このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2019年12月号

「自立と依存」

校長 仁原正幹

 家庭学校の森はすっかり初冬の様相に変わりました。木々の葉が落ち、時折白いものが舞っています。気温がマイナス十四度まで下がった朝もありました。日が短くなり、起床時には仄(ほの)暗(ぐら)く、夕作業の途中からは真っ暗になってしまうので、子ども達にとっては厳しい季節を迎えています。午後の作業班学習の時間、木枯らしが吹き荒(すさ)ぶ中、子ども達に寄り添い励ます家庭学校と望の岡分校の先生方の姿を見て、大変心強く感じています。

 これからのシーズンは家庭学校全体が雪に閉ざされてしまうので、野菜や花を育てる屋外の作業が一段落したところです。家庭学校と望の岡分校では一年間の収穫を感謝するとともに「作業班学習」を総まとめする意味で、毎年十一月の勤労感謝の日の前後に『作業班学習発表会』を開催してきています。今年も二十一日、二十二日の二日間の日程で開催され、会場の音楽室には全校生徒と教職員が勢揃いしました。児童相談所や原籍校の先生方など多くの関係の皆様にも参観と激励に来ていただきました。今年は近年になく児童数が多く、音楽室は丸二日間熱気に包まれました。

 二十七人の生徒が一人一人別々のテーマで発表をしましたが、どの発表も日々の実践に裏付けられた専門性の高い、内容のあるものでした。最年少の小学三年生は、舞台の袖で黒子役に徹しながら小声でアドバイスを送る望の岡分校の先生に頼りながらの奮闘でしたが、彼の持ち味を十分に発揮した立派な発表でした。 詳細については、「収穫感謝特集号」という印刷製本した冊子でご紹介させていただきますので、暫くお待ち願います。

 近年家庭学校にやって来る子ども達の多くは発達障害を有しており、同時に被虐待経験等による愛着障害も有していると、私は考えています。大人が信じられない、素直な気持ちで頼ることができない、そういう子ども達が大勢います。家庭学校と望の岡分校の先生方と子ども達の様子を見ていて、私は時々今は亡き河合隼雄先生の言葉を思い出しています。

「そもそも人間は何かに依存せずに生きてゆくことなどできない。自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、それに感謝して生きることではなかろうか。依存を排除して自立しようとする人は、自立ではなく孤立になってしまう。」

(河合隼雄『こころの処方箋』から引用) 今年も全国の多くの皆様から家庭学校と子ども達に温かなご支援をいただきました。心より感謝申し上げます。

2019年12月号

平成の施設整備

副校長 清澤満

 昭和五十四年末の谷昌恒校長時代に建てられた給食棟の全面改築工事が大詰めを迎え、十二月上旬に完成の予定です。新しい給食棟の建設場所は今の給食棟に隣接しており、昼食時間には、杭打ちや鉄筋の組み立て、屋根や外壁工事など建物が徐々に出来上がっていく様子を子ども達と一緒に見てきたので、いよいよという感じがします。濃い茶色の三角屋根に木目調の外壁が調和して落ち着いた雰囲気の建物となりました。北東側には昨年植樹した国沢林のエゾヤマザクラが一望できるようにウッドデッキを設けました。また、南東側の窓からは神社山に放牧された牛たちがのんびりと時を過ごす様子をこれまでよりも少し近くに眺めることが出来ます。

 校祖留岡幸助先生が説いた三能主義に「能く食べ」とあるように、私達は「食」を大切にしています。美味しい食事は身体と、心にも栄養を与えます。月曜から土曜の毎日、子ども達と職員が昼食を共にしてきました。公教育が導入されてからは分校の先生も一緒です。家庭学校の日課の中で昼食は皆が一堂に会する大切な時間であり、給食棟はそのための大切な場所なのです。これからも家庭学校で穫れた旬の野菜をふんだんに使った食事を皆で一緒に楽しみたいと思います。

 十二月二十二日(日)には日頃から家庭学校を応援してくださるお客様をお招きし新しい給食棟のこけら落としとしてクリスマス晩餐会を開催します。新給食棟は、開かれた施設の象徴として、また、礼拝堂とともに家庭学校のランドマークの一つとして、来校される皆様に四季折々の姿を見せてくれるでしょう。

 四〇年もの間、子ども達の成長を見守ってきた現給食棟は来年三月までに解体撤去の予定で、その跡地には広い駐車スペースが確保できます。地域に開かれた施設としての用途をさらに考えていこうと思います。

 平成の時代に計画した建物の改築や大規模修繕は、平成十三年の向陽寮の改築に始まって、公教育導入に向けての本館大規模修繕(十九年)、掬泉寮改築(二十三年)、楽山寮改築(二十四年)、樹下庵改築(二十五年)、石上館改築(二十六年)、そして時代を跨いで令和に完成した新給食棟と続きました。これだけの施設整備を自主財源だけで賄うことは到底できません。国庫補助や道費補助はもとより、地元遠軽町からも財政支援を頂いているほか、多くの皆様からのご支援により子ども達の生活環境や教育環境が格段に向上してきました。改めて皆様に心から深く感謝申し上げます。

 大規模な施設整備は今回の給食棟でひと段落しましたが、他にも財源確保を図りながら整備してきた建物があります。

 子ども達が定員の八十五名一杯に入所していた頃は七寮がフル稼働していましたが、現在は全面改築した石上館、掬泉寮、楽山寮の三寮を一般寮として、柏葉寮は輪休対応寮として、高校生寮だった向陽寮は輪休対応のほか家族交流やセミナーハウスとして使用しています。他の寮舎は、老朽により平成二十五年以降休寮していた桂林寮を家庭学校創立百周年の際に博物館に改修したほか、平成二十七年以降休寮していた平和寮は昨年度バター・チーズ工房に改修しました。また、洗心寮については、改修の必要性を検討した上、輪休対応寮として再開の予定です。何れも相当古い建物ですが、それぞれに役割を持たせて今後も必要な修繕等を行いながら維持していく考えです。

 寮舎以外では、職員住宅の建築(二十六年)や教室確保のための本館増築(二十七年)のほか、心理療法や個別対応室の設備・機能を備えた樹下庵の機能強化のための一部改修(三十一年)等を行ってきたところです。

 来年度は、築後百一年目を迎える礼拝堂の修理を予定しています。礼拝堂裏手の土台や羽目板に腐食がみられ、また、屋根や外壁も前回の塗装から相当期間経過し、老朽化が進んでいます。北海道指定有形文化財としてできるだけ良い状態で保存し、毎年町内外から来られるたくさんの方々にこれからも気持ちよく見学していただきたいと考えています。

2019年12月号

「ワンチーム」の一員として

企画総務部主任 加藤留美

 先日のラグビーワールドカップから私は、ラグビーのファンになりました。

トライに至るまで、選手たちがボールを繋ぐチーム力。最後まであきらめない忍耐・粘り強さ。礼儀正しさ。正々堂々戦うフェアプレー精神。特に、リーチ・マイケル選手の目配りの利いた身のこなしに惹かれました。その素晴らしさは誰もが認めるもので、彼がボールを持つと観客席から「リーチ」コールがスタジアム全体に響き渡るほどでした。

そのように頼りになる人が、私の身近にもいるのです。

家庭学校はとても敷地が広大です。これからの冬期間は寝る間も惜しんで夜中から除雪機を動かしてくれる人。野菜が不足する季節なので、寮の畑で収穫・保管していたものを給食棟に届けてくれる人。夏には、通常作業とは別に除草作業を買って出てくれる人。他にも校内・敷地内の美化に努めてくれる人。職員の心遣いが気持ちの良いものです。

 率先して気が付いたことに手を伸ばしてくれる多くの人たちが、苦労を厭わず力を注ぎ支えてくれています。にもかかわらずその人たちは、驕ることなく不平不満を言うこともありません。それはまさしく「有難」の姿。

ラグビーでよく使われる「一人はみんなのために、みんなは一つのことのために」という言葉を体現しているようです。ということもあり私は、この度のラグビーの試合に力が入り、応援していたのかもしれません。

当然のことながら、望の岡分校の先生方も児童への指導はもちろん、校内の安全・管理・衛生面等からお気付きになられた不具合を伝えていただきながら、さりげなく手を加えた協力的な対応をしていただき、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。そのような先生方のご指導のもと生活している児童たちにも、その思いやりの心や信頼感、感謝の気持ち等が、確かに伝わっていると感じます。

事務職の私は、児童と関わることがあまりありませんが、先日、児童が使える丁度よい事務用品が事務室にあり、担当の先生が持って行かれました。その時に事務室からもらってきたと伝えてくれていたのでしょう、それを覚えていた児童は、私と廊下ですれ違う時に「ありがとうございました。こんな風に使っています。」と、ポケットから出して見せてくれました。私もうれしくなり「まだまだあるからどんどん使って勉強頑張ってね。」と言っていました。お礼の気持ちを伝えるという気遣いのできる、気持ちの良い児童だと思っただけで、こちらまであたたかい気持ちになりました。

そのように感じると同時に、私も児童の手本となれるよう、規律を守り、相手を敬い、協力し合い、言動に責任を持ち、家庭学校の「ワンチーム」の一員として良い動きをしていかなければと思っているところです。

もう少し家庭学校「ワンチーム」のお話をさせていただくならば、町内、地域の方々、全国に広がる後援会、そして「ひとむれ」をご覧の皆様の心強いお力添えがあり、いつも大変有り難く思っております。これからも今まで同様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年12月号

〈児童の声〉

掬泉寮 中二 R・石上館 中三 K・掬泉寮 中二 K

※編集者から

 今月二十日、札幌交響楽団のコンサートマスターでバイオリニストの大平まゆみさんが、難病の筋萎縮性側索硬化症と診断されたことを明らかにされました。

 大平さんには、平成二十六年に札幌で行われた家庭学校の創立百周年記念チャリティーコンサートでお世話になったことがきっかけで、今年の八月末には、礼拝堂での三度目となるコンサートを開いていただいたばかりでした。

 大平さんが難病と知った子ども達が応援の気持ちを作文にしました。

  「音楽は楽しい」

掬泉寮 中二 R

 僕は、大平まゆみ先生の演奏をこの施設に来て初めてききました。バイオリンをひいている大平まゆみ先生は楽しそうな顔でひいていましたね。楽器は人の心をうごかす、すごいものだと思います。自分は元クラリネットをやっていてここではフルートを吹いています。音楽は人を楽しませてくれるものだと思います。

 大平まゆみ先生は難病とたたかっていて、それでもこの家庭学校で演奏をしてくださって本当に強いおかただと思います。札響を退団したのはつらい思いだと思います。ですけど、ソロ活動をしていて、やっぱり好きな音楽はやめられませんよね。僕もおなじで音楽からはなれることができません。音楽は、心の薬とも言われています。なので大平まゆみ先生は難病に勝つと思います。なのでALSという病気には勝ってください。また、演奏がききたいです。だからがんばってください。応援しています。

  「幸せをありがとうございます」

石上館 中三 K

 

 お久しぶりです。前に大平さんの演奏を聞かせてもらいました家庭学校の生徒です。この度は、本当に驚きました。僕は普段、新聞などをあまり読んでいないので、事を知ったのは、少し後でしたが、最初はなんのことだか事態を把握しきれませんでした。つい最近あんなにもキレイでうっとりするような音色を奏でて下さった大平さんが、ご病気なんて…。それから思い返してみると、胸が痛くなりました。あの時、風邪を引いてしまい声が出にくいとおっしゃっていました。違ったら申しわけありませんが、僕の読んだ新聞の記事には、今年三月頃から声の調子が悪くなり、八月ごろには会話が困難になっていた、と書かれてありました。あの演奏会が開かれたときは、もう八月をまわっていたと思います。そんな中でも、大平さんは僕たちのために頑張って下さいました。とてもすごいことだと思います。心から尊敬します。

 僕自身、将来映像を使って、多くの人を幸せにできたらなと思っています。今回大平さんは、自分が苦しんでいる中でも、家庭学校に幸せな時間を提供して下さいました。本当にありがとうございました。くどいようですが、普段から、色々な場所で演奏活動を行って、みなさんに幸せを届けている大平さんなら、何があっても大丈夫です。早くお元気になって、みんなに幸せを分け与えて下さい。頑張って下さい。

  「遠くから応援しています」

掬泉寮 中二 K

 

 大平まゆみさんは今、筋萎縮性側索硬化症(ASL)と診断され、とても大変な状態にあると知りました。

 大平まゆみさんは、それを明らかにし、札響を退団すると発表しました。

 また、「バイオリンはできるところまでやりたい」ことや「患者さんたちと寄り添えないかも考えたい」と話したことから、大平まゆみさんの優しさが、ものすごく伝わりました。ALSは、筋肉が徐々に動かなくなってしまい、身体が不自由な状態であるにもかかわわずこれらをしたいと言うことから、とても伝わってきます。

 今年、カゼでのどの調子が悪い中、家庭学校まで来て演奏して下さって本当にありがたいです。僕も将来、大平まゆみさんのように優しい人になりたいです。

 これから、大平まゆみさんがおっしゃったように、できるところまで、バイオリンを頑張ってください。遠くから応援しています。