このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2019年07月号

「雨の日の運動会」

校長 仁原正幹

 前号で私が天候を気にし過ぎたことが裏目に出たのかもしれません。子ども達が心待ちにしていた運動会ですが、開催当日の六月十六日は未明から雨が降る肌寒い天気になってしまいました。今年は五月八日の花見の会も会場設営を始めた途端に雨粒が落ちてきて、急遽体育館への会場変更を余儀なくされました。全く以て……校長の不徳の致すところです。

 家庭学校と望の岡分校の運動会は雨天順延などという訳にはいきません。生徒の家族の皆さんをはじめ児童相談所や原籍校の先生方が広大な北海道の各地から遠路遙々見に来られるのです。中には五百キロも離れた地域にお住まいの方もおられ、そうした方々は当然前日のうちに出発されるのですから、当日の空模様を見て決めることなど許されないのです。

 実は大会前夜、翌日の天気予報が余りにも悪いので、旭川の軽部理事(前副校長)に電話で尋ねました。昭和五十年代からの家庭学校を知っている方なので、過去の運動会がどうだったか念のため確認したところ、雨降りの年も当然あったそうですが、全て「小雨」ということで外の広いグランドで貫徹したとのことでした。昔は元気の良い子どもが多かったのでしょう。そもそも八十五人もの生徒が体育館に収まるはずもありません。

 当日の生徒数が二十二人で、昭和の時代と比べたら非常に少ない状況ではありますが、お客様が百人は来られます。保育所や幼稚園の運動会ならいざ知らず、ほとんどが身体の大きな中学生です。体育館の一画を観客席に割り振った残りのスペースで、果たして皆が納得する運動会ができるのか、また、予定変更に弱い発達障害の子ども達が環境変化に対応できるのか、さらには、狭い空間でお客様に迷惑がかからないか……。多少の雨でも子ども達に広いグランドで伸び伸びと力を発揮させてあげたい、ご家族など多くの皆さんに子ども達の練習の成果を見ていただきたいと、悩みに悩みました。

 しかしながら、天気予報がどんどん悪くなり、好転する兆しがありません。早朝から傘を差してグランドに出てみると、既に望の岡分校の神谷教頭先生が周回しながら点検されていました。顔を見合わせ、以心伝心で体育館での開催を決めました。家庭学校の歴史上例を見ない屋内開催に踏み切ったのでした。

 そのような訳で、校長としては成り行きにかなりの不安を感じながらの、そして参集された皆さんに申し訳ない気持ちを抱きながらの、些(いささ)か苦し紛れの開会挨拶となりました。以下、恥ずかしながら、参考までに掲載させていただきます。

    ○

 お早うございます。運動会本番となりましたが、生(あい)憎(にく)のお天気になってしまいました。体育館の中で行うことになって、ちょっと窮屈で勝手が違うかと思いますが、みんなで力を合わせて、素晴らしい運動会にしましょう。

 ご家族の皆さん、ご来賓の皆さん、関係機関の皆さん、そしていつもご支援をいただいている地域の皆さん、今日はお忙しい中をご来校いただきまして、誠にありがとうございます。

 今日まで、子ども達と、望の岡分校の先生方、そして家庭学校の職員は、運動会の練習、会場設営、校内の環境整備、お弁当づくりなどに、一丸となって取り組んできました。大勢の皆さんに運動会を見ていただけるということで、大変張り切っております。

 今日は子ども達の逞しく成長した姿を見てください。そして激励の言葉をかけてあげてください。今日の運動会が子ども達の心に残るものとなりますよう、皆様方のご声援とご協力を、宜しくお願いいたします。

最後にもう一度、生徒の皆さん、急に条件や環境が変わったので、これまで練習してきた成果を十分に発揮することが難しいかもしれません。けれでも、どんな場面でも自分の本来の力を出し切るということは、とっても大事なことだと思います。 今日は天気の面では「難有り」の状況ですが、自分自身が成長するための「有難い」チャンスだと受け止めて、一人一人がベストを尽くして頑張りましょう。皆さんの真剣な溌剌とした姿、気持ちの良いチームプレーを期待しています。健闘を祈ります。

    ○

 私の心配は杞憂に終わりました。後頁の子どもの作文からもわかるとおり、大変充実した素晴らしい運動会となりました。望の岡分校の先生方や家庭学校の職員達が好天・雨天両睨みで会場設営や競技種目などを入念に準備されたお陰だと思います。さらには、急な条件・環境の変化に動揺することなく、自らの力を発揮できるようになった子ども達の日々の鍛錬の成果が現れたものと、校長として大変嬉しく思いました。ご協力いただいた皆様にも心より感謝を申し上げます。

 さて、六月は懸案だった多くの案件が大きく前に進みました。「バター・チーズ工房」は改築工事が完了し、フランスから大きなチーズバットも取り寄せ、只今試運転中です。「樹下庵診療所」も準備が整いました。工房も診療所も保健所からゴーサインをいただき、いよいよ本格始動です。加えて、二年越しで計画を進めてきた「給食棟」の全面改築についても、国庫・道費補助の内示をいただき、クリスマス晩餐会の柿落(こけらおと)しに向けて着工します。さらには、築百年の「礼拝堂」ですが、北海道の有形文化財として、痛んだ外壁などの一部修復工事に着手すべく、只今専門家の点検を受けています。

2019年07月号

朗読会

児童自立支援専門員 藤久静恵

 朗読会を担当させていただいて、一年半が経ちました。担当といっても、発表者を誰にするか、感想は誰に言っていただくか、時間は何時からかなどを調整することのみに追われています。この度、朗読会がどのような役割があるかについて考えてみました。

 その一つが正しい発表の態度を身につけることです。

 朗読会が始まったのは、今から53年前です。当時、寮長だった森田芳雄先生が『ひとむれ』第二九一号に、記していらっしゃいます。

当時の職員会議で、生徒の言葉遣いについて取り上げられたことが発端となっています。問題点とされたのは、①口をしっかり開けてはっきりと発語しない、②早口で言葉を略す傾向にある、③正視して正しい姿勢を保てず礼儀正しくない、等でした。これは、現在においても家庭学校に入校してくる生徒の変わらない特性です。それが、発表の回数を重ねるうちに、また毎月他の生徒の発表を聴く度に改善され、大きな声で、正しい姿勢で発表できるようになっていきます。

今年の三月、オリンピックのオブジェ作りをした際に、各班ごとにプレゼンテーションを行いました。主催者側の方々に発表がとても上手であると褒められました。家庭学校の生徒は一般学校の生徒に比べ、人前で話す機会が多く持たれているからではないかと感じました。

 森田先生の記事は、「この力は僅かの間の訓練によって生まれたものではなく、出来ることをやらないで過ごしていたことにきづくべきではないでしょうか。」と締めくくられています。

 私は共感するのと同時に、朗読会を始めた方たちの思いを大切にしていきたいと感じました。 

全校生徒と分校の先生、家庭学校の職員、総勢50名もの前で自分のことを話すのは、とても勇気のいることだと思います。入校日に朗読会を目にしたRくんは、「絶対ムリ、こんなこと絶対やりたくない。」と言っていたそうです。そのRくんもすでに立派に朗読会デビューを果たしています。

人前で話をする機会を得ることは、生徒たちが将来どんな職業に就こうとも、必ず役に立つはずです。まずは、大きな声で、まっすぐ前を向いて話すところから始めましょう。

二つ目は、作文を書く力、読む力を身につけることです。

作文の内容は、家庭学校で生活して、自分はどう成長してきたか、今の課題はは何か、将来どうしたいかという決意表明をします。とても良くまとまった作文であっても、生活態度が伴っていなければ、心を動かされる発表にはなりません。

今回、過去の発表原稿をいくつか読み返してみましたが、成長の証として多くの生徒が作業を任されたことを記しています。風呂焚き、薪割り、牛乳缶運びはどれも家庭学校ならではの作業で、寮長先生の信頼がなければ任されません。

 このように、作文の内容は、日頃の生活の中で体験した気づきがベースとなっています。

 この時期、入校して三カ月位の生徒が発表に臨むことが多くあります。先月Hくんが朗読会で発表しましたが、何人かから「とても、良かった。」という感想をいただきました。

 一部を抜粋しますが、「ぼくはここ(家庭学校)に来てよかったと思います。ぼくは家でずっとくらしていたら自分がこまるとやっときがつけたからです。ぼくはいつもたのしくげんきにまいにちをすごしたいと思っています。」とありました。文章はつたない部分もありましたが、素直な気持ちが表れていて新鮮でした。

三つめは、生徒、家庭学校職員、分校の先生が朗読会の時間を共有していることです。このことは、常日頃、仁原校長先生が話しておられる「withの精神」につながります。

 朗読会は、三年前より、日曜礼拝と切り離し、水曜日に音楽室で実施することになっています。そのことにより、多くの分校の先生が参加してくださるようになりました。また、毎回、個々の生徒の発表の後に簡単な感想を職員が述べ、最後に仁原校長先生から講評をいただいていますが、三寮のうち一寮の生徒の感想は分校の先生からいただいています。教育という違った目線からのお話を聴くことができます。生徒にとっても、先生方の温かいお言葉が励みとなって、生活の場で活かされていくことを願います。

2019年07月号

望の岡分校二年生

教諭 臼井貴主

この学校に来る子どもたちは、いろいろと人生をこじらせてやってきます。彼らを取り巻く環境や、彼ら自身の特性も相まって、それぞれがそれぞれの課題を抱えてやってきます。

身に付いていてしかるべきことが、身に付いていないことがよくあります。日常生活で自然と備わるはずのチカラが備わっていません。でも、それは彼らだけのせいではないと思うのです。特性や環境や様々な要因はあると思いますが、身に付いていないのであれば、大人が身に付けさせる必要があると思います。

身に付いていないし、身に付くように指導も受けていないことを、身に付いていて当たり前という前提のもとに、叱られ怒られ指導され続けてきた彼らの心情を慮れば、それはそれは自尊感情など育っているはずもないなあと思ってしまいます。

そんな彼らと活動を行うにあたっては、「これくらいはできるだろう」という思い込みを捨て、その前の段階から確認をしてひと手間かけるように心がけています。

「廊下にモップをかけて」という指示を出したときに、廊下の真ん中だけ行って帰ってきて、「おわりました」という生徒がいます。手を抜いているかもしれませんが、本当にわかっていない場合もあります。特性上全くこちらが意図することが伝わってない場合もあります。この場面で、こちらが怒って「ちゃんとやって!」なんて声をかけた日にゃあ、余計混乱を招いた上になんのチカラ付けさせることもできず、ただただ子どもが調子を崩すことに繋がりかねません。

ここで、特別支援的視点からのひと手間です。モップは廊下の端にピタリと付けて隅に溜まっているホコリを取ることを目的として、一秒に二歩の速度で進みます。突き当りまで行ったらモップを持ち上げずに逆側の端に付けてこちらに帰ってきてください。

くどいように感じるかもしれませんが、特性上このくらい細かい指示がないと、モップをかけることができない場合もあるようで。指示がないのにあとづけで、例えば、モップをかけるときに「走るな!」などの指導をすると、言われてないのに怒られた、という感情だけが残り、次に全くつながらないことが多くありますし。

できて当たり前という認識でいて声がけを失敗したことが何度もあります。極端な話、手を真っ直ぐ上げるとか背筋を伸ばして歩くことができていないこともあります。だからといって、ちゃんと歩け、という声がけはアウトのようで、「ちゃんと」「しっかり」といった言葉は具体的じゃないのでNGだと特別支援のエライ先生に怒られたことがあります。

それでも、分校教員としては基本的に授業で関わるだけですが、普段の生活から指導をされている家庭学校職員の方々のご苦労を考えると、頭が下がるばかりです。

学校生活においては、彼らはいい表情をしていることが多いです。今まで、かまってもらえなかった、放っておかれた、全く話を聞いてもらえなかった状態から、寮長寮母先生方を初め、たくさんの大人たちが、彼らに真剣に向き合う場面が多いからだろうなあと想像します。彼らなりの理屈、彼らが抱える課題、彼らにもどうにもできない心の動き、それらをすべてひっくるめて、日常の活動、寮の作業、作業班学習等を通して、受け止め、声をかけ、そして正しい方向を指し示す。彼らの生活をそうやって家庭学校の先生方が中心となって支える中、我々分校職員は授業を通して彼らの行く末が少しでも、希望あるものになるようにと願いながら子どもたちに声をかけます。

 「だめ!」というのはたやすいですが、どうやら彼らには特性上、あまり効果がないようです。なので、一つ一つ丁寧に丁寧に、深いところまで届くような言葉を日々探しながら、時には理論立てて、時には身近なものに例えて、あの手この手でなんとか、課題の解決の手助けになるようにと、声をかけています。

 その時々の目的と評価ポイントが明確になるように、そして誤解が生まれないように、確認をしながらひとひとつ見取っていく。……ことが必要だなあと、今日も自分に言い聞かせながら、学校生活を送る「望の岡分校二年生」でした。

2019年07月号

<児童の声>

石上館 中三 S・楽山寮 卒一 H・掬泉寮 中一 H

  「運動会での思い出」

石上館 中三 S

(紅組リーダー)

 六月十六日、家庭学校の運動会がありました。天気にめぐまれず、あいにくの雨でしたが、体育館で運動会をしました。 やれない種目もありましたが、ほとんどの種目ができたのでよかったです。

 僕が一番印象に残っている種目は、足並みそろえてという競技です。理由は、練習のときにあまりうまくいってなくて、周りの人たちが小さい子をせめていたのに、本番になったらせめるのをやめて、一生懸命最後まであきらめないでやってくれて勝てたからです。いやな雰囲気にならないでやれたのがとてもうれしかったです。

 一番自信のあった玉入れで、全敗したのはとても悔しかったけれど、綱引きで全勝できたのでよかったです。

 寮対抗種目では一致協力という、瓶に水をいれて一番最初にあふれた寮の勝ちという競技をしました。結果は僕のいる石上館が勝ちました。勝ったときはうれしい気持ちでいっぱいでした。おたまで水をいれるのはとても難しかったです。

 最後の種目は、やはり、紅白リレーです。外の紅白リレーとは違い、スプーンに野球ボールをのせて走るという競技にかわりました。落とさないでなるべく速く歩くというのが難しく何度もボールを落としてしまいましたが、勝つことができました。

 閉会式では、成績発表がとても楽しみでした。総合優勝は紅組でした。自分がいるチームが勝てたのがとてもうれしかったです。勝てたのは自分だけの力ではなく、チーム全体が悪い雰囲気をつくらず、助け合いながらできたからだと思います。

 寮対抗、ポスター展はみごと石上館が勝ちました。今年の運動会は、体育館でおこなわれましたが、色々な方々のおかげで良い運動会でした。そして思い出に残る運動会でした。

 

  「運動会を通して」

楽山寮 卒一 H

(白組リーダー)

 私はこの運動会の練習や本番を通して感じた事や思った事を今ここに書いていこうと思います。

 私はこの運動会の白組団長になるという事を知らず、運動会練習当日まで誰が団長になるのかな?なんて考えていました。私や他の四人が呼ばれて、先生方から「白組の団長やってもらえるかい?」と言われた時、私は心の中は驚きと混乱が同時に起き、その反動かすぐに冷静に考える事ができ皆を上手く引っぱっていく事を決意して、私は団長になりました。

 最初の内は皆を上手く纏められるか心配だったのですがサポート役ののサブリーダーが、私がミスをする前に教えてくれたり、多くの団員達が指示を聞いてくれるのもあってか、練習中の士気は高く、作戦会議で良案が出たり、調子が良かったのですが、得意不得意が激しく得意な競技は勝ったり、良い線いったりの繰り返しでしたが、不得意な競技は練習でも負けて作戦会議を何回もしたお陰か白組全体の団結力に直結したと私は今でも思っています。

 運動会では負けてしまいましたが、今までの皆の努力や練習は決して無駄ではないし、本番では全員が汗をたくさん出して頑張ったと思います。

 私は運動会の団長経験を活かし、もし又同じ様な機会があればこの経験を活かして人を纏められる様な人になるためにこれからも頑張っていこうと思います。

 

  「さくらとツツジ」

掬泉寮 中一 H

 家庭学校でさくらのたねをとりに行きました。思ったよりたねがたくさんあってうれしかったです。ぼくは友だちとどっちがたくさんたねをとれるかきそってました。その時はとても楽しかったです。また行きたいと思っています。

 さくらのたねをひろいおわって、次はツツジの花の咲きおわった花をとる作ぎょうでした。キレイにちゃんととれるのがとても楽しく気もちいいです。この日はとてもいいけいけんをしてよかったと思います。またやってみたいです。

 さいごにソフトクリームを食べました。つかれてる時に食べるとまた元気がでます。これで夕作ぎょうもさらにもっとがんばれました。ぼくはもっと色々なことをしたいです。ぼくはもっと元気で毎日を生きてしあわせになって大人になってみたいです。