このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2016年04月号

「義務教育終了児童への対応について」

校長 仁原正幹

 義務教育を終了した児童については、児童自立支援施設という施設種別の特性もあって、従来から難しい対応が求められてきています。児童自立支援施設における指導・支援は本来その施設の敷地内で完結することを前提としていますが、敷地内で享受できる学校教育は現状では小・中学校の施設内分校による義務教育までとなっているので、中学卒業後に即高校進学とならない児童については、施設独自の学習指導の取組として中卒児童クラスの日課を組んで対処することになります。

 また、本来なら施設を退所して故郷の高校に進学できるまでに成長したと思われる児童であっても、頼れる保護者がいなかったり、児童本人が過去に起こした事件が災いしたりして、家庭復帰や児童養護施設への措置変更が叶わない場合もあります。そのようなケースについては、児童自立支援施設に入所したまま敷地外の高校に進学させざるを得ません。入所児童の活動範囲が施設の外にまで大きく拡がることにより、職員の対応も非常に難しくなります。

 このようなことから、義務教育終了児童の対応については困難性が高く、全国的に見ても義務教育終了児童が数多く在籍する児童自立支援施設はほとんどありません。中学三年生以降の入所を一切受け付けない施設もあるようです。

 北海道家庭学校では、全国に先駆けて二十年前から高校生専用の独立した寮を整備することにより、遠軽町内の高校の定時制課程や近隣の紋別市にある高等養護学校などに多くの児童を進学させてきました。一人でも多くの子どもに高等学校の教育を受けさせ、高卒の資格を取らせるためです。通学の途中で横道に逸れないように、実習先と高校への通勤・通学には全て職員が公用車で送り迎えしています。それでも高校生寮の子ども達は外の世界と施設の間を往き来するために、職員の目の届かないところで不適切な交流や物の持ち込みなどのトラブルを起こしがちです。スマホやケータイなどで情報化が進んだ今日の状況では全てを防ぎきることは難しくなっています。

 高校生寮の児童も児童自立施設の入所児童ですから、ある程度の自由を制限しなければならず不満が溜まり、一方では長期にわたって過度に護られることで自律心や責任感が十分に育たず、かえって自立が遅れてしまう懸念もあります。

 現在の高校生寮については、今年度中に開設予定の自立援助ホームにその使命を引き継ぐことによって発展的に解消していくことを検討しているところです。

2016年04月号

有り難うございました

自立支援部長 泉親志

 着任して、早2年が経ってしまいました。着任前と着任直後にあれこれとすべきことを思い描いていたものの、半分も出来ずじまいです。志半ばで去ることに、悔いが残るとともに申し訳ない気持ちで一杯です。とは言え、全国で2カ所しかない民間の児童自立支援施設で働くことができたことは、得るものが多く、 自身にとって良い経験となったことに間違いはないと思っています。

 最後に『ひとむれ』へ寄稿する機会を得て、諸先輩や家庭学校職員、あるいは家庭学校関係者からお叱りを受けることを覚悟して、家庭学校のことを十分にはわかっていない第三者の目で作業指導について問題提起したいと思います。

 ご承知のとおり、学校教育(教護院では公に認められた準ずる教育を実施しており、それまでも公教育は実施されていたため、公教育の導入ではなく学校教育の導入だと思っています)が導入されたきっかけは、当時の教護院で学習権が保障されていないとの指摘があって、児童福祉法改正の折に盛り込まれました。学校教育が導入された施設においては、教員が学習指導をしていることから、学習権保障の問題は解決されたと言えます。しかし、その実施状況は、施設ごとに違います。

 家庭学校の特色の1つが作業指導に力を入れていることですが、その在り方は学校教育導入後もみごとに踏襲されています。このことは、関係機関のご理解があって成り立っていることであり、私だけではなく、支援者や関係職員も述べているとおりです。

 また座学の学習については、積み重ねが必要と思われる教科について、学力別(習熟度別と表現されることが多いが、学年の枠を越えているため学力別が適当な文言であると思っています)のクラス編成がなされ、わかる授業が展開されています。

 さて、問題提起についてですが、現在の週3日午後の作業指導(作業班学習)が、この先いつまで続けられるのかということです。家庭学校の問題として現状の在所児童数と職員数で、さらには分校教員の全面的協力を得て、どのような班でどのような作業量でどこまでの範囲の作業を維持できるのかということがあります。あるいは維持していかなければならないのかということがあります。かつて児童数が多い時には、班の種類も多く、例えば土木部1班、2班と分かれていたこともあります。敷地内の隅々まできっちりと作業をするとなると、そのための時間数をさらに増やすことで解決できることですが、これ以上座学の学習時間を削ることは現実的にはありえないでしょう。

 また、家庭学校でも高等学校等への進学率が高まりつつある昨今、進学に向けた支援が十分になされているか、保護者、児童及び児童相談所のニードに応えているのかという問題にもなります。

 現状を鑑みて、家庭学校の作業指導に確固たる意義がなければ、薪は購入すれば良いことになってしまいます。屋根のペンキ塗りや道路の補修、私道の除排雪は業者に任せれば良いこととなってしまいます。児童自立支援施設運営指針や児童自立支援施設運営ハンドブックにある作業指導の目的を達成できる必要最低限の作業指導をすれば良いこととなります。学校教育導入以前と変わらぬ作業指導が実施できているということが、単なる過去の踏襲となっているということになってしまいます。私は、家庭学校の作業指導に意義があると信じていますが、意義があるとの証を持ち得ていません。家庭学校が確固たる意義なく自立支援のために現状の作業指導が絶対に必要と声高に叫ぶなら、多くの他施設の作業指導を否定することになりかねません。

 家庭学校の作業指導の成果を文言にしなければならないと考えます。その成果は子どもの立場に立った成果でなければなりませんし、その文言が証しになるのだと考えます。その証しをもって、現状維持を含めた作業指導の見直しを分校とともにしなければならないと考えます。

 タイトルとはかけ離れた内容となってしまいました。提起した私自身が何もしていないことをお許しください。原点に戻って、精査をお願いしたいと思います。

 家庭学校の一職員として働けたことに感謝します。支えてくださった子ども達、家庭学校の職員、分校教員の皆様方、本当に有り難うございました。

2016年04月号

大変貴重な体験を有難うございました

遠軽町立東小学校望の岡分校校長 髙藤和明

 私が北海道家庭学校の皆さんとかかわりを持ちはじめて、二年が経過しました。北海道家庭学校の歴史や望の岡分校の開校の経緯を何も知らずに赴任してきてしまいました。ですから、前もった知識のなさで、いろいろな方にご迷惑をおかけしたかと感じています。

私は出身が紋別市でしたので、隣町の北海道家庭学校の存在は子どもの頃から知っていました。しかし、その内容と現場の姿は全く知りませんでした。

北見市での学校勤務の時には、児童相談所から時々連絡があり、大声で子どもを叱責している旨の通報が住民の方からあり、児童の氏名は確認できたので、身体に傷や蹴る・殴るなどの痕跡がないか確認できないかと等の内容でした。

 児童福祉については、この程度しか触れてこなかったため、それから先は考えたこともなかったというのが正直なところかもしれません。

 この二年間、望の岡分校への命を受け、つくづく貴重な体験をさせていただいたと感じています。

現在行われている教育活動は、望の岡分校の開校以来の家庭学校・望の岡分校の考え方が、一つ一つ融合されたものを見せて頂いたような気がしています。現在でもまだまだ融合状態は進行されていて、今後もさらに融合が図られていくように感じています。その中で、家庭学校の方々と望の岡分校の先生方の子どもたちへの一貫した姿勢が見えてきました。それは、「子どもたちを決して見放さない」という姿勢でした。子どもたちの中には、アンガーコントロールが効かず、無断外出や暴言・暴力、器物破損が発生することもあったと聞いています。しかし、いかなる場合でも子どもたち一人ひとりを受け止める姿・姿勢が、職員の方々・望の岡の先生方には十分だったと感じました。子どもたちばかりではなく、私たちにとっても、いかなる場合も支えてくれる人が存在しなければ、生活していくことは到底できません。本館を訪問したり、敷地内に身を置いてみると、そんな支えになる人たちの姿が満ち溢れていました。まさしく言葉に勝る姿で大事なことを伝えて頂いたような気がしています。本当にありがとうございました。

 私は、三月三十一日で退職いたしますが、ここ家庭学校・望の岡分校での出会いは、大変貴重なものとなりました。関わりをいただきました方々に心より感謝申し上げます。この貴重な体験を生かして、今後の生活を刻んでいきたいと思います。

大変ありがとうございました。

2016年04月号

家庭学校での7年

望の岡分校教諭 吉村憲彦

 7年前、それまで家庭学校の存在すら知らなかった私が、遠軽東小学校望の岡分校に赴任しました。なぜなら、若佐小学校で一緒に働いていた森田先生(望の岡分校初代教頭)に「遠軽に家庭学校という児童自立支援施設があり、そこに小学校が新設されるので、一緒に働かないか?」というお誘いがあったからです。今思えば、本当にラッキーだったと思っています。

 赴任当初は、前籍校でまったく勉強しなかった子どもたちにしっかり学力を付けてあげたいという思い一心で、通常の学校と同じような授業していました。今までの経験を生かした授業しかできず、子どもたちに合わせるのではなく、子どもたちに無理をさせていたことがたくさんあったと思います。今は、子どもを見て、その子に合わせた授業ができるようになった様な気がします。

 赴任当時の一番の想いでは、5年生の男の子に「殺すぞ!」と言われたことがあります。その子は、自分の思い通りに行かなかったり、注意されたりすることがあると簡単に「殺すぞ!」と言っていました。初めて言われたときは、夜眠れないぐらいショックでした。こんなかわいい顔をして、どうして「殺すぞ!」なんてこと言うんだろう…。その子の生い立ちを聞くと、その理由が分かりました。とても厳しいお父さんで、その子がコップをひっくり返すなどの失敗するとすぐに「殺すぞ!」という言葉をつかっていたそうです。そういう環境が、悪い言葉を使わせているだけで、本心ではないことを知ると、その言葉も受け止めることができるようになりました。

 7年の間に、中学校教員を2年、小学校教員を5年経験させていただきました。子どもたちが、ここで成長するのと同じぐらい、僕自身も成長させてもらいました。子どもたちは、授業で学んだことや作業班学習で学んだこと、普段の生活から学んだことを生かして、これからの生活を営んでいきます。私も、ここで学んだことを生かしてこれからの教職人生を充実させていきたいと思っています。

 最後になりましたが、この度佐呂間町立若佐小学校に転勤することになりました。7年間、本当にお世話になりました。今後も、中学生になる3人の子どもたち共々、よろしくお願いします。

2016年04月号

感謝とお礼

望の岡分校教諭 丸尾恵

 このたびの人事異動で、七年間勤めた分校、そして家庭学校をとうとう離れることになりました。

 初めて家庭学校を訪れた時、大きな木に囲まれ小川が流れ、とても自然が豊かできれいなところだなあと思いました。そして、子どものころ自分が育った環境とすごくよく似ていて、懐かしいような、心が安らぐような感じがしたことを思い出します。

 前任の小学校で、家庭学校の生徒さんを担任させていただいたご縁もあって、分校開校と同時にこの学校で働かせていただくことになりました。初の中学校、男子生徒だけ…「私に務まるのだろうか」と、とても心配しましたが、分校に集まった熱意のある先生方や、家庭学校の先生方の助言や支えのおかげで、今まで何とか務めることができました。本当に感謝しています。

 ここではたくさんのことを体験させていただき、「流汗悟道」、「暗渠の精神」などたくさんの大切なことを学びました。子どもたちと一緒に作業で汗を流しながら、一人ではできないことも力を合わせることで成し遂げられること、継続して作業することで成し遂げられることなどを体感することができました。授業だけでは知ることのできない、子どもの意外な一面を発見したり、子どもたちがここでの生活体験から得たことを教えてもらったりもしました。みそづくり、サッカーゴールや屋根のペンキ塗り、冬山での山林作業…どれもほかの学校では絶対にできないような貴重な体験でした。これらの体験から個人的に森林ボランティア活動に参加し、チェーンソーも講習を受けて使えるようになりました。また、家庭学校の空いている畑をお借りしての野菜作りが休みの日の楽しみとなってしまいました。ここで働かせていただいたことが、自分の人生をとても豊かにしていたとあらためて感謝しています。

 本館学習では、今までの学校でうまくいかなかった生徒が多く、「勉強」とか「学校の先生」に対する苦手意識の強い場合が多いのですが、少人数で習熟度別の学習をする中で「わかる楽しさ」を知った時の変化は目を見張るものがありました。

「わかるように教える」ことがほんとうに大切だと実感し、教える子どもの実態に合わせた授業の準備・工夫に、より力を入れるようになりました。

年間を通して行われる様々な行事でも、行事ごとに活躍する生徒が変わり、そのたびに自信をつけ、次への意欲を高めていく子どもたちの様子を見ることができました。家庭学校が長年行ってきた行事の力はすばらしいものだと思います。これからも子どもたちの良さを発見する様々な行事が今後も継続されることを願っています。

職場は離れますが、これからも大好きな家庭学校の活動を遠くから応援していきたいと思っています。今までお世話になり、ありがとうございました。

2016年04月号

お世話になりました

望の岡分校教諭 金栗玄

 この度、七年間お世話になった望の岡分校を去ることになりました。私にとってこの分校は、開校からずっと通い続けた学校であり、今まで赴任したどこよりも思い出深いものとなりました。

 今、改めてこの七年間を振り返ると、

子ども達一人ひとりの顔がしみじみと思い出され、ここで過ごした一日一日が感慨深い思いでいっぱいです。授業中、眠そうにしていた子、つまらなさそうに聞いていた子、問題が解けてうれしそうな顔をする子など、どうすればわかりやすく教えられるのか苦悩する毎日でした。

 作業班学習では、山林班と酪農班で活動させていただきました。丸太を担いで運んだり、牛に餌をあげたりと、普段の生活では決して体験することのできない様々な作業を通して、子ども達と一緒に汗を流した毎日。まさに流汗悟道の理念のもと、ともに活動できたことは何事にも変えがたい貴重な経験です。

 普段の生活でも些細なことで腹を立て教室を飛び出してしまう子、運動会や作業班発表会、音楽発表会などで人一倍頑張る子。真面目に生活しようと努力する子。その一人ひとりの表情は生涯忘れることはできません。私にとって、ここで過ごした全てが勉強であり、一生の宝です。

 また、在任中は、寮長先生をはじめ、家庭学校の職員の皆様に公私にわたり格別のご指導ご厚誼を賜りましたことを心から厚く御礼申し上げます。

 新任地におきましても専心努力する所存でございますので一層のご指導を賜りますようお願い致します

 最後になりましたが皆様のご健康とご多幸をお祈りし、お礼とお別れのご挨拶とさせていただきます。七年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

2016年04月号

七年間を振り返って

望の岡分校教諭 山田道哉

 家庭学校を初めて訪問したとき、向陽寮を本館と思い込んで訪問してしまいました。当時の職員の方がちょっと困り顔で本館の場所を教えくれたことが思い出されます。それから七年、豊かな自然の中で授業や作業を通じて個性的な子供たちに関わったこと、できたばかりの分校を職員みんなで知恵を出し合いながら、学校として作ってきたことは私の教員生活の中でかけがえのない経験となりました。楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。

 失敗も数多くありました。大人の言うことを素直に聞けなかったり、問題行動をすぐに修正できない生徒に、早急な改善を求めてしまい、頭ごなしに指導をしたこともありました。大きな反発が返ってきただけで指導にすらなりませんでした。「お前の授業は二度と受けない。」と言われたこともありました。

 似たような経験を何度もしました。中学生は大人から見ると未熟なところがたくさんあります。しかし、未熟だからと馬鹿にせず、子どもが感じたことを尊重し、優しく丁寧に話を聞くと穏やかにこちらの話も聞いてもらえることが増える。安心される関係作りが大切なのだということを、この学校で実感として気づくことができました。(それでも全く話を聞いてもらえないこともたくさんありますが…。)

 他にも、子どもが育つには時間がかかること、繰り返しと継続が大切なこと、焦って結果を求めると失敗すること等、子どもたちは学校生活のあらゆる場面で大事なことに気づかせてくれました。「先生、そのやり方じゃ俺はよくならないよ。」と態度で教えてくれました。教えるつもりが教えられていました。長く教員をしてきたのに恥ずかしい限りです。まだまだです。

 至らない面が多く、施設職員の方々や分校の先生方に心配をかけてしまったことも多くあったと思います。たくさんの方々に助けていただきました。周囲の支えがあったからやってこれたと改めて感じています。本当に感謝しています。

 4月から網走第二中学校に赴任します。この学校での経験を糧に頑張るつもりです。7年間ありがとうございました。

2016年04月号

共に感じる喜び

望の岡分校教諭 茂木大地

 なぜ、こんな夏の暑い日に汗だくになりながら、雑草を抜いているのだろう。なぜ、氷点下20度以下の厳寒の中、汗だくになりながら丸太を担いでいるのだろう。いつだか生徒に「こんなに作業をさせるなら給料を出せ。」と言われたことがある。正論だ。私も仕事でなければ、とっくに根を上げている。そう思って早五年、いつからかハードな作業を好み、グダグダに汗を流すのが喜びへと変わっている。襲ってくる筋肉痛も、心地の良い痛みにすら感じられる。家庭学校の精神である「流汗悟道」が表す意味も、今では十二分に理解することができる。そう思えるのも、生徒の成長を肌で感じ、共に苦労や喜びを共感できているからこそだと感じている。

 望の岡分校で勤務した五年間で、強く実感しているのは「共に感じること」の重要性です。大人や学校に不信感を抱き、笑顔を浮かべるこができない彼らが、屈託のない笑みを浮かべ、大人を慕うのは、共に多くの時間、多くの想いを共有し合っているからこそだと思います。また、家庭学校と分校が互いに手を取り合い、がっちりとスクラムを組み、多くの教育活動を行ってきたことで、多くの生徒が学ぶことの喜び、仲間がいる喜び、生きる喜びを実感できたと思います。ここ数年、卒業式で生徒が流す大粒の涙も、そういったことの表れだと感じています。

 望の岡分校で勤務したこの五年間に見たもの、感じたことは、自分のこれからの教員人生の基盤になると強く確信しています。ここで学んだことを忘れず、いついかなる時も、生徒と向き合い、一人でも多くの笑顔を見られるよう邁進していく所存です。

 五年間、大変お世話になりました。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。