ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2016年06月号

「児童の権利擁護」

校長 仁原正幹

児童福祉の仕事の役割や目的を端的に言うと「子どもの人権を護ること」即ち「児童の権利擁護」だと、私は考えます。児童自立支援施設・北海道家庭学校の立脚点も「児童の権利擁護」にあります。

五月二十六日・二十七日の両日、高知県で全国児童自立支援施設長会議が開催され、私も出席しました。この施設長会議の分科会等の議論の中で、「他に行くところがないからという消極的な理由で児童自立支援施設が選択され、対応に苦慮している」とか、「児童養護施設等からの措置替えで多くの児童が入所して来るが、一方通行で元の施設に戻れないことが多い」、あるいは「施設内虐待を惹起しないよう、子どもの人権についての研修に腐心している」等々、いつもながらの苦労話が交わされました。

児童自立支援施設の場合、少年司法の分野における少年院とは根本的に立脚点や指導方法が異なります。入所に関しては強制力は働かず、あくまでも児童本人の自己決定が必須の要件となります。また、入所後も閉じ込めたり拘束したりはできません。子どもの人権に配慮しているからであり、さらには、児童本人が自らを変革する気持ちを持たなければ、施設においていくら指導・支援に力を入れても奏功しないという考えからです。

児童自立支援施設においては、少年院で行われている矯正教育の手法ではなく、児童本人の周辺環境を整え、育ち直しを促して、本来持っている潜在的な力を引き出そうとする、所謂「環境療法」的な手法で指導・支援を行っています。

北海道家庭学校では信頼感の下に子どもと共に暮らす小舎夫婦制を堅持しており、監視カメラや外からかける鍵もなく、よほどのことがない限り夜間寝ずの番を置くこともしていません。子どもの人権への配慮とともに、信頼関係の構築こそが最も重要だと考えているからです。

そこで問題となるのは、入所に同意しない児童や入所後に施設を出て行きたいという意向を示して無断外出を繰り返す児童にどのように対処するかということです。明確な自己決定のない児童を力尽くで、あるいは他に選択肢がないのだからと半ば強引に説き伏せて、本人の意思に反して施設に連れて来ることは、当該児童の人権を侵害することになると、私は思います。児童相談所が当該児童の特性に応じた明確な処遇指針を立て、それを基にしっかりとした動機付けを行うことが何よりも重要であると考えます。

児童自立支援施設の中でも、特に作業指導に重きを置く北海道家庭学校の場合は、毎日の厳しい日課があります。家庭学校で自己を変革し、成長していきたいという強い意思を持たない児童にとっては、容易にこなせる日課ではありません。

五月中旬にやって来た児童は既に中学を卒業していて年齢的には高く、体格も態度も大きな少年でしたが、軽度の知的障害を有するためか精神的には非常に幼い印象を受けました。校長室での会話もほとんど成立せず、何故家庭学校に来ることになり、家庭学校で自分をどうしたいのかという恒例の問いかけをしましたが、全く言葉で回答できませんでした。児童相談所での動機付けが十分に行われず、本人の自己決定がなされないままに連れてこられたことが窺われました。

その児童は寮に移ってからも寮長の指導に乗らず、他の寮生とは言葉を交わすこともなく、その晩のうちに無断外出してしまいました。八時過ぎから職員十人が車を出し、町内や近郊を探し回りました。遠軽警察署にもお願いして、数多くの警察官とパトカーに出動していただく大規模な捜索活動になりました。家庭学校では過去に無断外出中の死亡事故もあったことから、遠軽警察署では警察犬の手配まで検討されていたようです。

土地勘もなく知的な問題も有している児童であったことから大変心配しましたが、何とか十一時過ぎに発見・保護して事なきを得ました。翌日担当児童福祉司が再訪して爾後二日間にわたって説得を試みましたが、結局同意が得られず、児童を連れて帰って行きました。

自然環境が厳しい北海道家庭学校では一つ間違えば無断外出が死につながります。三月初旬には夜間に一人で敷地内の雪山に逃げ込んだ児童がいて、必死の捜索活動となりました。暗闇の中を懐中電灯の灯りを頼りに足跡を辿りながら一時間半雪道を歩き回って発見したのですが、本人が興奮して強く抵抗するので無理をするとどちらかが怪我をする恐れがあり、このときもまた遠軽警察署にSOSの電話をしました。それから二時間、職員四人と警察官三人の悪戦苦闘の末にやっとのことで山から降ろすことができ、その後校長室で説得して、何とか寮に戻ってもらったのは深夜でした。

この児童については本館登校せずに自室にこもるなどの不調が長らく続き、職員がかかりっきりになっていましたが、児童相談所に再判定依頼をしても一時保護が叶わずに苦慮したケースでした。些細なことを切っ掛けに調子を崩し、自己決定した家庭学校で頑張る気持ちが揺らぐことがよくあります。そのような気持ちのままで長期間過ごさせることは、指導効果が上がらないばかりか、子どもの人権にも関わることだと、私は考えます。

険しい高山を登攀中に強い風雪に遭い力が尽きくじけそうになったときに一旦戻して休ませ、励まし、再動機付けをする、そういうベースキャンプが児童相談所の一時保護所だと思います。児童の人権擁護の観点からも、児童相談所の時宜を得た的確な対応を切に願うものです。

2016年06月号

新たなる一歩を踏み出すにあたり

自立支援部長 楠哲雄

 五月中旬に向陽寮を担当する夫妻が赴任し、六月からは正式に寮長・寮母として勤務していただくことになり、一年二ヶ月振りに一般寮三ヶ寮、高校生寮一ヶ寮の四ヶ寮が夫婦体制で運営されることになりました。加えて本館職員も一人加わり、これで人員的には一応体制が整い、これにより休暇寮での輪休対応は従来男性職員が一人で対応してきましたが、体制が整う六月からは必要な時に補助として入ってもらえるよう1.5人体制としました。

 新たなる一歩を踏み出したように感じますが、課題もあります。経験の浅い職員が多く、職員としての資質の向上が求められます。子どもへの理解はもちろんのこと、家庭学校内で指導する者としての技量が必要になってきます。

 不本意ながら児童相談所に再判定を依頼する子がいます。子ども達は児童相談所職員や保護者に説得され、渋々と重い決断をして入校してくれます。どの子も心の奥深い所には、変わりたい自分、だけど問題と向き合えない自分がいることを知っています。新天地で自分の問題と向き合えるのではないか、改善されるのではないかという希望も持ってきます。しかし、わずかな希望を持った心はいとも簡単に折れてしまう弱々しいものであります。何かあればすぐに諦め、簡単に捨て台詞を吐いて放り出してしまいますが、そんな時こそ子どもの心に寄り添い、一緒に歩む姿勢が職員に求められています。私たち職員はそんな当たり前のことを大切にしたいと思っています。子どもが入所してきた時に持ってきた気持ちや覚悟を、職員も感じていないといけません。子どもが変わろうとする姿勢と同じように、職員も成長しようという姿勢が求められていると思います。それが子どもと二人三脚で一緒に歩み続ける大人の姿勢であると思っています。成長するのは子どもの努力と思い、子どもがわからないのは職員の責任と思い、常に自分の係わり方を精査する姿勢が必要です。子どもは職員の鏡と考えたいです。子ども自身の問題だから、特性だからと片付けずに、職員として自分自身の振る舞いが子どもに映し出されていないか、確認することが必要です。

 職員の心構えは、寮舎に出ています。本来、児童自立支援施設の寮舎は極力死角をなくし、子どもの動きが十分に把握できる作りになっています。しかし、家庭学校の寮舎は事務室から廊下が見えるだけで、食堂や娯楽室、居室にいる子どもの動きが全く見えない構造となっています。あえて死角を作り、職員の目を届かなくしています。プライベートな空間が子どもの正常な発達に欠かせないという考えから作られています。問題が出易く職員の対応が難しくなる時もあります。大きな問題に繋がる可能性も高くなります。しかし、事務室から子どもの姿が見えなくても子どもの声や様子を気にかけ、状況を把握する力が必要になってきます。職員の気持ちが常に子どもに向いていることが必要になります。

 家庭学校で子どもを指導するにあたり技量の向上は欠かせません。夫婦制という制度は子どもにとって最善のシステムに思いますが、それには職員夫婦の献身的な姿勢が求められます。子どもにとって最善の身近な大人でなければなりません。誰でも良いというのではないのです。子どもは大人に対して過度の期待を持つこともあります。子どもは「所詮大人なんて信じられない」等否定的な気持ちを持つ一方で、「大人だから」「一緒に生活している先生だから」という思いから異常な期待を持つこともあります。時には深い慈愛の心を求め、無条件に全てを受け入れてほしいと願ったり、時には強烈なリーダーシップを求めたり、先生なら自分の気持ちぐらいわかって当たり前と考え、理解してもらえない気持ちを不満として出すこともあります。そのため、言語が拙く自分の気持ちが十分に表現できない子がいても、子どもの言いたいことを理解し気持ちを汲んで、受け入れ、対応できる力も必要となってきます。全ては把握できるとは思いませんが、理解するつもりで接しないといけません。それが子どもとの濃密な関係を持つことのできる一歩であると思うからです。

午後日課で行われる作業班学習では、一回約二時間を週三回行なう大変な日課です。慣れていない子にとっては非常に負担となりますので、子ども達が率先して取り組める環境を作る必要があります。敷地を綺麗に飾り心を潤せてくれる花壇づくりを担う園芸班。五十年後の家庭学校の貴重な財源となる植樹や山林の手入れを行う山林班。毎日の食事をより一層豊かなものにしてくれる生乳やバターを生産する酪農班。敷地内の環境整備のほかに味噌造りも手がける校内管理班。給食棟に出す野菜や各寮に野菜の苗を配給する蔬菜班。どの班も、自分たちの携わることに対して誇りと自信を持つことができます。その誇りが辛い仕事でも生き生きと積極的に取り組む姿勢を作っています。そのためには職員の作業に対する知識と技術が欠かせないものとなります。子ども達に、できるようになりたいと思わせる、子どもの心を惹きつける技術が必要です。技術とそれを支える知識が必要になります。

 さて、私自身は今年度から寮を離れることになりました。ずっと子ども達と一緒にいたいという気持ちはありましたが、外部との連絡調整や事務仕事が多く、兼務が難しいことから寮担当をお休みさせていただいています。また、それ以外にも私の長い寮担当経験から機敏に動いて夫婦職員を育てる役割を求められています。夫婦制は閉鎖的な一面を持っているが故に夫婦職員間で偏った考え等の問題が出易い所でもあります。個人の考えやその家庭の問題として他人の私が介入し難いと思いますが、家庭学校で預かっている子ども達は寮の子である以前に、家庭学校全体で預かっている子でもあるため、子ども達のことを第一に考え、職員には遠慮なく厳しいことを言わせてもらおうと思っています。

 今後は、職員や全生徒の寮長と思って見守っていきたいと思っています。若手夫婦職員が軌道に乗り、学校全体が落ち着いたら、一緒に肩を並べて寮を担当できたらと思っています。

2016年06月号

花見の会までの取り組み

楽山寮・寮母 千葉珠季

 新年度が始まり五月にはいると行事が次々と行われます。二日間の校長杯を終えてまもなく、今年も花見の会が開催されました。桜が咲き天候にも恵まれた良い日和のなか、手作り太巻きとおでんを囲み楽しいひと時を過ごしました。楽山寮を担当して二年目に入った今年は、寮の出し物を普段の誕生会とは違った、少し特別なことができないかと考え、みんなで出来たら楽しそうなバンド演奏に取り組みました。今回はそんな花見の会当日までの取り組みを寮生活と重ねて紹介します。

 寮生に提案をしたのは本番の約一月前くらいでした。曲は明るく楽しい感じの曲をこちらで決め、寮生に聞いてもらい、担当する楽器決めをしました。まず全員の希望を確認した上で、無理なく楽しめそうなものに振り分けてみました。

 一番人気だったのはキーボードでしたが、やや遠慮してのキーボード志望が多かったように思えたのと、今回の曲はキーボードが少し高度だったので経験のあるコタロウくんにメインを担当してもらい、練習が始まってから入所してきたハヤトくんにはそんなに難しくないけれど、やや目立つ部分のキーボードを担当してもらいました。

 ギターを担当したタイチくんは以前から寮で他児や職員と一緒にギターを弾いていることがあり、本人もギターを希望していたので人前で披露するいい機会にと担当してもらいました。ベースを希望したタイキくんは、消去法のなかベースを選んだように思われましたが、きっと頑張ってくれるだろうという期待をこめて担当にしました。

 ドラムが今回一番の悩みどころで、限られた練習時間を考え二人で分担すれば負担も半減するという発想で、二人で一つのドラムを叩くことにしました。寮長がドラムの半分を担当し、もう半分を担当した最年少のリクくんは最初キーボードを希望していましたが、あえて目立つドラムを担当してもらいバンドの中心として頑張ってもらいました。

 ボーカルは希望を確認したときはみんな消極的でしたが、実はやりたいと思っているユウキくんとコウダイくんにお願いしました。小学生のユウキくんはいざ指名されると興奮のあまり泣き出し「恥ずかしいです」と言って顔を真っ赤にしていましたが、数分後にはCDに合わせてノリノリで歌を唄っていました。

「本番でみんなを驚かそう!」ということで当日までみんなには秘密にしておくようにと話したのですが、さっそく翌日ユウキくんより「近くに他寮の子がいたので、○○先生にこそこそ話で言いました」との報告が。その後もすでに知っているという先生方の声がちらほらあり、思わず笑ってしまいました。

 練習は主に土日の余暇時間と、夕作業前の時間を使って行いました。余暇時間は子ども達にとって大切な時間なので、寮の様子等をみて練習時間を決めました。自ら空いた時間を使って個人練習をする子もいました。ギターやベース、キーボードなどは寮でも練習することが出来ましたが、ドラムの練習は音楽室でしか出来なかったので、土日の時間をうまく活用したいと考えていたのですが、たまたま四月は分散輪休だったため、主に平日の練習が多くなりました。帰寮してまもなく練習し夕作業と慌ただしい日が続き、その分日課がおしていくため、やや全体的に疲れがたまってしまったように感じられる日もあり、無理のないよう子どもたちの様子をみて練習時間を設定しました。五月に入ってからは土日や祝日にまとまった練習時間をつくることができたのでだいぶ後半でつめることができました。

 キーボード、ギターはそれぞれが個人的に練習していたこともあり、こちらからは確認程度で十分上手に演奏していました。ギターを担当したタイチくんは早い段階である程度弾けるようになっていたため少し物足りなさを感じているようでもありました。自ら「前半の手が空いている時にキーボードをやってもいいですか」と申し出があり、ボーカルの音程をリードするためのメロディを弾いてもらうことにしました。キーボードのコタロウ君はマイペースに練習を重ねており、途中で変更する個所も臨機応変に対応してくれました。

 入所してまもないハヤト君は黙々とキーボードの練習をしていましたが、全体からずれてしまう個所も多く確認をしながら取り組んでいました。まだ寮生活自体に慣れていないこともあってかあまり大きく感情表現をすることがなかったので、楽しめているかと心配していましたが、日記の内容をみるととても前向きな内容が書かれているのでハヤトくんなりに楽しさを感じているのだと知りました。後半になると「一回もミスをしないで弾けました」と嬉しそうに話す場面も見られました。

ドラムを担当したリク君は、繰り返しの練習のなかでずいぶんと上手になりました。練習が長くなると集中力がなくなりミスが大幅に増えてしまいましたが、その度に「失敗した~」という顔をしてそれでも前向きに頑張ろうと取り組む姿がみられました。

ベース担当のタイキ君は個人練習をすることもなかったので初めてみんなで合わせた時に自分以外が結構出来ていることを知り暗い表情を浮かべていました。その日の夜、余暇時間を削ってまで練習はしないかなと思いつつ、軽く声をかけてみると、自分の日課を終え、他児達がテレビを観るなど自由に過ごしているなか「練習します」と言って自主練習を始めました。日ごろから余暇時間のテレビを楽しみにしているタイキくんだっただけに、私も驚きと感動がありました。一緒に一度流れを確認すると、覚えることは早かったので次に全体で合わせた際はみんなの演奏についていくことができ、安心した表情を見せていました。

ボーカルのユウキくんとコウダイくんは最初二人で歌う順番などを決めて協力的に取り組む姿があり、元気に歌の練習をしていましたが、練習時間が長く少し疲れてきたのか小さな小競り合いが度々あり、全体で演奏している途中でボーカルの声が聞こえなくなりパッと見ると二人で暗い顔をしていることが多々ありました。コウダイ君は、全体で演奏した様子を録音してみんなで聞いた時に自分の思い描いていたものと現実が違ったようで、周りに責められたり茶化されることはありませんでしたが、本人はやや不機嫌そうに頭を抱える場面がありました。その後の生活でも少し引きずりましたが、翌日には職員へ昨日の自分の振る舞いは間違っていたと謝罪し、しっかり切り替えて練習に取り組めました。以前のコウダイくんだったら、もう少し引きずっていたでしょうが、後の練習に対する態度はとても立派でした。

本番目前になり、ようやく全体がまとまって細かい部分確認まで段階を進めることができました。なかなかタイミングが合わなかった部分を何度も繰り返し練習し、ピタっと合うとみんな嬉しそうな表情をし、ようやく一体感のようなものを感じることができたのではないかと思いました。そんな様子でやや忙しく過ごす練習の日々でしたが前日を良い雰囲気で迎えることができました。 

いよいよ花見の会本番。楽器の運搬に少々時間がかかりながらも準備を整え楽山寮の順番となりました。練習どおりリクくんのあいさつから始まり演奏がスタートしました。演奏前にやや調子を崩してしまった子もちらほらいたため少し心配しましたが、みんな自分の担当する楽器を責任もって演奏していました。始まってすぐベースのシールドが抜けてしまうというアクシデントもありましたが、再度演奏をさせていただき本番はあっというまに終わりました。みんなそれほど緊張しているようではなく、演奏を終えてからも思っていたよりあっさりしているなという印象でしたが、その日の日記ではほとんどの子が「成功してよかった」との内容を書いていました。

今回初めてのバンド演奏となりましたが、きっかけは以前『ひとむれ』でも紹介させていただいた昨年のクリスマス晩餐会でのハンドベル演奏でした。個人差はありましたが、それも含めとても良い体験だと感じ、寮の取り組みとして音楽を取り入れてみたいという思いから、今回実現することができました。

今後も何かの機会にまた挑戦していきたいと考えています。一度経験したので今度は少し難易度が上がった曲に挑戦したり、曲数を増やしながら、全体で合わせる楽しさや単純に楽器に触れることの楽しさ、そして練習過程の大切さや練習した分だけ得られる達成感を子ども達には音楽を通して感じてもらえたらと思います。経験を重ねることで、より練習の大切さが身にしみるでしょうし、それによって得られる、ほどよい緊張感や大きな達成感を感じることができるようになるといいなと思います。また、これをきっかけとして音楽が好きになり、この先の人生のなかで音楽を通して人と繋がっていけたらとても喜ばしいことです。

会場のみなさんに温かく見守られ、子どもたちも安心して演奏することが出来ました。楽器運搬等もお手伝いいただき、ありがとうございました。

2016年06月号

望の岡分校に赴任して

望の岡分校教諭 山岸景子

北見市立北中学校から参りました山岸です。望の岡分校に赴任して一ヵ月半が経ちました。赴任する前にいろいろな方から学校の様子やどんな先生がいる(聞いた中で名前が多く出てきたのは小椋先生でした。タイヤの太鼓の先生がいるよなど)を聞いて、楽しみな気持ちが半分、不安な気持ちが半分でした。新しい職場、新しく出会う生徒のみなさんとうまくやっていけるかどうかと思いながら、四月を迎えました。

四月一日に赴任しましたが、家庭学校、分校の職員の皆さんはとても親切で、初めて会う人ばかりなのに、すぐに仲間入りさせてもらえたという感じで不安は半減しました。

そして、新学期が始まり生徒のみなさんに会いました。元気で、あいさつもきちんとできていて、そして優しい心を持った生徒たちばかり。私の不安はもうなくなっていました。

私は家庭学校のことが全くわかりませんでしたので、いろいろな疑問がたくさんありました。作業班学習のこと、家庭学校のすごいところ、ルールなど生徒のみなさんがいろいろと教えてくれました。今も生徒のみんなから教えてもらうことが多いです。

家庭学校での生活は今までに経験したことがないことも多く、特に週三回の作業班学習は慣れるまで大変でした。私は酪農班に所属することになりました。まずは作業を行うにあたって必要な作業着を準備しなければならないということで、初めて「つなぎ」を試着しました。思っていた以上に様々な色の「つなぎ」があること、そして値段も様々であることに驚きました。

初めての作業班学習の日。新しい「つなぎ」と「長靴」と「ヤッケ」を身にまとい、牛舎に向かいました。牛を間近で見るのも初めて、あまりの大きさにびっくりしたのと同時に子牛が小さくてかわいいと思いました。今現在も牛はとても大きくて、近づくのは若干、怖いのですが、「つぶらな瞳の子牛」に会うのが、作業班学習の楽しみで癒しの時間となっています。今後の大きな目標は、酪農班の生徒たちが普通に牛に触っているように、私も普通に触れるようになりたいなと思っています。

酪農班での仕事を通して、今まで知らなかったことを学ぶことができ、自分にとって「プラス」になることが多いなと感じています。先日、牧草地の「大根山」に登っていき、頂上からとてもきれいな景色を見ることができました。また、きれいな春の草花を間近で見ることができたりと美しい大自然の中で活動できるという経験はなかなかできないと思います。「作業」は大変なこともあるかもしれませんが、「貴重な経験ができる」と考えると、これからの作業班学習が楽しみになってきました。

家庭学校では一年間にたくさんの行事や活動があると聞きました。みなさんと協力し、様々な行事を成功させたり、毎日を楽しんで、過ごしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

2016年06月号

望の岡に来て

望の岡分校教諭 高橋真澄美

 教員生活二十年目を迎える年に望の岡分校に赴任することになりました。赴任にあたり、二つの目標を立てました。

一つ目は、『学習指導(教科)指導をしっかりとする。』です。当たり前と思われるかもしれませんが、目標にしたことに大きな意味があります。私自身、小学生の頃から就職するまで机に向かって黙々と学習することが苦手でした。『学校の先生になりたい』という夢は小学生の頃から持っていたのですが、いざ何の教科の先生に…と考えた時に、自分には無理ではないかと考えたこともありました。『勉強は苦手』というよりかは『勉強が嫌い』な学生時代でした。そんな私が、この学校では英語と数学も教えることになりました。目の前の生徒達のほとんどは昔の私と同じように『勉強が嫌い』のようです。習熟度別かつ個別学習の利点を活かして『やってみてもいいかな』という気持ちにしてあげたいなぁと思っています。

二つ目は、『積極的にやってみる』です。家庭学校のホームページを開くと、これまで聞いたことがないことや、家庭学校独自の取り組みがたくさんあることを知りました。ここに来る前に一番興味深かったのが『作業班活動』でした。五つの活動から私は酪農を選びました。実家が酪農業を営んでおり、中学生くらいまでは自分の役割を与えられ、朝と夕のみでしたが毎日のように仕事をしていました。その頃は、特に何も考えたりしたことはなかったのですが、今思うと『責任感』や『変化を見とる力』はそこで養われたのかもしれません。酪農班の生徒たちは、かわいいかわいいと言ってよく牛を撫でます。そんな姿がとてもかわいらしく、心が和みます。これからも、様々なことを一緒に取り組み、私自身も成長していきたいです。

おわりになりますが、望の岡に赴任したのも何かの縁。家庭学校、分校の職員の皆さんと協力しながら、生き生きと働いていこうと考えています。どうぞよろしくお願いします。

2016年06月号

「「寮新聞・通信」の発行」

編集委員・理事 家村 昭矩

 北海道家庭学校は、社名淵分校が創設されてから百年の間に二六七余名の職員が在籍しています。戦後の荒廃・窮乏の中から復興を遂げる基礎を築くその核となった職員は、戦前から勤務されていた鈴木良吉、寺崎好、横山義顕、大泉栄一郎、岸本種次、西村忠三各夫妻の六組十二名です。

 その後一九九七年までの約五十年間に、寮舎を担当した夫婦職員は判明しているだけで二五組になります。そのなかから現在まで十一組の方から、家庭学校に勤める経緯、寮舎生活、子どもたちの様子、そして共に暮らした家族の思い出などインタビューし、資料収集に努めています。お話しの多くは、すでに『ひとむれ』に掲載されていることが多かったのですが、当時の様子を知る大変興味深い内容です。

 その中で、柏葉寮を担当していた平本良之先生(通算三八年、寮舎担当一九六二・四~一九九二・三の三〇年間)から、約二〇年間に及ぶ寮新聞発行の詳細をうかがうことができました。

 家庭学校の実践活動は、毎月発行される『ひとむれ』や収穫感謝特集号、記念誌に詳細に報告されています。また留岡清男、谷昌恒元校長の諸著作のほか、旧職員の花島政三郎『サナプチの子ら』(評論社一九七八)、藤田俊二『もうひとつの少年期』(晩聲社一九七九)、井上肇『少年教護の人間像』(川島書店一九八二)など出版され、家庭学校を紹介しています。

 しかし、広く公開されていない「もうひとつの実践記録」があります。寮が自主発行する「寮新聞・通信」です。日々の生活の中で、授業や作業活動はもとより、寮舎周りの整備など四季折々、多忙な毎日を過ごしながら保護者、卒業生、そして児相、学校などに送り続けることは容易なことではなかったはずです。

 「寮新聞・通信」について、『ひとむれ』がとりあげたのは、第三五二号(一九七二)の平本先生の「寮新聞『はくよう』に期待すること」がはじめてと思われます。既に四〇号まで発行しており、「一群編集部よりこれについて何か寄稿して欲しい言うことでしたので、私の『はくよう』に対する考える一端を思いつくまま」と記し、その目的を、「一、家庭と学校、保護者と児童の相互理解を深めたい」、「二、卒業生を激励すること」としています。 

 ほどなくして『ひとむれ』第三五八号(一九七二)に、『サナプチ通信』を発行していた花島先生が「少年・家庭と家庭学校―寮新聞の発行をめぐって」と題して「各寮毎に行われている広報活動がある。なかでも柏葉寮の発行している『はくよう』は間もなく四周年」と紹介し、寮新聞の意義と課題について述べています(『サナプチの子ら』再掲)。そして、『ひとむれ』第五〇三号(一九八三)に『ひとむれ』の編集担当を振り返り、「毎月一回寮新聞を出しており、この発行日が一日であったから、とても〝ひとむれ〟と同時発行は無理なので、寮新聞の発行を十五日に切替えた」と触れています。

 平本夫妻が柏葉寮を担当はじめた時期は、二年間に及ぶ校内の暗渠排水工事が完了し簡易水道の敷設工事が着々と進み、先輩寮長たちが次の世代に寮舎運営を引き継ぎ始めた頃です。

 創刊号の後記に「新聞週間にちなんで我が寮も新聞を作ってみました」と寮生が編集、製版(ガリ版)しています。実際は、平本夫妻は数年間構想を練り「生徒の状態が無外とか喧嘩だとかごたごたのない時を良く見計らって」出したと回想され、以降、第一八四号(一九八四)まで毎月発行、その後は断続となり第二〇四号(一九九〇)で終刊しています。創刊一周年、五周年、一〇〇号記念特集など編集し、内容も各自の作文はもちろん寮内の出来事のほか卒業生、保護者の便り、行事など詳細な報告、図解入り記事、マンガで綴る一年の出来事などを含め校内全体の動向も盛り込む多彩なものです。基本は寮生の編集に委ねられ、編集担当者に代々引き継がれた大学ノート四冊の『はくよう日記』(一九七二~一九八四、一二年間分)は、幾重にも補修され手垢まみれとなって博物館に保存されていました。それらは、当時の寮、学校生活を彷彿とさせる貴重な資料です。

 「寮新聞・通信」は、先のねらいのほかに、子どもたちの集団生活の自主性・自律性を高めるうえで極めて有用であり、『はくよう』に触発されるように、その後、幾つかの寮で特色ある新聞・通信が創刊されています。しかし、寮の不安定さが続くと内容も乱れ、定期発行が難しくなり、短期間で途絶えたり、終刊が不明のものがみられます。また、実名での新聞はプライバシー保護から発行が困難となり最近の取組みは見られません。「寮新聞・通信」に綴られた赤裸々な文章は、当時の子どもたちや職員の苦悩の有様を浮かび上がらせるものだと思います。その史料的価値は高く、散逸、不明の資料を収集し、家庭学校の貴重な実践記録として整理、保存する意義は大きいと思います。

【保存されている「寮新聞・通信」】

 ①『はくよう』(柏葉寮)、創刊一九六八・十一~終刊一九九二・三:通巻二〇四号(注:先日、平本先生から全巻寄贈を受けました。)

 ②『こうよう』(向陽寮)、創刊一九六九・十一~終刊は不明、最終綴りが一九七四・一:通巻五〇号(欠号が十冊余)

 ③『サナプチ通信』(掬泉寮)、創刊一九七二・八~終刊一九七七・十:通巻六五号(欠号が五冊)

 ④『らくのう部』(平和寮)、一九七三・八第四号のみ(創刊・終刊は不明)

 ⑤『寮だより』(桂林寮)、創刊一九八一・五~終刊一九八八・二第五〇号もしくは第五一号(欠号が十四~十五冊)

 ⑥『へいわ通信』(平和寮)、創刊一九九三・四頃~終刊不明。第二五号から一九九六・六第三八号まで現存。

 ⑦ワープロ版『はくよう』(柏葉寮)、 創刊一九九五頃~終刊不明。一九九五・十一第二号~一九九六・四第七号まで現存。

 ☆(保存されていない)『輪』(石上館)、一九七二・七(藤田俊二『まして人生が旅ならば』教育史料出版会二〇〇一に寮新聞を発行したが創刊  号だけで廃刊とせざるを得なかっ  た経緯が記されている。河原国男「北海道家庭学校寮長藤田俊二年譜」『宮崎大学教育文化学部紀要教育学第二七号』(二〇一二)に「寮文集『輪』を創刊」とある。)

※ 追記:右記の欠号、このほかの「新聞・通信」を所蔵されている方がございましたらご連絡ください。)