ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2016年01月号

「暗渠の精神」

校長 仁原正幹

 新年おめでとうございます。北海道家庭学校は創立百二年目を迎えました。

創立百周年記念事業の一環として、一昨年から『北海道家庭学校百年史』の編集作業が進められています。多くの研究者や先達の皆さんの力もお借りしながら、本校百年の歴史・記録をまとめあげようと奮闘しているところです。

編集委員の家村昭矩理事(名寄市立大学特任教授)は、現在取材のために精力的に旧職員を訪問されています。十一月十日に清里町在住の川口正夫先生(昭和三十一年~五十八年在勤、平和寮寮長、酪農担当)を訪ねられた際には、私も同行させていただきました。川口先生は九十三歳のご高齢ながら実に矍鑠とされており、確かな記憶力には感服しました。

川口先生のお話の中で最も感銘を受けたことに、家庭学校の敷地を覆う重粘土質の土壌の改良工事のことがあります。掬泉寮の奥に広がる四町畑という牧草地の暗渠排水工事のことで、重機もない時代だったので、来る日も来る日も平和寮の子ども達と固い地盤をスコップやツルハシで掘り起こしたそうです。一日に数メートル進むのにも苦労されたそうで、子ども達の励みにするために進捗状況をグラフにして競わせたとのことでした。

第四代校長の留岡清男先生が創立満五十周年を機会に『教育農場五十年』という歴史的名著を著しておられますが、その中に「暗渠の精神」という、家庭学校の精神的支柱について書かれている項があり、川口先生等先達の実践がこの項に結実していることを実感しました。

以下、『教育農場五十年』の一部を引用の形でご紹介させていただきます。

 「一面にひろがってみえる畑の底に、土管が四方八方に埋められている、(中略)。暗渠は、地の底にかくれて埋められています。表面から、眼でみることはできません。しかし、地の底にかくれている暗渠があるために、地上に播かれた種子が、腐ることなく、芽を吹き出し、花を咲かせ、実をみのらせることができるのです。人の眼には、新芽の青さが見えます。花の美しさが見えます。豊かな実りが見えます。しかし、そういったものは、みんな、地の底に埋もれている暗渠のお陰だということを、見抜く人は極めて稀であります。私たちは、新芽も、花も、実も、惜しみなく人さまに差上げたらいいと思います。所詮、私たちは、静かに、黙々として、地の底にかくれて、新芽を吹き出させ、花を咲かせ、実をみのらせることができさえすればよろしいのであって、それが暗渠というものの効用であり、誇りだと思うのであります。」

2016年01月号

「一路至白頭」~新年のご挨拶~

遠軽中学校長 平出寿

 学校の冬休み中に迎える正月は、暖かく温々と過ごす気分を味わえます。一方、友人知人から届く年賀状を見ながら、新年の思いも新たにキリッと気持ちを切り替える時でもあります。それぞれの生活や思いが詰まった友人知人から届く一枚のハガキに、時には自分を重ね、時には明日の自分の姿を見通します。

 家庭学校のあちらこちらには、百年の歴史の中で紡がれた素敵な言葉がたくさんあります。その中の一つと問われれば「一路到白頭」(いちろはくとうにいたる)を選びます。「This One Thing I Do」という言葉に巡り合った留岡幸助先生は、そのまま日本語に訳せば「このひとつのことを私は行う」とでもなるものを「一路至白頭」~白髪になるまで、このひとつの道を歩み続けよう~としたのです。しみじみと心に届く日本語になりました。

 さて、北海道家庭学校で毎年行われている2014年の晩餐会で、「氷点」等で著名な作家・三浦綾子(1922〜1999)さんの夫としても知られる三浦光世(1924〜2014)氏が書かれた家庭学校創立百年を祝う色紙が紹介されました。そこには留岡幸助先生の座右の銘「一路至白頭」が記されていました。幸助先生自筆の書が家庭学校校長室に掲げられていますし、その言葉が台座に刻まれた胸像が本館前庭に建っています。今も毎日家庭学校を見守っている幸助先生は、家庭学校で過ごす全ての人たちが、一つのことをやり抜くようおっしゃっているのです。

 目の前の様々な困難に立ち向かう時、問題に正面から取り組み、じっくり解決して行くことや先延ばしにしないことが大切だとも教えていただいているのだと思います。一歩一歩確実に、時にはゆっくりと効率悪くとも手間隙かけてやり抜くことで、道は必ず開けると教えているのだと思います。

 新年は、これまでの自分の姿を見つめ直し、ぜひ有意義な時間としていきたいと決意も新たにしていきます。

2016年01月号

「見たことは思い出し、体験したことは理解する」

東小学校長 髙藤和明

 新年明けましておめでとうございます。ここ望の岡の地にも、輝かしい希望の新年を迎えました。また新しい年・新しい未来の始まりです。

 私が北海道家庭学校の皆さんとかかわりを持ちはじめて、二年が経過しようとしています。まず、いち早く感じたのは、「誕生会」をはじめ、「花見の会」や「園遊会」、「釣り遠足」や「修学旅行」など季節との関わりの深い行事や体験学習がより多く計画されているということです。

 日常から自然に慣れ親しんで触れ、「自然感覚」を基に、多くを学んでほしいという思いが凝集されているように強く感じています。「自然感覚」というのは、自分たち人間の力ではどうすることもできない領域でもあり、そのような現象が世の中に存在すること、また下手をすると取り返しのつかないことにもなりかねないという感覚のようにも感じます。

 家庭学校・望の岡の子どもたちは、これらの行事や学習を通して、いろいろなものを見て、聴いて、刺激を受け、自分なりに試したり、実行したりして学習しています。心静かに振り返ってみると、自分自身の力で考えたり、実行したりしたことは、深く記憶に残ってきます。自分の頭で真剣に考えたり、心に響いた学習や体験は、しっかりと自分の脳に刻まれ、詳しく理解されてこれからの生き方にも大きく関わってきます。

 今、学校教育では、新しい学習指導要領に向けた検討が本格化してきています。中央教育審議会の議論や国立教育政策所の研修などからも、子どもたちに求められる資質・能力の枠組み試案が聞こえてきています。生きる力へ結び付く「二十一世紀型能力」は、「思考力」を中核とし、それを支える「基礎力」と、「思考力」を方向付ける「実践力」の三層構

造が考えられています。

○「基礎力」は、言語・数量・情報を道 具として、目的に応じて使いこなす力

○「思考力」は、一人ひとりが自ら学び 判断し、よりよい解や新しい知識をつ くり出していくこと

○「実践力」は、日常生活や社会環境の

 中に生かしていくこと

 「アクティブラーニング」という言葉も、盛んにつかわれるようになってきました。活動を通して思考して学び、表現・実践していくものです。

 家庭学校・望の岡分校には、既にこの考え方・実践は、十分取り入れられ、吟味されてきています。これからも一つ一つの学習や体験を通して、子どもたちが一人ひとりよりよい方向へ成長していくことを今年も切に願っています。

2016年01月号

加藤正志先生を悼んで

企画総務部長 軽部晴文

 平成二七年十一月七日、加藤正志先生

がご逝去されました。

 二六年七月には、藤田俊二先生がご逝去され、私が家庭学校に着任した当時から長くお世話になった先生方の訃報に接

する毎に、愈々「これからの家庭学校を頼んだぞ」と改めて背中を押されるようです。

 加藤先生が家庭学校に着任されたのは、昭和三一年ですから今から丁度六十年前になります。当時の留岡清男校長が先生の故郷真狩村で講演をされ、その折「優秀な青年がいたら是非家庭学校に来てほしい」と話があり、先生は「村の期待を一身に背負う気持ちで来たんですよ」と話されたことがありました。

 先生が家庭学校で残された業績は多くありますが、学校林の復興にかけた情熱が一番強かったのではなかったでしょうか。

 私が家庭学校に着任した頃は、桂林寮を副島夫妻に引継がれ、教務部長に専念されていましたので、先生が山林部の担当者として生徒と共に山を駆け巡る姿を拝見はしていません。だが現在も学校に残る「北海道家庭学校~山林の現況及び施業案~」と七一林班から七六林班までの「山林施業」というファイルを見ますと、一つ一つの林班についての詳細な施業の実施状況や長期施業方針が丁寧な字で丹念に記録されています。それは学校林全てを実際にくまなく見て来られた先生ならではの仕事ぶりであります。

 いま、その山林がもたらす木材の売却代金は確実に学校の大きな収入源となっています。

 学校を定年退職されて、遠軽町内に住まわれました。晩年先生は病気で身体が少し不自由されましたが、訪問すると不自由な体で、玄関先まで出迎えに来られるのです。ある時は足に青あざを作られていて、「転倒しちゃってね」と笑っておいででした。

 夏に体調を崩され入院、更に病気が見つかり北見の病院に転院、快方に向かったので遠軽の病院に戻られました。見舞いに伺った旧職員に対して「みんなが働いているのに自分だけが」と恐縮されておられたそうです。

 家庭学校は昨年創立百周年の大きな節目を迎え、式典に先生ご夫妻をご招待申し上げましたが、礼拝のみの参加でした。

後日先生はそのことについて「在職中に生徒に辛い思いをさせたんです。だから礼拝中神様に許しを請いていました。とても記念式典に参加は出来ません」とおっしゃっていました。

先生のお葬式の日、ご子息の智志さんが父親が家族から見ても立派な生き方をしたと称える挨拶をされたのが印象的でした。先生の強い御意志で、ご遺体は医科大学へ献体されました。最後まで加藤先生らしい生き方を貫かれました。

2016年01月号

中卒児童支援について

非常勤講師 木元勤

 中卒生。義務教育を終了したが、進学も就職もしていない、又は、進学したが何かの理由で退学した子どもたちです。公教育導入前は、特別の立場ではなく、単に年齢の違いだけでした。公教育導入以降はその立場に微妙な変化が出てきました。本館の学習においては、義務教育就学児童とは区別されてしまうのです。寮生活では何の区別もなく対応しているのですが、無意識のうちに「中卒生だから」とプレッシャーをかけているのかもしれません。そんな中卒生を担当して5年目を迎えました。平成23年9名、平成24年2名、平成25年4名、平成26年7名、そして平成27年1名のスタートでした。年度の途中で無事就職先を見つけ卒業していく者、問題を起こして去っていく者、新たに入校してくる者、入試のシーズンを迎え合格を勝ち取って進学していく者。それぞれに思い出深い子どもたちでした。

 中卒クラスの者に最初に確認するのは、進学希望か就職希望かです。特に進学を希望する者には、その子の実力に応じた学校の情報を与え、合格に必要な学力を診断し、支援をすることを行います。進学するにしても、就職するにしても、本人の意志を固めさせることが重要なことだと思います。過去にも、家庭学校に来た経過や理由をハッキリ自覚している者は落ち着いて生活でき卒業していきました。他者から強制されて、知らぬうちに連れてこられたとの被害者意識を持ち続けた者は苦労したと思います。

 社会に出た時に必要な常識を身につけてもらいたいとも強く願っています。そのためのカリキュラムとして、「漢検」の学習や、「交通法規」の学習、「総合」で一冊の本を読み進めたりしています。また、「音楽」「毛筆」で教養・趣味の領域を広げる機会にしてもらいたいと思っています。これこそが、家庭学校の特長の最たるものだと思っています。

 中卒クラスを運営するにあたっては、当たり前のことをできるように指導しようと心がけています。それが中々難しい時もありました。そんな時は、ずいぶん悩みました。でも、ダメなものはダメだとその都度言うことしかできないと対応してきました。そして、見守ること。寮長先生に報告(泣き言を言って)すること。みんなで見守っていることを本人にわかってもらうことが大切かと思います。幸い、今年は、今までで一番悩むことがない子どもたち2人と順調にやってきました。

 毎年の子どもたちとの出会いは「縁」だと思っています。縁があればこそ関わっていけると思っています。