ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2018年01月号

「賢者の贈り物」

校長 仁原正幹

 新年おめでとうございます。北海道家庭学校は創立百四年目を迎えました。今年も家庭学校と子ども達のこと、宜しくお願い致します。

 私は常々子ども達に「心を大切にする」ことを求めています。「本当に大事なものは物ではなく心なんだよ」と、繰り返し語りかけています。十二月十日の校長講話でもそのことに触れましたので、参考までに概要を記させていただきます。

    ○

 十二月に入ってから毎日寒い日が続いていますね。昨日はマイナス十九度、今朝もマイナス十八度まで冷え込みました。雪も多いので、みんなも除雪に忙しいね。よく頑張ってるね。今年は冬の訪れが早いようで、もうすっかり冬本番になりました。

 さて、あと二週間でクリスマスですね。二十三日には、午前中に禮拝堂でクリスマスの礼拝があって、夜は大勢のお客様にも参加していただいて、給食棟でクリスマス晩餐会が開かれます。それで、今日はクリスマに因んだお話をします。

 みんなの中で、アメリカのオー・ヘンリーという作家の短編を読んだことがある人いるかな。たくさんの短編小説が世に出ていて、その中でも特に有名な作品を紹介します。『賢者の贈り物』という物語です。私が君達ぐらいの子どもの頃に読んで、とても印象深く、今でもよく記憶に残っているものです。

 このような文庫本がほかにもいろいろと出ています。(光文社・古典新訳文庫の『1ドルの価値/賢者の贈り物・他21編』O・ヘンリー作・芹澤恵訳を提示)

 『賢者の贈り物』という物語は多くの読者に愛され、みんなの心に残る、オー・ヘンリーの代表作です。ポピュラーな短編なので、読んだことある人、あるいはドラマとか漫画とかで見たことある人が、この中にもいるかもしれません。

 「賢者」とは「賢人」とも言いますが、賢い人という意味で、『賢者の贈り物』という題名は「賢い人の贈り物」という意味になると思います。英語の原題・タイトルは「The Gift of the Magi」といいます。「賢者」というのは、新約聖書の最初の方にある「マタイ伝」に出てくる、キリストが誕生したときに、贈り物を持ってお祝いに来た東方の三賢人のことを示唆しているようです。クリスマスプレゼントの起源にもなっている話のようで、この『賢者の贈り物』という物語は、その三賢人のエピソードをモチーフにして書かれたもののようです。

 それでは『賢者の贈り物』のあらすじを紹介しましょう。この物語の主人公は、貧しい若夫婦です。妻の名前がデラ、夫の名前はジムといって、二人は古い安アパートに住み、慎ましい倹約生活を送っていました。けれども、何しろまだ若いので、給料もそう高くはないのでしょう。日々の暮らしがやっとで、なかなかお金が貯まりません。

 お互いのことを思いやるとても仲の良い夫婦なのですが、貧乏なので、クリスマスが近づいてきているというのに、相手に贈るプレゼントを買うお金がないのです。夫のジムについての記載です。

「22歳の若さで、もう一家という重荷を背負わなくてはならないとは。コートもそろそろ新調しなくてはならないし、手袋もはめていなかった。」

 ちょうど今のような時期で、冬本番を迎えているのに古いボロコートしかなくて、しかも手袋を買うお金がなくて、寒そうにしてたんだね。

 ここで、みんなに忠告です。朝礼のときにも何度か言っていることです。みんなは一日のうちに何度も寮と本館と給食棟の間を往き来しています。そのときに、もうこんなに寒くなっているのに、まだ防寒コートやアノラックなど上着を着ていない人がいます。手袋をはめていない人もいて、とっても寒そうで見てられません。風邪を引いたり、シモヤケになったり、ケガや重い病気を引き起こす原因にもなり、健康を害する恐れがあります。面倒くさがらずに、外に出るときは必ず暖かい格好をしてください。伊達の薄着で痩せ我慢しているのは、自分では格好付けてるつもりかもしれないけれど、決して見栄えの良いものではないし、周りからは単に幼稚だなとか、変わり者だなと思われるだけです。季節や温度や場所や場面(作業か授業かなどの)に合った服装ができないと、一人前の自立した人とはいえません。自分の身体は自分で守ることです。特にR君、T君、ほかにもいるね、気をつけてくださいよ。

 物語に戻ります。貧しいけれども、この二人には大事な「宝物」がありました。

「ところで、このジェイムズ・ディリンガム・ヤング夫妻には、たいそう自慢に思っている『財産』がふたつあった。ひとつは、ジムの祖父から父に、父からジムへと受け継がれてきた金時計で、もうひとつはデラの髪の毛だった。」

 髪の毛が宝物なんだね。それからここに出てくる時計は今風の腕時計ではなくて、懐中時計といって普段ポケットに入れておくタイプのものです。

「デラのその美しい髪は、褐色の滝のように彼女の身体に沿って豊かに波打ち、つややかな輝きを放っている。膝下あたりまで達するので、まるで長い上着を羽織っているかのようだった。」

 すごい豊かな髪の毛なんだね。妻のデラは夫のジムにプレゼントするお金を工面するために、その大事な髪の毛をバッサリと切って、売ってしまいます。昔は多分鬘(かつら)とか作るために、そういうきれいな髪の毛が高く売れたのだと思います。髪を売って得たお金で、ジムの持っていた宝物であるお祖父さん譲りの金時計に付ける高価なプラチナの鎖を買います。ジムは普段その時計に貧相な皮紐を付けていて、恥ずかしいので人前ではあまり時計を見ないようにしていました。

 一方で、夫のジムはどうしたかというと、妻のデラの宝物であるきれいな髪によく似合う櫛を買います。ここでいう櫛は、髪の毛に挿して飾りにするもので、髪飾りのことです。ジムがデラにプレゼントする場面を読んでみます。

「包みから出てきたのは、ひと揃いの櫛…結いあげた髪の後ろと横に挿せるよう、揃いになった櫛。ブロードウェイの店のショウ・ウィンドウに飾られているのをデラがまえまえから憧れの眼で眺めてきたものだった。本物の鼈(べつ)甲(こう)を使い、縁に宝石をあしらった、なんとも美しい櫛だった。」

 ブロードウェイというのはニューヨークの繁華街で、二人でたまにデートしていたんだと思う。ただ、お金がないから、きっとウィンドウ・ショッピングばかりしていたのだと思います。デラはその高価な櫛をショウ・ウィンドウのガラス越しに憧れの眼で見ていたのでしょう。鼈甲とは亀の甲羅のことで、高級なメガネフレームとか櫛とかの材料になります。本物は希少価値でとても高いものです。

「今や影も形もなくなってしまった、あの豊かな褐色の髪に挿すには、まさにもってこいの色合いだった。眼の球が飛び出るほど高価な櫛だということはわかっていたので、ただ切なく憧れるだけで、自分のものにすることなど夢にも思っていなかった。それが今、デラのものになったのだ。なのに、今度はその憧れの櫛を飾るべき長い髪がなくなってしまっていた。」

 櫛を挿そうとしても、髪を短く切ってしまったので付けられない。皮肉な話だね。そして、今度は妻のデラが夫のジムにプレゼントする場面を読んでみます。

「ジムはまだ、彼のために用意された、あのすてきな贈り物を見ていなかった。

デラはいそいそと手のひらに載せ、ジムの眼のまえに差し出した。デラの燃え立つような想いが反射したのか、鈍く光る貴金属の地肌がきらっと輝いたように見えた。『どう、ちょっと洒落てるでしょう、ジム?街じゅう探して歩いてようやく見つけたの。これからは一日に百回ぐらい時間を見たくなるわよ。時計を貸して。きっとぴったりだと思うの。付けて見てみたいわ」

 さあ、この後どうなるでしょう。この後の展開、予想がつく人いますか。ジムはそのとき時計を持っていたのだろうか。わかる人いますか。そこの部分、小説の最後の場面を読んでみます。

「時計を手渡す代わりに、ジムはソファに坐り込み、頭のうしろで手を組んで笑みを浮かべた。『デラ』と彼は言った。『ぼくたちのクリスマスの贈り物は片づけて、しばらくそのまましまっとこう。今の僕達には上等すぎる。あの時計は売っちゃったんだ。きみの櫛を買うのに金が必要だったから。」

 予想が当たった人いますか。随分と皮肉な話だよね。髪を売ってまで手に入れたプラチナの鎖を付けるべき時計がないし、時計を売ってまで手に入れた櫛を飾る長い髪がないなんてね。

 オー・ヘンリーはこの物語の結びの言葉としてこのように書いています。

「わたしはここに、わが家の最も大切な宝物を、最も賢くない方法で互いのために犠牲にした、アパートメント住まいの愚かな幼稚なふたりの人間の、波瀾万丈からはほど遠い物語を拙(つたな)いながらもお聞かせしてきたわけだが、最後にひと言、現代の賢い人たちに申しあげたいことがある。贈り物をする人たちのなかで、このふたりこそが最も賢い人たちだった、ということだ。贈り物をあげたりもらったりする数(あま)多(た)の人々のなかで、このふたりのような人たちこそ賢明なのである。

いかなる時空にあっても、いかなる境遇にあっても、このふたりほど賢明な人たちはいない。彼らこそ賢者である。」

 皆さんはどう思いましたか。オー・ヘンリーの考えに賛同しますか。それとも、この二人の間に行き違いがあって、何て間が悪いんだろう、ついてないな、結局役に立たなかったのだからバカなことしたな…と思いましたか。

 この二人は、本当に愛し合っていたから、相手のことをよく見ていたから、そして心が通じ合っていたから、お互いが一番大事にしている宝物をよく知っていたし、相手の宝物の価値を少しでも高めてあげようと、相手のためを思って、自分の大事にしている宝物を売りに出すという犠牲を払ってまで、心のこもった贈り物を贈ったのだと思います。

 大事なのは物じゃなくて、心なんだね。髪は時間が経てばいずれまた伸びてきます。時計だって、同じ物は手に入らないかもしれないけれど、これまた時間をかけて一生懸命働いてお金を貯めれば、いつか同じような立派な時計を買うことができます。だから、二人の贈り物については、ムダになったし、ちょっと残念な結果になりましたが、でも、この二人は、本当に大事な贈り物、相手を思いやる気持ちを交換できたので、とっても幸せな二人、賢い二人だと、私は思いました。

 まだみんなは年が若いので、結婚生活のことまで想像できないかもしれません。将来、君達が社会で自立して、家庭を持つことになったとき、多分最初のうちは、若い時分は、そんなにお金はありません。みんなそうです。そのような暮らしの中で、互いに相手を敬い、信頼し合い、自分自身のことよりも家族のこと、妻や子どものことを大事にできるような、そういう大人になってほしいと思います。そういう温かな家庭を築いていってほしいと、私は願っています。

 クリスマスを前に、考えてみてください。今日のお話を終わります。

2018年01月号

石上館開寮から七か月

石上館副寮長 前谷典弘

 本年三月に入職して、右も左も分からぬまま本館業務に追われて過ごしている中、五月一日付で石上館副寮長を拝命しました。楽山寮からY君を迎え、新入生のT君が入り、児童二名、職員は寮長、副寮長、調理担当の三名で始まりました。

 石上館は児童居住スペースを挟んで寮長住宅と他の職員住宅が併設されている唯一の寮で、私はその職員住宅に入居し、子どもたちと起居を共にすることになりました。本館業務よりも拘束時間は長く、また責任ある立場になることには私の力量では不安がありましたが、鬼頭寮長はじめ職員の皆様のご支援もあり、今日まで続けて来られたのだと思っています。

 開寮してすぐに校長杯がありました。私が行事の主担当ということで、行事の準備と寮生の対応に忙しく動いていたことを思い出します。その忙しいさなか、Y君が校長杯二日目に寝坊して起きて来ないのです。仁原校長が来寮して「家庭学校で購入したドローンが見られる」と誘っていただき、グランドに連れ出せました。手を変え品を変えながら、子どもに寄り添う大切さを感じた一瞬でした。

 六月に行われた運動会も印象的です。運動会ポスター展では校長杯に寝坊していたY君が本領を発揮しました。海に向かって山地を高く飛ぶ鳥にリレーで使うバトンを握らせたデザインは雄々しく力強いものでした。そのポスター上部に書かれてあるメッセージは「協力」。子どもたちの力を結集した運動会にマッチした言葉であり、石上館の今後の生活に向けた目標のようにも感じました。

 児童二名という少ない状態が続きましたが、八月十八日に新入生N君がやってきました。時を同じくして年季の古いY君の調子が下降線をたどり始めます。意欲の低下や反抗的態度・行動が続いたため、九月上旬には児童相談所への一時保護となりました(その後十一月に措置解除)。三名となって寮全体の賑わいを期待していたところですが、またもや児童二名体制となってしまいました。

 この二名で迎えた相撲大会。寮対抗戦は三名で戦うのですが、T君が二回出ることで穴を埋めました。T君は四戦、N君は二戦を戦い抜き、みごと団体優勝を勝ち取りました。職員の誰もが寮対抗戦で石上館が勝てるとは思っていなかったでしょうし、寮長と私も望外の喜びで、夜はお祝いの会を開きました。会では二人とも自分の戦い自慢になっていましたが、どこか誇らしげでこれからの生活への自信に満ち溢れていました。

 ところが、大活躍した直後、N君が腸炎でダウンします。一週間の入院生活を余儀なくされました。またT君は児童一人きりとなってしまったことから、急遽楽山寮へ一時的な転寮をしました。五日間にわたり休寮し、子どもが誰もいなくなった石上館。夜、見回りで寮内を歩いてみると、外の風音だけがザーザーと泣いているだけでした。いつも子どもたちの寝息がスース―こだましていたことを懐かしく感じました。

 十一月八日にK君が入寮しました。作業班学習発表会の準備、木彫展など行事が立て込んでおり、天候も秋から冬に変わる時で力仕事が増えてくる中、新入生K君の頑張りが光っていました。これまでの経験や体力を活かして、寮全体を牽引しているかのようでした。T君もそれに負けじと力仕事を頑張る姿が見られ、三名ながら子ども間の関係性で行動や意欲が変化することを現場で見ることができました。教科書で学ぶことも大切ですが、その場で懸命に生きている子どもから多くのことを学ぶことができました。家庭学校に就職してよかったと思える瞬間でした。

 十二月十五日、新入生のH君が入所し、児童四名体制の寮として動いていくことになりました。入所したてなのでまだまだ未知数ではありますが、H君が将棋好きであることが分かると、世話係のT君が音頭を取り、四人全員が将棋盤を囲んで談笑する姿がありました。これからの生活に不安を抱えている新入生を温かく迎え、その不安をみんなで吹き飛ばそうと子ども同士で支えているようでした。

 当然のことなのですが、児童一人ひとりには良いところがあり、これから大きく飛躍する可能性が秘められています。一方、児童自立支援施設としての性格上、克服すべき課題もそれぞれ持っています。職員はその両面を支え、生活を整えられるよう子どもに寄り添うことが求められています。

ここで新約聖書の一節をご紹介します。

神の人よ。あなたは正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を求めなさい。(テモⅠ 6:11)

 この一節は家庭学校の生活を端的に表しうるものだと思っています。正義、愛、忍耐、柔和は生活を正すために必要なことでしょう。家庭的な愛情の下、作業や当番、人間関係で耐え、正しいことを追い求めていく、そしていつも笑顔で暮らすことができる場所。職員、児童の全てが「協力」し合い、笑顔あふれる明るい石上館になるよう、今後とも努力してまいります。

2018年01月号

木彫コンクール・音楽発表会を終えて

自立支援専門員 木元勤

 今回、家庭学校側は私と大里指導員、望の岡分校側は山岸教諭のトリオで二つのイベント(木彫コンクール・音楽発表会)を担当することとなりました。大里指導員は今年度からの施設職員です。

 分校側の連絡は山岸教諭、施設側の連絡は大里指導員にお願いしました。両名と分校の先生方、家庭学校の職員の協力に感謝です。

 でも、一番がんばって盛り上げてくれたのは何と言っても子ども達でした。

〈木彫コンクール〉 

 木彫コンクールは私も初めての担当でした。前任者の苦労など昨年までは思いやることもなく、ただただ子ども達の作品を眺めては気楽に賞の審査をしていたと思います。昨年度の反省等々、引き継ぎで目は通しているものの何とかなるさの気持ちで準備にかかりました。いったん進み始めてから色々な問題点が見えてくるものなのですね。

 作成前に一人だけ立体的な作品を作りたいがどうだろうかとの打診がありました。木彫なので材が木であれば、あとは本人の想像力・創造力の問題なので簡単に許可しました。ただし、本人と寮長先生には立体的に彫り上げようとしたら材(丸太)選びが大変であること、時間が大変かかること、技術的にも苦労することを伝えました。それでもやるとのことで、立体的な彫刻を認めました。

 コンクールと謳って金・銀・銅・特別賞と順位をつけて表彰するからには同じ土俵での勝負を!という意見もあります。至極当然な意見だと納得する自分がいます。同時に運動会で同時にゴールする小学生のようなイメージも浮かんでくるのです。来年度は、皆でこのことについて大いに議論しなければならないと思います。これを読んで下さっている方々はどう思われますか?

 木彫コンクールの材は全て北海道家庭学校の森の木です。山から切り出した丸太を三センチぐらいの厚さの板に業者に製材してもらいます。今回は残り少なかったですが在庫がありました。その板を学校内の木工教室で、中卒クラスの二名の協力を得て、カンナがけのあと三十センチ程の長さに均等に切り分けました。この材にしても実は公平かというとそうでもないのです。配る際できるだけ節や虫食いの部分は除外し、良い状態のものを用意しますが、当たり外れはどうしても出ます。これを十一月二十四日に配付し、木彫コンクール説明会を行いました。分校の大野先生に注意事項の説明と製作の際のヒント、アドバイスを頂き、製作開始となりました。十二月十一日に締め切り、展示・審査、十八日表彰と順調に進みました。

              

〈音楽発表会〉                

 音楽発表会は昨年度から担当しています。終了後、反省多々あり。今年度は改善せねばと思っておりました。会場設営ではシンプルに、手作り感満載の雰囲気作りに徹することを第一に考えました。そこで大活躍したのが大里指導員です。私の漠然とした指示を理解してくれ、賛同してくれ、実行してくれました。若いセンスを発揮し、実に音楽発表の場にふさわしい会場を作ってくれました。会場の写真を掲載できるならばご覧いただきたいぐらいです。プログラム、舞台正面にチョークアート、その周囲の飾り付けなど、シンプルで心温まるものでした。給食棟での業務の合間に、暗くなってからも頑張っていました。十二月十三日の午後開演となりました。中三のギターアンサンブル、中卒のマリンバデユエット、小五のミニキーボード、中二の電子バイオリン、中一の和太鼓、そして全校合唱、職員合唱と順調に進みました。完成度の高い会でした。

 木彫コンクール・音楽発表会ともに担当の仕事は準備まで。両イベントの主役はあくまでも子ども達です。今年度の両イベントが好評だった(と勝手に思っています)のは、子ども達の頑張りをいつも以上に感じたからです。本番当日を迎えるまでの作業や練習を地道にやったのでしょう。木彫は各自きっちりと締め切りを守り、全員が提出しました。ちなみに、立体像にチャレンジした彼は「銅賞」でした。音楽発表会に関しては、分校の音楽担当の槙先生に感謝です。各学年の楽器選び、選曲、指導がどれだけ大変なことか、歴代の音楽担当の先生を真近に見てきたのでよくわかっています。今回は中卒の生徒たちにもマリンバという楽器の提案をしてくださり、指導もしていただきました。おかげさまで、仁原校長からの講評で、中卒の演奏について触れていただいたことは、達成感を感じる嬉しいことでした。

2018年01月号

「自立に向かう子どもたちと生活して」

ホーム長 熱田洋子

 今年の一月にオープンしてからの一年を振り返ります。支援職員は四名体制、私と夫婦職員はホームの職員住宅部分に居住し常勤、一名は家庭学校と兼務です。子どもたちの勤務時間や休日はバラバラで、一日の殆どの時間に子どもがいますので常時二、三名の職員がホームにおります。子どもたちの入居の状況は、定員男子のみ六名のところ、一月に入居した子が二名、二月に一名増え、四月に五名になり現在に至っています。家庭学校を退所し入居した子が三名、児童養護施設を退所した子が一名、家庭からの子が一名で、年齢は十五歳から十七歳です。

〈入居の動機〉 

 どの子どもも就業と就学の両立を希望して入居してきました。

最初の家庭学校からの子は、町内の事業所での職場実習を就労に切り替え通信制の勉学を継続しながら自立を目指すという子と、全日制の高校に通学していた子はアルバイトをして自立を目指したいという子です。高校に徒歩通学できるメリットから、二月以降に入居した子は定時制高校受験の時期に間に合ったので入居を希望してきました。

〈入居の手続き〉

 入居に際しては、児童相談所を通じて紹介され、見学に来てもらい、面接して子ども本人の意思を確認します。制度としては、児童相談所の委託措置になり、児童相談所の別でみると、札幌市から三名、中央から一名、旭川から一名となっており、担当の児童福祉司が、定期的に、子によっては月一回、訪問して話を聞いてくれています。

〈就労先探し〉

 入居して最初に行う支援活動は就労先を探すことです。地元のハローワークにとって、十五、六歳の求職は初めてということもあって、ホームの趣旨を理解して事業所との調整など親切に対応してくれました。十八歳未満のため労働時間の制約がある上、ホームから近距離で、定時制に通う都合で午後四時までなどと限定した中でも、最寄りのスーパーマーケットで、朝八時から、また土日の勤務もあるのですが、週三十時間の就労機会が与えられ、現在まで継続している子がいます。その一方、定時制に傾注したいと短時間の就労先に変えた子、生活態度が自立に向かわず働く気持ちが失せてしまった子もいます。

子どもたちの働いている状況を見聞きすると、就労先としてお世話になった事業所では、本人の就労意欲次第なのでしょうが、働くことを通して人間関係や顧客サービスの大切さ、大変さなど社会人としての経験をさせてもらっていて有難いことです。

〈就学の状況〉

 四月の時点では、五名全員が高校生で卒業を目指していましたが、夏休みを区切りに、退学した子、休学して来春に通信制に転校しようという子がでてきました。高校側からは継続できるようにと先生たちが訪問してくださったりもしたのですが、本人たちの心の葛藤はさぞやと思うものの子どもたちにとっては職員に構われたくないようで、決断を受止めて、その後の必要な支援をし、就労と両立させている子には無事に進級できるよう見守り支えています。

〈生活の変化〉

 子どもたちの生活を見ていると、最初は、家庭学校の向陽寮のような団欒の雰囲気ではじまったのですが、五月頃から、少人数とはいえ、子どもの中には他の子と比較して自分が上だと思って傲慢な態度になったり、職員への不満があって、食事を食べない我が儘が出たり、不機嫌で、話をしなくなり自己中心さが強く見られる子もでてきました。そんな子もホーム内では挨拶もしなくなっても、職場や近所の人など外の人々には愛想が良いのです。

 子どもたちを受入れて側で生活してみてどの子も心の居場所を求めているように思われます。しっかり働けていたり、ようやく就労に安定感がでてきたり、両立を何とか頑張ろうとしているなど子どもたちはそれぞれ良い面をもっていますし、それを生かして相応しい進路へ巣立ってもらいたいと願っています。いまのところ自立への歩みは一人ひとり違っていますが、ホームでは落ち着いた生活ができることを基に据えて、弁当、昼・夜の食事づくりに工夫し共用スペースを気持ちよく保ち、「いってらっしゃい」・「お帰りなさい」の声掛けをしながら、その子の成長に必要と思われる支援を続けています。

この間、私たち職員には試行錯誤の連続で、先輩のホームから教えていただくことが力になります。自立援助ホームの全国組織や北海道ブロックの研修・交流会に参加し、情報交換や学びを通じて資質の向上に努め子どもたちの成長を喜びをもって支援していきたいと思います。

近所の方が重機で除雪してくれ、子どもたちへの声かけや野菜を頂くなど地域に支えられていることも感謝です。