このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2021年06月号

「森の学校の思い出」

校長 清澤満

 約三年ぶりの皆既月食は、地球に最接近するスーパームーンと重なるということで注目を浴びました。

 五月二十六日の夕刻、子ども達は夕食後からソワソワしています。南東の空に浮かぶ月を家庭学校の森が邪魔をするので、各寮それぞれが見やすい場所に移動して月食を楽しんだようです。次にスーパームーンの状態で皆既月食が見られるのは十二年後になるとのことです。

 この日同じ空で見つけた流れ星に「早く退所できますように」、「コロナが収まりますように」と願った子どもがいました。決して望んで来たわけではない家庭学校の日々。十二年後、大人になって見上げる皆既月食の空にどんな思いを馳せるのでしょうか。

 残念なことに今年もコロナが運動会シーズンを直撃しました。感染拡大に歯止めのかからない道都札幌を対象として五月九日からまん延防止の重点措置が講じられ、その僅か一週間後の十六日には北海道全域に緊急事態宣言が出されました。感染力が強いと言われている変異ウイルスの影響もあってか、五月二十一日には全道で七二七人とこれまでで最も多い新規感染者が確認されました。緊急事態宣言下にある北海道は、道民に不要不急の外出や移動を控えるよう呼びかけ、運動会や修学旅行などの学校行事の中止・延期・縮小を要請しました。

 家庭学校は当初、昨年の経験を踏まえて感染防止対策を講じた上、例年どおり地域の皆様をはじめご支援いただいている多くの方々にお越しいただく予定でした。しかし、状況が刻々と変化する中、止むなく規模を縮小してお昼までに終了することとし、保護者の方のみ来場していただくことにしました。

 その後、緊急事態宣言期間の延長が確実となったことから、分校の校長先生と協議の上、更に種目の見直し等も行いました。小学校分校の里見校長先生から「この時期の運動会は、クラス編成後の連帯感や児童生徒の仲間意識を高めるために重要な意味を持つ催し」とのお話しがあり、私自身もこの時期に運動会を行うことの意義を再認識しました。

 私が子どもの頃の運動会は、学校は勿論のこと地域を挙げての一大行事で、子ども達はてるてる坊主をぶら下げて翌日の晴天を願ったものです。運動会が子ども達にとって楽しみな行事であることは時が経っても変わらないことでしょう。親御さんもまた一生懸命頑張る我が子の姿を楽しみにされていると思います。

 コロナ禍の下、万全の対策で行う運動会が子ども達と親御さんにとって良い思い出の一つとなることを願っています。

2021年06月号

新しい生活を迎えて

掬泉寮寮母 藤原美香

 先月号の報告で、家庭学校に新しい職員が着任し、寮舎が減ったことはひとむれを読んでいる方々はご存じだと思います。家庭学校の寮舎が3寮から2寮になり、その上夫婦で運営するのは私たちが担当する掬泉寮のみになってしまうことに、新年度を迎えるのにこれほどまで緊張し、見通しが持てない年があっただろうか、と思うほどに不安な日々をすごしていました。  

しかし、3月中に掬泉寮から退所する子を5名抱えていた私たちには不安になっている暇がないほどあっという間に日々はすぐに過ぎていきました。退所生がいなくなると生徒は3名となり、残った生徒で一番の年季者が入所5か月というフレッシュな子たちが不安そうな顔でいました。そして、元石上館の生徒4名を転寮という形で受け入れたのが3月24日の夕方でした。バタバタと生徒の引っ越し作業が終わった後、薄暗くなり始めた食堂に電気を点け、寮生全員を集めて新しい寮の始まりを寮長と一緒に告げました。特に、これだけはしっかりと伝えよう寮長と話をしていた「石上館から来た子で多い人は3回目の寮長交代、2回目の寮舎変更を経験してきたかもしれない。でも、掬泉寮で全部最後にしよう。私たちが君たちが退所するまで最後まで見守るから」、「一緒に生活していく中で、寮を心地よい場、安心する場にしていくには、それは私たちを含めてここに住むみんながお互いを思いやって、助け合っていくのが大事」ということを寮長から寮生全員に伝えると、皆神妙な面持ちで静かに聞いてくれていました。これまで掬泉寮で生活していた生徒にも改めて伝えたい思いでもありました。同じ施設内の寮舎ではありますが、新しい環境の変化、新しい集団生活が始まり、自分たちはどんな生活をしていきたいのか、一緒に作り上げていこうというメッセージでもありました。

実際、寮生活がスタートしてみると、これまでの不安を吹き飛ばすように転寮生たちは早く掬泉寮に慣れたい、と口にして努力してくれたり、職員へたくさん話しかけてくれたり、今までいた寮生も刺激されたように相手に思いやりを持って接することが増えてきました。自分の作った紙飛行機を貸してくれて一緒に庭で飛ばしたり、寮生全員で外でキャッチボールをしたり、山に散策に行きアイヌネギやタラの芽、ウドなどの山菜採りを楽しんだり、と穏やかな生活が続いています。

約2か月が過ぎ、小競り合いや相手からこんなことを言われた、自分の思い通りにならなかった、等細かなトラブルは時々ありますが、話を聞き、その時の自分や相手の気持ち、どう伝えれば良かったのか等を振り返ることで生徒も日々成長していると実感しています。考える力、実行する力が養われ、自分の気持ちに向き合う、感情を言葉に表す、自分の言葉で人に伝える、気持ちを切り替える時間が短くなってきた、と成長が見えてきました。その成長の要因として、安定した穏やかな生活を送っているからこそ、自分の目指したい生活のモデルを体験し、プラスとなる行動が身に付き、自分自身に向き合う余力ができているのではないかと思います。険悪な生活であれば、その日一日を安心して過ごすことがやっとであったり、トラブルが多いと、何が良くなかったのかを探し出して考えることで精いっぱいですが、安定した生活が送れるようになることで、課題となる部分が明確になり、生徒自身も自分の言動を意識しやすくなっていると感じます。

4月から新しい職員も増え、私自身も相手に伝えること、よりよい職場環境とは何かを考える機会が増えました。生徒に伝えている相手への思いやりや手助けという部分では、自分自身が十分にできていない、と反省する日々ですが、寮生が「先生の負担が少なくなるように、僕を頼ってください」と言いに来てくれた時は、涙をこらえるので必死でした。相手を思う気持ちを言葉にする、態度で示すことでこんなにも心に直接響くことを再認識した瞬間でもありました。新しい生活がスタートし、これからも、より良い生活を目指して一緒に暮らす仲間、職員と力を合わせていきたいと思います。

2021年06月号

『北海道家庭学校で生きていく』という選択

児童自立支援専門員 平野伸吾

 今年の四月より北海道家庭学校にて児童自立支援専門員として働かせていただいております、平野伸吾と申します。二〇二一年三月まで埼玉県にある国立武蔵野学院附属人材育成センター養成部におり、第七十四期生として卒業しました。

前職は国際協力系のNPO法人で働き、農村開発事業のためインドの地方都市「プラヤグラージ市(旧アラハバード市)」に四年間ほど駐在していました。現地では主に農村にて活動を行い、主に貧困農家や女性、子どもを対象として収入向上・有機農業の普及・教育支援・女性の地位向上支援などを行ってきました。インドの農村地域では、現在でもカースト制の名残や男尊女卑の考えが強く、衣食住が整わない人々、差別や暴力、弱い立場への搾取、一週間後も無事に生活できるかわからない環境、など混沌とした社会の中で生きていくインドの農村の人たちの姿を見てきました。

一方でインド駐在中には、日本での千葉県野田市や東京都目黒区等の児童虐待の報道(当時)が大きく取り上げられていました。当時の私は「外国で支援を行っているのに、自分の国(日本)の子どもたちがなぜ不幸な目にあっているのだろうか」「(インドに比べて)衣食住が整いやすい日本において、どうしてこのような悲しい事件が起こるのだろうか」と感じ、児童福祉の業界へ行くことを決意しました。

 帰国後、国立武蔵野学院の養成部にて一年間の研修を受け、同期・先生・子どもたちから児童自立支援施設の在り方や熱意を教えていただきました。そしてこの伝統と歴史のある北海道家庭学校の存在を教えていただき、勤める機会もいただき、現在にいたります。

入職から一か月ほどが経ち、日々の生活がとても楽しく感じています。子どもと生活を共にすること、大自然の中で共に作業をすること、手作りの料理や自然の恵(野菜や牛乳など)を頂けること、どれも現代の社会では中々できない経験をさせていただいています。時には慣れない環境のため、体力面で厳しい時もありますが、それ以上に多くの刺激を仕事や生活を通して学ばせていただいております。

生活や仕事の面で不安なこともありますが、一つひとつの経験を学びに変えて自分自身の成長にもつなげたいと思います。また将来的には、私の外国での経験を子どもたちの支援にも活かしていきたいと考えています。現代は国際社会であり、多種多様な生き方が当たり前となっています。「世界には様々な人々がいる」「お互いをリスペクト(尊重)しながら生きていくことが大切」そんな想いを私の経験から子どもたちに伝えていきたいと思っています。もしかすれば、このような願いが、将来、子どもたちにとって大きな励ましや広い視野を持つこと、自身の前向きな生き方に繋がるのではないかと期待をしています。

私自身もまだまだ未熟ではありますが、この北の大地で子どもたちと共に成長できるように努めて参ります。

2021年06月号

邂逅

教諭 吉田幸作

――ここはいったい何なんだ?

望の岡を初めて訪れたときの衝撃を、私は今でも忘れない。分校の存在は知っていた。特殊な学校であることも聞き及んでいた。私は望の岡を人里離れた牧歌的な学校というイメージに仕立て上げ、実際のところを知ろうともしなかった。3月下旬、足を踏み入れた先に驚きの光景が広がっていた。敷地内にはいくつもの山並みが萌え、牧草地や山林が広がり、川が流れ、狐が闊歩していた。寮や牛舎、博物館、教会など多様な建物が点在し、凸凹の山道を上った先に校舎が見えてきた。まさに、別世界であった。

働き始めてからも驚きは続く。職員室に小学校、中学校、家庭学校の3種の職員が入っている。毎日給食を食べに山を下り、月1回開かれる誕生日会ではファミレスで出るような豪華な食事にありつく。週に3回作業班学習と称して、生徒と教員が一緒になって汗水たらし、野良仕事に精を出す。従来の野外活動のイメージを払拭する本格的な仕事の数々――全く枚挙にいとまがない。教員生活11年目を迎えた私だが、これまでの教育観は見事に粉砕され、戸惑いばかりが頭をもたげた。

それから数カ月が過ぎ、私は確信している。望の岡は子どもの「生きる力」を育む場所だ、ということを――。本校の子どもたちはどの子も礼儀正しく、しっかりと挨拶ができる。一日に何度も子どもたちから「ありがとうございます」と言われる。給食前は目を閉じ静かに祈りを捧げ、好き嫌いをせず黙々と食べる。残食もない。午後の作業班学習を終えて、疲れの色を隠せない私とは対照的に、子どもたちは清々しい表情を浮かべ、活力にあふれている。ただ単に体力の問題ではないだろう。彼らは作業を通して、大人以上に働くことへの純粋な喜びを体感しているのだ。彼らは、他にも夕作業や翌朝の朝作業がある。本当に頭が下がる思いだ。

望の岡の子どもたちを見ていると、横並びに授業を受けることが教育の正解ではないことを教えられる。複雑な事情を抱えてやって来た子どもたちに必要なのは、当たり前に受ける教育ではなく、生きていく力を身に宿す教育だ。それは、家庭学校と分校の職員が密接に連携して成立している。特に、分校職員である私は、共に生活し指導している家庭学校職員に対して尊敬の念に堪えない。そのご労苦は、毎朝拝見している寮日誌にありありと顕れている。

私にとって望の岡での生活は、自身の指導を見直すきっかけとなった。自省の意味で告白すると、ここ10年間私は常に時間に追われ限られた時間でいかに効率よく授業準備、学級・学年経営、分掌の仕事、部活動指導を成し遂げるかに傾注してきた。原点に立ち戻り、子どもたちの気持ちに寄り添う指導、分かりやすく楽しい授業、個に応じてそれぞれの力を高める学習指導を作り上げていく。そうして、より深みのある教師になれるように研鑽を続けていこうと決意している。

 

2021年06月号

〈児童の声〉

石上館 中二 K・掬泉寮 中三 R

  「マラソン大会を終えて」

石上館 中二 K
 

 僕は、昨年のマラソン大会のこと、そして今年のマラソン大会のことについて変わったこと、どのようにして完走したのかを書きたいと思います。

 1つ目は、昨年のマラソン大会への感じ方、実際に走った時に感じたことです。昨年のマラソン大会は春と秋2回ありましたが春はイヤでイヤで仕方なく、絶望状況になるほどでした。何もできないまま春が終わってしまい少し後悔して自分がかっこ悪くなってしまいました。そのまま心残りがある中で秋が来てしまいました。そして秋はイヤながらも何とか走ることができましたが、あまり気分は良くなく、そして最下位のゴールでした。タイムも周りとは大幅に離れてしまい気持ちも自分はできないと感じるようになりました。それ以来マラソンは苦手意識が強くなり、二度とやりたくないと思ってしまいました。

 2つ目はどのように体力がついたのかです。僕は昨年のマラソン大会の他に作業やスポーツをいろいろとやっていました。けれどもなかなか気乗りしない日々が続きました。時には重たい物を持ったり、じみちなことを何日間にもわたって行ったりとつらく大変なことばかりで体も気持ちもつかれていくばかりでした。しかし、いつの間にか毎日の作業やスポーツをコツコツと取り組んでいくうちに少しずつ気持ちもがんばれるようになり、体も今までとは違い、体力も力もついてきて作業がやりやすくなりました。スポーツも動きが少しずつ分かることが増え、さらに実せんできるようにもなりました。自信がかなりつき、毎日の作業もやっていて良かったと思います。今では好きになりました。

 3つ目は昨年と今年を比べマラソン大会に対する感じ方と取り組み方の変化です。僕は昨年の走りと比べて感じ方が2つ変わりました。1つは、イヤでなくなり苦手意識も弱まってきました。体力に自信がついたため、昨年とは違う走りができるのだと思い、自信がついて気持ちにも少しだけ余ゆうができました。2つ目は昨年では経験できなかったことです。それは、周りがしてくれている気づかいの大切さです。今回は先生方も僕の横について走ってくれました。そして周りがひたすらに応援してくれました。もしこの2つのことがなければ僕は完走できなかったと思います。走りながらも横で「がんばれ」、「あと少し」などと声かけをしてくれました。そのことにとても感謝しています。そしてかく地点で応援をしてくれた人たちにも感謝しています。

 最後にマラソン大会を終えた時とこれからについてです。終えた時は昨年とはあきらかに違うと自分でも実感しました。最終的には最下位でも今までとは違うということが周りに伝わったのでそれが一番良かったです。これからはマラソン大会が次ある時はさらに上位に入れるようにしたいのと今度は一人でも気持ちを保ち完走できることを目標にしたいです。マラソン大会のことを活かして、まだできないことをできるようにしたいです。期日を守ることや切りかえをすることはとても大切です。マラソン大会でがんばれた変わったことを活用して色々な場面で応用して行きたいです。


  「潮干狩りに行って」

掬泉寮 中三 R
 

 僕は今回初めて潮干狩りに行きました。昨年は、コロナの関係で行けず残念でした。でも今年は行けると聞いてとても嬉しかったです。潮干狩りが始まって開始三十分近くは、一個も取れずにいて諦めかけていました。それでも頑張って掘っていると、一個、二個と見つかりはじめて、最終的に三十六個取ることができました。この潮干狩りはもちろん楽しかったですが、中でも心に残っているのが寮のみんな、そして先生方と昼食をしたことです。楽しい事に楽しい事が重なると、とても気持ちが良い事に気付きました。今回、このように行かせてくれた先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。こんな経験ができるのは、家庭学校だからこそだと思います。そして寮生活につながる事も盛りだくさんだし、今回の潮干狩りに関しては、畑の石拾いにも役立ち、とてもやりがいを感じました。一番の思い出は、とにかく楽しくできた事です。これからも、色々なことに今回みたく、関心の輪を広げていきたいと思います。