このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2011年12月号

窃盗

校長 加藤正男

カラマツの葉が道を覆い、風に吹かれて細い葉があられのように空から落ちてきました。

11月は暖かい日が続きました。本館の前にある栃の木の実が今年もたわわになりました。分校の栄先生が、栃の実のあく抜きに挑戦し、成功しました。重曹であく抜きした状態を少し試食しましたが、口の中ににがみが徐々に広がっていきました。その後木の灰を活用してあく抜きを何度もされ、アーモンドナッツのような状態にされました。ツツジ教室で作った小豆と栃の実の餅です。生徒たちは、とてもおいしいと感謝しておりました。

11月16日、雪が積もりました。岡山からこちらに見学にこられた児童養護施設の職員は礼拝堂の参道に足跡を残しながら歩いていました。本館の廊下の温度計が零度になっていました。

まだ昼間、暖かい日もあり、真っ白な世界となるには、今月の中旬ぐらいからです。本格的な雪となり、根雪の季節となってきます。四月のなかば頃、土の姿が現れるまで白い世界です。

10月に植えられたパンジーの苗は雪の下で春を待つこととなります。

家庭学校生徒による万引きがありました。万引きと呼んでいますが、窃盗と言う犯罪です。刑法では10年以下の懲役です。犯罪です。14歳に満たない者の行為は罰しない。14歳未満の少年は刑事責任が問われないので触法少年と呼ばれます。無断外出が起きた時など、ビデオショップで事案が起こっていました。今回は研修旅行の時でした。3日目の夕食と入浴を兼ねたホテルのお店で起きました。

光りを出す小物です。値段にして300円にも満たないものです。しかし許されるものではありません。光りものはお土産として禁止とされているので買うことはできません。このルールは家庭学校特有のものですが、それを守れないようでは、社会に出たとき、また同じ過ちを犯してしまう危険があります。

寮長と生徒たちで直接ホテルの支配人さんに謝りに行きました。小遣いで弁償します。そして土産物は寮長預かりです。

生徒の反省文からは、「我慢しきれずに取ってしまった」「何も考えずに取ってしまい、後悔している」「これくらいならばれないだろうと思ってしまった。ここへ来る前も万引きをしたことがあった。でも、これからは、してはいけないことを守れるような生活をしていきたい」というような内容が読み取れます。

今いる生徒の半数近くは万引きの経験があります。特に小学低学年から常習的に万引きを重ねていた生徒もいます。

兄弟で家出を繰り返してはコンビニで食料やお菓子を盗むのです。

友達の家に行ってはゲームや文房具を盗んだりした生徒もいました。

留岡清男校長は窃盗の正体をつかみ、それに対する有効な手を打たなくてはと「教育農場50年」に記載されています。

「青少年の犯罪が低年齢化する傾向のあること、罪質が凶暴的になることを困ったことではあるが、青少年犯罪の60%ないしは70%は依然として窃盗であり、盗みの正体を突き止めてその防止方法を確立することが、私たちの取り上げる大切な課題」と指摘しています。

万引きをする理由はどこにあるのでしょうか。

「どうしても食べ物がほしくて」「親の関心を引くため」「スリルをたのしむため」「友達の関心をひくため」「ストレスの発散のため」「万引きが習慣となって」等それぞれ理由があるのかもしれませんが、万引きをしない心の状態をどう保っていくのか。

少年院では、薬物事案の生徒や性非行事案の少年については、犯罪の種別にそって問題別講座としてグループ分けして、薬物に関するグループでしたら、薬物に関する知識とそこに依存しない行動を取るべく考え方と行動を変えるプログラムが実践されています。

窃盗事件の少年に対する手立ては立てにくいのです。

一人ひとり窃盗をする理由は異なっているのです。養護施設に小学2年から小学校を卒業するまでいたD君はこう述べています。どうしたら家に帰れるか、一生懸命勉強してもだめだ、悪いことをすれば母さんがきておこってくれる。迷惑をかければ家に戻れるかもしれない。

留岡清男先生は「宇野先生の学級経営にことよせて」という文を『北海道特殊教育研究会会誌』第6号(1955・3)に載せています。

「美幌町の小学校に、宇野龍という若い先生がいる。宇野先生は小学2年生の受持ちだが、受け持ちの学級に、A君という生徒がいる。学業は不振、欠席は多く、浮浪と窃盗の悪癖がある。とうとう、北見市の児童相談所の厄介にならなければならなくなった。A君の家庭は貧困で、子どもの教育などに無関心だ。だから親がA君を児童相談所に連れていくはずがない。やむなく受け持ちの宇野先生は、A君を児童相談所に連れていかなければならなかった。宇野先生がA君を連れていく時、どういうわけか、偶然に同じ学級の学友3人は、宇野先生について児童相談所までいくことになった。A君は一時保護といって児童相談所にひきとめられたあと、すぐには帰宅を許されなかった。A君1人を児童相談所に残して、宇野先生と学友3人とは、一緒に美幌町に戻ってきた。帰る途中、3人の学友は話し合った。A君は家に帰ることは許されるのだろうか、再び自分たちの学級に戻ることを許されるのだろうか。何とかして、家に帰ることが許されるように、もし、許されたらその時には、皆で出迎えに行こうではないか、と。

数日たつと、児童相談所から、児童保護施設に送り込むことは見合わせた。すぐに連れもどしに来るように、と言う連絡があった。宇野先生は、再び児童相談所にいって、A君を引き取って帰ってきた。多くの学友たちは、都合があって、約束通りに、宇野先生と出迎えに行くことはできなかった。その代わり、3人の学友は、中心になって、多くの学友たちに呼びかけて話あった。いよいよA君は帰ってくる。A君が帰ってきたら、もう以前のように、A君を置き去りにしたり、一人ぽっちにしたりしないようにしよう。仲間に入れて、一緒に遊ぼうではないか。誰と誰はその責任者になろう。勉強だって、一緒にやろう。・・・学級全体は、A君を取り囲んで、A君を孤立させまいとし、A君を取り残すまいと相談し合ったのである。A君は、やがて仲間の中に入って遊ぶようになり、勉強するようになった。A君は形の上で孤立することがなくなったばかりでなく、心の中で自分の存在が認められるようになったことを喜び、初めて張り合いと言うものを感じるようになった。A君はもう欠席しなくなった。窃盗もしなくなった。算数は九九が完全にできるようになった。読字や書字は平均に近づくようになった。A君はクラスの仲間によって救われた」

宇野先生のクラスの生徒がA君を救ったとともにA君によってクラスの人間関係の成長が図られたと清男先生は結論付けています。

A君は担任の先生や仲間からの応援を素直に受け止め、そのきずなを感じた時、窃盗が止まったのです。

寮長・寮母と寮生との人間関係の中できずなが生まれていくのです。そして本館の学習・クラスの場面で担任の先生と、そのクラス仲間とのきずなを積み上げていくのです。そのためにも、毎日の生活場面を大切に時間をかけていくしかありません。

きずなを実感した時、気づきが生まれてくると思うのです。

(児童のプライバシー保護のため、原文を一部変更しております。)

2011年12月号

子供たちの変化

捧 一

ずいぶんと痛めつけられた子どもたちが増えた。

家庭学校の子供たちを見て、そう思うことが多くなりました。

1990年代、家庭学校にいる子供たちの保護者のうち、実父母の割合は30%ほどで推移していました。今年11月1日の現況報告によると、保護者のうち実父母の割合は12.8%でしかありません。大人たちの葛藤に巻き込まれ、不安な気持ちを抱えたまま育った子供たち、生活するのに精一杯な親から十分顧みられなかった子どもたちが痛むのは当然です。子供たちが置かれている状況は、この20年間で間違いなく悪くなりました。

小学生の頃から家庭学校で生活している2人の子どもが、それぞれに「家庭学校に来るまでのことはまったく記憶にない。万引きをしたことや、家出をしたことは覚えているけれど、家で自分が何をしていたか、母さんが何をしていたかの記憶がない」というのを聞いたことがあります。自分が育ってきた家庭での記憶がないというのです。

いままで出合った子どもたちは、家庭学校の生活を通じて例外なく成長してきました。それでも、子どもたちによっては、力強く伸びていく子ども、なかなか伸びない子どもの違いはあります。

伸びていく子どもたちに共通しているのは、幸せな子ども時代の記憶があるということです。さりげなく、子ども時代に動物園に連れて行ってもらったこと、家族でサッカー観戦をしたこと、スポーツ少年団での活動を応援してもらったことの記憶を話す子どもたちは、何か問題があって話をするときに、おかしなぶつかり方をすることがありません。

反対に、つらい子ども時代をもつ子どもたちに話をするときには、「オレが悪いって言うんですか」といわれることが数多くあります。そう話す子供たちの中には、悪いのは俺だけなのかという気持ちが渦を巻いているようです。

「悪いよ。だから話をしているんじゃないか」

こういわれて、虚を突かれたような顔をしている子供たちには、一つ一つ、なぜそうなのか、どう考えて行動すればよかったのかを、説明していきます。悪いのは判断や行動であって自分ではない。だから、どうすればよかったかを考えよう。そう話していくと、最初は納得できないという顔をしていた子供たちも、自分の悪かった点を理解するようにはなります。しかし、随分と時間がかかるようになりました。

その理由を考えると、痛んだ子供たちが増えたことで、仲間文化が機能しにくくなったためのように思います。

同じように痛んだ子供たちが同じように大人に対して不信感を抱いている。子供たちの中に、そこから抜け出て成長している仲間がいないかまたは非常に少ない。子ども同士の関係だけが自分の支えであったため、成長することで仲間集団から受容されなくなるのではないかと怖れている。そのため、いつまでもおなじところで伸び悩む子どもが増えたように思うのです。

他者は自分を映し出す鏡です。子供たちの集団が多様性を内包していたとき、子供たちはお互いの中に自分を映しあって、自らを振り返ることがありました。その力は、職員の働きかけをはるかに超えていたのです。

いまでは子供たち自身、自分が何をやっているのか、仲間を見ながら意識することができなくなってきているように思います。

今年の夏、あまりに子供たちの状況が悪いので、その様子を録音して聞かせたことがあります。

「こんなにひどいと思わなかった。これ、本当に俺たちなんですか」

「誰の声だい?」

「いや、声は俺たちの声です」

信じられないといった顔をする子供たちに、自分の意識と周りから見える姿は違うということを一つひとつ教えるのですが、本来は、もっと年齢が低いうちに覚えているはずだったことです。ある精神科医が、「臨界期を過ぎて学習をするというのはきわめて難しいと思います」と話していたことがあります。この言葉が、子どもたちを見ているとよく分かるのです。

子どもたちの現状に加えて、現在、児童自立支援施設が抱えている大きな問題に、子どもたちの退所先をどうするかという問題があります。

子どもたちが痛んでいるということは、親もまた痛んでいるということです。通常、家庭学校を退所する際、退所先は家庭ということになります。しかし、親が痛んでいると、子どもは家庭に戻ることができません。子どもたちのもつ問題性、保護者のもつ問題性、公共事業の削減、景気の低迷、施設の定員状況など、様々な要因によって、まだまだ力不足の子どもたちを受け入れてくれる場所は多くないのです。

入所時点で発達障がいの疑いがあるとされ、様々な問題を起こしていた子どもたちが、医療機関の協力を得ながら安定し、家庭学校から次のステップを考えるときに、どのような場所が子どもたちの成長にとって一番望ましいのか、現実にどのような選択肢があるのか、医療機関の協力を受け続けることができるのか。きわめて狭い選択肢の中から、難しい判断をしなければなりません。

退所後も福祉的サービスの必要な子どもたちが増えたことは、ますます児童相談所の役割が増えたということでもあります。

少ない人数で、子どもたちの対応に追われ、活用できる資源も限られているなかで、進路を模索しなければならない困難は、児童相談所も同じです。

子どもたちの現状、保護者の状況を考えるとき、何とかして退所した子どもたちの生活を支えてくれる場所が欲しい。まだまだ力不足で、過ちを繰り返しやすい子どもたちの側にいて、支えてくれる大人のいる場所が欲しい。若く、経験がなく、身につけているものも少ない子どもたちを、何とか職業人として一人前に育ててくれる場所が欲しい。

日々、子どもたちともつれるように暮らしながら、痛切にそう願っています。