バンド」演奏でした。そして、今年は「聖劇」をやりました。
聖劇では、新約聖書マタイによる福音書25章~4節の「タラントンのたとえ」の劇をしました。劇は、今年流行った半沢直樹Verで行いました。先生方がセリフを考えてくれて台本を作ってくれて、その台本どおりに皆で一生懸命練習をしました。最初は、セリフを皆で合わせたりして、次に動きを付けて練習しました。そして、毎日夜に沢山の練習を重ねて、本番に備えました。
ついに、本番の日が来ました。本番は緊張していましたが、やってみると練習したことが蘇ってきて練習どおりに出来ました。
そして、聖劇を通して学んだことは、本番までの練習(準備期間)の中でどのような練習をしたら早く覚えられるかなぁ~と考えたり、少し工夫をしてセリフを暗記しようなどと考えていました。ちなみに僕は、セリフを紙に何度も書いたりして覚えました。
他にも、「タラントンのたとえ」が伝えようとしている「持っている人は更に与えられが、持っていない人は持っている物までもが取り上げられる」ということが、身にしみて感じました。
これからの生活の中で、聖劇で学んだ何事も工夫して挑戦することや、さまざまなことをきちんと理解することを大切にして過ごせるようにしたいです。今回の聖劇は、思い出に残ると思います。とても楽しかったです。
家庭学校での生活をふり返って
掬泉寮 中二 R
僕は、ここに来て、約一年と十か月が過ぎました。僕は、最初施設とはどんな所か分からず、とてもきんちょうしていました。だけど、実際、来てすぐの時のメンバーは、とても優しく接してくれていい所だと思いました。その時が、一番楽しかった時で、掬泉寮に入って良かったと心から思いました。卒業式が終わり、一時は減った人数も爆発的にふえて小学生も多く、とてもきつかった時期がありました。でも、K君という手本と、S君という目標があって、前向きに生活できていました。だけど、一月に入ってK君がいなくなってから、だんだん目標を見失っていったと思います。そこからさらに生活がくずれて、五月のように、たて続けに失敗をくり返してしまいました。そこから、少しずつ引き戻したとは思いますが、来た時ほど前むきに生活できず、時間を無だに使ってしまったと思います。
今、こうして退所が近づいて、ここで身に付けたこと、学んだことについて考えました。まず一つ目は、物事を、少しずつプラスにとらえられるようになってきていることです。マイナスにとらえてしまうこともあるけど、前向きにとらえようと努力はしているので、続けていきたいです。二つ目は、だんだん自分のことが分かってきたことです。今までは、「どうでもいい」、「めんどくさい」と放棄していたけど、ここで、失敗を重ねながら少しずつ特性などが分かってきました。それから、課題については、人との関わり方や、頭が固い所などがあるので、ここを出てからも自分の課題と向き合って生活したいです。それから、中学での楽しみは、一番は部活です。陸上の中長距離で、自分の実力がどれほど通用するのか気になるからです。西村先生に前に調べてもらったら五キロメートル中学生記録が十五分三十秒なので、それを目指してがんばりたい。中学で大勢の人と関わるには、うまくいくか不安だけど、うまく付き合えるようにがんばりたい。僕は、この作文を書いている時、あまり退所の実感がわかないが、退所してからも、ここに来る前のようなことをくりかえさないように、がんばって生活したいです。
理事長 仁原正幹
校長を退任してから九カ月が経ちました。札幌から月に一回、四日ほど遠軽に赴き、家庭学校やがんぼうホームの職員と打合せをしたり、各種行事の子ども達の様子を見たりしています。コロナ禍ということで、いろいろと気を遣った令和二年でした。早期終息を願うばかりです。
新規開設のこのコーナーは、時々理事長として投稿させていただきたいとの思いから作っていただきました。児童福祉に関する私の思いなどを中心に、時折書かせていただくつもりです。お付き合いいただければ幸いです。今回は二題です。
① 新しい本の刊行
家庭学校と望の岡分校の活動状況や子ども達の様子を紹介する「ガイドブック」的な本を、構想してから四年半もかかってしまいましたが、やっとこの暮れに上梓することができました。『「家庭」であり「学校」であること――北海道家庭学校の暮らしと教育』という本で、北海道教育大学の二井仁美先生との共同編集、そして前理事長の家村昭矩特別顧問に監修をしていただき、さらには多くの先生方に協力していただいて完成しました。
校祖・留岡幸助の「家庭の愛と学校の知にあふれた家庭であり学校でありたい」という創立の精神は、百年後の今もなお大事に受け継がれていることから、新しい本のタイトルを『「家庭」であり「学校」であること』と名付けました。
五章仕立ての構成で、第一章を私が児童福祉の観点から記述し、第二章を地元遠軽町の河原英男教育長と望の岡分校初代教頭の森田穣先生に学校教育の観点から執筆していただきました。最終の第五章には、現場の様子や生の声がビビッドに伝わるように、家庭学校と望の岡分校の新旧二十三人の先生方の『ひとむれ』掲載文章を転載させていただきました。これらの三つの章で家庭学校と望の岡分校の詳細がわかるようになっています。
加えて第三章は、児童精神科医の富田拓先生に非行臨床の観点から執筆していただきました。富田先生は長らく国立武蔵野学院・きぬ川学院の医務課長を務められた方で、その前には家庭学校での寮長経験もある方です。現在は網走刑務所と兼務する形で家庭学校樹下庵診療所でも医療活動を展開されています。さらに第四章では、二井仁美先生に感化教育史の観点から百余年にわたる家庭学校の歴史の流れを通観していただいています。
このように新しい本は、留岡幸助の精神を受け継ぐ大勢の人達が力を結集して作成したもので、非常に盛りだくさんの内容の「ガイドブック」となっています。昨年私が上梓した『新世紀「ひとむれ』と併せてご覧いただくと、一層理解が深まることと想います。これらの本は、家庭学校の窓口では割引価格でご提供しておりますし、大型書店の専門書コーナーやネット通販でもお求めいただけますので、ご一読いただければ幸いです。
② 服部朗先生のこと
家庭学校には個人、団体を問わず、ご支援をいただいている大勢の方々がおられます。全国からたくさんのご寄付をお寄せいただいており、民間経営の児童自立支援施設としては、大変心強く、有り難く思っています。後援会組織にもご援助いただいておりますし、直接ご寄付いただいた際には受領書と共にお礼状も差し上げておりまして、校長時代の私は毎日のようにお礼状書きをしていました。
昨年、個人としては異例の大変高額な寄附の振り込みがあって驚いたということで、先方に直接電話確認をした清澤校長から連絡がありました。理事長の私からもお礼状を差し上げたところ、その方からも返信をいただきました。何度か書簡を交換させていただく中で、私が非常に感銘を受けたことがありましたので、その一端をご披露させていただきます。
その方は服部朗さんという方で、実は私もお名前だけは記憶していました。毎年末にご寄付をいただき、写真付きハガキのお礼状を作成してお送りしている方の中のお一人だったからです。ただ、恥ずかしながら、全くの不勉強で、どういう方なのか知らずに推移していました。この度わかったことは、服部さんは愛知学院大学で少年法をご専門に研究されている教授の先生ということでした。早速同大学のホームページを拝見したところ、研究テーマが「少年法における司法と福祉の交錯。アメリカ少年法の動態。」とあり、驚いたことに自己紹介欄に家庭学校のことも記されていたのです。
服部先生の書簡によると、大学生のときに谷昌恒校長の『ひとむれ』を読んだことが切っ掛けで家庭学校に実習を申し込み、当時の石上館の藤田俊二寮長のところで一週間実習をし、そのことが少年法研究の「原点」だということでした。私が特に感銘を受けた文章を、一部を抜粋する形で転載させていただきます。
「私の担当するゼミの学生たちと、毎年近くの児童自立支援施設を訪ね、学園の子ども達と交流会を持っています。児童自立支援施設を訪ねる度に、草とりをしている少年の後ろ姿をみると、あの少年は自分ではないかという気持ちをもちます。子どもは本来逞しさをもっていますが、人生はあやういものでもあり、もしも二、三回人生を送ることがあったなら、そのうち一回くらいは立場が逆転していることがあるのではないかと思います。児童自立支援施設の子どもたちのことは人ごとではないという思いがあります。苦労をしている分だけ、幸せになってほしいと心から願っています。」
服部先生からいただいたご厚志を子どもたちのために有効に活用させていただくつもりです。コロナが終息しましたら、服部先生に是非ご来校いただき、昨年の大規模修繕で綺麗に蘇った礼拝堂でご講演いただければと、念願しております。