ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2019年10月号

「百五年目の創立記念日」

校長 仁原正幹

 秋晴れの九月二十四日、北海道家庭学校は全校生徒と役職員、さらにはお客様にも参加していただき、百五年目の創立記念日をお祝いしました。第一部は十一時から礼拝堂で、第二部は正午から給食棟で、皆で楽しく充実した時間を過ごすことができました。

 以下、礼拝堂での校長講話の概要を記させていただきます。

    ○

 北海道家庭学校百五年目の創立記念日

のお話をします。今日は台風一過で素晴らしい秋晴れになりました。平和山の上から留岡幸助先生が私達を見守ってくださっているのかなと想いながら、今私は礼拝堂まで歩いてきました。幸助先生が一九一四年(大正三年)にこの遠軽の地に北海道家庭学校を開設されてから、今年が二〇一九年ですから、百五年目になります。私達の北海道家庭学校には長い歴史と素晴らしい伝統があります。

 今日のこの創立記念式には、普段家庭学校で活動している生徒の皆さんと我々職員のほかにも、家村理事長先生をはじめいつも家庭学校にお力添えをいただいている多くの皆様にも参列していただいています。お忙しい中、ご出席をいただきまして、誠に有り難うございます。

 今日は創立記念日なので、少し歴史を振り返ってお話をしたいと思います。幸助先生が北海道家庭学校を開設された当時のことを、ある資料を紹介しながら皆さんにお話しするので、聞いてください。幸助先生は北海道家庭学校開設十年後の一九二四年(大正十三年)に、『自然と児童の教養』という本を著されています。その本の序文の中に、幸助先生が初めてこの地に足を踏み入れた日のことが記されていますので、そこのところを抜き出して読んでみます。聞いてください。

「さて愈々私は大正三年七月下旬に数人の同士を率いて社名淵へと移住した。当時の道路は上野から函館、函館から釧路行きの汽車に乗り、十勝の池田で網走行に乗り換へ、北見の野付牛で一泊して、翌朝一番でルベシベまで行き、そこから山道を十二里徒歩したのである。」

社(しや)名(な)淵(ふち)という地名は昔の名前で、今は留岡に変わっています。百五年前のことですから、当時は当然飛行機など飛んでいません。東京の上野駅から汽車に乗って青森まで北上し、津軽海峡を船で渡って北海道の函館に上陸しました。函館からまた汽車に乗って、函館本線と当時の幹線だった根室本線を経由して、北海道を東へ東へと向かいました。そして道東の帯広を過ぎて、池田というところから今度は池北線という線路に乗り替えて、北見まで来ました。池北線は池田と北見を結ぶ線路でしたが、今はもう廃線となっています。そしてその後、北見から留(る)辺(べ)蘂(しべ)までは、当時「建設列車」という業務用の汽車があったようで、頼んでその汽車に乗せてもらったようです。

 みんなの中で地理の得意な人は頭に道内の鉄道網を思い描けると思うのですが、今だったら石北本線という札幌や旭川とオホーツク地方を結ぶ大動脈の幹線があるよね。当時はまだ石北本線は開通していなかったので、道東の帯広の方を遠回りして、そこから北上したようです。

 因みにこの石北本線は、北海道の屋根と言われる大雪山系を通るので、その当時の技術では工事や列車の運行が難しかったようで、線路の敷設が遅れていたのだと思います。実はこの石北本線については逸話があります。留岡幸助先生とその後(あと)の理事長を務めた国澤新兵衛という人、この人は衆議院議員や満州鉄道の総裁にもなった偉い人ですが、この二人が国に強く働きかけることによって石北本線の開通が早まったということで、オホーツク地域の開発に大変貢献したということが、今に伝わっています。

先程の文章の最後の所で「翌朝一番でルベシベまで行き、そこから山道を十二里徒歩した」とありました。十二里ってどのくらいの距離かわかる人いますか。一里が四キロだから、何と四十八キロも山路を歩いたんだね。昔の人は凄いね。

 もう少し幸助先生の本の文章を読んでみます。

「家庭学校農場は土地を開いて農産物を得るのが目的でない。寧ろ土地を開墾するのは或る事業を営むにつきての手段である。或る事業とは何であるか、教育である。其の教育は処を得ない少青年を教育するのであるから、他の学校の遣り口とは大変相違してゐる。然し教育であるが故に校舎、家族舎、礼拝堂其他の屋舎を建築せねばならぬ。」とあります。

 幸助先生は「まず第一に道路を作ることが大事だ」と考えられて、何しろ今の家庭学校の様子からは想像もつきませんが、この辺り一帯は原生林だったので、鬱蒼とした木々や草が一面に生い茂っていて、とても人が歩ける状態、住める状況ではなかったはずです。そこで幸助先生は、到着した翌日から今の三百間道路の伐開作業に先頭に立って取り組まれたそうです。三百間道路というのは、現在の校門から真っ直ぐ伸びるメインストリートのことを言います。とにかく原生林の中に道を造り、小屋を建て、泉を掘って水を引いて、畑を耕し、先生と生徒が暮らせるように、みんなで一生懸命汗を流して開墾されたのです。百五年前のことですから、重機や電動の機械、ブルドーザーやチェーンソーや刈り払い機などはなかったので、全てが手作業で大変だったと思います。当時の先生方と生徒達の頑張りには、頭が下がる思いがします。

 建物については、この礼拝堂のこともさっき読んだ中に出てきましたが、開墾が始まってから五年の歳月をかけて、地域の人達の協力も得ながら建てられました。木材も石材も全てこの土地で採れた物を使って造られたということが伝わっています。先月、札幌交響楽団の大平まゆみさんのコンサートのときにもお話ししましたが、この礼拝堂は今年ちょうど満百歳を迎えたところです。

 築百年の古い建物ですが、元々がとっても立派な造りであることと、そしてこれまで百年間、生徒や先生方が大事に手入れして護ってきたことから、今でもびくともせずに立派に聳(そび)え立っています。四年前に北海道の有形文化財にも指定された歴史的建造物で、家庭学校のシンボルであり、大事な宝物であり、この地域の観光資源にもなっています。ただし、長い年月の間に経年劣化してきた部分もあるので、屋根や壁を塗り替えたり、一部腐食した壁材などを取り替えたりする修復工事を、築百年を期して行おうと考えており、現在専門家に点検調査をお願いしているところです。

 建物の話をすればもう一つ、みんなも知ってのとおり、現在の給食棟のすぐ裏手に新しい給食棟の建築工事が行われています。今月に入って屋根の形や壁の様子も見えてきて、いよいよ全容が現れてきたところだね。まずは十二月二十三日のクリスマス晩餐会のときに柿(こけら)落(おと)しができるよう、大工さんが十人以上来て急ピッチで工事が進められています。

 現在の給食棟は今からちょうど四十年前に、第五代校長の谷昌恒先生の発案で建てられたものです。それまで朝昼晩三度の食事は全てそれぞれの寮で寮毎に摂られていましたが、今の給食棟ができてからはお昼は全校生徒と先生方が一堂に会して、みんなで和気藹々(あいあい)の中で食べることができるようになりました。毎月の誕生会やクリスマス晩餐会などの会場としても活用される大変大事な場所です。今日この後(あと)創立記念の昼食会も給食棟で行われます。百五年の歴史の中で四十年間愛用されてきた給食棟が、今、新しい形に生まれ変わろうとしており、私としても感慨深いものがあります。

 今日は建物のことなどを中心に、北海道家庭学校の長い歴史の中のほんの一齣(こま)に触れたわけですが、大先輩の先生方や生徒たちの営々とした努力、頑張りによって、北海道家庭学校の歴史と伝統が作られ、いろいろなものが財産として伝わって、今日(こんにち)私たちがここで勉強したり、生活できていることを皆さんに知っていただきたいと思い、お話ししました。

 これからの家庭学校の歴史を作り、伝統を守っていくのは、今ここに居る私たち、生徒と先生方です。創立記念の日に当たり、そのことをしっかりと心に期したいと思います。

 今日は家庭学校の歴史を顧みながら、生徒一人ひとりが今一度自分を見つめ直して、今ここで過ごす意味をしっかりと考える、そういう一日にしてほしいと思います。創立記念日のお話を終わります。

2019年10月号

家庭学校と合気道について

自立支援部長 楠哲雄

 白滝村(現在は遠軽町白滝)は合気道の開祖植芝盛平翁が若き頃に入植された地で、開祖ゆかりの地の一つであります。そこで家庭学校の校祖留岡幸助先生との出会いがありました。開祖はご子息である植芝吉祥丸二代道主に「留岡幸助先生を大教育者として尊敬していた」と語られていたようです。そのことを知った遠軽合気会の吉野政明先生は、人間性の向上をその道を通じ研究、開発、実践され啓蒙されてこられた開祖と校祖の二人に共鳴、共感し、実践するため、平成六年に家庭学校合気道部「森の学校道場」を創設されました。

創設に当たり遠軽合気会の吉野政明先生が中心となり埼玉大学合気道部石垣春夫師範、札幌国際合気会代表今村樹憲師範のご協力とご指導により当時の谷昌恒校長の快諾を受けて開設となりました。

埼玉大学合気道部OBや石垣道場有志をはじめ全国の合気道有志の寄付により児童全員分の胴依六十五着、合気道練習用のマット二〇〇㎡分、体育館暖房機器の設置費用の一部を準備して頂きました。また、残金は活動資金として「合気道ぬくもり基金」として設けられました。その後も石垣師範並びに合気道関係者のご協力を得て基金にご厚志が寄せられています。このような歴史から、札幌国際合気会や埼玉大学合気道部とは現在も交流が続けられています。

 今年の七月五日にはグアム合気会(峰岸睦子師範)が二十周年記念北海道遠征の際に当校を訪問されました。前年度に、札幌国際合気会の記念大会が遠軽で開催された際に当校の児童全員が体験教室に招待され、グアムの師範が当校に関心を持って頂いたことが縁で今回の訪問に繋がりました。短い時間でありましたが、当校の歴史や校祖と開祖の関係に触れて頂きました。また三本のサクランボの木を記念植樹しました。サクランボの木の花言葉の一つに「善良な教育」とあります。合気道が目指す人間形成や家庭学校の目指す教育で共通部分があること、サクランボの木は自家不結実性で実らすには異品種が必要になるためお互いに協力し合って技を完成させる合気道家が植樹するには最適と思いこの樹にしました。良い実を実らせるには五年程かかりますが、また訪ねて来て頂ける事を楽しみにしています。

 九月五日には埼玉大学合気道部が当校との交流二十五周年の際に来校されました。埼玉大学合気道部は三年に一度合気道ゆかりの地である遠軽町白滝で夏合宿を行っていますが、その際に当校の児童との交流をして頂いています。

今回の訪問では石垣師範他学生二十二名の方が当校の歴史に触れ、開祖と校祖の二人の関係を学び二人の思いを探求する時間となりました。また、桃の木三本を記念植樹しました。翌々日の九月七日には埼玉大学合気道部員と生徒による合気道体験教室と交流稽古、演武会に招待して頂き、大学生とは和気あいあいと楽しく交流させて頂きました。演武会では学生及び石垣師範から流麗な動きを見せてもらいました。合気道に興味を持った子どもも多く、クラブ活動を新たに編成するときには希望者が多くなりそうです。

家庭学校森の学校道場は創設当初から吉野先生に指導して頂いています。先生の都合の悪い時等は白滝合気会の棚橋昌司先生にも指導して頂いています。今年度からは隣の湧別町から合気道経験者の松田成満先生に来て頂きお二人に教えて頂いています。当校の合気道担当として藤原寮長も五年前から合気道に関わっています。また、私も昨年から子ども達と一緒に参加させてもらっています。人数が多くなると子ども同士でやる機会が多くなり、動きを十分に理解しないで練習していると怪我につながることもありますし、子どもの興味を削ぐことにもなるので、少しでもお手伝いできればと思い参加させて頂いています。

練習では日常生活に活用できる体育を目指し、武道の身体操作から体の仕組みや働きを学ぶことを目標にしています。

合気道は試合がないため型稽古中心となります。争って勝敗を決めることがなく、それどころか、相手と協力して技を完成させている。対立するのではなく相手と和合させている。人に合わせるのが苦手な子どもたちでありますが、受ける相手の事を思いやりながら技をかけ、それを素直な気持ちで受けている姿を観ることが出来ると嬉しく思います。

 今後も家庭学校における合気道の活動が、創設の目的や経過を理解した上で様々な人の支援によって成り立っていることを忘れずに練習していきたいと思います。

2019年10月号

家庭学校酪農班の仕事について

主幹(酪農担当) 蒦本賢治

†一〇〇年の歴史

 北海道家庭学校は大正三年(一九一四 年)に設立され、その翌年にホルスタイン二頭を導入し酪農部(現在は酪農班と呼称)を始めました。当時はまだこの地域で酪農は行われておらず、先駆的な取り組みでした。以来一〇〇年を超えてその営みを続けており、歴史を重ねて現在に至ります。

†子ども達との作業

 北海道家庭学校は児童自立支援施設です。様々な課題を抱えた子ども達が親元を離れ、敷地内に点在する寮舎で自立のための生活をしています。その中で職業教育の一つとして酪農班は位置付けられています。職業教育と言っても高度な酪農技術を教えて一人前の酪農家を育てるのが目的ではありません。酪農業を数あ

る職業の中の一つとして捉え、働く姿を子ども達に見せるのが私たちの役割です。

 家庭学校には酪農の他に山林や畑作などを担当する部門があります。それぞれが作業班と呼ばれ、一週間に三回、午後の二時間程度実習をします。それは小中学校の授業の一環として割り当てられており、その時間、酪農班では公立学校の先生と数名の生徒と牛舎の作業を行ったり環境整備などをしたりします。

†ゆとりのある放牧酪農

 牛舎には搾乳牛で二〇数頭、全頭数で 三〇~四〇頭程度の乳牛が居ます。近年の一般的な酪農家から見ると小規模ですが、常時二人体制で搾乳から哺育、育成、草地管理までを行うにはちょうど良いワークライフバランスを保てる規模ではないかと思っています。

 当施設は山林を含む敷地のほぼ全体が平和山という一つの山でなりたっていますが、その山肌の一角に牛舎と放牧地が広がっています。その斜面は畑作や採草地には向かず、長年放牧地として利用してきました。近年では省力的でエコロジカルな飼養形態として放牧を選択する酪農家が増えていますが、家庭学校では設立当初からほぼ一貫して放牧酪農を行ってきました。

 高乳量を追求して改良された現代の乳牛はいきなり牧草地に放してもうまくいかないことも多いのですが、私たちの乳牛は長い年月の中で自然に放牧に適応してきました。そのため、一頭あたり年間乳量は 六五〇〇kg程度とあまり高くないのですが、一般的な農家より二倍長生きします。高泌乳牛によく見られる第

四胃変位などの周産期病はほぼ無く産後起立不能による廃用もここ数年ありませんので、獣医対応に時間を取られることも少なく、精神的疲労もあまりありません。牛を健康に飼い治療にかかる費用を抑え、長生きさせ生涯乳量を確保することで経済的な採算を合わせるというのが私たちの目標としているやり方です。

 私たちは最新鋭の技術を使って近代的な生産を行うよりも農業者の理想の姿として牧歌的でゆとりのある生活を送ることを望んでいます。もちろん時には苦しいことや辛いこともありますが、放牧地でのんびりと草をはむ牛たちを眺めていると時間がそれを解決してくれることがほとんどです。

†バター・チーズの製造、販売

 牛舎には子ども達が毎朝、その日に飲む牛乳を取りにきます。今年はバター・

チーズ工房も完成し、自家製の乳製品も食卓に並べられるのではないかと思います。長年の夢だった乳製品の本格的な製造・販売に向けて、この夏から準備を進めているところです。

 家庭学校の子ども達に都会では決して

体験できない「家畜のある暮らしと空間」

を提供するのが私たちの仕事です。

2019年10月号

森の学校望の岡分校

教諭 鈴木珠水

 初出勤の日。校門を通り過ぎても中々校舎までたどり着かない山道を行きながら、まずその豊かな自然環境に感激しました。少し緊張して校舎に入ると、掃除の行き届いた玄関に温もりのある木目の廊下が続き、その傍らにそっと活けられた花が迎えてくれました。校門から教務室に入るまでの間に、抱いていた新しい職場への不安は気がつくとわくわくした気持ちに変わっていました。これが私と、森に佇む北海道家庭学校にある望の岡分校との出会いでした。

赴任から約半年。施設と分校の先生方の愛情深い支援に支えられ、困難さを抱えながらもそれぞれの課題に少しずつ向き合おうとしている明るい子どもたちとの出会いがありました。そして、私自身が彼らのためにできる何かを授業の中や作業班学習、各種行事を通して少しずつ探していく日々を今過ごしています。

一学期の作業班学習では、「蔬菜班」に所属しました。ビニールハウスのシート張りと土おこしが初めて参加させていただいた活動でした。シートを張る手際、各種器具の名称やその扱い方のどれをとっても子どもたちの方が知識や経験が豊かなことに驚かされました。冬の間に眠っていた土をおこし、種から苗を育て、移植し、追肥や除草、計量、収穫、給食棟への提供と日頃何気なく口にしている食べ物がどれほどの手間と時間と思いが込められて生産されているかということを、子どもたちは文字や映像からではなく、実体験から学んでいます。体と頭と心を使い、自分の体力がどの位あるのかということや共同作業を通じて人との関わり方、各種器具の扱い方やその危険性について等、その学習内容は多岐にわたります。それらの活動の中には時に体力的にも精神的にも立ち向かう姿勢が必要とされるハードな場面があります。ですが、そのような子どもたちの活動にはどんな時にも豊かな大自然が寄り添っています。時に厳しく時に優しい、目には見えない自然の持つ力は大きく、この半年を振り返ると、気づかぬうちに子どもたちだけではなく私たち大人の心も癒し、励ましてくれているように感じます。各季節を彩る木々や花々、木漏れ日のやさしさ、まもなく始まる紅葉も水墨画のような景色になるのではないか…と想像している雪景色も、この家庭学校の豊かな自然は語らずとも、いつもそこに存在し、子どもたちの成長を見守っています。

大地とともに心も耕し、日々躓き葛藤しながらもゆっくり、けれど確実に変化し成長している逞しい子どもたちにはいつも元気をもらっています。そんな彼らに少しでも学習の楽しさや物事を達成する喜びを伝えられるよう、私自身も学ぶ姿勢を大切にしながら彼らと少しでも成長していけたらと思います。この望の岡分校での出会いとご縁に感謝し、これからも家庭学校と分校の先生方と心をあわせて、子どもたちの成長を応援し見守っていきたいと思います。

2019年10月号

半年間の振り返りとこれからの抱負

教諭 佐藤優成

 私が、望の岡分校にきて最初に感じたのは、趣のある校舎だということです。廊下が木でできていて、人の歩く音が響き渡る。正直驚きが隠せませんでした。ですが段々と慣れていき、ドンドンという足音がしたら「生徒が来たな。今日も一日頑張ろう」という気持ちになることができました。生徒とコミュニケーションが取れるかな、どんな表情をして学校に来るのだろう…。楽しみと不安で胸がいっぱいでした。生徒は、礼儀正しく、おしゃべりをしている人がいたら生徒が注意をするというようにお互いを高めあっていく雰囲気が自発的に作られていました。そのような雰囲気は短時間で形成されるものではありません。それぞれの寮での指導、教員や職員の方々の日常的な気配りなど、教育の質の高さに驚くと同時に私も少しでも貢献できるように頑張ろうと強く思いました。

 生徒との信頼関係を築くには、やはり生徒とたくさん接してコミュニケーションをとることがとても重要だと思います。給食の時間や休み時間などの会話を大切にして過ごしていき、たくさん学び、自分自身も成長していけるよう全力を尽くしていきたいと思います。

 私の担当科目は音楽ですが、教えるというだけでなく、生徒に私自身の演奏を聴かせる機会ももうけて下さり、たくさんの視点から音楽に触れさせる事が出来たと思います。札幌交響楽団の大平さんとの共演、私にとってもとても貴重な経験になり感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。また演奏会というのは興味のない曲などの場合は集中力を切らして聴きがちですが、生徒たちは常に真剣に聴いてくれていました。当たり前の事を当たり前に出来るようにするということは簡単な事ではありません。嬉しく思うと同時に心の底から感動しました。

 十二月には音楽発表会があります。生徒が頑張って練習してきた曲を発表するというとても貴重な場です。真剣に人の演奏を聴く事が出来るなら、真剣に演奏する事も出来ると思います。本番まで限られた時間ではありますが、素敵な演奏が出来るように生徒と共に協力、試行錯誤しながら頑張っていきたいと思います。生徒が音楽発表会を振り返った時に実りが多いものだったと感じると共に、他の人と協力して何か一つのものを仕上げる喜びを感じられるよう、失敗しても責めることなく、励ましあえる雰囲気づくり、人間性の成長ということも大切にしていきます。

 毎日、本館学習や作業などたくさんの事を一生懸命こなしている生徒が心身共に健やかに、たくましく成長していくために今の自分に何が出来るのか、生徒の日頃の様子を観察したり、先生方からたくさんの事を学び、よく考え行動していきます。まだまだ力不足ではありますが、生徒の安全、成長を第一に全力を尽くしていくのでこれからもよろしくお願いいたします。

2019年10月号

「交流げいこと演武の感想」

掬泉寮 中二 K

 九月七日に、埼玉大学の人達と、遠軽の武道館で交流げいこと演武をしてもらいました。

 今年は四月から合気道で練習していて、簡単な技の名前を知っていたため、去年より楽に取り組むことができました。けれど、知らない技が半分ほどあって、もっと合気道の技を覚えたいと思いました。

 交流げいこでは、少しだけ大学生の方と行いました。大学生は少し恐いイメージがあり、きん張しましたが、優しく接してくれたため、そのイメージがなくなりました。また、機会があれば、優しく教えてもらいたいです。

 演武では、色々な人達の練習してきた技を見させてもらいました。見ていると、はくりょくがあり、見てるこちらがとてもワクワクしました。同じは無理だと思いますが、一歩でも近づくことができるように、毎週土曜日のクラブで一生懸命練習したいです。

 三年後だと会う機会は二度とこないと思いますが、また交流げいこをしたり、演武を見たいです。