ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2010年09月号

無断外出

校長 加藤正男

 今年の夏は遠軽でも珍しく30度を超える日々が続きました。そして雨も多く蒸し暑い日々か続きました。とはいっても夕がたは森の中から涼しい風が吹き、窓を開けっ放しにすると寒くなります。

 森の木々の周りにはきさまざまなきのこが色とりどりに地面に花が開くようにでています。花壇は色濃く咲き誇り、蝶蝶が飛び回っています。私の住んでいる住宅から本館に歩く間、あぶや蚊 、糠蠅が手で追い払ってもまとわりついてきます。

 生徒たちの手足には虫の食われた跡があちらこちらについています。各寮の畑ではトマト、キュウリ、ナス、スイカやメロンができています。

 一時帰省の生徒たちは自ら作ったキュウリやキャベツをカバンの中に入れ、保護者にお土産に渡します。自らが育てた大切な野菜です。

 先輩の生徒さんここでの生活を振り返ります。

 「幼い日、家庭学校で過ごした2年間は実に強烈かつ新鮮なものであった。・・・昭和初年の北海道、しかも遠軽といえば遥か辺ぴな地で、上野駅から急行で三日間はかかる距離にあった。ある日なんらの予備知識もない都会の子が、そんな山間の地へ連れていかれたのだから、当初は茫然自失でした。だが、その日から向陽寮の寺崎先先生のもとでランプを灯す生活が始まった。・・・そしてまず教えこまれたのは「作業」即「労働」である。薪出し(山腹に積んである丸太を背負って降りる)、草刈り(谷間に繁茂する熊笹と格闘しながらの防火線刈り)、除草(炎天下、汗が眼にしみた)、その他,鶏舎・牛舎当番、道路補修、やがて秋の収穫(馬鈴薯、かぼちゃ、大根、キャベツ等それらは各々が一つの丘を単位に栽培されていて、取り入れは皆で一斉にしたものだ)率直にいってどの仕事も15、6歳の子どもにとっては、初めつらい苦役であったが、そのうちに鍬や鎌の扱いにも馴れて、仕事の段取りも自分でできるようになり、また、毎朝の草取りや土を耕す日課で、自然への親しみも増していった。これらは後日、私のバックボーンとして、どれほど役にたったのか計りしれない。また、一方、春先の雪解けの時季に味わった情感などは、今でも私の体の中に生々しく生きている。」

 夏の一時帰省で四〇名いる生徒の六割近くの生徒が保護者のもとにもどりました。まだ入所して三か月たたない生徒や事情によりまだ保護者との調整が付かない生徒は残ります。

 残った生徒たちは残留日課としてさまざまなことで生活を過ごしました。キャンプや映画鑑賞や海への魚釣り、パークゴルフ大会等連日の変化のある日課で過ごしました。体験学習です。

 留岡幸助時代の家庭学校では夏は房総の海岸に生徒全員を一カ月近く連れて行き、農家を借り切っての生活です。先生と生徒ともに夏休み体験は楽しく過ごしています。もちろん近所でのミカン泥棒などのトラブルも発生しております。

 今の家庭学校の海水浴はオホーツク海で泳ぎます。7月30日の前日は土砂降りの雨でしたが、当日は晴れました。海水温が22度、気温25度。水は冷たく泳ぐには厳しい気温です。それでも生徒たちは唇を青くしながら水と遊んでいます。昨年は外気温が上がらず遊泳禁止となり、近くの温水プールで遊ぶこととなりました。オホーツクの海水浴場で泳げたことは印象的でした。家庭学校の生徒たちにはさまざまな体験が不足しています。

 生活体験の少なさは子どもたちの成長に影響します。夏休みには家族とともに繰り広げられる様々な社会体験は育っていくのに大切な教育環境の一つです。

 家庭の経済的・精神的な余裕のなさとともに保護者も孤立傾向等が重なっています。

 かつて少年院の生徒たちに貧困や人間関係のことについて調査をされ、その結果を法政大学の岩田美香教授は次のようにまとめています。少年院の生徒たちは、小さいころ、あまり家族旅行ができなかったり、親戚等の付き合いもあまりなく、いろいろな人とのつながりが少ない傾向にある。その背景に貧困という要因を無視できないと指摘します。

 8月15日夜間3名の生徒が無断外出をしました。2年ぶりの無断外出です。夜中、無線連絡が入ります。懐中電灯を持って本館に上がります。職員は車で町のあちらこちらへ探しに行きます。夜はなかなか見つけられなかったのですが、次の日の昼前に分校の先生に偶然見つけてもらいました。その後家庭学校の職員により保護されました。助かりました。

 5年前の冬の厳しい時に無断外出したA君は、山にある温泉からさらに山道を入り疲れて眠ってしまったのか亡くなってしまったのです。昼間はその季節には珍しく春のような気温となりました。しかし夜は厳しい寒さです。入所してまだ2週間ぐらいで家庭学校の生活にこれからなじむ前の悲しい出来事です。8月4日、慰霊のため、私と寮長と総務部長で現場に花とお線香をたむけました。私たちの力の届かなかったことをお詫びします。

 3名の生徒は、車を盗んだり、コンビニで万引きをするなどの事件はひきおこさず、無事保護されたのは良かったのですが、毎日残留行事で楽しい経験を積み重ねているのになぜそんな行動にいたるのか、私たちの思いが届かないことにがっかりです。

 M君は友達に会いたいと動機がありました。こちらに入所して二週間ぐらいです。前の養護施設でも問題行動を多発させ、そこに戻れないなら家庭学校に来ても逃走すると言っていた生徒です。

 S君は本州からです。I君は札幌からです。二人ともにこにこしてとても楽しそうな生活でした。その二人は、M君に誘われて何か面白そうというとても漠然とした気持ちで誘いに乗るということに私たちはがっかりしてしまうのです。カラオケの行事は楽しそうだからそれを終えた夜の時に出ようと言うことなのです。誘われても乗らない生徒もいます。私は偶然、無断外出をした二人の生徒と一緒に同じ部屋で歌っていました。盛り上がっていました。

 その日の夕方来客があり、私はその寮にお客さんを案内しました。その時外で一緒にまき割り作業・風呂焚きをしているM君とS君の作業ぶりを見ていました。普段にこにこしているS君が「S君、カラオケでは歌がとってもうまかったね」と話しかけた時、やや硬い表情で立っていたことを思い出しました。

 留岡清男先生はなぜ無断外出が起きるのか、50年前頃の正月四日に卒業生を昼食に招待して懇談会を開いています。「君たちはどういう理由から無断外出したか」と尋ねています。すると13回無断外出したK君も、また、8回無断外出したN君も「大した理由はないのです。なんとなく街の灯りが恋しくなったり、お祭りの夜など太鼓の音が聞こえると、たまらなくなって飛び出したのです」と答えました。無断外出は困った現象に違いありません。・・・私たちは、子どもたちを教育するのが努めです。だから、子どもがいなくなったら、教育しようにも教育することはできません。その上に、無断外出すると、きまって校外で窃盗を働いたりしますから、非行を積み重ねる機会をつくります。・・・無断外出は、浮浪性のない直らない証拠だとか、非行性の改まらない結果だとかいって、無断外出を無条件に敵視するのは、適当でなく、子どもの立場にたってもう少し含みのある考えかたをするほうがいいのではないか」と教育農場五十年(留岡清男著・岩波書店)に書き記しています。

 無断外出を起こさないよう細心の注意を払って小舎夫婦制のもと、子どもたちとの生活を続けていかなければなりませんが、開放処遇を行っている施設である限り無断外出は避けられないのです。

 無断外出をした生徒たちには二度と起こさないよう反省を深めてもらい、これから始まる二学期の生活でやり直していってほしいのです。夏の一時帰省に帰っていた生徒たちも全員戻ってきました。一人ひとりの成長を願い家庭学校の生活がはじまります。

2010年09月号

家庭学校に来て

楠 哲雄

 ご縁があり、4月より夫婦で働かせていただいています。18年勤務した施設を離れ、新しい職場である家庭学校へ来ました。新人らしく不安と期待を抱いての転勤です。一見、無謀とも思われることも、私達夫婦にとっては人生の荒波を楽しむ一つと捉え、この上なく不安定な気持ちにさせることは、これ以上ない刺激・自己啓発と考えています。

 さて、7月の開寮まで、フリーの職員として、新鮮な気持ちで子どもへの指導に当たる機会を得ることができました。寮長をやっていた時は、第3者の目として、客観的に見るために、寮長とは違った視線で子どもと関わりたいと思っていましたので、良い機会をいただきました。フリーの立場になり、当たり前だが寮長というのは特別な存在であることを再認識しました。寮を持っていた頃は、すんなりと子どもに入っていた指導が、全く持って入らなくなりました。それまで自分自身が築き上げてきたものが、いかに寮長という立場に甘えて築いてきたものかを厳しく認識させられた。もちろん全く考えなかったことではありませんが、これ程までに立場が違うものとは、やはり頭で理解していても経験しなければ分からないことでした。子どもに対していかに私の関わり方が未熟であったか考えさせられる機会になりました。そして、寮長以外の職員の立場というのも改めて考えるようになりました。今回、フリー職員の方々、また、学校教諭の方々とフリーの立場で話が出来る機会があったのも良い勉強になりました。今思えばフリーの職員や学校教諭に対して寮長の立場で一方的に話をしていたのではないかと後悔しています。本来ならば、寮長の立場でも聞けていないといけないことですが、こういう立場だからこそ聞けたと思います。そして、フリーの立場で子どもの声を聞けたことも新鮮でありました。耳の痛い話が沢山ありましたが、全て貴重な話でした。十数年同じ方向で指導していた私にとって、今までのやり方を壊すことになりますが、今後の指導に対して幅と深みを与えることができるように感じています。再び、寮を担当させていただきましたが、子どもの指導をより良いものにするためにも、あらゆる立場の方々と意見交換をしていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

 私たちに何が出来るのか分かりませんが、子どもたちとともに生活しながら、子ども自身がここで自分の課題に対して、どんな取り組みや生活をしなければいけないのか、はっきり目標を持って生活してもらいたいです。そう導いて生活させるのが私の役割だと思っています。