このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2017年12月号

「「児童虐待」について思うこと」

校長 仁原正幹

 十一月は厚生労働省が「児童虐待防止推進月間」に定めていることから、毎年全国各地で児童虐待防止に関するイベントが行われています。その際に使われる啓発用のポスターやリーフレットには、公募で集まったたくさんの「標語」の中から最優秀賞に選ばれた作品が掲載されます。平成二十九年度の最優秀作品は、

「いちはやく知らせる勇気つなぐ声」

というものでした。皆さんもどこかで目にされたのではないでしょうか。

 参考までに過去の受賞作をご紹介します。どの標語も各年度の最優秀作品ですから、全て素晴らしいに違いないのですが、この中で「児童虐待防止推進のための標語」として最も的を射ていると思われるものを、選んでみてください。

①気づいたら支えて知らせて見守って

②あなたの「もしや」が子どもを救う。

③きこえるよ耳をすませば心のさけび

④助けての小さなサイン受け止めて

⑤つなげよう親子見守る地域の輪

⑥守ろうよ未来を見つめる小さなひとみ

⑦見すごすな幼い子どものSOS

⑧守るのは気づいたあなたのその勇気

⑨気づくのはあなたと地域の心の目

⑩さしのべたその手がこどもの命綱

⑪ためらわず知らせてつなぐ命の輪

⑫「もしかして」あなたが救う小さな手

⑬さしのべてあなたのその手いちはやく

⑭いちはやく知らせる勇気つなぐ声

 そしてもう一問。実はちょっと仕掛けがあります。この中に最優秀賞受賞作ではない標語(落選作)を、一つ紛れ込ませています。それはいったいどれでしょう。他の作品と趣が異なるものなので、注意深く見ていただければわかるかもしれません。その落選作というのは、実は私が北海道岩見沢児童相談所長時代の平成二十年と二十一年に素性を隠して二年連続応募した、私にとっての自信作なのです。

 一問目は、各人の好みもあるので意見が分かれるものと思われます。何しろ一つを除いて全て最優秀賞の作品ですから。二問目は、正解は⑤です。因みに①から⑭は、⑤を飛ばして順に平成十七年から二十九年の受賞作です。

 ⑤以外の作品は、ほとんどが「虐待を見つけたらすぐに通告しよう」という発見・通告をアピールしたものになっています。それに対して私の駄作の⑤は、児童虐待が心配される家庭を親子共々地域のみんなで連携・協力して見守りましょうという、児童相談所の職員としての理想と願いを込めたものです。でも、一般受けしないようです。第一問の答に⑤を選ばれた方がおられましたら、私としては大変嬉しく思います。児童虐待についての考え方やセンスが私と一致します。

 平成十二年に『児童虐待防止法』が施行されてから既に十七年もの星霜を経ていますが、この間一貫して発見・通告をアピールする形で国を挙げての啓発活動が行われてきました。毎年の最優秀賞受賞標語からもそのことが窺われます。

 さらに近頃では、標語に加えて三桁の児相直通電話番号が周知されるようになりました。啓発ポスターやリーフレット、新聞広告やテレビスポットなどで「児童相談所全国共通ダイヤル」の「189(いちはやく)」が紹介され、「児童虐待!?と思ったら、24時間いつでも☎189にご相談を!」という内容の政府広報が喧伝されています。周囲を注意深く監視して、少しでも虐待の疑いを感じたら躊躇せず迅速に児相につなごうというのです。

 そうした取り組みが奏功してか、児童虐待通告・受理件数は全国でも道内でも右肩上がり、増加の一途を辿っており、お陰で児童相談所は大忙しです。毎年毎年過去最多記録を更新したとして、新聞やテレビなど各種メディアは「児相の体制拡充が急務」などのコメント付きで憂慮の声を声高に伝えています。

 ところで、平成の世の日本の国の中で、本当に子どもを虐待する親が増え続けているのでしょうか。現代の親達は凶暴化してきているのでしょうか。私は全くそうは思っていません。今と昔を比べてみてください。私が子どもだった昭和の時代、躾(しつけ)と称して日常的に大人が子どもにしていたことを思いだしてみてください。親が子どもの頭にゲンコツを張る、尻を叩く、頬を平手打ちする等々はよく見られた光景でした。大声で怒鳴る、長時間立たせる・座らせるなどということは説教するときの常套手段でした。お仕置きの手段として、家から閉め出す、納戸に閉じ込める、食事抜きにするなどということもそう珍しいことではなかったでしょう。茶碗が飛び交い、スリコギで殴るような夫婦喧嘩だって落語やドラマの世界だけではなかったのでは…。ただし、昔は止めに入る人が家庭内や隣近所など、周囲にそれなりにいたでしょう。

 さらには、背景に貧しさもあったのでしょうが、子どもに三度の食事をきちんと与えない、汚れた服・破れた服を着せる、家業の手伝いや子守のために学校を休ませる、子どもを道連れに無理心中するという悲惨な事件も起きていました。これらのことは平成十二年施行の『児童虐待防止法』に規定する「児童虐待」の定義に照らせば、全て「児童虐待」に該当します。昔のほうが今よりも遙かに児童虐待が多かったと、私は思っています。

 『児童虐待防止法』の定義では、「児童虐待」は、①「身体的虐待」、②「性的虐待」、③「ネグレクト(育児放棄)」、④「心理的虐待」の四つに分類されます。子どもの面前で激しい夫婦喧嘩をすることは、現在では④の「心理的虐待」という歴(れつき)とした「児童虐待」になります。核家族が多くなり、隣近所とも疎遠になりがちな昨今では、周囲に夫婦喧嘩を止めに入る人がいなくて警察に助けを求めることになってしまうようです。警察官が駆けつけたときに、その家に子どもが三人いれば三件、五人いれば五件、警察署は自動的に面前ドメスティックバイオレンス(DV)の「心理的虐待」とカウントし、近年ではほぼ全件を児童相談所に文書通告するようになってきています。

 児童虐待通告・受理件数の内訳を注視すると歪(いびつ)な構造が見えてきます。平成二十八年度の全国二一〇カ所の児童相談所の受理件数の総計は十二万二五七八件ですが、そのうちの半分以上の六万三一八七件(五一・五%)が「心理的虐待」です。十年前の平成十八年度には、総数三万七三二三件に対して「心理的虐待」は六四一四件(一七・二%)に過ぎませんでした。同様に北海道内を見ると、二十八年度は九カ所の児童相談所の受理件数の総計が四八二五件、そのうち「心理的虐待」は三一三八件(六五・〇%)で、実に全体の三分の二を「心理的虐待」が占めるという状況です。十年前の十八年度には、総数八六二件のうち「心理的虐待」は四五件(五・二%)に過ぎませんでした。

 近年は「心理的虐待」の中における「夫婦喧嘩・面前DVによる警察通告」が圧倒的多数を占めるようになってきており、このことが児童相談所の虐待統計に大きく影響しているのです。一部メディアの報道の中には、警察と児相の連携が密になったと前向きに捉える向きもあるようですが、私はそうは思っていません。

 虐待通告を受理した児相としては、四十八時間以内に子どもの安否確認をしなければならず、大至急その家庭を訪問して子どもと家族の状況を確認することになります。児相が警察からの文書通告を受理したときには夫婦喧嘩から相当時日が経っていて、既に仲直りして忘れかけているところに児童福祉司が登場して蒸し返して嫌われることもあります。軽易なトラブルが多く、その後継続的・本格的に取り組むケースはほとんどありません。大半が一回きりの面談で終結します。労多くして功少なしというわけです。

 平成十六年の児童福祉法の改正の中で、従来児童相談所が担っていた職務のうちで、児童家庭相談に関する一義的な相談窓口は市町村が行うことになり、児童相談所は市町村のバックアップと複雑困難なケースに対応することに変わっています。したがって、児童虐待を発見した人は地元の市町村に通告することが本来あるべき姿のはずです。ただ、このことはメディア等であまり報道しないためか、また、国までが時代の流れに逆行して「児相直通ダイヤル」を喧伝するので、いつまで経っても虐待通告が児相に殺到します。今の児童相談所は虐待通告の山に埋もれて悪戦苦闘し、「虐待」の二文字に振り回されて本来の大事な機能を失いかけているのではないかと、児相OBの私としては危惧しています。

 さて、現在児童自立支援施設長である私が、何故(なにゆえ)ここまで児童相談所のこと、児童虐待通告のことを書き連ねているかです。実は「虐待通告」が他人事(ひとごと)ではなかったのです。全く思いもかけない展開で、家庭学校に被措置児童虐待の嫌疑がかかり、それを晴らすまでの一カ月半もの間、艱(かん)難(なん)と徒労を強いられたのです。

 夏休み明けから全くやる気を失い、希死念慮まで口にするようになった児童がいて、専門医に診てもらい、措置児相と協議の上で九月初旬から精神科の病院に入院させていたのですが、一カ月が経過して病状も安定したのでそろそろ退院という段になって、児相職員に当該児童から施設内虐待の訴えがあったようなのです。日課の厳しい家庭学校に戻りたくないための虚言だと推測するのですが、措置児相はその一方的な話を鵜呑みにして、家庭学校に何の照会も確認もせずに、家庭学校を所管する北海道北見児童相談所と北海道オホーツク総合振興局に虐待通告をしてしまいました。それから一月半、一方的に被告人席に座らされた感じで大変遺憾でしたが、寮の子ども達への聴き取り調査と私を初めとする職員への聴取、関係書類の調査など一連の「指導監査」を受け、真摯に対応しました。

 オホーツク総合振興局の十一月十四日付けの監査結果通知文の標題は「社会福祉施設に係る指導監査(随時監査)の結果について(通知)」というもので、文面は、「平成29年11月2日に実施したこのことについて、通告内容にある被措置児童に対する虐待行為は確認できませんでしたので、通知します。なお、引き続き適切な運営に努められるよう願います。」という実に簡素なものでした。「確認できませんでした」という表現は「虐待があったかもしれないが見つけられなかっただけ」と言っているようで、私としては些(いささ)か不本意ではありましたが、取り敢えず疑いが晴れて安堵しました。

 措置児相と児童福祉施設はクルマの両輪となって連携・協力しながらケース展開をし、児童福祉に取り組んでいるはずで、今回のことは一(ひと)言(こと)電話で聴けば、一度施設訪問して確認すれば疑いを持たずに済んだはずなのに、何故それをせずに専門機関たる児相が他の児相に通告してしまったのか全く理解できません。「虐待」の二文字に過剰反応し、その途端に思考停止してしまい、大事なケースワークを放り出してしまったように、私には思われてなりません。児相が多忙なのはわかりますが、施設から信頼を失っては元も子もないということを、是非肝に銘じていただきたいと、強く思っています。

 監査結果が出るまで新規の入所措置を止められ、疑いをもたれた職員は保護者等との連絡も自粛せざるをえないなど、業務に大きな支障が生じました。昼夜を分かたず献身的に業務に邁進している当該寮長・寮母がどれだけ辛い思いをしたか想像に難くありません。どうか児童相談所は「人の気持ちがわかる」専門家集団であってほしいと、私は願っています。

2017年12月号

3ヶ月を振り返って

児童生活指導員 大里真子

 北海道家庭学校で働き始めて3カ月が経ちました。最初の1カ月間は給食棟での食事作り、寮での炊事を寮母さんから学ぶことや作業班の参加が主な仕事内容でした。ご飯を作り、それを他の人に提供することの難しさを知りました。給食棟でも寮でもゴム手袋をはいて作業しなければならないので慣れるまでに苦労しました。素手とゴム手袋では感覚が違うので家庭で作るのとは違い難しかったです。1番つまずいたことは野菜の千切りです。今まで千切りを必要とされる場面がなく、ここで働き始めてから千切りが必要となり3カ月がたった今でも課題です。細く切るには時間がかかりすぎてしまいます。自主練習をして、うまく素早くできるようになりたいです。

 そして、作業班では園芸班に入り、雑草抜きや土作り、パンジーの仮植、定植をしました。今まであまり土に触れたことがなかったので初めは不安でしたが新鮮なことばかりでとても楽しんで行っています。

 その中でも最も新鮮だったのが軽トラックに乗ること、運転することです。私は訓子府町というところで育ったので見慣れてはいましたが乗ったことはありませんでした。家庭学校に来て初めて乗りましたがとても良い乗り心地でした。また、私が作業班で好きな作業は天地返しです。土を耕すという作業は体を動かすことが多く、それが心地良く疲れてよく眠れてとても好きな作業です。家庭学校は土作りからしているということでとても土にも関心が持てるようになりました。来年の作業には通年出られると思うのでまだまだ知らないことが出てくると思って楽しみにしています。

 また、家庭学校に来て驚いたことは、留岡幸助先生の月命日には登山をし、子ども達は夕ごはんの時にお茶漬けとおしるこを食べるということです。最初、不思議な食べ合わせと思っていましたが、中には楽しみにしている子もいておいしいということがわかりました。

 2ヶ月目は石上館に入り、寮母さんのような仕事をしました。1人で食事を作る機会が何回かあり、インターネットに頼りながら作りました。自分の知識で作ったものではないのですが、子ども達に好評で「おいしい!」と言われ、おかわりをする様子などを見ているととても嬉しくなります。作りがいがあってもっとおいしいと思われるような料理を作れるようになることと料理の知識をつけたいと思うような向上心を与えてくれます。とても私に良い影響を子ども達がもたらしてくれたと思います。また、寮に入ることで生活環境を見ることができ、子どもの特徴が見えてきて、より仕事のやりがいや楽しさが分かった気がします。  しかし1ヶ月目とは違い子ども達と関わることが増え、年が近いことで関わり方をとても考えさせられました。まだまだ関わり方は未熟でわからないことだらけで手探りの状態です。子ども達との関わり方は本を読んでも知識としては役に立っても実践に移すのとはわけが違うので、経験していくことが重要だと思いました。今後は関わり方でつまずいたら長年子ども達と関わっている他の職員に解決策、うまく関わるコツを聞きたいと思います。

 そして、家庭学校はとても行事が多く、その中でも毎月ある誕生会をとても楽しみにしています。毎月行い、誕生者をお祝いすることがとても素敵なことだと思いました。誕生会の時の寮ごとの出し物もいつも楽しみにしています。子ども達が考えるゲームやクイズがとても面白くいつも笑顔にさせてもらっています。私は正月生まれなのであまりたくさんの人にお祝いされた経験がないので楽しみです。

 これからも仕事内容が変わることはあるかと思いますが、臨機応変に対応できるように頑張っていきたいと思います。

2017年12月号

家庭学校の子どもたちと美術

望の岡分校教諭 大野忠宏

「子どもたちが美術に取り組む様子を書いていただけないか」という依頼を今年もいただきました。今回は、十一月に行われた遠軽町児童生徒美術展に出品した子どもたちが取り組んだテーマや制作の様子について記したいと思います。

◎ 心に響くデザイン

 中学一年生では「デザイン」に取り組みました。中学校に入学して初めて学ぶ美術の授業で、初めてつくる作品です。子どもたちが作品づくりに没頭できる題材として「文字のデザイン」に取り組みました。

学級代表として美術展に出品したYさんの作品は「虹」をデザインしたものです。虹というと、さわやかなイメージですが、Yさんがデザインした虹は「力強さ」と「不安定さ」が混在しています。赤を中心とした七色で構成された文字は全身に血液を送り出す心臓のような迫力があります。一方、背景には、暗い色相の大きな虹がかかり、七色に彩られた帯状の物体が複雑に曲がりくねって浮遊しています。Yさんがつくり出した不思議な世界とていねいにデザインされた文字に、学級の仲間達が「上手だなぁ」と感嘆の声を上げていました。

◎ 画家との対話

 中学二年生では、「絵画(砂絵)」に取り組みました。子どもたちは成長とともに、「失敗したくない」という気持ちが強くなっていきます。特に、子どもたちは混色と着彩を苦手とする傾向があります。そこで、混色しても濁らない「カラー砂」を使った作品づくりに取り組みました。また、ジャポニスム(ヨーロッパで見られた日本趣味のこと。印象派の画家が日本の浮世絵等から構図やモチーフを得て、自らの作品に取り入れた)の手法を用いて、画家の作風を自分の表現に取り込むことに挑戦しました。  

学級代表として美術展に出品したSさんは、十七世紀のオランダの画家ロイスダールの油彩画をモチーフに「荒海」という作品をつくりました。どんよりとした寒空の中、強風に揺られる帆掛け船と遠くに見えるわずかな青空が目にとまる風景画です。決して器用ではないSさんですが、持ち前の粘り強さを活かして、離型紙(砂をつけるシート)を細かく切り離し、微妙な色の変化をつけてコツコツと作品を仕上げました。完成した作品を黒板に貼り、遠くから眺めた時の満足そうなSさんの表情がとても印象的でした。

◎ 十五歳の自画像

中学三年生では、一版多色刷り木版画で「自画像」制作に取り組みました。中学三年生は、自立の時期です。自画像制作を通して、自分自身と対話し、より深く自分自身を見つめてほしいと願っています。

学級代表として美術展に出品したHさんは二枚の自画像を刷り上げました。一つは、カラフルな自画像、もう一つは青と白で表現されたシンプルな自画像です。どちらも力作ですが、二つの作品には違いがあります。一つ目のカラフルな自画像は周囲にアドバイスを求めながら時間をかけて刷り上げました。もう一方の作品は、誰にも相談することなく、自分のイメージで一気に刷り上げました。普段から、人の話をしっかり聞き、言われたことをきっちり行おうとするHさんです。作品づくりの正解は一つではありません。失敗を恐れず、二枚目の作品を「自分一人の力で刷り上げた」姿にHさんの成長を感じました。

◎ ゴッホの自画像

中学校で学習する美術の資料集には必ずといっていいほど「ゴッホの自画像」が出てきます。現代芸術家の森村泰昌さんがゴッホの自画像について次のように述べています。

『ゴッホの自画像というのは、自信たっぷりで堂々としている偉い芸術家という感じじゃありません。友だちの画家ゴーギャンとケンカして、キレて本当に自分の耳を切ってしまった。わたしたちと同じように悩んだり悲しんだり怒ったりしている一人の人間、そんなゴッホがわたしは好きなんです。』

 家庭学校で生活する子どもたちの多くは、モノをつくることが好きで、美術の時間を楽しみにしてくれます。また、とても素直に自分の気持ちを作品に表現します。美術は、新しいことに挑戦したり、自由な発想を大切にしたり、違う感じ方や価値観を尊重したり……多様な学びを体験できる場所です。

『モノをつくり、自らの人生もつくろう!』これからも美術教育が子どもたちの成長の一助となれたら幸いです。