このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2022年06月号

「運動会本番に向けて動き出す」

校長 清澤満

 六月十二日の運動会に向けて本格的な練習が始まりました。運動会は子ども達だけではなく先生達にとっても力が入る行事の一つです。時間を掛けて一生懸命に取り組んできた練習の成果を保護者・ご家族は勿論のこと、いつも家庭学校を支えてくださっている皆様にも見ていただきたいとの思いが、練習を重ねるに連れて日ごとに高まってきます。家族と離れて暮らす家庭学校の子ども達にとってはなおのこと、そうした思いが一層強いことでしょう。

 今年はコロナ禍で行う三回目の運動会となりました。最近の北海道の感染者数は減少傾向にあるものの年代別では依然として十代以下の割合が高くなっているようです。そうした中、地元遠軽町の各小中学校は、感染防止のための様々な工夫を凝らした運動会を計画されています。家庭学校と望の岡分校としても感染状況等に留意しつつ、種目を減らすなどの対応で時間を短縮して開催することとしました。緊急事態宣言下にあった昨年は保護者と関係児童相談所の皆様のみへの案内でしたが、今年は現状の感染状況から感染防止対策の徹底は可能と判断し、各関係機関・団体の皆様や支援者の皆様に広く案内させていただききました。従前から実施している全ての種目を組み込むことはできませんが、家庭学校らしい躍動感溢れる種目を随所にちりばめた運動会として楽しくご覧いただけるのではないかと思っています。

 家庭学校、分校それぞれ二名の担当者が中心となって準備を進めてきた運動会本番まで二週間を切り、職場全体の動きが加速してきました。運動会の主役である今年の子どもの人数は十三名です。準備段階も含めみんながそれぞれ役割を持って運動会に臨みます。開閉会式の児童生徒あいさつをはじめ、紅組、白組のリーダー・サブリーダー、寮対抗のポスター展担当者等々子ども達が担う役割はたくさんあります。これら役割の多くは紅白分けが決まった後、子ども達自身がチーム内の話し合いで決めていきます。美術の授業で制作する応援旗の完成も楽しみです。そこには手形と一緒に一人ひとりの目標が記されます。

 分校の担当者である冨山先生が五月の末から「運動会通信」を毎日発行してくださっています。空模様を見ながら練習内容や練習場所など今日明日必要な情報がタイムリーに伝わってきます。最近の通信には週間天気予報が掲載されています。このところ雨模様の天気が続き練習もままなりません。願うは子ども達がこのまま調子を崩さずに本番を迎えてくれること、そして運動会当日の青空です。

2022年06月号

どうして私は必死に野菜を作っているのか

児童生活支援員 稲田翔平

 私が家庭学校で野菜を作り始めて今年で二年目。昨年は、野菜作りについて何もわからないまま蔬菜班に配属され、入職して一年目の新人で無知の私が石上館の副寮長をしながら野菜と共に一年間を必死に過ごしていました。

 昨年は蔬菜班の班長であった職員が退職され、野菜作りについて詳しい班員がおらず、とても苦労したことを鮮明に覚えています。それはもう失敗の連続で、野菜の病気や害虫対策が遅くなってしまいメロン、キュウリが全滅。種まき、植え付け時期が分からず適当に植えてしまった結果、凄まじいほど苦みのある立派なとう立ちレタスが完成。野菜の苗をどれだけ作ったら良いのか分からず作りすぎてしまい、週に一度コンテナいっぱいのミニトマトを収穫し、栄養士さんを苦笑いさせる。水やりのタイミングや量が分からず、らっきょうサイズのタマネギと里芋のようなかわいい長いもが完成。それらの失敗の一番の原因は、すべて一人で片づけてしまおうとして時間が足りず上手くいかない負の連鎖でした。言い訳を言うようですが、昨年は私が家庭学校に入職して一年目であり、さらに副寮長まで任され、そちらでいっぱいいっぱいで自由に動ける時間も無く、蔬菜班の班長でもなかったため他の職員の顔色を窺ってしまい作業指示を出すこともできませんでした。結果、収穫量は全体的に少なく不安定で、非常に悔しい結果となりました。

 春から野菜を作りながらも栽培方法を調べながら作業はしていましたが、野菜作りのシーズンが終わってからも、本やインターネットを使い野菜一つ一つの栽培方法を徹底的に調べ上げ、失敗の原因と改善方法をまとめ、また私一人だけではなく、全員の力を合わせて成功させようという気持ちも大切にし、万全の体制で今年の蔬菜班に臨みました。真冬のうちから春の種まき、育苗が本当に楽しみで、実際に始まってからは新しい芽が次々に出てくる様子を見て非常に嬉しかったことを覚えています。三月までは順調に育苗が進んでいましたが、四月の下旬に夜間、温床のストーブをつけ忘れてしまい、いくつかの苗が枯れてしまうという失敗がありました。苗数で見れば全体の数%程度の小さな被害であり、新しく苗を買ってしまえば済む話ではあったのですが、やはり自分で種を播き、弱弱しい小さな新芽が産まれた瞬間から見ていたため一つ一つの苗が自分の子の様に大切で、非常に悲しく、しばらく落ち込んでいました。それからも、完璧と思えるほど勉強をしたつもりだったのだが、次から次へと小さな問題と失敗が続き、野菜作りの奥深さを思い知らされました。今回、ひとむれの原稿を書いてほしいと頼まれた時に、蔬菜班の事を書こうと思い今までのことを思い出していた時に、ふと「どうして私はこれほど必死になって野菜を作っているのだろう」と考えました。建前として、子ども達に野菜作りを通して自然を経験してもらうであるとか、野菜嫌いを克服してもらうためであるとか、そんな事を書いて最後にまとめたら良いか。と軽く考えていましたが、この原稿を書いているうちに、思ってもいないことを書くことに抵抗を感じてきました。正直に今の私の気持ちを言うのだとすれば、子どもがどうであるとか、施設職員であるからこう考えるべき、というのは本当にどうでもよくて、何よりも「おいしい野菜を作って自分で食べたい!」「その野菜を誰かに食べさせて、あまりのおいしさに驚かせたい!」ただそれだけでした。作業班学習という時間を利用してただただ私自身のわがままと欲望のために班員を付き合わせていますが、その分私も頑張って作業しているし、いいかな、と思いながら子ども達と一緒に野菜を作っています。今年こそ成功させ、建前では蔬菜班として、本音では私自身の欲望も含めてこれからも頑張っていきたいと思います。

2022年06月号

交流人事での経験

望の岡分校教諭 永田健司

 本年度の人事異動で紋別高等養護学校での2年の勤務を終え、この学校に赴任することとなりました。今まで中学校と高校での勤務を経験しましたが、高等養護学校は今までの経験とはまた別の、今までの自分にはなかった感覚が必要なんだということを感じ、大事なことを学んだような気がします。

 今まで私は、授業やそれ以外の場面でも、生徒と接するときの基準は「自分が楽しいかどうか」というところを大事にしてきました。理科の勉強が自分は楽しい、だから子供にも教えたい。この法則見つけたこの人すごくね?してこの法則つかったら、なんでこういうことが起きるのか説明できんだぜ?3秒後この球はこの位置にあって、スピードはこのぐらいって未来のことが予言できてしまうなんて楽しくね?何年後かの何月何日の夜、星がこんな風に見えるはずだ、なんて神様みたいなことも言えちゃうんだ!みたいな。生徒指導についてもやっぱりそうで、大事なことは自分が楽しいかどうかです。学校で誰かがつまらなそうにしていたら楽しくない。声をかけてみて、できればみんなが気持ちよく生活を送れる環境を作っていきたいと思うし、子どもたちにも誰かの苦痛の上に成り立つ楽しさなんてないよねって思って欲しい。そこが中学校と高校を経験してきた私の基本線なような気がします。

 高等養護学校では教科の授業も行いますが、授業の半分近くは学科の作業学習となります。そこでの作業学習は木工や窯業、園芸等学科によってその技術を身に付け就職に向かうという面もありますが、どちらかというと仕事に向かう姿勢を身に付けることに重きが置かれています。学習について違いはありますが、それぞれの特性もあり苦手なことが多いです。ですが、仕事に直接それが関係あるかというと仕事にもよりますが、小学校での学習内容程度ができれば問題ないことが多い。なら、働く人として大切な、長時間作業を続ける体力や、報告・連絡・相談をしっかりできることや、安全に気をつける力、長期間安定して仕事を続けるための基本的な生活習慣などをストロングポイントとして身に付け就労に向け送り出そう、というのが私の感じた高等養護学校的な方針で、確かに生徒が社会の一員として生きていくために必要だと思いました。教科の学習でも、国語では電化製品の説明書の読み取り方や、数学では時刻表の見方、理科では災害時の動き方等普段の生活を送るために必要なことを多く学びます。

 高等養護学校での2年間で、高等養護学校で大事だよなと感じた、「必要だから生徒に身に付けてほしい」と思うことと、今まで大事にしてきた「楽しいからやってみてほしい」ことを同時に成立させることが難しいと思いました。例えば生徒に「困ったときは誰かに相談できることが必要です」ということを身に付けさせるときに、「楽しいからやってみな」とはならない。困って動けないということを自分で認識できる。何に困っているのかが分かる。困っていることの内容的に誰に相談すべきか判断できる。恥ずかしい、しゃべったことない、怖そうだ、そういう個人的な思いは置いといて相談すべき人に話すことができる。んー、どの段階でも、相談できない子が楽しそうに取り組める場面を想像することは難しい。逆に苦痛だと思う。でも必要・・・。

 「将来の自分には必要な成長だ。成長した自分が楽しみだから、今目の前にある辛そうなこの課題に取り組んでみよう」。できるかどうかわからないけれど、そういうふうに生徒が思えるような接し方ができるように、望の岡分校で生徒と向き合っていければと思います。

2022年06月号

児童の声

石上館 中三 S・石上館 卒一 R・掬泉寮 中三 S・掬泉寮 中三 S

「校長杯を終えて」

石上館 中三 S

 ぼくは、はじめての校長杯でした。1日目は、ソフトボールとキックベースがありました。ぼくはソフトボールをたいいくのじゅぎょうでしかやった事がなかったので少しふあんだったけどやってみたらよくもわるくもないせいせきだったと自分では思います。

 つづいて話すのはキックベースです。キックベースは、そんなにとばないと思っていたらたまたまホームランがでてうれしかったです。それいがいはたいしていいけっかをだせませんでした。だけどこんどやるきかいがあればいいけっかをのこしたいです。 

 2日目はフットサルとミニバレーです。ミニバレーにかんしては、そんなにやる気なく元気もなかったのでミニバレーの話はしょうりゃくします。つづいてはフットサルです。1回戦目はしょくいんチームとのたいけつでした。その時ぼくはキーパーをしてました。ぜんはんはちょうしよくゴールキーパーをできました。そのおかげでぜんはんは、1対0とかっていました。ですが、こうはんせんでは自分がへただったせいで0対2になりまけてしまいました。すこしくやしかったです。2回戦目はきくせんりょうとたたかいました。その時ぼくはせめやくのフォワードでした。しょくいんチームあいてにあっしょうしていたきくせんりょうだったので少しふあんでした。でもそのきくせんりょうあいてに2点自分がとれたのでよかったです。


  「思い出にのこった潮干狩り」

石上館 卒一 R

 僕は、五月七日に潮干狩りに行きました。その時に思い出にのこっていることを、三つ書きたいと思います。

 一つ目は、風の強い中で食べた昼ごはんです。なかなか強い風の中でごはんを食べることはふだんは、あまりないことなので思い出にのこりました。

 二つ目は、潮干狩りをしている時のことです。僕は、潮干狩りに行くのは、今年で二回目でした。去年は、ぜんぜんアサリが採れずアサリの数よりカニの数の方が多かったです。でも今年は、かなり多くアサリを採ることができました。あまり場所を移動せずに、一回アサリがでてきた周りを探すとたくさん出てくることが、わかりました。思っていた以上に採れたので良かったです。

 最後の三つ目は、採れたアサリで作った料理です。かなりの量を採ることができたのでアサリの味噌汁や酒蒸しなどにして食べました。自分や寮のみんなで採ったアサリなのでいつもよりもおいしく感じました。とても思い出にのこるような経験ができてとてもよかったし楽しむこともできました。

 


  「桜が無かった花見の会」

掬泉寮 中三 S 

 

 花見の会ってなんだろう?と考えているうちに花見の会が、やってきました。桜はみごとにちっていましたが、僕は、桜より食べる事にしか、きょうみがありませんでした。太巻きみたいのが、でましたが、その中でも、焼きそばとアスパラが入ってる太巻きが、自分的には一番好きでした。ほかにもくし団子などがでましたが、その日はとても太陽が出ていて、すごく暑かったので、少し置いていたらとけてぐにょぐにょになってしまいました。ちょっとざんねんでした。出し物は、石上とかぶってしまいましたが、それぞれの良さがでていて良かったです。石上の出し物では、司会のS君が、とても司会がうまくて、笑いもとれていて、石上全体のふんいきがすごく明るい感じだったのが、印象的でした。そして、最後にかたづけをして、花見の会は終わりました。最初は、暑くてめんどくさいと思ってましたが、始まってみればあっというまでした。これからも家庭学校の行事は、たくさんあるので、めんどくさい行事もまずは、やってみようと思います。


  「つらかったマラソン大会」

掬泉寮 中三 S 

 ぼくは、この春季マラソン大会でうれしかったことと、がんばったことを書く。

 まず、がんばったことは人生で初めて五キロメートルを走ったことだ。なぜがんばったかというとまわりのみんなが、がんばって走っているのに自分だけ途中で離だつするのがいやだったのもあるし、先生や友達がいっしょに走ってくれているのに途中でとまるのがいやだったこともあった。

 うれしかったことは、五キロメートルを走りきったことだ。なぜ五キロメートルを走りきってうれしかったのかというと、小学校の頃でも二.五キロメートルも走りきれなかったのに、先生や友達がいっしょに走ってくれたこともあり五キロメートルを走りきれた。走りきった時達成感もすごかったし給水する時いがいには、止まらなかったからすごくうれしかったし、がんばったかいがあると思ったしみんなが、「おつかれさま~。」や「がんばったね~。」という声がきこえてきてほめてくれたことがとてもうれしかった。前いた学校では、走りきってあたり前みたいなかんじで、やる気もでなかったしあまりやりたくないと思っていたけども、五キロメートル走りきれてぼくは、本当によかったし、秋季マラソン大会を走りきる自信もついたので今回初めてだったマラソン大会は、かなりいい思いでになった。

 これからも、マラソンだけじゃなく勉強や作業もがんばっていこうと思った。