ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2017年01月号

「自分を変える」

校長 仁原正幹

 新年おめでとうございます。北海道家庭学校は創立百三年目を迎えました。

 創立百周年記念事業の一環として開設準備を進めてきた自立援助ホームが暮れの二十日に落成し、元旦から熱田洋子理事を中心に「がんぼうホーム」という名称で事業を開始しています。家庭学校退所児童ばかりでなく、全道からの幅広い要請にお応えするつもりです。経済的・精神的な自立までもう一歩という男子児童がいましたら、是非ご相談ください。

 さて、私は常々子ども達に「自分を変える」ことを求めています。「そのための場所が家庭学校なんだよ」と、繰り返し語りかけています。十二月四日の校長講話でもそのことに触れましたので、参考までに概要を記させていただきます。

    ○

 今日は「自分を変える」というお話をします。みんなの中で、初めから北海道家庭学校を目指して来た人はいないと思います。ほとんどの人は自分から来たくて来たわけではないと思う。児童相談所の先生や、家族の人などに説得されて、そして、最終的には自分で覚悟を決めて、家庭学校で頑張ってみようと思ってやってきたのだと思います。

 その時の気持ちを今も覚えていますか。みんなは何をしに家庭学校に来たのでしょう。自分を変えようと思って家庭学校に来たのではなかったでしょうか。入所したときは自分なりの覚悟を持っていたと思います。明確な目標があったと思います。ところが、時間が経つにつれて、そのときの気持ちが薄れてきてしまっていないでしょうか。

みんなは、もう十分に、身に染みてわかっていると思うけれど、自分を変えるということはとっても難しいことです。大人だってなかなか生半可な気持ちではできません。自分を変えるということは、言い方を変えれば「成長する」ということです。だから、大人だって、六十歳を過ぎたこの私だって、本当は自分を変えていかないといけないんです。「もう自分はこれでいい、満足だ」と思ったら、そこで成長は止まってしまいます。人生は、何歳(いくつ)になっても、どんなに経験を積み重ねても、これで完成、ゴールということはありません。

 むしろ十代の君達の方が、自分を変えていく力が強いんです。大きく変わっていく可能性が高い。難しい言葉で言うと、「可塑性がある」ということです。大人よりも子どもの方がずっと可塑性がある。だから可能性も大きいのです。

 解剖学者の養老孟司さんという先生、知ってる人いるかな。白髪のおじさん、テレビとかで見たことないですか。脳の研究をしている東大名誉教授の先生です。今から十三年ほど前に『バカの壁』という本を書いた方で、その本は大ベストセラーになりました。その本の中で養老先生はこのようなことを言ってます。

 「君達のような若い人の最大の弱点は、自分が変わることを受け入れずに、今の自分のままで世界を考えたがることです。毎日がつまらない人は、『このままでいい、世界はいつも同じだ』と決めつけている人なんです。どうせ世の中なんてこんなものだと、勝手に思っている。自分が変われば世界も変わることに気づいていない。」

 「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。意識は秩序的活動だから、予測してコントロールする。簡単にいえば『ああすればこうなる』と考えようとします。今現在の自分の意識が予測できる範囲でしか生きない。現代はそういう人たちが徹底的に増えた世界です。これをまさしく『バカの壁』と私は言うのです。」

 「知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも『バカの壁』の一種(です。)」

 みんなの中にそういう人いないかな。自分の考えに凝り固まって人の話を聞こうとしない、そういう人時々いるよね。

 「眠っている場合じゃないですよ。すでに、すごく楽しい世の中を生きている人は本当にたくさんいるんです。勇気を出して、自らを変える第一歩を踏み出すことです。」

 「どうしたら『バカの壁』は壊れるのか。自分が移動すればよいのです。自分が変われば、世界は突然変わります。世界を明るくするのは簡単です。自分を変えればよいのです。自分が変わった時、では世界はどういう風に変わるのか。それは変わってみなければ何ともわかりません。そこが面白い。だから、それを未来といい、希望というのです。」

 みんなの中にも、先に結果を求めたがる人、いるよね。「今勉強したら、高校に受かるんですか」とか、「今日の夕作業を真面目にやったら、特別指導日課が終わるんですか」とかね。

 「実際には変わっているのに変わらないと思っているだけの場合もある。自分にも子どもの時期があったが、今はすっかり白髪になっている。どこで変わったのか分からない。」

 自分のことは意外とわからないものです。私も白髪ですが、毎日鏡で自分を見ているから逆に変化に気がつかない。久し振りに会った人に「随分白くなったね」と驚かれることがよくあります。 

 「細胞レベルで考えれば、そもそも肉体は一年もすれば九割以上変わっている。」

 養老先生は解剖学者だから、このように医学の専門的なことも述べています。髪も、皮膚も、血液も、筋肉も、身体中の細胞の何もかもが、一年か二年で入れ替わってしまうと言うのです。去年の身体と今の身体は九割も違うそうです。

「鴨長明は『方丈記』で七百年も前に人も川と同じで変わっていくんだよと言っている。」

みんなは国語の授業で鴨長明の『方丈記』習ったかな。鴨長明は鎌倉時代の人で、『方丈記』は日本の中世文学の代表的な随筆です。出だしの文章が有名です。

 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

 釣り遠足のときに湧別川に行ったよね。川を見ていると、いつも同じ川が同じように流れているように見える。でも、流れている水は、どんどん下流に流れて行ってしまうし、上流から次から次と水が流れてくるから、実際には川の水は同じ水じゃない。世の中や人間も同じだと、鴨長明さんは七百年前に言っているんです。そのことを養老先生も引き合いに出して言ってるんだね。

 ここまで、ちょっと難しかったかもしれませんが、みんな、大体わかったかな。簡単に言うと、自分を変えないで、自分の周囲に壁を作っていると、バカになりますよ、成長できませんよ、と言っているんだと私は理解しました。

自分を変えなければいけないのは、何も君達家庭学校の生徒だけではありません。世の中の人は大人も子供も誰もがみんな、一日一日の積み重ねの中で自分自身を変えていかなければならないのです。では、みんなの場合は、どこが違うのか。家庭学校にいる間は騒々しい世間から離れているので、雑音やいろんな邪魔が入らない。静かに自分を見つめ直すことができます。先生方に親身になって相談に乗ってもらえます。だから、自分を変えていくことがしやすいんです。そういう場所が家庭学校なんだね。

勇気を出して、自らを変える第一歩を踏み出すこと。そうすれば、未来と自分は変えられるんです。過去は変えられないし、他の人も簡単には変えられません。

何度も何度も注意したり、忠告しても、なかなか聴いてくれないし、変わらないでしょう。イライラするときあるよね。

 けれども、未来と自分は勇気を持って自ら動き出せば、必ず変えられます。家庭学校に居る間中、「自分を変える」ということを念じ続けてほしい。このことを毎日繰り返して考えながら、退所の日まで大切に時間を過ごしてほしいと思います。自分を変えて、大きく成長して、新しい自分になって、家庭学校を巣立っていってほしいと、私は願っています。

 今日は、「自分を変える」ということをお話ししました。終わります。

    ○

引用が多くなってしまいましたが、校長講話の一端です。今年も家庭学校と子ども達のこと、宜しくお願い致します。

2017年01月号

家庭学校の子どもたちと美術

望の岡分校教諭 大野忠宏

「子どもたちが美術に一生懸命に取り組んでいるようなので、その様子を書いていただけないか」という依頼がありました。子どもたちが家庭学校で過ごす時間の中で、分校での生活、その中でも美術の時間はわずかであり、その様子を『ひとむれ』に取り上げていただくということで恐縮しています。

今回は、美術の時間に子どもたちから発せられる言葉や様子、また卒業生のメッセージや気づかせてくれたことなどを紹介しつつ、家庭学校の子どもたちにとって美術はどのような力となりうるのかを考えていきたいと思っています。

◎おいしい美術

 望の岡分校に来て、子どもたちのストレートな言葉に元気と勇気をもらっています。「次の美術の時間はいつですか」、「二時間続きで美術を入れてほしいです」、「一〇分休みも作品をつくりたいです」、「美術が生きがいです」、「美術って何か安らぐ」。少々おおげさな言葉もありますが、子どもたちの美術に対する前向きな気持ちを感じます。料理を食べて、素直に「おいしい!」と言える子どもたちがたくさんいます。

一方で、美術に興味がない、席に座って取り組むことができないなど授業に参加することが難しい生徒も稀にいます。「食べたくない」、「食べる必要がない」と思っている生徒にどんなに栄養豊富なおいしい料理を出してもなかなか口にしてくれません。「何か食べたいものはないか」、「少しでも食べられるものはないか」を探りながら、あの手この手と策を考えるのですが、一筋縄ではいきません。「全ての子どもたちがおいしいと感じてくれる美術」は永遠のテーマです。

◎ありがとう、ツチブタ

子どもたちと生活していると嬉しいこと、不思議なこと、驚くこと…様々なことがあります。家庭学校でたくさんの子どもたちに出会いましたが、印象に残っている一人にKさんがいます。

とても理屈っぽく、目の前の出来事を自分なりの視点で論じることが信条のKさんは、美術の作品作りに人の倍の時間を要します。人とは違った視点やこだわりを作品につめ込んだ結果、膨大な時間と労力が必要となるのです。どんなに時間がかかろうと自分のペースを貫き、自分の思いを表現しようとする姿勢は、作品制作にとどまらず、行事作文や入試の面接練習など多岐に及びました。卒業の言葉づくりでは、他の生徒が一時間で書き終わるところを六時間以上かけるという徹底ぶりでした。

そんなKさんが退所する際に「大野先生に渡してください」と一枚の鉛筆デッサンを事務室に置いていきました。何の言葉もメッセージも書かれていない一枚のデッザンには、実に繊細なタッチで「ツチブタ」が描かれていました(※ツチブタは、ツチブタ科ツチブタ属に分類される哺乳類の動物)。きっとプレゼントなのでしょう。ノートの切れ端に描かれたデッサンは、少々くたびれた黒い台紙に丁寧に貼りつけてありました。

「なぜ、デッサンを置いていったのか」、「なぜ、ツチブタを描いたのか」真意の程はわかりません。しかし、手を抜くことなく細部まで描かれた作品からは、寮の部屋で黙々と鉛筆を滑らすKさんの姿が思い浮かびました。「どんな気持ちで描いていたのだろう?」と想像するだけで、言葉では言い表せないKさんの思いが伝わってきます。言葉では伝えることができないことも絵や作品なら伝えることができる!そんな美術の可能性をKさんの「ツチブタ」から感じることができました。ありがとう、ツチブタ。

◎一万年前に学ぶ

 私が普遍的な美を感じるものにアルタミラ洞窟の壁画があります。今から一万年以上前(旧石器時代末期)にスペインのアルタミラ洞窟に描かれた壁画です。まだ文字もない時代に、野牛や馬、イノシシといった動物を伸びやかに色鮮やかに描いていることは驚きです。「生きる」ということ自体が困難な時代、当時の人々の「食べたい」、「生きたい」という思いや願いが強烈に伝わってきます。そして、人々が洞窟の中で火を焚き、暗闇に浮かび上がる壁画を見ながら生きる希望や喜びを見出していた様子が目に浮かびます。一万年以上も前の人がただ生きるためだけの狩りに明け暮れていたわけではなく、厳しい生活の中に様々な変化や楽しみを見出しながら豊かな人生を送っていた、ということを私たちにイメージさせてくれます。

ひるがえって現代社会を見つめてみると、旧石器時代とは別の意味で厳しい時代だと感じます。目まぐるしく変化する社会の中で、夢や希望や拠り所を見つけることは容易ではありません。そんな時、一万年前の先人に学ぶとするなら、絵を描いたり、モノをつくったり、美術館や映画館に行ったり…生活に潤いと安らぎを見つけ、自分らしく生きていく術を身に付けていくことが大切だということです。

家庭学校では、木彫展や雪像展を始めとして、生活に変化と潤いをもたらす取り組みや行事が充実しています。その一つ一つに人生を豊かに生きていくヒントが詰まっているように思います。子どもたちには、家庭学校で幅広くたくさんの経験を積み、自分らしい豊かな人生をつくり上げていく意欲を養ってほしいと考えています。

『モノをつくり、自らの人生もつくろう!』美術教育がその一助になれば幸いです。

2017年01月号

専門部会に出席して、それ以外のこと

自立支援部主幹 鬼頭庸介

 十二月一日から二日にかけて、家庭学校に来てから初めて東北・北海道地区の専門部会に出席させていただきました。出張で遠方へ出かけるのは武蔵野学院の時代に大先輩の先生と一緒に広島に予後調査に行ったとき以来のことで、実に久しぶりのことでした。肝心の仕事はほとんど先生がしてくださり、私は付き従っているだけのような立場でした。調査が終わった夜に、今はなくなってしまった広島市民球場でたまたま広島カープ対大洋ホエールズのナイターの試合があり、先生がホエールズのフアンで私も野球好きであったこともあって、ふたりで試合を見に行った記憶があります。試合のことは全く憶えていませんが、カープには山本浩二や衣笠がいて、ホエールズには平松なんかがいた時代だったと思います。出張中にナイター見物をしてもなんのお咎めもない、のんびりとしたいい時代でした。

 専門部会については、近畿にいた当時、国から第三者評価基準を各施設で作成するよう通達があった頃に定期的に会議があり、そこに出席していました。近畿の場合は、比較的狭い範囲に八施設があり、日帰りで行うのが普通で、寮を持っていたので会議の度に急いで帰っていたことを覚えています。その頃は、阿武山学園に林さん、若葉学園に舟積さん、修徳学院に新里さんがおり、武蔵野の養成所の同期が四人もいて、専門部会の折に会うことができ、それも楽しみでした。

 さて、今回の専門部会ですが、会議の場は大沼学園でした。同じ道内とはいえ、遠軽から函館までは遠く、日程的に途中一泊しなくてはならず、札幌に泊まることにしました。後でわかったことですが、大沼に着くまでに泊まりがけで来ないとならなかったのは、私の他には福島学園の先生だけであったようでした。会議は午後からだったのですが、新幹線が函館北斗まで開通したために、朝早く出れば秋田や山形あたりからでも昼頃には函館に到着できるのでした。大学時代に襟裳岬での昆布漁のアルバイトに来たときや養成所時代に家庭学校に実習のために本州から北海道にたどり着くためには青函連絡船で津軽海峡を渡るしかなく、かなりの時間を要したことを記憶しています。その頃に比べたら、ずいぶんと便利になったものだと思いました。

 もうひとつ驚いたことは、聞いてはいましたが、旅の途中で出会った人たちの国の多彩さでした。まず、遠軽から札幌への特急オホーツクでは、隣の席に座っていたのはマレーシア人でした。札幌の街を歩いていたら、懐かしい言葉が聞こえてきました。タイ人でした。札幌のラーメン屋さんで隣の席に座っていた人たちはシンガポール人でした。札幌では、歩いている人の半分くらいは日本人以外のアジアからの人々だったように思います。こんな冬の寒い時期にわざわざ暑い国から北海道にやって来るのは、どうも彼らは雪を見たことがなく、雪を見ることが目的のひとつであるように思いました。これはタイで暮らしていたときに、度々タイの子どもたちから「雪を見たことあるか?」と訊かれたことがあり、熱帯に暮らす人々にとって「雪」というものが並々ならぬ興味の対象なのだと理解したのでした。大沼公園駅の待合室には大勢の団体客がいて、どうやら台湾や韓国からの観光客のようでした。駅に置いてある観光パンフレットにも中国語とハングル語の二種類が置いてあり、いかにこのふたつの国からの旅行者が多いのかを知ることができました。

 本州育ちの私にとっては冬の靴問題があります。家庭学校の児童も雪の季節になると冬靴というものに履き替えます。冬靴という発想がない私には、これも北海道に暮らすようになってから驚いたことのひとつです。私は、普段家庭学校内で暮らしているので、冬靴がなくても長靴で済ませることができるので冬靴は持っていません。今回の専門部会に出席することになって、どんな靴を履いて行くかということが問題でした。きっちりしたスーツではないにしてもきちんとした服装で行くことになると、作業用に履いている長靴ではみっともないし、普通の革靴では滑って転倒すること間違いなし。結局履いて行ったのは、雪道用のランニングシューズでした。色が紺色っぽかったので、グレーのスラックスにもさほど違和がなく、旅行先の各地で走ることが趣味でもあり、どうせランニングシューズは持参するのだから、履いて行ってしまえば荷が軽くなるし、雪道でも滑らないような靴底になっているので、一石二鳥でした。このシューズのおかげで札幌では所々凍りついた雪道の中島公園を気持ちよくランニングすることができ、二日の早朝にはグリーンピア大沼の周辺を吹雪模様の天気の中、無事に走ることができたのでした。

 大沼学園で以前晩翠寮を担当しておられた秋葉夫妻は、寮長は私たち三十八期の養成所係であり、武蔵野時代の職場の先輩でした。寮母は私の同期です。一日目の会議が終わってから秋葉先生に連絡を取り、会議が終了してから会えることになりました。汽車が発車するまでの短い時間でしたが、久しぶりに同期であった秋葉陽子さんに会って話しをすることができました。

 専門部会に出席することで、一度は訪れてみたかった大沼学園の見学もさせていただき、東北・北海道地区の自立支援施設の人たちとの交流も深めることができたことは、私にとって有意義な二日間となりました。企画や準備、当日の送り迎えや世話をして下さった真中先生や熊本先生はじめ大沼学園の皆様にはこの場を借りて感謝の意を表します。

2017年01月号

寮母一年目として感じること

児童生活支援員 藤原美香

 私たち夫婦は、家庭学校に着任して三年目の春からベテランの楠夫妻から掬泉寮を引き継ぎ、新しく寮長寮母としての一年目がスタートしました。寮担当になるまでの丸二年間は、本館職員として、また、休暇寮の寮長寮母として、一般寮が休みの日に生徒を預かりながら、寮担当として働く基礎を身に付ける時間をかけてもらいました。

 はじめの二年間は子ども達との関り方を学ぶのが精いっぱいで、仕事を覚えるよりも、一人ひとりの性格を知り、相性を知り、まずは子ども達に受け入れてもらうことが目標の日々でした。関わり方を模索する日々の中で、食事を一緒にすることや日記のコメントを書く、できる限り一緒に作業をする等、時間をかけて少しずつ子ども達に受け入れてもらってきたと思います。しかし、なかなか意思疎通がうまくできずに感情を逆なでしてしまったり、個々で接している時と集団になった時の子どもの姿の変わりように対応しきれず、悩んだこともありました。

 そして、念願だった寮担当職員として、来春から掬泉寮の寮運営を…と任命された時、私のお腹の中には六月に生まれる予定の第一子がいました。初めての子育てと寮運営が同時になることで、それまで楽しみにしていた寮長寮母としての職が果たして自分たちに務まるのか、非常に不安でいっぱいになった瞬間でした。 三月下旬より寮を引き継ぎ、はじめは「先生が変わっても頑張ります」と言っていた子ども達でしたが、月日を重ねるにつれて、「こういう時は○○先生の時はこうだった」や「前の先生が良かった」という声も聞こえ、どのように伝えたら子ども達に響くのか、また、担当が替わったからといって子ども達の生活の質を落とさないようにしなくては…と焦る毎日でした。しかし、日々の生活を積み重ねるうちに少しずつではあるけれど、私たちを受け入れてくれている実感もわき、たまに寮長に対して毒気づく子も、身重の私に対しては重い物を持つのを手伝ってくれたり、優しく接してくれました。特に、寮を持って三週間ほどで産休に入ってしまうことに申し訳なさでいっぱいだった私に、こっそりと寮生の皆が話し合って書いたというメッセージカードをもらった時はとてもうれしく、産気づいた時にお守りとして持っていくことが出来ました。

 産休中は寮生の食事の準備はしませんでしたが、ちょっとした繕い物をしたり、話し相手になったりと、出産直前まで寮には必ず顔を出して子ども達との時間を大切にしてきました。さらに、出産予定日が運動会後の予定であったため、寮で運動会のダンスの練習をする子ども達を見ながら、私も寮の子ども達も運動会を見に行けるかどうかを気にして、出産を控えていました。

 しかし、願いむなしく、予定より二週間以上早く破水、陣痛が始まり、また早朝だったために寮生の顔を見ることなく、早々に北見の病院に向かうことになりました。その際には、早朝にもかかわらず寮の留守を引き受けてくださった先生方に見送られ、無事にその日の夜のうちに元気な男の子を生むことができました。生まれてきた子は小さいながらも生命力を感じ、今まで感じたことのないような愛しさでいっぱいでした。それと同時に、寮にいる子ども達に早く会いたい、会わせたいという気持ちがあり、寮長には一人ひとりに書いた手紙を託して、退院の日を待ちわびていました。退院後は、子ども達も恐る恐る赤ちゃんを見たり、久しぶりの私の姿に少し距離を置く子もいましたが、新しい寮の一員として迎え入れてくれたことがとてもありがたかったです。

産後はできる限り寮に顔を出そうと考えていましたが、思った以上に体の負担が多く、また、初めての子育てで、時間間隔もままならないまま、下手をすると一日寮生の顔を見なかったかも…という日も正直ありました。それでも、時間を見つけては顔を出したり、楽しみにしていた運動会の話を聞いたり、寮長から一日の様子を聞いたりして子ども達の様子を気にかけて過ごしていました。産後休暇が明けてからは、職場の皆さんに配慮していただき、しばらくは寮の食事作りと寮運営のみの仕事となり、自分の子どもの世話を十分にしながら仕事をすることが出来ました。

子どもが生まれてからは、より一層寮生の優しさが身に沁みて、子どもが泣いていればすぐにそばに寄って笑顔を振りまいてあやしたり、私が子どもの世話をできるように手伝ってくれたりと今まで以上に子ども達が持っている思いやりの心を感じている毎日です。時には、自分のこともよく見てほしい!という思いの裏返しで突っかかってくる子もいますが、そんな時ほど一人ひとりの子ども達とじっくり向き合って過ごすことが大事なのだと改めて感じる瞬間を得ることができました。何よりも、小さい子どもを愛でる気持ちが寮生に芽生えていることを感じずにはいられません。自分も小さい時はこうだったんだなぁ、とか、幼い兄弟に思いを馳せる子もおり、家族への思いが強くなっていくことが実感されます。家族への手紙を書くことが増えたり、ちょっとした話の中で自分の家族を話すことが自然と出てきたように思います。

寮を持つ前は不安でいっぱいでしたが、いざ寮母としてスタートしてみると、周りの先輩職員に支えられ、何より寮の子ども達に支えられ、毎日を笑顔で過ごせています。まだまだ寮母として、母親として未熟ではありますが、ここで過ごす子ども達が少しでも「家庭学校に来てよかった」、「掬泉寮の生徒でよかった」と思えるように、日々向き合えていけたらと思っています。

2017年01月号

がんぼうホーム便り

ホーム長 熱田洋子

 自立援助ホーム「がんぼうホーム」の運営を一月一日から開始しました。

対象は、義務教育終了後の二十歳未満の男子で、定員は六名です。詳しくは、直接ホームにお問い合わせください。

◇住所:遠軽町南町一丁目三~一四四

◇連絡先:〇一五八~四二~六七九二