ひとむれ
このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
巻頭言
積み重ね
中学二年生の担任より
<児童の声>
がんぼうホームの三年目を振り返る
校長 仁原 正幹
新年おめでとうございます。北海道家庭学校は創立百六年目を迎えました。今年も家庭学校と子ども達のこと、宜しくお願い致します。
今冬は全国的に雪が少ないようで、今のところ家庭学校の森にも積雪がほとんどありません。二十二日午前に行われたクリスマス礼拝はホワイトクリスマスの風(ふ)情(ぜい)とはなりませんでした。夕刻になって、晩餐会会場までの道(みち)標(しるべ)として校門から新給食棟までの約六百メートルの道の両側にアイスキャンドルを並べ、火を灯したところ、百六十個のアイスキャンドルが暗闇に映え、幻想的な雰囲気を醸(かも)し出してくれました。
家庭学校の誇る神社山スキー場の斜面にも、今のところあまり雪が貼りついていません。自衛隊遠軽駐屯地のスキー指導員の皆さんによる毎冬恒例のスキー学習は、今年は一月の最終週の予定なので、その頃にはきっと白銀の世界になって、子ども達も思う存分滑れるはずです。
さて、私は『新世紀「ひとむれ」』という本をこの年末に上(じよう)梓(し)しました。六年前の創立百周年の年の春に着任してから昨年春までの五年間に書き綴ってきた本誌「ひとむれ」の「巻頭言」六十六本をまとめたものです。これまでも本誌や講演、見学対応などを通じて今日(こんにち)の児童自立支援施設としての北海道家庭学校の様子をご紹介するとともに、現代の児童虐待や発達障害などの問題を背景とする社会的養護への対応の状況や児童福祉についての私の思いなどをご披露してきましたが、さらに広く多くの皆さんにもお伝えできればと考えたものです。
書名を『新世紀「ひとむれ」』としたのは、北海道家庭学校の百年の歴史と伝統を踏まえた上で、次の百年に向けて、新世紀の北海道家庭学校がどうあるべきかを模索しながらの日々の営みと、そうした中での私の意気込み、子ども達への願い、職員や関係の皆様への思いなどを綴った内容であるからです。
豊かな自然に恵まれた北海道家庭学校の四季の変化を感じていただきやすいように、また、季節毎に行われる行事を体験しながら次第に変貌し、成長していく子ども達の様子が伝わりやすいように、さらには、私の新米校長としてのたどたどしい歩みの跡も読み取っていただくために、敢えて年度毎、執筆順の掲載としています。機会がありましたら、お手にとって眺めていただければ幸いです。
家庭学校は現在三つの小舎夫婦制の寮に十人ずつ合計三十人の生徒が暮らし、活況を呈しています。今年も是非また北国の「再生の森」に足をお運びください。
楽山寮 寮長 千葉 正義
全国の「ひとむれ」をご覧の皆さま、明けましておめでとうございます。つい、この間まで「平成に次ぐ新しい年号は」と話題になっていたと思っていたところですが、あっという間に季節は過ぎゆき、月日の流れというのは本当に早いものです。皆さまは令和初めてのお正月をいかがお過ごしでしょうか。
家庭学校では、キリストの教えに則り、毎日、就寝前の集まりの際に子どもたちと一緒に聖書の輪読をしています。とは言っても、私自身クリスチャンではなく(キリストの教えに対して否定的なわけでもなく、クリスマスも大好きです)、今日の日本国憲法では「信教の自由」が認められているため、児童に信仰を強制するわけでもありません。私個人的には、少しでも文章を読む力が身につけば、それは国語力の向上につながると信じ、寮を担当させていただいてからずっと続けてきました。毎晩「新訳聖書」を一人一節ずつ読み、その後一日の振り返り等を行い、子どもたちは床に就きます。家庭学校では何気ない日常の出来事です。
さて、その聖書の話ですが、先日ページ数を確認すると今読んでいるところは四七七ページでした。ちなみに最後のページは四八〇ページ、残り三ページで、新約聖書を完読することになります。
楽山寮を担当した平成二十七年四月一日、三名の子どもと初めて聖書を読んだ時のことが思い出されます。一人一節ではほんの僅かしか進まず、これを読み終える日は来るのだろうか、ちょうどその当時の他の寮を担当する職員との中で、ようやく一周して二周目に入っている、とかベテランの寮長になるともう何周も読んでいるなどと話をしていました。自分も聖書を一回読み終えた頃には、一人前の寮長になれているのかな、と思ったものです。
それを踏まえた上で、今、改めて振り返ってみると、寮を担当して四年と九か月…。長いようですが、過ぎてみるとあっという間でした。残念ながら、まだ一人前の寮長にはなれておりませんが、子どもたちと共に生活させていただいています。寮長という職務は、子どもたちの成長を肌で感じる事のできる大変素晴らしい仕事であると感じます。子どもたち自身の力によって変わっていくことが大きく、私はそのきっかけを与えてあげることくらいしか出来ておりませんが、身体的にも情緒的にも子どもの成長というのは目覚ましいものがあります。いつの間にか、自分より背が高くなっていたり、出来なかったことが出来るようになっていたりするのを見ることが出来ると、感慨深いものがあります。
しかし、全ての子どもが順調にいくかというとそうではない現状もあります。自分を変えるということをなかなか素直に受け入れることが出来ずに、それが成長の妨げになっており、時には対応に苦慮するケースもあり、どちらかというとそういったことの方が印象に残っています。ここでの生活に意義を見出すことが出来ずに、途中で退所に至ってしまうこともあり、きっかけを与えてあげられなかったことを悔やむこともあります。
令和元年の楽山寮は、八名の子どもたちとスタートしました。その後、何度か入退所があり、現在では小学生から中卒生までの十名で生活しています。人数が多いと、賑やかすぎるくらい賑やかで、細かなトラブルも多くなります。また、子どもたち一人あたりに関わる時間が減るので、なるべく全員と関わりを持つよう心掛けているつもりではありますが、その日の状況等によって難しい日もあります。最近では発達障がいや虐待を受けていた子どもの入所も多く、対応が難しい児童が増えたように感じます。家庭学校での生活は集団生活を通じ、様々な経験の積み重ねにより、子どもの心情に少しずつ変化が生まれてくるものと私は考えますが、その積み重ねが難しく、マイナス発言を繰り返したり、些細なことでつまずいてしまうというようなこともあり、何とかしてあげたいと思いながら話をしますが、なかなか思いを伝えてあげられないことも多々あります。そんな時は、根気強く助言を繰り返し、言葉で伝わらなければ、絵や文字を使うなど、なるべくわかりやすく伝える工夫もすることがあります。子どもの能力や特性に合わせた支援が大切と考えています。
しかし、「能力」「特性」「発達障がい」等、全てその言葉で片づけてしまうことは私は良くないと考えます。それは、子どもの限界をこちらの方で勝手に決めてしまうことにも繋がりますし、子どもたちはそういった事情がありながらも、今後自立していかなければならないのです。もちろん、子どもの特性や成育歴を鑑み、配慮し、理解した上で寄り添っていくという関わりは大切なことだとは思いますが、だからといって、例えば、集団生活をする上で他児に迷惑をかけたり、社会的に判断しておかしいと思われるようなことに繋がるようなルール違反等は許されることではありません。子どもたちはずっと家庭学校にいるわけではなく、いずれ、社会に向け旅立っていくわけであり、厳しい社会の荒波を乗り越えていかなければなりません。それを考えたとき、やはり段階的に必要なことや間違ったこと等は厳しく教えていく必要があると考えます。最近では、この理解と指導のバランスに悩まされ、どの程度受け入れれば良いのかを考える毎日で、子どもの対応の難しさを改めて感じさせられました。
そんな時は自分だけで背負い込まないよう心がけています。一番身近にいるのは、一緒に生活を共にする寮母です。寮母は子どもの微妙な心の変化を敏感に感じ取り、私に教えてくれます。注意指導を受けた際、一見、ふてくされているように見える子が、本人なりに一生懸命考えて何とかしようとしている様子や、毎日一緒にいると欠点にしか見えない行動が、実は本人からすると周囲の気を引こうとする気持ちの現れだったりとか、鈍感な私には気付くことのできないことを伝えてくれます。それでもうまくいかない場合は、この仕事の経験が長い楠部長や鬼頭主幹に助言を受けたり、他の寮長と話をしたり、私が休みの時に対応して下さっている本館職員に話を聞いたりします。さらには校長室や事務室、分校の先生方にも話を聞いてもらったりと、振り返るとたくさんの方々に支えられながら寮を運営しているということを改めて感じます。特に学期の後半は、半分愚痴のように(笑)、日々の話を聞いてもらうことも多く、それだけでも頑張ろうと思えたものです。困ったときに気軽に話が出来る人がいれば、それだけで気持ちが軽くなります。そのことに助けられた一年であったように感じます。
力が及ばないことが多々ありましたが、自分としては手を抜いたつもりはなく、そうすれば周りは必ず相談に乗ってくれる、支えてくれる、困ったことがあれば助けてくれるということが実感できました。そして、もしかしたら、私が子どもたちに一番伝えたいのはこういったことなのかもしれません。こういった人に成長してほしい、周りから助けられる、助けてあげられる人になってほしい、こんな私でも出来るのだから君たちも絶対にそうなれる、そのために毎日の積み重ねが大事なのだと。
冒頭でお話しした聖書の話ですが、毎日少しずつ読み、約五年間で完読するということ、これもひとつの積み重ねです。子どもたちには、改めて私が初めて寮を持った日から読み始めたことを伝え、日々の積み重ねの重要性を伝え、私自身も子どもと一緒に成長していきたいと思います。
令和二年になりました、今年も北海道家庭学校、そして楽山寮をよろしくお願いいたします。
教諭 槇 正美
現在、二年生は六名ですが、一年生の時は今年の二月まで一名しかおらず、三月に二名転入してきた時は、クラスメートができたことを凄く喜んでいました。
一人しかいない学級だといつも授業は、先生とマンツーマンで勉強をすることになり、生徒同士での話し合い活動や共同作業ができません。また、休み時間に話し相手がいないので寂しい思いをすることが多かったようです。ここでの同級生は、他の学校と違って卒業してからお互いに繋がりを持つことがほとんどなく、分校にいる限られた期間での付き合いとなります。また、学級(学年)としての活動といえば音楽発表会ぐらいしかなく、担任としてのクラスでの役割は、他の学校から比べると少ないのでちょっと寂しい気がしますが、それでも、毎週学級だよりを発行したり、朝、帰りの短学活を行ったり、年に数回行っている個人懇談や道徳の授業など、担任としてやらなければならない仕事は結構あります。
一般的に、中学二年生は、子どもから大人への転換期でもあり、精神的に不安定になりがちな時期です。そういう点では、分校の二年生は、特に大きな問題もなく、毎日を穏やかに過ごしています。
今の二年生は、基本みんな真面目で、頑張り屋が多いクラスです。実は、私はあまり本を読むのが好きではなく、仕事に関係する本以外はめったに読みません。そんな担任にも関わらず、毎朝行っている朝読書の時間は、クラスの生徒全員が、夢中になって黙々と本を読んでいます。だから、朝学活の時間になっても、一回閉じた本を、またこっそり開いて読んで注意されることがしばしばありました。六人しかいないのだから、すぐに見つかるし、たった五分もかからない朝学活の時間を我慢することができないものかと思ってしまいますが、そういうところが分校にいる生徒の特長の一つなのかもしれません。
今年度の二年生の指導の重点に、「忘れ物を無くす」を掲げました。毎日、帰りの短学活で忘れ物確認をしていますが、今まで忘れ物がゼロの週は、四回しかありませんでした。どこの学校でもそうだと思いますが、忘れ物をする生徒には偏りがあり、忘れる生徒は、いつも同じメンバーであることが多いようです。分校の二年生も例外ではありません。私の長い教職経験から、学力と忘れ物の関係については、忘れ物の多い生徒は、学力が向上しない傾向にありました。過去に出会った成績上位者は、ほとんど忘れ物をすることはなかったと記憶しています。百パーセントではありませんが…。分校の二年生で忘れ物ゼロを目指して取り組んできた成果を出せなかったことは残念ですが、諦めずにこれからも取り組みを継続して、学力の向上を目指していきます。
私は、後一年で定年を迎えます。二十歳で教員になり、右も左も上も下もよく分からずに、周りを見ながら見様見真似で仕事をしていた自分が、今、家庭学校の分校で終焉となる仕事をさせてもらっています。振り返れば、管内五ブロック全部を回り、小学校、中学校、小中併置校、中高一貫教育校、義務教育学校及び高校の定時制を含め、大規模校から僻地校までの様々な教育環境及び地域の中で、本当に多くの経験をさせていただきました。その中でも、この望の岡分校での経験は、特別な思いがあります。今まで、自分としては、いつも全力で頑張って仕事をしてきたつもりですが、これほど生徒一人ひとりと向き合って仕事をしたことは、正直なかったかもしれません。
ここにいる生徒は、今まで注意されたり、叱責されるような指導は多くあっても、褒められたり認められるような経験をしたことは、ほとんど無いようです。誰でも褒められたり、認められるとうれしいものです。叱るよりも褒める。認めて伸ばすことが、ここにいる生徒たちには特に必要なことだと実感しています。
教師としての仕事柄なのかどうかはわかりませんが、今まで、生徒のプラス面を見るよりも、マイナス面を指摘して指導改善を図ることが多く、上から目線的な意識で生徒と接することが多かったような気がします。なので、生徒の良さを見つけたり、良いところに気が付くことがなかなかできませんでしたが、生徒一人ひとりをしっかり見るようにいつも心掛けることで、気が付けなかったことや見えなかったことが少しずつ分かるようになってきました。それでも、分校の生徒には、励ましの言葉と認めてあげる言葉がほとんどで、褒めてあげることが少なかったように思えます。生徒の良さに気付くようになったというよりも、生徒に寄り添う思いが強くなったというのがぴったりのような気がします。
大規模校だと生徒の数が多いので、一人ひとりと向き合うようなことはできないかもしれませんが、大切なことは、規模や人数に関係なく、教師として一人でも多くの生徒と向き合おうとする強い意志を持つことが一番大切なんだということを、この望の岡分校の生徒の皆さんから学ばせてもらったような気がします。
毎朝、二年生の教室に入ると、すぐに六人全員が「おはようございます。」と、はっきりした声で挨拶をしてくれます。
そういう当たり前の行動に満足し、些細なことに喜びを感じることができることは、もしかすると、みんなが幸せな世界で同じように生きているという証なのかもしれません。
掬泉寮 中二S・楽山寮 中三R・石上館中一R
「音楽発表会で頑張ったこと」
掬泉寮 中二 S
十二月に音楽発表会がありました。ぼく達中二は「ひまわりの約束」という曲をえんそうしました。中二以外にも中卒生、中学一年生、中学三年生、小学生がえんそうしました。えんそうする学年全員が本番に向けみんなで協力しあって練習してきました。その練習を通して学んだ事、頑張った事を発表します。
ぼくは、この発表会をみんなで協力しあってチームワークができたのではないかと思います。なぜなら練習では、とても失敗していて本番成功するのかなと思っていたけど、みんなの力ですばらしい発表が出来たからです。
最初の練習ではふざけてばかりで、みんなの足を引っ張ってばかりでした。失敗するたびに「音楽やりたくないな」と思う事も正直ありました。自分は、木琴を担当しました。練習している時に、大きい音の出し方や小さくたたく所が出来なくて、先生に毎日のように「違うよ」と言われていました。周りのみんなはどんどん上達していっているのに自分は全然出来ていませんでした。ですが少しずつ練習していくなかで少しずつ体が覚えてきているように思いました。それから音楽の授業がとても楽しくなり、授業中にふざける事もなくなりました。でも自分の中では、本番絶対にうまくいかないなと思っていました。ですが周りの友達にも教えてもらいながら頑張って練習しました。そしたら、全部完璧に音を出せるようになりました。
本番二日前ではみんな緊張していたのか、うまくえんそうが出来ませんでした。ですが本番、みんなが協力しあったからこそ成功出来ました。
ぼくは、この音楽発表会でみんなで協力しあう事を学びました。なので、とてもいい経験になったと思います。これからも音楽発表会で学んだ事をいかして生活頑張っていきたいです。
「銀賞入賞」
楽山寮 中三 R
僕は今年の木彫コンクールで銀賞をとりました。今回の制作時間は一カ月程度ありました。僕は今年初めての木彫だったので一カ月もかからず半月程度で終わると思っていました。今終わってみたら最初の感じた時とはまったく違いすごくギリギリだったので終わるかすごく不安でした。
僕が木彫をする時に選んだ題材はアニメのおさるのジョージです。僕が気をつけたり工夫したことはいくつかあります。一つ目は一番難しかった事です。絵を見たときに一番奥にある所を深く、手前になっていくほど浅くすることです。そうすると立体のように浮き出て見えるようになりました。このようなことをしていくと失敗する所がありました。深くほらなくていい所をほってしまいそれよりも奥にある所をもっと深くほらなければいけなくなってしまったりして難しかったり、地道な作業で飽きはじめてしまったり厳しい思いをしたこともあったけれどそれを乗りこえてできた作品は少し上手くできた気がしました。
二つ目は目です。目のところは元の絵では黒い目の所と白い目の所が分かれていて分かりやすかったけど、木になるとすべての所が木は同じ色なので見分けがつかなかったです。そこで最後の仕上げの時にニスを黒い目の部分は茶色にして僕は木の色が好きだったのでその色をいかすために茶色の目以外のところを透明のニスを使い、黒目の所と白目の所の違いをつけることもできました。しかも大体の部分の所の木の色をいかすこともできたのでよかったです。
最後に感想です。地道な作業や難しいことなどたくさんあり良いことばかりではないけどできあがったり、やりとげたりした後の達成感などが何事にもあると思うので木彫だけではなく色んなことも努力していきたいです。そして今回は銀賞でうれしかったけど、来年は金賞をとれるようになりたいです。
「クリスマス晩さん会」
石上館 中一 R
クリスマス晩餐会で一番思い出に残っているのは聖劇です。なぜなら、ここで初めて知り合った人とやるからです。最初は絶対うまくいかないし、けんかになりそうだと思っていました。ですが練習していくうちに不安がなくなり逆に自分に自信がつくようになりました。さらに人前に立つときの緊張感が無くなっていきました。
しかし、途中で何か色々と起きてしまいました。その時僕はせっかく練習してきたのに意味が無くなると思ってやる気を無くしてしまいました。ですが最終的にできるとなった時は、「よっしゃー」と思い、またやる気がでました。そして本番になると今までなかった緊張感がでてきました。このとき僕は、今までの練習どおりにいけば絶対成功すると自分に自信をつけて自分の出番までまち、自分の出番がきて終わったときに練習の成果が劇に出ていて達成感がありました。
このような経験をしたからには、次やるときにはどのようなことに注意すればいいのかという反省点も見つかると思います。僕は、一人が欠けても、自分は最後まであきらめず、やりとげるということが大事だと思いました。さらに生活でもいかせることはあると思います。
なので僕はこの聖劇ができてよかったと思いました。
がんぼうホーム長 熱田 洋子
オープンしてから三年が経ちました。この一年を振り返って、子どもたちへの支援の様子を中心に、合わせて三月に受けた第三者評価の結果も報告します。
当ホームの定員は六名で、この一年間に、退居者五名、新入居者は四名あって、一時期は六名になりましたが、現在は三名が生活をともにしています。
一年の動きをまとめますと、子どもたちの入退居に伴い、また子どもたちの就労や学業の就き方によりホームの雰囲気は大きく変わってきています。三月までは就労が安定している子どもが一人いましたので、毎朝の出勤時間に合わせて少し張り詰めた空気の中で一日が始まっていました。この子の退居と前後して、規範性が乏しく喫煙もなかなかやめられないような子が入居し、急遽、高校定時制に入学したものの、トラブルを起こして程なく退学したのですが、他の子も巻き込んでホームの生活はあわただしく落ち着かなくなり、それが七月末まで続きました。
その後は新たに入居した十五歳も含めて、ホームの目的である就労自立という目標に向かって働き始めるというよりは、将来の漠然とした夢はあってもそれを実現するための就労意欲は高くない子どもが多くなってきたことにより、子ども自身が自立に向かって立ち上がり成長するのを見守っている状況です。
具体的な子どもたちとの関わりでは、次のようなことがあげられます。
〇就労と学業両立第一号の退居
開所時から入居し、町内の設備業で就労しながら通信制高校の三年間の学びを両立していた十九歳が出身地での就職先が決まって三月に退居しました。就労は安定し、職場、仕事先のお客さんからも高い評価を得ていましたし、ホームにいる間に車の運転免許も取得しました。 家庭学校を退所して即、当ホームに入居した一人で、他の入居者に対する感情的な反発から職員と言葉を交わさない態度をとるようになりましたが、家庭学校からのアフターケアがあったことで入居を継続でき、外では就労を通じて良好な人間関係を得られたことにも支えられてホームから就労自立としての退居になったと思われます。しっかり就労できる子を受け入れて社会へ巣立つまで見守ることができたのは得難い経験です。
〇定時制高校継続は六名中一名
二月には新入居も含めて十七歳が三名になり、四月に、誘い会うように、そろって隣地の高校定時制に入学しましたが、一人が主になって他の学年の生徒とトラブルを起こしたのをきっかけに三名とも退学することになりました。
どの子も就労が安定せず、定時制に通うようになってから二名は校内の女子生徒と付き合い始め、それに伴い、ホームでの生活ルールを守らなくなり、女子生徒と行動をともにすることを望んで退学後程なく退居しました。この子どもたちのように就労が長続きしない子が多くなって、就労継続の難しさを抱えながら定時制高校を継続させることは二重の大変さがあり、今回のことから支援の仕方を深く考えさせられています。
定時制高校には、現在、三年生に一名が在学し、卒業が見込まれますが、この三年間に定時制に六名が入学し、卒業を迎えられるのはこの一名です。今年の三名も含めて、一年生の夏頃までに学校から離れることになっています。
このような子どもたちをみていると、中学生の時に不登校になり、高校に入っても一年の途中で中退していて、その後に就労自立したいと当ホームに入居して来るのですが、ハローワークへ行って求職してみると、高校卒業した方が仕事に就きやすいと感じるようになり、高校がホームに隣接していることもあって、定時制に入学を志すのです。しかし、学校が嫌いなのか、先生から指導されるのが我慢できないのか、理由をはっきり言ってくれませんが、簡単に退学してしまいます。
そんな中で、一名のみ定時制高校を継続できているのは、他の子どもたちと違って、保護者の支えがあることが大事なことと思われます。この子はホーム近くの飲食店でのアルバイトを続けていることも良く作用して、入居当初の保護者への依存状態から成長してきましたし、夏・冬の一時帰省からの帰りは保護者が送って来るというように信頼関係ができているのがわかります。また、店での人間関係も良好で、それも定時制継続の力の一つになっているようです。
〇就労意欲と自立援助
入居する時には、皆、就労自立を目指し、五十万円貯めて独り暮らしをする、というように目標を話してくれます。しかし、現実はそう順調には進まず、就労自立の難しい子どもが多くなっています。ハローワークに行って求職を繰り返し、また、自分で探して次々と転職する子もいます。働かないとお金が貯まらないのはわかっていても、働きたくない、という思いと葛藤しているのでしょう。子どもたちの中には、発達障害がある子もいますし、労働能力や理解力に弱いところがみられる子もいますが、自分ができないことや弱いところを認めたくない、自分で受け入れられない様子が見受けられ、そのために就労が長続きしないことになっているように思います。就労時に何らかの支援が得られるような職場を選んでみることも、その子なりの自立につながるように思われ、今後、そのような相談も必要と考えています。
このような短期間で仕事を辞めてしまう子どもたちですが、この一年で七,八か所の就労先にお世話になったことになり、どの就労先でも子どもたちに温かく接してくださって、感謝なことに、働く機会を与えてくださり有難いです。
〇退居さまざま
当ホームの開始とともに、家庭学校を退所して入居した子ども一人が七月に退居しました。全日制高校一年生で早朝の新聞配達のアルバイトをして高校卒業を目指すということで入居しましたが、二年生の夏で休学、通信制に転校したものの休学、就労先も三か所変わり、いずれも三か月経つと辞めてしまうという状態でした。片時もゲームを手放せないような生活を続け、働かない期間が長引いた時は家庭学校のアフターケアを受けて一、二回は就労を再開できたのですが、この町ではもう仕事先がないと言って、保護者を頼りにして退居しました。
十二月に入って、急な動きがありました。就労が長続きせずアルバイト先を四か所変えてきている子が、将来の目標を考えられず苦しんでいたのでしょうか、生活面も落ち着かなくなり、イライラが高じて居室内で大声で怒鳴るようになり室の壁や戸、机を叩いて穴をあけることが続きましたので、ホームでの生活を支えきれなくなって児童相談所と相談して退居してもらいました。
このようなかたちで退居した子どもたちにも、就労の経験が活かされて、ふさわしい自立の道が備えられるようにと願っています。
〇感謝なこと
今年は、夏に一時帰省もせずにアルバイトをしていた子どももいましたので、気分転換になるようにと職員が一緒に出掛けて釣り堀を楽しんだり外食して帰るミニ行事を行うことができました。
たくさんのご支援有難うございます。ホームの子どもたちを応援してくださって、ご近所や地域の方々から野菜、魚、プランターの花などをいただき、遠方からも温かいご寄付も頂戴しました。心から皆さまに感謝申し上げます。
〇第三者評価の結果について、
事業開始後三年目の機会に、評価機関による訪問調査を三月に受審しました。当ホームで行っている福祉サービスの基本方針や組織の運営管理、利用者の尊重、日常生活支援の実情など八五項目について評価をつけていくもので、職員同士が相互に信頼関係を持ち、子どもの生活を第一に考えながら運営にあたっていること、毎週、スタッフミーティング等を行って子どもたちの状況を共有していること、家庭的な生活環境の中で、子どもたちが自立に向けて主体性・自主性を身につけ生活を自己管理できるように、見守り助言する姿勢で支援していることなどが評価されましたが、今後に向けて、ホームの理想像やあるべき姿について職員間で話し合いを深めていくことや、子どもの自立支援のために、職員個々人のスキルアップに取り組むことが求められています。子どもたちの生活状況が多様化してきている中で、子どもたちからの苦情対応の仕組みをつくることも含めて、子どもたちが安心して生活できるホームづくりをすすめていきたいと職員間で話し合っています。