ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2010年12月号

収穫感謝祭

校長 加藤正男

 朝の太陽を浴び、もやが立ち込み朝霜が牧草畑を覆っています。

 生徒たちが本館に登校してくる時、息を大きく吐きながら、真っ白にして登ってきます。

 雪は10月に少し降ったのですが、11月は遠軽町でも白滝の地区を除いて、留岡地区は、現在のところ、積雪はありません。年によっては年末にもあまり雪のない年もあると言われています。このひとむれが届くときには葉を落とした「から松」に雪がたわわにつもっているかもしれません。長い冬がはじまっています。

 作業班活動発表会が11月21日から23日の3日間行われました。

 収穫感謝の日に行われるこの行事は、古く戦前から新嘗祭という祝日に合わせ収穫感謝の礼拝がなされてきました。

 よく食べ、よく働き、よく眠るという健康的な生活習慣を獲得することが基本と言う家庭学校の留岡幸助先生の精神は、大正4年6月の「感化教育における三能主義」という文に書かれています。

 「吾人が多年実験し、きたりたる感化教育は、少年をして能く働かしめるとともに、能く食わせ、能く眠らしめるにありき。この三要件はつとに少年を教育するに必要のみならず、すべての人類を教育するにおいても、また、誠に必要欠くべからずものなり。・・・家屋を建築するにはまず礎を据えざるべからず。その如く人の子を教育するにおいても、また、礎なかるべからず。そもそも、礎とは吾人のすでに述べたる勤労、飲食、睡眠の三時なりき。吾人はこれを称して感化教育の三能主義となす。この三事を実行すると同時に、教育をもって智嚢を磨き、宗教をもって心性を開発せば・・・感化の実行を奏し得ざるものなり。」

 毎年、ひとむれは、収穫感謝祭特集号を作成していました。

 ここ3年間は、作業班学習は続けられていましたが、特集号としてまとめることはできませんでしたが、今年3年分をまとめて、つなぐことができました。

 1953年の収穫感謝祭特集号から当時の生活を見てみると、生徒数は80名を超えており、8か寮の寮長・寮母、11班の作業編成で、一日の課業時間の45パーセントを作業の時間にかけています。山林部・土木部・果樹部・園芸部・蔬菜部・軍手部・精米部・木工部・酪農部・養鶏部です。それぞれの部が活動しています。

 戦後に校長となった留岡清男先生は、戦争ですべてが破たんとなり、経済的な支援を頂いていた多くの企業が打撃を受けたため、三男の幸男氏とともに企業を回り寄付を頂いてきました。校内に記念林が多数名づけられています。山口林、千代美林、星谷林・鮫島林等の方々は戦後の苦境な時代、家庭学校を支えて下さった方々です。

 教育は胃袋からのスローガンのもと、それぞれの作業部の経済的自立と、自給経済により生活基盤の確立を目指しました。毎年の総括をこの収穫感謝祭における作業班発表会においてなされてきました。

 働くことが生きることの基本であり、働く事の意味を学ぶことが教育の基本であり、働く習慣を身につけさせることが教育の本質との理解をもって教育実践にあたってきました。

 新しい生徒がここの生活に慣れるのは時間がかかります。今月入所した中学2年生の生徒は、入校して本館で寮長と一緒に寮に戻りましたが、そののち本館の学習の場にも行くことができません。食事も最初はほとんど食べず、閉じこもり状態になりました。児童相談所での生活においても一カ月職員とも話のできない状態が続いたとのことであり、普通の生活に至るまで時間がかかります。

 8か月前入校したT君に、学校の相談員として関わってくれた網走市の教育相談員の先生が11月19日にここにきて、授業風景を見ていただき本人とも話を交わしていました。とても考えられないぐらいいい方向に変わっていったことに驚かれていました。寮での生活・学習場面での生活・作業面とまだまだ、人とぶつかったり、集中できない面は残っていますが、何とかここの生活になじんでいます。

 家庭学校の生活で安定した居場所を確立していくことは、寮長・寮母を始め家庭学校職員・分校の先生方からの毎日の地道な働きかけの結果とわたしたちは考えています。

 ここでの生活で前向きで積極的な生活を過ごした生徒の予後はいいのです。しかし、ここでの生活で失敗を繰り返し、生活になじまなかった生徒もすべでが悪い方向に行くということは言えません。

 家庭学校では作業面・生活面とがんばっており、その後就職した職場でも信用をえていたY君が、油断なのか、職場先から二輪の免許取得時に、車の窃盗事件を起こし少年院に入所しました。彼の荷物は、寮長が引き取りに行き家庭学校で預かっています。反省の手紙がきます。

 みんなの信用を裏切ってしまい、申し訳ありません。必ず社会復帰したら、家庭学校にあいさつにきたいと、少年院の面接室で固い表情ながら、言葉少なく寮長と私に対して語ってくれました。

 退所して、かなりたった生徒から、来年から札幌の大学に合格したとの電話が寮長に入ります。いい知らせには本当に私たちを元気づけてくれます。

 大地の詩 留岡幸助物語の映画のロケが岡山でも行われました。そこに留岡幸助先生の奥さんである夏子さんの姉さんの一族にあたる人が留岡幸助先生の子どもたち9人の記念写真を届けられました。明治41年9月の記念写真です。清男先生は10歳の小学生の姿です。

 「この度の映画化については、本当にうれしくて、陰ながら声援を送っています。長い年月が終わってこのように留岡幸助氏の偉業と夏子の献身を取り上げていただき映画にまでして頂けるというのは本当に夢のようです。・・・夏子の姉つるが私の曾々祖父に嫁いだものですから、実家では曾祖父、祖父、父へと幸助氏の偉業が語り継がれ、幼少のころよりずっと聞いて育ってきました。父が30年間保護司を続けてきたのも幸助氏の志にうたれていたことも大きかったと思います。・・・父が存命中に同志のかたと一緒に呼び掛けて岡山県高梁市福祉会館の庭に顕彰碑が建立されましたがこれまで注目する人もほとんどありませんでした。今、機が熟しこうして準備が来たものを感じます。一人でも多くのかたに映画を見て頂いて、家族の愛の大切さを再認識し複雑になりすぎた現在が原点に戻ることを願ってやみません・・・」長い手紙にその思いがあふれていました。

 今年の収穫祭学習発表会も盛大に催されました。

 昨年から分校が導入されましたので、総合学習の中に作業班学習が位置づけられましたが、実質的な作業内容は引き継がれています。しかし30年前と比較しますと大幅に作業内容は変化しています。現在は、蔬菜部、校内管理部、山林部、酪農部、園芸部の五つの班に分かれています。発表会においては、それぞれの生徒全員から音楽室に準備された発表会場でみんなの前で作業内容や学習研究した事項を発表します。

 書かれた模造紙は70枚近くになります。時間をかけて準備した発表が3日にかけて行われました。最終日は礼拝堂にて、食事に関する栄養士さんからの発表と私の講評です。

 そしてその日の夕食のメニューはすき焼きですここでの生活で汗と膏を投じてつかんださまざまなことをかみしめていってほしいのです。

 生徒たちは、入校したころ、なんでもめんどくさい、かったるい、やる気がしないと 後ろ向きの言葉と行動が、ある時なくなります。みんなで生活を作り上げていくからです。生徒たちの成長が作業の場面で目に見える形で見えてきます。425ヘクタールの森の農場の教育力を大事に引き継いでいきます。きびしい自然に学び生徒とともに学ぶ流汗悟道の精神を大切にし、家庭学校の営みを続けていきます。

2010年12月号

ケータイ考

伊藤 浩士

 校長先生の住宅の近くに菩提樹の木があります。この実を食しに訪問するのはエゾモモンガです。菩提樹の実は、ヘリコプターのように旋回して散らばるように出来ています。少年たちは、実を拾っては空に向かって投げて、旋回する実の自然の遺産を楽しんでいます。

 家庭学校には来客者、見学者や実習、研修でお見えになる方が非常に多いです。昨年度から公教育導入を始めたことにより、更にその数は増えたように思います。

 寮担当者は、終日少年たちと接しているため多くの取材を受けます。家庭学校の歴史についての質問から始まって、少年の入校理由の傾向、一緒に暮らしている少年たちへの思い等を質問されることが多いです。最近は、大学関係者の方が学術的な資料にするための質問が増えています。質問が専門的で多岐に渡っているため、すらすらとお答え出来ない私は眉間にしわを寄せてばかりいます。

 自分自身で及第点の回答だと思うのが、子を持つ親の視点からの回答です。中3の長男を筆頭に、中1の長女、小1の次男の子を持つ親としての感覚は、考えて物事を申し上げるのではなくストレートに発言をすることが出来ます。例えば「少年たちの高校進学で悩むことは?」と尋ねられた場合は「自分の進路のことであるのに他人事であることが挙げられ、私や分校の先生に任せてしまいます。進路のことで考えたり悩んだりしません。それは、周囲に見本となるべき親の存在がなかったことも影響しているし、高校なんて入学出来ればいいか…というその家の文化もあります。私の長男は、ごく普通の両親のいる家庭で育ち両親に躾をされて育ちました。小学校にも中学校にも通いました。長男の友人も同じように育っているから、自然と高校進学へとなるのでしょう。しかし、家庭学校の少年と同じところがあって競争社会で育っていないため進路について悩まないですね。」と返答出来ます。そこで「だから夫婦小舎制が必要なのでしょうか?」と質問されると微笑してしまう。「赤ちゃんと言われる姿で生まれて来た時点では、どの子も一緒であると言えます。しかし、母乳で育てるのか、人工乳で育てるのかということから始まる食のことや、肌触りのよい布団や動きやすい洋服を着ているのかという衣のことや、整理整頓されて空調が行き届いているのか、という住のことなど衣食住だけでも差が生じてきます。スタートは同じでも、親が子育てをする能力は確実に退化していると思います。自分のこどもを育てられないのです。私たち夫婦は決して優れた親ではないのですが、こどもたちのためであるのならばいろいろな我慢が出来ます。親というものは、こんなにも躾にうるさいし、こどもを監視しているし、愛情を与える存在であることを少年たちに教えています。今は、うるさいと思われてもいつか自分は家庭学校で大事にされたのだと思って欲しいです。」と返答出来ます。

 なぜ親の子育てをする力が弱くなっているのでしょうか。まずこどもの生命力の強さに対応出来ていません。そして子育てをするのは行政ではありません。こどもが泣いてうるさい、反抗をするというのは生命力の強さの何ものでもありません。それを大人の腕力で抑えてしまう虐待は目を覆う出来事です。

 先日、出張先の札幌駅で見たポスターが印象に残っています。「つかまる、という安心」という文字が記されたものでした。なるほどと思いました。エスカレーターにこどもを乗せる際には、ベルトにつかまらせてください、親につかまらせなさいという至極当たり前のことを子を持つ親に喚起しているのでした。それはまた、電車の乗降の際にも親はこどもから目を離さないことと訴えているようにも思えました。事実、私はこどもとエスカレーターに乗る際には片方の手をつながせて、もう片方をベルトにつかまらせます。または、不測の事態に対応出来るように、こどもより一段低い所に身を置きます。

私が提唱したいことは「こどもは親の手の届く所に置く」ということです。危ないと思ったら手をつなぐ、悪いことをしたら頭を小突く、または撫でるという親の体温を感じる距離に、こどもを置いて守らなければなりません。

 携帯電話はケータイと記されることで意味が通じる世の中です。携帯電話を持つことにより、こどもの活動範囲は広がりました。携帯電話を持つことで楽になったのは、こどもではなく親です。行動範囲が広くなってもいつでも連絡が取れます。

 夕食の時刻に遅れても、帰宅時間が遅くなっても安否の確認が出来るようになりました。帰宅を待つ親は、事故に遭ったのではないかと要らぬ心配ばかりします。分が悪そうに帰宅したこどもに対して母親は料理が覚めてしまった愚痴をこぼします。こどもの肩がすくみます。きょうだいが待ちくたびれてお腹が空いたよ、と文句を言います。うるさいな、謝っているだろうと開き直ります。何だその言い種は、と父親が怒ります。こどもは悪いと思うのです。

 携帯電話では、どうでしょうか。家族の声が耳に届くでしょうか。

 私が百貨店で買い物をしていたら、長男と長女に呼び出されたことがあります。「伊藤浩士様、お子様がお待ちです。」という呼び出しに赤面しました。自分がこどもから目を離したことを後悔しました。逆にこどもを呼び出したことがありますが、それもこどもから目を離したからであり親として恥ずかしく思いました。

私がこどもの頃は電話を借りるという意識がありました。電話の加入権を買っていた時代です。学級の緊急連絡網には自宅に電話がないため「呼び出し」と書かれた子が何人かいたものです。外出先で電話を借りる際には、公衆電話と同じように十円玉を一枚置いてきなさいと親に言われたものです。

 街に通学している私のこどもから、スクールバスに乗り遅れたと連絡が入ります。食堂や書道教室から連絡をさせて頂いた場合には、翌日に十円玉を握らせてお礼を言って来るように教えています。長電話をしていれば注意をします。また、夜9時を過ぎてからの電話は「遅い時間に申し訳ありません。」と言いなさいと教えています。どうしても電話で謝らなければならない場合には「お電話で申し訳ありません…」とも教えました。相手が受話器を置いてから、自分の受話器を置きなさいとも教えています。

 次男と布団を並べて休んでいますが、未だに眠りながら足で蹴って親の所在を確認します。本能ってすごいな、だけどそんなに蹴らなくてもここにいるよと独りごちます。

少年たちによく言うことで「私はいつでも家庭学校にいる。変わらずにここにいる。」ということがあります。いつでも近くにいること、その場所にいること、手の届く距離にいることの安心感をこれからも与えていきたいと思っています。

斉藤先生が規則正しく植えたパンジーの花壇に、菩提樹の実が旋回して落ちています。本格的な冬が近付いています。(終わり)

 図1)在籍45人の中から無作為に30人を抽出

入校前に携帯電話を持っていたか持っていた持っていなかった
卒業後に持ちたいと思うか思う・・・29名思わない・・・・1名
初めて携帯電話を持ったのは何年生ですか小2-1名、小3-1名、小4-2名、小5-4名、

小6-3名、中1-10名、中2-3名、高1-1名