ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2019年04月号

「月下推敲」

校長 仁原正幹

 望の岡分校の卒業証書授与式が春分の日の三月二十一日に挙行され、小学六年生三名と中学三年生六名の計九名の卒業を生徒と先生方全員で祝福しました。今年も卒業生の家族の皆さんをはじめ、原籍校や児童相談所の先生方が全道各地から駆けつけてくださいました。さらには、法人役員や地域の皆様にも多数参列していただいて、厳粛な中にも心温まる素晴らしい卒業証書授与式となりました。

 卒業や進級の節目に合わせて、三月には中学三年生五人と二年生一人の計六人の児童が巣立って行きました。そのうちの四人は児童養護施設、一人は障害児施設への措置替えとなり、四月からは移転先の施設から高校や中学校に通います。一人だけ家族の元に戻れましたが、平日は高等養護学校の寄宿舎暮らしとなるので、結局六人全員が団体生活を続けることになりました。どの子も家庭学校の濃密な寮生活の中で鍛えられ、互いに感化し合いながら大きく成長し、だいぶ人の気持ちがわかるようになりました。新しい世界でも周囲の人と協調しながら仲良く生活し、さらに成長してくれるものと思います。これからお世話になる施設や学校の先生方、どうか宜しくお願いします。家庭学校としてもアフターケア、連携・協力に努めさせていただく所存です。

 今年度最後の校長講話を三月十日の日曜礼拝の中で行いました。文章を書く際に「推敲する」ということがテーマで、私が常々大事に思っていることの一つです。子ども達と職員に語って聞かせた内容の一部をご紹介させていただきます。

    ○

 今日は文章を書くときの心得について、少しお話ししたいと思います。家庭学校にいるみんなは、作文や日記などの文章をよく書くよね。一般の小学生や中学生よりも、もしかしたら文章を書く機会が多いかもしれません。「朗読会」の発表者に指名されたときや、研修旅行や運動会などの大きな行事の後とかにも少し長めの作文を書いていると思います。分校の国語の時間などにも作文を書くことがあるのかな。それと「特別日課」になって反省文を書くこともあるよね。何度か反省文を書いた人、いるでしょう。それから、毎日寮で日記も書いてるよね。

 家庭学校にいる間は、毎日の生活を振り返りながら、自分を深く見つめるために、また、将来のことなどを考えるために、様々な文章を書くと思います。そうしたときに、書いた文章を何度も読み返して、もっと相応しい表現がないかとか、言葉の順番を入れ替えたらどうだろうとか、いろいろと工夫して文章を練ることがとても大事だということをみんなにわかってもらうために、この紙に書いてあることをお話ししたいと思います。(「推敲」と大きく印字した紙を黒板に貼る。)

 この字を読める人いるかな。大人でもなかなか読めないと思うのでね…、多分いないでしょう。(ところが意外にも、何人かから「スイコウ」という声が上がりました。嬉しい誤算でした。どうやら分校の授業で「推敲」を習ったようなのです。ただし、「推敲」という言葉の由来や、何故この普段見たことがない「敲」という難しい字を使うのかを尋ねると、皆首を傾げるばかりだったので、私としては意を強くして、目論みどおり今日の話を展開することにしました。)

 そうだね。「スイコウ」と読むんだね。みんなよく勉強しているね。読み方が同じ言葉に「推考」があります。「道理や事情などを推しはかって考えること」を意味します。推理して考えることだね。こっちの「スイコウ」の方が馴染みがあると思います。「推敲」の方は、文章を何度も練り直すことを言います。「詩を作ったり文章を書いたりするときに、字句をさまざまに考え練ること」です。

 この言葉は、中国の古典に出てくる言葉なので、こういう難しい漢字が今の時代にも伝わっているんだね。「敲」という字は「敲(たた)く」と読んで、「叩く」という字と同じ意味を持ちます。ドアや門の扉をノックする意味の叩くです。「推」の方は「推(お)す」と読んで、「押す」という字と同じ意味を持ちます。ドアや門の扉を手で押すという意味なんだね。

 中国の唐の時代、日本でいえば奈良時代で、今から千三百年くらい前に相当する古い時代なのですが、その唐の時代のエピソードを紹介します。

 その昔、唐の時代に、都の長安に科挙(官吏の登用試験)を受けるために遙々やって来た賈島(かとう)という僧侶がいました。その人はロバに乗りながら詩を作っていました。当時はロバが交通手段だったんだね。詩作の途中、「僧は推す月下の門」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」という表現も思いついて、どちらにするか迷ってしまったのでした。彼は手綱をとるのも忘れて、手で門を押すまねをしたり、叩くまねをしたりしたのですが、なかなか決まらなかったようです。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の行列がやってきたのにも気づかずに、その行列の中に突っ込んでしまいました。今で言えば交通事故を起こしちゃったんだね。

 さらに悪いことに、その行列は長安の都の知事の韓愈(かんゆ)の行列であったため、賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれました。これまた今で言えばテロ事件と間違えられたんだね。そこで賈島は事の経緯をつぶさに申し立てました。「詩を作るのに夢中になっていてロバの運転が疎かになってしまいました。スミマセン」と謝ったのだと思います。詩作の中で「推す」か「敲く」か迷っていると話したのです。そうしたところ、実は韓愈という人は優れた名文家でもあって、漢詩の大家でもあったようで、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言ったそうです。そうして二人は馬とロバを並べて歩きながら詩を論じ合ったという、そういうエピソードが残っています。賈島は僧侶でしたが、その後韓愈の門人となって詩人になったと伝えられています。

 このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」というのだそうです。

この故事は『唐詩紀事』に書かれているもので、「僧推月下門(僧ハ推ス月下ノ門)」という句が残っています。

 「推敲する」ということは、生徒ばかりでなく、実は大人、ここにおられる先生方にとっても、大変大事なことだと思います。私も文章を書くことがよくありますが、「推敲」ということをとても大事にしています。いつも手元に辞書を置いて、何度も何度も言葉の意味を確かめたり、もっと他に相応しい言葉がないか類義語を調べたり、もちろん間違った使い方をしていないかなども点検したりしています。言葉の順番を変えてみたり、無駄に同じことを重複して言っていないかとか、自分では知っていることなので不注意で大事なことを書き漏らしていないかとかね。一つの文章を三回も四回も五回も読み直して、少しでも読む人にわかりやすい文章になるように努めています。書いた後少し時間を空けて、頭の中を一旦リセットして、例えば前の晩書いた文章を翌朝読み返してみると、書いたときやその直後には気づかなかった問題点が見えてくることがよくあります。

 どんなに文章を書き慣れた人でも、文章の達人でも、頭脳明晰な人でも、一回で完璧な文章が書けることは、まずないと思います。書いた後に必ず注意深く読み返して、少しでもわかりやすい、伝わりやすい、誤解を生じさせない、相手が勝手な解釈をする余地がない、そういう文章作りをすることが大事であり、そのことを常に心掛けてほしいと思います。

 みんなも単に国語の成績が良くなるためにというよりは、もちろんそれも大事なのですが、これから社会に出て、大人になって、自分の考えていることや相手に伝えたいことをわかりやすく文章にまとめることがとても大事になります。文章をまとめている間に自分の考え方が段々と鮮明になって、整理されていきます。

 そういうわけで、私はこの「推敲する」ということがとても大事だと考えています。生徒も先生方もよく覚えていて、いつも「推敲」を心掛けてほしいと思います。今年度最後の校長講話を終わります。

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 本館の校長室から住宅に向かって坂道を下る途中、ふと空を見上げるときれいな月が出ていました。今回のタイトルは「月下推敲」にしようと思い至りました。

2019年04月号

子どもたちの退所とこれから

楽山寮寮母 千葉珠季

私たち夫婦で担当させていただいている楽山寮から三月二十一日の卒業式をもって一名の児童が無事に退所を迎えました。退所したRくんは四月から高等養護学校へ進学、家庭復帰となり、平日は寄宿舎を利用し週末は自宅へ戻るといった生活が始まります。現在のRくんにとって最良のかたちでの退所へと運んでいただいたと感じております。

 中二の四月に家庭学校に入所したRくんは、小さな反抗や小競り合いなどでよく名前が挙がってしまう子でした。その都度寮長と話をし助言や指導などを繰り返しますが、なかなか大きな改善がみられず、伸び悩む日々を送りました。中学三年生になり、年季の長い立場となりましたが、寮の中心として引っ張るような力はなく、後から入所してきた子ども達がRくんを先輩として見るのは難しい状況で、R君の持つ良い部分以上に改善すべき点が目立ってしまい、見ていてはがゆさを感じるものでした。作年度は新入生が数名加わる中、Rくんを含む在所期間の長い児童でリーダーシップをとれる子もおらず、みんなそれぞれが別々の方向を向いているような協調性に欠けた一年を送る楽山寮でしたが、そんな中でRくんはラストスパートをかけたかのように成長をみせてくれました。三学期には寮の代表としてひとむれ理事に加わり、寮内では自発的に行動し、全体に対してリーダーシップをとるようになって、信頼のおける存在となりました。退所の際に寮で行ったお別れ会では、Rくんのためにと他児が出し物を考えて披露してくれたり、それぞれがRくんに温かい言葉を贈り、とても良いかたちでの退所となりました。Rくんはこの約二年間色々な経験を通して、時間をかけながらでもしっかりと自分の課題に向きあい、考えて、頑張って生活してきたのだと思います。お別れ会の際、最後のあいさつでRくんは「本当はまだここを離れたくないけど、前に進まなきゃいけないから、ここを出てしっかりこれから頑張っていきます。」と言いました。そんなRくんの言葉や姿にとても心が救われたような思いになりました。楽山寮で生活した二年間がRくんのこれからにとって良い方向へ繋がってくれたらと願います。

 そして現在、楽山寮は七名で新年度を迎えました。入所してまだ間もない子や、なかなか自分の課題に向き合えずに停滞している子もいる中ではありますが、お別れ会の際に出し物を自発的に披露してくれたIくんとSくんからは「次は自分が寮を引っ張っていこう」という意気込みの声が聞こえてきます。Sくんは自分より年季が長く仕事を任されることの多いIくんを追い抜かそうと前向きに生活を頑張っています。IくんはそんなSくんの「Iくんを抜かす」という言葉を聞いて「(抜かされないように)逃げる!」と言いました。Iくんなりのやる気を感じさせる言葉でした。まだまだ安定さに欠ける二人ではありますが、今そのような気持ちを持って前向きに生活しようとする二人の思いを大切にし、これからに期待したいと思います。そして、二人がライバルとして互いに高めあい、その姿に他の子たちも感化されて少しずつ寮集団としてまとまりがみられる日がくればいいなと思っています。

子ども達はここでの生活を通していつのまにか自分が変わるきっかけを見つけだし、そのきっかけが成長の後押しをしてくれているのだと、子ども達の姿を通して感じます。毎年のように訪れる子ども達の退所に、これからを応援する気持ちと共に、成長した姿に驚きや感動を覚えます。晴れ晴れとした表情で退所していく子ども達の姿をみていると、ここで生活した一~二年間はこの子にとって大きな時間だったのだと改めて感じます。同時にその大切な時間に関わる一人の人間だという自覚を忘れてはいけないと、改めて思う瞬間でもあります。

 家庭学校で奮闘する子ども達をこれからも傍で応援していきたいと思います。

2019年04月号

石上館寮長となっての抱負

石上館寮長 窪田満弘

 家庭学校に就職して一年が経過しました。寮長となっての抱負を書く前に、まず、一年間を振り返りたいと思います。

 初めに、家庭学校で働こうと思ったきっかけからです。一つ目は昨年の五月のひとむれに執筆した通りで、自分自身のスキルアップを図るためです。二つ目は交替制で仕事をすることに行き詰ったからです。以前の職場は交替制で、六~七人でチームを組み、児童を支援しました。しかし、意見の食い違いや職員間の温度差などを痛感し、円満に働くことが難しかったです。なので新天地で力試しをしたいと思ったのがきっかけです。

 交替制であろうが、夫婦制であろうが、他人(子ども・職員)との協働が一番難しく思います。両方経験して思うことは、夫婦制の方が少人数で児童支援に当たるので意見の食い違いなどは少ない気がします。現在は独身の為、実夫婦ではありませんが…。

 昨年一年間はその様なことばかり考えていました。結果、システムや人のことではなく、自分自身の未熟さであることが、要因の一つであることに気づきました。どんな状況でも上手にこなす人はこなしますし、そうでない人は良い環境でも厳しいと思います。

 家庭学校に来て、当初は本館職員として各寮をフォローする立場で勤務していました。具体的には各寮担当が輪休の際に子ども達を預かり、児童支援することです。また、行事の準備や運営、夏・冬の帰省の際に残留する児童と休暇を過ごすことです。

 昨年度は充実し、非常に濃い日々を過ごしてきました。さまざまな行事がありましたが、残留行事について振り返りたいと思います。残留行事は主に夏休みと冬休みにあります。日々頑張っている子たちの為にお楽しみ要素を交え、外出したり、体験したりします。遊びの中でも社会的マナーや礼儀、様々な行事を通し、自己肯定感を高め、成長してくれることを願い、計画を立てます。

 年末年始の残留行事は北海道の真冬を体験し、冬ならではの行事を組みました。スキー、スケート、カーリング、クロスカントリースキーなどウインタースポーツはもちろん、めったに経験できないワカサギ釣りなど過酷ではありましたが、貴重な経験になりました。

 傍から見たら「遊んでばっかりで」と思う方は少なくないと思います。しかし、小中学生の頃の遊びは非常に重要で、今後、大人になる為の貴重な糧だと思います。健全な遊び方を知らない子どもがそのまま大人に成長し、親となり、自分の子どもができたときに一緒に遊べない、あるいは遊び方を知らないとなればその子が経験した幼少期と同じ思いをさせてしまうことになる可能性があるからです。いろいろな経験や体験を通し知識を取り入れ、見聞を広めて少しでも良い思い出作りに寄与したいと思っています。

 さて最後になりましたが、石上館寮長となっての抱負です。

一 子どもに真剣に向き合うこと。

二 子どもが社会に出て、恥ずかしくな いモラルを身に付けさせること。

三 子どもが家庭学校に来て良かったと 心から思えるように支援していくこと。 日々全力投球で向き合い、子どもも私も少しずつ成長していきたと思っています。まだまだ発展途上の身ではありますが、温かく見守っていただけますと幸いです。これからもよろしくお願いします。

2019年04月号

二年間を振り返って

教諭 高松開

この度の人事異動で常呂郡佐呂間町立佐呂間小学校に異動になり、望の岡分校を離れることになりました。分校には二年間の勤務でしたが、子ども達や分校・施設職員と楽しく、悩んで、支えられて、そして一日の終わりは笑顔で毎日過ごしてきました。

二年間を振り返ってみると、小学生は元々人数が少なく、多い時は四人、少ない時は一人という中で、密度の濃い時間を一緒に過ごしてきました。少ない子ども達でしたが、彼らのいい姿、課題としている姿、成長している姿、色々な姿を見てきました。以前、ひとむれの原稿を依頼された時にも書きましたが、私は普段子ども達と接する中で、子ども達の表情を大切にしてきました。

「今日は調子がいいです。早く勉強始めましょう。」「わからなくてイライラします…。」「初めて8段とべた。」「もう走りたくない。マラソンは大嫌い…。」「先生、作ったエプロン着てもいいですか?いやぁ、緊張する。」「あ、先生、こんにちは。」「先生、あいつむかつきます。」「早く体育館行こう。」

 何気ない子ども達とのやり取りですが、初めのうちはこんなこと言わなかったな。最近笑っている顔が多いな。今、壁にぶつかっているな。最近どうしたかな、なんかあったかな。子ども達の思っていることやその時の気持ちの様子が、顔を見ると伝わってきます。またその日によって表情も変化していきます。一緒に楽しんだり悩んだり、子ども達はとても充実した日々を送っているなと思います。

毎日、喜んだ顔、疑問に思った顔、困った顔、時には怒った顔、子ども達の色々な表情を見てきましたが、最後には大きな笑顔で終われるようにと考えながら過ごしてきました。ここでの二年間は子ども達との距離が近かった分その表情をたくさん見ることができました。これからの教員人生でもここでの二年間を忘れずさらに磨きをかけて子ども達に負けないくらい成長していけたらと思います。

文章にまとまりがなくなってしまいましたが、分校職員、施設職員、給食棟、子ども達、今までお世話になった皆さまご迷惑をたくさんかけましたが、本当にありがとうございました。

2019年04月号

一年を終えて

教諭 吉村綾乃

 雪融けの季節がやってきて本日、修了式・離任式を迎えました。分校に来て一年、それこそ「あっ」という間に経ってしまったように感じます。それでも思い返せばやはりいろんなことがあったようで、子どもたちのいろいろな表情が浮かびます。楽しそうな顔、やり切った顔、照れた顔、疲れた顔、不機嫌な顔、泣き顔、怒った顔。さまざまな事情と課題を抱える子どもたちですが、豊かな心はどこにでもいる子どもたちです。この学校で身に付けるのは、人との関わり方と、そういった自分の心との向き合い方だと思うのです。

分校に来てすぐの子どもの中には、分からないものに出会うとすぐに不調になってしまう人もいます。ふて寝したり、物にあたったり。こちらもなんとか分かってもらおうと教えるのですが、「わからない」と思った途端に思考が止まってしまうようです。しかし、生活を始めて時間が経つにつれ、少しずつ根気強く考えることができるようになってきていることを感じました。分校での指導も一つの要因だと思いたいですが、寮での作業への取り組みや、生活への粘り強い指導の賜物だと感じます。

家庭学校での作業は今時の子どもたちには過酷なものでしょう。また、彼らができていると「思っている」こともできていないと指摘されることもあります。一方で、本人たちの気付かない部分を見つけてもらい褒められることも、出来なかったことを出来るように「がんばっている」と励まされることもあるでしょう。自分だけの認識ではなく、他者からの目線としての評価は、子どもたちの過信ではない自信につながるのだと思います。自分の良さや課題、その改善へとここまで率直に導いてくれる居場所は、他にないのではないでしょうか。そしてその生活の中で身に付いてきていることを、分校の中で見せてくれる子どもたち。学習という面でもその成長を感じ、さらなる努力と成長につながっていくことを願っています。

家庭学校とともにある望の岡分校で、なにより家庭の偉大さと連携していく大切さを学びました。私自身至らない部分も多々あり、たくさんの迷惑をかけ続けた一年でしたが、周囲の支えでなんとか無事に卒業・修了を見届けることができました。ここでの経験を糧に、さらに精進してまいります。一年間ありがとうございました。

2019年04月号

<児童の声>

S・K・H

 「二年六ヶ月で学んだこと」

掬泉寮 中三 S

 

 僕は中学一年生の秋に家庭学校へ入所しました。入所当時の僕は、口では「変わる」と言ってるものの何も考えずに生活していました。家庭学校に入った不満だけが頭の中に募っていました。そしてはじめての一時帰省をして失敗するのを境に「変わる」という言葉を口に出すことすらしなくなりました。自分のしたことの重さもわかっていないまま、自分勝手に「もうほっといてほしい」と周りの大人の人たちに対して思っていました。そんな自分ではいけないということに気づけたのはしばらく時間が経ってからでした。僕は中学二年生の後半くらいから「変わろう」と考えて生活できるようになりました。時々失敗してつまずいたりしながら今の自分になることが出来ました。頑張ったのは僕自身です。しかしそのきっかけをつくって生活を支えてくれたのは先生方です。僕はここに来て一つ、周りの人への感謝の気持ちを学ぶことができました。

 この他にもここで学べたことは沢山あります。一つは人との信頼関係です。僕は家庭学校に入所するまで「人との信頼関係」なんて一度も考えたことがありませんでした。だから自分が家族などの人に信用されていなかったのを気づいていなかったんだと思います。しかし、僕はここで過ごすうちに、その関係の存在と大切さを知りました。先生の思いを裏切ってルールを破り、後悔と反省をしているときに「信頼関係」というものを理解しました。理解したからこそ、失った信頼を取り戻そうと必死に生活しました。社会に出てからも「信頼関係」を大切にしようと思います。

 もう一つは周りの人との関わり方です。僕は家庭学校に入る前も入ってからも、人にイジられたりからかわれたりしました。環境が変わってもこれは変わらなかったので「自分はこういうタイプの人間なんだ」と納得しました。しかし、中学三年生になってから自分のためにも後輩などの周りの人のためにも変わろうとしました。その結果、自分へのイジりがヒートアップすることはなくなりました。しかし逆に自分の冗談で周りを怒らせてしまったりしました。何度も何度もそのバランスの調節を試みました。それでバランスが良くなったのかは今もわかりません。けれどもその試みのおかげで人との関わり方が上手になれました。社会に出ても上手にコミュニケーションをとれるようにしたいです。

 この他にも学んだことはいくつもあります。物事に取り組む姿勢が、細かいところまで言うと上手な整理整頓の仕方なども学びました。しかし学ぶことと同じくらい大切なことがあります。それは学んだものを活かすことです。僕はいくら何かを学んだとしても、それを活かすことができなければ何も意味がないと思っています。さっき書いた通り、僕は家庭学校で沢山の大切なことを学びました。なのでこれからは学んだことを忘れずに活かせるようにしたいです。そして今まで僕を支えてくれた先生に、どんな形でも恩返しができるように成長していきたいです。


 「十一ヶ月」

掬泉寮 中三 K

 自分は、自分の失敗からこの家庭学校に来た。来る前なんて、誰がそんな所に行くかと、前の児相の人とはげしく言い合ったほどだった。けれども、十一ヶ月がたった今、自分の一つの、心の底からの居場所だとも思っている。

 来た最初のころは、何のために生きているのかがわからないほど心が弱っていて、前の児相の人に、はげしいいかりしかいだくことができなかった。生活も楽しいとはあまり思えなく、心が痛々しいほどに弱っていた。でもいつしか少しずつ活気が出てくるようになり、他人と会話をするようになった。そこからは、毎日の生活も長く感じなくなり、短いように感じた。

 楽しかった事も、苦しかった事もいろいろあった。皆で食事中に笑ったことも、トラックに乗って山の中を走って、大声で皆でさけんだ事も、体育館で遊んだ事も、特別日課になっておこられたことも、作業に遅れておこられたことも、Kくんと口げんかになったことも、運動会で大声を上げたことも。他にもいろいろな思い出があり、プリント二~三枚じゃ足りないほどにそれぐらいじゅうじつした十一ヶ月だった。どの年よりも思い出深い年だった。

 僕は、心の底から掬泉の皆に会えてよかったと思っている。皆、僕に会話をしてくれた。言い合いもけんかもして、意見のぶつかり合いにもなった。ある時は、心の支えになってくれた。それだけでただただうれしかった。友達すら作れない、会話もろくにできない僕に、友達の作り方、会話のしかたを教えてくれた。本当に皆に感謝したいと思う。

 クラスの皆もそうだ。勉強のしかたも教えてくれて、皆との会話やじょうだんも教えてもらった。

 家庭学校の先生、本館の先生には、いろいろ相談に乗ってもらい、たくさん勉強も教えてくれた。生きる力、前に向く力も教えてもらった。皆からいっぱいいろいろな事を教わった。皆に何か教えることはできなかったかもしれないが。

 自分にはまだまだこれからもつらい大きなかべが出てくると思う。来週には、つらい別れも来てしまう。この生活ができなくなってしまう。正直、そんなことなら出たくないと思ってしまう。でも、それでも、前に進まなくちゃいけない。だから進もうと思っている。うまく前に進めなくても、止まってしまいそうになったとしても。それが、精一杯の皆にできる恩返しだと思うから。


 「退所を迎えて」

石上館 中三 H

 僕は、家庭学校で一年と三ケ月ほどお世話になりました。入所した当初は来たくなかったと思ったり、児相に腹を立てたりもしていました。これは僕だけではないと思います。自分が行きたくもないところに来なくてはならなかったり、親と離れてしまうといった理由があるからです。ですが三年生になって卒業を迎えようとすると逆にまだ残りたいと思う気持ちも出てきました。ここで作り上げてきた人間関係であったり、まだ他にもやりきれないと思う部分もあるからです。ですが卒業があり、それと同時に退所となってしまうと考えると少々悲しくなってきました。ですがしなくてはならないので残りの少ない日数ですがしっかりと準備をしていきたいと思います。

 勉強の面については、人も少ないこともあり、沢山先生に質問したり、マンツーマンだったりする時があり、入所当時と比べてみれば成績を上げることができました。これは先生一人一人が生徒に尽くしてくれたおかげだと思います。ありがとうございました。この先には何があるのかは当然わかりませんが経験するからこそ意味があると思います。これを今後の人生のバネにできるようしっかりと取り組めるように頑張っていきたいと思います。