このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2010年08月号

家族

校長 加藤正男

 6月27日に運動会が行われました。当日の朝、グランドに出ると、羽化したばかりの大一文字蝶がひらひらと舞い、机の上にとまりました。黒褐色の羽根に白い線の模様が浮かび上がっていました。

 前日はこの時期には考えられない35度の暑さが襲いました。運動会の日も30度を超える日となり、昨年は寒さで毛布をかけて家族の人が見ていた風景とは異なりました。

 運動会にこられた家族の方も昨年と比較すると、多く、10家族30人こられました。しかし、事前のハガキの回答では参加するとの連絡を受けましたが、当日都合により来られない保護者の方がありました。生徒にとってがっかりすることです。

 運動会に限らず、マラソン大会等でも来られる家族はおります。

 ここに来るまでには家族とのさまざまな軋轢や、虐待が続いていたケースや、生徒側の方からも保護者を困らせる行動が続き育てることができないケースもあり、ここで生活をたて直すという大切な、時間を過ごすこととなるのです。

 家族とのつながりはここでの生活の安定につながります。

 少年院の生徒で自分の頑張っている姿を親に見せたくないと運動会の日、参加しなかった少年がいましたが、翌年の運動会には参加し、親の前でしっかりやりとおしたのです。 例え、親に対して恨みつらみの気持ちを持っていたとしても、親は親です。その親に対して、ここで頑張っている姿を見てもらいたいのです。見てもらい、親も変わってもらいたいのです。

 高校生活を始めた卒業生が、高校生としての生活が続けられていないとの報告がありました。しっかりやっている生徒の報告では力をもらいますが、がっかりする報告です。

 「校長先生早く家に帰らせてください。まじめに生活しますから」と強くいっていた生徒でした。

 失敗はどうしても起こります。そのつまずきに早く気づき立ち直ってほしいのです。家族の思いをしっかり受け止めて、ここで勉強に作業に集中していたことを思い出してほしい。

 ここを15年前に退所した生徒が、生活に行き詰り、家庭学校に訪ねて来ました。今の生徒たちの学習する姿を見て、前とはだいぶ変わったと感想を述べていました。本人は持っているお金もなく、生きていくことに対して絶望をしていましたが、3日ほどここに滞在して本州に戻っていきました。札幌駅まで車で送り旅費を援助しました。

 家族とのつながりは、生きていく支えです。

 児童相談所では24時間対応で虐待のお子さんたちを守る体制をつくっています。それでもニュース等で悲劇的な事件が少なからず発生しています。

 大きな災害や不況・不作、戦争等により、家族が不可抗力により崩壊していくのとは異なっていますが、家族の崩壊が起きています。そのことで失われるのは子どもたちの笑顔です。笑いが失われるのです。

 ここに入ったころの生徒たちの表情は暗いです。ここに来ざるを得なかった不満とここでやっていけるのかという心配が表情に出ています。しかし、2か月、3か月たつと明らかに変化します。笑みを浮かべてここでの生活に慣れましたと話してくれます。

 慣れすぎてこんどは緊張感のない生活に陥ることもあります。

 苦手意識の強い学習場面でなかなか苦労しています。分校の先生方と協力し合いながら学習への集中力を高めていかなければなりません。

 留岡幸助先生は「第一、教育上大切なことは家庭である。家庭の大切なことは言うまでもない。次に大切なことは学校と社会である。」「家庭は児童の適当な教場である。・・けだし教えんとするものはまず自ら教えられなければならない。人に善を求めんと欲すればまず自ら善を行わなければならない。されば子どもは独りで良くも、悪しくなるものではない。見習いて良くなり、また悪しくなるのである。・・・・事実、親は子どもに教えられるのである。教えられて親がつくづく自分の行いを反省した時に、ここに初めて善良な家庭教育が行われる。」

 家庭学校の名前の通り、家庭が子どもの育ちの原点と考えました。家族制度を家庭学校の基本としたのです。家庭の道徳的な中心の力は主婦にありという留岡幸助先生の主張です。「家庭の主人は妻である」と明治22年のある日の日記に本人は記載しています。

 少子化といわれ子どもたちの数は減っていますが、家庭での居場所を失う子どもたちの数は減ることはありません。

 家庭学校は、その居場所となるべく小舎夫婦制の家族寮で子どもたちを育てています

 留岡幸助物語の映画製作がいよいよ始まります。

 「大地の詩」留岡幸助物語の幸助先生役は村上弘明さんに決まりました。7月2日の日刊スポーツで掲載されました。村上さんは、現在NHK朝ドラマの「ゲゲゲの女房」で雑誌の編集長として大事な役をしております。

 その記事の中で村上氏は留岡幸助の精神を学ぶためにも聖書を最初から読み直しているとの記載がありました。留岡さんになりきって、命をささげるぐらいの気持ちで取り組みたいとの談話が書かれていました。10月ころの撮影期間の大半は北海道ロケの予定です。北海道開拓の村、家庭学校礼拝堂、網走監獄記念館等で行われます。 

 留岡幸助先生の奥さん夏子さん役は工藤夕貴さんです。そのほか石井十次役に松平健、原胤昭役にさとう宗之・好地由太郎役に市川笑也そして加藤剛さんも大事な役に出られるとのこと、とても期待できる配役陣にこれからの製作過程が楽しみです。

 応援者として心配なことは映画作りが大変お金がかかるということです。多くの人から応援して頂いていますが、できる範囲ですが、映画製作の協力をしていきたいと考えています。

 7月19日から新しく柏葉寮が楠夫妻のもとで開かれました。昨年の9月に一つの寮が閉鎖されて以来4か寮体制でしたが、ここで石上館・向陽寮・洗心寮・平和寮・柏葉寮と5か寮による家庭学校の生活になりました。

 この寮のうち平成13年度建設の向陽寮を除き他の寮はいずれも30年前、40年前近くの建築です。建物の改修も一部なされておりますが、全体として老朽化は免れません。

 生活環境を常に見直しながら子どもたちの安定した生活を送るための住環境を整えていかなければなりません。

 家庭学校の建物に関しては先日北海道大学の角幸博教授にさまざまな建物を調査してもらいました。本館・桂林寮等については、北海道の建物設計で有名な田上義彦氏による貴重な設計建物であり保存の価値があるといってくださいました。

 礼拝堂の建物調査については丁寧に屋根裏の木組みを見てもらいました。キツツキによる穴も多数あり、その都度一時的にふさいでいっていますが、それについては、 森にある木造の建物にはどうしても避けられないかもしれないと述べておりました。

 いずれは本格的な修復の時期が来ると考えられますが、この礼拝堂は建物として大変貴重であり、ある時期には長期的に大修復をしなければなりません。その際は、文化財の登録等についても考慮して、町や、道や国の補助金を受け実施していかなければならないのではないかとの指摘を受けました。

 昭和25年建築の博物館はかたむきかかり壁等にも亀裂が起きとても使える建物ではなくなってきています。

 しかし、「その外観はとても家庭学校にとって価値のあるもので、入口近くにある木工教室のたたずまいも又、家庭学校の歴史を伝える建物として貴重なものであり両者とも保存の価値がある」と指摘してくださいました。

 森の開拓を通して、自然の感化力を大切にされた留岡幸助先生の思いを引き継ぎながら、家庭学校の生活を続けていき、子どもたちの笑顔を生み出していきたいのです。

2010年08月号

発達障がいを抱える子と暮らして

伊藤 浩士

 体育館の2階から、バトミントン、バスケットボール、フットサルに興じる子どもたちを眺めている。子どもたちを数えてみたら14人で、8名は自分が担当する寮の生徒たちであり、4名は高校生である。4名のうち3名は中学生の時に私が担当をした子どもたちであり、背が伸びて髪が伸びて、体もよく動いていて成長が感慨深い。残りの2名は私の長男と次男である。長男は中3になり、いつの間にか家庭学校に措置される子どもと同年代になった。得意のフットサルで遊んでいる様子も成長したものだなと思う。思えば多忙にかまけていて長男とフットサルなどをしたことがないなと猛省する。今春、小学生になった次男は体育館を対角線上に直線的な動きをしている。正に鉄砲玉でズボンからシャツがはだけている。普通寮の生徒と高校生と職員の子どもたちがお互いの距離を守りながら楽しんでいる様子は非常に興味深い。土曜日の夜の体育館は山の中に灯りを灯した一軒家のようで、照明に蛾が群がっている。

 私が洗心寮担当している生徒は8名である。そのうち7名が何らかの発達障がいを抱えている。半数の4名が被虐待児であることに驚く。入所してくる子どもたちは、万引きや喫煙等の一通りの悪いことはしているものの非行性は低くなっていることが最近は顕著である。私が生徒たちと衝突する時は、主張を通すための対峙ではなくなってきている。それよりも発達障がいが起因していると思われる、衝動性によりキレる子が多い。どちらに正当性があるというものではなく会話や主張が成立しない。キレたらクールダウンをさせるのが基本だが服薬を続けていて安定してきている子供でないと制止が難しい。ガラスを割って扉を蹴り破って、私に押さえられても、手を放せと言って抵抗している。もう落ち着いてくれと言葉に出しても祈っても抗う姿に子供特有の強い生命力を感じる。その生命力がいとおしい。寮担当をしていると毎日が子供たちとのぶつかり合いであり葛藤である。

 先に私の長男が中3であることを記した。長女が中1、次男が小1である。仕事でもぶつかり合いと葛藤があるが家庭でも同じようなことが起こっている。自分の子供に時間を割くことは出来ないが素直に育ってくれたことは多くの皆様に感謝をしなければならないと思う。学校の先生方や遠軽の優しい人柄の皆様や・・・家庭学校の先生方や優しくて厳しい自然に育てていただいた。父親らしいことはしていないのだが「いつでも居る」ということは子供たちの安心感は強いと思う。思春期を迎えたら父親は煙たい存在ではあるのだが「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と声かけをしてもらうことは子供の成長に欠かせない。

 発達障がいを抱える子供たちに対して一番よくないことは放任であると思う。「行ってきます」「いただきます」を言う大人が近くにいない。学校での出来事を受け止めてもらえないことは発達障がいの有無に関係なく生活の質が下がる。受け止めてもらえないことにより、発達障がいの発見が遅れることは本人にとっても家族にとっても不幸なことである。事実、家庭学校に措置されてくる子供の多くは発達障がいであることが分かっていなかったり、発見が遅れている。

 簡単には言えないが発達障がいを抱える子供は、生い立ちの中で何かが欠乏している。何らかの脳の障がいであると同時に何かが足りない。家族の愛情や関わる大人の支援で障がいは治らないが、早期発見と早期治療は地域での理解と地域で障がいを抱えながら暮らせることにつながっている。

 A君は長男と同級生の中3である。寮舎と職員住宅の出入り口はつながっているのでA君と長男が会話をすることはよく見られる。遠軽中学校の本校に通う長男と分校に通うA君との会話は苦笑してしまう。長男から感じる分校は、丁寧に勉強を教えてくれる先生方に家庭学校の職員が関わっていて「どんなに良い扱いなんだよ」と言うことである。しかも片道約4キロの自転車通学が無いことがうらやましいと言う。中学校から離れているので友達も遊びに来てくれないと私に文句を言っている。それを聞いているA君の主張は、お前には父さんも母さんもいるから幸せだと言う。自分も父さんと母さんがいたら家庭学校には来なかっただろう。自分は勉強が嫌いだから丁寧に教えてもらっても意味がないと思う。それから自転車で自由に動けることはうらやましいと言う。と言うように相反していることを言っていると思えば、私の悪口では気が合う。長男は、父さんは細かすぎるところがあると思うし大きい声を出すから驚くことがあると言う。A君は、伊藤先生は確かに変に細かいところがあるよねと言う。自分から見ていて長男に対して言い過ぎたり怒り過ぎるところがあるのが聞いていて腹が立つ時があるという。親というのは、箸の持ち方や姿勢、言葉使いまで自分の子供に対してこんなにやかましいものなのかと驚くと言う。自分は他人だから、伊藤先生が細かいことにうるさいのだと思っていたと聞かされて私が驚く。

 A君は発達障がいと診断されて家庭学校に来てから服薬を開始した。服薬から8ヶ月が経過して生活は大分安定してきた。入校時は手先を使う作業が嫌いでイライラします、と訴えては作業を最後まで終わらせることが出来なかった。学習中は鉛筆を机上に置いて両腕をダラリと下げて椅子に座っていることが多かった。美術の学習価値はないと訴えて課題を提出できないことが続いた。支える大人が増えたことで、寮ではしっかり勉強をすることを理解させて、分校の先生方が細かい指導をしてくださることでA君は成績が上がった。作業では力仕事が好きで相変わらず不器用である。生活面では敬語が使えるようになり、部屋をきれいに片付けるようになった。発達障がいを抱えていても福祉、教育、医療的サポートで子供たちは成長が出来るのである。

 体育館は14人の熱気と歓声に包まれ水銀灯に群れた蛾が一匹床に舞い落ちた。