このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2016年12月号

「子権侵害・親義務違反」

校長 仁原正幹

 北海道家庭学校に入所する前に虐待を受けていた児童の割合は、近年では常に六割から七割ほどの数値で推移しています。ただし、その数値も児童相談所が感知して虐待ケースと認定したもののみの数値であって、入所後の本人の言動や児童記録票等の記載内容から類推して虐待が窺われるケースは実際にはもっと多くあります。平成十二年施行の『児童虐待防止法』に規定する「児童虐待」の定義に照らせば、ほとんどが虐待ケースに当たるのではないかと、私は見ています。北海道家庭学校は、被虐待経験を有する子ども(と、発達障害を有する子ども)の集まりだというのが私の実感です。

 十一月は厚生労働省が「児童虐待防止推進月間」に定めており、全国各地で広報・啓発活動が集中的に繰り広げられています。北海道においても毎年雪がちらつき始めるこの時期に、各地の児童相談所等が主催する講演会やシンポジウムが開催されています。児童相談所にいた頃は主催者側だった私ですが、今年は北海道帯広児童相談所に呼ばれて、十勝管内の音更町総合福祉センターで講演しました。そのときの演題が「子権侵害・親義務違反」で、サブタイトルが「北海道家庭学校の子ども達」というものです。

 「子権侵害」も「親義務違反」も、私が五年ほど前に思いついた造語なので、多くの皆さんにとっては耳慣れない言葉だと思います。どういうことを意味しているのだろうと訝しむ方もおられるかもしれません。私としては「児童虐待」という言葉を「子権侵害・親義務違反」に読み替えたい思いがあるのです。

 私は「児童虐待」という言葉が嫌いです。「虐待」の二文字が与える印象があまりにも強烈だからです。「虐」という漢字は「虎の頭」の象形と「虎の爪」の象形と「人」の象形(「人」の象形部分は後に省略されたようです)から、虎が爪を立てて人を押さえ込む様子を表し、そこから「むごい」という意味を表す会意文字だそうです。その作りからして非常に陰惨な印象を与える漢字なのです。「動物虐待」ならいざ知らず、人間の親が人間の子どもになす行為を表現する言葉として「虐待」は酷すぎると思います。児童相談所や周囲の人から、「あなたは虐待をしている」と言われてすんなり受け入れる親などまずいません。時には猛烈な抵抗に遭います。

 私は「児童福祉」の仕事の目的や役割は「子どもの人権を護ること」だと考えています。国連が一九八九年に制定した『児童の権利に関する条約』というものがあります。我が国では一九九四年に批准されました。この条約の中で、「子ども」は、自分のことについて自由に意見を述べ、自分を自由に表現することが認められるべきであり、また、私生活・家庭・住居・通信に対して、不法に干渉されないことや、暴力や虐待といった不当な扱いから守られるべきものであることなどが定められています。「子ども」を単なる「保護の対象」としてではなく、独自の考えや主体的な能力を持つ「大人と対等な一人の人間」として捉え、発達段階に応じてその権利を行使しながら社会に参加していく存在であると考えていることがこの条約の特徴です。こうしたことから、『児童の権利に関する条約』は、子どもを一人の「権利主体」として捉える人権史上画期的な条約であると、高く評価されています。

 今年五月の『児童福祉法』の改正において、同法の基本理念ともいえる第一条の条文が大きく書き換えられました。「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」という文言に改訂されたのです。『児童福祉法』の中で「子どもの人権」が一層明確に位置付けられたのです。

 私としては、「児童虐待」とは「子どもの権利を侵害すること」であり、加えて「親としての義務(親権)を怠ること」であると考えています。したがって、「児童虐待」というイメージ優先の言葉よりも「子権侵害・親義務違反」の方が説得力があり、また、言われた当人も受け入れやすいのではないかと考えるのです。

 さて、こうした『児童の権利に関する条約』や『児童福祉法』の精神を踏まえて「子どもの人権」を考えたとき、非行や問題行動を有する児童に対応する児童自立支援施設といえども、入退所に当たっては児童本人の意思が尊重されなければならないことは言うまでもありません。あくまでも本人の自己決定に基づいて入所すべき施設であり、在籍期間についても当該児童の意向を尊重して判断すべきものと考えます。周囲の大人が良かれと思っても、また、社会防衛的な観点からその児童をしばらく地域や学校から遠ざけようという思惑があったとしても、本人が納得しない状況で行うことは「子権侵害」であって、公的機関までが「児童虐待」を行うことになってしまいます。

 そもそも児童本人が納得できずに強行される行為がその子どもの成長に繋がるわけがありません。子どもの自立支援の手法は「矯正」でも「強制」でもなく、周辺環境を整えることによって本人の潜在能力を引き出す「環境療法」です。

 児童福祉に携わる児童相談所や児童自立支援施設の使命は、子ども自身が自己を変革しようとする決意を固めるまで、寄り添い励ましながら、粘り強く説得を続けることに尽きると、私は考えます。

2016年12月号

五年間を振り返って

望の岡分校教諭 高田雪江

「ここにいる生徒全員が育て直しが必要な子ばかりです。とにかく彼らが分かる授業をお願いします。分校の仕事はまず、生徒たちに学ぶ大切さを教え、学力を付けることですから…。」と当時の森田教頭先生がよく話されていたのを覚えています。やるべき事は分かったのですが、遠軽町に家庭学校があること自体、知らなかった私にとって赴任して一年目は「家庭学校自体をまず知る」ということと平行して、ここに入所してくる「生徒の実態を知る」ことから始まりました。

「生徒の実態を把握する」

 私が望の岡分校に来てまず行ったことは、生徒一人一人のファイルを熟読するということでした。正直、彼らに対してどんな風に接していいのか分からなかったので、何かヒントになるものがないのかと思って読み始めました。入所してくる生徒たちの生い立ちや、どういった経緯をたどってここにたどり着いたのか…読み進めるにつれ私の予想をはるかに上回る壮絶な生活を送っている生徒ばかりでした。生徒のファイルを全て読み終えたのは五月の終わり頃でした。生徒の顔を見ると彼らの苦悩がよみがえり、彼らを大切に思う気持ちに変わっていきました。普段の何気ない表情や言葉がけ、授業の中にも盛り込んでいくことが必要だと感じました。どんな時でもこの人は見守ってくれるという安心感を生徒に持ってもらうことが何より大切なことなのだと気がつきました。しかし、なかなかうまくいかない現実があり格闘の毎日が続

きました。

「脱母親イメージ」

 入所してくる生徒の特長として、母親との関係がこじれてしまっている生徒がほとんどです。母親に甘えることなく育ってきた彼らは、私の顔を見るたび母親との嫌な過去を思い出しているかのような立ち振る舞いをする生徒もいて指導にかなり気を使ったのを覚えています。キンキンと高い声で怒られ愛情が感じられないコミュニケーションの中での生活。 私は男性にはなれないので声の口調、大きさ、話しかけるタイミング、名前の連呼はしないなど工夫をしてみました。 そんなことより「寒くはないの?」「かぜ、ひかないようにね」そんな普通の言葉が意外と母親イメージを破ってくれたようで、少し関係が作りやすくなった気がしています。彼らの心に伝わる言葉を

未だに探し続けています。

「内省の難しさ」

 ある日の午後、ものすごい勢いで仲間

に寮長先生とのやり取りを一部始終話し

ている生徒がいました。自分が指導され

た内容が納得いかなかったようで、身の潔白をはらそうとしているのか、「あいつ、おかしなこと言ってるし、ホントにうぜーよ!」で二人の会話が終了しました。

 数年前によく見かけたのは、寮長先生の指導を受けたあとは、他の人と話せるような雰囲気は一切なく、うつろな表情をしていたり、挙動不審すぎて「これは何かあったな」とこちらが気を使うほど人が変わったかのように表情がなくなっている生徒が多かったように感じます。 寮長先生の言葉が頭や心を駆け巡り、自分なりに考えて一つ結論を見つけ出そうとしているのが伝わってきました。下手に話かけられる雰囲気ではないので見守っていました。結局この生徒は、自分なりの答えが見つけ出せず数日悩んだ末、数名の先生に相談にのってもらっていました。

生徒自身が自分の行動を見つめ直し、

改善しなければならない理由を見つけ出

そうとするまでには、指導者側のかなりの根気と労力、時間が必要です。そして何より自分の課題に真剣に向き合うきっかけとなるのは、信頼関係以外ないと思います。一人でも多くの大人の声に耳を傾ける心を育てることが本当に難しいこ

とだと日々痛感しています。

「限られた時間」

ここを巣立っていく日が迫っている三年生の授業では、残りの時間で生徒たちに何を残せるのか悩みどころとなります。

 私は、社会科の授業で生徒たちに決まってこう伝えています。「あなたたちは、数年後、嫌でも社会人と呼ばれるようになります。とにかく働き、税金をきちんと納め、国民の義務を果たして下さい。」と。

 半数の生徒はポカーンとしていますが、自分の頑張りが社会に必要とされていることを一人でも分かってもらえたらと思っています。もしこの先、自分がピンチの時に全てではないけれど、助けてくれる人や機関が必ずあるということを知っておいてほしいからです。

生徒たちに関われる時間が、どこの学校よりも短く限られています。関われる時間を大切にしながら、生徒たちの心に寄り添い、学びの基礎作りのために自分のできることをこれからも模索し続けていきたいと思います。

 最後に、私は約二十年ほど特別支援教育に携わってきました。どんなノウハウよりも生徒たちが安心して学べること、誰かしらの愛情を受けて生活している実感が彼らを支え続けていること知りました。この学びを忘れることなく今後も、彼らと楽しい時間を過ごしていけたらと思っています。

2016年12月号

青森にておもったこと

児童自立支援専門員 竹中大幸

 寒さもいちだんと厳しくなり、年末に近づき忙しいさなか、青森県へ研修に行かせていただきました。研修で道外に出るのは今回が初めてで、初新幹線でもありました。道中は長く、研修ではありましたが少しでも気分転換ができればよいと、鬼頭主幹からも言葉をいただき、気楽な気持ちでいこうと思いました。

輪休対応明けでしたが、幸い加茂先生に泊まりに入っていただいたので準備する時間もとれてかなり楽でした。ここ遠軽から札幌までは私自身で車を運転して行きました。雪が降るかどうか心配しましたが途中で雨が降ってきました。それでも道路状況は悪くはなく、予定より早く到着できました。市内の実家に寄りその後、電車で札幌駅から新函館北斗駅まで約三時間半かけて行き、そこからは人生初めての新幹線で新青森駅まで約一時間かけて行きました。電車の乗り継ぎはスムーズにいき、新幹線の車内はやはりまだ新しく、二列と三列の計五列シートの並びでした。周りを見回し、特に普通の電車と変わらないと思いましたが、窓際の座席の下にコンセントがあり、電源が取れるようになっていました。気がついたところはそれぐらいでしょうか。

 日曜日の夕方で少しは混雑しているのかと思われましたが、それほど混んではいなかったので、隣を気にせずゆっくりできると思いつつ、少し淋しい気持ちもありました。車中からの景色はほとんどがトンネル内ということもあってか、特別速いという感じはありませんでしたが、運転の疲れのためほとんど寝ていたのであまり景色を楽しむことはなかったのでした。新青森駅から青森駅に着いたときには周りはすっかり暗くなっていました。

積雪はほとんどなく、寒さもそれほど厳しくはありませんでした。

 そこからバスに乗って宿泊するホテルを目指そうと思いましたが、さて、どうしたものか、どの乗り場か分からないので、すぐ目の前にあるバスに乗り込み、宿泊するホテルの名前を出しました。運良く、最寄りの停留所を通るということで、それに乗り下車しました。街中ではありましたが二十時近くになっており、日曜日ということもあってか商店街はあまりやっている店がありませんでした。ホテルの近くまで来ていることは間違いないのですが、いまいち現在地を把握できずにしばらくウロウロしていました。スマートフォンの地図を見ながらでしたが、地図アプリの調子が悪いのか、はたまた私が方向音痴なのか苦労しながらホテルにたどり着くことができたのでした。

あまりお腹は減ってはいなかったので近くのコンビニで買って夕食を済まし、疲れのため早めに就寝しました。

 ホテルの名前はラ・プラス青い森というところでした。宿泊場所でもあり、研修会場でもあったので、時間に余裕が持てる過ごし方をできるなと思っていましたが、朝起きると喉が痛く、咳も出ていました。このところの疲れがたまり、風邪を引いてしまったようでしたので、朝食を食べてからは横になっていました。

研修開始は十四時からでしたので、それまでベッドで休んでいました。せっかくホテルの周りを散策してみようと思っていたのに残念でなりませんでした。

 寝ていたのが幸いして、体調もある程度回復しました。ここに来た目的である研修を緊張感のある中、興味深く受けることができ、一日目の研修は無事に終わりました。研修会には以前、大沼学園の研修で一緒だった大沼の寮母さん、向陽学院の寮母さんの姿もあり、懐かしかったです。

 研修後、ホテル内の会場で交流会があり、中華テーブルが用意された部屋での会食となりました。主催の青森県立子ども自立センターみらいの所長さんの隣で話をさせていただきました。とても気さくな方で、前半の事例検討のことについてや、施設の様子について教えていただきました。食事はイベリコ豚を使ったものなど美味しそうな料理が少しずつ運ばれてきました。たくさん食べたかったのですが、周りの様子をうかがいながら遠慮してしまい、思うように箸が進みませんでした。

 二次会はほとんどの方が参加し、ホテルから少し歩いたところの洋食の店に行き談笑してきました。アルコールを飲まれる方が多く、普段子どもの対応をしている寮母さんもゆっくりできる時間を過ごせるのかなと思っていました。それでも寮のことが気になり連絡してみると、少し荒れているみたいとの話しを聞きました。どこの施設も似たような状況なのだなとあらためて感じました。

 二日目の研修も一つの事例に対して新しい手法で検討し、進めていくものでした。それを終えると施設見学ということで、用意された車に分乗して目的地までの道のりです。青森駅から三十分くらいはかかるところで、施設に近づくにつれて坂を上がり道幅も狭くなるということで冬は特に大変だと話されていました。

 施設には男女合わせて十二名が在籍しており、各教室、廊下には子どもの行事の写真や作品が飾られていました。授業風景も少しではありますが見学できました。体育館での授業でしたが、家庭学校の体育館の半分くらいの大きさで、暖房が工事現場とかでよく使われるジェットヒーターと呼ばれるものを両側に一つずつ配置してある場所でした。そこでは元気に授業を受けている子どもの姿が見られ、家庭学校にいる子どもの姿と重ね合わせてみたりして、早く会いたい気持ちにもなりました。

分教室(学校教育)が導入されていましたが、施設と分教室の部屋が別れており、各職員間の情報の共有や、密な連携を取るのが難しくはないのかなと感じました。

 敷地内のグラウンドも家庭学校の半分くらいですがそこで運動会を行い、ただ野球は大会に参加していることもあり、別のグラウンドを借りて練習を行うとのことでした。

 寮舎は一つの建物内で男子と女子に分かれていて、今は諸事情でしていないのですが、食堂では一緒に食べていたそうです。職員が対応する指導室は全体を見渡せる造りになっていて、子どもの状況を常に気にかけることができると感心していました。と同時にプライベートな場所があまりないのだなとも感じました。

児童の居室は一つの畳部屋で、しきりのある机に向かうときだけ自分を見つめ直す時間を持てるのかなと思いました。家庭学校では一部屋が大まかに四つに分かれているので、机、ベッドを含めて個人のスペースはたいへん恵まれていると思いました。

 全てにおいていつでも大人の目が届き、見守っていくということは難しいでしょう。

 私が暮らす家庭学校は特殊だと聞いてはいましたが、同じ児童自立支援施設の違いをこうして自分の目で見て確かめ、それぞれに違う環境で生活している人達とふれあえることによって、いろいろな問題や共感できる考えを直に聞けたことは私の成長に役立つと信じています。

2016年12月号

「自立援助ホーム「がんぼうホーム」がスタートします」

理 事 熱田洋子

 二〇一七年一月、社会福祉法人北海道家庭学校の事業として、年長の子どもたちを対象とした自立援助ホーム「がんぼうホーム」を遠軽町内に開設し、運営を始めることになりました。

ホームは、遠軽町南町一丁目、遠軽高等学校のそばに建ち、名称の「がんぼうホーム」は、ホームから見える遠軽町のシンボル瞮望岩(がんぼう岩)にちなんだものです。

対象は、十五歳から二十歳までとし、男子のみ六名としました。

ホームには職員が住み込み、子どもたちを支援します。

主な支援内容は、就労支援、生活支援、学業支援、関係機関との連携、退居時の支援などを行います。

家庭学校から義務教育を終了し巣立っていった子どもたちをみると、進学よりも就労への道を選ぶ子どもや、高校に入学しても中途で退学し就労するようになる子どもがおり、そのような子どもたちの就労が定着するまでの道のりは険しく、一方では不安定な生活を余儀なくされることが多いと聞いています。また、家庭学校に席を置いたまま定時制高校に通学し、働くことを経験し就職する子どもであっても、一人暮らしを始めた途端に生活が崩れてしまうなど、自立へ向かい就労や生活に難儀している子どもがいます。折角施設での生活を通して生活改善がなされ、努力が実り社会へ戻っていく子どもたちが、その後も安定した生活を送りながらそれぞれの目標に向けた生活を営むことができるように心から願うものです。

自立援助ホームでは、義務教育を終了し、児童自立支援施設や児童養護施設を退所した子どもや、或いは家庭に居場所を無くし家庭を出て働くことを望む子どもたちの、よりスムーズな自立を支援する事を目的としたもので、就労しながらの養護という、特殊な面を持っているものです。

ホームに入居した子どもは、まず職員の支援を得て就労します。その収入から利用料(食費・水道光熱費)を月三万円程度負担してもらいます、また、毎月の生活支出が、収入の範囲で適切・計画的にできるよう生活支援を受け、いずれアパートなどを借りて自活することを念頭に貯金等、自立への準備をしていきます。多少生活面で生きづらさを抱えていても、ホームでの生活を通して社会に出るための生活技術や経験を積むことができ、また実社会である就労を通して対人関係、生活習慣などの社会常識や考え方なども身に付けて成長していきます。利用期間は、六カ月から二年程と比較的短期間を考えていますが、退居後の実社会での経験で本当の自立を達成できる、それを目指しての支援という考え方をしていますので、退居後の相談や支援も必要と考えております。ホームは社会生活での自立への助走期間、施設を経験した子どもたちには、施設と地域社会の中間にあって、より自由度の高い生き方へ一歩踏み出す場になると思います。

ホーム入居を希望される子どもからの相談は児童相談所、あるいはホームが直接連絡を受け付けるという二通りがあり、ホームの生活や約束事などを説明し、やってみたいという本人の意思が確認できれば、ホームと利用契約を交わします。ある程度の判断力がついてきた年長の子どもには、自分で選び、自分で決定することが自立の出発点であります。それを見守ることは子どもの主体性を尊重する自立支援の基本といわれます。

日々の生活において、入居した子ども一人ひとりに、就労と将来の社会生活に役立つ生活体験を通じ、夢を育むように支援に努力していきたいと思います。まず、安心できる生活環境を提供することに配慮し、時には子どもと一緒に食事をつくる機会も持ちます。 

住まいの面では、個室でプライバシーが守られ、気持ちよく感じる環境にしていきます。また、社会人として自立するために就労が不可欠ですので、就労を継続し、就労スキル(心構え)挨拶、時間厳守、報告と連絡・相談の徹底、服装と身だしなみ、謝ることの大切さを覚えていくことができるよう就労支援に力を入れます。学業に関わっては、中卒・高校中退者の就職活動には厳しさが伴うことから、高校卒業資格を得ることで職種が広がり未来への可能性を見出していけると思われますので、入居中に高校卒業できるように、また退居後は就労と学業の両立は難しいことが懸念され、高卒認定合格に向けた支援もあり得るのではないかと考えています。

入居される子供たちの就労について、次のように考えています。就労は一日八時間、週五日以上継続して働くことを目指してもらいます。

定時制高校に通学する場合や、通信制高校に在学する場合も、就労について右記と同様のことを目標としてもらいますが、定時制高校の場合は、登校時間に間に合うように仕事先で配慮してもらうことが必要になってきます。

ホームには管理者や夫婦職員が住み込み、小舎夫婦制をモデルに生活を共にしながら支援します。私ども職員の心構えとして、子どもたちの話しを誠実に聴く姿勢を貫くこと、そして職員も何を大事に思っているかを伝えていくことができるようにし、子どもたちと共に歩む者でありたいと思います。

 道内には、他に一〇カ所ほど自立援助ホームがあり、利用者や運営の状況は様々で、オホーツク地域には初めて開設されるホームです。私達のホームの特徴は、働くことにおいて、家庭学校の高校生がこれまで実習でお世話になってきた遠軽町内の事業所があり、これからも就労の上でご理解・ご協力をお願いできるのではないかということ、学業では遠軽高校に通学しながら働くことが可能であること、基盤として家庭学校が百年の歩みを通して地域の方々のご理解をいただいていることがあげられます。

このような、地域とのつながりを大事にするとともに、関係の皆様にホームをよく理解していただいて、一人でも多くの子どもの自立につなげていきたいと願っています。